大岡の詩は英語、オランダ語、フランス語、ドイツ語、中国語、スペイン語、マケドニア語に訳されている。連歌や連句に倣い、現代詩人たちが共同で詩を制作する「連詩」を1970年代初めに提唱し、精力的に連詩制作を行ってきた。連詩集として『揺れる鏡の夜明け』や『ファザーネン通りの縄ばしご』、『What the Kite Thinks』などを出版している。
1982年(昭和57年)2月上旬帰国。『現代詩手帖』に詩「巴里情景集」発表[7]。3月、『新潮』に詩集の英訳者であるフィッツシモンズとの連詩「揺れる鏡の夜明け」発表。4月、『加納光於論』刊行。6月、『詩の思想』刊行。7月、『現代詩手帖』の西脇順三郎追悼座談会に参加[7]。また、富山県立美術館「瀧口修造と戦後美術」展のカタログ執筆、記念講演[7]。8月、『現代詩手帖』に「草府にて」発表[7]。10月、父博の遺稿歌集『春の鷺』を一周忌に合わせ編集刊行。同月、岡倉天心とプリヤンバダ・デーヴィー・バネルジーとの往復書簡集『宝石の声なる人に』を大岡玲との共訳で刊行[8]。12月、フィッツシモンズとの連詩『揺れる鏡の夜明け』刊行[7]。同月、対談集『言葉という場所』刊行。同月、『ユリイカ』特集「現代詩の実験」に詩「楸邨句ラッキー・セブン、曲解と唱和」発表。この年、フィッツシモンズ訳による英訳詩集『A String around Autumn』刊行。日本近代文学館理事(1989年には常務理事)[13]。12月連詩『揺れる鏡の夜明け』(トマス・フィッツシモンズと共著)刊行[6]。
1991年(平成3年)1月、岩波新書『連詩の愉しみ』刊行。同月、ハワイ大学における国際翻訳者会議において冒頭特別講演「翻訳の創造性 日本の場合」。2月、NHKラジオにて毎週1回ドラマアワーで「大岡信シリーズ」放送。3月、国立劇場特別企画による間宮芳生作曲「飛倉戯画巻 命運の絆」の台本を担当し、上演される。4月、英訳古典和歌論集『The Colors of Poetry-Essays on Classic Japanese Verse』(詩歌の色)刊行[7]。5月、英訳選詩集『Elegy and Benediction』(悲歌と祝禱)刊行[7]。同月、シンセサイザー谷川賢作、尺八クリストファー遙盟とともに詩の朗読と生演奏の一夜「音の間・言葉の間」イヴェント。6月、中国語訳『大岡信詩選』(蘭明訳)刊行。同月、スウィディッシュ・インスティチュートの招待で、ストックホルムで詩の朗読と講演。ついでフィンランドのラフティ国際作家会議の招請により同地でフィンランドとエストニアの詩人3名とともに連詩を制作、発表[注釈 47]。続いて、ロッテルダム国際詩祭のポエトリ・オンザロード・プログラム(路上の詩)に参加。7月、ハワイ大学サマー・セッションの招きでハワイ在住の3名の詩人と連詩および講演と詩朗読。10月、ゲイリー・スナイダーと銕仙会能楽研修所で朗読会。11月 歌仙形式の連句集『とくとく歌仙』(丸谷才一、井上ひさし、高橋治と共著)刊行。同月、公演のため来日したジュリエット・グレコと朝日ホールで公開対談。
1994年(平成6年)2月、孤蓬万里編著『台湾万葉集』に序文を書く。3月、バイチマン訳で英訳『折々のうた』刊行[7]。4月、講談社現代新書『私の万葉集 2』刊行。同月、伊東光晴、丸谷才一、森毅、山崎正和共著による『近代日本の百冊を選ぶ』刊行。5月、『わたしへの旅 牧水・こころ・かたち』を大岡ほかの制作で刊行。6月、詩集『火の遺言』刊行。同月、講談社水墨画の巨匠シリーズ第11巻『大雅』の解説を小林忠とともに執筆。7月、谷川俊太郎とともに編集担当し、点字で『声で楽しむ美しい日本の詩 近・現代詩篇』制作。同月、『國文學』で大岡信を特集、大江健三郎と対談[7]。8月、谷川共編で点字による『声で楽しむ美しい日本の詩 和歌・俳句篇』制作。同月、『現代詩手帖』にパスの主催雑誌『ヴエルタ』の依頼で書かれた詩「パスの庭」を発表[7]。同月、『聖なる山河を行く』を大岡ほか24名の共著で刊行。9月、ベルリンの雑誌『国際文学』に「詩とはなにか」全24篇がフープ訳で掲載される[7]。同月、三島市民文化会館で「大岡信文化講演会」第1回「ふるさとで語る折々のうた」開催[注釈 49][7]。10月、パリのコレージュ・ド・フランスにて連続講義「古代日本の詩と詩人」を隔週1回で全4回行う[7]。同月、評論『1900年前夜後朝譚 近代文芸の豊かさの秘密』刊行。この年、ハワイにおいて、連詩集『What the kite thinks:a linked poem by Makoto Ōoka, Wing Tek Lum, Joseph Stanton, Jean Yamasaki Toyama』、『A poet's anthology:the range of Japanese poetry』刊行。11月、トゥールーズ大学・日本詩歌セミナーにて講演[7]。
2000年(平成12年)1月「日本の古典詩歌」第1巻『万葉集を読む』刊行[7]。2月、随筆集『おもひ草』刊行[7]。同月、長女・亜紀、日本画家としての初の個展[7]。3月「日本の古典詩歌」別巻『詩の時代としての戦後』刊行。同月、『日本うたことば表現辞典 6、7』(生活編上、下)刊行。同月、コロンビア大学ドナルド・キーン・センターの招聘により、アメリカ各地で講演、詩朗読[7]。同月、クロッペンシュタイン訳によるコレージュ・ド・フランス講義の独訳『古代日本の詩と詩論』『Dichtung und Poetik des alten Japan fünf Vorlesungen am Collège de France』刊行[7]。4月、大岡が編集解説した岩波文庫『窪田空穂歌集』刊行[7]。6月、ジャニーン・バイチマン訳による英訳『折々のうた』刊行[7]。同月、宮田雅之切り絵、リービ英雄英訳による『万葉恋歌』刊行。8月、福沢啓臣訳で、前年9月にベルリンで行われた連詩の独語版『吊り橋―ベルリン連詩』刊行[7]。10月、オランダのポエトリー・インターナショナル主催による日本・オランダ連詩相互交流の会に参加[7]。11月『日本うたことば表現辞典 8、9』(狂歌・川柳編上、下)刊行。同月、静岡市で日中詩人による連詩、しずおか連詩第2回[7]。