村田 省蔵(むらた しょうぞう、1929年(昭和4年)6月15日[1] - 2018年(平成30年)7月14日[2])は、日本の洋画家[1]。石川県金沢市出身[1][6]。
2013年(平成25年)に石川県立美術館で開催された『村田省蔵展 -画業60年の歩み-』では「卓抜な描写力と師・小絲に鍛えられた深い色彩を両輪」「美しい自然を賛美して描くものと、近景をクローズアップし、自己の感興や思いを述べるものとがある」[8]「多彩かつ濃厚な色彩と緊密な構図は村田様式」[3] と評されている。
1929年(昭和4年)6月15日、石川県金沢市にて生糸問屋を営む生家の五男として生まれる[1]。1942年(昭和17年)、石川県立金沢第二中学校へ入学[1]。1944年(昭和19年)海軍飛行予科練習生として滋賀航空隊に入隊する[1]。1945年(昭和20年)終戦により石川県立金沢第二中学校へ復学した際、第一回現代美術展にて宮本三郎の作品に感動、画家を志す[1]。
1949年(昭和24年)3月に第35回光風会展、同年10月第5回日展(日本美術展覧会)にてそれぞれ初入選[1][6]。1950年(昭和25年)3月、1951年(昭和26年)、金沢美術工芸専門学校洋画科卒業[4]。上京し東京都文京区に居を構え、周辺風景を描くようになる[1]と同時に、小絲源太郎に師事[1][6]。1959年(昭和34年)、東京都保谷市[注釈 1]にアトリエを構え、同年4月、第45回光風会展で会友賞受賞[1]。1966年(昭和41年)、光風会を退会[1][6]。
1968年(昭和43年)11月、第11回日展で菊華賞受賞[1][6]。1998年(平成10年)第30回改組日展で「春めく」が内閣総理大臣賞受賞[1][6][5]。2006年(平成18年)6月、第37回日展にて恩賜賞・日本藝術院賞受賞[1][6][7]、同年日展理事、日本藝術院会員[注釈 2][1][6][7]。
この間、2000年(平成12年)に金沢学院大学美術文化学部教授に就いている[1]。
2010年(平成22年)11月1日、神奈川県鎌倉市へ絵画寄贈し鎌倉市政功労者となる[9][1]。2011年(平成23年)6月、旭日中綬章受章[1][6][7]。
2018年7月14日、肝臓がんのため神奈川県鎌倉市の自宅で死去。89歳没[2]。叙従四位[10]。
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