川本 末雄(かわもと すえお、1907年(明治40年)3月16日[2] - 1982年(昭和57年)[4])は、熊本県玉名村(現玉名市玉名)出身[2]の日本画家[2][4]。
現代的解釈による大和絵の世界を展開し[5]、郷里の菊池川周辺の自然風景をモチーフに、現代日本画の新境地を開いた[2]。
略歴
1907年(明治40年)、熊本県玉名村に生まれる[2]。旧制玉名中学校(現熊本県立玉名高校)を経て1929年[1]、東京美術学校(現東京芸術大学)へ入学[2]、1933年卒業[1]。松岡映丘に師事する[1][4]。1938年の松岡映丘の死去により翌1939年より山口蓬春に師事[1][4]。
1948年、第4回日展(日本美術展覧会)にて「水辺薄日」が初入選、翌1949年第5回日展で「夕映」特選、1953年第9回日展で「朝の渓谷」が特選・白寿賞・朝倉賞を受賞[1][5]。1971年第3回改組日展で「新秋譜」が文部大臣賞、1975年第7回日展「春の流れ」で翌1976年第32回日本芸術院賞恩賜賞受賞[1][4][6]。1982年勲四等旭日小綬章を受章[1]。
1977年より日展理事[1]、1980年日展参事[1]。
1982年12月24日午前7時33分、心不全のため神奈川県鎌倉市の自宅で死去、享年75[1]。
作品
- 太字は受賞。
日展出品歴[1]
| 出品年 | 出品回 | 作品名 | 備考 |
1. | 1948年 | 第4回 | 「水辺簿日」 | |
2. | 1949年 | 第5回 | 「夕映」 | 特選 |
3. | 1950年 | 第6回 | 「早春の朝」 | 依嘱 |
4. | 1951年 | 第7回 | 「晩秋」 | |
5. | 1952年 | 第8回 | 「杉木立の風景」 | |
6. | 1953年 | 第9回 | 「朝の渓谷」 | 特選、白寿賞、朝倉賞 |
7. | 1954年 | 第10回 | 「倒影」 | 依嘱 |
8. | 1955年 | 第11回 | 「虹鱒」 | 依嘱 |
9. | 1956年 | 第12回 | 「秋瀑」 | 依嘱 |
10. | 1957年 | 第13回 | 「晨湖」 | 依嘱 |
11. | 1958年 | 第1回社団法人 | 「錦秋」 | 審査員 |
12. | 1959年 | 第2回社団法人 | 「冬日」 | 会員 |
13. | 1960年 | 第3回社団法人 | 「残雪」 | |
14. | 1961年 | 第4回社団法人 | 「鶏頭」 | |
15. | 1962年 | 第5回社団法人 | 「月明」 | |
16. | 1963年 | 第6回社団法人 | 「広野」 | 審査員 |
17. | 1964年 | 第7回社団法人 | 「浜風」 | |
18. | 1965年 | 第8回社団法人 | 「沼」 | |
19. | 1966年 | 第9回社団法人 | 「宵」 | |
20. | 1967年 | 第10回社団法人 | 「うしお」 | 審査員 |
21. | 1968年 | 第11回社団法人 | 「雪の並木」 | 評議員 |
22. | 1969年 | 第1回改組 | 「暁光」 | |
23. | 1970年 | 第2回改組 | 「秋耀」 | |
24. | 1971年 | 第3回改組 | 「新秋譜」 | 文部大臣賞、審査員 |
25. | 1972年 | 第4回改組 | 「湿原の夏」 | |
26. | 1973年 | 第5回改組 | 「朝」 | |
27. | 1974年 | 第6回改組 | 「苔樹」 | 審査員 |
28. | 1975年 | 第7回改組 | 「春の流れ」 | 翌1976年芸術院恩賜賞 |
29. | 1976年 | 第8回改組 | 「流れ」 | |
30. | 1977年 | 第9回改組 | 「凍沼晨」 | 理事 |
31. | 1978年 | 第10回改組 | 「山の朝」 | 審査員 |
32. | 1979年 | 第11回改組 | 「峡谷」 | |
脚注
外部リンク
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太字は恩賜賞受賞者。名跡は受賞時のもの。表記揺れによる混乱を避けるため漢字は便宜上すべて新字体に統一した。 |