佐藤 朔(さとう さく、1905年(明治38年)11月1日 - 1996年(平成8年)3月25日)は、日本のフランス文学者、翻訳家。 学位は、文学博士(1960年)(学位論文「ボードレール芸術論の形成」)。 元慶應義塾大学文学部教授・慶應義塾長。日本芸術院会員。位階勲等は従三位勲一等。
東京府出身。日露戦争勝利の年に生まれたので勝熊と名づけられ、還暦を前に正式に「朔」に改名した[1]。旧制開成中学校を経て[2]、1930年に慶應義塾大学文学部仏文学科卒業。
慶應義塾大学卒業後、ただちに文学部の助手となり、1933年予科教員、1949年文学部教授となる。1956年から半年、慶應義塾大学海外派遣留学生として渡仏、欧米を回った。1960年学位論文「ボードレール芸術論の形成」(佐藤勝熊)で文学博士の学位を取得。
1969年5月より4年間慶應義塾長を務め、1978年、私学振興財団理事長に就任。1976年、日本におけるフランス語教育への功績によりフランス政府から教育功労章を受ける。1977年、従三位に叙せられ、勲一等瑞宝章を授与される。1980年、新年の宮中歌会始召人。1991年、日本芸術院賞・恩賜賞を受賞、同年芸術院会員。
フランス文学者としては、ボードレール研究とコクトー、サルトル、カミュ等の20世紀文学の紹介で有名である。また、慶應の仏文科の基礎を固めたことも業績として挙げられる。芥川比呂志、加藤道夫、遠藤周作などに影響を与えたほか、松原秀一、鷲見洋一、立仙順朗らを育てた。また、戦前に『悪の華』をはじめて全訳した。
また、晩年になってから詩集『青銅の首』を上梓した。
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