鶴澤 清治(つるさわ せいじ、1945年10月15日[1] - )は、義太夫節三味線方。日本芸術院会員、文化功労者。人間国宝(重要無形文化財保持者)。本名は中能島 浩(なかのしま ひろし)。
義太夫節の三味線方。二代目鶴澤道八の甥で後に養子。甥に六代目竹本織太夫と鶴澤清馗がいる。門弟には、直弟子の二代目鶴澤藤蔵(五代目鶴澤清二郎)、鶴澤清志郎、鶴澤清馗の他、養父二代目鶴澤道八門弟の預かりとして、二代目鶴澤清友、鶴澤清介、鶴澤八介がいる。孫弟子に、四代目鶴澤友之助(二代目鶴澤清友門弟)、鶴澤清丈'、鶴澤清公、鶴澤清允、鶴澤清方、鶴澤清斗(鶴澤清介門弟)がいる。妻は中能島知子(中能島欣一と中能島慶子の娘。今井慶松の孫)。定紋は中陰蔦。
中国大陸の大連市出身[1]。
1953年、4代鶴澤清六に入門、清治を名乗る。1954年、9歳で四ツ橋文楽座で初舞台。1960年、2代鶴澤道八、1964年、10代竹沢弥七に師事。近畿大学法学部中退。1972年、芸術選奨新人賞受賞。1976年から1989年まで、4代竹本越路大夫の三味線を務めた。1999年、モービル音楽賞(邦楽部門)受賞。2004年、日本芸術院賞・恩賜賞受賞、2006年、紫綬褒章受章[2]、2007年、重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定[3]、2014年12月 日本藝術院会員。2020年文化功労者[4][5]。
この項目は、音楽家(演奏者・作詞家・作曲家・編曲家・バンドなど)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:音楽/PJ:音楽)。
Lokasi Pengunjung: 3.145.96.221