常磐津 文字兵衛(ときわづ もじべえ)は、常磐津節の三味線方の名跡。
(天保10年(1839年) - 明治38年(1905年)1月16日)本名は富坂文字兵衛。
越後国(現在の新潟県)に、鍛冶工の子として生まれ、常磐津文字八に入門し、八十太夫を名乗る。変声期で太夫から三味線方に転じ八十松と改名。1862年9月に常磐津文字兵衛と改名。当初はワキ三味線だったが、1863年に6代目常磐津小文字太夫の立三味線を務め、小文字太夫没後は2代目常磐津松尾太夫(後の初代常磐津林中)の立三味線を務めた。晩年は常磐津文佐を名乗る。初代の作と思われる浄瑠璃が多く残されている。
通称「鍛冶町の文字兵衛」。
五代目常磐津 文字兵衛(ときわづ もじべえ、昭和36年(1961年)11月16日 - )本名は鈴木 淳雄。
東京の生まれ、4代目の実子。
高校時代は宮脇康之と同級生であり、驚きももの木20世紀にて高校時代の宮脇についての証言を寄せたこともある。
東京芸術大学卒業[1]。1977年に常磐津紫弘。1996年に父が常磐津英寿と改名を機に5代目文字兵衛を襲名。
洋楽ロックなどとの融合にも力を入れ1983年にはニューヨーク・カーネギーホールで演奏も行なった。
妻はプロのピアニスト。
2014年、春の叙勲紫綬褒章[2]
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