奥谷 博
奥谷 博(おくたに ひろし、1934年8月12日 - )は、日本の洋画家。勲等は文化勲章。日本芸術院会員、文化功労者。
愛知県立芸術大学美術学部講師、愛知県立芸術大学美術学部助教授、東京芸術大学美術学部客員教授などを歴任した。
高知県出身の洋画家である。独立美術協会に所属し[1]、神奈川県三浦郡葉山町に居住している[2]。愛知県立芸術大学では講師を経て助教授を務め、東京芸術大学では客員教授を務めるなど、後進の育成にも力を注いだ。1996年には日本芸術院の会員に選出されている[3][4]。2007年には文化功労者として顕彰された[3][4]。2017年には文化勲章を受章した[5]。
1934年高知県幡多郡宿毛町(現在の宿毛市)に生まれる [4][6]。1955年東京芸術大学美術学部油絵科に入学し、1959年卒業する [3][6]。1963年東京芸術大学美術学部専攻科を修了、大橋賞を受賞する[3][6]。この間、油絵科4年に進級して林武に師事するとともに、専攻科進学後も林武教室に籍を置く[4]。1966年4月には、伊藤簾教授の推挙により開学したばかりの愛知県立芸術大学美術学部の専任講師になる[4]。また10月には独立美術協会の会員となる [3][6]。1967年には、文部省が創設した芸術家在外研修制度 (現在の文化庁新進芸術家海外留学制度) による第1回在外研修員として、フランスに1年間留学する [3][6]。1969年4月に愛知県立芸術大学助教授となるが、翌年3月に退職して創作活動に邁進する [3][6]。1971年5月に再び渡仏し、1973年11月帰国する[3][6]。2001年4月に東京芸術大学美術学部客員教授 (2004年3月まで) となる [3][6]。2007年1月には宿毛市名誉市民となる[4]。
洋画家で独立美術協会会員の奥谷太一は、奥谷博の長男である[7][8]。
この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術/PJ:美術)。
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