蓮田 修吾郎(はすだ しゅうごろう、1915年8月2日[1] - 2010年1月6日[1])は、鋳金家。文化勲章受章、日本芸術院会員。日本の金属造型の第一人者である[1][2]。
来歴
石川県金沢市生まれ[2]。1928年石川県立工業学校図案絵画科卒業[1]、1938年東京美術学校工芸科鋳金部卒業[1]。在学中は高村豊周に師事した[1]。1949年、第5回日展に初入選し[1]、1951年「トロフィー」で日展特選朝倉賞を受賞[1]。1952年創作工芸協会設立を設立した[1]。1953年「黒豹鋳銅スクリーン」で日展北斗賞[1]、1959年「野牛とニンフ」で日展文部大臣賞を受賞[1]。1961年日本現代工芸美術家協会設立に参加[1]、「森の鳴動」で日本芸術院賞を受賞[1]。1975年東京芸術大学教授(のち名誉教授)、日本芸術院会員となる[1]。1976年日本金属造型研究所を設立[1]、1978年金属造型作家展を創設した[1]。1981年、北海道の納沙布岬に北方領土返還祈念のモニュメント「四島のかけ橋」を制作した[1]。1996年に日展顧問を委嘱される[1]。
2010年1月6日、敗血症のため死去[3]。94歳没。叙従三位[4]。
戦前は「用即美」という理念のもとで創作活動を行っていたが、戦後は「純粋美」を追求し、金属による環境造型へとテーマが移った[1]。
受賞・栄典
著書・作品集
- 『黄銅への道 金属造型作家のあゆみ』日貿出版社、1979
- 『蓮田修吾郎金属造型』京都書院、1981
- 『公共の空間へ 金属造型作家の活動』日貿出版社、1982
- 『環境造型への対話』日貿出版社、1986
脚注
関連項目
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太字は恩賜賞受賞者。名跡は受賞時のもの。表記揺れによる混乱を避けるため漢字は便宜上すべて新字体に統一した。 |