高橋 健二(たかはし けんじ、1902年9月18日 - 1998年3月2日)は、日本のドイツ文学者、翻訳家。中央大学名誉教授。ヘルマン・ヘッセやエーリッヒ・ケストナー作品の翻訳者として知られる。
東京・京橋生まれ。第一高等学校在籍時代は尾崎秀実と親しかった。1925年東京帝国大学ドイツ文学科を卒業、成蹊高等学校のドイツ語教師となる。1931年ドイツに留学し、スイスでヘルマン・ヘッセに会った。ヘッセやエーリッヒ・ケストナーの翻訳・紹介につとめたほか、ゲーテやグリム兄弟やハンス・カロッサなどドイツ文学に関する著書・翻訳多数。
大日本帝国がナチスドイツと1936年に日独防共協定、1937年に日独伊防共協定、1940年に日独伊三国同盟を締結し、枢軸国を形成していくなか、高橋は大政翼賛会宣伝部長に就任し、1942年に『文学と文化 評論と随筆』、 1943年に日独文化協会からヘルマン・シエーファー共編『大独逸に関する優良日本図書短評付撰集 第1』、『戦争生活と文化』(大政翼賛会宣伝部) 、1945年には 『美しい日本への道 反省と発足』(大日本飛行協会)などを刊行し、ナチ文学紹介も行った。このような高橋の戦争協力については高田里惠子[1]や関楠生らによって秋山六郎兵衛や石中象治などとともに近年研究されている[2]。
1951年中央大学講師、翌年教授となり、1958年ドイツ文学紹介の業績で読売文学賞、1961年『ヘッセ研究』で東京大学より文学博士の学位を取得。1963年『ケストナー少年文学全集』により産経児童出版文化賞受賞、1968年『グリム兄弟』で芸術選奨文部大臣賞受賞、1969年日本芸術院賞受賞[3]、1973年日本芸術院会員、中央大学を定年退職して名誉教授。1977年から1981年まで第8代日本ペンクラブ会長。1985年文化功労者。
生前テレビ朝日の『徹子の部屋』に出演し、黒柳徹子から戦争中のことを聞かれた際には、「あの時代は、あんな風でしたから、何もできませんでしたよ」と、曖昧に答え大政翼賛会文化部長の経歴などへの言及を避けた[要出典]。
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