藤島 亥治郎(ふじしま がいじろう、1899年5月1日 - 2002年7月15日[1])は、日本の建築史家。息子の藤島幸彦も建築史学者で、早稲田大学や大東文化大学講師。
1899年、岩手県盛岡市に生まれる。1920年に第六高等学校卒業[2]、1923年に東京帝国大学工学部建築学科卒業[3]。
同年に日本統治下の朝鮮の京城工業学校助教授、1924年に同校教授[4]。朝鮮総督府技師兼任。1929年に東京帝国大学助教授[5]、1933年に同教授となる[6]。
1933年から終戦まで、朝鮮宝物・古跡・名勝・天然記念物保存会委員をつとめ、朝鮮・韓国の建築に関する調査、保存活動を続けた。戦後は平泉遺跡調査会を立ち上げ、代表に就き、毛越寺、中尊寺の整備、中山道宿場の研究などを行った。また、大阪四天王寺伽藍や浅草寺五重塔の再建計画を組んだ。
1933年に工学博士の学位を授与される[7][8]。
1950年から文部省文化財審議会専門委員(1980年まで)などを歴任する。
1960年に退官し、東京大学名誉教授。1965年に四天王寺伽藍復元でBCS建築賞受賞、1968年に日本芸術院恩賜賞受賞[9]
1967年7月に、帝国ホテル旧館(ライト館)の取壊しに反対する帝国ホテルを守る会が結成され、藤島が会長に就任。旧館は同年12月に取壊しが始まり、後に明治村に玄関部分が再現された。
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