生島 遼一(いくしま りょういち、1904年9月2日 - 1991年8月23日)は、日本のフランス文学者、文芸評論家、翻訳家。京都大学名誉教授。
大阪市生まれ[1]。 旧制松江高等学校[2]を経て1929年京都帝国大学文学部仏文科卒、神戸商業大学予科講師、教授、戦後1947年第三高等学校教授、1949年京都大学教養部教授、1964年京都大学文学部教授を務め、1968年定年退官[3]。
若くしてスタンダールの『赤と黒』を翻訳。以後バルザック、フローベール、プルーストら19世紀フランス文学の作家を紹介し、ラファイエット夫人の「クレーブの奥方」、フローベールの「感情教育」では文章の美しさで翻訳の世界に新境地を開いた。 また、ボーヴォワール『第二の性』の訳でも知られ、桑原武夫、伊吹武彦とともに京大フランス学を形成した。
仏文学者と翻訳家、2つの顔で知られているが、日本文学評論や文芸エッセイも著した。 作家でやはり京大教授だった山田稔が「端正と気品が文学のモットーだった」と語る一方で、好き嫌いが激しく時にかんしゃくを起すなど、自ら認める我がままな一面もあった。 当時、国際日本文化研究センターの教授だった杉本秀太郎は「昔気質の学者でした」と語り、晩年まで、自ら能の舞台にも立つ「第三の顔」も有名で、芸術家肌を地でゆく学者でもあった。
1981年、日本芸術院賞受賞[4]。
1991年8月23日、86歳で死去。
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