川崎 洋(かわさき ひろし、1930年1月26日 - 2004年10月21日)は、日本の詩人、放送作家。東京都出身。
茨木のり子と「櫂」を創刊。明るい存在感溢れる詩風で、戦後詩に新鮮な叙情詩の世界を開いた。作品に詩集『はくちょう』(1955年)、『食物小屋』(1980年)、放送詩劇『魚と走る時』(1956年)など。
名前の洋は、『詩経』の「河川洋々」から取って、母方の祖父が名付けた[1]。1944年福岡県八女郡に疎開。福岡県立八女中学校(現:福岡県立八女高等学校)卒業、父が急死した1951年に西南学院専門学校英文科(現:西南学院大学)中退。上京後は横須賀の米軍キャンプなどに勤務した[2]。
1948年頃より詩作を始め、1953年5月茨木のり子と詩誌「櫂」を創刊[3]。谷川俊太郎、大岡信らを同人に加え、活発な詩作を展開した。1955年詩集『はくちよう』を刊行。1957年から文筆生活に入る。
1971年には文化放送のラジオドラマ「ジャンボ・アフリカ」の脚本で、放送作家として初めて芸術選奨文部大臣賞を受けた。1987年には詩集「ビスケットの空カン」で第17回高見順賞を、1998年には第36回藤村記念歴程賞を受賞した。
日本語の美しさを表現することをライフワークとし、全国各地の方言採集にも力を注いだ。また1982年からは読売新聞紙上で「こどもの詩」の選者を務め、寄せられた詩にユーモラスであたたかな選評を加え人気を博した。主要著書は下を参照。主なラジオ脚本に「魚と走る時」「ジャンボ・アフリカ」「人力飛行機から蚊帳の中まで」などがある。
作曲された詩は数多い。歌の作詞経験も豊富で、NHK全国学校音楽コンクールでは4回作詞を担当した(「きみは鳥・きみは花」「家族」「海の不思議」「風になりたい」)。
川崎本人は、自作の詩をテーマごとに分類すると、海に関するものが一番多いと語っている[1]。
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