曾宮 一念(そみや いちねん、Somiya Ichinen 1893年9月9日 - 1994年12月21日[1])は、日本の洋画家、随筆家、歌人。
東京市日本橋区漬町(現中央区日本橋浜町)に生まれた。本名は下田 喜七(しもだ きしち)。大下藤次郎、藤島武二、黒田清輝に指導を受ける。東京美術学校卒業後は山下新太郎に師事し、中村彝に兄事する。1914年、文展で褒状、1925年、二科展で樗牛賞を受賞、二科会、独立美術協会所属ののち1946年に国画会会員となる。1945年に度々作品の題材を得ていた静岡県富士宮市に移住して以降、同地で過ごした[2][3]。1965年、視力障害のため国画会を退く。1971年、両眼失明のため画家を廃業。以降文筆や書、へなぶり(狂歌)をはじめる。「平野夕映え」「裾野の雲」などの風景画で知られる。文筆にも優れ、1959年に『海辺の熔岩』で日本エッセイスト・クラブ賞受賞。
※『曽宮一念略年譜』(江崎晴城編)による。
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