「ROU 」はこの項目へ転送 されています。日本のシンガーソングライターについては「菊池卓也 」を、その他の用法については「ロウ 」をご覧ください。
ルーマニア
România
国の標語:なし
国歌 :Deșteaptă-te române! (ルーマニア語) 目覚めよ、ルーマニア人!
ルーマニア (羅 : România )は、東ヨーロッパ 、バルカン半島 東部に位置する共和制 国家 。首都 はブカレスト 。南西にセルビア 、北西にはハンガリー 、北がウクライナ 、北東をモルドバ 、南にブルガリア と国境を接し、東は黒海 に面している。
国土の中央をほぼ逆L字のようにカルパティア山脈 が通り、山脈に囲まれた北西部の平原のトランシルヴァニア 、ブルガリアに接するワラキア 、モルドバに接するモルダヴィア 、黒海に面するドブロジャ の4つの地方に分かれている。
概要
ルーマニアはヨーロッパにおいて国土面積が第12位であり、また、欧州連合 の加盟国としては人口密度が第6位となっている。主要都市は首都で最大の都市でもあるブカレストをはじめ、クルージュ・ナポカ 、ヤシ 、ティミショアラ 、コンスタンツァ 、クラヨヴァ 、ブラショフ 、ガラツィ が挙げられる。
ヨーロッパにおいて第2位の長さの河川 であるドナウ川 が近隣に位置し、カルパティア山脈が北から南西にルーマニアの国土を横断している。国土は、標高2,544 mのモルドベアヌ山 を含んでいる[ 3] 。
ルーマニアは「多種多様な民族によって形成された国家」であるといって過言ではない。同国の住民は、紀元前 からこの地方に住んでいたトラキア系 のダキア人 と、2世紀 ごろにこの地方を征服した古代ローマ 人、7世紀 から8世紀 ごろに侵入したスラブ人 、9世紀 から10世紀 に侵入したマジャール人 、その他にトルコ人 、ゲルマン人 などの混血や同化によって、重層的かつ複合的に形成された等と言述される複合民族 români (ロムニ 、ルーマニア人 )が約9割を占める[ 注釈 1] 。
そして少数のマジャール系のセーケイ人 やロマ人 (≒ジプシー )[ 注釈 2] なども住んでいる。なお、同国人口の大半はルーマニア人であり、宗教的には東方正教会のキリスト教が主体となっており、ロマンス語 [ 注釈 3] に分別される言語であるルーマニア語が用いられている。
現代のルーマニア国家は、1859年にモルダヴィアとワラキアのドナウ公国 の個人的な連合によって形成されたものに端を発する。
現在のルーマニア地域への定住は、旧石器時代に始まり、古代末期のローマ帝国 によるダキア王国とその征服、その後のローマ化 を証明する文書記録が確認されている。1866年から正式に「ルーマニア」と名付けられた国家は、1877年にオスマン帝国 から独立を果たした。
第一次世界大戦 中、ルーマニアは1914年に中立を宣言した後、1916年から連合国 と共に参戦した。戦後、ブコヴィナ、ベッサラビア、トランシルヴァニア、バナト、クリシャナ、マラムレシュの一部は前身国家であるルーマニア王国 の構成地域となった。1940年の6月から8月にかけて、モロトフ・リッベントロップ協定 と第二次ウィーン裁定 の結果、ルーマニアはベッサラビアと北ブコヴィナをソビエト連邦 へ、北トランシルヴァニアをハンガリーへ割譲することを余儀なくされた。更に同年11月、ルーマニア王国は日独伊三国同盟 に調印し、1941年6月には枢軸国 側として第二次世界大戦 に参戦し、1944年8月に連合国 へ加わり、北トランシルヴァニアを奪還するまでソ連と交戦した。赤軍 による侵略戦争と占領の後、同王国は社会主義共和国 となり、ワルシャワ条約機構 のメンバーとなった。1989年の革命後、ルーマニアは民主主義 と市場経済 への移行を開始し、共和制国家 へと転身。以後は現在に至っている。
ルーマニアは現在、先進国 の一員であり[ 4] [ 5] [ 6] 、国際情勢におけるミドルパワー として台頭しつつある[ 7] [ 8] 。ルーマニアは2000年代初頭に急速な経済成長を果たしている。同国経済は現在、サービス業を主体とする商業 に基づく形で成り立っており、自動車産業 ではダチアやOMVペトロムなどの企業を通じて、自動車と電気エネルギーの生産ならびに純輸出を行なっている。その経済は欧州連合加盟国の中で最も急速に成長しており[ 9] 、名目GDPで世界第44位、PPPでは第36位にランクされている。更にルーマニア国民は世界で最も速く且つ最も安いインターネット回線の1つを享受しており[ 10] 、傍ら幸福度ランキング でも比較的上位にランクされている[ 11] 。
ルーマニアは国際連合 (UN)、欧州連合(EU)、北大西洋条約機構 (NATO)、欧州評議会 (CoE)、黒海経済協力機構 (BSEC)、世界貿易機関 (WTO)のメンバーの一国である。
国名
正式名称はルーマニア語で România [romɨˈni.a] ( 音声ファイル ) 。原音により忠実にカナ表記すると「ロムニア」が近い。
国名の由来(語源 )は、ラテン語で「ローマ人(ローマ市民 )の土地」という意味の表現。
ハンガリー語 の表記は Románia [romaːniɒ] (ロマーニア)。
かつて、英語では Rumania 、ドイツ語 では Rumänien 、フランス語 では Roumanie [ 注釈 4] と表記するなど、現地の発音とは一つめの母音 から既にずれた表記が流通していた。近年では、現地の表記に沿う方向で修正される動きもあり、たとえば英語 での公式表記は Romania となったが、英語はロマンス諸語に表記だけを似せても発音は「[roʊˈmeɪniə] ( 音声ファイル ) 」(ロゥメイニア)となり、あまり参考にならない。
日本語表記
日本語 の表記は、昔の英語式の表記に影響を受けた「ルーマニア」となっている。漢字表記 は羅馬尼亜 (羅馬尼亞 )、緑馬尼、羅 [ 注釈 5] と略される。中国語 も同じく「羅馬尼亞」と表記する。
独立してからの日本語での正式名称は、以下のように変遷している。
現在では政体を指す共和国 は含まない国名が正式名称となっており、「ルーマニア共和国」という表記は誤りである。
歴史
古代ダキア
ヴラド・ツェペシュ
古代にはゲタイ人 (古代ギリシア語 : Γέται )と呼ばれる民族が居住していた。紀元前513年 、イストロス河(古代ギリシア語 : Ἴστρος 、現・ドナウ川 )の南でゲタイ人 の部族 連合が、対スキタイ 戦役中のペルシア 王ダレイオス1世 に敗れた(ヘロドトス 『歴史』4巻93)。
約600年後、ダキイ人 (ラテン語 : Daci )は、ローマ帝国 への侵攻に怒ったローマ皇帝 トラヤヌス による2度の遠征(101年 - 106年 )に敗れ、ローマ帝国の領土となった。その王国の4分の1はローマ領となり、ローマ帝国の属州 ダキア となった。現在の国名もその時の状態である「ローマ人の土地(国)」を意味する。国歌 の歌詞にトラヤヌスが登場するのは、こうした経緯からである[ 12] 。
238年 から258年 にかけて、ゴート人 とカルピイ人 がバルカン半島まで遠征した。ローマ帝国はドナウ川南まで後退し、以前の属領上モエシア の一部に新しく属領ダキアを再編した。
271年 、かつてのダキアにゴート人の王国が建てられ、4世紀 終わりまで続いたのち、フン人 の帝国に併呑された。中央アジア 出身の遊牧民族 が入れ替わりルーマニアを支配した。ゲピド人 、アヴァール がトランシルヴァニア を8世紀 まで支配した。その後はブルガール人 がルーマニアを領土に収め、その支配は1000年 まで続いた。このころの史料には、ペチェネグ人 、クマ人 、ウゼ人 への言及も見られる。その後、13世紀から14世紀にはバサラブ1世 によるワラキア 公国 、ドラゴシュ によるモルダヴィア 公国の成立が続いた。
中世 にはワラキア、モルダヴィア、トランシルヴァニア の3公国があった。完全な独立ではなく、オスマン帝国 やハプスブルク家 の支配下にあった。ワラキアとモルダヴィアは15世紀 から16世紀 にかけてオスマン帝国の属国であった。モルダヴィアは1812年東部のベッサラビア をロシア帝国 に割譲 した(パリ条約 により1920年 に再合併)。北東部は1775年 、オーストリア帝国 領土となり、南東部のブジャク はオスマン帝国領であった[ 13] 。
トランシルヴァニアは11世紀 にハンガリー王国 の一部となり、王位継承により1310年 以降アンジュー家 、のちにハプスブルク家領となったが、1526年 にオスマン帝国の属国となった(オスマン帝国領ハンガリー )。18世紀 には再びハプスブルク家のハンガリー王国領となり、第一次世界大戦 の終わる1918年 までその状態が続いた。
ルーマニア国土の変遷(1859年 - 2010年 )。濃い緑がその時代の領土、薄い緑がルーマニアが領有したことのある地域。
1859年 にワラキアとモルダヴィアの公主が統一され、1861年 、オスマン帝国宗主下の自治国として連合公国が成立した(ルーマニア公国 )。1877年 には露土戦争 に乗じて完全な独立を果たすため、独立宣言を行った。1878年 、ベルリン会議 で国際的に承認され、ルーマニア王国 が成立した。
第一次世界大戦 では中央同盟国 に攻め込まれ一時屈服したものの、与した連合国 が勝利したことからトランシルヴァニア などを併合して領土を倍増させ[ 14] (「ルーマニア戦線 」「トリアノン条約 」参照)、大ルーマニア を実現させたが、全人口の4分の1が異民族 という不安定な国家となった[ 15] 。1918年ベッサラビアを回復したが、これは1940年 に再びソビエト連邦 に占領され、最終的に割譲することとなる(現在はモルドバ共和国 、ウクライナ )。
第二次世界大戦 が始まると、ソ連はベッサラビアなどルーマニアの一部を占領した。国民は列強の領土割譲に対して無為無策であった国王カロル2世 を批判し、退位させた。ルーマニアはドイツ につき枢軸国 側として参戦した。この参戦により、ソ連が占領した地域を回復した。しかし、ドイツ敗退により再度ソ連に侵攻され、1944年 8月の政変で独裁体制を敷いていたイオン・アントネスク 元帥ら親ドイツ派を逮捕して連合国 側につき、国内のドイツ軍 を壊滅させたあとにチェコスロバキア まで戦線を拡大し、対ドイツ戦を続けた。
戦後はベッサラビアとブコヴィナをソ連に割譲させられ、ソ連軍 の圧力により社会主義政権が樹立した。1947年 に王制を廃止し、ルーマニア人民共和国 が成立した[ 16] (1965年にルーマニア社会主義共和国 に改称)。しかし、ニコラエ・チャウシェスク の独裁政権のもと、次第に他の東側諸国 とは一線を画す「自主独立路線 」を唱え始め西側 との結びつきも強めた。1989年 、ニコラエ・チャウシェスク の独裁政権が打倒され(「ルーマニア革命 」)、民主化 された。
2007年 1月1日に欧州連合 (EU)に加盟した。加盟に際しては「改革が不十分である」として欧州理事会 によって再審査されたが、「加盟後も改革を続行する」として承認された。
政治
2007年の欧州連合の拡大。黄色で表示されている国が新たに加盟したルーマニアとブルガリア。
現在の政体は大統領 を国家元首 とする共和制 国家であり、議会 において選出される首相が行政を行う議院内閣制 を採用している。
行政
大統領 は任期が5年となっており(2004年 までは任期4年)、3選は禁止されている。大統領は象徴的な存在であり、政治の実権は首相に握られている。首相 は大統領に任命され、議会 にて承認される。首相は省庁を統括し、内政及び外交を司り、行政権 を行使する政府の長 として機能する。
議会
立法権 は二院制 の議会に属し、比例代表制 で選出される議員から成る下院 (代議院 、定数330人)と上院 (元老院 、定数136人)で構成されている。両院とも議員の任期は4年。
政党
ルーマニアは複数政党制 国家の一つであり、少数民族政党も存在している。
司法
司法権 は政府から独立 し、最高裁判所 に属している。
国内における動き
2004年 には北大西洋条約機構 (NATO)に参加。2007年 1月に欧州連合 に加盟した。2016年2月、コメルサント は政府が隣国モルドバ の政治危機に乗じて両国の統合を目指し、そのための働きかけを強めていると報じた[ 17] 。
2017年には、2012年に続いて大規模なルーマニア反政府運動 (英語版 ) が起きた。
なお、ルーマニア国内では旧王家が「王室」を称して公的活動を積極的に展開している。旧王家の家督は「ルーマニア王冠守護者」の称号と「陛下 」の敬称を自称し、ルーマニア社会では広範に認められている。現在の家督 はマルガレータ・ア・ロムニエイ 。2018年10月29日、旧王家を軸とする国家的価値推進機関「国王ミハイ1世 」の創設に関する法案が下院を通過した[ 18] [ 19] 。
国際関係
日本との関係
駐日ルーマニア大使館
ルーマニア大使館全景
ルーマニア大使館表札
ルーマニア大使館受付時間
ルーマニア大使館裏
駐ルーマニア日本大使館
大使・植田治(2020年12月)
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国家安全保障
ルーマニア軍は、国防省の監督下にある総司令官が率いる陸・空・海軍の各軍からなり、戦時には大統領が最高司令官として指揮をとる。陸軍45,800人、空軍13,250人、海軍6,800人、その他8,800人で、文民は約15,000人、軍人は75,000人である。2007年の国防費は国内総生産(GDP)の2.05%、約29億ドルで、2006年から2011年にかけて近代化と新規装備の取得のために総額110億ドルが費やされている。
空軍はソ連の近代化戦闘機MiG-21ランサーを運用している。空軍はC-27Jスパルタン戦術空輸機7機を新たに購入し、海軍は英国海軍から近代化された22型フリゲート艦2隻を購入した。
2010年 2月4日、アメリカ のクローリー国務次官補(広報担当)は、ルーマニア政府が地上発射型迎撃ミサイルSM-3 (イージス・アショア )の配備に同意したことを明らかにした。これは、バラク・オバマ 政権が進めた、イラン の弾道ミサイル の脅威に対処するための新たな欧州ミサイル防衛 (SD)計画に参加したことになる。この件においてアメリカは同計画の参加国が南欧に広がったことを歓迎している。
また2009年10月には、ポーランド政府が新MD計画へ参加する方針をルーマニアが表明していたことが報道されている[ 20] 。
地理
ルーマニアの地図
西のセルビア 、南のブルガリア との間におけるルーマニアの国境は、基本的にドナウ川 を境界としている。モルドバ との国境線であるプルト川 もドナウ川と合流し、東岸の黒海 に注ぐ。ドナウ川の河口 は三角州 (ドナウ・デルタ )となっており、生物保護区 となっている。
これらの自然国境はそれぞれの川の流路変更によって変化する。また、ドナウ・デルタは年に2 - 5km2 ずつ面積を増やしているため、ルーマニアの領土面積はここ数十年、増加の傾向にある。1969年に23万7,500km2 だった総面積は、2005年には23万8,319km2 となっている。
ルーマニアの地形は34%が山地、33%が丘陵地、33%が平地である。国の中央をカルパチア山脈 が占め、トランシルヴァニア平原を取り囲んでいる。カルパチア山脈のうち14の山は2,000メートル級であり、最高峰のモルドベアヌ山 は 2,544メートルである。カルパチア山脈は南の丘陵 地帯に続き、さらにバラガン平野 (英語版 、ルーマニア語版 ) に至る。
地方行政区分
ルーマニアの県
ルーマニアの地方行政は、41の県と首都ブカレスト に区分されて行われている。
また、同国の県は「comună(コムーナ)」あるいは「municipiu(ムニチピウ)」などと呼ばれる小規模の自治体 に分かれている。
主要都市
都市
行政区分
人口
都市
行政区分
人口
1
ブカレスト
1,716,961
11
ブライラ
ブライラ県
154,686
2
クルージュ=ナポカ
クルージュ県
286,598
12
アラド
アラド県
145,078
3
ヤシ
ヤシ県
271,692
13
ピテシュティ
アルジェシュ県
141,275
4
コンスタンツァ
コンスタンツァ県
263,688
14
バカウ
バカウ県
136,087
5
ティミショアラ
ティミシュ県
250,849
15
シビウ
シビウ県
134,309
6
ブラショフ
ブラショフ県
237,589
16
トゥルグ・ムレシュ
ムレシュ県
116,033
7
クラヨーヴァ
ドルジュ県
234,140
17
バイア・マーレ
マラムレシュ県
108,759
8
ガラツィ
ガラツィ県
217,851
18
ブザウ
ブザウ県
103,481
9
オラデア
ビホル県
183,105
19
ルムニク・ヴルチャ
ヴルチャ県
115,739
10
プロイェシュティ
プラホヴァ県
180,540
20
サトゥ・マーレ
サトゥ・マーレ県
91,520
2021年国勢調査
経済
IMF の統計によると、ルーマニアの2013年 の国内総生産 (GDP)は約1,889億ドルである。2016年の1人あたりの名目GDPは1万1,859ドル[ 21] で、世界平均より少し高い程度だが、バルカン半島の旧社会主義国 ではクロアチア に次いで高い。
ルーマニアは伝統的に農業国 であり、第一次産業 人口が人口の42.3%を占める(2001年)。一方で、社会主義 時代に計画経済 のもと工業化が進められた結果、2014年 現在では鉄鋼 やアルミニウム 、繊維産業 といった業種も主要産業となっている[ 22] 。そのほか、17世紀 から続くモレニ 油田 が知られるように、ルーマニアは産油国であるが、今日ではその規模は限られている。
交通
ルーマニア国家統計局 (INSSE) の推計によると、ルーマニア国内の道路網は2015年時点で総延長86,080キロメートルに上る[ 23] 。鉄道網は世界銀行 の推定で22,298キロメートルに達し、これはヨーロッパで4番目の規模とされる[ 24] 。ルーマニアの鉄道輸送は1989年以降大幅に落ち込んだが、近年は設備の改善や部分的な民営化により持ち直している。1979年に開業した国内唯一の地下鉄であるブカレスト地下鉄 は、80.01キロメートルの路線を有し、2021年には1週間に72万人が利用した[ 25] 。航空では国内に16か所の国際空港があり、そのうち最大の空港であるブカレストのアンリ・コアンダ国際空港 は、2017年に1280万人が利用した[ 26] 。
2024年 3月により、空路と海路に限りシェンゲン圏 へ参加が決定。多くの欧州国家との間で、出入国が自由になる[ 27] 。
科学技術
国民
1961年 から2010年 までの人口動態グラフ
民族
住民は、ロムニ(ルーマニア人 )が89%。マジャル人 (ハンガリー人 )が6%、ロマ人 が2%などである。その他にはセルビア人 、ウクライナ人 、ドイツ人 、トルコ人 、タタール人 、スロバキア人 、ブルガリア人 、ロシア人 、ユダヤ人 、ノガイ族 などが居住している。ルーマニア人は古代のダキア人 と植民したローマ人 の混血だとされているが、異論もある。マジャル人の多くはハンガリーとの領有権問題を抱えるトランシルヴァニア のなかでも特にティミショアラ に多く居住しており、マジャル人は約160万人いる[ 28] 。
国勢調査 ではロマ人 の人口は約61万9000人とされているが、NGO は、これを大きく上回る約200万人と試算しており[ 29] 、ロマ人 はルーマニアの全人口の約8%[ 30] から約10%を占め[ 31] 、約190万人[ 32] とも約200万人いるともいわれる[ 33] 。ロマ人 は、すべての少数民族 のうち、人口の算出がもっとも難しい民族であり、長きにわたって虐げられてきたロマ人 に対する広範な差別 は、雇用 および住宅面 などで依然根強いものがあり[ 29] 、「ジプシー 」という烙印を押されるのを免れようとして、多くのロマ人 が国勢調査 で自らをルーマニア人と自己申告しており、事実、このようなロマ人 の多くは身分証明書 を所持していない[ 34] 。2002年 の国勢調査 では、ロマ人 と自己申告した者は53万5140人であり、ルーマニア全人口の2.5%に過ぎない[ 35] 。しかし、ロマ人 が多く住む東南ヨーロッパ のなかでも、ルーマニアに住むロマ人 の人口は群を抜いて多く、ルーマニアの社会学者 の低めの推計では約100万人としている[ 35] 。一方、マイノリティ・ライツ・グループ (英語版 ) の1995年 の報告では、約180万人から約250万人と試算しており、ロマ人 はルーマニア全人口の8%から11%を占めている[ 35] 。国勢調査 でロマ人 であると自己申告した者のうち、約半数がロマ語 を母語 としていると申告しており、このことは、ルーマニア人への同化 に段階性があり、同化が進行した者のなかには、その母語に従ってルーマニア人として自己申告している者が多数いる事実をうかがわせる[ 36] 。欧州評議会 は、約185万人のロマ人 がルーマニアに住んでおり、ルーマニア全人口の約8.32%がロマ人 と推計している[ 37] 。世界銀行 は、ルーマニアには約300万人のロマ人 がいると推計している[ 38] 。ブカレスト大学 のMarian Predaは、1998年 にロマ人 に関する研究をおこない、ロマ人 の人口を150万人と割り出したが、そのうちの100万人は、公式の国勢調査 においてロマ人 と自己申告していなかった[ 38] 。つまり、ルーマニアのロマ人 の3分の2以上が、恐怖 、恥 、差別 などの理由で出自 を隠し、自らをルーマニア人と自己申告しており、ルーマニアのロマ人 のせいぜい3分の1だけが自らをロマ人 と自己申告していた[ 38] 。上院議員 であるマダリン・ヴォイク (英語版 ) は、「ルーマニアだけで70万人から130万人の定住生活者がいる他、70万人程度の移動生活者がおり、結果、ルーマニアのロマ人 の人口は200万人ほどになる」と述べている[ 38] 。国際連合開発計画 は、「ルーマニアは、専門家の推定では、最低180万人から最大250万人のヨーロッパ で最大、そしておそらく世界 でも最大のロマ人 を抱えている」と報告している[ 39] 。ニュージーランド の社会開発省 (英語版 ) のアナリスト であるChungui Qiaoは、「ヨーロッパのロマ人 の人口は700万人から900万人と推定されています。ルーマニアは、ロマ人 の絶対数が最も多く、100万人から200万人の範囲にある国です」と報告している[ 40] 。
言語
公用語はルーマニア語 である。ルーマニア語はロマンス諸語 の一つであり、古代ローマ帝国で話されていたラテン語 の方言が変化したものである(なお、東欧ではロマンス系言語 を公用語とする国家はモルドバとルーマニアだけである)。その他、ロマ語 、ハンガリー語 、ドイツ語 、フランス語 なども使われている。
婚姻
ルーマニアの結婚は法的なもの、教会での結婚式、披露宴の3段階で進行されており、この流れが正式なものとなっている[ 41] [ 42] 。だが、歴史上ではロマやジプシーなどの文化で少女の誘拐婚 が正式な行為とされていたことから、その名残として(形骸化されつつも)現在も儀式的に児童婚 が継続される問題点を持ち合わせている[ 43] 。2020年時点でのセーブ・ザ・チルドレン・ルーマニアによる分析では、ルーマニアでは思春期の妊娠率が高いにもかかわらず、結婚している母親は殆どいなかったと述べられている。農村部の思春期の母親を対象とした調査によると、結婚している人は2%未満に止まるとのこと[ 44] [ 45] 。
統計
2015年を例にとってみると、ルーマニアでは12万5,000組超の婚姻が登録された(ルーマニア国政府の統計局によるデータ)。そのうち18.2%は25 - 29歳の(の年齢帯に統計局によって分類された)男女であり、14.3%は20 - 24歳の男女である。2015年の統計では、婚姻時の女性の平均年齢は29.1歳で、男性の平均年齢は32.5歳であった(平均年齢は、この年、前年と比べてやや上昇した)[ 46] 。
離婚数は2015年には3万1,527件であり、この年は前年比で15.9%増加した[ 46] 。
行政的な結婚と宗教的な結婚
ルーマニア政府は、ルーマニア国民がそれぞれに住む地域の市役所で行う結婚式のみを法的に認知している。したがって、多くのカップルが市役所での結婚式を終えたあとに改めて宗教的な結婚式を行うことを選ぶ[ 47] 。
なお婚姻の際には、自己の姓を用い続ける(夫婦別姓 )、相手の姓を用いる(夫婦同姓)、相手の姓を付加する、のいずれかを選択できる。
同性カップルの位置づけ
2019年時点で、ルーマニアでは同性婚 を新たにすることは法的には認められていない(ただし、欧州連合においてすでに同性婚をしたカップルがルーマニアで暮らす場合は、婚姻関係にあると法的に認知される。en:Recognition of same-sex unions in Romania も参照)。
ルーマニアは、概して言えば、LGBT などに関しては「保守的」である。LGBTなどの人々はルーマニアでは社会的な障壁に直面することになる。ただし、2000年以降にかなりの変化も見られ、この20年ほどの間に、ホモフォビア やそれに関連するヘイトクライム を禁止する法律が成立してきている(en:LGBT rights in Romania も参照可)。
宗教
2011年 の調査によれば、キリスト教 正教会 の一派ルーマニア正教会 が81%、プロテスタント が6.2%、カトリック が5.1%、その他(その他のキリスト教、イスラム教 (英語版 ) 、エホバの証人 、ユダヤ教 )が1.2%、無宗教が0.2%、無効データが6.2%である。
教育
7歳から14歳までの8年間の初等教育 と前期中等教育 が義務教育 であり、無償となっている。
主な高等教育機関としては、ブカレスト大学 (1864年創設)などが挙げられる。
保健
ルーマニアの死亡率 はヨーロッパで5番目に高く、人口10万人あたり691人であり、他のEU加盟国に比べて外的要因および感染症 や寄生虫症 による死亡者が多く見られる(4〜5%)[ 48] 。
2004年のルーマニアでの主な死因は心血管疾患 (62%)であり、次いで悪性腫瘍 (17%)、消化器疾患 (6%)、事故 、負傷 および中毒 (5%)、呼吸器疾患 (5%)と続く[ 49] 。
総人口の5分の1が伝染病 または慢性疾患 に苦しんでいると推定されており[ 50] 、2015年の伝染病による死亡率はヨーロッパで4番目に高かった[ 51] 。
現在ルーマニアは深刻な野犬 の問題に直面しており、全国で推定200万匹が野放しになっている。2005年 において同国内で2万人以上が犬に襲われる被害を受けている。
その為 当局は駆除に乗り出そうとしているが、動物保護団体 の激しい反対にあい対策は進んでいない。
2006年 1月7日、動物愛護活動家でもあるフランス の女優のブリジット・バルドー が声明を出して駆除計画に抗議、ルーマニア当局を非難した。同年1月29日、日本人 男性がブカレストで野犬に噛まれて失血死する事件が起きた。
治安
ルーマニアの治安は、『グローバル・ファイナンス (英語版 ) 』が発表した「最も治安の良い国ランキング2022」によると31位となっている[ 52] 。
だが、首都のブカレストに危険地域に指定されている区域が存在することや都市開発から取り残された貧困層による犯罪が多発している状態が続いており、現地を訪れる際は充分な注意が求められる。
ルーマニアの警察の発表によれば、犯罪発生数は2012年~2018年にはピーク時より約28%減少しているもののスリ やひったくり 、置き引き 、車上狙い 、自動車盗難等の路上犯罪が後を絶たない状況が続いている[ 53] 。
警察
ルーマニア警察のパトカー ベースとなっているのはダチア・ロガン である
ルーマニアの警察は、各郡に対応する41の郡警察検査局と首都に設置されたブカレスト警察総局 (ルーマニア語版 ) (DGPMB)ならびにブカレスト地方警察 (ルーマニア語版 ) に分かれている。
人権
2015年時点での民主主義指数 では、167ヶ国中59位にランクされており、「欠陥のある民主主義国家」と称されている。
マスコミ
テレビメディア
ラジオメディア
報道機関
印刷・出版
通信
文化
有名な吸血鬼 ドラキュラ伯爵 は、15世紀 のワラキア 公であったヴラド・ツェペシュ がモデルになったとされている。
ウィッチクラフト (魔女文化)が数世紀の歴史を持ち、現在も「魔女 」や「まじない師」「占い師 」として生計を立てる人々が多く存在する。「魔女」としてお金を得ている者らからも(他の自営業者と同様に)徴税 するために2011年1月1日に労働法が改正され、「魔女」が職業として認められることとなった。それ以降、魔女たちは役所で営業許可を得て「魔女」として登録する必要があるほか、占いが外れると罰金が科されたり、逮捕されたりしてしまうようになる可能性もあるという。
食文化
ルーマニア料理 は、他のバルカン諸国 の料理と比べ、トルコ料理 の影響が小さい。
文学
詩人、ミハイ・エミネスク 。
19世紀に活躍した詩人 として、ミハイ・エミネスク が特筆される。
ミハイ・エミネスク国際アカデミー では、世界の優れた芸術家に対して、ミハイ・エミネスクの名前を冠した賞を授けている。日本人では、2012年に陶芸家Shogoro が造形芸術賞を受賞した。[ 54]
音楽
地域ごとに様々な伝統音楽の形式が存在する。また、ロマ(ジプシー)の音楽も盛んである。
美術
映画
ルーマニアにおける映画の歴史は1900年以前から始まっており、最初の映画撮影は1896年5月27日に行われている。だが、活動が始まったのは1895年12月28日にリュミエール兄弟 がパリ にて最初に開催した映画展から5ヶ月も経過していない時期であった事から、ヨーロッパ各国においての映画の歴史としては比較的浅いものに分けられる。
建築
衣服
世界遺産
ルーマニア国内には、ユネスコ の世界遺産 リストに登録された文化遺産が6件、自然遺産が1件存在する。
祝祭日
この他、伝統的祭日として3月1日 の 三月祭 (ルーマニア語版 、英語版 、ロシア語版 ) (Mărţişorul) がある。これはバレンタインデー に似た祭日である。花のほかに、ペンダント・ヘッド やブローチ などを男性から女性に贈る。紅白の細い糸を縒って作った小さなリボン を、プレゼントに結びつけるのが慣わしとなっている。
スポーツ
サッカー
ルーマニアでも他のヨーロッパ 諸国同様に、サッカー が圧倒的に1番人気のスポーツ となっている。国内リーグの歴史は非常に古く、今から110年以上前の1909年 にリーガ1 が創設されている。ルーマニアサッカー連盟 (FRF)によって構成されるサッカールーマニア代表 は、これまでFIFAワールドカップ には7度出場しており、1994年大会 ではベスト8の成績を収めた。UEFA欧州選手権 には5度出場しており、2000年大会 ではベスト8に進出した。著名な選手には、ゲオルゲ・ハジ 、アドリアン・ムトゥ 、クリスティアン・キヴ などが存在している。
その他の競技
ナディア・コマネチ
女子体操競技 においては世界屈指の強豪国であり、ナディア・コマネチ 、シモナ・アマナール 、アンドレーア・ラドゥカン などのオリンピック 金メダリストを多数輩出している。中でもコマネチは1976年 のモントリオール大会 で完璧な演技を見せ、五輪の体操競技史上初となる「10点満点」を獲得し世界中の人々を魅了した。その容姿やトレードマークの白いレオタード から、コマネチは「白い妖精」の愛称で呼ばれていた。
ルーマニアはハンドボール では、世界選手権 において4度の優勝を果たしており、2015年 にフランス代表 に抜かれるまでは最多優勝国であった。また、ラグビー代表 はワールドカップ の第1回大会から8回連続出場中である。なお、伝統的な競技としてはレスリング 形式のスポーツであるトレンタが開催されている[ 注釈 6] 。
著名な出身者
脚注
注釈
^ români(ルーマニア人)の起源については未だ明確にされておらず、現在も諸説が入り乱れている。
^ ロマ人のことはアルファベットでは「romani」などと書く。「români」(=ルーマニア人)と「romani」(=ロマ人、≒ジプシー)は、表記上や発音上、またその表記の意味も酷似しており非常に紛らわしいものとなっている。 よほど気をつけない限り、誤解や混線が生じる恐れがある。
^ より具体的にいえば東ロマンス語に該当。
^ フランス語は「ou」と書いて「ウ」と発音する。フランス人がフランス語で「ウ」という音を音写すると、ことごとく「ou」になる。
^ なお漢字の「羅」は、ラテン語 (=古代ローマで話されていた言葉)を漢字一文字で表す場合にも用いられる(英語を「英」、ドイツ語(独逸語)を「独」、フランス語(仏蘭西語)を「仏」と略記することは一般的であるが、これらでは重複は無いので混乱は起きない。たとえば、辞書での語源の解説では(一例として)「仏:terre < 羅:terra」と略記され、これだけで『フランス語の「terre(=土、地球)」の語源はラテン語の「terra」である』という意味なのだと理解できる)。 そもそもルーマニアと古代ローマ帝国 は元から深い関係を持っており、国名でも言語名でも類似の表現になっていて、漢字では「羅」となってしまうのは、ある意味「仕方がない」と言えば仕方がないのだが、辞書や語学書では「羅」がラテン語を指しているのかルーマニア語を指しているのかはっきりせず、略記しづらく難儀である。 特にルーマニア語はロマンス諸語 のひとつである上、ラテン語の方言から派生している事からルーマニア語の語源の解説をすると、ほぼ必ずラテン語に言及することになる為にどちらも「羅」ではとても不便な状況となっており、現在も問題視されている。
^ トレンタはルーマニアだけでなく、類似する文化圏のモルドバ でも支持されている。
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参考文献
関連項目
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