仙台市 (せんだいし)は、宮城県 の中部に位置する市 。宮城県の県庁所在地 であり、東北地方 で唯一の政令指定都市 。
まちづくり の理念は「“The Greenest City” SENDAI」であり、5つの行政区がある[ 1] 。人口は約109万人[ 2] 。人口や経済規模など多くの分野で東北地方最大の都市でもある[ 3] 。
概要
仙台市中心部周辺の空中写真。2013年9月18日撮影の48枚を合成作成。国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービス の空中写真を基に作成。
仙台市都心部 周囲には広瀬川 や青葉山 などの自然 があり、また都心部にも街路樹 などの緑が多いことから、「杜の都 」との雅称を持つ[ 4] 。仙台市は「学都仙台 」「楽都仙台 」などのキャッチコピー も用いている。東北を代表する港湾 およびサーフスポット である仙台港 (仙台塩釜港 )が北東部に、宮城県内の観光地 の中で宿泊客数第1位を誇る秋保温泉 が南西部に、宮城県内で利用者数1位を誇るスプリングバレー泉高原スキー場 が北西部にある。中国 では魯迅 が留学した都市として知られる。
東日本 などや海外(参照 )の商店街イベントとして定着した七夕 まつり(仙台七夕 )、旧・仙台藩 地域での仙台初売り 、地方では困難な公的財源に頼らない大規模イルミネーション イベントのSENDAI光のページェント 、「街角無料音楽祭」の定禅寺ストリートジャズフェスティバル 、および、それがバリアフリー 化したとっておきの音楽祭 など、市民が中心となって創り上げた都市イベントを数々生み出しており、その運営ノウハウやフォーマットを市外・県外に移出する文化都市でもある。
現在の仙台市の推計人口 は東北地方 の中で最も多い約110万人で、東北地方のプライメイトシティ (首位都市)である。東北地方人口2位は約32万人の福島県 郡山市 であるため、当市の人口規模は圧倒的である。宮城県民の48.8%が居住し、秋田県 、山形県 よりも人口が多い。その仙台市が県内総生産 の55.5%、県民所得の58.3%を占めており(2013年度)[ 5] 、「仙台一極集中」と言われることがある[ 6] [ 7] [ 8] 。また仙台都市圏 (広域行政圏 )の推計人口は約153万人で、宮城県民の68.2%が居住する。このような集積度と東北における拠点性により、物販面では隣県に及ぶ経済圏を形成している。全国企業の東北支社が置かれることが多い典型的な支店経済都市 である。また、国の行政機関 の地方支分部局 が多数立地しているため、東北地方における地方中枢都市 の一角を担う存在でもある(「札仙広福 」も参照)。
沿革
仙台市は、かつての宮城郡 南部と名取郡 北部に市域が広がるが、両郡の東部に広がる仙台平野 (狭義)は、西と北を陸前丘陵 [ 注 1] 、東を太平洋 の仙台湾 、南を阿武隈川 に囲まれる。また、同平野の北部は長町-利府線断層帯 [ 9] を境に、北西側が洪積台地 、南東側が沖積平野 に分かれる[ 10] 。当地は、畿内 に端を発する山道(後に東山道 に再編)と海道 (後に東海道 に再編)とが合一する唯一の地[ 注 2] であり、その合一した街道は後年、奥大道 や東街道と名称を変えながらも同断層帯およびそれに続く高舘丘陵[ 注 1] の東縁に沿って南北に通る重要な道として存在し続けた。伊達政宗 による仙台開府以前の当地では、この街道沿いを中心に、同断層帯・丘陵より東側の沖積平野にある自然堤防 などの微高地(以下「東方微高地」)にのみ町場が形成された[ 11] 。「東方微高地」には、4世紀 末ごろに東北最大の雷神山古墳(現名取市 )や県内2位の遠見塚古墳 が築造され、7世紀 半ばの陸奥国 設置後は国府 とされる郡山遺跡 [ 12] [ 注 3] や多賀城 (現多賀城市 )[ 13] 、さらに陸奥国分寺 や陸奥国分尼寺 など同国の重要施設も置いている。
多賀城が11世紀 前半[ 注 4] に国府としての機能を失うと、陸奥国府は陸奥府中 の南西部にあたる現・JR 岩切駅 周辺の七北田川 沿い「東方微高地」に移転し、南北朝時代 まで続いた[ 14] 。12世紀 には陸奥国府は多賀国府とも呼ばれるようになり、国府周辺には多賀国府町(たがのこう町)と呼ばれる、陸奥国の政治・経済の中心地としての町場が戦国時代 まで続いた[ 14] [ 15] [ 16] 。当時のその他の町場には、原町 の宿場 [ 注 5] 、陸奥国分寺の門前町 である国分日町 、国分氏 の小泉城下町 [ 17] 、粟野氏 の北目城下町 [ 18] などがあり、いずれも「東方微高地」にあった[ 11] [ 19] 。
慶長 5年12月24日 (1601年 1月28日 )より政宗は、伝統的な当地の中心地である「東方微高地」ではなく、同断層帯より西側の洪積台地に広がる広瀬川の河岸段丘 上に仙台城 (青葉城)および城下町 を建設して仙台藩 62万石 の中心地とした[ 20] 。城下は、南北道の奥州街道 と、仙台城大手門から石巻街道 (塩竈街道 )へとつながる東西道の大町 とが交差する芭蕉の辻 を商業中心とし、国分日町が移転してきた国分町 [ 注 6] [ 注 7] 、北目城下町が移転してきた北目町 [ 注 8] [ 注 7] 、そして伊達氏 に従って移転してきた御譜代町 6町 などの町人 町を城下の街道沿いに配置した[ 16] [ 19] 。「東方微高地」では、小泉城および小泉城下町が政宗によって再編されて若林城 および若林城下町 となったが、死後に廃城および仙台城下町に吸収合併された[ 16] 。また、原町の宿場は石巻街道(塩竈街道)下り第一宿駅 の原町宿 [ 注 5] に再編され、旧・北目城下町の西隣には奥州街道 上り第一宿駅の長町宿 [ 注 3] が設置され、それぞれ仙台城下町とコナベーション した。この結果、仙台は「2城下2宿場連接都市」の様相を呈した。またこれ以降、奥羽 (東北地方)最大都市となった(参照 )。旧・陸奥府中では、塩竈 (現塩竈市 )が仙台城下町の外港 として発展し、塩竈と仙台との間に造られた運河 系により物流の中継地となった蒲生や原町も発展した。
明治 になると、東京 と青森 のほぼ中間(双方からともに約350km )に位置する当地に東北鎮台 (→仙台鎮台→第2師団 )が設置されて陸軍 施設が集まり、「軍都 」の側面を持ち始めた。1878年 に仙台区 となり、1882年 に木道社 が日本初の人車軌道 (後に日本で2番目[ 21] の馬車軌道 に転換)を仙台 - 蒲生間に開業。1887年 には旧制二高 が創立、日本鉄道 (現JR東北本線 )仙台駅 も設置された。同駅の設置により、木道社は廃業して蒲生は中継地としての地位を失い、船運中心の江戸時代に発展した石巻 や塩竈 から、鉄道 が集積する仙台に商権が移って[ 22] 、現在に至る「商都 」の側面を手に入れた。
1889年 (明治22年)4月1日 に市制 施行。日露戦争 を機に1907年 には東北帝国大学(現・東北大学 )が創立し、東北の「学都 」としての地位を確立。また、同年から大正 、昭和 初期にかけて「五大事業[ 注 9] 」を推進して近代都市へと脱皮し、「森の都 」や「杜の都」と呼ばれるようになった。中心商業地は一番町 へと移り(参照 )、郊外 ではかつて宮城郡役所が置かれた原町 、名取郡役所が置かれた長町 など隣接町村と合併して、これら新市域に工場地区を形成した。また、秋保電気鉄道 や日本初の旅客用地下鉄 を開業した宮城電気鉄道 などの沿線には行楽地が開発された。
1941年 、鉱工業 が発達する福島県 ・秋田県 に続いて東北地方 で3番目に日本銀行 の支店が置かれるなど、太平洋戦争 前後に中央省庁 の出先機関 が集積する「行政 都市」としての側面を得た[ 23] 。統制経済 下で困窮した商工業者が満州国 に渡って仙台村 を拓いたり、仙台空襲 により中心部が廃墟となったりした戦争が終わると仙台駅前には大規模な闇市 が生まれ、東北各地との間で鉄道を使った物資の集散もなされた(参照 )。戦後占領期 には戦災復興事業 により、市街地に広幅員道路が縦横に建設されて現在の都心部の基盤となった。なお、闇市に替わって公定価格 マーケットや路上の屋台 が市民生活を支える一方、宮城県に進駐した約1万人のGI 向けに仙台駅北側のX橋(宮城野橋 )周辺には歓楽街が誕生。X橋は日本ハードボイルド 小説の嚆矢の舞台となった[ 24] 。
高度経済成長 期になると、企業の支店が多く進出して第三次産業 が伸長し、支店経済都市 としても発展していく。1964年 の新産業都市 指定を機に、都市計画区域 を隣接する宮城郡泉町、1971年 より泉市 ・宮城町 、名取郡秋保町 に広げ[ 25] 、さらに1970年 には12市町による「仙塩 広域都市計画区域」が指定された[ 26] 。すると人口集中地区 (DID) の急速な拡大とモータリゼーション が促進され、都心部の交通渋滞解決の必要から国道4号 仙台バイパス 沿いに工業・流通地区を新設、業者が移転して空いた国分町は歓楽街に転換していった。また仙台市地下鉄 の計画も始まり、1976年 には仙台市電 が廃止された。市電廃止は、「2城下2宿場連接都市」期における市街地の縁にあって、かつ市電と鉄道のターミナルだった北仙台 ・原町・長町の市内3拠点の商業中枢性を奪う結果も招いた[ 25] 。
1962年 度から県内総生産で[ 27] 、1980年 国勢調査 からは人口でも(参照 )、福島県を抜いて宮城県が東北最大県となった。すると仙台市は、泉・宮城・秋保の1市2町を編入合併し、県から権限を移譲されて市制100周年の1989年 4月1日に全国で11番目となる政令指定都市 に移行(参照 )。この間、1982年 の東北新幹線 開業に合わせ、仙台駅の建て替えと大規模なペデストリアンデッキ を伴う駅前整備がなされ、1987年 の政宗ブーム や地下鉄南北線 開業に始まるバブル景気 期には民間投資と箱物行政 (参照 )により都心部に高層ビルが建ち並び始めた(参照 )。
一方で市は郊外部において、北の泉中央 副都心[ 注 10] 、南の長町副都心 [ 注 3] 、東の仙台港副都心(現みなと仙台ゆめタウン )、西の愛子副都心の4つの副都心を設定した。しかし、地下鉄沿線の泉中央・長町の両副都心やロードサイド店舗 に物販・職場が郊外化 する傾向が見られるようになったため市は、バブル崩壊 後の1990年代後半からコンパクトシティ を志向するようになり、都心部への「アクセス30分構想[ 28] 」を進めている(参照 )。
2000年代 に入ると高速バス の仙台 - 福島線 や仙台 - 山形線 などにおける値下げ・増便競争、および仙台発着便の新規開設が進み、県外からの集客力が一気に増強した。なお、JR仙台駅東口側一帯[ 注 11] における土地区画整理事業 に伴って宮城野通 が開通し、その地下にJR仙石線 の地下新線 が移転開通、東口駅前広場も完成した。そこに2004年 、宮城球場 (楽天モバイルパーク宮城)を本拠地とする東北楽天ゴールデンイーグルス (チームカラーがクリムゾン レッド )が新規参入すると、都市計画 用途地域 で赤系色 に塗られる地域(赤:商業地域 、橙:近隣商業地域 )への県外・海外資本の投資が進み「レッドバブル」と呼ばれた[ 注 12] 。2006年 に仙台・宮城デスティネーションキャンペーン (2008年 10月1日 - 12月31日 )の開催が決定すると投資は郊外を含めて加速、「ミニバブル」「プチバブル」などと呼ばれる活況を呈した(参照 )。2008年のリーマン・ショック 後の景気後退に加え、東日本大震災 で大きな被害を受けた。しかし、震災後は復興の拠点となる一方、2015年 の地下鉄東西線 の開業も重なり様々な開発が活発化している。
地名について
市名の由来
仙台の地名の語源は諸説があり、
国分氏 が「千代城 」と名付けたことが由来とする説。これは城の位置に千体仏があったためで、千体が転じて「千代」となった。転じた理由としては、城が千代(ちよ)に栄えるようにという願いからつけられたという説がある。その後、伊達政宗 が「仙臺」(新字体 で「仙台」)と改名した。
アイヌ語 の「セプ・ナイ(広い・川)」が「せんだい」になったのであり、広瀬川 が仙台の名の由来という説。
同じくアイヌ語の「セン・ナイ(川の入口)」が仙台に変化したという説。
仙台城のある川内地区 を音読みで「せんだい」としたことが由来との説。また鹿児島県 には川内市 (せんだいし)が存在していた。(現薩摩川内市 )
などが主なものであるが、1.の国分氏由来の説が一般的に信じられている。
政宗が改めた「仙臺」との表記は、中国 の前漢 代の故事 とそれを題材にした唐 代の漢詩 に由来する。
前漢の文帝 は老子 の道を好み、黄河 の支流に老子に詳しい人物がいると聞いて会いに行ったが、その男(河上公 )は庵にこもって出てこなかった。文帝が「大空の下に王土でないところはなく、大地の果ての浜辺まで王の臣下でない者はいない」と脅したところ、男は空中に昇り「上は天に至らず、中は人に煩わされず、下は地に住まない」と言い放った。文帝は彼が神人であることを知って乗物から降りて礼 をなし、道 を求めた。文帝は首都 ・長安 の西山に台(宮殿 )を建てた[ 29] 。
唐の韓翃 (かんこう)の七言律詩 「同題仙遊観」では、仙遊観を伝説の崑崙山 (こんろんさん)の五城十二楼(ごじょうじゅうにろう)の宮殿になぞらえている。
『同題仙遊觀』
仙臺 初見五城樓
風物凄凄宿雨收
山色遙連秦樹晩
砧聲近報漢宮秋
疎松影落空壇淨
細草春香小洞幽
何用別尋方外去
人間亦自有丹丘
『同じく仙遊観に題す』
仙台 初めて見る 五城楼 ( ごじょうろう )
風物 凄凄 ( せいせい ) として 宿雨 ( しゅくう ) 収まる
山色 ( さんしょく ) 遥かに連なる 秦樹 ( しんじゅ ) の晩 ( くれ )
砧声 ( ちんせい ) 近く報ず 漢宮 ( かんきゅう ) の秋
疎松 ( そしょう ) 影落ちて 空壇 ( くうだん ) 浄 ( きよ ) く
細草 ( さいそう ) 春香ぐわしくして 小洞 ( しょうどう ) 幽 ( かす ) かなり
何ぞ用いん 別に方外 ( ほうがい ) を 尋ねて去るを
人間 ( じんかん ) 亦 ( ま ) た自 ( おのずか ) ら 丹丘 ( たんきゅう ) 有り
— (村上哲見 著 「三体詩 上」 新訂中国古典選 朝日新聞 社)[ 30]
上文の「丹丘」とは、神々の住処のこと。「仙臺」の表記は直接的にはこの『同題仙遊観』に由来するとされる[ 30] [ 31] が、「仙遊観」の故事を含めて命名したとする見方もある[ 32] 。故事では仙人が君主の権力 を超越していることを示しているため、慶長 5年9月15日 (1600年 10月21日 )の関ヶ原の戦い によって徳川家康 が天下人 となった約3ヶ月後、仙台城の建設を開始した慶長5年12月24日 (1601年 1月28日 )になってもなお、政宗は家康の権力を超越する存在であると「仙臺」の名で示したとも言われる。戦後 「仙臺」は新字体 を用いて「仙台」と表記されるようになった。
異字
当項目「せんだい」の漢字表記には、「仙台」以外に下記の例が見られる。
千代(伊達政宗による開府前の表記)
仙臺(伊達政宗による開府から当用漢字 導入までの正式表記)
先代(例:『伽羅先代萩 』)
僊臺(例:「僊臺區及近傍村落之圖[ 33] 」)
このうち「千代」と「仙臺」は、仙台土産の商品名などに使用される例がしばしば見られる。
「僊」は「仙」の異体字、「臺」は「台」の正字体であるため、字体による差を除くと「仙台、千代、先代」の三種が存在する。
地理
太白区 の
愛宕山 にある
愛宕神社 から眺めた仙台市の風景(2010年6月6日)。仙台市の中心部を南南西から見ている。
青葉区 の
青葉山 にある
仙台城 (青葉城)天守台から眺めた仙台市の風景(2010年5月31日)。仙台市の中心部を西南西から見ている。
名取川河口から遠望する仙台市街
駅前通
青葉通
位置
市域は、東を太平洋 、北を松島丘陵 、西を奥羽山脈 、南を名取川 と境界としている。東西方向に宮城県を貫いており、奥州街道ルートで長距離移動する際、本市を経由せずに南北に移動することは不可能である。
海岸から長町-利府線断層帯までが地質的には新しい沖積平野 、その西が沖積平野より少し古い堆積岩 類の台地であり、奥羽山脈の稜線近くは新生代に噴出した火山岩 でできている。
船形山、大東岳、神室岳などはいずれも50万年から150万年前に噴火した火山である。
仙台市は奥羽山脈を挟んで山形県 山形市 と接している。
都道府県庁所在地 同士が陸上で直接的に隣接する例には、他に京都市 と大津市 、福岡市 と佐賀市 が(海上を隔てての隣接を含めれば和歌山市 と徳島市 も)あり、経済的にも深いつながりを持つ。
また、市内には野生のニホンザル が頭数約550匹ほど生息しているとみられている。
地形
山地
主な山
河川
主な川
湖沼
主な沼地
気候
市街地は太平洋 に開けた平野 部に位置し、気候区分は太平洋側気候 三陸型気候区に分類される。ケッペンの気候区分 では温暖湿潤気候 (Cfa)に分類される。
冬は海から近いことと晴天が多いため、東北地方 としては温暖である。宮城野区にある仙台管区気象台 の観測値で見ると八王子市 や宇都宮市 といった関東地方 の都市よりも最低気温は高く、真冬日 は稀であるが、最高気温は低い。東北地方の県庁所在地の中で最も降雪量が少なく、積雪が一週間以上残存することは少ない。関東地方と比較すると降雪日数は多いものの積雪は少なく、歴代最深積雪記録は41cmと、横浜市 (45cm)よりも少ない。夏は太平洋からの海風の影響で気温はあまり上昇せず、夏日 にはなるが真夏日 が少なく、猛暑日 [ 注 13] ・熱帯夜 [ 注 14] がかなり少ない。また、霧 の発生回数が政令指定都市 の中では抜きん出て多いが、これは海上からの「移流霧」が主要因である[ 34] 。梅雨 から初夏、秋分 前後には、北東からの冷たい海風により、曇りがちとなって冷え込むことがある。
年間平均気温:12.8 ℃、降水量 :1276.7mm、日照時間:1836.9時間。真夏日 と真冬日 の合計は23.8日(うち真冬日は0.8日)で、都道府県庁所在地 の中で最も少ない。2番目は秋田市 の29.4日で、東京都 (千代田区 )の52.1日と比べても少ない。春から夏にかけて東風が卓越し、オホーツク海気団 の冷涼湿順な海風が入り、奥羽山脈 によるフェーン現象の影響を受けにくいことが要因である。冷涼な海洋性の気候で寒暖の差が少ないと言える。
以上は宮城野区 にある気象台の気候の特徴であり、夏涼しく冬温暖な海洋性気候の仙台沿岸部の気候の特徴をよく表している。そのため、同じ仙台市内であっても奥羽山脈寄り、北部内陸などではかなり気候が異なり、泉区 などの北部内陸部ほど冬季は寒冷で氷点下10度以下まで冷え込む地域もあり、太白区 や青葉区 の奥羽山脈沿いの山間部は日本海側気候の影響を受けて積雪が多く豪雪地帯 に指定されている。冬季の積雪分布図でも仙台気象台より海側、南東側は積雪が無く、それ以外の仙台市内は積雪となっていることも多い。
仙台市 (仙台管区気象台 、標高38.9m)の気候
月
1月
2月
3月
4月
5月
6月
7月
8月
9月
10月
11月
12月
年
最高気温記録 °C (°F )
17.9 (64.2)
21.1 (70)
24.2 (75.6)
29.9 (85.8)
33.2 (91.8)
35.1 (95.2)
36.7 (98.1)
37.3 (99.1)
36.0 (96.8)
30.3 (86.5)
24.4 (75.9)
21.8 (71.2)
37.3 (99.1)
平均最高気温 °C (°F )
5.6 (42.1)
6.5 (43.7)
10.0 (50)
15.5 (59.9)
20.2 (68.4)
23.1 (73.6)
26.6 (79.9)
28.2 (82.8)
25.0 (77)
19.8 (67.6)
14.1 (57.4)
8.3 (46.9)
16.9 (62.4)
日平均気温 °C (°F )
2.0 (35.6)
2.4 (36.3)
5.5 (41.9)
10.7 (51.3)
15.6 (60.1)
19.2 (66.6)
22.9 (73.2)
24.4 (75.9)
21.2 (70.2)
15.7 (60.3)
9.8 (49.6)
4.5 (40.1)
12.8 (55)
平均最低気温 °C (°F )
−1.3 (29.7)
−1.1 (30)
1.4 (34.5)
6.3 (43.3)
11.7 (53.1)
16.1 (61)
20.2 (68.4)
21.6 (70.9)
18.0 (64.4)
11.9 (53.4)
5.6 (42.1)
0.9 (33.6)
9.3 (48.7)
最低気温記録 °C (°F )
−11.7 (10.9)
−11.5 (11.3)
−8.9 (16)
−5.0 (23)
−0.3 (31.5)
5.4 (41.7)
9.0 (48.2)
12.9 (55.2)
5.6 (42.1)
−0.1 (31.8)
−5.0 (23)
−10.8 (12.6)
−11.7 (10.9)
降水量 mm (inch)
42.3 (1.665)
33.9 (1.335)
74.4 (2.929)
90.2 (3.551)
110.2 (4.339)
143.7 (5.657)
178.4 (7.024)
157.8 (6.213)
192.6 (7.583)
150.6 (5.929)
58.7 (2.311)
44.1 (1.736)
1,276.7 (50.264)
降雪量 cm (inch)
21 (8.3)
18 (7.1)
11 (4.3)
1 (0.4)
0 (0)
0 (0)
0 (0)
0 (0)
0 (0)
0 (0)
0 (0)
9 (3.5)
59 (23.2)
平均降水日数 (≥0.5mm)
7.6
7.2
9.1
9.2
10.2
12.3
15.5
12.7
13.0
9.6
7.4
7.9
121.7
平均降雪日数
20.6
17.1
11.2
1.7
0.1
0.0
0.0
0.0
0.0
0.0
1.8
13.3
65.6
% 湿度
66
64
61
63
70
79
83
81
78
72
68
68
71
平均月間日照時間
149.0
154.7
178.6
193.7
191.9
143.7
126.3
144.5
128.0
147.0
143.4
136.3
1,836.9
出典:気象庁 (平均値:1991年-2020年、極値:1927年-現在)[ 35] [ 36]
新川(青葉区、標高265m)(1991年 - 2020年)の気候
月
1月
2月
3月
4月
5月
6月
7月
8月
9月
10月
11月
12月
年
最高気温記録 °C (°F )
15.3 (59.5)
17.0 (62.6)
21.4 (70.5)
29.6 (85.3)
32.2 (90)
33.3 (91.9)
35.4 (95.7)
34.9 (94.8)
33.6 (92.5)
28.7 (83.7)
22.7 (72.9)
18.7 (65.7)
35.4 (95.7)
平均最高気温 °C (°F )
2.7 (36.9)
3.6 (38.5)
7.5 (45.5)
14.1 (57.4)
19.4 (66.9)
22.2 (72)
25.5 (77.9)
26.8 (80.2)
23.1 (73.6)
17.7 (63.9)
12.0 (53.6)
5.8 (42.4)
15.0 (59)
日平均気温 °C (°F )
−0.8 (30.6)
−0.5 (31.1)
2.6 (36.7)
8.2 (46.8)
13.6 (56.5)
17.4 (63.3)
21.1 (70)
22.1 (71.8)
18.4 (65.1)
12.4 (54.3)
6.5 (43.7)
1.5 (34.7)
10.2 (50.4)
平均最低気温 °C (°F )
−4.6 (23.7)
−4.6 (23.7)
−2.1 (28.2)
2.1 (35.8)
7.8 (46)
12.9 (55.2)
17.3 (63.1)
18.3 (64.9)
14.2 (57.6)
7.4 (45.3)
1.4 (34.5)
−2.3 (27.9)
5.7 (42.3)
最低気温記録 °C (°F )
−16.3 (2.7)
−16.3 (2.7)
−12.6 (9.3)
−7.2 (19)
−1.1 (30)
3.4 (38.1)
7.0 (44.6)
7.9 (46.2)
3.3 (37.9)
−2.8 (27)
−5.7 (21.7)
−16.1 (3)
−16.3 (2.7)
降水量 mm (inch)
76.3 (3.004)
60.1 (2.366)
89.0 (3.504)
101.2 (3.984)
115.1 (4.531)
157.5 (6.201)
215.0 (8.465)
215.5 (8.484)
214.7 (8.453)
145.9 (5.744)
85.4 (3.362)
92.7 (3.65)
1,568.9 (61.768)
降雪量 cm (inch)
133 (52.4)
114 (44.9)
48 (18.9)
4 (1.6)
0 (0)
0 (0)
0 (0)
0 (0)
0 (0)
0 (0)
2 (0.8)
66 (26)
365 (143.7)
平均降水日数 (≥1.0 mm)
14.7
12.3
12.5
10.7
11.0
12.4
15.9
14.1
13.8
11.6
11.8
14.3
154.1
平均月間日照時間
99.0
107.0
141.6
174.6
180.0
127.3
109.1
121.4
108.2
124.5
115.9
89.7
1,498.2
出典1:Japan Meteorological Agency
出典2:気象庁 [ 37]
地域
行政区
区名
コード
行政区位置
推計人口(人)
面積(km2 )
人口密度(人/km2 )
区役所最寄駅
主な施設
青葉 ( あおば ) 区
04101-7
315,441
302.24
1,044
南北線 勾当台公園駅
仙台駅 , 宮城県庁 , 仙台市役所 , 東北大学病院 , 宮城県立こども病院 , 宮城県美術館 せんだいメディアテーク , 仙台国際センター , 仙台市博物館 , スリーエム仙台市科学館 仙台市天文台 , 仙台文学館 , 仙台市戦災復興記念館 , 東京エレクトロンホール宮城 日立システムズホール仙台 , 仙台高等裁判所 , 仙台地方裁判所 , 三居沢発電所 , 仙台城 跡大崎八幡宮 , 青葉神社 , 仙台東照宮 , 瑞鳳殿 , 国分町歓楽街 , 勾当台公園 , 西公園 , 作並温泉
宮城野 ( みやぎの ) 区
04102-5
193,931
58.25
3,329
仙石線 陸前原ノ町駅
仙台港 , 国立病院機構仙台医療センター , 楽天生命パーク宮城 , 弘進ゴム アスリートパーク仙台 仙台市民球場 , 仙台市歴史民俗資料館, 夢メッセみやぎ , 陸上自衛隊 仙台駐屯地 榴岡天満宮, 榴岡公園 , 高森山公園(岩切城 跡), 高砂中央公園(仙台うみの杜水族館 )
若林 ( わかばやし ) 区
04103-3
142,484
50.86
2,801
東西線 薬師堂駅
せんだい農業園芸センター , 仙台市中央卸売市場, せんだい演劇工房10-BOX , 宮城刑務所 陸上自衛隊霞目駐屯地 (霞目飛行場), 深沼海水浴場, 遠見塚古墳 , 陸奥国分寺
太白 ( たいはく ) 区
04104-1
237,025
228.39
1,038
南北線長町南駅
仙台市立病院 , カメイアリーナ仙台 , ゼビオアリーナ仙台 , 仙台市野草園 , 仙台市電保存館 たいはっくる , 地底の森ミュージアム (富沢遺跡), 仙台市縄文の森広場(山田上ノ台遺跡),愛宕神社 仙台市八木山動物公園 , 三神峯公園 , 太白山 , 二口峡谷 (秋保大滝 ), 磊々峡 , 秋保温泉
泉 ( いずみ ) 区
04105-0
207,198
146.61
1,413
南北線泉中央駅
ユアテックスタジアム仙台 , シェルコム仙台 , スポパーク松森 , 宮城県図書館 仙台銀行ホール イズミティ21 , 宮城県運転免許センター , 賀茂神社 , 七北田公園 , 鶴ケ城公園(松森城 跡)泉ヶ岳 (スプリングバレー泉高原スキー場 , 泉ヶ岳スキー場 , オーエンス泉岳自然ふれあい館)
仙台市が政令指定都市に移行した1989年 (平成元年)に、5つの行政区が置かれた。その際、旧泉市 は泉区 とし、旧仙台市域を4分割したうえ、単独区とするには人口が少なかった旧宮城町 を青葉区 に、同じく旧秋保町 を太白区 に併合する区割りとされた。現在でも旧宮城町には青葉区・宮城総合支所 、旧秋保町には太白区・秋保総合支所という、それぞれの地域を管轄する役所がある。青葉区には、旧宮城町域(宮城地区)を分区する構想がある(青葉区分区問題 )。なお、区名選定にあたっては方角 や中央 といった抽象名詞 を極力使用しない命名がなされた。
2015年 (平成27年)国勢調査 による昼夜人口[ 38]
区名
範囲
夜間人口
昼間人口
昼夜比
仙台市
全市域
1,082,159 人
1,148,389 人
106.1 %
青葉区
都心部 ・上杉 ・五橋 ・北仙台 ・中山・台原・折立
310,183 人
412,812 人
133.1 %
宮城野区
原町 ・宮城野・鶴ケ谷 ・岩切 ・小鶴・蒲生
194,825 人
216,325 人
111.0 %
若林区
卸町・古城・荒浜・新寺
133,498 人
136,302 人
102.1 %
太白区
長町 ・南仙台 ・西多賀・鈎取・八木山・茂庭 ・生出
226,855 人
187,712 人
82.7 %
泉区
旧泉市(泉中央 ・七北田・根白石・松陵・南光台 )
216,798 人
195,238 人
90.1 %
区別夜間 人口の市内比率(2015年国勢調査)[ 38] 仙台市:1,082,159人 (100%)
青葉区:310,183人 (28.66%)
宮城野区:194,825人 (18.00%)
若林区:133,498人 (12.34%)
太白区:226,855人 (20.96%)
泉区:216,798人 (20.03%)
区別昼間 人口の市内比率(2015年国勢調査)[ 38] 仙台市:1,148,389人 (100%)
青葉区:412,812人 (35.95%)
宮城野区:216,325人 (18.84%)
若林区:136,302人 (11.87%)
太白区:187,712人 (16.35%)
泉区:195,238人 (17.00%)
中心業務地区 や流通 ・工業 地区が区内にあり、六道の辻 で区境を互いに接する青葉区・宮城野区・若林区の3区は昼間人口 が多い(3区合計で昼夜比12万6933人増加)。一方、太白区および泉区は市が各々に長町地区および泉中央地区を広域拠点に指定しているものの昼間人口が少なく(2区合計で昼夜比6万0703人減少)、両区はベッドタウン の様相が色濃い。
人口
宮城県は東北地方では最も面積が小さく、自然障壁の少ない仙台平野 に県民の大半が居住するため、その中心である仙台市への一極集中がみられる[ 42] 。平成17年国勢調査での県内人口占有率は43.43%、22年調査では44.55%、宮城県市町村別推計人口の平成23年7月1日付で45%を突破した。令和2年国勢調査では県人口の47.6%を占める。また、同24年1月1日付で県内人口2位の石巻市 の7倍を超えた。市内の人口は65歳以上が割合を増やしているが、大学や各種専門学校 が多いため(→「仙台市の学校 」)、若年者人口の割合が大きい。
支店経済都市 と言われる仙台市は、人事異動 に合わせるように統計上、年度 末に約2万人が流出し、年度始めにほぼ同数が流入する。近年は、3月・4月に差し引き約5,000人程度総人口が減少し、5月・6月に回復する。同様に、第2四半期末から第3四半期始めの9月・10月にも人口が減少し、11月に回復する。
2000年代になると人口の社会増(転入超過)は僅少になり、2006年 (平成18年)度からは社会減(転出超過)に転じた。転出先のトップは東京都 であるが、隣接する富谷市 ・利府町 ・名取市 などでの宅地開発の進展も、転出増の背景となっている。社会減を自然増で補う形で数千人/年程度の人口増となっていたが、2011年に発生した東日本大震災により、人口動態が大幅に変化した結果、社会増が回復基調にある。2012年における仙台市の転入超過は、東京23区に次ぐ全国2番目の数値となった[ 43] 。
平成27年国勢調査より前回調査からの人口増減をみると、3.46%増の1,082,159人であり、増減率は県下35市町村中6位、40行政区域中7位。
仙台市と全国の年齢別人口分布(2005年)
仙台市の年齢・男女別人口分布(2005年)
■ 紫色 ― 仙台市■ 緑色 ― 日本全国
■ 青色 ― 男性■ 赤色 ― 女性
仙台市(に相当する地域)の人口の推移
1970年 (昭和45年)
598,950人
1975年 (昭和50年)
709,326人
1980年 (昭和55年)
792,036人
1985年 (昭和60年)
857,335人
1990年 (平成2年)
918,398人
1995年 (平成7年)
971,297人
2000年 (平成12年)
1,008,130人
2005年 (平成17年)
1,025,098人
2010年 (平成22年)
1,045,986人
2015年 (平成27年)
1,082,159人
2020年 (令和2年)
1,096,704人
総務省 統計局 国勢調査 より
国勢調査 人口(単位:万人)
現・仙台市域にあたる人口
仙台市
統計データ
現在の市勢
総人口 - 1,096,704人(2020年10月1日)
世帯数 - 519,331世帯(2019年7月1日)
年少(15歳未満)人口率 - 13.7%(2005年)
高齢(65歳以上)人口率 - 15.8%(2005年)
昼間人口 - 1,090,162人(2000年)
労働力人口 - 509,211人(2000年)
第一次産業 就業者数 - 5,612人(2000年)
第二次産業 就業者数 - 82,744人(2000年)
第三次産業 就業者数 - 471,273人(2000年)
農業産出額 - 97,40百万円(2004年)
製造品出荷額等 - 771,325百万円(2004年)
商業年間商品販売額 - 7,836,820百万円(2003年)
出典
総務省統計局『統計で見る市区町村のすがた2007』2007年
隣接自治体
宮城県
山形県
歴史
→仙台藩(仙臺藩)時代の歴史については「
仙台藩 」を参照
仙台市域の仙台と他の町村
都市としての仙台の歴史は、慶長 5年12月24日 (1601年 1月28日 )の伊達政宗 による仙台城 の建設に始まる。仙台輪之内あるいは仙台輪中と呼ばれた江戸時代の仙台の範囲は、青葉山 にある仙台城とその麓・河原にあたる川内と、広瀬川 対岸の台地上に作られた城下町からなる南北5キロメートル、東西4キロメートルほどの範囲で、現在の市域のごく一部である。中世には青葉山に寺がいくつかあって地方的な霊場の様相があったが、後の城下町にあたる場所は古代から中世まで人家が稀な原野だった。
しかし、現在の仙台市域に広げて歴史を眺めると、いくつもの集落や町の興隆と変遷が認められる。弥生時代からの水田遺跡である富沢遺跡 と南小泉遺跡 の周辺は、古墳時代に入って多数の古墳が築かれた地域の中心であった。7世紀末から8世紀初めまでは郡山遺跡 に陸奥国 の国府が置かれた。8世紀には南小泉遺跡の北隣に陸奥国分寺 と陸奥国分尼寺 が建てられた。中世には多賀城 から国府が市域北東部の岩切に移り、町が形成された。戦国時代には、国分寺から南小泉遺跡にかけて国分日町と呼ばれる町があった。他にも中世には平野部から山間の盆地まで、各地に集落や武士の館が作られた。
以降の説明では、中世に至るまで単に仙台という場合には江戸時代の仙台の範囲を指し、現在の仙台市の範囲を指す場合には特に仙台市域と呼んで区別する。江戸時代以降はそれぞれの時代の仙台をもって仙台と呼び、現在の市域と区別する。
先史
旧石器時代
仙台市域では、富沢遺跡 で旧石器時代 の焚き火 跡が見つかっている。
縄文時代
縄文時代 の遺跡としては、山田上の台遺跡 に集落があり、市内各地で遺物・痕跡が残されている。当時の人々は低湿な平野を避けて丘陵に居を構えたので、丘陵が海に続く松島湾 沿いに遺跡が集中し、仙台市域では少ない。
弥生時代
弥生時代 に人々は稲作適地を求めて平野に進出し、名取川 と広瀬川 にはさまれた富沢遺跡 と、広瀬川の北で仙台の東にある南小泉遺跡 で水田が営まれた。
古代
古墳時代
古墳時代 に入ると、富沢遺跡の周辺に一塚古墳 、二塚古墳 、兜塚古墳 など中小の古墳が作られた。南小泉遺跡の周辺にも中小の古墳が作られ、4世紀末には若林区 に遠見塚古墳 という東北地方最大級(第3位)の古墳が築かれた。第1位の雷神山古墳 は名取川の南、現在の名取市 内にあり、二つの巨大古墳の間に多数の中小古墳が散らばっていた。
飛鳥時代
国郡が確定したとき、仙台市域は大部分が宮城郡 に、今の太白区 全体と若林区 南部が名取郡に属した。
若林区 で両郡の境は、自然な境界になりそうな広瀬川・名取川から北にはみ出て曲がりくねっているが、これは昔の広瀬川の流路の痕跡とされる。
奈良時代
7世紀末からしばらくの間、市の南部の郡山遺跡 には陸奥国 の国府 が置かれた。
郡山遺跡の東西には東多賀神社と西多賀神社が建立され、周辺には東北地方最大級の環濠集落 もあった[ 44] 。
国府は神亀 元年(724年 )に多賀城 に移転したが、740年代か750年代に、仙台の東、南小泉遺跡の北にあたる木ノ下の地に陸奥国分寺 と陸奥国分尼寺 が建てられた。陸奥国分寺には巨大な“七重の塔”があった。
平安時代
国分寺の周辺は宮城野 ・宮城野原と呼ばれる原野で、平安時代 には萩 で名高い歌枕 になった。
10世紀半ばに多賀城が国府機能を喪失したとき、国府は仙台市域の北東端、七北田川 北岸の岩切 に移転したと推定される。
鎌倉・南北朝時代まで、多賀国府と呼ばれたところである。七北田川の両側に町が形成され、北岸では今の多賀城市 の一部まで広がっていた。
中世
鎌倉時代
東北地方(奥羽 )全域を支配していた奥州藤原氏 が源頼朝 によって滅ぼされると、鎌倉時代 の東北地方には頼朝の側近である伊沢家景 ・葛西清重 の両名が奥州惣奉行 として置かれ、葛西氏・伊沢氏の双頭体制となった。こののち、伊沢家景は多賀城 の“留守所長官”として陸奥留守職 となる。伊沢家景は現利府町 に定住し、26年間を利府で過ごして没した。伊沢家景の子の代から、伊沢氏は留守氏 と呼ばれた。伊沢家景の子孫も、代々、陸奥留守職に就任した。こうして鎌倉時代の仙台(東北地方)は、留守氏の支配下に置かれた。
室町時代
室町時代 になると、室町幕府 の管領 家・斯波氏 の一族である大崎氏 が奥州探題 を世襲し、仙台の地も大崎氏の支配下におかれた。大崎氏の本拠地は宮城県大崎市 古川地区である。弥生時代より、仙台が“東北地方の政治的中心地”から遠ざかったのは、この室町時代だけである。
戦国時代
中世 、現在の仙台市域の大部分は国分氏 の支配下にあった。国分氏は現在の多賀城市や仙台市岩切などを拠点とする留守氏 と、激しく対立した。しかし戦国時代 に入ると、両氏とも戦国大名 として台頭してきた伊達氏 からたびたび養子を迎えて相手方より優位に立とうなどの努力をしたが、次第に伊達氏の隷属化に組み込まれていく。
大永 2年(1522年 )、伊達政宗 の曽祖父・伊達稙宗 は、室町幕府 将軍・足利義晴 から、陸奥守護職 に任じられた。すでに稙宗の威名は東北地方全土に浸透していた。
子だくさんの稙宗は東北地方の有力大名と政略結婚を繰り返し、奥羽に血縁ネットワークを築き上げた。しかし、その政略結婚が原因となって、天文 11年(1542年 )、嫡男 ・伊達晴宗 との間に「天文の乱 」が勃発した。この乱は東北地方全土に波及し、東北の戦国大名を二分する大乱となった。
天文17年(1548年 )、「天文の乱」は、将軍・足利義輝 の和睦勧告を受けて、晴宗の勝利で幕を閉じた。
伊達晴宗は将軍から奥州探題に任じられた。晴宗は息子の一人を、現利府町周辺を支配していた戦国大名・留守氏 の跡取り養子とした(留守政景 )。同じく晴宗は息子の一人を、現仙台市東部を支配していた戦国大名・国分氏の跡取り息子とした(国分盛重 )。
近世
仙台の礎を築いた独眼竜伊達政宗
安土桃山時代
伊達政宗の父・伊達輝宗 も本来であれば奥州探題に任じられていたところであったが、織田信長 が室町幕府を滅ぼしたため、輝宗は奥州探題になることができなかった。伊達政宗 の叔父・国分盛重が政宗の下から逐電すると、国分氏の領地であった現仙台市は政宗の直轄領に組み込まれる。なお、国分氏が城主の時代の城下町の系譜を引くのが、現在の国分町 である。
伊達政宗は常陸国 の戦国大名・佐竹義重 、および会津 地方の戦国大名・蘆名氏 らとの抗争に勝利し、東北地方の南半分を征服して“奥羽 の覇者”となった。
北条氏政 親子と同盟関係にあった伊達政宗は北関東の征服を目前のものとしたが、織田信長の後継者となった豊臣秀吉 に服属し、秀吉は北条氏らを滅ぼして日本統一を達成する。秀吉は政宗の領地を、先祖ゆかりの現福島県 および現山形県 南部および現宮城県 南部から、現宮城県 全域および現岩手県 南部へと、北へ追いやった。
これに反発した政宗は、奥羽の戦国大名・葛西氏 ・大崎氏 を扇動して葛西大崎一揆 を起こす。しかしこの一揆扇動は蒲生氏郷 に露見し、政宗は一揆を鎮圧する羽目になる。
政宗は葛西大崎一揆を鎮圧し、秀吉の命令で居城を岩出山城 に遷した。このころから政宗は徳川家康 に接近し、秀吉の死後、家康の天下取りに協力する。
関ヶ原の戦い の後、慶長5年12月24日 (1601年1月28日)政宗は新たな居城仙台城 を築城開始すると、仙台の地に人口約5万人の城下町を築いた。その後も政宗は慶長18年(1613年 )、スペイン帝国 に慶長遣欧使節 を派遣するなど、名君として君臨した。
江戸時代
天正 まで、現在の仙台の地は「千代(せんだい) 」と呼ばれていた。
慶長5年12月24日 (1601年1月28日))伊達政宗 が青葉山 に仙臺城(仙台城) の縄張りを始め、城下町を開いて当地の名前を「仙臺 (仙台)」と改称したことで、仙台の都市としての歴史が始まった。
表高62万石 の仙台藩 は、加賀藩 (102.5万石)、薩摩藩 (77万石)に次ぎ、尾張藩 (約62万石)と並ぶ大藩であり、城下町としての仙台も発展した。
伊達政宗が来るまでは戦国大名、国分氏 の居城があった。
1611年11月8日(慶長16年10月4日)に仙台を訪れたセバスティアン・ビスカイノ は、仙台城から見た城下町の様子を「江戸と同じくらいの大きさだが、建物はもっと立派」と報告している。
開府後も城下町は拡張を繰り返し、政宗隠居の館である若林城が完成するのと前後して、寛永年間に南東方向へ大幅に町が拡張した。
さらに正保 ・寛文 年間には東照宮の造営された北東方向に、延宝 年間には東部・北部方面へ町が更に拡大した。
宗門人別改 制の導入により、江戸時代の仙台の町方・寺院方人口が一部記録として残っており、以下の表にまとめる。これに城下に暮らしていた武家人口を加えたものが実際の仙台の総人口ということになるが、城下在住の武家人口は不明である。但し郷士を含む仙台藩の武家人口は仙台藩の総人口の22%から26%を占めるなど(例えば1695年(元禄8年)の仙台・一関藩総人口81万9749人に対して一門・諸士・諸組・諸職人の人口は20万5916人)、武家の割合は非常に高かった。この内、女・子供を除いた仙台藩家臣団の総数は約3万5000人で、伊達家直属の家臣団が約8000から1万人を占め、残る約2万5000人は陪臣の家中士である。
江戸時代の仙台の町方・寺院方人口
元号
西暦
町方・ 寺院方 合計
町方
寺院方
出典
合計
出家
俗
寛文8年
1668年
27,702
18,493
9,209
遠藤家所蔵文書? (岩手県史)
延宝2年
1674年
29,297
20,073
9,224
貞享3年
1686年
25,055
22,501
2,554
元禄8年
1695年
25,590
22,706
2,884
631
2,253
中目覚家旧蔵文書 (宮城県史)
寛保2年
1742年
26,623
20,374
6,249
863
5,386
今泉篁洲文庫
明和9年
1772年
20,479
2,619
封内風土記
天明6年
1786年
15,617
11,610
4,007
594
3,413
今泉篁洲文庫
享和2年
1802年
17,798
13,302
4,496
652
3,840
奥陽名数
文政8年
1825年
18,444
13,749
4,695
710
3,985
今泉篁洲文庫
嘉永5年
1852年
15,408
仙台町方維新以前ノ雑事 (仙台市史)
明治2年
1869年
22,411
版籍調 (仙台市史)
明治6年 (総数)
1873年
51,998
日本地誌提要
『仙台士名元牒』記載の寛文 元年(1661年 )の伊達家直属の家臣団は8952人だが、1戸平均5人を仮定すると伊達家直属家臣団の武家人口は4万4000人、最盛期の仙台の総人口は7万人以上ということになる(小倉博説)[ 45] 。この数字は多くの本で引用されているが、実際には直属の家臣団全てが城下に在住していたわけではないので、若干過大評価と考えられる。
寛文10年(1670年 )の『御知行帳』と寛文年中の仙台城下絵図を比較すると、絵図に氏名が記入されている組士以上の侍の数は3746人中2522人、また城下在住とみられる卒・職人の数は4670人中3359人であり、合計5880人に1戸平均5人を仮定すると、城下在住の武家人口は2万9400人、総人口5万7000人と推定される。城下町の膨張がほぼ終結する延宝 年中(1680年ごろ)の仙台城下絵図では、組士以上の侍の数が3288に増えている。最盛期の延宝・元禄・享保のころには城下に暮らす武家人口は約4万人に迫り、仙台の総人口も6万人を超えていたと推定される。武家人口は町の総人口の6割を超え、また武家地の面積は町の総面積の7割を超え、「武士の都」であった。
18世紀中ごろから、仙台藩の人口減少が始まる。明和 9年(1772年 )の『封内風土記』では侍屋敷の廃屋の記載があり、また安永 年中(1780年ごろ)の仙台地図では組士以上の屋敷の数が3042に減少しており、18世紀中ごろには城下の人口も緩やかに減少していたと思われる。天明の大飢饉 を境に大幅な人口減少が起こり、仙台の町も一時は武家人口を加えても4万人台まで落ち込んだとみられる。文化 年中(1810年ごろ)、安政 年中(1856年ごろ)の仙府絵図では組士以上の屋敷の数がそれぞれ2325、2382で、19世紀以降幕末まで、大体5万人前後の人口で推移したと推定される。
江戸時代の仙台の都市人口は、突出した大都市であった三都 (江戸 ・大坂 ・京 )や10万人規模の人口を有した名古屋 ・金沢 に比べれば少ないものの、他の大藩の城下町(鹿児島 ・広島 ・和歌山 ・徳島 )や重要港町 (堺 ・長崎 )と並び、日本で十指に入る都会として賑わった。但しその人口は東北地方の他の城下町(秋田 、弘前 、鶴岡 、米沢 、盛岡 、若松 などが2万人〜4万人規模)と比べて極端に突出した都市ではなかった。
また城と城下町の総面積は正保年間に10.37 km2 と、名古屋(9.20 km2 )や金沢(7.46 km2 )をも凌ぎ、広さの上では三都に次ぐ都市規模を誇っていた[ 46] 。
幕末
仙台藩 は幕末に、幕府から蝦夷地 警護の使命を託され、北海道に多くの領地と警衛地を有し、その面積は北海道のほぼ三分の一を占めた。
近代
明治時代
明治政府による中央集権 体制下、仙台には東北地方の拠点都市として、国の出先機関の設置が進められた。また、1887年 (明治20年)には旧制二高 、1907年 (明治40年)には東北帝国大学 といった高等教育機関が設けられた。
旧仙台藩 の諸施設は接収され、明治政府によって転用された。仙台城 二の丸には陸軍 第二師団 司令部と歩兵 第三旅団 司令部、現仙台国際センター には工兵 第二連隊 司令部、現榴岡公園 には歩兵第四連隊 司令部が置かれ、輜重兵 第二連隊(現亀岡住宅) 、騎兵第二連隊 第二連隊(現東華中学校 ) の他、練兵場(仙台城三の丸) 、宮城野原練兵場(現宮城野原公園総合運動場 および仙台貨物ターミナル駅 ヤード) および飛行場(現国立病院機構仙台医療センター ) 、射撃場(旧警察学校 〜現台原小学校) 、工兵作業場(現東北大学 青葉山キャンパス) 、偕行社 (現西公園 ) 、招聘社(仙台城本丸 現宮城縣護國神社 ) が置かれた。
第二師団 が置かれて「軍都 」となり、(旧制)第二高等学校 が置かれて「学都 」となった仙台は、殖産興業 の時代に工業 ではなく、これら「第二」が付く陸軍 や学校の消費活動に都市経済が依存していたため「第二都市」と呼ばれた[ 47] [ 注 15] 。
明治維新
明治 元年(1868年 )の戊辰戦争 において、仙台藩は奥羽越列藩同盟 の盟主となって旧幕府側を支援した(すでに幕府は滅亡していたので、旧幕府側とは別個の勢力)。
列藩同盟の政府機関である「列藩同盟公儀府」は白石市 におかれた。仙台藩主伊達慶邦 は孝明天皇 の弟である輪王寺宮(のちの北白川宮 )を列藩同盟の盟主にそえた。
このとき列藩同盟(同盟政府)には輪王寺宮を「東武天皇」として即位させ“仙台朝廷”をつくる計画があり、伊達慶邦は征夷大将軍 になる予定であった。しかし、敗戦によりこの計画は幻と消えた。
敗戦により石高を半分以下に減らされた際、伊達一門ら仙台藩各地の領主たちは、困窮した多数の家臣団を蝦夷地 (北海道 )へ集団移住させる決断を下した。
これにより大量の知識階級(武士階級)が北海道へ流出した。仙台藩は明治新政府と共同で札幌市 を開拓したほか、単独で伊達市 などを開拓した。こうして仙台藩は北海道の開拓史に大きな功績を残した。
県の名前を旧大藩・県庁所在地由来の「仙台県」とせず、郡名由来の「宮城県」という県名に変更するように上申を出したのは初代県令(参事)の塩谷良翰 であり、人心一新を旨とするものである。なお県名改称について、明治政府が朝敵側の大藩由来の県名を懲罰的に郡名に変えたとする説 があるが、これは宮武外骨 が昭和になって提唱し[ 48] 、司馬遼太郎 によって広められた説であり[ 49] 、実際は官軍側であっても県名に郡名を採用している例があることからも、俗説の域を出ない。
一方で旧大藩名を県名に転用した大蔵省原案の内、宮城県や愛知県 など18県名が後から郡名に変更されており、官軍・賊軍を問わず旧大藩の影響力をできるだけ排除しようとした明治政府の意図があるとする意見もある[ 50] 。
大正時代
20世紀初頭における仙台市政の目標は、五大事業[ 注 9] を内容とする都市計画事業と、商業・軍事・行政都市から工業都市への転換であった[ 51] 。
近現代
1927年 (昭和2年)ごろの仙臺市および近郊地図
空襲で焼け野原となった仙台市街(1945年9月18日撮影)
昭和時代
第二次世界大戦と仙台空襲
第二次世界大戦 末期の1945年 (昭和20年)7月10日 未明、仙台市街はアメリカ軍 による戦略爆撃 を受けた。B-29 爆撃機 123機による焼夷弾 絨毯爆撃 によって市内中心部は廃墟と化した。瑞鳳殿 や仙台城 大手門といった国宝 (当時)や、「杜の都」のいわれともなった江戸時代から続いていた屋敷林が焼失した。戦後に仙台空襲について仙台市民が編纂した『仙台はフェニックス』(1995年)によれば、空襲による死者は1,064人で、これに加えて空襲の犠牲者と推測される身元不明者や行方不明者などが335人いたと記す[ 52] [ 53] [ 54]
戦後の復興と高度経済成長
1945年 (昭和20年)
9月 - 終戦後、仙台には塩竈 から上陸したアメリカ軍第14軍団が進駐し司令部を郵便貯金ビルに設置した。
12月 - 第9軍団に交代。そして第11空挺師団 が厚木飛行場 から進駐し司令部を仙台陸軍工廠 に設置した。
1947年 (昭和22年)8月6日 - 昭和天皇の戦後巡幸 。群衆が熱狂をもって天皇を迎える。翌日には仙台長生園、木町通小学校などに行幸[ 55] 。
1949年 (昭和24年)
7月 - GHQ が軍政組織を縮小するようになったため、第9軍団は軍政をやめて民政を使うようになる。
12月 - 民政部廃止。その後民政はGHQの民事局が1952年まで行った。
仙台にあった陸軍は解体され、軍事施設の跡地は主に公園になった。また、東二番丁通 、広瀬通 、青葉通 、定禅寺通 などの広幅員の道路を縦横に通し、近代都市としての基盤が造られた。これらの大通りには、「杜の都」の復興を願って多数の樹木が植えられた。これらの樹木は、後に大木に成長して「新しい杜の都」の象徴となる並木道へとなっていく。
高速交通網の整備
バブル景気と政令指定都市への移行
現代
平成時代
1989年 (昭和64年/平成 元年)- 全国11番目の政令指定都市 へ移行。バブル景気 の後押しもあり、全国市長会 会長を務める石井のリーダーシップのもと、数々の文化施設を建設し、大規模イベントを始めるようになった。河北新報社と共同で新市民歌「風よ雲よ光よ 」を制定(1936年制定の「仙台市民歌」からの代替わりとはされていない)。
1989年には、「グリーンフェアせんだい」が泉中央地区の七北田公園 で開催された。しかし、1993年、石井が宮城県知事であった本間俊太郎 とともにゼネコン汚職事件 で逮捕され、仙台のバブルも終焉を迎えた。
バブル期の開発行政と市民の台頭
1985年に「SENDAI光のページェント 」、1991年に「定禅寺ストリートジャズフェスティバル in 仙台 」が市民ボランティアの手で始まった。
1998年~2001年の間、市民ボランティアが主体となって開催する「街を舞台装置とした無料の屋外イベント」が多数開催される街へと変化した。
経済圏の拡大
2000年前後から始まった東北地方の陸上交通の再編の動きの中、仙台が小売 の中心地として東北地方各地から買い物客を引き付けるように変化した。
令和時代
行政区画の変遷
現在の仙台都心部を含んだ北側(広瀬川上流域および中流域の北側、七北田川 流域など)は宮城郡、南側(広瀬川中流域の南側と名取川流域など)は名取郡に元々所属していた[ 61] 。
災害史
東日本大震災 による津波の被害を受けた仙台市(2011年3月12日)
宮城県沖地震
1978年 (昭和53年)6月12日 夕刻、宮城県沖を震源 とする大規模地震が発生、仙台市では震度 5を記録した。倒壊したブロック塀 の下敷きになるなどして28名が死亡、仙台市(現在の市域相当)では住居4,385戸が全半壊したほか、電気 、ガス 、水道 も最大1週間に渡って停止した。
宮城県沖地震は、日本全国の建築基準を全面的に改定させた。この建築基準が17年後の阪神・淡路大震災 まで続くこととなる。
東日本大震災
1978年の宮城県沖地震から33年後の、2011年 3月11日 14時46分に発生した東北地方太平洋沖地震 (東日本大震災 )によって、地震・津波の甚大な被害を受けることとなった。
仙台市内は震度6弱から震度6強の強い揺れに見舞われたが、政令指定都市 で震度6弱以上の揺れを観測したのは、2005年の福岡県西方沖地震 で福岡市 で震度6弱を観測して以来となる。
また、大津波が押し寄せた宮城野区 ・若林区 を中心に多くの家屋が倒壊・流失し、市内の全住宅約50万戸のうち10万戸以上が全半壊するという壊滅的な被害を受けた。仙台市内の死者数は約850人にものぼった[ 62] 。また、この時期に物流や商業の新拠点として開発がすすめられていた仙台港後背地も甚大な被害を受けた。
震災復興計画
震災後、津波の被害を受けた地域などでは、市が主導して復興特区制度を取り入れ、新たな地域産業の開拓を今後10年間行い復興する計画がされているほか、民間企業によるものも複数計画されている。
政治
行政
市長
元東北放送 アナウンサー、元衆議院議員 。民進党 ・社民党 の支持、共産党 ・自由党 の支援を受けて当選した。
副市長
高橋新悦(2018年4月1日 -、元水道事業管理者)
藤本章(2012年4月1日 -、元総務企画局長)
欠員1名
歴代市長
1946年に公選 による市長選出が開始される以前には、大都市行政の専門家として、もしくは中央省庁 に対する発言力の確保のために、知事や長官級の大物官吏 出身者を市長として据えるのが通例であった[ 63] 。戦後 の市長7名については、うち2名が仙台市役所 の出身者、1名は弁護士 という、中央での職歴を持たない人物である。
△は在職中死去
財政
当初予算規模(2017年度)
一般会計:約5476億円
特別会計:約3213億円
企業会計:約2420億円
総 計:約1兆1109億円
主な市営事業者
いずれも、出納取扱金融機関 は七十七銀行 である。
仙台市における「公営事業」としては、ガス ・水道 (上水道 )・下水道 ・バス ・地下鉄 ・病院 の6つで構成されるが、公営企業 としては上述の3事業者が4事業を手がけており、病院事業(仙台市立病院 )と下水道事業(仙台市建設局下水道経営部)が、公営企業の形態をとっていない。
不祥事
行政不服審査法 違反事件 - 2013年8月7日、生活保護 の審査請求書類を提出した市民に対し、職員が「行政不服審査法」の規定に反して書類の受け取りを2時間にわたり拒否、弁護士 に説得され、しぶしぶ受け取る水際阻止作戦による違法事件が発生。後に厚生労働省 により、同様の事例が発生しないよう、各自治体に通達を出される事態に発展した[ 64] 。
市民による監視
1991年 (平成3年)10月、公文書の開示と市政情報の提供を骨子とする「仙台市情報公開条例」が施行された。
1993年 (平成5年)のゼネコン汚職事件 では、当時の石井享市長が収賄 による有罪判決を受けることとなった。これを端緒に仙台市では、全国にさきがけて仙台市民オンブズマン が誕生することとなった。しかし、2004年 (平成16年)に東北文化学園大学 補助金不正受給事件 が発生して副市長が辞任に至った。
議会
市議会
定数:55名
任期:2019年(令和元年)8月28日〜2023年(令和5年)8月27日
会派名
議席数
党派
議員名(◎は代表)
自由民主党
22
自由民主党
◎斎藤範夫、橋本啓一、跡部薫、加藤和彦、菊地崇良、松本由男、菅原正和、佐々木心、高橋卓誠、渡辺博、赤間次彦、佐藤正昭、鈴木勇治、西澤啓文、野田譲、庄司俊充、岡部恒司、村岡貴子、千葉修平、内藤良介、田村勝、猪又隆広
公明党仙台市議団
9
公明党
◎嶋中貴志、鈴木広康、鎌田城行、小野寺利裕、小田島久美子、佐藤和子、佐々木真由美、佐藤幸雄、竹中栄雄
民主フォーラム仙台
9
立憲民主党 ・国民民主党
◎村上かずひこ、佐藤わか子、渡辺敬信、沼沢しんや、細野たかし、鈴木すみえ、郷古正太郎、貞宗けんじ、山下純
日本共産党仙台市議団
6
日本共産党
◎嵯峨サダ子、ふるくぼ和子、すげの直子、庄司あかり、高見のり子、高村直也
社民党仙台市議団
5
社会民主党
◎辻隆一、石川建治、ひぐちのりこ、いのまた由美、小山勇朗
蒼雲の会
5
無所属
◎安孫子雅浩、小野寺健、加藤けんいち
市民と未来のために
1
無所属
◎伊藤ゆうた
※2019年9月2日現在。欠員0名
県議会
宮城県議会
定数:24名
任期:2019年(令和元年)11月13日〜2023年(令和5年)11月12日
選挙区
氏名
会派名
備考
青葉区 (7)
遊佐美由紀
みやぎ県民の声
所属党派は立憲民主党
遠藤伸幸
公明党 県議団
福井崇正
自由民主党 ・県民会議
菅間進
無所属の会
無所属 議員
吉川寛康
21世紀クラブ
無所属議員
金田基
日本共産党 宮城県会議員団
中沢幸男
自由民主党・県民会議
宮城野区 (4)
石川光次郎
自由民主党・県民会議
庄子賢一
公明党県議団
大内真理
日本共産党宮城県会議員団
坂下やすこ
みやぎ県民の声
所属党派は無所属
若林区 (3)
渡辺勝幸
自由民主党・県民会議
三浦ななみ
みやぎ県民の声
所属党派は立憲民主党
福島かずえ
日本共産党宮城県会議員団
太白区 (5)
佐々木幸士
自由民主党・県民会議
岸田清実
社民党 県議団
わたなべ拓
自由民主党・県民会議
横山のぼる
公明党県議団
石田一也
みやぎ県民の声
所属党派は無所属
泉区 (5)
小畑きみ子
みやぎ県民の声
所属党派は立憲民主党
遠藤隼人
自由民主党・県民会議
外崎浩子
自由民主党・県民会議
伊藤和博
公明党県議団
庄田圭佑
自由民主党・県民会議
※2017年11月14日現在。
国会
衆議院
任期 : 2024年(令和6年)10月27日 - 2028年(令和10年)10月26日(「第50回衆議院議員総選挙 」参照)
官公庁
官庁街 の集積する勾当台公園 界隈
仙台合同庁舎 東北地方を管轄する中央省庁 の地方支分部局 が集積している。
国家機関
内閣府
総務省
法務省
経済産業省
財務省
東北財務局 - 青葉区本町三丁目3-1
国税庁 仙台国税局 - 青葉区本町三丁目3-1
仙台北税務署 - 青葉区上杉1丁目1番1号
仙台中税務署 - 若林区卸町3丁目8番5号
仙台南税務署 - 太白区 柳生2丁目28番2号
国土交通省
農林水産省
東北農政局
企画調整室 総務部 消費・安全部 生産部 経営・事業支援部 農村計画部 整備部 - 青葉区本町三丁目1番1号
総務部(検査課)消費・安全部(業務課)生産部(業務管理課)統計部 - 宮城野区新田二丁目22番1号 宮城野庁舎
土地改良技術事務所 - 宮城野区幸町三丁目14番1号
仙台東土地改良建設事業所 - 宮城野区五輪一丁目3番20号 仙台第2法務合同庁舎4階
林野庁 東北森林管理局 仙台森林管理署 - 青葉区東照宮1丁目15-1
厚生労働省
東北厚生局 - 青葉区花京院一丁目1-20
宮城労働局 - 宮城野区鉄砲町1番地
仙台労働基準監督署 - 宮城野区鉄砲町1仙台第4合同庁舎
仙台公共職業安定所 - 宮城野区榴岡4-2-3仙台MTビル3〜5F
マザーズハローワーク青葉 - 青葉区中央2-11-1オルタス仙台ビル4F
ハローワークプラザ青葉 - 青葉区中央2-11-1オルタス仙台ビル4F
ハローワークプラザ泉 - 泉区 泉中央1-7-1地下鉄泉中央駅ビル4F
宮城キャリアアップハローワーク - 宮城野区榴岡1-6-30エクセレントスクエア仙台2F
ものづくりワークプラザ宮城 - 宮城野区榴岡1-6-30エクセレントスクエア仙台2F
仙台新卒応援ハローワーク - 青葉区中央1-2-3仙台マークワン12F
防衛省
東北方面隊隷下部隊(霞目駐屯地 ) - 若林区霞目1-1-1
裁判所
認可法人
特殊法人
日本年金機構
仙台広域事務センター - 青葉区中央4-6-1
仙台北年金事務所 - 青葉区宮町4-3-21
仙台東年金事務所 - 宮城野区宮城野3-4-1
仙台南年金事務所 - 太白区長町南1-3-1
独立行政法人
施設
仙台市の文化機関・公共施設は、市が設置・運営しているものの他、市の外郭団体、民間が設立・運営(電力ホールなど)しているものがある。
仙台市博物館 や仙台市天文台 などの社会教育 機関は、その社会教育活動や施設を維持するために有料であるが、2002年から仙台都市圏 の小中学生を対象にして発行された「どこでもパスポート 」を利用すると、小中学生に限り無料で利用することができる。(一部施設は土曜日 、日曜日 、休日 、春休み 、夏休み 、秋休み 、冬休み のみ使える施設がある)
公民館 の機能を持つ施設として「市民センター」を各区に設けている。
警察
本部
警察署
消防
本部
消防署
医療・福祉
救急指定病院 ・災害拠点病院 のみ記載。
青葉区
宮城野区
若林区
太白区
泉区
対外関係
都市外交
都市外交としては、東京都 の世界大都市外交や「アジア大都市ネットワーク21 」が有名であるが、仙台市の場合は、人口約1000万人の東北地方 、人口約570万人の南東北 の拠点都市として、人口規模が近しい北欧諸国 との都市外交を進めている(北欧諸国:スウェーデン 900万人、デンマーク 540万人、フィンランド 520万人、ノルウェー 469万人など)。特にフィンランドとは、仙台市の仲介で東北福祉大学 が福祉関連施設を仙台フィンランド健康福祉センター 内に開設し、成果が出ている。しかし、研究開発・産業分野に限った都市外交であるため、経済全体に対するインパクトは弱く、観光面で人の交流の活発化を実現した東京のような例とはかけ離れて、小さい経済効果しか見込まれていない。
なお、北欧以外では、支倉常長 関連で宮城県とローマ県 やセビリア市 、仙台市でサッカーイタリア 代表がキャンプを開いたことにより、仙台市とイタリア の間で交流が深い。
姉妹都市・提携都市
国内・海外の姉妹都市を各々締結順に掲載する。
また、提携した海外姉妹都市それぞれを紹介するラッピングバス を仙台市内で運行している。
国内
姉妹都市
海外
姉妹都市
提携都市
国際機関
日本国内の外国人登録数の国籍別の順位は、1位:韓国 (30.8%)、2位:中国 (24.7%)、3位:ブラジル (14.5%)、4位:フィリピン (10.1%)、5位:ペルー (2.8%)、6位:米国 (2.5%)という順である。
仙台市は、東日本 の他の大都市と同様に中国系の数の方が多く(西日本 の大都市は朝鮮系の方が多い)、また、工業が少ないために南米出身の日系人 も少ない。但し、隣接する大和町 に工業団地があるため、大和町と富谷市 には日系人 がやや多い。なお、仙台市はロシア 人の比率が札幌市 に次いで多く、実数も多い。一般に、日本海に面した漁港 ・貿易港のある北海道や北陸地方各都市などにロシア人が多いが、沿岸漁業用の漁港しかない仙台にロシア人が多いことは特徴的である。
宮城県(北上川 流域)には、正教会 組織の一つである日本正教会 の教会 が多く、日本の3大拠点(仙台・東京・京都)の1つである。
また、東北大学 だけで留学 生を1200人余り(留学生の家族を含まない数)を受け入れており、仙台の外国人登録数の10%以上を占めている(2005年)。東北大学は、主にアジア からの留学生受け入れに力を入れているが、「魯迅 が留学していた大学」として、1998年当時中国共産党中央委員会総書記 であった江沢民 国家主席 が来訪するほど中国 国内で有名であるため、中国からの留学生がとりわけ多く(466人)、次いで韓国 からの留学生が多い(190人)。また、旧帝国大学 のつながりから、台湾 からの留学生も多い(45人)。欧米 からの留学生は、アメリカ合衆国 (24人)とスウェーデン (13人)が1位2位であるが、金属材料系で世界一の研究所である金属材料研究所 や、流体科学研究所 などの有力研究所・講座があるため、大学間交流は盛んである。
外国人登録数
:総数10,284人(平成15年12月末)
内訳:(単位:人)
領事館
総領事館
名誉総領事館
名誉領事館
外国政府外郭団体、外国民間団体など
イタリア 貿易振興会 仙台事務所
仙台日仏協会・アリアンス・フランセーズ
宮城華僑 総会(宮城華僑会館)
経済
2007年 度の市内総生産は4兆2784億円であり、宮城県の51.6%を占めている[ 69] 。
国内総生産 (GDP)と比較すると、仙台市は世界80位以内にランクインしており、世界の過半数の国よりも経済規模が大きい。
江戸時代 では東北地方最大都市にして、日本で十指に入る人口を抱える都市となっていた。
しかし経済は、伊達氏 62万石の藩内経済を背景としたものが中心であり、藩外との経済交流を考えた場合、酒田 などの港湾都市の方に資本集積があったと考察される。
明治時代 になると仙台は、明治政府の中央集権体制における東北地方の拠点都市として発展することとなった。
戦後においては、特に1982年の東北新幹線 開通後の発展や、1989年(平成元年)の政令指定都市 化前後はめざましいものがあった。
主な産業は、東北全体を商圏とする「卸売 業」、仙台都市圏 を中心に南東北 全体に商圏を広げつつある「小売 業」、および「サービス業」が中核をなす。中でも、「卸売・小売業」は仙台市だけで東北六県全体の年間販売額の40%近くを占める。また、東北地方の情報集散地としての役割も担っているため、「出版・印刷業」や「IT関連業種」などの情報関連産業も多く立地している。
仙台市は大企業の支店の存在に経済を支えられている側面が強く、また第二次産業の発展が遅れていることもあり、経済関係者の間から「支店経済都市 」「支社都市」と呼ばれている。
このため、地場の産業を育成することが課題となっているが、アイリスオーヤマ などの企業が頭角を現しつつある。
第一次産業
市西部の田園地帯
他の大都市同様、総生産額・従業者ともに全産業に占める第一次産業 の割合は僅である(市内の農家数はおよそ5000戸)。
農業
米 は仙台の主力農産物であり、かつ、ササニシキ やひとめぼれ などのブランド米を産する土地柄、平野部の稲作地は都市化圧力から守られてきた。市内東部の平野や河川沿いの平地では土地改良事業が行われ、長方形型の大きな圃場が整備されて、大型農機による大規模稲作が行われている。これらの大規模圃場は、一部税金を用いて整備されているため、商業地や住宅地への転用が条例によって規制されている。
Google Maps の衛星写真で見ると、仙台市東部と特に七北田川沿いの農地が開発規制されているのが分かり、他の大都市との農政の違いが分かる。即ち、他の大都市が、平地にあれば同心円状、谷あいにあれば平地のほとんどが都市化している一方、仙台都市圏は、幹線道路および在来線沿い以外は農地の開発規制がされている。
このように、河川沿いの平地や東部の広大な平野部は、農地指定が解除されない限り、商業地や住宅地などに利用できないため、人口増に対応する住宅供給は、専ら仙台市都心部を取り巻く丘陵地の宅地造成によりなされた。宅地造成は、都心部に近い北西部を中心に進んだが、それでも供給不足に陥ったため、仙台市民の隣接市町への転出を促し、名取市 ・富谷市 ・利府町 などの人口増に寄与した。
仙台市当局は、政治的に平野部の農地を守ってきた。その政治判断により、平野部や河川沿いに水田が残り、夏には風の通り道になってヒートアイランド現象 を軽減し、また、西部の山々とともに都心部を取り巻くグリーンベルトとして景観の保持にも寄与している。
他方、仙台市の農地政策は「都心部以外は、平地は農地、丘陵地は住宅地」 という都市構造を助長した。そのため、住宅地が丘陵地ごとに島状分布 し、都心と住宅地との間に坂道が多いため車社会を加速し、人口密度が低く、人口の割に職住が離れた非効率的都市圏を形成することになった。現在は、その非効率性はなくなっていないものの、農地指定の解除が徐々に進んで、「島」と「島」との間の平地が商業地や住宅地になりつつある。
第二次産業
仙台港 周辺の工業地帯
工業
主な業種は「石油化学業」、次いで「印刷・出版業」、「電気機械・器具業」、「食品加工業」など。
第二次世界大戦 中の燃料 不足のおりには、市内の中心部に近い八木山・大年寺山などで褐炭 の掘削が盛んに行われた。また、仙台臨海鉄道 などの貨物列車が運行している。
工業地区は、主に東部の仙台港 を中心とした臨海地区や仙台港IC ・仙台東IC を中心とした地域に工業団地 や物流拠点 が分布している。
第三次産業
ハピナ名掛丁 入口
商業
サービス業
仙台市の産業のうち、総生産額で8割、従業員数で7割を占める。業種別では「サービス業」の伸びが顕著である。
仙台市は、南東北 における物販・サービス業などの中心地となっている。中心市街地 は仙台駅 西側の一帯(青葉区 中央 ・一番街 )で、大規模なアーケード商店街 が発達している。仙台駅から商店街へは日本最大級のペデストリアンデッキ (歩行者用デッキ)で接続している。仙台駅東口も再開発が進んでいる。仙台駅北西の国分町 は東北地方最大の歓楽街 として栄えている。一番町 と仙台駅 周辺の2つの中心部商業地の大きな集客力と、郊外ロードサイドショップ の密集により、仙台市の小売 商圏は、仙台市周辺市町村の域を越えて、山形県 村山地方 、福島県 中通り 北部・浜通り 北部、および岩手県 北上川 流域南部まで広がっている。
中心商業地以外では、仙台駅 東口から楽天生命パーク宮城 (楽天モバイルパーク宮城)に至る宮城野通り 周辺の仙台駅東口や、泉中央、長町においても集積がみられる。
金融機関
日本銀行 仙台支店
現在の青葉通 の東端に仙台駅 が設置(1887年)され、芭蕉の辻 (江戸時代の仙台の中心商業地。国分町通 =奥州街道 、および大町 =仙台城 大手門 前から続く道の交差点 )に日本銀行 仙台支店が設立(1941年)されたことにより、この2点の間の地域に金融機関が集中した。
現在の仙台市の金融街は、青葉通沿いの仙台駅西口前から晩翠通 辺り(東西軸)までを中心とし、途中交差する国分町通沿い(南北軸)にも立地している。
仙台市都心部 には、一番町 と仙台駅西口一帯の2つの極があるが、従来から、一番町は地元商店が強く、駅前は県外資本(主に東京)が強い。
金融街の構成にも似た傾向があり、青葉通沿いの仙台駅前から東二番丁通 交差点までの部分に都市銀行 や有力地方銀行 の本支店が集中立地し、それより西の一番町に近い青葉通沿いに他の地銀や第二地銀 の本支店が集中立地している。
また、奥州地方(西東北)を地盤とする銀行を傘下に持つ金融持株会社 ・フィデアホールディングス の本社は、仙台市に設けられている。
仙台市には2006年 (平成18年)2月27日 にローソン (ローソンATM→ローソン銀行 )、2006年 (平成18年)3月1日 にセブン-イレブン とイトーヨーカドー 仙台泉店(現在の、イトーヨーカドーアリオ仙台泉 店、セブン銀行 )、2006年 (平成18年)3月20日 にファミリーマート とミニストップ (イーネット 。ミニストップは、後にイオン銀行 に入れ換え。ファミリーマートは一部でゆうちょ銀行 のATMを導入)、サークルK およびサンクス (BankTime 。後に、一部のファミリーマート店舗にも導入されたが、ゆうちょ銀行 のATMに転換)に、コンビニATM が設置された。仙台市へのコンビニATMにより政令指定都市全てにコンビニATMが導入されることとなった。
拠点を置く金融機関
七十七銀行本店
仙台市内に本店を有する金融機関
括弧内は仙台市内店舗数(2016年度。ブランチインブランチ 実施の場合は、窓口の実態がある拠点数)
七十七銀行 が指定金融機関 と地方公営企業 出納取扱金融機関 、仙台銀行 ・仙台農業協同組合 が指定代理金融機関 とされている。
仙台市内に支店を有する金融機関
仙台市内第1店舗目は、ほぼ上述の金融街に設置されている。2店舗目以降は、卸売り・流通企業が集中している卸町やその周辺の商業地を含めた宮城野地区(卸町、宮城野、原町、南小泉など)、県庁・市役所・国の出先機関などが集中する官庁街の二日町地区、仙台の広域拠点である泉中央や長町(富沢・泉崎)、その他、各金融機関の顧客層に合わせて、下町 や郊外住宅地に店舗展開している。以下、支店店舗数と本店所在地を付記する。有人出張所は+で付記する(配列は統一金融機関コード 順) 。ただし、ローン専門拠点や中小企業向け相談拠点など、特記しているケースを除き、口座店でない店舗は含まない(口座店概念のないゆうちょ銀行は、直営店の数を示す)。
拠点を置く企業
上場企業
東証プライム上場企業
東証スタンダード上場企業
TOKYO PRO Market上場企業
その他の企業
上場廃止 となった企業を含む
情報・生活
マスメディア
新聞・出版
河北新報本社ビル(2009年 (平成21年)4月 )
新聞社
フリーペーパー
ぱど 仙台版(31万部)(隔週刊。関東・関西・仙台・広島・岡山・静岡・浜松の各版)
ホットペッパー 仙台版(リクルート社 クーポン マガジン)
住宅情報タウンズ 借りる・買う(「買う」は2007年 (平成19年)1月5日 に創刊)
リビング仙台(24万部)(週刊。主婦層向け。全国の主要商圏58エリア各版)
出版社
プレスアート (ラジオ3の大株主)
プランニング・オフィス社
廣済堂 仙台
仙台経済界
(株)東北経済調査研究所
東日本出版
株式会社CHINTAI
放送局
長町副都心 に所在する東日本放送
テレビ局、および テレビ・ラジオ兼業
NHKを含めたテレビ局 として5局、うちラジオ兼業局が2局ある。テレビ東京 系の局は無く、テレビ東京系で制作された番組は番組販売 形式で在仙の民放4局で放送されている。また、東北限定のローカルネットワーク局も存在しない(ブロックネット する番組は多い)。
テレビ局
表記のテレビチャンネルは、地上デジタル放送 のリモコンキーID
ケーブルテレビは以下の2局がある。技術上テレビ東京の親局・中継局ともに他の局とチャンネルが被っており、仙台市周辺での受信は極めて困難であることから、いずれもテレビ東京系の再送信は行われていない。
FMラジオ局
※上記の他、NHK仙台放送局が82.5MHzでFM放送 を、AM局のTBCラジオ(東北放送)が93.5MHzでAM放送と同内容のサイマル放送 を行っている。
コミュニティFM局(cFM)
その他
ライフライン
ドコモ東北ビル
電力
ガス
上下水道
電信
市外局番
局番の変遷
市外局番 および市内局番 の変遷[ 70]
1962年 - 1963年
1963年 - 1986年
1986年以降
局番の変更
1963年変更
0222 -E -FGHJ →0222 -2E -FGHJ (Eコードは2 ,3 ,5 )・・・仙台青葉通収容局(後に、1, 4, 7が追加され、さらにDEコードの61〜69も追加されている。市外局番3桁化後は、211〜217, 711〜716, 721〜724, 726, 751〜753, 795が追加されている)
0222 -4 -FGHJ →0222 -34 -FGHJ ・・・台原収容局(後に、3が追加され、さらにDEコードの71〜76も追加されている。市外局番3桁化後は、219, 301, 717, 718, 727, 728が追加されている)
0222 -6 -FGHJ →0222 -56 -FGHJ ・・・榴岡収容局(後に、7が追加され、さらにDEコードの91〜93, 95〜99も追加されている。市外局番3桁化後は、742, 791, 792が追加されている)
0222 -8 -FGHJ →0222 -48 -FGHJ ・・・長町収容局(後に、6, 7, 9が追加されている。市外局番3桁化後は、304の一部、308, 746が追加されている)
1986年変更
0222 -DE -FGHJ →022 -2DE -FGHJ
旧市域の電話番号の例外
太白区生出地区
1980年まで生出局であり旧々市外局番は「022381 」で市内局番なしである
仙台局との局番統合は以下のように行っている(同時に生出局から仙台局に変わり市内通話が可能になる)
022381 -FGHJ →0222 -81 -FGHJ
現在、022 -381 は、名取市 の4収容局と仙台中田収容局のISDN用局番として使用復帰している。
宮城野区港5丁目(JXTGエネルギー仙台製油所 や新仙台火力発電所 などが当地にある。しかし、港1〜4丁目とは川を挟んでおり、間に橋が架かっていないことから、いったん多賀城市 や七ヶ浜町 を経由しないといけないため、事実上飛び地となっている)
1986年まで塩釜局であり旧市外局番は「02236 」で市内局番1桁である(使用市内局番は2 〜9 局)
仙台局との局番統合は以下のように行っている(同時に塩釜局から仙台局に変わり市内通話が可能になる)
02236 -E -FGHJ →022 -36E -FGHJ
市内局番3桁化後に編入された旧泉市、旧宮城町、旧秋保町の旧市外局番および旧市内局番について
旧泉市(現泉区)
旧市外局番は「02237 」(泉局)で市内局番1桁である(使用市内局番は2 〜6 局および8 〜9 局)
3桁前に利用されていなかった現在の(022 )377 も、同じ旧泉市域(従来378 を利用していた野村収容局)で利用。
3桁によって利用可能になった現在の(022 )371 も、同じ旧泉市域(従来372 〜375 を利用していた仙台泉収容局)で利用。その後、主に富谷市 で、当収容局が管轄する地域を中心に、351-0〜2 が追加されている。
その後、ISDN局番として、218 /771 /773 /776 と772-3〜9 を仙台泉収容局で、342-3〜7 ,772-0〜2 ,777 を野村収容局でそれぞれ利用開始されている。
旧宮城町(現・青葉区宮城地区)/旧秋保町(現・太白区秋保町地区)
旧市外局番は「02239 」(愛子局)で市内局番1桁である(使用市内局番は2 〜5 局および7 〜9 局)
3桁前に利用されていなかった現在の(022 )396 は、宮城野区の岩切収容局で利用
なお、ISDN用局番としては、旧宮城町では302 (折立収容局を含む)と391 の各一部、旧秋保町では304 の一部が使われている。
現在、393 〜395 、397 〜399 については、一部はひかり電話 用にも利用されている。
仙台市内の市内局番の特徴
1の位が0の局番は原則として加入電話には利用されていない
1の位が0の局番はかつては無線呼び出しに使用していたため
例外的に使われている1の位が0の市内局番は以下の5つである
200番台の振り分けについては以下のようになっている
201 -209 …NCC 系(かつては無線呼び出し の局番として使用。未使用復帰後、NCC系事業者のベライゾン ジャパン とソフトバンク へ再割当)
211 -219 …市内中心部および市内北部(218 は泉区の仙台泉収容局)
221 -229 …市内中心部(226 は市内西部(折立・郷六など)、228 /229 は八木山地区)
231 -239 …市内東部(233 および234 は市内北部)
241 -249 …太白区(八木山および生出・秋保地区および区北端部を除く全域に見られる)
251 -259 …市内東部
261 -269 …市内中心部
271 -279 …市内北部
281 -289 …市内東部(281 は太白区生出地区)
291 -299 …市内東部(294 のみ、若林区南小泉地区で、残りはすべて榴岡収容局のため、仙台駅東口方面で多く見られる)
300番台の振り分けについては以下のようになっている(310 -319 は、岩沼MA(2013年現在、(0223)2x〜3xを使用)の将来的な枯渇対策を考慮し、現時点では欠番・未使用となっている)
301 -309 …市内北部・南部・西部(309 は多賀城市)…ほぼ、ISDN専用局番となっている
341 -349 …黒川郡・宮城郡・ひかり電話 専用など
351 -359 …黒川郡・宮城郡(351-0〜2 は、仙台泉収容局だが、富谷市 (東向陽台・明石台地区)にまでまたがっている)・ひかり電話など
361 -369 …塩竈市・多賀城市(361-2xxx と369-2xxx は浦戸諸島 。その他369 は、ひかり電話 専用)
371 -379 …泉区
381 -389 …名取市・市内東部(389 は多賀城市)
391 -399 …旧宮城町 ・秋保町 (396 は宮城野区の岩切収容局)、下4桁単位でひかり電話 用に使われている局番もある
700番台の振り分けについては以下のようになっている。
701 -709 …NCC 系(20x番台同様、かつては無線呼び出しの局番として使用。現在は、KDDI や楽天コミュニケーションズ へ再割り当て)
711 -719 …市内中心部および市内北部
721 -729 …市内中心部および市内北部
731 -739 …かつては無線呼び出しの局番として使用。このうち、738〜739のみ再割り当てされ、ひかり電話 専用局番として使用。
741 -749 …市内南部(742 は宮城野区の榴岡収容局、745 はNTT-C )
751 -759 …市内中心部
761 -769 …塩竈市・利府町(764 はソフトバンク 、765 は旧KDD →KDDI )
771 -779 …泉区・富谷町(774 はNTT-C 、775 は旧平成電電 →ソフトバンク 、778 は旧DDI →KDDI )
781 -789 …名取市・市内東部(781 の一部はひかり電話専用、787 はKDDI)
791 -799 …市内中心部および東部・ひかり電話 専用(796〜797)・TOHKnet など
都市計画
定禅寺通り
都市としての仙台市は、伊達家 62万石の城下町 から発展したため、その名残りで都心 部の道路は碁盤の目状になっているが、広瀬川 の河岸段丘 上に立地している点や、戦災復興都市計画#仙台の戦災復興計画 において広幅員の道路を縦横に通したことにより、完全な碁盤の目とはいかずやや変則的である。伊達政宗 の都市計画は、後に仙台をして 「杜の都 」 と呼ばしめたが、戦前までの「杜」は、都市の近代化のために失われた部分も多い。しかし、市当局や市民の努力により、都心部に限らず、多くの道路に街路樹が植えられ緑化が進んだ。また、都心を取り囲む丘陵地や水田などの開発規制を行い、同心円 状に、都心・グリーンベルト ・住宅地という大ロンドン計画 を模した都市計画を作成した。
産業立地と都市構造
本市を含む5市4町1村からなる「仙塩広域都市計画区域 [ 71] 」(仙台都市圏 [ 72] )により都市計画 がなされている。また、都心部 を中心とした青葉区 が東北 最大の超広域商圏 を形成し、泉中央を中心とした泉区 、および、長町地区を中心とした太白区 が広域商圏を形成している[ 73] 。市における副都心として、旧奥州街道 (現国道4号 )下り第一宿駅 ・七北田宿 から発達した泉中央地区、旧奥州街道(現国道4号)上り第一宿駅・長町宿 から発達した長町地区、旧作並街道 (現国道48号 )下り第一宿駅・愛子宿 から発達した愛子地区、そして、仙台港 地区(みなと仙台ゆめタウン )の4つが指定されていた。しかし市は現在、「副都心」の名称を都市計画で使用しなくなり、市が主導して整備をし、広域商圏をも併せ持つ泉中央と長町が「広域拠点」、愛子が「市西部(旧宮城町 )の地域中心拠点」、県が主導して整備しているみなと仙台ゆめタウンが「国際経済交流拠点」と、機能によって色分けがなされている[ 74] 。その他の拠点として、東北大学 と宮城教育大学 がある青葉山 地区が「国際学術研究・交流拠点」とされ、広域商圏を持たない宮城野区と若林区では各区の区役所周辺が「区の生活拠点」とされている。因みに、宮城野区役所がある原町 は、旧石巻街道 (現国道45号 )下り第一宿駅の原町宿 から発展した地区で、若林区役所は伊達家 養種園跡にある。その他、秋保温泉 と作並温泉 に温泉街 が形成されている。
インフラ整備の状況
下水道普及率 - 99.3%(平成23年度末)[ 75]
新興住宅地
都市軸
戦後の仙台の都市軸の変化
高度経済成長 期までの都市軸は、それぞれ鉄道も並走している、旧奥州街道を踏襲した国道4号 沿い(都心から南の地域)と北東の多賀城 ・塩竈 ・松島 に向かう国道45号 沿いを中心に形成された。1960年代初頭には仙台市を中心に松島町 から岩沼市 にかけて合併・政令指定都市 移行を目指したが失敗に終わった。要因は当時の仙台市の革新市政を周辺市町の保守系首長が嫌ったため、といわれている。この時、合併調印前日に多賀城町(現・多賀城市)長が突如合併を批判し合併から離脱したため、仙塩合併は一夜にして瓦解。仙台市の政令指定都市への移行も先延ばしとなり、都市の発展が著しく遅れる結果となった。
その後、人口増を背景に市の北部から南西部にかけての丘陵地に都心を囲むように新興住宅地 が造られた。これらの住宅地と中心部とを繋ぐ旧国道4号沿い(都心から北の地域)や国道286号 沿いが新たに都市軸に加わった。新都市軸の北の中心である旧泉市 と、西側の旧宮城町 ・旧秋保町 を編入し、1989年 に政令指定都市となる。
新都市軸では1987年 に仙台市地下鉄南北線 が開業したことで、計画都市 である北の泉中央(泉区 )や南の長町南(太白区 )では大型商業施設やマンションが林立した。
また、仙台北環状線(北環) や仙台西道路 の完成により、中心部から西向きの都市軸も形成された。この軸上には東北自動車道 の仙台宮城IC があることから広域産業が進出し、アウトレットモール や宮城県立こども病院 、高等教育機関などが立地した。
東西に分けられる仙台の街
仙台駅西口側
仙台の街は、仙台駅 、および東北新幹線 ・東北本線 によって大きく東西に分けられている。仙台駅の西口側は、江戸時代からの城下町・仙台の中心部があったところで、現在に至るまで中心部であり続けているが、南は広瀬川、西は青葉山 、北は北山-台原の丘陵地、東は東北新幹線と、四方が囲まれており、都心部の拡大が容易ではない。そのため、バブル期 に、仙台の地元企業の経済力を超えて地価 暴騰が起きる懸念があったが、バブル期以前から開発されていた地下鉄南北線 、とりわけ副都心として設定された泉中央および長町の存在により、地価上昇圧力が泉中央や長町への都市機能の分散を推進し、暴騰は回避された。反面、デフレ期に入ると都市規模に対して疎になった都心の地価下落が止まらず、担保価値が減少した土地上の低層オフィスビルや低層住宅が、高層マンションなどに取って代わり、住民の都心回帰を助長している。
仙台駅東口側
一方、仙台駅 の東口側は、古くからの町並みが残る地区となっていた。特に南東側の若林区 は下町の趣があり、江戸時代から続く地名が残る。この下町地域の東側に隣接していた水田地帯には、1960年代に仙台バイパス が造られ、同時に卸売り業者・流通業者・車関係などの事業所、および印刷業の工業団地などの広大な流通・工業団地が卸町・六丁の目・扇町などに造られた。業務地・工業用地の指定のみで住宅地の指定がなく、周囲の水田も国政・市政により農地指定が解除されなかったため、背景人口が増加せず、東口の商業集積を阻害してきた。90年代に入り卸を通さない「中抜き流通」が主流になると、卸町の存在意義が薄れ、規制を解除して住宅地へ転用する動きが始まり、地下鉄東西線 の建設によって促進されることとなった。
また、仙石線 の地下化に伴った区画整理・再開発(仙台市の土地区画整理事業一覧 、日本の再開発の一覧#宮城県 )により、東口は街の形が大きく変貌。東口の駅前から延びる宮城野通り 完成後は、通り沿いに仙台のIT企業が集中し始め、2005年 (平成17年)より東北楽天ゴールデンイーグルス が宮城球場 を本拠地にするに到って更に開発に弾みがついた。
地下鉄東西線 開通
2015年 (平成27年)12月6日 、仙台市地下鉄東西線:八木山動物公園駅 -荒井駅 が開通し、仙台駅西口側と東口側の一体化を推進していくことになった。東西線の仙台駅 は西口側にあるが、仙台駅東口から150m付近に宮城野通駅 が設置され便宜を図っている。
北四番丁大衡線
1990年代後半より東北大学病院 の東端に沿って南北に走る木町通の拡幅作業がなされ、2012年に全線開通したこの道は、北向きに輪王寺 を北山トンネル で通過し、桜ヶ丘 ・泉パークタウン を貫いて大和町 へと至る宮城県道264号大衡仙台線 (都市計画道路北四番丁大衡線)である。この道路は、北西部の住宅地と中心部とを結ぶ幹線道路という側面の他に、この道沿いに存在する東北大学病院・東北大学 医学部 ・フィンランド健康福祉センター ・宮城学院女子大学 ・宮城大学 ・宮城県図書館 ・泉パークタウン内の数々の研究施設、そして仙台北部中核工業団地 を結ぶ「智の回廊」として機能することも期待されており、「学都仙台 」の戦略的道路となっている。
また、東北大学病院の新東病棟1階に新たに設置される高度救命救急センター への搬送路としての役割も持ち、当道路と東北自動車道 が交差する付近に泉PA/スマートIC が設置されている。
一方で北山トンネル開通前から指摘はされていたが、北山トンネル開通により周辺の交通量が以前にも増して増加したため、朝夕のラッシュ時を中心に渋滞が悪化した[ 76] 。
愛子副都心構想
「愛子副都心」構想とは、1987年 (昭和62年)の宮城町と仙台市との合併建設計画、および、1990年 度(平成2年度)発表の「仙台市総合計画2000」に記載されていた副都心 建設計画である。旧宮城町役場(現・宮城総合支所)があるJR 愛子駅 周辺の再開発 と都市機能集積、および、仙台市営モノレール南西線 計画を謳っており、旧泉市 (現泉区 )に対する泉中央副都心整備計画と同様、合併の際のバーター であった。現在、当該地域の整備計画は「西部地区の拠点整備」という言葉に置き換わっており、副都心としての指定は曖昧化されている。
なお、2002年 (平成14年)7月22日 に愛子駅周辺は住居表示 が実施され「愛子中央 」になった[ 77] [ 78] 。また、都市化 に不可欠な下水道 は、旧宮城町域における整備率が政令市移行時の2.4%から現在92.5%にまで改善されている。
教育
東北大学 川内北キャンパス
仙台は、高等教育 機関(大学 、短期大学 、高等専門学校 など)に通う学生を85,000人以上抱えており、人口に対する学生比率が、政令指定都市 などの中では京都市 、福岡市 、東京23区 に次いで4番目に高く、仙台市の行政や地元マスメディアは「学都仙台 」を自称している。また、人口に対する大学院生比率も京都市に次いで2番目に高い上、高等教育機関の教員も4,000人近く住んでおり、日本の学術を支える重要な都市の1つとなっている。しかし、東北大学 においては、その入学者における地元占有率(東北大では東北地方出身者の割合)が、他の旧帝大 のそれと比べて低く、また、仙台市や東北地方に十分な就職先が確保されていないため、卒業者のほとんどが他の地方(特に首都圏 )に流出し、頭脳流出 が激しい。また、工業基盤が薄い仙台市では、研究成果も他の地方に流出し、地場で産業化される例は極めて少ない。近年では、人材と研究成果の流出を抑えるため、産学官共同のベンチャーキャピタル が設立されたが、まだ大きなビジネスに育っていない。一方、東北学院大学 や宮城学院女子大学 に代表される県内私立大学 の入学者のほとんどは、東北地方 出身者であり卒業後も仙台での就職を希望するものも多く、幅広い分野で地域の産業を支えている。
しかし、特別支援学校 については、少子化と反比例する形で入学対象者が増加傾向(特別支援学級 を含む特別支援教育 の対象となる範囲が、法的に広がったことも起因している)にあり、とりわけ知的障害を主な教育対象とする特別支援学校の数が、県立学校では市内には、宮城県立光明支援学校 1校しかなく、その学区から外れた場合は、仙台市外に位置する特別支援学校への通学を余儀なくされている現状にある[ 注 19] 。
交通
仙台国際空港
仙台駅
空路
空港
国内線
札幌/新千歳 、新潟 、名古屋/中部 、大阪/伊丹 、大阪/関西 、神戸 、広島 、福岡 、沖縄/那覇
国際線
ソウル/仁川 、北京/首都 、上海/浦東 、大連 、台北/桃園 、香港
霞目飛行場 - 若林区 霞目に位置する飛行場。陸上自衛隊の駐屯地内に所在し、ヘリポート が併設されている。民間機による定期便の運航はない。
鉄道
仙台市内の鉄道路線図
仙台駅 を中心に路線が放射状に存在する。
旅客路線
東日本旅客鉄道 (JR東日本)
東北新幹線 ・秋田新幹線 ・北海道新幹線
■ 東北本線 ・■ 常磐線 ・■ 仙台空港アクセス線 ・仙石東北ライン [ 注 20]
■ 仙山線
■ 仙石線
上記のうち仙石東北ライン が仙台駅・東仙台駅・岩切駅に停車する。
仙台市地下鉄
■ 南北線
■ 東西線
貨物路線
以下は貨物専用路線。
日本貨物鉄道 (JR貨物)
仙台臨海鉄道
バス
仙台市営バス
まちのり「チョコット」
宮城交通 高速バス
仙台都市圏環状自動車専用道路 仙台東部高架橋
定禅寺通
東二番丁通
仙台市交通局と宮城交通では、バスロケーションシステム (どこバス 仙台 )が導入され、icsca ・Suica ・PASMO なども共通であり、2017年9月までは並走路線においては同一の運賃設定がなされていた(同年10月以降は市バス初乗り170円区間のみ宮城交通のほうが安価、それ以外の区間では仙台市交通局のほうが安価となる)。
かつては特定駅でのバス・地下鉄の相互乗換の場合、乗継割引としてバス(地下鉄)の運賃が40円引かれる制度が存在した。現在ではicscaの乗継30ポイント制度に継承されている。
オムニバスタウン 指定を受け、都心バス均一区間の120円パッ区 (2018年9月30日まで100円パッ区 )が設定されている。
かつてはワンコインの循環バス(カーバスくん)を試験的に走らせていたが、交通渋滞で定時運行が困難なため、長くは続かなかった。しかし定期バスにて100円で乗れる均一区間を試験的に設定した結果、好評のためにそのまま継続となった。
路線バス
バス路線は、仙台駅 および仙台市地下鉄南北線 の乗継指定駅に向かう系統が多数。近年は、在来線の駅前にロータリー を新設して、在来線との乗り換えを進める傾向もある。仙台市内を走るバス(市外直通便含む)として、以下のバス事業者がある。
仙台市交通局 (仙台市営バス )
宮城交通
愛子観光バス
山交バス
宮城県内では青葉区のみを営業エリアとしており、国道48号を経由する特急バス(新庄行 )を運行する。路線策定の経緯から市バスの作並温泉線と競合する一般路線バスの扱いである。仙台駅から作並温泉の利用も可能であり、作並温泉地区では山交バス単独の停留所も設置されている。
タケヤ交通
いずれも乗車方法は後乗り前降り後払い方式で、運賃は整理券による区間制を採っている。
このほか以下の事業者も市内に乗り入れる。
都市間バス
高速バス・特急バス
仙台駅 の高速バス乗り場は、宮城交通 や東日本急行 が広瀬通 、JRバス東北 が仙台駅東口にある(一部を除く)。
道路
仙台市とその近隣市町村には、仙台都市圏環状自動車専用道路 (ぐるっ都・仙台)が整備されており、環状高速道路を中心に高規格道路が広がる。
一般道においては、3環状12放射状線 を骨子に道路整備が進められている。
仙台市都心部 では、ほぼ碁盤の目のように道路が整備されているが、そのほとんどの道路に道路愛称および歴史的な通称が一般的に使われている。歴史的町名活用道路には、辻標や通り看板を設置している。
航路
港湾
船舶
太平洋フェリー
ナンバープレート
かつては、宮城県内の自動車ナンバープレート の地名表示は「宮城」のみであったが、いわゆるご当地ナンバー 制度により、2006年 (平成18年)10月10日 から「仙台」ナンバーが導入された。「仙台」ナンバーを取得できる車は、仙台市内に車庫登録をしている車となっている。また、2018年10月1日 より地方版図柄入りナンバープレートが交付されるようになった。
観光
この節には
複数の問題があります 。
改善 や
ノートページ での議論にご協力ください。
出典 がまったく示されていないか不十分です。内容に関する文献や情報源 が必要です。(2020年8月 )
言葉を濁した 曖昧な記述になっています。(2020年8月 )
名勝・百選
名所・旧跡
仙台城 隅櫓(2003年 (平成15年)11月 )
大崎八幡宮 社殿
瑞鳳殿
陸奥国分寺薬師堂
主な城郭
「仙台藩の城砦 」も参照
主な神社
主な寺院
主な遺跡
主な史跡
観光スポット
せんだいメディアテーク 「柱」のみで建つ特殊な構造のビル建築として世界的に有名 [要出典 ]
秋保温泉
文化施設
建築
三居沢発電所(現在も稼動している日本最初の水力発電 所・参考:機械遺産 No.26)
公園・緑地
仙台市では都市の緑化と緑地公園・森林公園に力を入れている。平成11年には、市民・事業者・行政の協働による今後の緑づくりの具体的施策を定めた「百年の杜づくり行動計画」を策定し、市街地の「緑の回廊づくり」、誕生、結婚、新築など人生の節目を記念する植樹などによって1年1万本を目標に市民による植樹を進める「市民による「100万本の森づくり」、「学校の森づくり」、「建築物の緑化助成」、小学生向け緑化啓発サイト「キッズ百年の杜 」などの施策を実施している。
都心部を囲む水田地帯、広瀬川の河川敷、小さな山などを含めてグリーンベルトと見なし、条例で開発を規制している。生垣にも助成金を出している。ブロック塀を減らすことで地震対策としている面もある。これは1978年の宮城県沖地震の際、ブロック塀が崩れ、その下敷きとなり多くの犠牲者を出した反省に基づいている。
レジャー
文化・名物
観光PRにも多数の飲食店が登場しており、文化を形成する一役を担っている。こういった資料からも、食文化が発達していることが窺える[ 80] 。
仙台市内にはライブハウス やクラブ が存在し、アマチュア・バンドやインディーズ が活動している。仙台市に拠点を置いて活動する他地方出身のセミプロバンドもおり、全国版のヒットチャート と仙台のヒットチャートとの間に違いが生じるようになった。また、アマチュア演劇 も行われており、多数のアマチュア劇団 が存在して活動をしている。
仙台市は文化活動、文化事業を「楽都仙台」や「劇都仙台」と標榜してバックアップし、都市の文化的魅力を高めるとともに、産学官の連携組織である仙台クリエイティブ・クラスター・コンソーシアム を設立し、芸術や文化の創造性を活かした創造的産業の振興にも力を入れている。また一方で、地元マスメディア も地元の人材活用をするようになって、バンド・タレント ・芸能人 ・モデル などのローカルタレント が増加して、隣県のメディアに進出する者も表れた。そのため、小さいながらも仙台芸能界 が形成されつつある。
方言
仙台独特の方言としては仙台弁 があり、福島県や東関東などと同じ無アクセント であることや、語尾の「だっちゃ」などが特徴的である。しかし、現在では高齢者を除いて共通語 ・標準語 に近い言葉が使用され、他地域から転入した人々の言葉が混じっていることも多い。ただし、語彙や表現は共通語化されていても、アクセントには元来の無アクセントの影響が残っていることが多い。
祭事・催事
主な祭事
仙台七夕祭り
最も有名かつ、観客者数の多い仙台を代表する祭りは、仙台七夕まつり である。七夕 祭りは藩政時代以来の歴史を持つ祭りで、市中の商店が名誉をかけて華美を競い合い、全国でも類を見ない華麗な七夕祭りになったとされる。東北四大夏祭り の1つに数えられており、中心部商店街では、期間中200万人以上の人出がある。
主な催事
光のページェント
スポーツ関連の催事は仙台のスポーツ#恒例のスポーツイベント 参照
「市民ボランティアが主体となって開催する」「街を舞台装置とした」「無料の」「屋外音楽イベント」が多いのが特色。音楽以外がメインのイベントでも、ステージが設置され、バンド演奏が行われる例が多い。秋の定禅寺ストリートジャズフェスティバル in 仙台 は2日間で70万人以上、冬のSENDAI光のページェント は3週間で220万人以上の人出がある。
その他、10月1日から11月30日に行われる音楽や演劇などの公演を「仙台市芸術祭 」という名称で仙台市が後援しており、2004年 (平成16年)11月 には勾当台公園で野外演劇祭(仙台演劇祭)も行われた。
音楽
楽団
仙台フィルハーモニー管弦楽団
クラシック音楽専用につくられた仙台市青年文化センター ・コンサートホールを本拠とするプロのオーケストラ。本拠の他に、宮城県民会館やイズミティ21でも定期演奏会やコンサートを行っている。
スポーツ
仙台市に本拠を置くスポーツチーム
グルメ
牛タン炭火焼き定食
仙台は三陸 の魚介類は勿論、各種農作物、ブランド米「ひとめぼれ」「ササニシキ」、高級和牛牛肉「仙台牛 」の産地に近く、海の幸・山の幸が集積する。近年は、仙台中央卸売市場 が仙台市の経済圏に商圏広域化し、弱体化した周辺の卸売市場 の機能を肩代わりしているため、食材の集散地としての機能拡充も進んでいる。
庶民的な料理店の特色として、仙台発祥の牛タン 料理の店が多く、仙台ラーメン を供する店もある。また、仙台駅 は駅弁 の種類が日本で最も多い駅として知られる(「仙台駅#駅弁 」を参照)。
旬の味覚・季節料理
仙台発祥の料理
酒
名産
芋煮会
仙台の秋の風物詩として、芋煮会がある。芋煮会は、河原などの野外において、家族や友人、学校や職場の仲間が集まって、大鍋に汁をつくって食べる季節行事である。この習慣がある地域では、花見 と同様に重要な年中行事として扱われている。10月から11月にかけて行われる。
仙台の芋煮は、里芋と豚肉を主な具として味噌で味付けする。魚やジャガイモをいれるものもある。また、参加する人数が多くなると、仙台風の芋煮の他に、牛肉・醤油味の山形風芋煮、キムチチゲ(鍋)、バーベキュー や鉄板焼きなどを加えて作ることもある。芋煮のための大鍋は、スーパーやコンビニエンスストアで借りることが出来、薪も買える。シーズン中は、材料の下ごしらえがされた芋煮セット がスーパーや大学生協などで売られているので、忙しい人たちも簡単に芋煮会をすることが出来る。また、仙台近郊のキャンプ場では、全ての材料・鍋・薪が準備されていて、あとは火をおこして煮るだけの芋煮会パック というサービスもある。
発祥
大藩であった旧仙台藩や旧東北帝国大学の存在を礎にした文化・教育・工業技術・科学技術の分野に関する事項が多い。
光通信 発祥の地
東北大学電気通信研究所 において、光通信の三要素(発光素子、光伝送路、受光素子)が発見・発明されたことが始まり。
公共図書館 発祥の地
1817年(文化14年)ごろ、仙台藩 出身の公事師兼商人青柳文蔵 が仙台城下の百騎丁(現在の東二番丁通 )に開設した青柳文庫 が始まり。
水力発電 稼働の地
1888年(明治21年)、宮城紡績会社が旧仙台区三居沢(現仙台市青葉区荒巻字三居沢)に自家用水力発電を設けたのが始まり(世界でも2例目)。
現在も東北電力 三居沢発電所 として稼働中。発電所上屋、発電設備は国の登録有形文化財 に登録。
フィギュアスケート 発祥の地
1897年(明治30年)ごろ、米国人のデブィソンが仙台城 の堀である五色沼 で子供達にフィギュアスケートを教えたことに始まるとされる。
電気化学工業発祥の地
1902年(明治35年)、上記宮城紡績会社の後身企業である宮城紡績電灯会社が仙台市三居沢において電気炉 を用いたカーバイド の製造に成功したのが始まり。
鉄筋コンクリート橋梁架橋の地
1909年(明治42年)、市内を流れる広瀬川 に架かる広瀬橋 が鉄筋コンクリート橋梁に架け替えられたのが始まり。この鉄筋コンクリート橋梁は1959年(昭和34年)に現在の鋼桁橋に架け替えられたため、現存しない。
大学 の女性門戸開放発祥の地(日本初の女子大生 誕生の地)
1913年(大正2年)、東北帝国大学 理科大学(現東北大学 理学部 )に黒田チカ 、牧田らく 、丹下ウメ ら3人の女性研究者が入学したのが始まり。
地下駅 ならびに地下鉄 開業の地
1925年(大正14年)、宮城電気鉄道 によって開設された仙台駅 とそこに至る路線は日本初の地下駅 ならびに地下鉄 とされている。
日本初の地下鉄 である東京メトロ銀座線 の開業は、宮城電気鉄道仙台駅開業の2年後の1927年(昭和2年)。
鉄道 の交流電化 発祥の地
1955年(昭和30年)、商用周波数による交流電化試験のため国鉄仙山線 陸前落合駅 - 熊ケ根駅 間が試験線として交流電化されたのが始まり。
1957年(昭和32年)からは交流電化区間を同線仙台駅 - 作並駅 間に延長し営業運転を開始。
「センダイ」と名の付く動植物
センダイハギ (千代萩、仙台萩:Thermopsis lupinoides )
ムラサキセンダイハギ (紫千代萩:Baptisia australis )
原産地は北米。
センダイシダレ (仙台枝垂)
センダイヤ (仙台屋:Cerasus jamasakura 'Sendaiya' )、センダイヤザクラ(仙台屋桜)
仙台藩 から移住してきた佐伯氏が、現・高知県 高知市 中須賀で始めた「仙台屋」の屋敷に植えた桜 で、土佐藩 主・山内家 にも献上された[ 81] 。周辺住民から「仙台屋の桜」と呼ばれていたが、高知県出身で「日本の植物学の父」とされる牧野富太郎 が品種として命名した。センダイヤはサトザクラ 群の栽培品種 で、葉が赤く、花は一重で5枚の花弁が付き、ソメイヨシノ より数日遅く濃紅色の花を開花する。虫が付きにくいため、消毒作業による都市環境・自然環境への負荷が低い品種と考えられており、2002年 (平成14年)より神奈川県 横浜市 では青葉区 役所付近の鶴見川 沿いに植樹されて桜並木を形成しつつある[ 82] 。
センダイヨシノ (仙台吉野)
坂庭清一郎 が仙台市で、仙台周辺に多いヤエベニシダレ (八重紅枝垂)と、ソメイヨシノ(染井吉野)とを交配して作った八重咲き の桜の一品種(→榴岡公園 )。
センダイソウ (仙台草:Saxifraga sendaica )
ロシア人のカール・ヨハン・マキシモヴィッチ 博士によって命名された。紀伊半島 、四国 、九州 に自生し、仙台市には自生しない。
センダイゾウ (仙台象:Sinomastodon sendaicus )
絶滅種。
センダイムシクイ
スズメ目ウグイス科の渡り鳥。
センダイウイルス (Sendai Virus:Sev) (Hemagglutinating virus of Japan : HVJ)
石田名香雄 (元東北大学総長)らにより東北大学医学部で発見された。細胞融合 を起こすウイルス としてバイオテクノロジー の分野で重要視されている。遺伝子治療 において、導入する遺伝子 を目標組織の細胞に運ぶベクター として有望視されている。
出身関連著名人
作品
仙台を舞台にした作品
映画
テレビドラマ
テレビアニメ
ドキュメンタリー
バラエティ
ブラタモリ
「仙台 〜伊達政宗は「地形マニア」!?〜」(2015年7月11日、NHK総合 )
「仙台「杜」と「都」 〜“杜の都”の秘密とは?〜」(2015年7月18日、NHK総合)
小説
ノンフィクション
紀行文・俳諧
漫画
ゲーム
楽曲
脚注
注釈
出典
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参考文献
コンサイス日本地名事典 <第3刷> 編:三省堂編修所、出版:株式会社三省堂 、1989年12月15日第3刷発行。
関連項目
外部リンク
注: 順位は令和2年国勢調査時の市域人口による。
ウィキポータル :アジア - ウィキプロジェクト :日本
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