吉成(よしなり)は、宮城県仙台市青葉区の町丁。郵便番号は989-3205[4]。人口は2,545人、世帯数は1,155世帯(2024年1月1日現在)[1]。現行行政地名は吉成一丁目から吉成三丁目。全域で住居表示が実施されている[5]。旧宮城郡宮城町吉成、仙台市吉成[6]。
この記事では中山吉成、吉成台、南吉成、芋沢、中山台、中山台西、国見ケ丘についても扱う。
地理
吉成は、陸前丘陵の一部である七北田丘陵上にある。横向山・黒森山・権現森山の小字は、国道457号と東北自動車道(仙台宮城IC~泉PAスマートIC間)とに挟まれ、山林でほとんどが占められる。東北道の東側にその他の小字および住居表示実施エリア等が広がり、ベッドタウン機能を中心とした市街地になっている。国見山東麓が国見ケ丘(芋沢字臨済院を含む)で、東北道と国見山の間の標高200m前後に「吉成」と名の付く住宅地ほかが広がっている。この地域を、仙台市都心部(標高40m前後)から直線距離で北西5km前後を弧状に通る都市計画道路八乙女折立線(県道仙台北環状線)[注 1]が縦断しており、北側に隣接する泉区南中山辺りからイオン仙台中山ショッピングセンターや自動車ディーラー等が建ち並び、旧・中山街道を越えて青葉区に入って仙台南吉成タウンプラザ辺りまでがロードサイド店舗の抜きん出た集積地になっている。
町名の大字として残るかつての芋沢村は、広瀬川を境にその北岸に広がり(南岸は上愛子村および下愛子村)、西側の大倉村とは広瀬川の支流・大倉川とさらにその支流の夜盗沢とで概ね分けられていた[7]。芋沢村の南東側は郷六村(以上、1980年代半ばまでの宮城町の一部)、東側は荒巻村(1980年代半ばまでの仙台市の一部)、北側は実沢村(1980年代半ばまでの泉市の一部)で囲まれていたが、河川を用いた境界ではなかった。
この芋沢村は、南西側が愛子盆地を形成した名取川水系の流域であり[7]、同水系の広瀬川の支流・芋沢川沿いの平地(国道457号沿い)に村の中心があった。一方、北東側は七北田川水系の流域であり、塩沢川や吉成沢、あるいは梅田川の上流部にあたる[7]。
吉成はそのほとんどが七北田川水系の流域である。同地区の北辺をかつての中山街道(都市計画道路北山実沢線[注 2][8]として再整備予定)が東西に通り、同街道沿いの集落や仙台側の起点である北山地区(あるいは北仙台)との関りが深い。そのため、かつて当地で産出された薪炭は北山に運ばれ、また、当地の児童たちは昭和初期には七北田小学校荒巻分校(北山地区にあった)に委託通学していたと言われる[9]。ここに双葉綜合開発が手掛けた広大な住宅団地である「中山」に隣接して中山吉成が造成され、当地の市街化が始まった。続いて煉瓦業者だった伊勢産業が、吉成山にある煉瓦用採土地を転用して伊勢吉成団地を造成した。
一方、南吉成の南部は名取川水系の流域である。現在の南吉成7丁目にあたり、かつ、吉成地区のかつての中心だった芋沢字大石ケ原(大石原とも書く)には芋沢街道(都市計画道路川内南吉成線[注 3][8]として再整備予定)が東西に通り、同街道の仙台側の起点である八幡町との関りが深い。そのため、かつて同街道沿いで産出された農産物や薪炭は八幡町に運ばれた。また、大石ケ原周辺の児童はかつて仙台市立八幡小学校に委託通学していたとされる[10]。
- 山
歴史
戦後開拓
吉成における戦後開拓[12][13]
地区名
|
入植年
|
入植戸数
|
苦地地区吉成
|
1950年
|
26戸
|
吉成山
|
1948年
|
44戸
|
吉成
|
1958年
|
01戸
|
国見山
|
1946年
|
10戸
|
国見第二
|
1960年
|
02戸
|
住宅地開発
吉成の住宅地開発(2007年度まで、北西から記載)[14][15]
開発名
|
造成主体
|
現住所
|
造成時期 (年度)
|
面積 (ha)
|
計画
|
戸数 (戸)
|
人口 (人)
|
第二中山吉成 (グリーンパークタウン中山台)
|
土地区画整理組合
|
中山台西
|
1998-2002
|
12.0
|
178
|
623
|
仙台市みやぎ中山 (中山台)
|
土地区画整理組合
|
中山台
|
1986-1992
|
40.1
|
991
|
3,469
|
中山吉成 (中山ニュータウン吉成)
|
双葉綜合開発
|
中山吉成
|
1970-1972
|
28.4
|
700
|
2,450
|
トヨタヒル吉成台
|
刈田くらよ トヨタ自動車
|
吉成台2丁目
|
1990-1991
|
9.1
|
210
|
735
|
国見南
|
土地区画整理組合
|
吉成台1丁目
|
1989-1991
|
1.9
|
60
|
210
|
伊勢吉成
|
伊勢産業
|
吉成
|
1971-1974
|
44.3
|
953
|
3,336
|
仙台吉成 (パークシティ南吉成)
|
土地区画整理組合
|
南吉成
|
1986-1991
|
97.5
|
1,428
|
4,998
|
仙台市国見 (国見ケ丘ニュータウン)
|
土地区画整理組合
|
国見ケ丘
|
1984-1988
|
66.2
|
1,800
|
5,544
|
国見第一
|
日本勤住協 県住宅生協
|
国見ケ丘5丁目
|
1984-1988
|
13.5
|
372
|
1,302
|
(合計)
|
|
|
|
313.0
|
6,692
|
22,667
|
年表
世帯数と人口
2024年(令和6年)1月1日現在の世帯数と人口は以下の通りである[1]。
丁目 |
世帯数 |
人口
|
吉成一丁目 |
447世帯 |
1,013人
|
吉成二丁目 |
343世帯 |
761人
|
吉成三丁目 |
365世帯 |
771人
|
計 |
1,155世帯 |
2,545人
|
施設
教育・スポーツ施設
観光施設
商業施設
著名な出身者
東北福祉大学野球場があるため、東北福祉大学硬式野球部所属の学生が当地に住み、仙台六大学野球連盟所属の大学出身のプロ野球選手たちも同球場で多くの試合を経験している。また、東北福祉大学ゴルフ部や東北高校ゴルフ部が宮城ゴルフガーデンで練習をしており、両校から多数のプロゴルファーが輩出されている[31]。
脚注
注釈
- ^ 3環状12放射状線の1つ。
- ^ 北山根白石線から改称。
- ^ 川内芋沢線から改称。
- ^ 現・仙台市青葉区吉成3丁目
- ^ 現・仙台市青葉区吉成2丁目1-11
- ^ 現・仙台市青葉区吉成2丁目
- ^ 2009年(平成21年)4月1日に、男子校の「仙台商業高等学校」と統合され、男女共学の「仙台市立仙台商業高等学校」として開校した。
- ^ 現・仙台市青葉区国見5丁目
- ^ 現・仙台市青葉区国見ヶ丘7丁目144
- ^ 名取川水系の広瀬川の支流である竜沢を跨ぐ。
- ^ 名取川水系の広瀬川、国道48号、仙台市道青葉5214号・石山竜沢線の3者を跨ぐ。延長L=200.0m。
- ^ 現・仙台市青葉区吉成1丁目11-27
出典
外部リンク