|
北仙台(きたせんだい)とは、宮城県仙台市青葉区にある北仙台駅を中心とした地域を指す総称である。
概要
北仙台(北仙台駅)、長町(長町駅)[注 1]、原町(陸前原ノ町駅)[注 2]は、江戸時代の仙台城の城下町の辺縁部にあり、国道・国鉄・仙台市電・私鉄・バス系統等の集積によって仙台市の郊外ターミナルとして昭和期まで拠点性を持って発展した。
しかし、バイパス開通や市電・私鉄の廃止、バスターミナルの閉鎖などで交通結節としての地位が低下した。さらに、仙台市が1989年(平成元年)に政令指定都市移行する際、仙台市が主導して形成する副都心として長町副都心(太白区)[注 1]、泉中央副都心(泉区)[注 3]、愛子副都心(青葉区宮城地区)[注 4]が、宮城県が主導して形成する副都心として仙台港副都心(宮城野区)[注 5]が指定されたが、副都心指定された4地区と違い、バブル景気期にあって新市街地形成や広くて直ちに再開発施行できるエリアが存在しなかった北仙台と原町は副都心に指定されず、市内における拠点性は失われていくことになった。
北仙台は現在、仙台市都心部に近接する、マンションが建ち並ぶエリアとなっている。また、北仙台商店会に加盟する店舗や仙台浅草など商業の集積を呈している。
区域
「北仙台」という地名は存在していない。
徒歩圏
住民基本台帳人口
(各年10月1日)[1]
町名
|
人口(人)
|
2014年
|
2012年
|
荒巻神明町 |
2,102 |
2,034
|
堤町3丁目 |
990 |
1,023
|
堤町2丁目 |
1,190 |
1,158
|
堤町1丁目 |
1,504 |
1,494
|
葉山町 |
1,734 |
1,738
|
青葉町 |
681 |
654
|
通町2丁目 |
1,286 |
1,302
|
昭和町 |
3,088 |
3,010
|
堤通雨宮町 |
2,299 |
2,287
|
台原1丁目 |
1,506 |
1,523
|
合計 |
16,380 |
16,223
|
JR北仙台駅から半径800m(徒歩10分相当)にある町丁を以下に示す。同範囲内にあって「北仙台」と名の付く建物・施設が無い町丁は、背景を灰色にしてある。また、同範囲内にあって「北仙台」と名の付く建物・施設がある10町丁の住民基本台帳人口も合わせて示す。
仙台市地下鉄南北線・北仙台駅南1出入口やJR仙山線・北仙台駅駅舎があり、かつて仙台市電北仙台線・北仙台駅前電停や仙台鉄道・北仙台駅があった「昭和町」(地図 - Google マップ)がこのエリアの中心的な位置にある。
なお、台原1丁目の北部や台原2丁目は地下鉄南北線・台原駅が最寄駅であり、柏木1丁目、堤通雨宮町の南部、上杉6丁目の南部などは地下鉄南北線・北四番丁駅が最寄駅である。
民間の施設
民間において、マンション・アパートなどの建物、店舗や金融機関などの施設に「北仙台」と名付けている例は昭和町に集中している。以下、「北仙台」と名付けられた民間の建物・施設の中で、各町丁においてJR北仙台駅から最も遠くにある例を示す(2014年時点)。
民間が任意に命名しているものであるが、「北仙台」と名付けられた建物・施設の分布は、昭和町の東・南・西には徒歩圏より狭い範囲にしか広がりを持たないが、北側の郊外方面には徒歩圏を超えて荒巻本沢街道[注 6]や旧奥州街道[注 7]に沿って広がりを持っている。
市の施設
1931年(昭和6年)、宮城郡七北田村(現・泉区の一部)のうち、仙台市の西から北にかけて接する旧荒巻村域および旧北根村域を同村から分割して同市に編入合併した(両エリアとも現・青葉区の一部)。市は、この両エリア内に設置した施設のいくつかに、北仙台駅の徒歩圏かどうかに関わらず「北仙台」と命名している。市が「北仙台」と命名した主な施設には以下のようなものがあり、いずれも民間で「北仙台」と命名されている建物・施設より郊外側に位置する。
歴史
仙台城の城下町を南北に貫いて北に向かう道には、西から、
の4本があった。堤通以外は、梅田川の河岸段丘で、城下町の北の端を形成する七北田丘陵(台原段丘)および北山丘陵上に並ぶ寺社の段丘崖下の門前で道の北端となる。これらの道や様々な小路の北端は、北山通により東西に繋がり、唯一、寺社により道の北端が形成されない堤通に集約され、台原丘陵を越えて奥州街道(松前道)となっていく。すなわち、北山通と堤通の交点は城下町の北の出入口となっており、江戸時代からの仙台の北の交通の要衝であった。
明治時代に奥州街道が陸羽街道に改称したのち国道(後の国道4号)となり、大正時代に入って仙台軌道(後の仙台鉄道)が青葉神社門前に通町駅を設置。昭和に入り、旧奥州街道の東に近接する宮城郡七北田村内に国鉄・仙山東線(後のJR仙山線)の北仙台駅が設置され、仙台軌道の北仙台駅も設置された。1931年(昭和6年)に仙台市が七北田村荒巻等を編入合併して北仙台駅が仙台市内となると[2]、勾当台通がそれまでの北端だった北四番丁より北に延長され、1937年(昭和12年)にはその新設道路を通って仙台市電北仙台線が新設されて北仙台駅前電停も設置された。このように軌道と道路が集積した当地は、仙台の北の交通の要衝としての地位を得た。堤温泉という宿泊施設も開業した[3]。
北仙台駅は、山形県方面からの行商が乗り降りする駅であり、1950年代は50人ほどが同駅を拠点として北仙台周辺を売り歩いた[4]。しかし、1960年代の仙台ではスーパーマーケットが急増し[5]、当地でも1966年(昭和41年)にトーコーチェーン北仙台店が開業して流通環境が変化した。
高度経済成長期以降は、北仙台駅北側の本山製作所(跡地は仙台市青葉体育館・仙台市武道館などになっている)における「本山闘争」[6]や宮城交通本社などの労働争議の舞台となる一方、広大な旧荒巻村や旧泉町の丘陵地の宅地開発により、それらのニュータウンからバス路線が集まる仙台市内の代表的な交通渋滞地区となった。そのため、毎朝のラッシュアワーには、自動車・バス・電車の集中による人と乗り物の混雑と、労働争議の怒号で騒然とした地区となっていた。
1980年(昭和55年)、市は本山製作所の移転を前提として、同地を含む6ヘクタールの再開発計画を策定し、北仙台を市の「サブコア」(副都心)とみなして地下鉄開業までに整備するとした[7]。しかし、本山製作所の移転の実現を見ぬまま、1987年(昭和62年)に仙台市営地下鉄南北線が開業[7]。さらに石井亨市長(1984年12月23日 - 1993年7月3日)の下、政令指定都市移行を目指して1988年(昭和63年)3月1日に泉市を仙台市に編入合併する過程で泉市の中心部を副都心化するバーター(泉中央副都心、参照)が生まれ、1990年(平成2年)に策定された「仙台市総合計画2000」で、北仙台は「副都心」の地位から「都心北部の交通拠点地区」へと格下げされた[7]。
現・宮城県道22号仙台泉線が国道4号となって拡幅され、国道4号仙台バイパスも開通するなど、自動車交通の分散が行われ、当地への車の流入は減少し、また、本山製作所や宮城交通が移転して労働争議も見られなくなった。静けさを取り戻した現在は、仙台市都心部北側のマンション林立地区へと変化した。また、2011年(平成23年)の東日本大震災後時点での行商は、山形県からの1人を残すのみとなった[4]。
なお、仙台軌道の通町駅~北仙台駅間の線路沿いと考えられる道沿いには、現在も仙台浅草という下町的な商店街があり、長町の旧・秋保電気鉄道沿いに発達した商店街と並んで、昭和における仙台市内の郊外ターミナルだった歴史が対比されることがある。
年表
主な施設
公共的な施設等
教育機関等
本社を置く企業
金融機関
脚注
注釈
出典
関連項目
外部リンク
仙台市の高層ビル(高さ80m以上) |
---|
市北部 |
| |
---|
都心部 |
|
---|
市南部 |
|
---|
位置一覧 | |
---|
|