独立行政法人労働者健康安全機構(ろうどうしゃけんこうあんぜんきこう、Japan Organization of Occupational Health and Safety)は、厚生労働省所管の独立行政法人。
機構は、療養施設、健康診断施設及び労働者の健康に関する業務を行う者に対して研修、情報の提供、相談その他の援助を行うための施設の設置及び運営等を行うことにより労働者の業務上の負傷又は疾病に関する療養の向上及び労働者の健康の保持増進に関する措置の適切かつ有効な実施を図るとともに、未払賃金の立替払事業等を行い、もって労働者の福祉の増進に寄与することを目的とする[1]。
沿革
独立行政法人として
- 2002年(平成14年)12月13日 - 独立行政法人労働者健康福祉機構法(平成14年法律第171号)が公布される。
- 2004年 (平成16年)4月1日 - 独立行政法人労働者健康福祉機構法の施行により、労働福祉事業団が廃止され、独立行政法人労働者健康福祉機構が設立される。労働福祉事業団の業務のうち、年金担保資金貸付業務を独立行政法人福祉医療機構に移管し、その他の主要な業務を継承する。
- 2010年(平成22年) - 民間出身者として初めて名川弘一・東京大学医学部附属病院副院長・教授が理事長に就任。
- 2012年(平成24年)4月1日 - 武谷雄二・前東京大学医学部附属病院長・教授が理事長に就任。
- 2016年(平成28年)4月1日 - 「独立行政法人に係る改革を推進するための厚生労働省関係法律の整備等に関する法律」(平成27年法律第17号)に基づき、独立行政法人労働者健康福祉機構が独立行政法人労働安全衛生総合研究所を統合し、中央労働災害防止協会に委託されていた日本バイオアッセイ研究センターの事業を追加して、独立行政法人労働者健康安全機構に改組される(同時に設置根拠法が「独立行政法人労働者健康福祉機構法」から「独立行政法人労働者健康安全機構法」に改名)。
- 2016年(平成28年)9月1日 - 本部が関東労災病院の隣接敷地へ移転。
事業
施設の運営
労災病院
- 労災病院 - 職業性疾病の予防、労働災害による被災者の治療からリハビリテーションまでの労災医療を実施する。32の病院(吉備高原リハビリテーションセンター、総合せき損センターを含む)と2つの分院を持つ[2]。
- このうち、釧路・東北・千葉・浜松・富山・中部・旭・大阪・関西・和歌山・岡山は近年、表記を「労災」から「ろうさい」に表記変更している。ただし、一部は看板などに「労災」の表記を残している。
- 鹿島労災病院は「神栖済生会病院」に吸収合併され「社会福祉法人恩賜財団済生会神栖済生会病院」となったため、現存しない。
- 燕労災病院は新潟県に移管され、「新潟県立燕労災病院」へ改称し、2025年には「新潟県立県央基幹病院」に名称変更する予定。
労災委託病棟
以下の病院に労災委託病棟を設置し、管理を病院に委託している。
労災看護専門学校
9つの労災病院に附設されている。
労災疾病研究センター
労災病院に設置、臨床研究を行う。
センター
高尾みころも霊堂
産業災害により殉職した人の霊を慰めることを目的として、1972年(昭和47年)6月に設置された[3]。産業殉職者合祀慰霊式の挙行などの行事が催されている。拝殿、祭祀室、納骨室を持つ。合祀殉職者総数は218,767名(2006年(平成18年)分を含む)、納骨数は6,623体(2008年(平成20年)3月末現在)である。焼き場は備えていない。
未払賃金の立替払事業
労災保険を原資とした未払賃金の立替払事業を行っている(会社倒産時に借り入れ可能な金は、医療費だけでなく、あらゆる用途に使える)。
かつて存在した事業
労災リハビリテーション作業所
労働災害によるせき髄損傷者や両下肢障害者を対象に、社会復帰の促進を図るために必要な生活、健康、作業などの管理と自立更生の援助を行う施設である。全国に6箇所(宮城作業所、千葉作業所、福井作業所、長野作業所、愛知作業所、福岡作業所)に設置されていた。現在すべて閉鎖されている。
情報公開
調達関係情報
調達における随意契約の比率は激減している[要出典]が、平成18年度実績では件数ベースで67.7%、金額ベースで71.8%と公開されている。なお、この情報開示は、総務省が共通フォーマットを作成し、全ての独立行政法人に平成18年度と19年度の間での随意契約の見直し状況を開示するよう求めた決定に基づくものであり、これを開示していない独立行政法人があれば、監督省庁からの指導への違反である。
脚注
関連項目
外部リンク