ランドクルーザー(英字表記:LAND CRUISER、英称:Toyota Land Cruiser)は、トヨタ自動車が1951年(昭和26年)から製造・販売するクロスカントリー車である。日本では「ランクル」の愛称が広く通用する[注 1]。
ランドクルーザーは世界的に有名なクロスカントリー車のひとつであり、その耐久性は世界中で高い評価を受けている[1]。そのため特に、高価格で高級感が高まった80系以降のモデルが自動車盗難の筆頭として広く知られているほどである[2]。
「ランドクルーザー」という車名は「ジープBJ型」に代わって1954年(昭和29年)6月より使用されており、現在新車として販売されている車種(2023年〈令和5年〉11月時点)且つ、一つの車名で継続生産されている日本製の自動車の商標としては70年を超える最も長い歴史を持つ[注 2]。
当初はジープ型の幌モデルのみでスタートしたが、55、56型登場以来5ドアの大柄な車体と先進および高級装備を持つ「ステーションワゴン」、主に業務用途向けとして多彩な車種を展開する「70ヘビー系」(ヘビーデューティ)、そして、「70ライト系」(ライトデューティ、日本国内での車名はランドクルーザーワゴン)から発展した「ランドクルーザー プラド」→「ランドクルーザー250」という、車格も仕様も異にする三系列が並行して生産・販売されている[注 3]。 現行のステーションワゴン系の車種は、ランドクルーザー300であり、100系、200系時代は、欧州など仕向け地によっては車名がランドクルーザー V8となっていた(100系の欧州名はアマゾン = Amazon)。
2020年代現在のヘビー系車種は、三系列体制となって以来、依然として70系である。長大な車体を持つ78と79を中心に世界各国に向けて輸出が続けられている。日本国内向けでは、排気量の縛りがなく、維持費の低廉な貨物登録(1、4ナンバー)のディーゼル車であったため[注 4]マニアックな層に人気があったが、自動車から排出される窒素酸化物及び粒子状物質の特定地域における総量の削減等に関する特別措置法およびPM規制条例により、2004年(平成16年)7月に販売を終了していた。復活を望むファンの強い要望に応え、70系誕生30周年を記念して2014年(平成26年)8月25日~2015年(平成27年)6月30日生産分までの期間限定で約10年ぶりに国内販売[3]、それから約8年後の2023年(令和5年)11月29日に日本国内向けでは2004年(平成16年)の販売終了以来約14年4ヶ月ぶりの搭載となるディーゼルエンジン仕様とし、外内装デザインの変更や予防安全を含めた新たな機能も盛り込まれ、通年モデルとして再度日本国内での復活を遂げた[4]。なお、2021年(令和3年)発売の300系で日本国内向けにも、乗用車の排出ガス規制に適合するディーゼルエンジンが復活している。
2012年(平成24年)までのランドクルーザーシリーズの総合生産台数は約729万1000台となっている[5]。
2019年(令和元年)9月20日に、ランドクルーザー プラドやレクサスブランドで発売されているLX及びGXを含めたシリーズのグローバル累計販売台数が同年8月末時点で1,001.5万台となり、初代BJ型の発売から68年間で1,000万台を突破したことが発表された[6]。
太平洋戦争中に陸軍の指示によってトヨタが少数を生産した四式小型貨物車こと「AK10型」四輪駆動車は[7] [8]、フィリピンで鹵獲された通称「バンタム・ジープ」をコピーして設計された。その際軍部から、敵方との識別のため「外観はジープに似せないこと」とする旨の指示があった。機能がそのまま外観に表れるジープを模倣する上でそれは容易なことではなかったが、生産型は資材の窮乏も伴い、木材なども用いた簡易な外装に一つ目ランプという、いわゆる「戦時型」となり、結果的にまったく別物の外観となった。
AK10型では、1939年(昭和14年)以降に試作されていた中型乗用車のトヨタ・AE型乗用車(英語版)[9]に搭載されていた初代C型エンジン(水冷直列4気筒 2,585 cc)と3速手動変速機、2速副変速機、トランスファーが組み合わされており、機構的にBJ型以降のランドクルーザーとは直接のつながりはない。しかし、AK10型の試作により設計主任の森本真佐男技師をはじめ、トヨタの技術者が得られた経験値は大きく、AK10型の残存部品はBJ型の開発の際にも大いに役立ったとされている[10]。
また、トヨタは戦時型のKC型トラック[11][注 5]の開発と並行して、これのドライブトレインを四輪駆動(総輪駆動)化したKCY型四輪駆動トラック[12]を設計し、1943年(昭和18年)6月に試作車を完成させた。しかしKCY型は量産されず、このシャシは水陸両用軍用トラックのスキ型4輪駆動水陸両用車[注 6]として日の目を見た。これらはAK10型とは異なり、大排気量の初代B型エンジンを搭載したトラックが母体となっており、後のBJ型にも通ずるシャシ構成であり、トヨタ自身もKCY型やスキ車の設計がBJ型やランドクルーザーの直接の基礎となったと記述している[10]。
警察予備隊(現・陸上自衛隊)への納入を狙い、トヨタ・ジープBJ型として開発され、1951年(昭和26年)に試作車が完成した。
シャシは同社の1,000 cc級小型トラック、トヨペット・トラックSB型[13][14] の梯子形フレームを補強・改良したものに、SB型同様の4輪リーフリジッドのサスペンションを備えている。シャシ強度を高め、後輪駆動を基本に、トランスファーの切り替えで前輪も駆動可能な四輪駆動仕様とした。
エンジンは当時、4 t積大型トラック[15]や大型バス[16]などに用いられていたシボレーエンジンの亜流設計である直列6気筒OHV・3,400 ccの初代B型ガソリンエンジン[17][17]を搭載した。この当時、トヨタで量産されるエンジンは、小型車用1.0 L・直列4気筒のS型と大型車両用3.4 L・直列6気筒のB型という両極端なクラスの2種しかなく、2.2 L級であったウイリス・ジープに比肩する性能・クラスの4気筒エンジンがなかった(AK-10に搭載されたC型エンジンがウイリスと同級だが、戦後も量産化されなかった)ため、排気量の大きなB型を搭載した。
トランスミッションも大型トラック用を流用した。トルクに余裕のある粘り強いエンジン特性と合わせ、トランスミッション、ファイナルギア共に歯車比が低いことから、副変速機は備えていない。「B型」エンジンを搭載した「Jeep」型車ということで、型式は「BJ型」となった。
警察予備隊の車両採用試験には、トヨタBJのほか、日産・4W60型も参加したが、入札の結果、実績のあるウィリス・ジープのノックダウン生産車(当時)である三菱・ジープが採用された。他の2車は敗れ、当初の目的は果たせなかったが、その後国家地方警察(国警:こっけい)のパトロールカーとして採用された。
トヨタ・BJは基本型の「BJT型」(ツーリング)、無線連絡車の「BJR型」(ラジオ)、消防用シャシの「BJJ型」(略号Jの意味は不詳)の3タイプがカタログモデルとされ、その他の「変り型」は特装扱いとした。その後、消防活動中の運転条件が厳しい消防用シャシには、1949年(昭和24年)に登場したF型エンジンが設定された。
1955年(昭和30年)8月、ランドクルーザーは初めてのモデルチェンジを受け、20系となった。
ホイールベースはショート(#J21、25等)の2,285 mmと、やや長いミドルの(#J24、28等)2,430 mmの二種類でスタート、後にロング(FJ35V、2,650 mm)が追加される。
エンジンは従来のB型(初代)ガソリンエンジン[注 7]に加え、先代では消防用シャシ専用であったF型ガソリンエンジン[注 8]が1955年(昭和30年)11月から設定され、後にほとんどの車型で両方のエンジンが選べるようになった。
トランスミッションは前進4速・後退1速の手動式、副変速機は無く、トランスファーはリアセンタースルー式で、それぞれの操作はフロアシフトである。 国家地方警察(国警)のパトロールカーをはじめ、ラインナップの約半数が二輪駆動(後輪駆動)であることも20系の特徴である。
ボディーはソフトトップ(ショート/ミドル)、ハードトップ(ショート/ミドル)と、ピックアップ(ミドル)、バン(ミドル)、消防用シャシ(ミドル)。後にロングの4ドアステーションワゴンが加わった。これら以外に特装もあった。
この20系より各国に見本車を送り、輸出を開始した。特に北米では、市場に適合せず商品として通用しなかったトヨペット・クラウンRS型に代わり、米国トヨタ(現・TMS)の販売・経営を支えた。トヨタB型・F型6気筒は元々シボレーOHV6気筒のコピー設計が出自であるため、乗用車・トラックに6気筒シボレー車が広く普及した北米市場ではシボレーエンジンと取り扱いの多くが共通するメリットがあり、4気筒のジープに比してパワーが大きいことと相まって販促に役立った。
1959年(昭和34年)、輸出の好調を受け、4ドアボディを与えられた、ランクル初の本格ステーションワゴンが追加された。型式は、20番台が全て使い切られていたため、30番台でロング(一の位が5)を表すFJ35Vとされた。このモデルの車体生産は荒川板金工業ではなく、すでにワンピースボディのFJ28VA[18]の生産を分担していた岐阜車体工業の担当となった。40系へのモデルチェンジまで一年を切った時期に投入されたFJ35Vは、実質的には40系のFJ45V(初代)の前倒し生産といえるもので、日本国外の旺盛な需要の前に逼迫した当時の状況がうかがえる。
1960年(昭和35年)1月発売開始。20系をフルモデルチェンジして登場。すでに20系が30番台の数字を使っていたため、型式は40とされた。
1984年(昭和59年)11月に70系にフルモデルチェンジされるまで24年にわたり販売され続け、超ロングセラーモデルとなった。北米においても、1960年代前半まではトヨタの最量販車種であった。
そのため、途上国を中心に世界各国で業務用として長年にわたって重宝され、また、趣味の世界でも、「ヨンマル」、「フォーティー」などの愛称で親しまれ、多くのマニアや愛好家に大切にされている。 特に北米での人気は根強く、ランドクルーザープラドをベースに誕生したFJクルーザーのデザインモチーフともなった。
2017年(平成29年)11月、「2017日本自動車殿堂 歴史遺産車」の1台に選ばれた[22]
TOYOTA GAZOO Racingは2021年(令和3年)8月1日に、「GR Heritage Parts」プロジェクトの一環として、40系向け補給部品の復刻を行う事を発表した[23]。
乗用車ムードあふれるユニークなボディースタイル、クロスカントリー車という特異な車であるにもかかわらず、乗用車を上回る安全性。 高出力エンジンと理想的な車両重量配分と抜群の高速性能、と当時の解説書にはある。
北米市場を強く意識したモデルでランドクルーザーシリーズとしては初めて、工業デザイナー(社内)によるスタイリングを採用している。
北米でムース(ヘラジカ)とあだ名されることとなったフロントまわりや大きくへこんだスライド式(電動昇降式)のリアウインドウなどそれまでの常識にとらわれない独特のスタイルとなった。しかし現場経験のない若手デザイナーが担当したことから、パネル割りに不慣れな部分が多く、生産開始後もライン上でハンマーによる修正が必要となり、品質が安定するまでには多くの月日を要する結果となった。
北米の保安基準に適合させるため、インストゥルメントパネルは発泡ウレタンのパッドで覆われ、ステアリングホイール中央にも大型パッドが設けられた(その後40系と共通の小ぶりのものに変更)。
パワートレインとドライブトレインは40系と全く同じで、当時125馬力となっていたF型ガソリンエンジンにコラムシフトの3速M/Tが標準の組み合わせで、オプションでフロアシフトの3速又は4速M/Tが選べた。3速M/Tは1速とリバースがノンシンクロであった。ファイナルレシオ(デフの減速比)は3.700が標準とされた。トランスファーはギア伝達のオフセット式で2速の副変速機を備える。トランスファーコントロールレバーはフロア配置の1本のみで、PTOウインチなどの使用を考慮したニュートラルポジションを持つ2H・4H・N・4Lの4ポジションである。
北米以外の仕向け地についても、トヨタは55型にディーゼルエンジンを最後まで与えなかった。その点にこのモデルのポジショニングが良く表れている。より実用的なモデルが必要な仕向け地には、1973年からH型ディーゼルエンジン搭載のHJ45[注 11]の各タイプが用意され、それを補っていた。
当初の予定どおり、生産台数のほとんどが北米をはじめとする世界各国へ輸出された。国内では業務用として多くの納入実績を誇ったが、高価であったこと、小型車枠を超えていたこと、ディーゼルエンジンがなかったことがネックであったと言われ、個人向けの販売は振るわなかった。
50「系」の開発計画は当初、ショートホイールベースの2ドアハードトップとロングホイールベースの4ドアステーション・ワゴンの二本立てであり、その時点では50「系」であった。2ドアモデルは1/10クレイモデルによるスタイリング検討まで行われており、このモデルが生産されていれば、FJ50型を名乗るはずであった。しかし、北米での販売が好調であったFJ40とのバッティングの可能性、販売価格、荒川車体の生産能力などを考慮した結果、2ドアモデルの計画は中止されることになった。50番台の55、56型が50「系」ではなく、「型」と呼ばれる理由はここにある。
ちなみに50「系」(Series J5#)はトヨタ・ド・ブラジル(en:Toyota do Brasil)が生産する、ランドクルーザーのノックダウンから発展した「バンデランテ(Bandeirante、ポルトガル語版、英語版)のFJ251系(1958年 - 1962年)、OJ50系(1962年 - 1994年)、BJ50系(1994年 - 2001年11月)が該当する。
1980年(昭和55年)8月、ステーションワゴン56型(日本国外は55型)の後継車種として登場[24]。40系以来の構成から脱却、独立して本格ステーションワゴンを目指したモデルである。フロントの独立フェンダーを廃止することで先代のイメージは完全に払拭され、当時北米で人気だったステーションワゴン然としたスタイルに生まれ変わった。このボディーの基本デザインはこの後も大きく変わらず、クロームメッキバンパーやバックドアに上下開きタイプが追加されたり[注 12]、ドアミラーの採用やハイルーフ仕様の設定、サイドステップやオーバーフェンダーの設定など、時代に合わせた装備の追加、変更が数多く行われた。
デビュー当初から前期の60系に設定されていたボディカラーは、ホワイト、フリーボーンレッド、トラディショナル・ベージュ、フィールライクブルーの4色[注 13]。HJ60Vなどにハイルーフ仕様が設定された後期型になると、上級グレードにワイルドステージ・トーニング(上半シルバー、下半濃紺系メタリックの2トーンカラー。内装はグレー)やベージュメタリック(やや薄い茶色メタリック)が加わり、オプションでそれぞれのカラーに合わせたサイドストライプ(塗装ではなくデカールのステッカー)が用意されていた。
拡大されたボディーの恩恵を最大限に利用して居住性の向上が図られ、インテリア面でもそれまでのモデルからラグジュアリー性が高められており、室内カーペットなど乗用車化が進んだ。とりわけ「Gパッケージ」と呼ばれる上級装備オプションの設定や、後期モデルから行われた装備やトリムの違いによるグレード設定も、インテリアの進化を加速させる。また、上級グレード装備やオプション装備の中には、電動アジャスタブルシートや電動ムーンルーフ、フロントシートヒーター、オーバーヘッドコンソールといった豪華装備も用意され、その後の贅沢SUV路線に先鞭を付けた。
ガソリンエンジンは56型(日本国外は55型)から変わらず6気筒・4.2 Lの2F型であったが、新たにランクルでは初となる6気筒・4.0 Lの2H型(日本国内は1982年〈昭和57年〉から)と4気筒・3.4 Lの3B型の2種のディーゼルエンジンが設定される。ステーションワゴンのラインナップに初めてディーゼルエンジンが加わった。 このモデルは販売から40年近くが経過しているが後継モデルの80系や100系と比較してボディサイズが一回り小さく、運転のしやすさから2020年代になっても実働車が数多く、中古市場では高い人気がある。
1984年11月、70系のライトデューティー版派生種として登場(日本国内は1985年〈昭和60年〉10月)。
1990年4月、4ドア・セミロングボディーの追加に伴い、「PRADO」(プラド)のサブネームが与えられる。(以降の詳細はトヨタ・ランドクルーザープラドを参照)
ボディサイズが60系よりも一回り大きくなり、よりメインマーケットの北米、中東、オーストラリアに向けたモデルとなる。80系は55型以来のトラック然とした成り立ちから、内外装の質感向上と装備の充実により、高級スポーツ・ユーティリティ・ビークル(SUV)へと性格が変化した最初のモデルであると言える。しかし、従来同様の強靭なラダーフレームと前後リジッドアクスルという構成を維持し、さらに、サスペンションスプリングがリーフスプリングを凌ぐ乗り心地と長大なストロークを持つコイルスプリングとなったため、オンロードでの快適性と操縦安定性が大きく向上し、オフロードにおいても従来型を超える高い走破性を持つこととなった。
また、60系や70系同様、オプションで前後アクスルデフのロックも選択可能で、操作・作動も60系のワイヤー式から電動式へ変更された。
80系の後継として誕生した100系は、半世紀にわたり世界の悪路を走ってきたランドクルーザー・ファミリーの中で、極めてタフで実用性の高いクロスカントリー車から、さらにタフネスさを高めつつ高級車の素養をも身につけたプレミアムSUVへと大きな飛躍を遂げたモデルであり、トヨタ自らが「トップ・オブ・SUV」と宣言し、トヨタSUVの最高峰とされた[27]。100系は歴代初のV8ガソリンエンジンが搭載され、先代80系で初採用されたフルタイム4WD方式に電子制御の磨きがかかり、さらに悪路走破性と乗り心地を高次元で融合させたスカイフックTEMSを導入。その上でインテリアに本革のシート&トリムや木目パネルを多用するなど、V8エンジンの静粛性や最新技術と高級装備は発売後から好評で、日本では「オフロード界のセルシオ」と言われることもあった。アメリカ合衆国においては、所有者の世帯収入の中央値が20万ドル(約2,400万円)以上という高級車となった。
80系同様にワゴンとバンの仕様があり、グレードは下からVX、VXリミテッド、VXリミテッド Gセレクション、そして途中追加されたレクサスLX470の国内版のシグナスがある。
日本市場ではレクサス・LXのバッジエンジニアリング車が、「ランドクルーザーシグナス」の名称で発売された。同モデルは4灯ヘッドライト、大径クロームメッキホイールという外観の違いがある。Gセレクション同等の装備に加え、レクサスLX 専用装備となる電動リアクォーターウインドウ、エンジンフードやドア内部の遮音材が追加されている。また、足元灯、ムードランプ(センターコンソール用ダウンライト)、インナードアハンドルランプ、ステップランプなど、照明関係も充実している。
日本国内の一般向けモデルのバックドアは上下開きのみの設定となったが、機動隊の現場指揮官車や、日本道路公団のパトロールカーとして納入されているモデルは、バックドアが左右非対称の観音開きとなっている。
月間販売台数は常に2,000台以上を維持しており、ライバル車の日産サファリ、三菱パジェロを大きく突き放し好調な売り上げを維持していた。また、高価格と人気を反映して、日本ではランドクルーザー100だけを狙った窃盗団による窃盗の被害が90年代後半~2000年代中盤にかけて多発した。
フロント独立懸架化によって高いオンロード性能を手に入れた100系ではあったが、相変わらず過酷な状況での耐久性や悪路走破性、積載性など80系で好評だったワークホースとしての性能が求められ、コルゲーテッドロード(Corrugated road または Washboarding)と呼ばれる洗濯板状の未舗装路を多く持つオーストラリアなど一部の国からの強い要望で、実績のない前輪独立懸架に対する担保としてボディは100系としながら、エンジンや駆動系などのシャーシーは80系を踏襲、足回りは前後リジッド式コイルを採用した「105型」と呼ばれる特殊な海外専用仕様が設定されている。
主に国連やオーストラリア向けとして輸出され、エンジンは80系と同じ4.5リッター直6ガソリン1FZ-FE型と4.2リッター直6ディーゼル1HZ型のみの設定である。また、ガソリンエンジンには5MTも存在する。内装は国内仕様にはないベンチシート、ビニールフロアの簡素装備なスタンダードグレードの他、装備を充実させた「GXL」グレードも用意されていた。
オーストラリア向けは、70系トゥループキャリアー同様、予備の燃料タンクを持ち(合計180L)、インパネに追加燃料計とメインタンクへ汲み出すポンプ用スイッチを装備する。
オーストラリアでは大変な人気を獲得し、キャンピングカーや作業車のベース車両として活躍。少数ながら日本に逆輸入された個体も存在する。
200系は歴代のランドクルーザーを意識させるデザインであり、これまでのランドクルーザーの走破性はそのままにさらに豪華な内外装が与えられている点が特徴で、国内価格も400万円を大きく上回る。国内での目標月間販売台数は700台と発表されている。2008年(平成20年)には100カ国以上で販売され、グローバルな目標年間販売台数は10万台と発表されている。
グレードはZX(2009年〈平成21年〉4月に追加)、AX Gセレクション、AX、GX(2010年〈平成22年〉7月追加)がラインアップされている。
駆動力は、デフロック機構を有するトルセン式センターデファレンシャルギアにより、解放状態の時は、前後40:60で配分されるが、路面状態や走行状態に応じて、前後30:70~50:50の間で変動する。 トランスファーは、サイレントチェーンを用いる駆動方式で、ギア比はH4選択時に1.000、L4選択時に2.618となる。
2021年(令和3年)6月10日(日本時間同日2時30分、UAE時間6月9日21時30分)、フラッグシップモデルとなるステーションワゴンタイプを14年ぶりにモデルチェンジ、中東地域を中心にオンラインで300系が世界へ初公開された[40][41][42][43]。日本国内においては公式発表前の予約の段階で注文が相次ぎ、年間計画台数(5,000台)の3.6倍となる18,000台の受注を記録し、納車は5年待ちになるという異例の事態となり[注 20]、納車を待っている最中に仕様変更が行われ「新車なのに仕様が古い」という事態を避けるためにトヨタ自動車は受注を一旦停止することを2022年7月1日に発表した[45][46]。
全体のスタイリングは200系後期型からのキープコンセプトであるが、フロントグリルはさらに拡大され、グリル横方向のバー、リアコンビネーションランプ、ホイールアーチ形状などで水平基調となっている。
300系ではランドクルーザー初の「GR SPORT」を設定。外内装の変更だけでなく足回りを強化するといった専用装備が盛り込まれている。
2023年(令和5年)8月2日に新たな中核モデルとして位置づけられる250系がワールドプレミアされ、プロトタイプを披露するとともに、主な概要も発表された[49][50]。
プラットフォームは300系と同じGA-Fプラットフォームとし、電動パワーステアリングやトヨタブランドで初採用となるフロントスタビライザーの状態をスイッチ操作で切り替えることが可能なSDMが採用される。
エンジンには2.4Lガソリンターボ(ダウンフォースエンジン)のT24A-FTS型、2.7Lガソリンの2TR-FE型、2.8 L直噴コモンレールディーゼルターボの1GD-FTV型の3種類が用意され、ディーゼルターボには48 Vマイルドハイブリッド、ガソリンターボにはパラレルハイブリッドと、環境性能向上(排出ガス規制対応)のため、ランドクルーザーでは初となるハイブリッド仕様も設定される。
日本では2024年(令和6年)4月18日に発売が開始され、エンジンは150系で実績のあるガソリンとディーゼルターボの2種類を改良のうえ設定。「VX」と「ZX」をベースにした特別仕様車の「First Edition」が設定される。
その高い走破性と耐久性を買われ、1979年の第1回パリ=ダカールラリーには25台ものランドクルーザーが参戦するなど、古くからラリーレイドに参戦するプライベーターに愛用されてきた[51]。1985年にはFJ60がパリ=ダカールラリーで総合3-4位を獲得している。
1995年にはトヨタの子会社であったアラコが「トヨタ・チーム・アラコ (TTAR)」を組織して、パリ=ダカールラリーの市販車無改造クラスに80系で参戦を開始。2004年にアラコの車体部門はトヨタ車体に吸収合併されたが、「チームランドクルーザー (TLC)」と名を変えて参戦を継続している。車両の競技用への改造は、フランスのコンストラクターであるSMGが担っており[52]、ゆえにマシンは左ハンドルとなっている。同活動は1995年から2023年現在までの28回の開催中、6連覇と10連覇を含む合計21回の優勝を手にしている。また2002年には総合でも9位に入った。近年のラリーレイドはプロトタイプの先鋭化、並びにサイド・バイ・サイド・ビークル(SxS、UTV)のような軽量バギーカーの大流行に合わせてルート設定が難化しているため、同クラスのエントリー数自体はごく僅かになっているものの、引き続き車作りのためにダカールでの活動を続けている。
また2007年から、チームランドクルーザーは愛知県の学校などから集めた廃油を精製したバイオディーゼルを燃料に用い始め、2012年には100%バイオディーゼルの燃料でダカール9,000kmを走破することに成功した[53]。これにより、軽油を用いた場合と比較してCO2排出量を60%軽減するとしている。ただしコロナ禍により2020年度は取り組みを停止している[54]。また2020年にはAT車(オートマチックトランスミッション)を採用して挑戦した。
2009年にはベルギーのプライベーターが、フィッシュ・アンド・チップスの屋台車仕様のHJZ79型ランドクルーザーで参戦。第1ステージが終了した後、実際にフィッシュ・アンド・チップスが調理され人々に振る舞われた。その後も無事に走り続け、総合58位で完走しきった[55]。
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