福岡市(ふくおかし)は、福岡県西部に位置する市。福岡県の県庁所在地であり、九州地方最大の人口を有する政令指定都市でもある。
九州地方の行政・経済・交通の中心地として同地方最多の人口を有する。東京23区を除いた全国の市でも横浜市、大阪市、名古屋市、札幌市に次ぐ5番目の人口(約166万人[1])を擁し、人口増加数・人口増加率ともに政令指定都市の中で首位(2020年国勢調査[2])。
概要
博多湾に面するこの地域は古来から博多(はかた)として認識されており、大陸方面への玄関口として利用されてきた。中世に商人による自治都市が形成され、戦乱で度々焼き払われながらも、豊かな町人文化を育んだ。豊臣秀吉の手で復興されたのち、黒田氏(福岡藩)が福岡城とその城下町を築いたことで、那珂川を境に西が城下町としての「福岡」、東が中世からの商人町・商業都市としての「博多」となった[注釈 1]。その後、江戸時代から明治時代初頭にかけて、武士の街である福岡と商人の街である博多という性格の異なる2つの街は共存していたが、1876年に福岡と博多は1つの都市へと統合されて「福博(ふくはく)」となり、その後、「福岡」と改称された[3]。
九州地方の行政・経済・交通の中心地であり同地方最大の人口を有する首位都市(プライメイトシティ)である。西日本(関西以西)においても大阪市に次ぐ人口を擁する都市である。同市を中心として福岡都市圏を形成している。県内および九州で第2位の人口を擁する北九州市(北九州都市圏)とともに形成する北九州・福岡大都市圏は都市単位の経済規模において、三大都市圏に次ぐ日本の四大都市圏に数えられる[3]。市内総生産は特別区部である東京23区を除けば、大阪市、横浜市、名古屋市に次いで国内4位であり、福岡市は三大都市圏に次ぐ高い経済力を持った都市である[4]。東京や大阪に本社を置く大企業が九州地方を統括する支店・支社が多数立地しており、支店経済都市としての性格もある。札幌市・仙台市・広島市とともに、日本三大都市に次ぐ規模を誇る都市として、通称「札仙広福」と呼ばれる地方中枢都市を担う一角である。
また、北九州市とともにグローバル創業・雇用創出特区として国家戦略特別区域に指定されている。香港の政情不安により他国に移転する可能性が生じた金融機能の受け入れを念頭に、2020年7月に政府が策定した経済財政運営の基本方針「骨太の方針」にて、世界・アジアの国際金融ハブ機能を担う都市として、東京・大阪・福岡が候補に挙げられたのを受け、9月に産学官が一体となった国際金融機能誘致「TEAM FUKUOKA」を設立。2023年12月時点でTEAM FUKUOKAが国内外から誘致に成功した企業数は23社にのぼり、今後天神ビッグバンや博多コネクティッドといった都心部の大規模再開発による新築オフィスが続々と完成を迎えるに連れ、その数は更に増えると見込まれている。地理的にアジアに近く、スタートアップ支援も充実している強みをアピールし、企業と人材を呼び込んで都市の成長につなげようとしており、政府が創設する「金融・資産運用特区」への指定を目指している。福岡市で開催される国際会議数は東京に次いで国内2位であり、国際会議観光都市にも指定されている[4]。市内郊外に位置する九州大学を筆頭に、14の大学や9の短期大学が立地する全国有数の「学生の街」であり、人口に占める学生の割合は政令指定都市の中では京都市に次ぐ第2位である[5]。
1899年の博多港開港や1911年の九州帝国大学(現在の九州大学の前身)設置に端を発して発展が進み、九州地方の中枢として位置づけられるようになった。1972年に政令市指定、1975年に山陽新幹線博多駅延伸および人口100万人突破、1979年に北九州市の人口を抜いて県内最大の都市となった。2010年以降、福岡市は人口増加数、増加率とも政令市の中で最も高く[6]、現在もなお年間1万人を超えるペースで増加傾向にある。2011年には京都市を、2015年には神戸市を抜き、全国でも5番目に人口が多い市となった[7]。2020年5月には人口が160万人を突破した[8]。
玄界灘の壱岐や対馬をはさんで大韓民国(韓国)があり、同国南部の主要都市である釜山までは福岡市から直線距離で200km程度[注釈 2] 、同国首都のソウルまでは約540kmである。また、中国の上海市までは同様に850km程度といずれも東京より近い。これらの事例のように、近隣諸国の主要都市がおおむね1,000km圏内に存在しているため、博多港、福岡空港から韓国や中国、台湾などのほか東南アジアの主要都市への国際航路が多く設定されており、これらの地域からの観光客が増加傾向にある。日本の森記念財団が2023年に発表した「世界の都市総合力ランキング」では世界42位、国内では東京・大阪に次ぐ3位に評価された[9]。福岡が評価対象になった理由に「居住」「環境」の分野で世界のTOP30に入ったことが挙げられている[10]。また、その国内版とも言える「都市特性評価」では京都市に次いで国内2位に評価された[11]。福岡市は国内でも非常に郷土愛の強い街ともされ[12]、三菱UFJリサーチ&コンサルティングが行った意識調査では、全国の主要都市の中で福岡市民の愛着度・誇り度はともに全国首位であった[13]。
都市構造
福岡市の都心は、天神と博多の両極がある(それぞれ江戸時代の福岡と博多に相当する)。天神地区は福岡市役所と西鉄福岡(天神)駅・福岡市地下鉄天神駅のほか、多数の百貨店やファッションビルが集積する九州最大の繁華街である。博多には九州最大のターミナル駅である博多駅があり、多数の新幹線や特急列車が九州各都市を結んでいる。空の玄関口である福岡空港も地下鉄で数分と至近距離であるため、博多駅周辺は大企業の支社が集積するビジネス街となっている。また、福岡市の特徴として西鉄バスが市民の足として定着しており、西鉄天神高速バスターミナルと博多バスターミナルを中心として、高速バスが都市間移動を担っている。天神と博多を隔てる那珂川の中州に形成された歓楽街は、中洲(なかす)として全国的に有名である[14]。中洲は西日本一の歓楽街とされ[14]、東京の新宿・歌舞伎町、札幌・すすきのと並んで、日本三大歓楽街の一つとされる[15]。天神・博多・中洲・長浜などで夜間に常設される屋台[注釈 3]の数は日本一[16] で、屋台目当ての観光客も多い。1996年には大型複合商業施設キャナルシティ博多が中洲の東側に開業、2011年には九州新幹線博多延伸に伴い博多駅に複合商業施設JR博多シティ(アミュプラザ博多、博多阪急)、2016年にはKITTE博多(博多マルイ)が開業した。もともとビジネス街だった博多駅周辺の商業施設の集積が進んでおり、天神地区との商業地競争が激化している(「天神流通戦争」も参照)。福岡都心の地価は年々上昇傾向にあり、天神木村屋ビルで1㎡あたり620万円、博多駅東(博多駅筑紫口)が1㎡あたり388万円と東京の一等地と比べても見劣りしない価格であり、東京都中央区東銀座の平均地価を上回っている[4]。福岡空港が中心市街地と近接している関係で市内中心部には航空法上の高さ制限が設定されており、天神や博多駅周辺には超高層ビルがほとんど存在しない状況であったが、天神・大名地区の高さ制限を緩和して民間のビルの建て替えを行う再開発計画「天神ビッグバン」が進行中である。
福岡市の主な副都心としては、西新や香椎、箱崎などが挙げられる。両者の周辺には高校や大学、専門学校が多数存在するほか、ウォーターフロント開発地区として、西新の北にはシーサイドももちが、香椎の西にはアイランドシティ(みなと香椎、香椎照葉)が隣接している。特にシーサイドももちには、福岡PayPayドーム・福岡市総合図書館・福岡市博物館・報道各社といった文化・エンターテインメント施設が集積している。天神や博多などの福岡都心は福岡空港に近く長らく超高層ビルが建てられなかったため、福岡市内の高さ100m以上の建造物の殆どが(比較的高さ規制の緩い)この両副都心の近辺にある。この両副都心ほど大規模ではないが他に福岡市の副都心として挙げられる地域は、大橋や姪浜がある。
地理
位置
九州の北部。日本海(博多湾・今津湾・玄界灘)に面した半月型の福岡平野の大半の部分を市域とする。北は博多湾の北辺に位置する砂州である海の中道・陸繋島である志賀島、西は糸島半島の東部まで市域となっている。南・南西は脊振山地に含まれる山間部まで市域が伸びており、佐賀県に接している。ほかに有人島嶼として、博多湾上の能古島や市の西部で博多湾口付近の玄界灘上に浮かぶ玄界島、そのさらに西北部にある小呂島を市域に含んでいる。
福岡市から壱岐・対馬を挟んで向かい側に朝鮮半島がある。日本の人口100万人以上の主要都市としては韓国のソウル特別市、中国の上海市、台湾の台北市に最も近い都市で、直線距離では東京特別区から約880km、大阪市から約480km、広島市から約200km、韓国の釜山広域市から約200km、ソウル特別市から約540km、中国の上海市から約890km、台湾の台北市から約1280kmの位置にある。
地形
市域の多くは福岡平野に含まれており、一部に小高い山なども存在するものの概ね平坦である。他の大都市と比べて平坦であるため、通勤や通学、買い物における自転車利用の利便性が高い。市域西部・西南部は脊振山地の一角を成しており、標高が1000mを超えているところもあり、起伏の大きい地形となっている。市街地の海岸部は大半が埋立地であり[17]、港湾・住宅などが建設されている。また、博多湾東部には人工島も建設されている(アイランドシティ)[18]。一方、西区の大部分や東区海の中道と島嶼部などには自然海岸も残っている。また、玄界島の北方約300mに黒瀬と呼ばれる幅200m程度の岩礁が発達している。黒瀬は、新生代第四紀に活動した福岡県唯一の火山島に分類され、玄武岩で構成されている。
市内を流れる河川としては、市域中心部を流れる那珂川・御笠川や市域東部を流れる多々良川、市域西部を流れる室見川などの二級河川はあるが、一級河川はない。従って自主水源に乏しくたびたび大規模な渇水(例:昭和53-54年福岡市渇水)に見舞われている。
長大河川はない一方で、前述のとおり平野周辺の山地から短い河川長とやや急な勾配で博多湾に流れ込む河川はおおむね市街地を経由しているため、集中豪雨があった場合に氾濫しやすく、それが福岡平野を形成したと見られるが、現代において都市治水上の課題となっている。
気候
日本海に面しており、温暖ではあるが冬季には大陸からの寒気の影響を受け、日本海型気候区の特徴を示す。なお、背振山地やその麓にあたる地域はそれよりも多くなる。冬季に日照時間が少なくなる点が太平洋側諸都市と異なり、年間日照時間は概ね1800 - 1900時間程度で、九州の他地域に比べてやや短い。冬季の日照時間は少ないが、降水量分布の観点では夏季に降水量のピークがあり冬季の降水量は少ない典型的な夏極大型の太平洋側気候であり、島根県以東の日本海側気候の地域と比べ冬季の10mm以上の雨日数と降雪量が極端に少ないという点で典型的な日本海側気候とは異なっている。
内湾に面している大都市のため、夏季は大阪市などと並んで昼夜を問わず大変暑さが厳しい地域の一つである。6月から真夏日が見られ、7月以降、9月にかけて真夏日の厳しい暑さが続く。1991 - 2020年平年値では8.1日(81 - 10年平年値5.5日)と、近年は猛暑日の観測日数も急増している。地勢的にオホーツク海高気圧の影響はほとんど受けず、チベット高気圧に覆われ暑い期間が安定して長く続く。特に夜間の高温が特徴的であり、深夜帯では南に位置する鹿児島市などよりも高く、那覇や石垣島など南西諸島の都市部を除くすべての気象観測点で最も高い夜間気温となる日も多い。ヒートアイランド現象が著しく、戦前からの熱帯夜日数の増加率が日本の主要な気象観測点で一番高くなっている(1936年 - 2007年にかけて10年で5.0日のペースで増加)。平年の熱帯夜日数は本土では大阪市、神戸市、鹿児島市に次いで多い38.7日で、実に1か月以上に及ぶ。猛暑日30日以上、熱帯夜50日以上となった年もある。九州という低緯度地域で夏期にはより湿った気団の影響を受けやすい上、市街地が博多湾に面しており湿った海風が入りやすく、気温に加え湿度が高い。そのため東京23区や名古屋市など東日本の主要都市と比べ不快指数や暑さ指数(WBGT、湿球黒球温度)が高く、体感的な暑さは厳しくなる。近年は特に夜間に気温が下がりにくくなっており、2018年8月22日には国内で8例目となる最低気温30℃以上、国内観測史上2番目に高い最低気温30.5℃(いわゆる超熱帯夜)を記録した。
冬季は北側の玄界灘を流れる暖流である対馬海流の影響を受けるため、都市化と相まって放射冷却効果は顕著に弱くなる。冬日は非常に少なく(平年2.5日)、全くない年もある。東京23区や名古屋市、京都市などと比べて冬の平均気温は約2.0℃高く、気温の面で温暖と言える。しかし北西季節風が吹きつけ、曇天の日が多く日照時間は太平洋側と比べてかなり少ないため体感気温は低めである。また比較的大陸に近いために西回りで強い寒波が流れ込みやすく、一時的に寒さが厳しくなり最高気温が0 - 3℃台となることもある。降水量は少ないが、降水日数は太平洋岸の諸都市よりやや多くなっている。平年の年間降雪日数は15.6日で、積雪は年1 - 2回、最大5cm程度で、積雪が全く無い年も珍しくない。これは、北西季節風の風上が朝鮮半島の影響で狭くなっている対馬海峡のため、北西季節風の海上吹走距離が短く、雪雲が発達しないためである。北西風型の冬型では、吹走距離が短く未発達の雲がかかる福岡市の積雪が0cm〜3cm程度なのに対し、東シナ海上の吹走距離が長く発達した雪雲がかかる鹿児島市が20cm以上の大雪になったという例も度々起こる。早良区南部(脇山・内野・板屋・曲渕)や山沿いでは積雪量はやや多くなるが、日本海側や広島市などの山陽地方の山沿いと比べても少ない。
年間の雷日数は25.5日と比較的多く、太平洋側と異なり冬季にもしばしば落雷が観測される。夏の晴天日のいわゆる夕立は少なく、首都圏のような中心部直撃の激しい雷雨や降雹はない。その分夕立による打ち水効果を期待できず、熱帯夜が多くなっている(平年値の統計期間は1991年 - 2020年)。
福岡市(福岡管区気象台)の気候
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月 |
1月 |
2月 |
3月 |
4月 |
5月 |
6月 |
7月 |
8月 |
9月 |
10月 |
11月 |
12月 |
年
|
最高気温記録 °C (°F)
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21.5 (70.7)
|
24.3 (75.7)
|
26.3 (79.3)
|
30.1 (86.2)
|
32.3 (90.1)
|
37.3 (99.1)
|
38.3 (100.9)
|
38.1 (100.6)
|
37.1 (98.8)
|
33.3 (91.9)
|
29.3 (84.7)
|
26.0 (78.8)
|
38.3 (100.9)
|
平均最高気温 °C (°F)
|
10.2 (50.4)
|
11.6 (52.9)
|
15.0 (59)
|
19.9 (67.8)
|
24.4 (75.9)
|
27.2 (81)
|
31.2 (88.2)
|
32.5 (90.5)
|
28.6 (83.5)
|
23.7 (74.7)
|
18.2 (64.8)
|
12.6 (54.7)
|
21.3 (70.3)
|
日平均気温 °C (°F)
|
6.9 (44.4)
|
7.8 (46)
|
10.8 (51.4)
|
15.4 (59.7)
|
19.9 (67.8)
|
23.3 (73.9)
|
27.4 (81.3)
|
28.4 (83.1)
|
24.7 (76.5)
|
19.6 (67.3)
|
14.2 (57.6)
|
9.1 (48.4)
|
17.3 (63.1)
|
平均最低気温 °C (°F)
|
3.9 (39)
|
4.4 (39.9)
|
7.2 (45)
|
11.5 (52.7)
|
16.1 (61)
|
20.3 (68.5)
|
24.6 (76.3)
|
25.4 (77.7)
|
21.6 (70.9)
|
16.0 (60.8)
|
10.6 (51.1)
|
5.8 (42.4)
|
14.0 (57.2)
|
最低気温記録 °C (°F)
|
−6.0 (21.2)
|
−8.2 (17.2)
|
−4.7 (23.5)
|
−1.4 (29.5)
|
1.4 (34.5)
|
4.3 (39.7)
|
13.8 (56.8)
|
15.4 (59.7)
|
7.9 (46.2)
|
0.4 (32.7)
|
−2.1 (28.2)
|
−5.4 (22.3)
|
−8.2 (17.2)
|
降水量 mm (inch)
|
74.4 (2.929)
|
69.8 (2.748)
|
103.7 (4.083)
|
118.2 (4.654)
|
133.7 (5.264)
|
249.6 (9.827)
|
299.1 (11.776)
|
210.0 (8.268)
|
175.1 (6.894)
|
94.5 (3.72)
|
91.4 (3.598)
|
67.5 (2.657)
|
1,686.9 (66.413)
|
降雪量 cm (inch)
|
1 (0.4)
|
1 (0.4)
|
0 (0)
|
0 (0)
|
0 (0)
|
0 (0)
|
0 (0)
|
0 (0)
|
0 (0)
|
0 (0)
|
0 (0)
|
0 (0)
|
2 (0.8)
|
平均降水日数 (≥0.5mm)
|
11.0
|
10.7
|
11.4
|
10.8
|
9.8
|
12.7
|
12.4
|
11.2
|
11.0
|
7.9
|
9.9
|
10.2
|
128.9
|
平均降雪日数 (≥0cm)
|
6.3
|
4
|
1.4
|
0
|
0
|
0
|
0
|
0
|
0
|
0
|
0.1
|
3.9
|
15.6
|
% 湿度
|
63
|
62
|
63
|
64
|
67
|
75
|
75
|
72
|
73
|
68
|
66
|
63
|
68
|
平均月間日照時間
|
104.1
|
123.5
|
161.2
|
188.1
|
204.1
|
145.2
|
172.2
|
200.9
|
164.7
|
175.9
|
137.3
|
112.2
|
1,889.4
|
出典:気象庁(平均値:1991年 - 2020年、極値:1890年 - 現在)[19][20]
|
地名
福岡市の地名を参照。
行政区
以下の7つの区で構成される(自治体コード順)。
人口はいずれも2024年11月1日時点の推計人口。
コード
|
区名
|
人口 (人)
|
面積 (km2)
|
人口密度 (人/km2)
|
40131-5
|
東区
|
337,405
|
69.46
|
4,858
|
40132-3
|
博多区
|
262,804
|
31.62
|
8,311
|
40133-1
|
中央区
|
214,349
|
15.39
|
13,928
|
40134-0
|
南区
|
271,663
|
30.98
|
8,769
|
40135-8
|
西区
|
213,383
|
84.16
|
2,535
|
40136-6
|
城南区
|
134,267
|
15.99
|
8,397
|
40137-4
|
早良区
|
224,915
|
95.87
|
2,346
|
|
合計
|
1,658,786
|
343.47
|
4,829
|
当初は5区体制で発足したが、1982年(昭和57年)に西区から城南区、早良区が分区された。
市街地構成
市の中央部にある天神地区(中央区)が市の中心部で、ここには数多くのデパートやビルが建ち並んでいる。天神から那珂川を挟んだ東隣には那珂川の本流と支流(博多川)に挟まれた中州地形部分があるが、そこが日本三大歓楽街の一つに挙げられる中洲である[15]。そのさらに東隣は「博多」の市街地である。その博多市街地の南東に博多駅が位置している。中洲から博多駅の間の一帯はオフィスビルやビジネスホテルなどが建ち並ぶビジネス街である。天神地区の西および西南に位置する大名、今泉、警固では、1990年代後半ごろから主に若者をターゲットとした店舗が増え、若者の町として急速に発展している。
大名から西へ行くと福岡城跡がある。さらに西方、天神から約4kmの位置には、福岡市の副都心を成す繁華街の西新地区(早良区)がある。同地区(中央区地行、西新、藤崎、百道にまたがる地区)の北側は1980年代に埋立により開発された土地で、シーサイドももちと呼ばれ、当時として新しい市街地が形成されている[21]。
市域東部の博多湾上においてアイランドシティ(東区)と呼ばれる人工島が建設中であり、2000年代後半から2010年代初頭ごろにかけて、港湾地区と住宅地の一部が竣工している。福岡市では、2000年(平成12年)前後から市東部のJR鹿児島本線、西鉄貝塚線沿線において土地区画整理事業や連続立体交差化事業などの市街地開発事業を実施しており、古くから東部の副都心とされる香椎駅・西鉄香椎駅周辺の香椎地区とJRの旧香椎操車場跡地を利用した新興市街地である千早地区との間、および箱崎地区と吉塚地区との間で整備事業が進んでいる。連続立体交差事業は、千早地区が2004年ごろ、箱崎地区が2004年3月、香椎地区が2007年3月に竣工した。また、土地区画整理事業は、箱崎地区、千早地区については2010年ごろまでにほぼ完了し、香椎地区についても2021年に完了した。
市内南部方面を網羅する、福岡高速5号線や福岡外環状道路を中核とする都市計画道路の整備も進み、2011年4月に福岡外環状道路が全線完成供用されるのと前後して、これに接続する新たな主要幹線道路が都市計画道路として整備されほぼ完成している。2012年7月には高速5号線が全線完成し福岡高速環状線となった。
市街地形成と関連した重大な動きとして、九州大学のキャンパス移転が挙げられる。本部を始め多くの学部が置かれていた東区の箱崎キャンパスと、主に教養部が使用していた中央区の六本松キャンパス(旧制福岡高校校地)を西区に新たに開発した伊都キャンパスに移転させる計画である。伊都キャンパスへの玄関口となる今宿から周船寺にかけての地区では伊都土地区画整理事業が実施され、西部地区に新たな拠点地域が整備された。キャンパス移転は2005年より開始され、同年には九大学研都市駅も開業している。一方、六本松キャンパスの跡地には複合施設・六本松421が開業し、福岡高等裁判所・福岡高等検察庁・福岡県弁護士会館などの法曹関係の施設も当地に移転した。箱崎キャンパスの跡地では「Fukuoka Smart EAST」計画のもと先進的な都市づくりが行われることとなっている。
このほか、駅周辺再開発事業により、福岡市地下鉄姪浜駅周辺の姪浜地区(西区)に新興の商業地が、西鉄大橋駅周辺の大橋地区(南区)にも既存商業地が、それぞれ発達している。
また、街路は、新しく建設された主要幹線道路においては無電柱化、街路樹の整備が促進されている[注釈 4]。
さらに都市景観上の大きな特徴として、郊外に超高層マンションが林立しているにもかかわらず、中心部に超高層ビルが存在しないことが挙げられる。これは中心部の至近距離に福岡空港が存在し、航空法の制限表面によりビルに高さ規制が掛かっているためで、博多駅地区では60m、天神地区でも70m程度までが限度となっている[22]。そのため、市では天神および博多駅周辺500m圏内のビルの建て替えなどに合わせて、「天神ビッグバン」・「博多コネクティッド」と称した大規模な市街地再開発事業に着手しており、国家戦略特区制度を活用して高さ制限の緩和が行われることとなっている。
福岡市全域のうち玄界島および小呂島を除く都市計画区域34,082ヘクタールのうち約半分にあたる17,710ヘクタールが市街化調整区域に指定されており[23]、新規に建築物を建築することなどが厳しく規制されているが、既存集落などにおいては、一定の区域を定めて、住宅などの一部の建築物の用途に限り、建築を認める制度が 福岡市開発行為の許可等に関する条例 で定められている[24]。福岡市においては2021年現在も人口が増加し続けており、郊外への開発圧力は依然として高く、線引き制度による規制の重要性は減じていないが、市街化調整区域では、少子高齢化の進む既存集落の活性化も課題となっている。
「福岡」と「博多」
都市名は「福岡」であるが、「福岡」を称する市の中心駅名は、西鉄の西鉄福岡(天神)駅(旧名称は「西鉄福岡」)のみで、JRは「博多」を用いている[注釈 5]。
福岡は福岡藩黒田氏の「武家町」、博多は古来から国際貿易港としての「商人町」として栄えた歴史があり、那珂川を境として福岡と博多[注釈 6]は元々は別々の都市であった。1889年の市制施行の際には、市名を「福岡」「博多」のどちらかにするかで一悶着があったが、都市名を福岡、中央駅名を博多にすることで合意(詳しくは歴史で後述)。新幹線開通時は博多が玄関口となり、博多の知名度が大きく上回ったが、今日では城下町のはずれに位置した天神地区の台頭もあり、かつての「福岡」が商業の街、「博多」がビジネス街となった。こうしたことから「博多」より「福岡」という名称で呼ばれることが多くなり、博多は市内の一地区名でしか用いられないことが多くなった。
近年の福岡・博多地区は武家町・商人町を区別する色合いは薄くなり、双方を包含して九州全体の経済・文化などの中心的機能を担う役割が一層高まっている。
隣接する自治体
以下の各市町に隣接している。括弧内は、その市町が隣接している福岡市の行政区。
福岡県
佐賀県
隣接市町のうち、福岡県に属している市町は、いずれも福岡市のベッドタウンとして発達している。しかし、佐賀県に属している隣接市町は福岡市とは脊振山地によって隔てられており、ベッドタウンとして発展するには至っていない。なお福岡都市圏に属している鳥栖市、基山町、みやき町は福岡市隣接市町ではない。
2005年(平成17年)10月1日に佐賀県内の佐賀市と、かつて福岡市に隣接していた佐賀郡富士町・神埼郡三瀬村が合併し、新市制による佐賀市が誕生[25] したことで、県境を挟んで県庁所在地同士が接することになった。ただし、福岡市と佐賀市の中心部は直線距離で50kmほど離れている。
海を挟んだ長崎県壱岐市・対馬市とも隣接扱いされる事もある。電話料金は離島特例として隣接扱いである。
人口
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福岡市と全国の年齢別人口分布(2005年)
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福岡市の年齢・男女別人口分布(2005年)
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■紫色 ― 福岡市 ■緑色 ― 日本全国
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■青色 ― 男性 ■赤色 ― 女性
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福岡市(に相当する地域)の人口の推移
1970年(昭和45年)
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871,717人
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1975年(昭和50年)
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1,002,201人
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1980年(昭和55年)
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1,088,588人
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1985年(昭和60年)
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1,160,440人
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1990年(平成2年)
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1,237,062人
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1995年(平成7年)
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1,284,795人
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2000年(平成12年)
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1,341,470人
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2005年(平成17年)
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1,401,279人
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2010年(平成22年)
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1,463,743人
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2015年(平成27年)
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1,538,681人
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2020年(令和2年)
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1,612,392人
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総務省統計局 国勢調査より
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国勢調査では、2020年の第21回調査で1,612,392人となっており、前回調査からの人口増加数・人口増加率はそれぞれ政令市中最多・最高となっている[26]。
かつての帝国大学であった九州大学をはじめ、学生数約2万人の福岡大学や同1万人超の九州産業大学[27] などの大学が集中しているため、福岡県の中でも20代の人口が多いのが特徴。また、断続的な人口流入にともない、その他の市民の平均年齢も比較的若い状態が続いている。2010年の第19回調査によると、福岡市の15歳から29歳の若者の人口比率は19.2%で、全政令指定都市トップである。また人口増加率(調査期間:2010年10月-2013年12月)も全政令指定都市トップであり[28]、1965年(昭和40年)〜2014年(平成26年)の期間の人口の伸び率は、首都圏全域や首都圏大都市と比べても高い。ただし、出生率については、2008年〜2012年の統計で1.24人と低い[29]。
- 国勢調査人口の推移(単位:万人)[30][31]
人口動態概要
2024年現在約166万人となっている。国内の高齢化に伴い多くの自治体が人口減少を迎えている中で、福岡市は未だに高い人口増加率を続けている。福岡市の人口増加の理由は若い世代の社会増加によるものが大きく、自然動態も政令指定都市の中では平均年齢が非常に若く、小幅な自然減に収まっている事に起因する。自然動態は福岡市は2021年に初めてマイナスにはなったが、他都市では札幌市が2009年、仙台市,広島市が2017年に既に自然減の局面を迎えており、福岡市の優秀さがうかがえる。福岡市はかつては政令市では特筆して高い人口増加率ではなかったが、2000年以降の国勢調査では全て増加率トップ3に入っており近年の躍進はめざましいものとなっている。
表1. 国勢調査結果に基づく福岡市(に相当する地域)の人口推移 ※大都市人口増加率は東京特別区と20政令市を含めた21自治体内での比較
実施年 |
福岡市人口(人) |
福岡市増加数(人) |
福岡市増加率(%) |
国内増加率(%) |
大都市人口増加率順位
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1950年
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487,885 |
- |
- |
- |
-
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1955年
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591,868 |
103,983 |
21.3 |
7.3 |
6位
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1960年
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682,365 |
90,497 |
15.3 |
4.6 |
10位
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1965年
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769,176 |
86,811 |
12.7 |
5.2 |
11位
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1970年
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871,717 |
102,541 |
13.3 |
5.5 |
10位
|
1975年
|
1,002,201 |
130,484 |
15.0 |
7.9 |
9位
|
1980年
|
1,088,588 |
86,387 |
8.6 |
4.6 |
5位
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1985年
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1,160,440 |
71,852 |
6.6 |
3.4 |
5位
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1990年
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1,237,062 |
76,622 |
6.6 |
2.1 |
7位
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1995年
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1,284,795 |
47,733 |
3.9 |
1.6 |
6位
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2000年
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1,341,470 |
56,675 |
4.4 |
1.1 |
4位
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2005年
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1,401,279 |
59,809 |
4.5 |
0.7 |
3位
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2010年
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1,463,743 |
62,464 |
4.5 |
0.2 |
3位
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2015年
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1,538,681 |
74,938 |
5.1 |
0.8 |
1位
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2020年
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1,612,392 |
73,711 |
4.8 |
0.8 |
2位
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電話番号
市外局番は092。
歴史
原始
諸岡遺跡(博多区)や吉武遺跡(西区)から旧石器が出土している。
縄文時代の遺跡としては、糸島半島東部の大原D遺跡(西区)で縄文時代早期の竪穴建物が見つかっているほか、柏原遺跡(南区)からは草創期から後期の土器や集石炉が見つかっている。中期の遺跡として、野多目拈渡遺跡(南区)や有田遺跡(早良区)からイチイガシなどのドングリ類の貯蔵穴がまとまって見つかっている。後期の遺跡では、元岡瓜尾貝塚、桑原飛櫛貝塚(いずれも西区)などの貝塚があり、四箇遺跡(早良区)からは多数の縄文土器や石器が出土している。縄文時代の福岡平野は海底であったことが真鍋大覚の調査で判明しており、「肥前島」の端にあたる前記の遺跡ぐらいで、旧石器時代と同様に少ない。
そのころの遺跡として市内の板付遺跡(博多区)がある。また志賀島(東区)で発見された金印「漢委奴国王印」は、1世紀ごろの大陸文化との交流を示す貴重な史料である。後漢書東夷伝にある「建武中元二年(西暦57年) 倭奴國奉貢朝賀 使人自稱大夫 倭國之極南界也 光武賜以印綬」の記事にある印綬は、この金印のことだと考えられている。また3世紀ごろの様子を記述したいわゆる魏志倭人伝の記載から、「奴国」は博多付近(後の那の津)との説が有力である。
ちなみにこの「魏に朝貢していた」という記録が金印の発見時にひとつの騒動を起こす。天明4年(1784年)に百姓甚兵衛により金印が発見されたとき、主として学者たちが「魏に朝貢していたとはけしからん。このようなものは鋳つぶしてしまうべきである」と強硬に主張し、一時、福岡藩の藩論もそちらに傾くのである。それを、藩校・甘棠館の学長をしていた儒学者亀井南冥が身体を張って阻止したという。
市内各地に古墳が残っており、平野部には那珂八幡古墳、東光寺剣塚古墳、梅林古墳、今宿大塚古墳などの前方後円墳が点在し、油山などの丘陵部には油山古墳群、金武古墳群、今宿古墳群などの円墳の分布地帯がある。
伝説時代、古代
神功皇后の三韓征伐伝説がこの地には多く残る。東区香椎の香椎宮は、神功皇后が夫である仲哀天皇の神霊を祀ったところである[32]。
奴国の後身として大和時代には「那の県」「儺県」と呼ばれており、日本書紀などにも記述がある。
527年の筑紫の君磐井の乱の後、朝廷が那津官家を造らせたと日本書紀にある。(「那津の口(博多大津)に建てよ」とある)
607年、小野妹子が第2回遣隋使として那の津より渡る。630年には遣唐使が渡っている。
663年、百済再興を目論んで派遣した倭国援軍が、白村江の戦いにて唐、新羅軍に大敗北を喫する。唐、新羅連合軍の報復に備えた大和朝廷は、その守りとして博多湾岸に防人を配し、水城、大野城などの城砦を築く。これより後、全国から徴発された若者が防人として北部九州に配備され、故郷を遠く離れて軍務に就く辛さと哀しみを詠い、万葉集に残されている。
757年、櫛田神社が開かれる。
7世紀から11世紀にかけては、国際交流が盛んになり、665年には筑紫館(つくしのむろつみ、つくしのたち)が建設され、これが後に大宰府の迎賓館となる鴻臚館(こうろかん)となった。外国からの使節の接待、遣唐使などの送別といった迎賓館としての機能に加えて、貿易事務所、検疫所的な役割も果たしていたらしい。鴻臚館遺跡は1988年に当時の平和台野球場の外野席の土盛りの下から発見され、市民を驚かせた。奈良時代は目の前が海岸であり、使節の船は沖がかりして小舟で上陸した。
なお、遣唐使廃止の建白を行った菅原道真が901年に大宰府に左遷されたとき、博多に上陸し、四十川(よんじっかわ)の清流を水鏡として自らの姿を見、そのやつれようを嘆いたという。その地に建立されたのが水鏡天満宮(すいきょうてんまんぐう)(水鏡天神)であり、福岡市の都心・天神の地名は、この事に由来する。
806年、東長寺が開かれる。
919年、箱崎放生会始まる。923年、筥崎宮が開かれる。
中世
1161年には平清盛により日本初の人工港『袖の湊』が建設された[33]。これは埋め立てにより埠頭を築いたものである。天神・博多部はまだ海の底であり、整備された港湾の沿岸部には筥崎宮、住吉神社、櫛田神社などの大きな寺社が立地していた。中世の寺社は貿易の重要な出資者であり、博多の冒険商人たちのスポンサーであった。
11世紀の終わりごろから、博多にはのちに「大唐街」とよばれる唐人街が形成された。異国風の建物が建ち並び、多数の外国人商人が行き交う大都市であった。この時代に博多にいた唐人商人に謝国明らがいる。中国大陸と博多を船団を組んで盛んに往来し、日宋貿易で富を築いた中国商人は、博多に居住して活発な商業活動を行い、博多の寺院とも結び、その力は中央にも及んで特に「博多綱首」と称されるに至った(「綱首」とは「船長」の意の尊称)。
博多は文化の受け入れ窓口でもあった。1195年 栄西が博多に日本初の禅寺である聖福寺を開いたが、このときも博多綱首らが物心両面の援助をしている。栄西は南宋から茶を持ち帰り喫茶の習慣を日本中に広めたことでも知られるが、「饅頭(まんじゅう)」「饂飩(うどん)」「蕎麦(そば)」などの日本人になじみ深い食物が日本に入ってきたのもこの時期の博多を通じてであった。
室町時代を通じて博多は年行司と呼ばれる12人の豪商の会議によって市政が運営され、日本史上において初めての自由都市であった。堺 (堺市) (堺は36人の会合衆によって市政が運営された)と並び貿易都市として繁栄するが、それゆえに戦国時代には戦国大名の争奪の対象となり、豊臣秀吉と島津義久の戦いの際に島津軍によって焼き払われた。
九州平定後、1587年7月24日(天正15年6月19日)に筑前箱崎において豊臣秀吉はバテレン追放令を発令した。
元寇
しかしその反面、他国から侵略の被害にも遭っており、869年には新羅海賊が博多湾に侵入、1019年には刀伊の入寇があり、博多は常に対外的な脅威に曝されていた。その最大の脅威は、宋を滅ぼしてユーラシア大陸のほとんどを支配した人類史上最大の帝国、モンゴル帝国である。
高麗を屈服させたモンゴル帝国のクビライが日本の服属を求め、時の鎌倉幕府がこれを拒否したことから、1274年、モンゴル人・漢人・女真人・高麗人などからなる4万人の元軍が襲来した(文永の役)。10月5日に対馬、10月14日に壱岐を襲撃し、平戸鷹島の松浦党の本拠を全滅させた元軍は、10月20日、百道原から博多湾に上陸し、激しい地上戦が展開された。しかし、赤坂の戦いや鳥飼潟の戦いで破れるなど苦戦を強いられた元軍は、撤退を決め、夜間の撤退を強行したため、撤退中に暴風雨を受け、甚大な損害を被った。
幕府は、再度の元軍の襲来に備え、博多湾岸に約20kmにも及ぶ石築地を築いた。この史跡「元寇防塁」は現代にも残っており「防塁」という地名も存在する。そして、1281年に元軍が襲来(弘安の役)。博多湾に現れた元軍は、防塁から上陸することを避け、陸繋島である志賀島を占領し、博多への進出を窺うが、日本側の総攻撃を受け大敗し、壱岐島に撤退した(志賀島の戦い)。
近世
1587年からは九州をすべて服属させた豊臣秀吉により博多の復興がなされた。これを太閤町割と呼ぶ[34]。交易の自由や、町人による街の自治が行われ、新たな自治都市が確立された。なお当時の博多とは、博多湾南岸の東西に渡る地域を指したものだった。このときの秀吉の意図には、文禄・慶長の役で出兵を行うにあたり、貿易都市・博多を物流の補給基地として活用しようというものがあったと思われる。
関ヶ原の戦いの後の1600年に黒田如水、黒田長政親子が筑前国に入国し、その後市内中心部の那珂川から東を博多、西を福岡と呼び、そのまま定着した。黒田親子は、小早川秀秋の居城であった名島城(東区)に入城したが、名島城は博多湾に面した小高い丘の上にあるために城下町が作れなかった。そこで1601年から当時の警固村(現・中央区)福崎に新たな城・福岡城と城下町をつくった。
その際、出身地の備前国福岡(現在の岡山県瀬戸内市長船町福岡)に由来して、城下町を福岡と命名した。黒田藩は博多のまちの自治を広く認めたため、町人の商業都市・博多と武士の行政都市・福岡が機能分担しつつ隣接するという、全国的にあまり類例のない「双子都市」が誕生した。博多と福岡の境界である那珂川の中州は歓楽街としての中洲が発展した。
江戸時代を通じた幕府の鎖国政策により、外国との通商が長崎と対馬に限られたため、福岡・博多の国際貿易都市としての展開はあまり見られなかった。
なお、前述のとおり、天明4年(1784年)に志賀島で金印が発見されている。
近代
その後、江戸時代から明治時代初期まで博多と福岡は共存していたが、1876年に地域区分の再編によって「福博」(ふくはく)という一つの地域呼称が生まれた。さらに1878年、郡区町村編制法の施行により第一大区(福博)が福岡区と呼称され、「博多」を名乗る自治体は誕生しなかった。
1889年に福岡区が市制を施行する際、市名を「博多市」にする、あるいは福岡と博多を再分離する声も上がったが、いずれも実現せず、都市名は福岡市となった。市制施行のときの「名前争い」は深刻で、福岡派と博多派が互いに闇討ちをしあうという過熱ぶりであったという[要出典]。翌1890年,明治23年第2回市会は「名称問題」で紛糾し、採決したところ完全に賛否同数であり、福岡部出身の議長が議長席を降り一議員として投票したが再び同数となり、最終的に福岡部出身の議長代理者の裁決で「福岡」と決したものである[35]。
明治のこの時点では、「福岡」と「博多」は別の地域という概念が強く残っていた。そのためちょうど同じころ、当時の九州鉄道会社(後に国有化)が福岡市から現在の久留米市までの鉄道を敷設する際、市の中心駅は「博多」地区にあるということで駅名は福岡駅ではなく、博多駅となった。
なお「福岡駅」の名は、福岡市中央区天神に位置する西鉄の駅が名乗り、2001年には西鉄福岡(天神)駅と駅名が変更された。なお、1972年の政令指定都市昇格に伴い、行政区として「博多区」が設置され、ここにほぼ百年の時間を経て「博多」が行政域名として採用されることとなった。
かつて町人の商業都市として栄えた『博多』は、官公庁の集うビジネス街、武士の行政都市として発展した『福岡』は、繁華街商業地となり、機能が入れ替わった。
年表
原始 - 古墳時代
- BC40000年 諸岡遺跡、吉武遺跡から旧石器
- BC10000年 大原D遺跡から縄文時代早期の竪穴建物
- BC2000年 野多目拈渡遺跡・有田遺跡からドングリ貯蔵穴、元岡瓜尾貝塚、桑原飛櫛貝塚
- BC1000年 四箇遺跡から多数の土器と石器
- BC450年 板付遺跡(日本初の稲作農業)
- 57年 奴の国王が後漢光武帝から「漢委奴国王」の金印を受ける
- 527年 磐井の乱。筑紫国造磐井がヤマト政権に対し反乱を起こす
- 536年 那の津(博多区比恵、南区三宅付近)に官家(みやけ)をつくる。(那津宮家)大宰府の前身
古代
- 664年 前年倭国軍が、白村江(はくすきのえ)にて唐、新羅軍に負け百済が滅亡。その守りとして博多湾岸に防人をおき、水城(現在の大野城市、太宰府市境付近)を築く
- 665年 筑紫館(つくしのむろつみ、つくしのたち)を設置。のち鴻臚館となる
- 757年 櫛田神社(博多区)創建
- 806年 空海が唐より帰り、真言宗東長寺を開く
- 869年 新羅海賊が博多湾に襲来
- 919年 箱崎放生会(ほうじょうや)が始まる
- 923年 筥崎宮創建。穂波郡大分宮を移築
- 941年 小野好古(おののよしふる)、大蔵春実(おおくらはるざね)が博多湾にて、大宰府を放火した藤原純友を退散させる。(承平天慶の乱)
- 1019年 刀伊の入寇(といのにゅうこう)。女真族の一部(刀伊)が壱岐・対馬を襲い、更に筑前を襲った。大宰権帥の藤原隆家が奮戦し撃退する。
- 1161年 平清盛が日本初の人工港「袖の湊」を建築
- 1179年 博多どんたくの起源である博多松囃子が始まる
中世
近世
明治時代
市制施行以後の行政区域の変遷については、「行政区域の変遷」を参照のこと。
- 1870年 7月18日、福岡藩贋札事件。太政官札偽造が発覚し弾正台による捜査が始まる。
- 1871年 7月2日(太陽暦1871年8月17日)、黒田長知が藩知事を罷免、有栖川宮熾仁親王が知藩事となり、福岡藩は事実上の廃藩となる。
- 1871年 7月14日、廃藩置県により、福岡藩は福岡県、有栖川宮が引き続き知県事となる。県内を32区に区分し、福岡を第一区、博多を第二区とする。
- 1872年 9月 15日、県内を16区に再編成し、福岡を第一大区、博多を第二大区とする。
- 1873年 6月、筑前竹槍一揆。福岡城内の県庁を打ち壊す。
- 1876年 5月、県内を9区に再々編成し、福岡と博多を1つの区に統合し第一大区とする。
- 1877年 3月、福岡の変。西南戦争を起こした西郷隆盛に呼応した武部小四郎や越智彦四郎を中心とした旧福岡藩士により福岡城襲撃が計画・実行されるが失敗する。
- 1878年 11月1日、郡区町村編制法施行により福岡区とする。
- 1889年
- 4月1日、市制施行により、福岡区は福岡市となる。日本で最初に市制施行した市の一つ。
- 12月11日、九州鉄道(初代)博多 - 千歳川間開業により、博多駅が開業。
- 1898年 マグニチュード6の糸島地震。福岡市西部の糸島半島付近が震源地とされ、家屋の一部に被害が発生する。
- 1899年 8月4日、博多港開港。
- 1903年 京都帝国大学福岡医科大学(後の九州帝国大学医科大学、現在の東区内)を開設。
- 1909年 医科大学教授榊保三郎により、日本最古級のアマチュアオーケストラであるフィルハーモニー会(現在の九大フィルハーモニー会の前身)設立。
- 1910年 3月9日、市内電車の福博電気軌道が開通(のちの西鉄福岡市内線)。
- 1911年
- 1月1日 九州帝国大学(現・九州大学)創立。分科大学として工科大学を設置。
- 4月1日 京都帝国大学から福岡医科大学が移管され、九州帝国大学医科大学となる。
- 10月2日、市内電車の博多電気軌道が開通(のちの西鉄福岡市内線)。
大正時代
昭和時代
- 1927年 3月25日 - 5月23日、東亜勧業博覧会開催。
- 1929年 福岡 - 大阪 - 東京の定期旅客航空便が開設。旧入船町(現在の中央区港-荒戸付近)の日本航空の水上機発着場を使用。
- 4月1日、早良郡原村・樋井川村の編入合併により長崎市の人口を上回り、九州最大都市となる(1963年、新しく発足した北九州市に一旦九州一の座を明け渡した)。
- 1930年
- 名島水上飛行場(福岡飛行場、現在の東区内)が開場。福岡 - 大阪間は35円。
- 6月、NHK福岡放送局(JOLK)ラジオ本放送開始。
- 1931年
- 1936年 雁ノ巣飛行場(福岡第一飛行場、現在の東区雁ノ巣レクレーションセンターのあたり、当時は糟屋郡和白村)が日本初の国際空港として開場。名島水上飛行場(福岡飛行場)は福岡第二飛行場と改名。
- 1936年3月9日、広田弘毅が福岡市(福岡県)出身としては初の内閣総理大臣となる。( - 1937年2月2日)
- 1937年 5月28日、ヘレン・ケラー来訪。西南学院、福岡女学院および福岡聾学校を訪問。
- 1945年
- 5月、陸軍席田(むしろだ)飛行場(現在の福岡空港)開場。
- 6月19日、福岡大空襲。米軍機による大規模夜間爆撃により死者902人を出した。
- 1945年 9月22日、米軍が進駐。板付空港(現福岡空港)を接収。
- 1946年 10月15日、天神地区で新天町商店街が営業開始。
- 1948年
- 1950年
- 1951年
- 1月25日、NHK福岡放送局および西日本新聞社と合同で新「福岡市の歌」を選定。
- 10月、福岡空港(別称:板付空港)で民間航空が再開
- 12月1日、ラジオ九州(現:RKB毎日放送)開局。
- 1953年
- 1954年 2月8日、マリリン・モンロー、ジョー・ディマジオ 新婚旅行で来福。
- 1956年 3月1日、NHK福岡放送局、テレビ(JOLK-TV)本放送開始。
- 1957年 4月14日、福岡水族館が開館
- 1963年 12月1日、博多駅が現在地に移設
- 1968年
- 1972年
- 1975年
- 1976年 中央区天神地区に天神地下街が開業。
- 1977年 太平洋クラブライオンズが「クラウンライターライオンズ」に改称(クラウンガスライターとの提携のため)。
- 1978年
- 1979年
- 2月11日、市内電車(西鉄福岡市内線)全線廃止。
- 人口が北九州市を抜き、再び九州最大となる。
- 1980年
- 1981年 7月26日、福岡市地下鉄部分開業
- 1982年 5月10日、西区が(新)西区・早良区・城南区に3分割される
- 1988年 大阪市を本拠地にしていたプロ野球チーム・南海ホークスが球団売却に伴い福岡市に移転し、「福岡ダイエーホークス」と名称を変更することを決定。翌1989年から平和台球場を本拠地とする。11年ぶりに福岡にプロ野球球団が戻ってくる。
平成時代
- 1989年
- 1990年
- 1993年 3月31日、福岡ドーム竣工。4月2日開場
- 1994年 猛暑と少雨のため8月4日から295日間にわたり断水を伴う給水制限が実施された(平成6年渇水)。
- 1995年
- 1996年 福岡ブルックスが「アビスパ福岡」に改称の上Jリーグ加盟。
- 1997年 8月9日 - 8月13日、パンパシフィック水泳選手権大会開催。
- 1999年
- 6月29日、梅雨前線による大雨で博多駅周辺や博多駅地下街が浸水する。地下店舗の従業員1名死亡。
- 10月28日、NPB日本シリーズで福岡ダイエーホークスが中日ドラゴンズを下して日本一になる。
- 2000年 7月8日、福岡市博物館にて、九州・沖縄サミット(蔵相会合)開催。
- 2001年 7月16日 - 29日、第9回世界水泳選手権大会開催(アジアで初の世界水泳選手権大会開催)。
- 2002年
- 2003年
- 7月19日、梅雨末期の大雨で博多駅付近を中心に浸水などの被害を受ける。
- 10月、九州芸術工科大学が九州大学と合併。
- 2004年 福岡ダイエーホークスがソフトバンクの球団買収により、福岡ソフトバンクホークスとなる。
- 2005年
- 2006年
- 2007年
- 2008年
- 2009年
- 2010年
- 2011年
- 2012年
- 2013年
- 2014年
- 2015年
- 10月1日、法定人口が神戸市を抜き政令市5位となる。
- 2016年
- 2017年
- 2018年
- 2019年
令和時代
- 2019年
- 2020年
- 2021年
- 2022年
- 2023年
行政区域の変遷
市町村制施行以後。
発祥
福岡市が発祥の地とされる事象には、東アジア地域との文化交流や貿易によってもたらされたものが多い。
- 日本における稲作農業の発祥の地[74] - 板付遺跡(博多区)から水田稲作の跡が発見されている。研究者によって異なるが、縄文時代晩期後半から弥生時代早期前半のものとされる。なお、佐賀県唐津市菜畑遺跡からも同時期の水田遺構が見つかっている。
- 日本における禅宗の発祥の地
- 日本における茶の発祥の地 - 1191年(建久2年)、栄西が中国から帰国後に禅宗を布教。その帰国時に茶の種を持ち込み日本で栽培を始めたとされる[75]。早良区脇山には1975年に茶の発祥を記念する「茶徳碑」が建立されている。なお、日本で初めて茶の栽培を行った地は佐賀県神埼郡吉野ヶ里町の霊仙寺(脊振山中腹)と言われている。
- 日本におけるうどん・そば発祥の地 - どちらも鎌倉時代初期、中国に留学していた禅僧、円爾(聖一国師)が帰国後に持ち込んだといわれる。承天寺には「饂飩蕎麦発祥之地」の石碑がある。
- 日本における饅頭発祥の地 - 1241年(仁治2年)、円爾が立ち寄った博多の茶店の主人、栗波吉右衛門に教えたのが最初とされる。
- 制服としてのセーラー服発祥の地 - 1921年(大正10年)、福岡女学院中学校・高等学校が採用。
歴代市長
代 |
氏名 |
就任年月日 |
退任年月日 |
備考
|
福岡区長(官選)
|
初代 |
郡利 |
1878年11月 |
1879年5月14日 |
|
2代 |
平山能忍 |
1879年5月23日 |
1880年4月12日 |
|
3代 |
小野新路 |
1880年4月12日 |
1884年4月1日 |
|
4代 |
山中立木 |
1884年4月1日 |
1889年4月1日 |
|
福岡市長(官選)
|
初代 |
山中立木 |
1889年5月27日 |
1892年11月26日 |
|
2代 |
磯野七平 |
1893年1月11日 |
1894年12月7日 |
|
3代 |
奥山亨 |
1895年5月21日 |
1899年7月3日 |
|
4代 |
松下直美 |
1899年8月21日 |
1905年8月20日 |
|
5-6代 |
佐藤平太郎 |
1905年9月23日 |
1914年7月6日 |
|
7代 |
井手佐三郎 |
1914年11月28日 |
1918年11月27日 |
|
8-9代 |
久世庸夫 |
1919年3月24日 |
1924年5月29日 |
|
10代 |
立花小一郎 |
1924年8月23日 |
1925年8月17日 |
|
11代 |
時実秋穂 |
1926年3月10日 |
1930年3月9日 |
|
12-13代 |
久世庸夫 |
1930年6月17日 |
1938年1月21日 |
|
14代 |
河内卯兵衛 |
1938年4月6日 |
1938年8月9日 |
|
15-16代 |
畑山四男美 |
1939年1月7日 |
1946年5月18日 |
|
17代 |
三好弥六 |
1946年8月14日 |
1947年3月28日 |
|
福岡市長(公選)
|
18代 |
三好弥六 |
1947年4月5日 |
1951年4月4日 |
|
19-20代 |
小西春雄 |
1951年4月23日 |
1956年7月31日 |
任期中死去
|
21代 |
奥村茂敏 |
1956年9月17日 |
1960年9月16日 |
|
22-24代 |
阿部源蔵 |
1960年9月17日 |
1972年9月16日 |
|
25-28代 |
進藤一馬 |
1972年9月16日 |
1986年11月8日 |
健康上の理由により辞職
|
29-31代 |
桑原敬一 |
1986年12月7日 |
1998年12月6日 |
|
32-33代 |
山崎広太郎 |
1998年12月7日 |
2006年12月6日 |
|
34代 |
吉田宏 |
2006年12月7日 |
2010年12月6日 |
|
35-38代 |
高島宗一郎 |
2010年12月7日 |
|
現職
|
市長選挙
行政
市長
市議会
地方公営企業
主な国の行政機関
福岡県議会
- 定数 : 23名
- 任期 : 2023年(令和5年)4月30日 - 2027年(令和9年)4月29日
選挙区 |
氏名 |
党派 |
会派名 |
当選回数
|
東区 |
新開崇司 |
日本維新の会 |
日本維新の会 |
1
|
大塚勝利 |
公明党 |
公明党 |
5
|
佐々木徹 |
立憲民主党 |
民主県政県議団 |
6
|
長裕海 |
自由民主党 |
自民党県議団 |
7
|
今林久 |
自由民主党 |
自民党県議団 |
8
|
博多区 |
川上多恵 |
公明党 |
公明党 |
1
|
坪田晋 |
立憲民主党 |
民主県政県議団 |
1
|
井上博行 |
自由民主党 |
自民党県議団 |
3
|
中央区 |
新開嵩将 |
日本維新の会 |
日本維新の会 |
1
|
笠和彦 |
自由民主党 |
自民党県議団 |
2
|
原中誠志 |
立憲民主党 |
民主県政県議団 |
4
|
南区 |
永島弘通 |
公明党 |
公明党 |
1
|
大田京子 |
国民民主党 |
民主県政県議団 |
3
|
樋口明 |
自由民主党 |
自民党県議団 |
6
|
加地邦雄 |
自由民主党 |
自民党県議団 |
7
|
城南区 |
宮川宗一郎 |
自由民主党 |
自民党県議団 |
1
|
守谷正人 |
国民民主党 |
民主県政県議団 |
5
|
早良区 |
後藤香織 |
立憲民主党 |
民主県政県議団 |
2
|
大田満 |
自由民主党 |
自民党県議団 |
2
|
新開昌彦 |
公明党 |
公明党 |
7
|
西区 |
塩生好紀 |
日本維新の会 |
日本維新の会 |
1
|
仁戸田元氣 |
立憲民主党 |
民主県政県議団 |
4
|
野原隆士 |
自由民主党 |
自民党県議団 |
4
|
欠員0 |
|
|
|
|
国政
- 衆議院
- 選挙区 - 地域により選挙区が異なるため下表を参照。一部の選挙区は福岡市外にもまたがるが、福岡市外の地域は下表には記載していない。
- 任期 : 2021年(令和3年)10月31日 - 2025年(令和7年)10月30日
司法
経済・産業
福岡市は、第2次産業の割合が少なく、第3次産業の比重が極めて大きい特徴的な産業構造となっており、再開発事業が進み企業誘致など積極的に行われている。福岡市として、スタートアップ企業の創業支援が手厚いことも特徴として挙げられる[76][77]。
外食産業のロイヤル、総合スーパーのユニード(ダイエーに吸収合併)、家電小売のベスト電器(ヤマダ電機に吸収合併)、日本を代表する大企業に成長したソフトバンクグループ(現在の本社所在地は東京)など、物販やサービスの分野で新しい産業を生み出す土地柄である。しかし一方で、大手企業の九州支社・九州営業所・九州支店に依存する「支店経済都市」としての側面も強い。
第一次産業
農業など少なからず行われている。
農業
市内の農家戸数は3,000戸程度と、他の大都市同様、農家戸数は極めて少ないが、農地面積は3,000haと、市域面積の1割弱を占める。全農地面積中、田の占める割合は約7割に及ぶ。農業形態は野菜と花卉を中心とする典型的な近郊農業の特徴を示しており、農業生産額に占める割合の半分程度を野菜が、4分の1程度を花卉が占めている。
林業
市域南西部などにある山林で、わずかながらスギ、ヒノキ伐採を中心とした林業が行われている。
漁業
博多港は全国に13港ある特定第3種漁港の一つである博多漁港を有しており、また、博多湾における沿岸漁業については、湾内の志賀島、奈多、箱崎、伊崎、姪浜および能古と、湾口・湾外の弘、唐泊、西浦、玄界島および小呂島の漁業地区があり、それぞれの漁港や船だまりの近くに福岡市漁業協同組合の支所が設けられている。
第二次産業
福岡市の産業のうち、第二次産業は市内総生産および事業所数において約10%、従業者数において約12%を占める。いずれも大都市としては低い水準にあり、市内総生産に占める第二次産業の割合は製造品出荷額は小さい(政令指定都市の中では下から2番目)。工業の中心は、都市型工業である食品加工業(食料品・飲料)や出版・印刷業などの情報関連産業が占めている[78]。
福岡市では重工業があまり発達していないため、福岡市内の小学校では5年生を対象に、北九州工業地帯にある工場など(日産自動車苅田工場など)を見学する「北九州見学」という行事が行われている。
伝統工芸品
第三次産業
福岡市における第三次産業は市内総生産額の約95%、事業者数の約90%、従業者数の約87%を占めている。いずれの割合も政令指定都市としては最も高い水準にあり、大都市の中でも第三次産業のシェアが極めて高い都市であることを示している。特に卸売・小売業とサービス業は、それぞれ市内総生産の約4分の1を占めている。このため商業・サービス業中心の大都市としての色合いが強く出ている。百貨店不況と言われている中、市内には天神に3店舗、博多に1店舗の百貨店がしのぎを削る百貨店激戦区であるが、いずれも地元資本の百貨店ではない。他都市と比べICT産業などにも力を入れている。
福岡市内の主な百貨店
かつて存在した百貨店
- 福岡松屋(中央区天神4丁目)
- 福岡玉屋(博多区中洲3丁目、1999年閉店)
- 博多井筒屋(博多区博多駅中央街、2007年4月1日に再開発のため立ち退き・閉店)
公益企業
金融機関
福岡市に本社・本店を置く主な企業
情報・通信
マスメディア
FMラジオ局
コミュニティ放送局
日刊新聞
ブロック紙
全国紙
地方紙
スポーツ紙
外交
国別外国人登録数
2023年2月末時点における福岡市の外国人登録総数は40,922人。
- 内訳
国際交流都市
外国公館・施設など
国際機関
領事館
名誉領事館
貿易施設
- タイ国政府貿易センター福岡
- イタリア貿易振興会福岡事務所
- フランス大使館経済商務部福岡支部
- 台湾貿易センター福岡事務所
- 中国江蘇省中小企業日本代表処
上記の他、英国貿易促進事務所が存在したが2005年6月をもって閉所した。
観光促進施設
その他外国機関
地域
教育施設は下記「教育」を、文化施設については下記「文化」を参照。
警察
福岡県警察本部の管轄下、以下に示す警察署がある。カッコ内は管轄区域。交番・駐在所については各区の記事を参照。
消防
福岡市消防局の管轄下、各区に1か所ずつ消防署がある。出張所については各区の記事参照。
郵便
2007年(平成19年)5月、日本郵政公社の民営化による事業拠点集約に伴い、福岡都市圏の郵便物の集約・発送の中核拠点として東区に「新福岡郵便局」(民営化後は郵便事業会社管轄、新福岡支店に移行。現在は日本郵便配下の新福岡郵便局)が開設された。その際、今宿、北崎、周船寺、早良南の4局は取集事務が廃止され配達のみを行う「配達センター」に、それ以外の郵便局は「統括センター」にそれぞれ移行し、民営化に伴い統括センター設置郵便局に郵便事業会社支店が、配達センター設置局に集配センターが置かれた。その後、郵便事業博多支店が福岡空港近隣に移転し、後に博多北郵便局となったため、現在の博多郵便局は集配業務を行っておらず、ゆうゆう窓口と私書箱の業務などについては同居する博多北郵便局博多駅前分室が担当している。
- 集配局
- 市内にある集配局は以下の通り。番号は各集配局に対応する郵便番号で、括弧内は大凡の管轄区域である。
- 福岡中央郵便局:810-xxxx(中央区・博多区中洲)
- 博多北郵便局:812-xxxx(博多区北部・東区西南部)
- 博多南郵便局:816-xxxx(春日市・大野城市)
- 福岡東郵便局:813-xxxx(東区中央部・久山町)
- 和白郵便局:811-02xx,811-03xx(東区北部・新宮町)
- 福岡南郵便局:815-xxxx(南区北部)
- 筑紫郵便局:811-13xx(南区南部・那珂川市)
- 福岡西郵便局:819-00xx,819-85xx,819-86xx,819-87xx(西区東部)
- 今宿郵便局:819-01xx(西区中央部)
- 北崎郵便局:819-02xx(西区北西部)
- 周船寺郵便局:819-03xx(西区西部)
- 城南郵便局:814-01xx(城南区全域・早良区中央部)
- 早良郵便局:814-00xx,814-85xx,814-86xx,814-87xx(早良区北部)
- 早良南郵便局:811-11xx(早良区南部)
図書館
- 福岡県立図書館
- 福岡市総合図書館
- 分館として、福岡市東図書館・福岡市和白図書館・福岡市博多図書館・福岡市博多南図書館・福岡市中央図書館・福岡市南図書館・福岡市城南図書館・福岡市早良図書館・福岡市早良南図書館・福岡市西図書館・福岡市西部図書館がある。
博物館・美術館・動物園など
教育
大学
国立
県立
私立
短期大学
私立
高等学校・中学校・小学校
- 市立小中学校については、各区の記事を参照。
- 公立高等学校は福岡女子高校を除きすべて男女共学。
県立高等学校
市立高等学校
私立初等・中等教育機関
男女共学校
男子校
女子校
国立小中学校
特別支援学校
学校教育以外の教育施設
自動車教習所
福岡労働局長登録教習機関
- 福岡県建設技能教習センター
- 大洋サンソ
- 中村労働安全衛生コンサルタント事務所
- 日本経営教育センター
登録小型船舶教習所
- ボート免許センター
- 堀川登録小型船舶教習所
- オーシャン登録小型船舶教習所
インターナショナルスクール
神学校
文化財
交通
概要
- 市内の公共交通
- 鉄道としてはJR線、西日本鉄道(西鉄)のほか福岡市地下鉄3路線が整備されている。路線バスは日本最大のバス事業者である西鉄バスが中心的な役割を果たしており、天神や博多を含む「福岡都心100円バスエリア」内であればどの西鉄バスであっても100円で利用できていたが、[80] 新型コロナウイルス の影響による業績悪化を受け、2021年7月1日より150円に値上げされた。福岡市は地下鉄とバスが事業主体の違いから競合関係となっており、郊外から都心へ直接向かうバス路線や都市高経由のバス路線が多く設定されているが、10年以内を目途に複数の地下鉄駅にバスターミナルを整備することで都心部へのバスの流入を減らす構想がある[81]。バス&ライドは大橋駅や藤崎駅などでは頻度も多く機能しているが、その他の鉄道駅では、バス路線の接続性が悪く、運行本数は少ない。なお、南区には唯一地下鉄がないが西鉄天神大牟田線の市内区間は地下鉄と遜色ない頻度で運行されている。
- 共通乗車カードとしては、ICカードであるSUGOCA(JR九州)・nimoca(西鉄)・はやかけん(地下鉄)、ならびにSuica(JR東日本)などの「全国相互利用サービス」対応の各カードが市内の全ての電車・バスで利用可能となっている。磁気式カードとしては、よかネットカード・ワイワイカード・えふカードが存在したがICカード乗車券の普及により全て廃止された。
- 都市圏の交通
- 福岡都市圏への主な広域道路網は、九州自動車道、西九州自動車道、国道3号線、筑紫バイパスなどである。
- 鉄道は福岡市地下鉄、西日本鉄道(西鉄)、JR(JR九州・JR西日本)があり、西鉄・JRは近郊輸送における都市間電車・郊外電車の機能も持つ。
- 西鉄の路線は全線が福岡県内に所在する。天神から南へ延びる天神大牟田線は特別料金不要の特急・急行電車を運行する主要路線で筑紫地域や久留米・柳川などの県南部からの利便性が高い。反面、東へ延びる貝塚線は貝塚で地下鉄箱崎線と接続しているものの、相互乗り入れは行っていない。
- JR九州の在来線は大分市や長崎市などの九州各都市へ向かう特急列車を中心に従来長距離輸送を重視しており、快速・普通列車の速達性などは低く、北九州市と比較しても近郊輸送や都市圏交通としての利便性は都市規模に比してあまり高くはなかったが、2011年3月の九州新幹線の全線開業に合わせたダイヤ改正で、並行在来線区間における特急の減便と併せて普通・快速列車が増発され、やや改善された。
- 地下鉄空港線はJR九州筑肥線との直通運転で佐賀県北部の唐津市まで乗り入れており、唐津市から乗り換えなしで天神、福岡空港へ行くことが出来る。
- 市南部の交通対策
- 昭和期の急速な都市化に伴い、市の西南部・中南部では唯一の交通機関であった道路網の整備が不十分かつ遅れたため、主要道路の渋滞の激化や生活道路への流入などの交通問題が深刻化していた。
- 以前より課題であった市西南部への交通対策は、前述の地下鉄七隈線に加え、福岡外環状道路が2011年4月、福岡高速5号線が2012年7月にそれぞれ完成供用され、高速5号線が福岡高速環状線になり市内の環状幹線道路網が完成した。また、これらに接続する新たな主要幹線道路として若久通り、城南学園通り、原通りなどの南北幹線が整備され、1970年代から良くなかった市南部(西南部、中南部)への道路状況は、不況、少子高齢化による交通量の減少と相まって、2010年前後に入りようやく改善の兆しが見えつつある。
- 中南部については、2000年代中ごろに地元有力国会議員の山崎拓にちなんだ地元では「山崎道路」といわれる構想[注釈 8] が噂があったが立ち消えとなった。中南部への軌道系交通機関の整備も含め、現状は全て構想段階に止まり、具体化している有効な交通対策は現時点で存在しない。
- 遠隔地への連絡
- 航空路線・鉄道(新幹線を含む)・高速バス路線・船舶航路が整備されている。航空路線・船舶航路は日本国外へも運航している。長距離航路は立地条件の関係で外海航路のみ。内海航路となる四国・関西・関東方面へのフェリーは北九州港に発着する。博多港からの釜山行きの航路は国際旅客数日本一である。
- JR九州では博多駅をハブターミナルとしており、数多くの特急列車や新幹線を博多駅中心に九州内くまなく運行している。
- 山陽新幹線は、北九州市との間で通勤用として利用されているほか、本州方面への重要な交通路として利用されている。2011年3月12日に全線開業した九州新幹線は、熊本市や鹿児島市との間の時間的距離を大幅に短縮した。
- 西鉄天神高速バスターミナルや博多バスターミナルから高速バスが多く運行されている。天神バスセンターから北九州、佐賀をはじめ熊本、長崎、大分方面への路線は1時間に2本 - 4本と本数が多く利用者が多い。
空港・港湾
福岡空港と博多港を合わせた外国人入国者数は、成田国際空港・関西国際空港に次ぐ、外国人に対する日本の玄関口となっている[82]。
また、博多港は外国航路の旅客数日本一を誇る港でもある。
- 外国人入国者数:福岡空港 432,750人(空港計4位、2007年)博多港 287,220人(海港計1位、2007年)
- 日本人出国者数:福岡空港 679,279人(空港計4位、2007年)博多港 134,382人(海港計1位、2007年)
利用者数・発着数増に対して設備拡張や運用の工夫を行った(第2ターミナルの建て替え、国際線地区を滑走路西側に移転し第3ターミナルを到着専用化、滑走路34へILSを設置、東方からの到着便に短距離の飛行ルートを設定など)が、滑走路が1本であるということは改善されていない。「アジアの玄関口」「九州一の都市の空港」としてスローガンを掲げて、旅客数・発着回数とも2000年ごろまで増加を続けたが、以降2005年まではほぼ横ばいとなっている。九州地方の空港では、路線数・便数ともに抜きん出ている。一方で、市街地に近く東区箱崎の九州大学の真上を飛行する点から騒音問題や安全面で不安視されている。
福岡市地下鉄空港線福岡空港駅から博多駅までは約5分、天神駅までは約10分である。また、北部九州の他地域からの直通バスが多く運行されている。
将来の需要動向やそれへの対応策について、2005年からパブリックインボルブメントをおこなって将来像を検討している。2008年現在、将来需要は現在の空港の能力を超えるという試算のもとに、新空港建設案および、現在地での拡張案の二案に絞って平成20年度中の一本化が図られる見通しである。
鉄道
JR線の中心駅は博多駅、西鉄の中心駅は西鉄福岡(天神)駅となる。
主要駅・乗換駅・ターミナル駅
その他の駅(抄)
- 貨物専用路線は除く。
すでに廃止された路線
バス路線
福岡市交通局は発足当初より地下鉄専業であり、元来福岡市において市営バスは存在していない。市内の大部分は西鉄バスによる運行で、100種類を超える系統が存在している。乗車方法はどの事業者も後乗り前降り後払いで、運賃は原則として整理券による区間制である(ただし先述の通り市の中心部(天神・博多間)などに150円均一区間が存在する)。一般路線バスでは一部を除き、非接触型ICカードのnimoca・はやかけん・SUGOCA・Suicaをはじめとした全国相互利用サービス対応のカードが利用できる。
市内の主要バスターミナル
一般路線
- 西鉄バス(西日本鉄道・西鉄バス宗像・西鉄バス二日市)
- 市内の大半の地区に路線を持つ。福岡市内の大半の路線は西日本鉄道が運行しているが、一部の路線は分離子会社の西鉄バス宗像・西鉄バス二日市が運行している。糸島市以外の福岡市周辺の市町村と福岡市内を結ぶ路線も多数ある。西区の今宿以西では九州大学伊都キャンパスと福岡市中心部を結ぶ路線のみがある。
- 昭和自動車(昭和バス)
- 主に西区内に路線を持つ。福岡市内と糸島市を結ぶ路線もある。同社の運行する糸島市コミュニティバスのうち前原今宿線・川原線が福岡市内に乗り入れ、福岡市内相互停留所間の乗降も可能である。
- JR九州バス
- 福岡市の博多バスターミナルと糟屋郡久山町・宮若市・直方市を結ぶ直方線を運行する。
- 姪浜タクシー(路線バス事業)
- 昭和自動車が廃止した路線の代替として、福岡市の補助を受け、姪浜駅 - 今宿 - 今宿野外活動センター間を結ぶ今宿姪浜線を運行する。
- 飯倉タクシー
- 西鉄バスの廃止路線の代替として、福岡市の補助を受け、早良区南部で予約制乗合タクシー・乗合タクシーを運行する。
- 協和タクシー
- 新宮町コミュニティバス「マリンクス」を運行しており、福岡市内の福工大前駅を経由する。
コミュニティバス
2018年3月現在、福岡市が運行主体となるコミュニティバス路線は過去も含めて運行されていない。
福岡市・地域・交通事業者などによる協議会を立ち上げて福岡市内で運行する(もしくは過去に運行していた)路線としては以下の路線がある。
- 今宿姪浜線乗合マイクロバス・なぎさ号 - 昭和バスの廃止に伴う代替措置。姪浜タクシーが運行。福岡市西部乗合タクシー・マイクロバス社会実験協議会を設置し2006年11月1日から2007年10月30日まで運行し、翌日から今宿姪浜線乗合マイクロバス連絡協議会を設置し引き続き運行。
- 板屋脇山線 - 西鉄バスの廃止に伴う代替措置。板屋脇山線乗合タクシー連絡協議会を設置し飯倉タクシーが乗合タクシーとして運行。
- 志賀島島内線 - 西鉄バスの廃止に伴う代替措置。志賀島地域バス連絡協議会を設置し引き続き西鉄バスとして運行(一時期西鉄バス宗像に移管)。
- 脇山支線 - 西鉄バスの廃止に伴う代替措置。早良区南部地域バス連絡協議会を設置し引き続き西鉄が運行。
- 金武橋本線 - 西鉄バスの廃止に伴う代替措置。金武・橋本地域バス連絡協議会を設置し引き続き西鉄が運行。
- 福大病院(外環状)大橋線 - 西鉄が運行。
- 橋本地域循環バス - 西鉄が運行。2011年から試行運行を行うが[83][84] 本格実施に至らず。その後一部ルート変更のうえ、2015年12月7日より2016年6月6日までの予定で福岡西鉄タクシーが運行。現在は福岡西鉄タクシーにより乗合タクシー形態の「橋本駅循環ミニバス」として運行。
- 美和台コミュニティバス - 西鉄が運行。2012年から試行運行を行うが[85][86] 本格実施に至らず。
- 長丘 - 高宮循環バス - 西鉄が運行。
ほかに他市町村から福岡市に乗り入れるコミュニティバスもある。
高速バス・特急バス
市内を発着する高速バス・特急バス路線は下表の通り。
タクシー
福岡市タクシー協会の下、市内で約80社が営業している。営業は流しによる営業が主である。また福岡都市圏各市町村(宗像市・福津市を除く)のタクシー事業者は福岡市内での営業が認められており、これらを合わせると実質約90社、5,500台のタクシーが福岡市内で営業している[87]。なお逆に、福岡市内のタクシーが上記の福岡都市圏各市町村で営業することもできる。個人タクシーは福岡都市圏の登録タクシー台数の約3割を占めており、登録台数に占める割合としては全国的に見ても高水準にある。
道路
市内を通る主な道路
高速自動車国道
有料道路
一般国道
- 県道
- 県道については各区の項を参照。
主な通り名称
航路
下記航路は旅客航路のみ掲載。
国際航路
国内(福岡市外)航路
市内航路
観光・文化
主な街
観光地
図書館
- 福岡県立図書館(東区)
- 福岡市総合図書館・福岡市点字図書館(福岡市総合図書館内)(早良区)
※この他、各区にも市民センター併設の小規模図書館・図書室がある。
博物館・美術館など
神社
寺院
祭事・催事
※スポーツ大会は別記。
郷土料理・土産菓子
公開されている文化財
その他
スポーツ
プロスポーツチーム・社会人スポーツチーム
野球
サッカー
ラグビー
その他
福岡市で毎年開催されるスポーツ大会
過去に開催された主なスポーツ大会
毎年開催されていた大会
その他
名誉市民
福岡市出身の有名人
福岡市を舞台とした作品
実際に福岡市で撮影が行われていないものを含み、福岡市で撮影を行っていても設定上、福岡市が舞台になっていないものは含めない。
漫画・アニメ
テレビドラマ
小説
映画
ゲームソフト
- リフレインラブ(実際は福岡市を舞台にしているのではなく、地名や人名に福岡市に実在する地名を用いている。また背景の映像などは福岡市内の風景をモチーフにしている)
ドキュメンタリー
百選
脚注
注釈
出典
関連文献
関連項目
外部リンク
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注: 順位は令和2年国勢調査時の市域人口による。 |
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