香港特別行政区
香港特別行政區 Hong Kong Special Administrative Region
地域の標語:なし
地域の歌: 《義勇軍進行曲 》 (1997-現在)
※中華人民共和国国歌を香港の国歌として
上から時計回り:ヴィクトリア・ピーク から望む香港の夜景、天壇大仏 、国際金融センター 、ケネディ・タウン 、ネイザンロード 、アベニュー・オブ・スターズ 、香港礼賓府 、青馬大橋
香港 中国語 香港 香港特別行政区 繁体字 香港特別行政區 簡体字 香港特别行政区 発音記号 標準中国語 漢語拼音 Xiānggǎng Tèbié Xíngzhèngqū ウェード式 Hsiang1 -kang3 T'e4 -pieh2 Hsing2 -cheng4 -ch'ü1 注音符号 ㄒㄧㄤ ㄍㄤˇㄊㄜˋㄅㄧㄝˊㄒㄧㄥˊㄓㄥˋㄑㄩ 呉語 ローマ字 shian平 kaon上 deh入 bih入 ghan平 tsen去 chiu平 客家語 客家語拼音 Hiong1 gong3 Tet6 piet6 hang2 zin4 ki1 粤語 イェール粤拼 Hēunggóng Dahkbiht Hàhngjingkēui 粤拼 Hoeng1gong2 Dak6bit6 Hang4zing3keoi1 閩南語 閩南語 白話字 Hiong-kang Te̍k-pia̍t Hêng-chèng-khu
香港 (ホンコン[ 注 2] 、中国語 : 香港 ; イェール式広東語 : Hēunggóng ; 拼音 : Xiānggǎng 、英語 : Hong Kong )は、中華人民共和国 の南部にある特別行政区 である。正式名称は香港特別行政区 (ホンコンとくべつぎょうせいく)。
同じ特別行政区でポルトガル の植民地であったマカオ は南西に70km離れている[ 4] 。東アジア 域内から多くの観光客をひきつけ、途中日本による占領 を挟むも、150年以上にわたってイギリスの植民地 であったことで世界に知られている。
1,104 km2 (426 sq mi)の面積に700万人を超す人口を有する世界有数の人口密集地域 である[ 5] 。広大なスカイライン と天然の深い港湾を抱える自由貿易 地域であり、アジア四小龍 の内の1地域。2016年 の「中期人口統計」によると、香港の人口は、92%が華人 、8%はその他の民族である[ 6] 。
香港は東京 、ロンドン 、ニューヨーク 、シンガポール 、上海 と並ぶ世界都市 の一つであり、世界的に重要な国際金融センター に格付けされ、経済自由度指数 が世界で最も高く、低税率および自由貿易を特徴とする重要な資本 サービス経済 を有し、通貨 の香港ドル は世界第8位の取引高 を有する[ 7] 。
香港は世界有数の1人当たりの所得 を有するが、先進経済諸国有数の所得格差 もまた存在する[ 8] 。スペースの不足により高密度な建造物の需要が生じ、現代建築 および世界で最も垂直な都市の中心へと都市は開発され[ 8] 、世界で最も超高層ビル が多い地域となっている[ 9] 。高密度な空間は高度に発達した交通網ももたらし、公共交通機関 の利用率は90%を超え、世界第1位である。香港はさまざまな側面、例えば、経済的自由 並びに金融および経済的競争力において多数の高い国際ランキング を有する[ 10] 。人間開発指数 は全面的に高く順位付けされ、知能指数 は世界で最も高い地域にもなっている[ 11] 。隣接する中国本土からのPM2.5 による大気汚染 とスモッグ は香港市民の健康面への影響は懸念されるが[ 12] [ 13] 、香港市民は男女ともに平均寿命 で世界一[ 14] [ 15] [ 注 3] になるなど非常に長寿 である。
香港は複数政党制 であるものの、立法会 の90議席のうち70議席を少数の有権者が支配し、先進経済諸国の中では政治的権利において最下点 で欠陥民主主義 に分類される[ 16] [ 17] [ 18] 。中国政府は1997年の返還後50年間は香港体制に干渉しないという一国二制度 (繁 : 一国兩制 )体制を約束したが、香港の自由と民主主義侵害を懸念するデモが発生している。2020年、国家安全維持法 が香港に適用され、各国は「一国二制度」が有名無実化した事実上「一国一制度」であると表明している[ 19] [ 20] [ 21] [ 22] [ 23] [ 24] [ 25] 。
名称
ヴィクトリア・ハーバー の風景
香港という名称は珠江デルタ の東莞 周辺から集められた香木の集積地となっていた湾と沿岸の村の名前に由来する。現在の香港島南部の深湾と黄竹坑にあたる。英語や日本語でのホンコンという呼び方は広東語(厳密には蜑民 の言葉・zh:蜑家話 )によるとされる。標準中国語 では、香港を「Xiānggǎng 」(シアンカン)と発音する。
中国語での別名に香江 があり、略称は港 。英文での略称はHK 。
行政上の正式名称
繁体字 :中華人民共和國香港特別行政區 ( 広東語発音 [ヘルプ /ファイル ] )
簡体字 :中华人民共和国香港特别行政区 (中国本土における書法)
英語 :Hong Kong Special Administrative Region of the People's Republic of China
歴史
1937年撮影の香港
1959年制定の紋章
1959年から1997年の香港返還 まで公式に掲揚された香港の旗 。返還後は抗議デモなどで掲げられることがある。
香港の広東語話者の大多数 は主に隣接する広東省 が起源であり[ 26] 、1930年代から1960年代に中国 での戦争や共産主義 体制からイギリス の植民地 であった香港に逃れて来た人々である[ 27] [ 28] [ 29] [ 30] 。1839年 から1842年 のアヘン戦争 後、香港は大英帝国 の植民地として設立された。香港島 が最初にイギリスに永久割譲され、1860年 に九龍半島 が割譲 、1898年には新界 が租借 された。
太平天国の乱 (1851年〜1864年)、義和団事件 (1900年〜1901年)、辛亥革命 (1911年〜1912年)、日中戦争 (1937年〜1945年)などが原因で、香港には難民が続々となだれ込んだ。植民地人口の約半分が香港島に住み、残りは九龍半島または舟に居住した。島の方は岩肌に水が浸透しないため、設備なしには真水の供給が難しかった。1885年、香港で利用可能な水は1人1日あたり18リットルであった。1918年になると設置できる土地は貯水池とそこまでの水路でほぼ埋まり、島表面積の3分の1にもなった。それでも人口増加による水需要の増加には追いつかなかった。新界も状況は似て、1936年に大規模なジュビリー・ダムを完工したにもかかわらず、1939年の時点で24時間給水は雨季にしかできなくなっていた。当時香港全体で1人1日あたりの水消費量は75リットルと推定されている[ 31] 。第二次世界大戦 (1941年〜1945年) 中、日本軍 とイギリス軍 ・香港義勇軍 の間で香港の戦い が勃発したが、まもなくして前者が勝利し日本の占領 が1945年8月まで続いた。戦前から2011年現在まで、香港は慢性的な水不足に悩まされている[ 32] 。問題が激化した1960年代には中華人民共和国から水の輸入を増やしてパイプライン(東深供水プロジェクト (中国語版 ) )も築かれた[ 33] 。水不足問題は後に、租借していた新界のほか割譲されていた香港島・九龍も含めた香港全領域を返還せざるを得ない状況にイギリスを追い込むことになる。
戦後は中華民国 に返還されずにイギリス統治が再開され、1997年 まで続いた。一方、植民地時代の積極的不介入 方針は香港の文化 および教育制度 の形成に大きく影響した。なお、香港の教育 制度はおおむねイギリス式であったが、その後2009年に制度改革が実施された。1989年に北京で六四天安門事件 が発生すると、香港では再び移民ブームが巻き起こった。大部分の香港からの移民はイギリス連邦の構成国であるカナダ のトロント やバンクーバー 、オーストラリア のシドニー やメルボルン 、シンガポール に向かった。イギリスは中華民国ではなく中華人民共和国をその返還・移譲交渉相手に選び、中華人民共和国間との交渉と英中共同声明 の結果として、香港はイギリスから中華人民共和国に返還および譲渡 された。一国二制度 の原理の下、1997年7月1日に最初の特別行政区 になった。1999年12月にポルトガル から移譲されたマカオ も特別行政区である。
現在[いつ? ] も香港は中華人民共和国とは異なる法制度・政治制度を有する。香港の独立した司法機関 はコモン・ロー の枠組みに従って機能する[ 34] [ 35] 。英中共同声明 において正式に記された条項に基づいた返還以前に、中華人民共和国側により起草された定款である香港特別行政区基本法 において香港の政治 は行われ[ 36] 、国際関係および軍事防御以外の全ての事柄において高度な自治権を有することを規定している[ 37] 。なおこの自治権は中国中央指導部の委任・承認に基づき地方を運営する権限であり、完全な自治権、地方分権的なものではないとされる(2014年6月10日中国国務院白書)。
略歴
地理
香港の地図
香港は、香港島 、九龍半島 、新界 および周囲に浮かぶ263余の島を含む。面積は東京23区 の約2倍、沖縄本島 や札幌市 と同程度に当たる。
ランタオ島 (大嶼山)は香港島の2倍の面積を有する香港最大の島であり香港国際空港 の空港島が隣接している。2005年 9月には島内にディズニーランド が開園した。
香港の地形は山地が全体に広がり、香港全土の約60%、約650平方キロメートルを占める[ 45] 。最高標高は958メートルの大帽山 である。中国本土との境界地域に広がる元朗平原 を除き平地は少ない。元朗平原付近の海岸部には湿原 が広がる。また、沿海の一部地域に柱状節理 や堆積岩 が分布しているため、ユネスコ世界ジオパーク にも指定されている[ 46] 。
気候
温帯夏雨気候 (熱帯モンスーン気候 - 温暖湿潤気候 移行部型)に属し、秋 ・冬 は温暖で乾燥しており、春 ・夏 は海からの季節風と熱帯低気圧 の影響で高温湿潤という気候である。
秋はしばしば台風 に襲われ、スターフェリー やマカオ へ向かう水中翼船 などの船舶や航空便、トラム路線が運行停止になることもある。台風の警報が発令されると各種イベントが中止となるだけでなく、学校や企業、官公庁も休業となる。
冬は北風により中国本土の粉塵、工場や自動車 の排ガスが流入することが多く、近年はそれによる霧や靄がしばしば発生している。九龍、香港島地区では、最低気温が10度を下回ることもあり、新界地区では、最低気温が5度を下回ることもあり、凍死者も出るため気温低下が予測される日には暖房設備を準備した公共施設を開放することがある。
香港(1991年 - 2020年)の気候
月
1月
2月
3月
4月
5月
6月
7月
8月
9月
10月
11月
12月
年
最高気温記録 °C (°F )
26.9 (80.4)
28.3 (82.9)
30.1 (86.2)
33.4 (92.1)
36.1 (97)
35.6 (96.1)
36.1 (97)
36.6 (97.9)
35.9 (96.6)
34.3 (93.7)
31.8 (89.2)
28.7 (83.7)
36.6 (97.9)
平均最高気温 °C (°F )
18.7 (65.7)
19.4 (66.9)
21.9 (71.4)
25.6 (78.1)
28.8 (83.8)
30.7 (87.3)
31.6 (88.9)
31.3 (88.3)
30.5 (86.9)
28.1 (82.6)
24.5 (76.1)
20.4 (68.7)
26.0 (78.8)
日平均気温 °C (°F )
16.5 (61.7)
17.1 (62.8)
19.5 (67.1)
23.0 (73.4)
26.3 (79.3)
28.3 (82.9)
28.9 (84)
28.7 (83.7)
27.9 (82.2)
25.7 (78.3)
22.2 (72)
18.2 (64.8)
23.5 (74.3)
平均最低気温 °C (°F )
14.6 (58.3)
15.3 (59.5)
17.6 (63.7)
21.1 (70)
24.5 (76.1)
26.5 (79.7)
26.9 (80.4)
26.7 (80.1)
26.1 (79)
23.9 (75)
20.3 (68.5)
16.2 (61.2)
21.6 (70.9)
最低気温記録 °C (°F )
0.0 (32)
2.4 (36.3)
4.8 (40.6)
9.9 (49.8)
15.4 (59.7)
19.2 (66.6)
21.7 (71.1)
21.6 (70.9)
18.4 (65.1)
13.5 (56.3)
6.5 (43.7)
4.3 (39.7)
0.0 (32)
雨量 mm (inch)
33.2 (1.307)
38.9 (1.531)
75.3 (2.965)
153.0 (6.024)
290.6 (11.441)
491.5 (19.35)
385.8 (15.189)
453.2 (17.843)
321.4 (12.654)
120.3 (4.736)
39.3 (1.547)
28.8 (1.134)
2,431.2 (95.717)
平均降雨日数 (≥0.1 mm)
5.70
7.97
10.50
11.37
15.37
19.33
18.43
17.50
14.90
7.83
5.70
5.30
139.90
% 湿度
74
79
82
83
83
82
81
81
78
73
72
70
78
平均月間日照時間
145.8
101.7
100.0
113.2
138.8
144.3
197.3
182.1
174.4
197.8
172.3
161.6
1,829.3
日照率
43
32
27
30
34
36
48
46
47
55
52
48
41
出典:香港天文台 [ 47] [ 48] [ 49]
政治
立法会 議事堂
行政長官官邸
1912年、中環 に設立された花崗岩 造りで新古典主義建築 の終審法院庁舎 。最高法院として建てられ、1985年から2011年は立法局・立法会議事堂として使われ、2015年以降は香港終審法院 となった。
香港の政治の特徴は香港返還 (主権移譲)後に施行された一国二制度 にある。この制度に基づき、香港は社会主義国 である中華人民共和国の中で2047年 まで資本主義 システムが継続して採用されることになっている。政治的には、植民地時代の行政、官僚 主導の政治体制から、民主化 ・政党政治への移行が期待されたものの、中華人民共和国からの度重なる介入により民主化の後退が懸念される事態に直面している[ 50] 。
1997年に香港は香港特別行政区 として改編され特別行政区政府 が即日成立した。香港特別行政区は中華人民共和国において省 や直轄市 と同等(省級)の地方行政区 とされる。しかし中華人民共和国憲法 第31条および香港特別行政区基本法 に依拠し、返還後50年間は一定の自治権 の付与と本土(中国大陸 )と異なる行政、法律、経済制度の維持が認められている。そのため、香港は「中国香港」(英 :Hong Kong, China)の名称を用い、中華人民共和国とは別枠で経済社会分野における国際組織や会議に参加することができる。(詳細は香港の対外関係 を参照のこと。)
しかし、香港は「港人治港 」として「高度な自治権」を享受しているが、外交権と軍事権以外の「完全な自治権」が認められているわけではない。2019年の逃亡犯条例改正案 検討、さらに2020年、国家安全維持法 が香港に適用され、各国は「一国二制度」が崩壊しもはや「一国一制度」であると表明している[ 20] [ 21] [ 22] [ 23] [ 24] [ 25] [ 51] [ 52] 。
首長 である行政長官 は職能代表制として職域組織や業界団体の代表による間接 、制限選挙 で選出されることになっており、その任命は中華人民共和国国務院 が行う。香港の立法機関である立法会 の議員(定員70人)は、半数(35人)が直接 、普通選挙 によって選出されるが、残り半数(35人)は各種職能団体 を通じた選挙によって選出される。
行政長官と立法会議員全員の直接普通選挙化をどの時期から開始するか、香港返還直後から議論になっている。2007年 12月29日 に全国人民代表大会 の常務委員会 が、行政長官の普通選挙の2017年 実施を容認する方針を明らかにしたものの、立法会議員全員の直接選挙については今なお時期について言及していない。
司長や局長(英語ではいずれもSecretary、閣僚 に相当する)は行政長官の指名により中華人民共和国国務院が任命する。行政長官と司長局長クラスに限っては中国籍の人物でなければ就任できないが、それ以外の高級官僚(部長クラスなど)にはイギリス人 やイギリス連邦 諸国出身者も少なくなく、新規採用も可能である。
香港基本法の改正には全国人民代表大会の批准が必要であり、香港特区内では手続きを完了できない。同法の解釈権も全国人民代表大会常務委員会が有している。香港の司法府である終審法院 の裁判権は香港特区内の事案に限定され、香港が外地ではなく、独立という選択肢がない中国の不可分一体の領域であるためである[ 53] 。
現在、基本法によって香港では集会の自由 や結社の自由 が認められているため、中国本土とは異なり自由な政党 結成が可能であり、一定程度の政党政治が実現していた。香港の政党は民主派 (民主派 〈中国語版、「泛民主派」とも〉、Pan-democracy camp )と「親中派」(建制派 〈中国語版〉、Pro-Beijing camp )に大別され、立法会議員全員の普通選挙化について、民主派は2016年 からの実施を、親中派は2024年 からの実施をそれぞれ主張していた。しかし、民主派は徹底的に弾圧され、現在は、愛国者検査があり、共産党を礼賛する人間以外は立候補すらできない。
2023年、カナダと米国のシンクタンクが合同で発表した「2023年世界自由度ランキング」において香港のランキングは、2010年には世界3位だったものが46位にまで下落している[ 54] [ 55] 。
行政区分
香港の衛星写真
香港には、18の行政上の下部地域がある。1982年 に区議会 が設置されたことに由来する。その後、九龍地区から新界への人口移動に伴い、区の再編が行われている。1985年 に、荃湾区から葵青区が分離した。1994年 には、油尖区と旺角区が合併し、現在の油尖旺区となった。
香港島
中西区 (中西區 :Central & Western District)
湾仔区 (灣仔區 :Wanchai District)
東区 (東區 :Eastern District)
南区 (南區 :Southern District)
九龍
九龍城区 (九龍城區 :Kowloon City District)
油尖旺区 (油尖旺區 :Yau Tsim Mong District/油 麻地・尖 沙咀・旺 角から成る区)
深水埗区 (深水埗區 :Sham Shui Po District)
観塘区 (觀塘區 :Kwun Tong District)
黄大仙区 (黃大仙區 :Wong Tai Sin District)
新界
北区 (北區 :North District)
西貢区 (西貢區 :Sai Kung District)
沙田区 (沙田區 :Sha Tin District)
大埔区 (大埔區 :Tai Po District)
元朗区 (元朗區 :Yuen Long District)
屯門区 (屯門區 :Tuen Mun District)
荃湾区 (荃灣區 :Tsuen Wan District)
葵青区 (葵青區 :Kwai Tsing District)
離島区 (離島區 :Islands District)
司法
終審法院大楼 の剣と天秤ばかりを携えた正義の女神 ・テミス 像。真実と公平性を天秤に掛ける正義の象徴である。
中華人民共和国本土とは異なり、「香港特別行政区基本法」に基づき、英米法(コモン・ロー )体系が施行されている。基本法の規定により、本土の法律は「別段の定め」がない限り香港では施行されない(広深港高速鉄道開業に関しては後述)。基本法の解釈問題以外の法体系はイギリス領時代と全く同一である。従って死刑 制度も存在しない。独自の法執行機関も保有している(香港警務処 )。
返還によりイギリス 領ではなくなったためにロンドン に枢密院を求めることはできなくなった。そのために1997年7月の返還と同時に裁判も原則として、香港特区内で完結する必要性が生じた。そのため、返還後、最高裁判所に相当する終審法院 が設置された。この時点で新たに設置の終審法院の判事 のために5人以上のベテラン裁判官 がイギリスから招聘された。返還後の司法体制のために旧宗主国 から高官 に当たるイギリス人 の人材を新たに招くという「珍事」は中央政府が英米法を厳格に適用するための人材について不足していることを率直に認めたことを表しており、意外な「柔軟性」あるいは「現実適応性」を確認する事象であったといえる。
終審法院の下には高等法院(高裁)、区域法院(地裁)、裁判法院(刑事裁判所)などがある。裁判は三審制 である。ただし、基本法の「中央に関する規定」および「中央と香港の関係にかかわる規定」につき、条文の解釈が判決に影響を及ぼす場合、終審法院が判決を下す前に全国人民代表大会常務委員会 に該当条文の解釈を求めることとされる。
香港は中国の一部ではあるものの、香港と本土との行き来は出入国に準じた取り扱いとなっている。2018年9月23日に香港と本土を結ぶ広深港高速鉄道 (香港西九龍駅 〜広州南駅 )が全線開通したことに伴い、同鉄道内で唯一香港に設置された香港西九龍駅では、香港と本土の出入境管理が行われるようになった。このため、同駅構内に引かれている黄色い線より片方は本土の警察が駐在することとなり、その先に本土の入域審査場と税関がある。中央政府と香港政府は香港内で出入境手続きを済ます「一地両検」について「乗客の利便性を考えた」としている[ 56] 。
対外関係
中国の一部である香港に外交権はないが、基本法の規定により香港特別行政区は経済社会分野の条約 の締結、国際会議や国際機構 への参加が認められている。対外実務に関しては中央政府の出先である外交部駐香港特派員公署 が管轄している。
経済分野では香港政府独自の域外・在外代表部を置いている。国外の香港経済貿易弁事処は商務及経済発展局が管轄し、中華人民共和国本土にある駐北京弁事処と駐粤 経済貿易弁事処は政制及内地事務局が管轄している。駐北京弁事処は政務司司長 (政務長官)の管轄であったが、2005年の行政長官施政方針において対中央政策を政制事務局(後の政制及内地事務局)に集中させる方針が出され現在の形態となった。
台湾の航空機や船舶の香港乗り入れや台湾人の香港への旅行条件は返還前と変わらないが、航空機や船舶に中華民国の国旗である青天白日満地紅旗 を塗装・掲揚することは事実上禁止されている。香港返還を控えた1995年に、チャイナエアライン の保有する航空機の塗装が塗り替えられ、青天白日満地紅旗に代わり新しいコーポレートシンボルの梅の花が垂直尾翼に描かれるようになった。
香港人が中国本土へ入境する際には、パスポート や香港身分証の代わりに「港澳居民来往内地通行証(回郷証)」が必要とされる。
出入境管理 は中国大陸とは別個に実施されており、査証 も異なる。ただし、先述の通り経済分野以外の在外駐在機関がないため、申請は各地にある中国大使館 が窓口となっている。
1997年の香港返還 以来、中国本土の大幅な経済成長により民間交流は活発化している。例えば中国本土から香港の大学に入学し香港で就職する内地人が4割、香港から中国本土の大学に入学し就職する香港人が6割という現象が起きている[ 57] [ 58] [ 59] 。広東省の曁南大学 で学ぶ香港人学生はこれまで80%の卒業生が香港での就職を希望したが、2009年になると50%が本土での就職を希望している。香港男性と大陸女性の婚姻 件数は1996年の2215件から2006年の1万8000件となり、香港女性と大陸男性の婚姻件数も1996年の269件から2006年の3400件と大幅に増加している。2006年には香港の婚姻件数5万件のうち4割が香港人と大陸人の婚姻となっている。男女の人口比率は2007年には912:1000であったが、30年後には大陸女性が香港男性と婚姻し定住する案件が増加するため709:1000となる推測も出されている[ 60] 。
購買力が高い香港ではメイド を雇用する家庭が多い[ 61] 。その働き手として15万人のフィリピン人 が香港に在住している。しかし1990年代にも香港のコンドミニアムで「フィリピン人メイドと犬の使用禁止」の貼り紙が出され、2009年に香港の著名コラムニストが南シナ海南沙諸島領有権問題に絡んでフィリピンを「召使いの国」と揶揄するなど、香港人の差別意識が問題となっている。
一方大陸から香港への観光客は飛躍的に増加し最大の観光客となっている。特に香港との経済格差が小さい深圳では非戸籍者へのビザ取得規制が大幅に緩和され、リピーターが増加している。
姉妹都市
軍事
第一次および第二次世界大戦の戦死者を追悼する和平記念碑 。石造りで、ロンドン ・ホワイトホール の慰霊碑 のほぼ原寸大の複製物である (エドウィン・ラッチェンス 作、1920年発表)[ 62]
返還前はイギリス軍が昂船洲(ストーンカッタース)や赤柱(スタンレー)などの基地に正規兵のほかにグルカ兵 などの傭兵 を含む海軍、陸軍部隊(駐香港イギリス軍 )を駐留させていた。同司令官は香港総督の下に位置した。
返還後にはイギリス軍に代わり人民解放軍駐香港部隊 が駐留している。人民解放軍駐香港部隊の司令部が置かれているセントラルの「中国人民解放軍駐香港部隊大廈 」は、返還まではイギリス軍の司令部が置かれていたプリンス・オブ・ウェールズ ・ビルであった。人民解放軍駐香港部隊司令官は、中央軍事委員会 および中華人民共和国国防部 の下にあり、香港行政長官には部隊への指揮権がない。
基本法の規定により、イギリスの同盟国であるオーストラリア やアメリカ を含む外国艦艇の休暇上陸(レスト&レクリエーション)を含む寄港は返還後も中央政府の同意を経て可能とされている。ただし中央政府の意向により寄港が許可されないケースもある。
人口
香港の人口ピラミッド
香港は世界で最も人口密度が高い地域の一つである。
2016年の中期人口統計によると、香港の人口は733万6585人、2011年の人口調査以降の年平均人口増加率は0.7%であった[ 6] 。香港は世界で最も人口密度 が高い地域の一つであり、1平方キロメートル当たりの人口密度は6540人(2010年)である[ 63] 。2022年には729万1600人となっている。18の区 のうち最も人口密度が高い観塘区 では5万4530人に上る[ 63] 。香港の出生率は0.869であり、人口代替率2.1をはるかに下回っている。
香港島北部の住宅地と九龍半島に人口が集中している。両者を合わせて127.75平方キロメートルと香港全体の面積の12%弱の地域に、香港総人口の約48%に当たる約338万人が居住している。九龍地区の1平方キロメートル当たりの人口密度は4万4917人、同じく香港島北部は1万5726人である(いずれも2010年)。
同地域は「海外からの移住者が仕事探しを行える環境」として比較的恵まれていることが特徴ともなっており、労働移住者の割合は24%(世界7位)という高めなものとなっている[ 64] 。香港の人口で最も多いのは「華人 」と呼ばれる中国系で、全体の93%を占める。華人以外で多いのはメイド などの出稼ぎ労働者 として多くが働いているフィリピン人 やインドネシア人で、かつての宗主国のイギリス人 が次ぐ。日本人 は約2万4000人居住している。
香港返還 以降の人口増加の大半は中国本土からの移民による。香港大学アジア太平洋研究センターの鄭宏泰助理教授は「中国本土からの移民人口を総合すると、2001年時点の香港総人口の約1割に当たる」と指摘する[ 65] 。2015年の調査によると、1997年の香港返還以来、中国本土から香港に移り住んだ人の数が87万9000人に達していることが明らかになった。香港の人口(730万人)の8人に1人が本土出身者という計算になる。
一方で、近年は前述した国家安全法の施行や少子高齢化 で、香港の人口減少が加速している[ 66] 。
香港のニュータウン
宗教
仏教 ・道教 、ついでキリスト教 徒(1993年 ではプロテスタント 25万8000人、カトリック 24万9180人)が多い。
道教に根ざした思想や風習が広く市民の間に浸透している。関帝 や天后 など道教の神を祀った寺院 (道観 )が、中心部・郊外を問わず、各所に建てられている。近代的なビルの一角やオフィス、店舗の片隅に関帝 が祀られていたり、路傍などに土地神を祀る小さな祠がしつらえられていることも多く、そこには多くの場合、線香や供物が絶やさず供えられている。
イギリスによる長年の統治の影響により、キリスト教も比較的広く信仰されている。歴史的な建造物であるものから雑居ビルの一室のものまで含めた各宗派の教会や、キリスト教系の団体を母体とする福祉施設や学校などが数多く存在している。ほかにも仏教 寺院やイスラム教 のモスク 、日本の宗教団体の施設などもある。
経済
中環 の複合商業施設である国際金融中心
国際通貨基金 の統計によると、2015年 のGDP は3092億米ドルである[ 67] 。2015年の一人当たりのGDPは4万2294米ドルであり、世界的にも上位に位置する。2016年 の一人当たり国民総所得 (GNI)は4万3240ドルでドイツ に次ぐ世界第16位となっている[ 68] 。
アメリカのシンクタンク が2017年 に発表した総合的な世界都市 ランキングにおいて、世界6位の都市と評価された[ 69] 。アジアの都市ではシンガポール 、東京 に次ぐ3位である。日本 の民間研究所 が2017年 に発表した「世界の都市総合力ランキング 」では、世界9位の都市と評価された[ 70] 。世界屈指のビジネス拠点であり、2012年 5月、スイス のシンクタンクによって、2年連続で「世界で最も競争力 の高い国・地域」に選ばれた[ 71] 。
富裕人口 も非常に多く、金融資産100万ドル以上を持つ富裕世帯は約21万世帯であり、フランス やインド を凌いでいる。およそ11世帯に1世帯が金融資産100万ドル以上を保有しており、世界有数の密度を誇る[ 72] 。個人資産10億ドル以上を保有する大富豪 は2016年時点で68人であり、ニューヨーク に次ぎ、世界で2番目に多い都市 である[ 73] 。
経済自由度指数 が世界で最も高く、25年連続で「世界で最も自由な経済体」に選出されているように[ 74] 、経済形態は規制が少なく低税率な自由経済 を特徴とする。食料や日用品などの対外依存度が高い。もともとイギリス の対中国貿易の拠点であったことから中継貿易 が発達していた。1949年 に中華人民共和国が成立すると、大陸から多くの移民が香港に流入、それを安価な労働力として活用することで労働集約型の繊維産業やプラスチック加工などの製造業が発達した。
1970年代からは、香港政庁 が新界における住宅団地開発や交通インフラ整備などに着手(詳細は積極的不介入 を参照)、香港経済は急速な発展を遂げる。しかし1970年代後半になると労働コストの上昇や工業用地不足などの問題が顕在化してきた。そして中華人民共和国の改革開放 政策により1980年代からは従来の製造業は広東省の深圳市 や東莞市 をはじめとする珠江デルタ へと移転、香港は中華人民共和国を後背地とする金融センター ・物流基地へ転換した。
1997年の返還後は中国本土への経済的依存は強まり、2003年には中国本土・香港経済連携緊密化取決め (CEPA I)が中国本土と香港の間で調印され、その後も補充協議が実施・締結されている。広東省 のイニシアティブによる汎珠江デルタ協力(9+2協力)にも参加している。香港は、世界最大級の都市圏(グレーターベイエリア )を目指す粤港澳大湾区 構想の一部でもある[ 75] [ 76] 。
イギリス時代から完備された法体系や税制上の優遇措置、高い教育水準を有し英語が普及していることから、賃貸物件賃料が世界最高水準であるにもかかわらず、アジア市場の本社機能を香港に設置する欧米企業が多く存在する。
香港のGDP の80%をサービス産業 が占める。観光産業がGDPの約5%を占めるほか、古くから映画 産業が盛んである。香港経済界の代表的人物として長江集団 を率いる李嘉誠 が挙げられる。
地価が高いこともあり、香港はシンガポールと同じく物価高の傾向があり、商品や為替変動によっては東京の消費者物価を上回ることがある。
企業
電力や通信などの社会インフラ企業 をはじめ建設や運輸、金融 や流通、サービス業や報道機関 まで、さまざまな業種の大企業がそろっており、東南アジア や中華人民共和国のみならず、日本やイギリス、アメリカなどへ進出している企業も多い。
主な財閥、企業グループは、イギリス 系、華人 系、中国本土系の三つに大まかな分類ができる。華人系には長江実業 グループや会徳豊などがある。伝統的にはイギリス系のジャーディン・マセソン やスワイヤー・グループ 、香港上海銀行 が有力だが、前二者は1970年代以降、ハチソン・ワンポア (長江実業グループ傘下)などの華人系財閥による買収などで勢力を縮小させている。中国本土系の企業としては、華潤集団 、招商局集団 、中国銀行 (香港) 、中国旅行社やCITICがある。
日系企業 の進出が盛んであり、2018年時点で1393社の日系企業が、香港に拠点をおいている。これは、香港に進出している外資系企業の中でアメリカ などの欧米企業を抑えてトップの数である[ 77] 。
金融
2021年 3月に発表された金融センター ランキングにおいて、世界4位と評価された[ 78] 。アジアでは上海 に次ぐ2位である。2016年の外国為替市場 の1日当たりの取引額は4370億ドルであり、日本 を追い抜き、イギリス 、アメリカ、シンガポール に次ぐ4位に浮上した[ 79] 。
貨幣・金利
貨幣である香港ドル は、イギリス系の香港上海匯豊銀行 (HSBC)とスタンダードチャータード銀行 (香港渣打銀行)、中国系の中国銀行 (香港) の商業銀行3行によって発行されている。ただし10香港ドル紙幣 の一部と硬貨 は、香港金融管理局 が発行している。
返還後の2001年 に金利が自由化されたものの、2005年5月18日にアメリカ合衆国ドル とのペッグ制から目標相場圏制度に移行されたことにより、金利は基本的にアメリカ合衆国 の金利動向に追従する。
外貨準備高
4500億USドル(2020年7月末)
証券
主要な証券取引所として、1891年 に開設された香港証券取引所 (香港交易所、Hong Kong Stock Exchange)があり、東京証券取引所 やシンガポール証券取引所 と並び、アジア を代表する証券取引所となっている。市場の動きを表す指数として、代表50銘柄を対象として時価総額 加重平均で算出した「ハンセン指数 (恒生指數 、Hang Seng Index)」がある。
株式市場
上場株式時価総額:5兆7783億USドル(2019年4月)[ 80]
運輸
海運
コンテナ取扱量 1796万TEU (20フィートコンテナ換算、2020年)[ 81]
空運
取扱貨物 4.6百万トン(2019/20年度)[ 82]
観光
世界三大夜景 のヴィクトリア・ハーバー 夜景(香港島 )
香港島の繁華街(銅鑼湾 )
「Sky100(展望台 )」(環球貿易広場 )
山頂駅 (展望台)
沙田競馬場
尖沙咀 のアベニュー・オブ・スターズ
スターフェリー
香港ディズニーランド
香港海洋公園
ラマ島 (南丫島)
長洲島
西貢 大浪湾シャープピーク
世界有数の観光都市 であり、イギリスの市場調査会社ユーロモニター が公表した統計によると、外国人旅行者の来訪数が世界で最も多い都市であり、2012年 には約2,380万人が訪れた[ 83] 。
観光 産業が経済的に大きな位置を占めるということもあり、香港政府観光局 や、フラッグ・キャリア のキャセイパシフィック航空 を中心に海外での宣伝、観光客の誘致活動が大々的に行われており、現在、観光親善大使を香港出身の映画俳優 であるジャッキー・チェン が務めている。
香港島中西区には香港上海銀行・香港本店ビル や中国銀行タワー 、国際金融中心 などをはじめとする超高層オフィスビル やホテル が、九龍区には環球貿易広場 、油尖旺区などの繁華街には大規模なショッピングモールやさまざまな様式のレストラン、高級ブランド のブティックやエステサロンなどが立ち並び、活況を見せている。
香港は世界三大夜景 の一つである。古くから「100万ドルの夜景 」の異名で世界的に知られており、特に香港島のヴィクトリア・ピーク や、尖沙咀のウォーターフロント・プロムナード近辺からの眺望が名高い。12月のクリスマス シーズンから農暦新年 (旧正月 )にかけては、ヴィクトリア・ハーバー沿いに建つビルに特別のイルミネーションが施される。
郊外や島嶼部では昔ながらの風景や自然が多く残されており、ハイキング などを楽しむことができる。2005年 9月に香港の新たな名所としてランタオ島に香港ディズニーランド がオープンした。
1960年代 から映画産業が盛んであったこともあり、現在も香港映画 の多くにこれらの観光名所が登場するほか、日本やアメリカの作品においてもこれらの観光名所が登場することも多く、観光客誘致に一役買っている。
近い上に観光資源が豊富なことから、1970年代 の海外旅行ブーム以来、日本人 の間で人気の旅行先としての地位を保っている。それに対して日本が香港市民の人気の旅行先として定着しており、当初は東京(東京ディズニーランド や原宿 など)を主な旅行先とするケースが多かったものの、東北地方 の温泉 地巡りや北海道 でのスキー 、大阪 や九州 のテーマパーク など、その目的地が日本全国へと広がってきており、香港市民の日本へ対しての興味の幅広さがうかがわれる。
観光スポット
香港島
九龍
新界、離島
ホテル
ザ・ペニンシュラ香港 (左)とシェラトン・香港 (右)
ローズウッド香港
ザ・リッツ・カールトン香港-九龍
コンデナスト・トラベラー やインスティテューショナル・インベスターなどのホテルランキングで高い評価を受ける超高級ホテル や国際的チェーンホテルから、長期滞在者向けの低価格宿泊施設までさまざまなホテルがそろっている。
交通
150以上の駅を有する香港MTR
香港トラム
通信
香港では郵便 、電話 、インターネット など地球上で使用可能な通信手段は概ね全て享受でき、サービス品質も世界中で最も高い部類に入る。ただし電報 は利用者が減りサービスが終了した。電話は多数の通信運営会社が設立され、各社の自由な競争の結果、消費者 は安価で良質なサービスが受けられるようになっている。金盾 のある中国大陸 とは異なり、通信の自由は保障されていた。
郵便
香港での郵便事業は、公共企業体香港郵政 が行っており、これはイギリス統治時代から引き継がれたものである。1997年の中華人民共和国への返還後も、中国郵政 とは切り離して運営されている。ただし返還にあたっては、香港郵政のコーポレートアイデンティティ が変更されるなどの変化が見られた。現在、香港にある郵便ポストの色は深緑であり、これはコーポレートカラー にもなっている。香港は「中国香港」名義で万国郵便連合 に加盟している。
電話
固定電話
固定電話同士の市内間通話料金は、基本的に無料である。香港の固定電話事業のサービスは数社が行っている。最大手は電訊盈科で、その後に和記電訊や新移動電訊などが続く。香港でも日本と同様固定電話にも番号ポータビリティ 制度が存在するため、各社の競合が見られる。
香港の主な電話会社
※2007年6月現在。
国際電話 は、香港ではその運営会社が数十社あるといわれており、料金からサービス品質まで、消費者にとってはさまざまな選択が可能となっている。
市内には公衆電話 が多数設置されている。中にはクレジット 機能を持つIDカード が使用できたり、公衆電話端末の液晶ディスプレイ からインターネットを閲覧できたりする高機能型のものもあるが、携帯電話などの普及によりその数は減少傾向にある。
携帯電話
現在香港では、多数の携帯電話 運営会社が乱立している状態にあり、その中で競合が激化している。香港の携帯電話普及率は概ね人口比の8割から9割で、世界で最も高い水準にある。各社とも電波受信エリアの人口カバー率 はほぼ100%であり、地下鉄やトンネル、超高層ビルなどを含む香港のほとんどの場所で発着信が可能である。
香港の主な携帯電話会社
香港では、月ぎめによる一般的な契約形態に加えて、プリペイド式携帯電話 のような前払い料金制での契約も多い。欧米諸国と同様に着信にも課金される。
日本国内で契約された携帯電話端末には、香港で使用可能なローミング サービスが提供されているものがある。国際ローミングの対象でない日本の端末は香港では使用できず、機能・サービスによって利用できない場合がある。
日本国内で契約された端末の国際ローミング料金は非常に高いため、香港によく渡航する人はプリペイド式携帯電話 を香港で購入した方が経済的。空港やコンビニなどで各社プリペイドSIMカード を購入するには香港身分証は必要ない。月額式の加入契約には香港身分証と住所証明書のみ必要になる。香港以外に渡航した場合でも、渡航した国にてSIMカード を購入すれば日本、韓国以外の全世界で利用可能。
オーストラリア・イタリアなどと同様、香港で販売されている携帯電話には、電話会社を限定させるSIMロック がかかっていない。iPhone をはじめさまざまなSIMフリー の電話機が流通しているため、日本を始め世界各国で人気が高い。各国のさまざまな携帯電話のSIMロックを外すサービスも数多く存在する。
インターネット
香港でのインターネット 接続は、普及率の高いブロードバンドインターネット接続 が主流である。光ファイバー 接続も普及してきている。香港のインターネット普及率は、概ね9割程度と高水準である。数多くのインターネットサービスプロバイダ が事業を展開している。
香港では個人のインターネット普及率が高く、市街のいたるところに、無料で使用できる無線LAN のGovWi-Fi や、通信会社による公衆無線LAN が設置されている。宿泊施設では、高級ホテル から、ゲストハウスといわれるバックパッカー用の安宿まで、無料の無線LANが普及している。
「一国二制度 」の方針により、特別行政区として高度な自治権を有する香港では、インターネット上の言論および表現に対して、中華人民共和国政府によるいかなる規制・統制・監視も行われないこととなっており、現在はその方針が遵守されている。ただし香港の捜査当局が犯罪捜査のため盗聴を行うことは認められている。
この一国二制度の遵守により、香港はマカオ とともに、中華人民共和国領内に及ぶ広域ファイアウォール である「金盾 」のネットワークの外にある。逆に中国本土からは閲覧や検索のできない香港のニュースメディアやウェブサイトが多数存在することが確認されている。
香港の国別コードトップレベルドメイン は「.hk 」である。香港で登録されるドメイン名 は、現在ではセカンドレベルドメイン によるものが最も一般的となっている。
報道、メディア
香港基本法は言論 および報道の自由 や通信の秘密 を保障していることになっている。かつては、言論および報道の自由が極度に制限されている中国本土と異なり、香港基本法の存在のためにこれらの規定は遵守されていた。
もっとも広告 主となる企業の多くは、中国大陸で活動する上で、中国共産党・中央政府の意向を気にせざるを得ないこともあった。香港経済における中国系企業のプレゼンスも増大にともない、広告収入に依存するメディア には、「自主規制」する傾向が出ていたといわれる。有力なメディアが中国寄りの企業に買収されるケースも起こっていた。新聞の値下げ競争が、独立したメディアの存続を危機にさらし、広告収入への依存を強めているという側面もあった。
香港国家安全維持法 (国安法)制定以降は、当局によるメディアへの締め付けが本格化しており、蘋果日報の廃刊や記事の大量削除などの自主規制が増えており、香港から言論の自由が失われた。
新聞
主な新聞には、『信報財経新聞』『経済日報』『明報 』『成報』『東方日報 』『星島日報 』などがある。『蘋果日報』が最も中国共産党政府・香港特区政府に批判的といわれていたが、弾圧、廃刊に追い込まれた。一方、中国系の新聞としては『文匯報 』『大公報 』『香港商報』がある。
英語の新聞としては、『サウスチャイナ・モーニング・ポスト (South China Morning Post)』がある。これらの新聞は、街のブックスタンドで販売されている。ブックスタンドでは、香港で印刷されている日本など世界各地の新聞や競馬新聞 、各種雑誌 類を販売している。日本の新聞では日本経済新聞国際版 が香港を印刷拠点としている。かつて発行されていた朝日新聞国際衛星版 、読売新聞国際版 も香港に印刷拠点を置いた。
テレビ
地上波放送には無綫電視 (無綫、TVB) 、香港電台 (港台電視、RTHK TV)、香港電視娯楽 (ViuTV、ViuTVsix)、奇妙電視 (香港開電視〈HKOTV〉、香港國際財經台〈HKIBC〉)の4事業者がある。
ケーブルテレビ 局有線電視 などの有料放送も数社存在するほか、アジア各地を放送エリアとする「STAR 」や鳳凰衛視 [ 注 4] のような衛星放送 局も、香港を拠点としている。
香港のテレビ放送は、香港周辺のマカオ や広東省 各地で地上波放送が受信されているだけでなく、世界各地で番組が放送されており、香港文化伝播のメディアとなっている。逆に香港では中国国内の衛星放送をおおむね受信できるが、個人で受信する例は少ない。
ホテルでは、客室で日本のNHK の国際放送(NHKワールドTV )や、BBC など欧米の衛星放送、アジア各地の放送を視聴できるようにしている例が多い。
2009年、香港政府は無料放送免許を新たに交付することを決め、有料テレビ放送を運営しているケーブルテレビ局や通信企業を親会社とする3社が申請した。2013年10月15日に、有線電視 系列の「奇妙電視 」(Fantastic Television Limited)と、now TV 系列の「香港電視娯楽 」(Hong Kong Television Entertainment Company Limited)に対して免許交付を認めたのに対し、残りの「香港電視網絡」(Hong Kong Television Network Limited)の申請を却下する決定を行った。この決定に対して香港市民から批判の声が上がり、申請却下理由の公開などを求め、数万人規模の抗議デモが発生した[ 84] 。
ラジオ
公共放送の香港電台 (RTHK) のほか、民間放送の商業電台 、新城廣播 がある。DAB によるデジタルラジオ放送には4事業者が参入したが、いずれも放送を終了した。
言語
公用語
香港が中華人民共和国に返還、移譲された後(1997年以降)は、香港特別行政区基本法第9条により、香港の行政・立法・司法の場において用いることができる公用語 は「中文 」と「英文 」とされる。
基本法の公用語規定では単に「中文 」、「Chinese language 」とのみ記載されている。イギリス統治時代の1974年に制定された『法定語文條例 』により「中文」が公用語(法定語文)となった。中文に対応する口語については法的な規定がないものの、香港の人々は広東語 を事実上の共通語としており、「中文」を広東語と同一視している[ 85] 。ただし広東語は正書法が定められておらず、書き言葉はあくまで標準中国語 の繁体字表記(「書面語」)が用いられる(ダイグロシア )。歌曲の歌詞は書面語を広東語読みで歌い上げることが一般的である。人口 の93.7%が広東語を常用もしくは理解、58.7%が英語を常用もしくは理解、54.2%が標準中国語を常用もしくは理解している[ 86] 。香港政府は広東語・英語に加え標準中国語 (普通話 )の普及を図る「兩文三語 (Bi-literacy and Tri-lingualism )」政策を推進している[ 87] 。普通話教育の推進は、1980年代 から本格化した中華人民共和国の改革開放 政策により、中華人民共和国との往来が盛んになったことや、香港の中華人民共和国への返還が背景にある。かつては標準中国語で授業を行う学校は、中国共産党 系または中国国民党 系の学校だけであった。1990年代 からは、大部分の小中学校で普通話会話の授業を導入している。返還後、政府の会議も、通常普通話の同時通訳が用意されるようになった。香港では一般的に繁体字 で表記されるが、返還後、政府関係の資料は簡体字 でも提供される例が増えている(普通話は台湾やシンガポール等世界中で使われるため比較的反発が少ないが簡体字については民主派が導入に対しデモ等で反対している部分も多い)。正書法こそないものの、非公式な場では広東語 を漢字で表記することは日常的に行われている。このための方言字 も多用されており、政府が香港増補字符集 というコンピュータ用の文字セット を制定している。
英語 は、1843年 のイギリスの統治開始から1974年 までの間、唯一の公用語とされていた。香港返還後も中国語に並ぶ公用語として規定されている。香港はイギリス領であると同時に国際自由港でもあったため、社会的上昇の手段として英語の習得は重要であり、英語教育 の指向性は高かった。2003年 から、学科の内容理解を深めることを目標に、中学・高校で広東語 を用いて授業を行うことを奨励する政策(母語教学)を実施している。これは英語力が低下するおそれがあるため、数多くの保護者に歓迎されていない。
歴史的経緯から、香港で使われている英語はイギリス英語 の影響を強く受けている。そのため、日本でよく目にするアメリカ英語 による表記と比べて、例えば下記のような違いがある。
“centre ”(米:center)、“colour ”(米:color)など、単語の一部がイギリス風の表記をされる場合が多い。
建物の階層の数え方は、地上階(日本の1階)を“ground floor (G/F) ”と呼び、その上の階層を“first floor (1/F) ”、“second floor (2/F) ”…のように数える。
「地下道」を“subway ”、「エレベーター」を“lift ”、「小学校」を“primary school ”と呼ぶ(アメリカ英語ではそれぞれ“underground ”、“elevator ”、“elementary school ”)。
(詳細は、イギリス英語 、アメリカ英語 の項を参照)
他の言語
広東語以外には、標準中国語 、客家語 、潮州語 、上海語 、閩南語 などのほか、香港手話 を母語 とする人たちがいる。外国出身者では、タガログ語 、インドネシア語 、日本語 などを母語とする人たちが比較的多い。
香港における人名
かつてイギリスを宗主国 としていたことから、香港には本名とは別に英語名を持つ者が多く存在する。これは、例えば「陳(Chan)」と「張(Cheung)」のように漢字の人名が、26文字のアルファベットを用いる英語を母語 とする者にとって識別が困難であったり、また区別して発音しにくいものであったりするため、個人識別の補助手段としてイギリス人が現地の使用人や生徒などに名付けたのが起源であるとされている[ 88] 。
香港人の名乗る英語名のほとんどは、役所への届け出を経て名付ける正式な名前では無く通称 のようなものである。例外として、漢字圏以外に出自を持つ香港人が漢字名と外国語名を共に正式な名前とする場合などがある。IDカード やパスポート などへの記載は各自の選択に任されている。それ故、自由に名乗り、名乗ることをやめたり改名したりすることができる。
香港人の英語名は、学校で英語の授業を受ける際に教師 などによって名付けられたり、家庭によってはそれ以前の幼少期から本名と並んで名付けられたりする。ほかに、欧米人とのビジネスの機会が多いなど、仕事上の必要に応じて自ら名乗るケースもある。もちろん、その者の社会的な地位や考え方などによっては英語名を持たない場合もあり得る。
具体的な名乗り方は、多くの場合「英語名-姓」の順である(例:陳港生〈本名〉=ジャッキー〈英語名〉・チャン〈姓〉/日本ではジャッキー・チェン )。会話上では英語名のみで呼び合うことが多い。漢字名と姓名のアルファベット 表記を併記する場合は、漢字で本名を記載し、それに併せて「英語名-名(または名のイニシアル)-姓」(例:張卓立・Charles C.L. Cheung)と記載する。姓を中央に配置した表記も見られる。
欧米圏の言語を母語としない者が欧米風の名を名乗る以外のケースにクリスチャンネーム があるが、前述のとおり香港人の英語名はこれとは別の由来によるものが多く、英語名を名乗っていることとその者の信仰には関係が無い場合が多い。もっとも、実際のクリスチャンネームをそのまま使用している人もいる。
香港人の中には花の名前や宝石の名前、トマト やフルーツなど野菜 や果物 の名前などを英語名として使っている者もいるし、自分の本来の名前を英訳したものを英語名としている者もいる。英米人に限らず、フランス語圏 やスペイン語 圏、ポルトガル語 圏など、非英語圏の欧米人の名前を英語名(ここまで来れば、もはや英語名とも言えないが)として使用する者もいる。日本ブームにのり、一部の親日 香港人の間で、日本風の名前を「英語名」にする例も見られる。
香港在住の回族 にはアラビア語 名(キリスト教徒 のクリスチャンネームに相当)を名乗るものもある(例:王国力〈本名〉=アリー〈アラビア語名〉・ワン(姓))。中国大陸・台湾や朝鮮半島 、ベトナム も含めた漢字圏では香港の影響からか、香港以外でも英語名など欧米風の名を名乗る場合があるが、それらの多くは自称である。
教育
香港大学
香港中文大学
香港で有名な高等学校 ,英皇書院 (King's College)
学年度は9月に開始され7月までの2学期制で、1学期目は9月から1月で、2学期目は2月から7月までとなっている。
幼稚園
2006年、香港政府は幼稚園児を持つ家庭への「学券」(教育バウチャー )の配布を発表した。当初は、非営利の幼稚園に限定するとしていたが、営利の幼稚園や子供をそこに預けている人々からの反発を受け、政府は2007年9月以前に限って時限適用することを発表した。
初中等教育
イギリスの制度に準じ、初等教育6年間、中等教育6年間(前期中等教育3年間、後期中等教育3年間)となっている。義務教育 は、初等教育と中等教育の合計12年間で、その間の授業料は無料となっている。2009年以降初中等教育は基本無料となっている。
英語、中国語(広東語)、数学と通識教育(日本の社会科に相当)は後期中等教育の必修の科目。
高等教育
政府認可を受けた法定大学(公立)が8校ある。1911年に創立された香港初の総合大学であり、香港で最も評価が高くアジアでも有数の大学である香港大学 や、1963年に3学院の合併により設立された香港中文大学 が国際的に著名である。長らく香港の大学は、この2校だけであった。その後1984年に香港城市大学 、1991年に香港科技大学 、1994年に香港理工大学 と香港浸会大学 、1999年に嶺南大学 が成立した。新設された香港科技大学以外は、いずれも既存の学院からの昇格である。ほかに香港都会大学 (旧名香港公開大学)がある。2006年12月、樹仁学院が正式な大学への昇格を認可され、香港初の私立大学(政府からの資金援助を受けない)である香港樹仁大学 となった。
大学以外の高等教育機関としては、法定学院(公立)が2校(香港演芸学院 、香港教育学院 )、註冊専上学院(私立)が2校(珠海学院 、明愛徐誠斌学院 )ある。詳細は中国語版ウィキペディア「香港專上教育 (香港の高等教育)」の項を参照。
2000年からは「副学士 」制度が導入された。アメリカのコミュニティー・カレッジ が授与する準学士や日本の短期大学士 に相当するが、香港では大学などが実施する2年もしくは3年のコースとして実施されている。
香港で有名な女子高等学校瑪利諾修院學校 (Maryknoll Convent School)
3+3+4学制
3+3+4学制は、返還後、董建華行政長官が推進した教育制度改革 (中国語版)の一環である。中等教育における予科(2年間)を廃止し、1年間ずつ後期中等教育と大学に振り分ける。その結果、前期中等教育が3年間、後期中等教育が3年間、大学が4年間となる。新制前期中等教育は2006年度から、新制後期中等教育は2009年度から、新制大学は2012年度から開始される。
改革の理由は二つある。従来の予科の教科内容が専門的かつ高度すぎ、むしろ大学入学後に学習するのが適切な部分が多いとの批判があった。3+3+4学制のほうが、アメリカ合衆国など主要な諸外国の教育制度と親和性が高いとされた。
後期中等教育(日本の高校に相当)から理科系と文科系に分かれるため、前期中等教育の3年生で選択が求められる。従来の後期中等教育修了テスト「香港中學會考」と予科修了テスト「香港高級程度會考」は、「香港中學文憑考試 (中国語)」に一本化される。
文化
映画
香港の格闘技 に対する賛辞である星光大道 のブルース・リー 像
香港映画 産業がイギリスの植民地時代から盛んであり、すでに映画制作事業から撤退したが、ショウ・ブラザーズ やゴールデン・ハーベスト (嘉禾)などの大手映画制作会社の本拠地があるなど、広東語圏における映画産業の一大拠点として君臨しているだけでなく、日本や台湾と並びアジアの映画産業における中心の一つとなっている。
1960年代 から現在に至るまで、ブルース・リー (李小龍)、ジャッキー・チェン (成龍)、チャウ・シンチー (周星馳)、チョウ・ユンファ (周潤発)、ドニー・イェン (甄子丹)など、多くの世界的に有名な映画スターを生み出した。他にもアンドリュー・ラウ (劉偉強)、ジョン・ウー (呉宇森)、ユエン・ウーピン (袁和平)など、その個性が広く欧米諸国においても認められた才能ある映画監督を輩出している。世界の映画・映像文化への独自の貢献には目をみはるものがある。
音楽
広東語 圏内の香港ポップス 音楽の流行発信地の一つとして、アジア圏内で人気が高い多くのアーティストを多数輩出している。粤劇 や国楽 の演奏団や、ロックバンドBEYOND や、イギリス から伝わったバグパイプ の楽団などの特徴ある音楽団体も多い。アメリカ やイギリスのポピュラー音楽の人気も高いが、日本人歌手 、アーティストも安定した人気を保っており、CDショップにはJ-POP のコーナーもある。
2006年 7月10日 から7月13日 にかけて、香港文化中心 (Hong Kong Cultural Centre) と香港市民大会堂 (City Hall) で、国際青少年合唱祭 がアジアでは初めて開催された。
ファッション
東京 と並ぶアジアにおけるファッション の発信地として君臨している[ 89] 。上海灘 、ジョルダーノ 、ジョイス などの有名ブランド やセレクトショップ のほか、アラン・チャン (陳幼堅)やジョアンナ・ホー などの世界的に著名なデザイナーやクリエイターを多数輩出している。地元デザイナーやブランドが多数存在し、中国大陸やアジア諸国など広大なマーケット が存在することから、香港ファッションウィーク(香港時装節春夏系列/秋冬系列)や香港国際毛皮時装展覧会(香港ファーファッションフェア)などのファッション関連のフェアやトレードショーなども定期的に行われている。
美術
九龍の尖沙咀にある香港芸術館 や、新界の沙田にある香港文化博物館 (Hong Kong Heritage Museum ) などの美術館や博物館では、新旧の作家の作品を鑑賞することができる。香港の各地にも個人 や法人 の経営などによるギャラリー が点在しており、湾仔の香港芸術中心 (Hong Kong Arts Centre ) では最近の作家を中心とした現代美術 作品の展示が行われている。
貿易都市である香港にはクリスティーズ やサザビーズ といったオークション 会社がアジアでの本拠を構えており、美術市場が形成されている。隣国の中国をはじめとして、日本や台湾などの東アジア、東南アジア、ヨーロッパ、北アメリカなどから集められた古代から現代美術に渡る幅広い作品が集積している。
2年に1度、香港の美術の祭典である「香港ビエンナーレ 」が開かれる。イタリア のヴェネツィア で2年に一度開かれる「ヴェネツィア・ビエンナーレ 」にも、香港出身のアーティストによる作品が出展される。
香港の著名な作家としては、トリコロール のシート を使用した作品で知られるスタンレー・ウォン (英語版 ) (又一山人)や、グラフィックデザイナーのアラン・チャン (陳幼堅)などが挙げられる。特にアラン・チャンは日本 の三井住友銀行 のロゴ など、香港以外での企業CI やインテリア をデザインしていることでも知られる。
香港発のデザイン 情報誌 『IdN 』が発行されるなど、香港はアジアの中でも美術に関する意識は比較的高い位置にあると考えられる。香港は広告 産業が盛んである土地柄、香港の美術は各種コマーシャル と密接に関わりがあることも多い。
香港の生活や歴史、文化などからインスパイアされた作品が多いが、ヨーロッパ や日本、アメリカ などの文化から受けた印象を作品に反映させる例も多く見られ、貿易都市ならではの一面もうかがわせる。
サブカルチャー
香港のサブカルチャー は貿易都市として東西の文化が入り交じりながらも、香港の生活や歴史を反映した独自のコンテンツ も多く、多彩な一面を見せている。
1990年代 の後半から、造形作家のマイケル・ラウ (英語版 ) (劉建文)やエリック・ソー (ドイツ語版 ) (蘇卓航)、鉄人兄弟(鐵人兄弟:brothersfree)などを筆頭としたフィギュア などの立体造形作品が隆盛した。日本では渋谷系 文化の一端として紹介された。
現在の香港では特に日本の文化 からの影響は大きく、人気がある。これはもともと香港で放送されているテレビ番組などで、日本のアニメーション やドラマ などのコンテンツが数多く提供されていることが考えられ、特に若年層の生活様式やファッションなどにも多大な影響を与えている。嶺南大学 の梁旭明は、「茶道 や着物 に象徴されるように、彼らの深い文化がうらやましいのです」「私たちにはそのようなものは、あまりありません」として、香港人 が日本の文化 を称賛するのは、お金 に貪欲な香港文化よりも豊かに見えるからと述べている[ 90] 。
2000年代 に入り高速通信網の整備が進み、YouTube やニコニコ動画 といった動画サイト などIT の発達により、香港では日本における最新コンテンツとの親和性はますます高くなっている。日本では主にアニメや漫画、ゲームなどのコンテンツを指す総称としてMAG (M anga・A nime・G ame)と言う言葉が作られたが、香港ではこれに相当するものとしてACG (A nimation・C omic・G ame)がある。
日本のアニメーションや漫画 などのアキバ系 と呼ばれる萌え文化 を題材とした各種ファンイベントや同人誌即売会 も香港各地で数多く開かれており、大規模なものは九龍の九龍湾国際展貿中心(KITEX)で開催されている。毎年夏と冬に東京ビッグサイト で開催される世界最大の同人誌即売会であるコミックマーケット などを筆頭に、日本国内各地で開かれる各種即売会へ直接出向いて参加する者も増えている。加えて台湾や中国大陸の主に広東省 広州 などで開かれる日本のサブカルチャーをテーマとした同人誌即売会へ参加する者も多く、逆に台湾や広州の者が香港の同人誌即売会へ赴く例も多い。
最近では漫画やアニメの舞台となった土地を巡る、いわゆる聖地巡礼 を目的として日本国内を観光する者も数多くいる。
香港独自のコンテンツとしては、中国の歴史を基本とした武侠映画 やアクション、黒社会 などを題材とした香港コミックス(香港漫画 )があり、分業制で制作される劇画 調のスタイルが特徴である。近年では『時空冒険記ゼントリックス (時空冒險記ZENTRIX)』や、マクダル シリーズに代表される香港製アニメーション も幾つか制作されている。
香港でサブカルチャーを題材とした見本市 は、毎年夏に香港島の湾仔 にある香港会議展覧中心 で開かれている香港動漫電玩節 (ACGHK)がある。
香港でのサブカルチャー文化の消費を支えている地区は主に香港島 の銅鑼湾 地区や九龍 の旺角 地区、新界 の沙田 地区などで、この界隈にはこれらの商品を取り扱う店舗が多く出店し、中には旺角の信和中心 など専門店街やショッピングセンター を形成している箇所も見受けられる。
スポーツ
オリンピック
香港の国内オリンピック委員会 (NOC)である「中国香港体育協会及びオリンピック委員会」は、中国大陸のNOCである中国オリンピック委員会 とは別個に国際オリンピック委員会 の承認を得ている。そのため香港のスポーツ は1997年 に香港が中国に復帰してからも、中国大陸のスポーツから完全に独立しており、国際大会には「中国香港(Hong Kong, China)」として出場する。中国大陸で盛んな卓球 では代表選手の選抜が香港の方が容易であるため、移住 して出場する選手も少なくない。香港のオリンピック 金メダリストは、1996年アトランタ五輪 ・ヨット ミストラル級の李麗珊 と、2021年東京五輪 ・フェンシング 男子フルーレ個人競技の張家朗 (中国語版 、英語版 ) の2人が存在している。
サッカー
香港におけるサッカー の歴史は非常に古く、1908年 にアジア最古のプロサッカーリーグ である香港甲組足球聯賽 が創設された。南華足球隊 が通算41度のリーグ優勝を飾っている。さらに2010年 には香港政府 により「鳳凰計画」が発布され「プレミアリーグ構想」が本格化し、2014年 にはリーグ改編により香港プレミアリーグ がスタートした。初代優勝チームは傑志 となり、以後2018年 にはディエゴ・フォルラン を獲得したり、AFCチャンピオンズリーグ に初めて参加するなど新リーグを代表するクラブとして飛躍している。
香港サッカー協会 (HKFA)によって構成されるサッカー香港代表 は、これまでFIFAワールドカップ には未出場である。AFCアジアカップ には4度出場しており、1956年大会 では3位に輝いている。さらにEAFF E-1サッカー選手権 では、固定参加の日本 ・韓国 ・中国 以外の国では最多となる4度の出場歴があり、大会の常連国となっている。
競馬
香港はイギリス 植民地であった影響から競馬 が盛んである。このため馬 の輸出入に対する検疫 の制度整備は中国大陸より進んでいる。一方で、中国大陸はこの検疫が厳重であるため2008年北京オリンピック の馬術競技 は、香港の沙田競馬場 および隣接施設で開催された。中国大陸と香港とは異なるNOCの管轄領域となるが、五輪競技の一部が異なるNOCの領域で実施されたのは1956年メルボルンオリンピック 以来のことである。
食文化
ウィキメディア・コモンズには、
香港料理 に関連するカテゴリがあります。
飲茶 の点心
定番の叉焼飯 (チャーシューライス)
街の至る所にある「茶餐廳 」
香港では外食産業 が発展しており、世界各地の料理を出すレストランが庶民向けの安価な食事を出す店から世界的に名を知られる高級レストランまで、さまざまなものが存在する。
料理
広東 、潮州 、四川 、上海 、北京 、台湾 、マカオ 、客家 など、各地方の料理を出すレストラン が香港中にある。このうち約8割が広東料理 のレストラン(酒楼 )である[ 91] 。このほか海の幸を専門に取り扱う海鮮料理 店が西貢 などに多数存在し、日本人にも人気がある。
香港政府観光局では毎年「Best of the Best - 香港料理大賞」を開催して、料理界の盛り上げに一役買っている。
日本料理
日本料理 は比較的古くからも高い人気を保っており、在留日本人向けでなく、地元住民を主なターゲットとした寿司 屋やラーメン 店、居酒屋 などが数多く存在する。
日本料理店は大きく2種類に分けられ、日本人の経営者もしくは料理人がいる日本料理店と、香港人による「日式 」と呼ばれる「日本風」の料理を出す店がある。在港日本人に人気があるのは当然前者であり、日本企業間での接待の場所、各方面の在港日本人会の会合場所として利用されるが、価格は日本国内と同等あるいはそれ以上である場合が多い。後者の評判は日本人の間ですこぶる悪く、もっぱら香港人の舌に合う料理として、香港人の間ではやっている。
その他の料理
イギリス 統治時代の影響から、欧米の料理にも人気があり、イタリア料理 やフランス料理 、ドイツ料理 などのヨーロッパ各国の料理の人気も高い。香港では、古くから、イギリスの植民地であったインド から働きに来ていた人も多く、インド料理 店も各地にある。
家政婦 や警備員 、IT 関連の職種に従事するためフィリピン やインドネシア 、タイ などからやってきている人たちも多く、これらの国の料理を中心としたエスニック料理店も多く、輸入食材を扱う店もあちこちにある。ベトナム料理 店や朝鮮料理 店も多くある。
日本のインスタントラーメン 会社・日清食品 が製造販売する袋麺 「出前一丁 」は1969年 から香港に輸出販売され、1985年 に香港に現地法人による工場を建設して『出前一丁』の現地生産を開始、香港による日本ブランドのインスタントラーメンではトップシェアを誇っている。そのためか、香港での「出前一丁」のフレーバーは日本よりラインナップが多い。
ファストフード
香港では「茶餐廳 」と呼ばれる洋風または香港風の軽食を出す店が至る所にあり、大快活や大家楽、美心MXといったチェーン店も存在する。各種ファストフード 店や、「餅店」と呼ばれるケーキ 屋やパン 屋も香港中で見ることができる。コンビニエンスストア でも軽食を買える。かつて多かった屋台 は衛生上制限を受け、決められた場所でまとまって営業をしているにとどまる。マクドナルド 、ケンタッキー などの米ファストフードのほか、吉野家 も数多く出店しており、日本国内とほとんど変わらない味を提供している。
菓子
日本の菓子 (零食や点心 (點心 )と呼ばれる)の人気も高い。コンビニエンスストア やスーパーマーケット では「ポッキー 」や「コアラのマーチ 」、「かっぱえびせん 」などの日本直輸入や現地生産の日本ブランドの菓子を多く見かける。「零食物語/OKASHI LAND 」や「優の良品/AJI ICHIBAN 」など、日本語表記の菓子チェーン店も存在する。
建築
超高層建築
環球貿易広場
香港では、特に中心部の市街である香港島 北部において、山がちで狭い地勢からヴィクトリア湾 沿いに超高層建築 が林立している。1972年 に建てられた中環 のジャーディン・ハウス (怡和大廈/Jardine House: 地上52階建/高さ178.5m)を皮切りに、現在では世界第4位の高さを持つ西九龍 (West Kowloon) 地区ユニオンスクエア の環球貿易広場 (International Commerce Centre:地上118階建、高さ484.0m)や、2003年 竣工でシーザー・ペリ 設計による国際金融中心・第二期 (地上88階建、高さ415.8m)を筆頭に数多くの超高層建築が見られる。
中には1985年 竣工のノーマン・フォスター 設計による香港上海銀行・香港本店ビル や、1988年 竣工のポール・ルドルフ (Paul Rudolph) 設計によるリッポーセンター (力寶中心、Lippo Centre)、1990年 竣工のイオ・ミン・ペイ 設計による中国銀行タワー など世界的に著名な建築も含まれる。
加えて香港島の向かい、ヴィクトリア湾を挟んだ九龍半島 側にも超高層建築群ができつつある。これは九龍市街の埋め立てが急速に進んだこと、そして九龍湾地区にあった啓徳空港 が1998年 に廃港となり、同空港への航路であった九龍の建設規制が大幅に緩和されたことによる(「再開発」の項で詳述)。
香港における超高層建築の集積率はアメリカ合衆国 のニューヨーク 市マンハッタン 地区を抜き、現在は世界で最も多い。
香港の主な超高層建築は次の通り。
環球貿易広場 (International Commerce Centre)
地上118階建・高さ484.0m…2010年 竣工/西九龍
国際金融中心・第二期 (Two International Finance Centre)
地上88階建・高さ415.8m…2003年 竣工/中環
セントラルプラザ
地上78階建・高さ374.0m…1992年 竣工/湾仔
中国銀行タワー
地上72階建・高さ367.4m…1990年 竣工/金鐘
ザ・センター
地上73階建・高さ346.0m…1998年 竣工/上環
ニーナタワー
地上80階建・高さ318.8m…2006年 竣工/荃湾
ワン・アイランド・イースト (One Island East)
地上70階建・高さ308.8m…2008年 竣工/太古
長江センター
地上63階建・高さ282.9m…1999年 竣工/金鐘
ハイアットリージェンシー香港
地上64階建・高さ261.0m…2007年 竣工/尖沙咀
ビル建設時に用いる作業員の足場として、ほとんどの建設現場で大量の竹 材が使用される。これは香港に隣接する広東省 などで、丈夫で安価な竹が大量に入手できることによる。この竹材の足場を用いて高層ビルを建設するという方法は中華圏 で見られ、これら地域に特有の光景である。
再開発
1998年 に啓徳空港 (旧香港国際空港)が廃止されランタオ島 沖赤鱲角 の新香港国際空港 に移転したことで、これまで啓徳空港への着陸時の航路となっていた九龍地区の高さ規制が外され再開発事業が活発に行われている。九龍・旺角地区の「ランガムプレイス 」(朗豪坊:Langham Place、地上59階建て、高さ255.1m)などはその代表格である。
西九龍地区ではオフィス 、住居 、ショッピングモール 、ホテル などを兼ね備えた巨大複合施設の「ユニオンスクエア 」 (Union Square) が建設され、ここに隣接して「西九龍文化施設群 」 (West Kowloon Cultural District Project) と呼ばれる現代 美術館 や劇場 、ホール 、展示場 、スタジアム などを兼ね備えた文化施設が建設される計画である。啓徳空港跡地のある九龍城地区や九龍湾地区では空港用地跡の敷地を利用し、オフィスと住居を主体とした複合施設を建設する計画がある。
香港島北部の市街地、特に湾仔地区でも環境整備という名目で再開発が進められているが、ここでは古くからの街区ということもあり抗議活動が展開され、急激な開発は元来居住している住民の同意を必ずしも得ていない実情も垣間見える。
住居
高層住宅建築の密集する香港島東部の鰂 魚涌地区。 益昌大廈(右)、益發大廈(左)、康蕙花園(正面)2015年撮影。
伝統的な村落の形式は、外部の者の攻撃や盗難を防げる「囲」(ワイ、圍 )と呼ばれる城壁 の中に切妻の家を立てるのが普通であった。この形式は、現在も新界の客家 集落に一部残されている。現在では見掛ける機会はほとんどなくなったが、香港島南部の香港仔や九龍の深水埗 、新界の西貢 などでは、古くから蛋民 などと呼ばれる水上生活を営むものも見られた。
イギリスの統治が始まると洋風建築もでき、第二次世界大戦 以前の中心地区ではコロニアル・スタイルの建築が印象的だったが、大戦以後は国共内戦 後の中華人民共和国からの難民によって建築様式の変化が起こった。
1950年代 までは1階が店舗で、2階が住居である伝統的なショップハウスと呼ばれるスタイルを踏襲していたが、1950年代以降はそれまでのショップハウスの柱廊を取り払い、中層化したペンシルビル になった。急激な人口増加に対応するため、1950年代 から1960年代 には九龍などの郊外に、香港政庁 は下層を工場、上層をアパートとするプレハブ 方式による同規格の建築群を大量に建設した。香港への難民の流入による住居の特異な例として、九龍の九龍城地区に存在し1994年 に取り壊された九龍寨城 などの例も挙げることができる。
この時期まで香港の住環境は必ずしも良好と呼べるものではなく、この状況を改善すべく1980年代 以後は政庁主体で計画的な大規模開発が行われ、低層部に商業施設を造り、その上に庭園付きの高層住宅を造るスタイルが一般的になった。
現在では、政府と民間開発業者 の主導で九龍地区や新界地区の沙田 、元朗 、将軍澳 、青衣島 、そしてランタオ島 の東涌などを中心に超高層住宅を伴う大規模なニュータウン が建設され、同時に鉄道網も整備されている。香港島や九龍地区などでも超高層マンション が数多く建設されており、中には高さが250mを超える建物も幾つか完成している。このことから「日本の住宅がウサギ小屋なら、香港は蜂の巣だ」といわれるようになった。
香港の住宅価格は非常に高く、ニューヨーク やロンドン 、東京 など世界的に高値と認識されている都市の水準に迫るか、場合によってはそれを上回る価格で取引されることもある。これはオフィスや工業用地など、香港の不動産 全体に対し共通する現象でもある。
香港はもともと土地が狭小である上、山がちで不動産開発の容易な平地が少ない。駐車場 用地や関税 の問題から自家用車 などの所有が難しいため、公共交通機関 の発達している市街中心部や要衝へと需要が集中している。このため不動産の価格が押し上げられ、結果的に海岸部の埋め立て が急速に進み、市中に超高層建築が林立した。半山区や跑馬地などの高級住宅地では、隣接する山地の中腹に山自体を超える高さの超高層住宅を建設することも珍しくない。
香港の主な超高層住宅
天璽 (The Cullinan):地上68階建・高さ269.9m…2009年 竣工/西九龍
擎天半島 (The Sorrento) :地上74階建・高さ256.3m…2003年 竣工/西九龍
君臨天下 (The HarbourSide) :地上74階建・高さ255.0m…2003年 竣工/西九龍
曉廬 (Highcliff) :地上74階建・高さ252.4m…2003年 竣工/跑馬地
海名軒 (Harbourfront Landmark) :地上66階建・高さ232.6m…2001年 竣工/紅磡
凱旋門 (The Arch) :地上65階建・高さ231.0m…2005年 竣工/西九龍
香港が舞台の作品
美しい都会的風景と生活感あふれる風景が隣り合わせにある香港を、地元で製作された映画 だけでなく、ヨーロッパ や日本 、アメリカ で製作された多くの映画 作品も主要な舞台とし、または劇中の一場面の舞台として描いている。例えば九龍の高密度住居など、オリエンタリズム とエキゾチシズム に裏打ちされたサイバーパンク な建築的生活的な風景を求め、1980年代 以降多くの映画が製作されている。
著名な出身者
脚注
注釈
^ 話し言葉の広東語 と書き言葉の標準中国語 の双方が用いられるが、公用語はどちらも指しうる「中文」となっている。
^ 漢字でなくカタカナで「ホンコン 」と表記することもある。
^ 独立国家としては世界トップクラスである日本 をも凌駕する。
^ 英語 または普通話 で放送し、ニュース報道は中国政府の意向に沿っている。
出典
^ “Population Estimates ”. 政府統計處 (2019年10月18日). 2019年10月29日 閲覧。
^ a b “World Economic Outlook Database, October 2020 ”. IMF.org . International Monetary Fund . 20 October 2020 閲覧。
^ a b “Hong Kong ”. International Monetary Fund . 1 October 2018時点のオリジナル よりアーカイブ。3 May 2018 閲覧。
^ “Geography and Climate, Hong Kong ”. Census and Statistics Department, Hong Kong Government. 2007年1月10日 閲覧。
^ Ash, Russell (2006). The Top 10 of Everything 2007 . Hamlyn . p. 78. ISBN 0-600-61532-4
^ a b 2016 年中期人口統計 – 簡要報告 : 2016 Population By-census – Summary Results (PDF) (Report). 政府統計處 : Census and Statistics Department . February 2017. 2020年8月25日閲覧 。
^ “Triennial Central Bank Survey: Report on global foreign exchange market activity in 2010” . Monetary and Economic Department (en:Bank for International Settlements ): 12. (December 2010). http://www.bis.org/publ/rpfxf10t.pdf 2011年10月15日 閲覧。 .
^ a b “Hong Kong ”. en:International Monetary Fund . 2013年10月27日 閲覧。
^ “Cities by Number of 150m+ Buildings - The Skyscraper Center ”. Skyscrapercenter.com . 27 October 2021時点のオリジナルよりアーカイブ 。2025年1月9日 閲覧。
^ “Global Competitiveness Index 2012-2013 ” (2012年). 2013年6月8日 閲覧。
^ “「IQの高い国ランキング」韓国が世界2位、日本は?” . ZUU ONLINE. (2016年5月12日). https://zuuonline.com/archives/106192 2018年5月14日 閲覧。
^ http://www.myhealthportal.hk/en/content/articles/18/Health_Effects_of_Air_Pollution_in_Hong_Kong/
^ http://www.epd.gov.hk/epd/sites/default/files/epd/english/environmentinhk/air/studyrpts/files/final_report_mvtmpms_2012.pdf
^ “平均寿命、男女とも過去最高更新 女性87.14歳 男性80.98歳” . 日本経済新聞 . (2017年7月27日). https://www.nikkei.com/article/DGXLASDG26HGD_X20C17A7000000/ 2018年1月13日 閲覧。
^ “香港、長寿世界一の秘訣” . 日本経済新聞 . (2016年12月20日). https://www.nikkei.com/article/DGKKZO10869770Q6A221C1EAC000/ 2018年1月13日 閲覧。
^ http://www.eiu.com/public/topical_report.aspx?campaignid=Democracy0814
^ SCMP (2013年3月21日). “Hong Kong upgraded to 'flawed democracy' on Economist index” . SCMP. http://www.scmp.com/news/hong-kong/article/1195234/hong-kong-upgrades-flawed-democracy-status-economist-index 2014年9月24日 閲覧。
^ http://www.freedomhouse.org/sites/default/files/FIW%202013%20Booklet_0.pdf
^ INC, SANKEI DIGITAL (2020年5月30日). “トランプ氏、香港の優遇措置見直し WHOと「断絶」も ”. 産経ニュース . 2020年5月30日 閲覧。
^ a b “香港の「国家安全法制」 日本が中国に「深い憂慮」:朝日新聞デジタル ”. 朝日新聞デジタル . 2020年5月31日 閲覧。
^ a b 共同通信 (2020年6月6日). “日本、中国批判声明に参加拒否 香港安全法巡り、欧米は失望も | 共同通信 ”. 共同通信 . 2020年6月6日 閲覧。
^ a b https://jp.rti.org.tw/news/view/id/92599
^ a b 子萱, 楊 (30 June 2020). “Beijing’s move shows ‘one country, two systems’ not feasible: Tsai | The China Post ” (英語). 2 July 2020 閲覧。
^ a b “HK office opens as Tsai laments law - Taipei Times ”. taipeitimes.com (1 July 2020). 2 July 2020 閲覧。
^ a b “End to ‘one country, two systems’: DPP - Taipei Times ”. taipeitimes.com (2 July 2020). 2 July 2020 閲覧。
^ Fan Shuh Ching (1974). “The Population of Hong Kong” . World Population Year (Committee for International Coordination of National Research in Demography ): 18-20. http://www.cicred.org/Eng/Publications/pdf/c-c21.pdf 2010年8月25日 閲覧。 .
^ Second paragraph reads, "The first wave of refugees came to Hong Kong in the 1930s to escape from the Chinese Civil War and the Sino-Japanese War, but it wasn't until 1949, during the Chinese exodus, when an estimated one million-plus mainland Chinese started coming into the city via the northern borders. Many people, mostly anti-communist Kuomintang officials and capitalists, rushed to Hong Kong in search of refuge." “A history of refugees in Hong Kong ”. Time Out Hong Kong - Know your City (2013年6月18日). 2013年9月9日 閲覧。
^ Page 16, "The turmoil on the mainland, leading to the defeat of the Nationalists and takeover by the Communists in 1949, unleashed a torrent of refugees - both rich and poor -into Hong Kong." Hong Kong: Facts about Hong Kong -History (10th ed.). Hong Kong: Lonely Planet . (2002). p. 16. ISBN 1864502304
^ “Veterans who fled mainland for Hong Kong in 1970s tell their stories” . South China Morning Post (Hong Kong). http://www.scmp.com/news/hong-kong/article/1120852/veterans-who-fled-mainland-hong-kong-1970s-tell-their-stories 2013年9月9日 閲覧。
^ Carroll, John (2007). A Concise History of Hong Kong . Rowman & Littlefield. p. 127. ISBN 978-0742534223
^ Headrick The Tentacles of Progress , Chapter.5 Cities, Sanitation, and Segregation
^ アジア節水会議 香港における水事情と節水の現況 2011年
^ Chau, K.W. (1993). "Management of limited water resources in Hong Kong". International Journal of Water Resources Development. 9 (1): 68-72. doi:10.1080/07900629308722574.
^ “Basic Law, Chapter IV, Section 4 ”. Basic Law Promotion Steering Committee. 2009年11月10日 閲覧。
^ Russell, Peter H.; O'Brien, David M. (2001). Judicial Independence in the Age of Democracy: Critical Perspectives from around the World . en:University of Virginia Press . p. 306. ISBN 978-0-8139-2016-0
^ http://www.parliament.uk/business/committees/committees-a-z/commons-select/foreign-affairs-committee/news/hong-kong-tor/
^ Ghai, Yash P. (2000). Autonomy and Ethnicity: Negotiating Competing Claims in Multi-ethnic States . Cambridge University Press . pp. 92-97. ISBN 978-0-521-78642-3
^ 「スト労働者二十万人が広東へ引きあげる」『東京朝日新聞』1925年7月12日(大正ニュース事典編纂委員会 『大正ニュース事典第7巻 大正14年-大正15年』本編p.660 毎日コミュニケーションズ刊 1994年)
^ 「一年三ヶ月にわたった対英スト終わる」『中外商業新報』1925年10月13日(大正ニュース事典編纂委員会 『大正ニュース事典第7巻 大正14年-大正15年』本編p.660 毎日コミュニケーションズ刊 1994年)
^ 『調査報告第10号』 横浜正金銀行 、1920年 、28頁
^ 『朝日東亜リポート第6輯』朝日新聞社 、1939年 、南支に於ける香港ドルの地位 135-141頁
^ 香港で大火 五千七百人が被災『朝日新聞』1969年(昭和44年)12月3日夕刊 3版 11面
^ 「ビル四つ、なだれ倒壊」『朝日新聞』昭和47年(1972年)6月19日夕刊、3版、1面
^ “李家超氏、香港行政長官に就任 習主席が立ち会い” . CNN.co.jp . CNN . (2022年7月1日). https://www.cnn.co.jp/world/35189826.html 2024年1月29日 閲覧。
^ 香港斜坡安全 - 香港的天然山坡 土木工程拓展署土力工程處
^ “HONG KONG UNESCO GLOBAL GEOPARK (China) ” (英語). UNESCO (2021年7月26日). 2022年10月20日 閲覧。
^
“Monthly Meteorological Normals for Hong Kong (1991–2020) ”. 香港天文台. 2021年2月7日 閲覧。
^
“Extreme Values and Dates of Occurrence of Extremes of Meteorological Elements between 1884–1939 and 1947–2020 for Hong Kong) ”. 香港天文台. 2021年2月7日 閲覧。
^
“Monthly Data for Single Element ”. 香港天文台. 2022年2月16日 閲覧。
^ “「民主政治が驚くほどの速さで後退している気がしています」―岐路を迎える香港の「高度な自治」 (2019年6月6日) ”. エキサイトニュース . 2020年5月30日 閲覧。
^ INC, SANKEI DIGITAL (2020年5月30日). “トランプ氏、香港の優遇措置見直し WHOと「断絶」も ”. 産経ニュース . 2020年5月30日 閲覧。
^ “香港への優遇措置撤廃表明 トランプ氏「一国一制度に...」(フジテレビ系(FNN)) ”. Yahoo!ニュース . 2020年5月30日 閲覧。
^ 「『基本法解釈の正しい認識を』全人代常委副秘書長」 人民網日本語版2004年04月09日
^ “「2023年世界自由度ランキング」46位の香港、2010年の3位から大幅下落 当局は「まったく根拠がない」と反発(NEWSポストセブン) ”. Yahoo!ニュース . 2023年12月29日 閲覧。
^ China, Record. “「人間の自由度指数ランキング」、日中韓の順位は? ”. Record China . 2023年12月29日 閲覧。
^ 三浦一幹 (2019). “香港~中国本土を直結 広深港高速鉄道全線開業!”. 鉄道ファン No.694 : 128~131.
^ レコードチャイナ:高収入の魅力?人材流出、香港大学への留学生4割は大陸に戻らず—中国
^ レコードチャイナ:本土出身の中国人留学生、香港での就職を希望—中国
^ 新卒者6割以上が中国本土での就職を希望—香港
^ 香港:30年後は男女比7対10、高齢化深刻に サーチナ 2007年7月17日
^ KatsumiUmezono (2018年6月4日). “約6万円でお手伝いさんを雇える香港 ”. OWL. 2020年6月7日 閲覧。
^ Brief Information on Proposed Grade I Items, pp. 53-54
^ a b 香港便覽- 人口 - 香港特別行政區政府
^ 海外移住の経験者が教える、仕事が見つけやすい27の世界の都市 Business Insider Japan
^ 連載ルポ 香港返還10周年 一国二制度の実験 第10回 香港の人口問題 (中国情報源〜中国、香港、台湾、マカオ〜 )
^ “香港、少子高齢化と海外移民で「人口減少」が加速 ”. 東洋経済オンライン (2022年8月30日). 2022年9月21日 閲覧。
^ World Economic Outlook Database, October 2016 IMF 2016年10月30日閲覧。
^ 「1.2 名目GDP(国内総生産)及び一人当たりGNI(国民総所得)順位」 外務省
^ JLL、世界の都市比較インデックスを分析「都市パフォーマンスの解読」を発表 JLL 2017年10月25日閲覧。
^ 世界の都市総合力ランキング(GPCI) 2017 森記念財団都市戦略研究所 2017年10月26日閲覧。
^ IMD 世界競争力 2012
^ BCG Global Wealth Annual Reports
^ The Cities With The Most Billionaires Forbes 2016年10月30日閲覧。
^ 香港 17年連続「世界で最も自由な経済体」
^ “広東・香港・マカオを結ぶベイエリア 名実ともに世界一になれるか? ”. AFPBB (2018年6月24日). 2019年2月20日 閲覧。
^ “中国「ベイエリア」、東京圏やNY圏超えるGDP目指す-30年までに ”. ブルームバーグ (2017年8月24日). 2019年2月20日 閲覧。
^ 武田信晃 (2018年11月6日). “初来日の香港行政長官に感じた「したたかさ」” . Wedge . https://wedge.ismedia.jp/articles/-/14432 2018年11月26日 閲覧。
^ The Global Financial Centres Index Long Finance 2021年3月18日閲覧。
^ Triennial Central Bank Survey of foreign exchange and OTC derivatives markets in 2016 Bank of International Settlements 2016年10月30日閲覧。
^ “香港株の時価総額、日本超えて世界3位 香港・金融 ”. NNA.ASIA . 2021年2月9日 閲覧。
^ “香港海運港口局 - 統計資料 ”. www.hkmpb.gov.hk . 2021年2月9日 閲覧。
^ “航空交通統計 ”. www.cad.gov.hk . 2021年2月9日 閲覧。
^ Hong Kong Is World’s Top Travel Destination THE WALL STREET JOURNAL 2014年1月31日閲覧。
^ 香港で大規模な抗議デモ 40年ぶりテレビ放送免許巡り:日本経済新聞 、「香港TV局免許 却下に抗議デモ」2013年10月22日『読売新聞』朝刊7面
^ 銭俊華「香港粤語の標準化および中文との結合 : 漢字文化の多様性 」『アジア地域文化研究』第15号、東京大学大学院総合文化研究科・教養学部アジア地域文化研究会、2019年3月、65-86頁、doi :10.15083/00077300 、ISSN 1880-0602 、NAID 120006723344 、2020年8月8日 閲覧 。
^ “表 3.12 2011 年、2016 年及 2021 年 5 歲及以上人口(1) 能說選定語言/方言的比例 Table 3.12 Proportion of population(1) aged 5 and over able to speak selected languages/dialects, 2011, 2016 and 2021 ”. 2023年6月22日 閲覧。
^ 二零零一年施政報告 推廣兩文三語
^ 「西洋式の名もまた一般的である。もともとはヨーロッパ人の教師が香港人の名前を一つ一つ呼ぶことができなかったので使われたのである」(『香港』70ページ)。ただしイギリス人が付けたもの以外に、香港人が自分で名乗ったあるいは、西洋人のためではなく、広東語と標準中国語との違いを避けるためであるなどの異論がある。実際に、複数の起源があるのかもしれない。
^ BrittanyHite (2014年2月13日). “上海がアジアのファッションリーダーにー東京は11位” . WSJ. https://jp.wsj.com/articles/SB10001424052702304204104579380360137600686 2020年6月7日 閲覧。
^ “Cute Power!” . ニューズウィーク . (1999年11月7日). オリジナル の2019年5月9日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20190509023151/https://www.newsweek.com/cute-power-164150
^ “香港 (2)香港人の食習慣 ”. 国土交通省. 2020年6月7日 閲覧。
参考文献
関連項目
外部リンク
香港政府
日本政府
その他
全般 国立図書館 地理 学術データベース 芸術家 人物 その他
座標 : 北緯22度16分01秒 東経114度11分17秒 / 北緯22.267度 東経114.188度 / 22.267; 114.188 (香港 )