ライジングゼファーフクオカ (英 : Rizing Zephyr Fukuoka )は、福岡県 をホームタウン とするプロ バスケットボール チーム。運営法人はライジングゼファーフクオカ株式会社。2006年にライジング福岡 として創設され、現在はB2リーグ の西地区に所属している。呼称はライジングゼファー福岡 。
なお、母体である福岡BBボーイズ [ 4] および、実質的な前身でもある福岡レッドファルコンズ [ 4] についてもこの項で解説する。
概要
ホームタウンは福岡県 福岡市 。運営会社はライジングゼファーフクオカ株式会社。2007-08 シーズンよりライジング福岡 (ライジングふくおか)の名称でbjリーグ に加わり、bjリーグ 2012-13 シーズンに準優勝。
2016年にbjリーグとNBL が統合しB.LEAGUE が発足するとともに、3部相当のB3.LEAGUE に移動した。これに合わせ2016年7月、現在のチーム名に改められた。チーム名「ライジング 」は、福岡県の太宰府天満宮 に祀られ、「雷神 」と化したという伝説を残す菅原道真 と、「上昇」を意味する英語の"rising"をかけたもので、公募によって決定された[ 5] 。「ゼファー」はギリシア神話 における西風の神ゼファー を指し[ 1] 、「風神」、「雷神」がそろい踏みになりながら勝利を呼び込むように、と願いを込めている[ 2] 。毎年1月には、筥崎宮 で必勝祈願を行うのが恒例となっている。
2018年6月29日、ロゴの変更を発表。「R」と「Z」の図形から成る新たなロゴが公開された[ 6] 。ライジングの「雷神」、ゼファーの「風神」が雷のように力強く、風のような速さで上昇していくイメージを表現している[ 1] 。
ユニフォームスポンサー (2024-25シーズン)
歴代ユニフォーム
応援スタイル
会場主導のリズムに合わせ声を出し手を叩く、オーソドックスな応援スタイル。2012-13シーズンは、チームのセカンドカラーである赤を基調にし、「Rize to the Chip!!」の文字があしらわれたTシャツを応援グッズとしていた。
会場MCとオフィシャルチアリーダー
会場MCはU-LAW(2011-12〜)。オフィシャルチアリーダーは RsunZ。2018-19シーズンから試合会場、イベントなどで活動している[ 8] 。
2017-18シーズンまではRadiant Fukuoka Cheerleader(RFC)がホームゲームに登場していた。ライジング福岡発足当初は球団直轄であったが、最初のシーズンを終えた後に独立し、RFCプロダクションズ運営となった。2018年以降はアビスパ福岡ホームゲームなど県内の様々なイベントに登場している。
マスコット
B2リーグで優勝した瞬間に地上へ舞い降りた。雷と風のハーフであり、密かに帰化枠でセンターよりのガードポジションを狙っている[ 9] 。
車いすバスケットボール
福岡県内を拠点に活動する車いすバスケットボール チーム。2019年に既存チームの「福岡breez」を傘下に収めて保有し、現チーム名変更した[ 10] 。2016年、日本車いすバスケットボール選手権大会 に出場して以降、4年連続で予選大会を勝ち上がり日本選手権(天皇杯)に出場するなど、実績を築いている[ 11] 。女子選手も所属しており、平井美喜 (女子チームの九州ドルフィンにも所属)が車いすバスケットボール女子日本代表 に選出され、2020年東京パラリンピック で銀メダルを獲得した。
歴史
福岡レッドファルコンズ
2005年 、新潟アルビレックス のJBLスーパーリーグ 脱退に伴い、福岡県からIT企業のインテントが中心となって地域密着型クラブチーム「福岡レッドファルコンズ 」を設立、2005-06シーズン からJBLスーパーリーグに新規参入した[ 4] 。福岡は高校以下のジュニア世代や社会人のあらゆるカテゴリーにおいて全国優勝を手にしている「バスケット王国」であり、このことがプロチーム発足へと繋がった。九州からのトップリーグ参加は日本リーグ黎明期の八幡製鉄所 以来となる。「レッドファルコンズ」とは「赤いハヤブサ 」と言う意味で、同じ福岡をホームとするプロスポーツチームの福岡ソフトバンクホークス (野球・ホークス = 鷹 )やアビスパ福岡 (サッカー・アビスパ = 蜂 )からヒントを得て名づけられた。鹿児島県を本拠地とするクラブチームであるレノヴァ鹿児島(現鹿児島レブナイズ )のチーム愛称候補には「鹿児島レッドファルコン」というものもあった。
練習拠点は福岡県宗像市 のグローバルアリーナ 。元日本代表の庄司和広 らを移籍獲得。外国人2名と新人を合わせ選手全員とプロ 契約を結んだ。ヘッドコーチには地元出身の後藤敏博 が就任したが、開幕前に原田茂 に交代した。
しかし、母体企業の経営不振に加え地元スポンサーの獲得が難航。選手・スタッフの給与未払いや2000万円の使途不明金も発覚し[ 4] [ 12] 、経営不安が表面化。社長の自殺未遂にまで及ぶ事態となった[ 13] 。そのため、全日本総合バスケットボール選手権大会 (オールジャパン)には選手・スタッフの自費で参加。
2006年1月19日、スーパーリーグ後半戦の不参加を表明するとともに、バスケットボール日本リーグ機構 (JBL) 脱退の意向を示した[ 14] 。結果的にスーパーリーグは14戦全敗[ 注 1] 、公式戦もオールジャパンにおける(当時3年生の竹内公輔 を擁した)慶大 との1回戦での1勝のみでチームは解散 。JBLは特例による選手のJBLチームへの受け入れを表明。また、bjリーグ もアーリーチャレンジ選手制度 を設けて選手の救済に当たった。
新会社は船田幸夫社長代行と知人を介して面識のあった木村育生 が社長を務めるインボイス に支援を求め[ 15] 、木村が会長を務めるbjリーグに転籍を表明、2006-07シーズン 以降の参入を目指したが、「(旧社の)債務がありすぎ、道義的な部分で会社を人任せにはできなかった」(船田社長代行)との理由から、2006年2月10日付けでbjリーグへの参入願を取り下げた[ 16] 。
福岡レッドファルコンズに所属した選手
福岡BBボーイズ
一方、福岡市では地元スポーツマネジメント会社の「スポーツコーディネート ペサス 」が中心となってbjリーグ参戦を表明。福岡レッドファルコンズ以前よりbjリーグ参入を目指していたが、レッドファルコンズの解散を受け、活動を本格化する[ 16] 。ちなみにペサスには元プロ野球選手の今井雄太郎 らが所属している。
2006年春、元レッドファルコンズの川面剛 らによって新たなクラブチーム「福岡BBボーイズ 」が設立された[ 4] 。チーム名は「Basket Ball Boys」と「Basket Bad Boys」をかけて付けられた。2007-08シーズン 以降のbjリーグ参戦を目指しスポンサーを獲得。元bj選手2名も補強。のじぎく兵庫国体 にも2名の選手が参加し、福岡県は優勝を果たした。一方でクラブも大分ヒートデビルズ の福岡におけるホームゲームの興行権を獲得し、bjの前座試合に出場している。
なお、現在のライジング福岡との資本関係は全くない。
ライジング福岡
2006年11月30日、福岡市を本拠地とし、2007-08シーズン のbjリーグ参戦が決定した[ 4] 。
同年12月20日よりチーム名の公募を開始。「BB」を公募の際に使用する条件とし、候補は「福岡アスピアBB」「福岡BBオーシャンズ」「福岡ライジングBB」の三つとなった。2007年 1月30日 から2月22日 まで投票を行い、2月28日 に新チーム名が「福岡ライジングBB」に決定。
5月に運営会社「福岡プロバスケットボールクラブ株式会社」を設立。親しみやすさや使用するロゴなどを考慮した結果、「ライジング福岡」を正式なチーム名にした。ゼネラルマネージャーには山村恭生 、球団代表にはタレントの山本華世 が就任した(現在は両名とも退任)。
なお、BBボーイズはチームとしては解散せず、当初は事実上ライジング福岡傘下のアマチュアクラブチームとして引き続き活動していたが、ライジング福岡に下部組織「J-RIZING」が結成されたため、その存在が宙に浮いた形になっている。
bjリーグ
2007-08シーズン
BBボーイズの川面とプロテクトによりプロ契約を交わし、エクスパンション・ドラフト で2選手、ドラフト で中川和之 (指名直後は契約に至らず、2008年2月に契約)ら2選手を指名。この他、前東京アパッチ の仲西淳 、前新潟アルビレックスBB の原口真英 や福岡県出身の加納督大 らを獲得した。外国人選手はジェフリー・プライス 、マイケル・ガーデナー 、ジョシュ・ペッパーズ 、元セネガル代表のドンゴ・ヌジャイ と契約。2008年1月にはマイケル・パーカー 、2月にはアーリーチャレンジ制度により竹野明倫 と契約。ヘッドコーチは当初、ハウイ・ランダが就任したが、家庭の事情から開幕前にカール・ジョン・ニューマン に交代した。
参入初年度は序盤波に乗れず、ヌジャイが負傷により選手登録から外れる事態となった。しかし、ヌジャイに代わるセンターとして東京アパッチよりトレボーン・ブライアント が移籍すると破竹の勢いで勝ち星を重ね、大分ヒートデビルズ をかわしてレギュラーシーズンウエスタンカンファレンス3位に滑り込む。ワイルドカードゲームではレギュラーシーズンの勝率で福岡を2割以上上回る高松ファイブアローズ を下す番狂わせを演じ、ファイナル4に進出した。しかし、ファイナル4ではカンファレンスファイナルと3位決定戦で連敗して4位に終わった。
2008-09シーズン
新社長に竹内巧 が就任し、山本華世 前社長は新設の取締役兼球団代表となる。前大分ヒートデビルズの三友康平 や新人の石谷聡 らが新加入。シーズン中に仲西淳 とのトレードで呉屋貴教 が加入。レギュラーシーズンはウエスト4位となり、2シーズン連続でプレイオフまで進むが、カンファレンスセミファイナルでウエスト1位の琉球ゴールデンキングス に敗れファイナル4進出はならなかった。シーズン後にカール・ジョン・ニューマンがヘッドコーチを退任。
2009-10シーズン
山下裕司 が新社長に就任し、竹内前社長は専務取締役兼GMになる。カール・ジョン・ニューマンの後任としてかつて大分ヒートデビルズを率いた小川忠晴 が就任した。ウエスタン・カンファレンス3位となりプレイオフに進出したが、カンファレンスセミファイナルでウエスト2位の沖縄に敗れる。このシーズンをもって川面剛 が引退。
2010-11シーズン
川口健太郎 が代表取締役に就任し、山下前社長は相談役に退く。仲西淳 、竹野明倫 、ナイル・マーリー らが加入。ウエスタン・カンファレンス3位でプレイオフに進出。ホーム開催のファーストラウンドでウエスト6位の島根スサノオマジック に勝利して、カンファレンスセミファイナルに進出したが、ウエスト2位の大阪エヴェッサ に敗れた。
2011-12シーズン
シーズン前に新GMとして元日本代表コーチでNBA解説者としても知られる奥野俊一 がオーナー代行兼任として就任。前シーズンまでチームの大黒柱だったマイケル・パーカー が退団し、代わってNBAチーム在籍経験のあるケビン・パルマー らと契約。
シーズン途中の2月8日付で小川ヘッドコーチを解任[ 注 2] 、デイトリック茨城 GMであった金澤篤志 が新ヘッドコーチに就任した。2012年3月1日付けで奥野オーナー代行兼GMが新社長に就任した[ 18] 。ウエスト5位でプレイオフに進出したが、ファーストラウンドでウエスト4位の滋賀レイクスターズ に敗れた。
2012-13シーズン
2012年6月30日付けで奥野社長が辞任。後任の社長は弁護士の伊藤眞 が就任。新オーナーにはリーフラス 代表取締役社長の伊藤清隆 が就任。経営陣を一新した。2012年10月9日、リーフラス照葉事業所に球団事務所を移転。
外国人選手が全員入れ替わり、bjリーグでの経験が豊富なレジー・ウォーレン 、ジュリアス・アシュビー 、ジョシュ・ペッパーズ らが加入。シーズン途中にジャスティン・ジョンソンを補強。レギュラーシーズンは開幕3連敗のスタートとなったが、最終的に過去最高の34勝をあげてウエスタンカンファレンス2位でプレイオフに進出。カンファレンスセミファイナルで島根スサノオマジック を降し、bjリーグ参入初年度の2007-08シーズン以来5シーズンぶりに出場したウエスタンカンファレンスファイナルの京都ハンナリーズ 戦は、37-37の同点で迎えた第3Qに京都のオフェンスをフリースロー1本の僅か1得点(福岡25得点)に抑え、最終スコア83-66で快勝。ファイナルでは横浜ビー・コルセアーズ に90-101で敗れたがチーム初のリーグ準優勝。
2013-14シーズン
球団事務所が南区に移転。新ヘッドコーチにCBA ・山東ライオンズ などでの指導歴があるマック・タック (英語版 ) を迎える[ 19] 。アシスタントコーチには前宮崎シャイニングサンズ ヘッドコーチの佐野公俊 が就任。東京サンレーヴス を契約満了となった地元福岡出身の青木康平 が加入。外国人選手ではウォーレンとアシュビーが残留、新たにマイケル・デル 、セス・ターバー (英語版 ) と契約。
開幕直前にタックヘッドコーチが家庭の事情により帰国したため、10月5日の高松ファイブアローズ との開幕戦より佐野アシスタントコーチが試合の指揮を執った[ 20] 。タックは福岡に戻らず11月15日に契約解除となり[ 21] 、11月19日に佐野が正式にヘッドコーチに就任した[ 22] 。
2014年1月25日、カナダのブロック大卒でドイツ やベルギー などでコーチを歴任してきたジェームス・ダンカン (ドイツ語版 ) が新ヘッドコーチに就任(佐野はアシスタントコーチに復帰)[ 23] 。シーズンは5位でプレイオフに進出したが、ファーストラウンドで4位の浜松・東三河フェニックス に敗れた。
2014-15シーズン
伊藤清隆 オーナーは、他社で問題を起こした東京のコンサル会社[ 24] からの派遣役員と派遣社員の全員を解任、球団から追放した[ 25] 。球団事務所を福岡市博多区中洲に移転。2014年9月1日に代表取締役社長に三國直行 が取締役より昇格。前社長兼オーナーの伊藤はオーナー業務に専念する事になった[ 26] ほか、元球団社長で株式会社アルテクス 代表取締役社長の竹内巧と西日本銀行 (現西日本シティ銀行 )の元代表取締役専務で経営コンサルタント の川邊康晴が顧問に就任した[ 27] 。社会貢献イベントやクリニック活動も積極的に行い、福岡各地で実施している。
2014年12月22日、成績不振によりジェームス・ダンカンヘッドコーチを解任[ 28] 。浜中謙 アシスタントコーチによる監督代行を経て、2014年12月29日に東京アパッチ (bjリーグ)・レラカムイ北海道 (JBL)・ロサンゼルス・スパークス (WNBA)のヘッドコーチを歴任したジョー・ブライアント のヘッドコーチ就任を発表した[ 29] 。ブライアントHCの就任後の初戦(対島根スサノオマジック )を、勝利で飾った。1月28日、東京アパッチなどでブライアントHCのもとでプレー経験のあるジョン・ハンフリー を補強したが、結果は過去最低の西地区9位(総合19位)に終わったため、ジョー・ブライアントを解任。同時にオーナーも責任を取り退任し、社長の三國直行 にオーナー権を移譲した[ 30] 。
2015-16シーズン
bjリーグとNBLが統合して2016-17シーズンに開幕する予定の新リーグ・JPBLの加盟申請に必要な支援承諾書を、福岡県バスケット協会が出さないという通達を受け、6月10日に新リーグ加盟断念のニュースリリースを発表した。しかし、その後も交渉を継続していくなか、2万人以上の署名が集まり、タイムリミットの15日に福岡県バスケット協会が支援承諾書をクラブに提出。同日、クラブはタスクフォースの入会審査委員会へ支援承諾書を提出し、正式に受理されたことで、ライジング福岡の新リーグへの参加が承認された[ 31] 。新HCに前島根スサノオマジック HC代行(2014年11月 - 2015年)の森山知広 が就任[ 32] 。青木康平 は継続契約、仲西淳 が再加入した。両名とも福岡で根強い人気がある。新オーナーには、株式会社セントベーネの吉井盛治社長が就任した[ 33] 。
3月4日、森山HCとの契約を解除[ 34] 。5日・6日は和歌山トライアンズ アンバサダーの石橋貴俊 が短期契約でHC代行として指揮を執った[ 35] 。3月11日、新HCとしてジョゼップ・クラロス と契約した。シーズン途中、ジョシュ・ペッパーズの負傷欠場もあり苦しい戦いを強いられたものの、8位となり2年ぶりのプレーオフへ進出した。
ライジングゼファーフクオカ
B.LEAGUE
2016-17シーズン(B3リーグ)
新シーズンはセミプロによる3部「B3リーグ」に配属[ 4] 。
2016年 9月7日に、Bリーグに申請していた、B2リーグ参入に必要な準加盟申請が承認された[ 36] 。
2017年5月、B3リーグ、ファーストステージ、ファイナルステージで優勝。レギュラーシーズンを含めた3ステージを総合したB2昇格を決定するための総合順位でも1位となり、B2の東京エクセレンス、鹿児島レブナイズのB2ライセンス不交付に伴う特例として、2017-18シーズンのB2昇格が確定。[ 注 3]
2017-18シーズン(B2 西地区)
河合竜児 がHCに就任。序盤に小林大祐 が負傷で離脱するアクシデントに見舞われながらも、47勝13敗で地区優勝[ 37] 。プレーオフでは準決勝でFイーグルス名古屋 に2連勝し、初のB1昇格が決定した[ 38] 。決勝では秋田ノーザンハピネッツ を相手に第1戦は落とすものの、第2戦・第3戦は連勝し、B2優勝を果たした[ 4] 。
2018-19シーズン(B1 西地区)
2018年3月に神田康範 が新社長に就任[ 39] 。3月9日の就任会見では「ここで実績を残し、いつかは(プロ野球)巨人の社長として呼ばれたい。熊本にも2つ(J2ロアッソ熊本 、B2熊本ヴォルターズ )あるので本気でどっちかの経営をやってみたい」というチームの話題とかけ離れた発言の部分が話題になった[ 40] 。一方で、11年間チームを支えてきたチアリーダーの「RFC」と契約更新をせず[ 41] 、オフィシャルダンス&ボーカルユニット「RZ」を結成[ 42] [ 43] 。チームロゴを変更する[ 44] など、さまざまな改革に乗り出した。
初のB1挑戦となったこのシーズンは引き続き河合竜児 がHCとして指揮を執るが、開幕4節で7連敗を喫しボブ・ナッシュ にHCを交代したものの、なかなか浮上のきっかけを見いだせず、最下位に低迷。
一方で運営面では、5億4千万円で年間予算を編成し、広告料や入場料収入で2億6千万円の収益を見込んだ上で、不足分をオーナーが広告費として支出する資金計画を立てていたものの、オーナーからの資金調達が困難となったことで、決算期までに約1億8千万円の資金がショートする可能性が発生[ 4] 。これにより、JPBLが2019年4月9日に開いた翌シーズンのクラブライセンス 資格審査で、福岡に付与するライセンスを「解除条件付きB2ライセンス」とすることを決定。これにより、翌年度はチーム成績に関係なくB2への自動降格が決まっただけではなく、4月29日までに資金ショート回避のめどが立たなければB2ライセンスも交付されず、B3へ2段階降格する可能性も取りざたされることとなった[ 45] 。社長の神田康範は記者会見で既存株式の売却により資金調達をする考えを表明したが、「負債を抱えた状態でB3が受け入れてくれるかも分からない」と退会の可能性にも言及している。4月30日に資金繰りに目処が経ったため、B2ライセンスが交付された[ 46] 。9月になって神田は辞任し、新体制に刷新された[ 47] 。シーズン終了後多くの主力、特に福岡にゆかりのある選手が離れ、運営面のさまざまな失敗が目立ったシーズンだった。
2019-20シーズン(B2 西地区)
ユーギ・カミノスが新ヘッドコーチに就任。B2に降格したこのシーズンも開幕から7連敗を喫して低迷。12月に2度目の7連敗を喫した後、2020年1月14日にカミノスが解任され、ジョゼップ・クラロス・カナルスがヘッドコーチに就任した。コロナ禍でシーズン打ち切りとなるまでの成績は12勝35敗で、西地区最下位となった。
2020-21シーズン(B2 西地区)
RZと契約を更新せず2シーズンでその役割を終えることとなった。前シーズンに引き続きクラロスがヘッドコーチを務める。
2021-22シーズン(B2 西地区)
2022-23シーズン(B2 西地区)
2023-24シーズン(B2 西地区)
2024-25シーズン(B2 西地区)
成績
B.LEAGUE
レギュラーシーズン
プレーオフ
天皇杯
#
シーズン
リーグ
地区
順位
勝
敗
勝率
ゲーム差
ホーム
アウェイ
自地区
他地区
得点
失点
点差
総合
結果
備考
HC
ref.
結果
1
2016-17
B3
2
28
4
(.875)
1.0
15-3(.833)
13-1(.929)
28-4(.875)
0-0(–)
2646
2076
570
2
B2昇格
堀健太郎
[ 48]
2
2017-18
B2
西
地区1
47
13
(.783)
6(0)
27-3(.900)
20-10(.667)
22-8(.733)
25-5(.833)
4865
4438
427
2
B2優勝 B1昇格
河合竜児
3
2018-19
B1
西
6
12
48
(.200)
40(-)
6-24(.200)
6-24(.200)
7-23(.233)
5-25(.167)
4371
4800
-429
18
ライセンス不交付によりB2降格
ボブ・ナッシュ
[ 49] [ 50]
4
2019-20
B2
西
6
12
35
(.255)
28(6)
4-17(.190)
8-18(.308)
5-16(.238)
7-19(.269)
3647
4027
-380
17
カミノス →クラロス
5
2020-21
B2
西
5
26
33
(.441)
14.5(4.5)
14-15(.483)
12-18(.400)
19-22(.463)
7-11(.389)
4796
4912
-116
11
ジョゼップ・クラロス
6
2021-22
B2
西
6
20
30
(.400)
15.0(6.0)
10-14(.417)
10-16(.385)
13-19(.406)
7-11(.389)
4115
4323
-208
10
梅嵜英毅
7
2022-23
B2
西
5
20
40
(.333)
25(8)
11-19(.367)
9-21(.300)
8-28(.222)
12-12(.500)
4522
4729
-207
11
ラモン・ロペス・スアレス
8
2023-24
B2
西
3
36
24
(.600)
8(-)
16-14(.533)
20-10(.667)
16-14(.533)
20-10(.667)
4678
4560
118
3
QF 敗退
ラモン・ロペス・スアレス
ゲーム差:1位との差(PO圏との差) 地区1 # :ワイルドカード QF :準々決勝 3決 :3位決定戦 SF :準決勝 FINAL :決勝 B1:9~14位はPOなし チャンピオン B2優勝 昇格 降格 残留 2025年01月15日更新
過去のリーグ戦
福岡レッドファルコンズ
年度
リーグ
ディビジョン
回
レギュラーシーズン
セミファイナル
ファイナル
最終結果
勝
敗
順位
勝
敗
勝
敗
2005
スーパーリーグ
5
0
14
棄権
棄権
ライジング福岡
ゲーム差は()外は1位、()内はプレイオフ 圏との差をそれぞれ表している。
ライジングゼファーフクオカ
年度
所属
レギュラーシーズン
最終結果
HC
備考
勝
敗
勝率
ゲーム差
得点
失点
得失点差
順位
2016-17
B3
28
4
.875
1.0
2646
2076
570
2位
2位
計
28
4
.875
2646
2076
570
個人別タイトル
最優秀コーチ
ベスト5
最多得点
2008-09 マイケル・パーカー
2009-10 マイケル・パーカー
2010-11 マイケル・パーカー
スティール
2007-08 マイケル・パーカー
2008-09 マイケル・パーカー
2010-11 マイケル・パーカー
ブロックショット
3Pシュート成功率
リーグ戦の主な記録
個人記録
通算最多試合出場
マイケル・パーカー
1試合最多得点
マイケル・パーカー(44得点)
1試合最多リバウンド
マイケル・パーカー(20本)
1試合最多アシスト
マイケル・ガーデナー(13本)
チーム記録
得点失点関連記録
最多得点・最多失点
112得点(2008年4月20日高松ファイブアローズ戦)
114失点(2022年3月27日 熊本ヴォルターズ戦)
19連勝(2024年10月27日 バンビシャス奈良戦 ~ 2024年12月27日 神戸ストークス戦[ 51] )
ホームゲーム開催地
bjリーグ
太字はプレイオフ試合数。
B.LEAGUE・B3.LEAGUE
括弧内は開催予定だった試合数
観客動員記録
最多観客動員試合
5,618人(2019年2月2日 照葉積水ハウスアリーナ)
最少観客動員試合
298人(2022年2月4日 照葉積水ハウスアリーナ)
選手とスタッフ
選 手
スタッフ
Pos
#
名前
年齢
身長
体重
国
出身
1.0 PG
0
會田圭佑
29歳 (1995/3/29)
1.83 m (6 ft 0 in)
83 kg (183 lb)
JPN
明治大学
2.5 SG/SF
1
中村太地
27歳 (1997/6/29)
1.90 m (6 ft 3 in)
87 kg (192 lb)
JPN
法政大学
3.0 SF
5
アンドリュー・ランダル
35歳 (1990/1/5)
1.98 m (6 ft 6 in)
109 kg (240 lb)
USA
テンプル大学
3.0 SF
7
西川貴之
33歳 (1992/1/14)
1.96 m (6 ft 5 in)
90 kg (198 lb)
JPN
明治大学
5.0 C
8
ジョシュア・スミス
32歳 (1992/5/14)
2.10 m (6 ft 11 in)
138 kg (304 lb)
USA
ジョージタウン大学
3.0 SF
12
寒竹隼人
38歳 (1986/8/1)
1.94 m (6 ft 4 in)
89 kg (196 lb)
JPN
拓殖大学
1.0 PG
13
中田嵩基
24歳 (2000/7/11)
1.74 m (5 ft 9 in)
74 kg (163 lb)
JPN
筑波大学
4.0 PF
21
橋本晃佑
31歳 (1993/5/6)
2.03 m (6 ft 8 in)
105 kg (231 lb)
JPN
東海大学
1.5 G
23
村上駿斗
28歳 (1996/2/17)
1.85 m (6 ft 1 in)
85 kg (187 lb)
JPN
サウスケント高校
2.5 SG/SF
24
谷口光貴
32歳 (1992/12/18)
1.87 m (6 ft 2 in)
85 kg (187 lb)
JPN
中央大学
4.5 F/C
25
ジャスティン・バーレル
36歳 (1988/4/18)
2.04 m (6 ft 8 in)
115 kg (254 lb)
USA
セント・ジョーンズ大学
3.0 SF
33
加藤寿一 (C )
31歳 (1993/10/5)
1.91 m (6 ft 3 in)
86 kg (190 lb)
JPN
法政大学
4.0 PF
34
パブロ・アギラール
35歳 (1989/2/9)
2.03 m (6 ft 8 in)
99 kg (218 lb)
SPA
アリカンテ大学
4.5 F/C
50
アイラ・ブラウン (帰)
42歳 (1982/8/3)
1.93 m (6 ft 4 in)
107 kg (236 lb)
USA
ゴンザガ大学
ヘッドコーチ
浜口炎
エピソード
幻のJBL-bjリーグ交流戦
2007年9月11日・12日にアクシオン福岡にて、当時日本バスケットボールリーグ (JBL) に加盟するOSGフェニックス[ 52] とのJBL-bjリーグ初の交流戦(フレンドシップゲーム)が行われる予定であったが、「OSGフェニックス側の諸事情」との理由で中止となり、2007年8月31日、公式サイトで発表された。bjリーグ及びライジング福岡の公式サイトでは開催概要などが掲載されていたが、JBLの公式サイトではこれらの記事に一切触れられておらず、中止に至ったのもJBLがJBA 傘下外のチームとの対戦に難色を示したためといわれている[ 53] 。
なお、bjリーグ所属チームとJBA傘下チームの交流戦としては、2006年シーズン前に上市まつり前夜祭として、bjリーグ参戦直前の富山グラウジーズ が日本リーグ (当時)加盟の石川ブルースパークス と対戦した実績がある。
bjリーグ史上初の大学キャンパス内での公式戦
2008-09シーズン において、ライジング福岡は公式戦のうち、6試合が当時冠スポンサーであった福原学園グループ属する九州共立大学 の体育館で開催された。アメリカのプロスポーツや黎明期の日本プロ野球でも学校の敷地内で公式戦が行われ、同大学でも多目的ホールでプロボクシング興行が開かれたことがあるが、bjリーグとしては初めてとなる。なお、Bリーグ発足後はサンロッカーズ渋谷 が青山学院大学 内の青山学院記念館をホームアリーナに定めている。
bjリーグ初の永久欠番
2011年、球団創設以来より活躍を続け、同年限りでプロ引退となった川面剛 が付けていた背番号11を永久欠番 とすることを発表した。bjリーグにおける永久欠番は史上初であったが、その後は経営体制の変更などに伴い、2013年に加入した青木が背番号11を付けることになり、永久欠番は解除となった。
脚注
注記
^ 8チームが4回戦総当たりの28試合で戦う予定だったが、残り試合は「棄権」扱いとされ、勝敗にはカウントされなかった。他の7チームは相互のカードを増やし、各チーム26試合で行われた。
^ 当初、チーム側は解任理由を「見解の相違」とのみ説明していたが、後に「勝率・勝星重視の小川の考え方と異なり、琉球ゴールデンキングス・大阪エヴェッサへの勝利を重視したチーム側との要求との相違に基づくチーム側からの契約解除」と説明を補足した[ 17] 。
^ 本来は、B3の年間総合順位1位クラブが、B2の最下位(18位)クラブ=この場合は鹿児島との入れ替え戦を行うことになっていたが、上記の通り2クラブがB2ライセンス基準未充足により成績に関わらずB3(またはそれ以下のクラス)への降格が決まったため、入れ替え戦は行われないことになった
出典
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^ a b c d e 会社概要 , 公式サイト, https://r-zephyr.com/company/ 2024年12月7日 閲覧。
^ a b c d e f g h i 『窮地のライジングゼファー~救世主現れるも今後も多難 』(プレスリリース)Net IB News、2019年5月7日。https://www.data-max.co.jp/article/29214/1/ 。2021年2月7日 閲覧 。
^ “チーム ”. ライジング福岡. 2014年12月30日 閲覧。
^ 『ロゴ変更のお知らせ 』(プレスリリース)公式サイト、2018年6月29日。https://r-zephyr.com/news/detail/id=6838 。2020年8月24日 閲覧 。
^ チア , 公式サイト, https://r-zephyr.com/team/cheers/ 2021年2月7日 閲覧。
^ マスコット , 公式サイト, https://r-zephyr.com/team/mascot/ 2021年2月7日 閲覧。
^ B2福岡 車いすバスケを傘下に 神田社長「子どもに夢を」 西日本スポーツ2019年8月2日
^ 車いすバスケットボール , 公式サイト, https://r-zephyr.com/team/wheelchair-basketball/ 2021年2月7日 閲覧。
^ “プロバスケ・福岡レッドファルコンズ、2000万円の使途不明金” . 読売新聞九州版 . (2006年1月10日). オリジナル の2006年1月13日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20060113054510/http://kyushu.yomiuri.co.jp/news/ne_06011002.htm 2014年12月30日 閲覧。
^ “経営難 前社長が自殺未遂”. 西日本新聞 . (2006年1月5日)
^ “福岡は新規参入を取り下げ 別会社が新加入を申し出” . スポーツナビ(時事通信社) . (2006年1月19日). オリジナル の2006年5月23日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20060523005045/http://sportsnavi.yahoo.co.jp/basket/jbl/headlines/20060119-00000070-jij-spo.html 2014年12月30日 閲覧。
^ “バスケ福岡がインボイスに支援要請” . 日刊スポーツ . (2006年1月12日). オリジナル の2009年1月9日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20090109014219/http://www.nikkansports.com/ns/sports/f-sp-tp0-060112-0026.html 2014年12月30日 閲覧。
^ a b “福岡は新規参入を取り下げ 別会社が新加入を申し出” . スポーツナビ(共同通信社) . (2006年2月10日). オリジナル の2006年2月22日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20060222092009/http://sportsnavi.yahoo.co.jp/basket/other/headlines/20060210-00000036-kyodo_sp-spo.html 2014年12月30日 閲覧。
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^ 『マック・タック ヘッドコーチ一時帰国のお知らせ 』(プレスリリース)ライジング福岡、2013年10月5日。http://rizing-fukuoka.com/news/detail/399 。2014年12月31日 閲覧 。
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^ 『佐野公俊 ヘッドコーチ就任のお知らせ 』(プレスリリース)ライジング福岡、2013年11月19日。http://rizing-fukuoka.com/news/detail/439 。2014年12月31日 閲覧 。
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^ [1] - 日本経済新聞
^ ライジング福岡社長、報告会で陳謝
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^ ライジング福岡会社情報
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^ 『TKbjリーグ2014‐2015シーズン ヘッドコーチ契約について(新規) 』(プレスリリース)ライジング福岡、2014年12月29日。http://rizing-fukuoka.com/news/detail/674 。2014年12月31日 閲覧 。
^ [2]
^ 県バスケ協会の支援受け、ライジング福岡新リーグ入会へ
^ ライジング福岡HP
^ 新オーナー就任のお知らせ ライジング福岡HP
^ TKbjリーグ2015-2016シーズンHC契約解除のお知らせ
^ TKbjリーグ2015-2016シーズン アシスタントコーチ短期契約締結について(短期)(新規)
^ 「金沢・福岡のBリーグ準加盟承認」北日本新聞 2016年9月8日16面
^ 逆転で地区優勝を果たしたFイーグルス名古屋、リーグ1位の3ポイントでライジングゼファー福岡撃破なるか|バスケットボールキング 2018年5月12日
^ B1昇格決定! | ライジングゼファー福岡 2018年5月14日
^ “代表取締役社長 交代記者会見について ”. ライジングゼファー福岡 . 2021年5月27日 閲覧。
^ “B2福岡に神田新社長、本田圭佑のSVホルンで手腕 - バスケット : 日刊スポーツ ”. nikkansports.com . 2021年5月27日 閲覧。
^ “来季の演出に関するお知らせ ”. ライジングゼファー福岡 . 2021年5月27日 閲覧。
^ “ライジングゼファーフクオカ オフィシャルダンス&ヴォーカルユニットオーディション ”. ライジングゼファー福岡 . 2021年5月27日 閲覧。
^ “オフィシャルダンス&ヴォーカルユニット“RZ”が遂に誕生! ”. ライジングゼファー福岡 . 2021年5月27日 閲覧。
^ “ロゴ変更のお知らせ ”. ライジングゼファー福岡 . 2021年5月27日 閲覧。
^ “B1福岡、資金難で降格 バスケ男子 調達無理なら退会も” . 西日本新聞 . (2019年4月10日). https://www.nishinippon.co.jp/nnp/national/article/501392/ 2019年4月11日 閲覧。
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^ “新経営体制のお知らせ ”. ライジングゼファー福岡 . 2021年5月27日 閲覧。
^ “STANDING ” (201). 2017年4月4日 閲覧。
^ 資金難のため公式試合安定開催融資を受けたため勝ち数5削減
^ ライジングゼファー福岡 公式試合安定開催融資について - Bリーグ、2019年4月15日(2019年5月4日閲覧)
^ “ライジングゼファー福岡が19連勝でストップ 「負けるべくして負けた」 西地区首位で2025年へ【Bリーグ2部】 ” (2024年12月29日). 2025年1月15日 閲覧。
^ のちに「浜松・東三河フェニックス」にチーム名を改めて2008-09シーズン よりbjリーグに参戦、現在の三遠ネオフェニックス 。
^ 日刊スポーツ2007年8月31日付「バスケbjリーグの親善試合が中止に」
関連項目
外部リンク
☆ はB1ライセンス取得クラブ、★ はB2ライセンス取得クラブ B1
B2
準加盟(B3) 関連項目