小林可夢偉

小林 可夢偉
Kamui Kobayashi
TOYOTA GAZOO Racingの小林可夢偉
(2024年9月撮影)
基本情報
国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1986-09-13) 1986年9月13日(38歳)
出身地 兵庫県尼崎市
基本情報
略称表記 KOB
F1での経歴
活動時期 2009-2012,2014
過去の所属チーム '09 トヨタ
'10-'12 ザウバー
'14 ケータハム
出走回数 76 (75スタート)
タイトル 0
優勝回数 0
表彰台(3位以内)回数 1
通算獲得ポイント 125
ポールポジション 0
ファステストラップ 1
初戦 2009年ブラジルGP
最終戦 2014年アブダビGP
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ル・マン24時間での経歴
2013,2016-
チーム'13 AFコルセ
'16- トヨタ・ガズー・レーシング
最高位1位 (LMH)
クラス優勝1
基本情報
世界耐久選手権 - LMGTE Proでの経歴
デビュー 2013
所属 '13 AFコルセ
出走回数 8
優勝回数 1
ポールポジション 0
ファステストラップ 2
シリーズ最高順位 7位 (2013)
基本情報
世界耐久選手権 - LMP1での経歴
デビュー 2016
所属 '16- トヨタ・ガズー・レーシング
出走回数 34
優勝回数 2
ポールポジション 5
ファステストラップ 3
シリーズ最高順位 1位 (2019-20)
基本情報
世界耐久選手権 - LMHでの経歴
デビュー 2021
所属 '21- トヨタ・ガズー・レーシング
出走回数 3
優勝回数 1
ポールポジション 1
ファステストラップ 1
シリーズ最高順位 1位 (2021)

小林 可夢偉(こばやし かむい、Kamui Kobayashi, 1986年9月13日 - )は、日本兵庫県尼崎市出身のレーシングドライバー。スーパーフォーミュラではKCMGFIA 世界耐久選手権(WEC)ではTOYOTA GAZOO Racingに所属する。WECではトヨタのチーム代表を兼任する。

フォーミュラ1 (F1) 時代には、2012年日本GPで日本人3人目となる3位表彰台を獲得。スポーツカーレース転向後はWECドライバーズチャンピオンを2度(2019-20年2021年)獲得。ル・マン24時間のコースレコードを樹立し、2019年及び2020年のデイトナ24時間、2021年のル・マン24時間で総合優勝を果たした[1]

初期の経歴

デビュー - 2001年

9歳でカートを始める。少年の頃より憧れのドライバーはアイルトン・セナであると発言している。1996年にカートレースにデビュー、実績を積み重ね2000年には全日本ジュニアカート選手権のシリーズチャンピオンとなる。

2001年は全日本カート選手権にステップアップし、ICAクラスに参戦してシリーズチャンピオンを獲得し、「西の小林可夢偉、東の関口雄飛」と呼ばれた。またフォーミュラトヨタレーシングスクール(FTRS)を受講しスカラシップを得た。

2002年 - 2003年

続いて4輪レースに出場することになるが、当時15歳であったためその前に日本自動車連盟(JAF)が限定A級ライセンス[2]を発行するのをしばらく待たねばならなかった。限定A級ライセンス取得後の2002年度、エッソフォーミュラ・トヨタ最終戦にて4輪レースデビューを飾る。2003年は本格的に同シリーズに参戦しランキング2位。

2004年 - 2005年

2004年にはトヨタ・ヤングドライバーズ・プログラム(TDP)の支援下、フォーミュラ・ルノー2.0イタリアシリーズに参戦しランキング7位。

2005年度はイタリアシリーズに加えユーロカップ・フォーミュラ・ルノー2.0も戦い、両シリーズともチャンピオンを獲得。なお小林はヨーロッパのフォーミュラ・ルノー選手権においてシリーズチャンピオンを獲得した最初の日本人であり、ヨーロッパのフォーミュラカー選手権において日本人ドライバーがタイトルを獲得したのは2001年度に金石年弘佐藤琢磨福田良がそれぞれドイツイギリスフランスF3選手権でシリーズチャンピオンとなって以来のことであった。

2006年 - 2007年

2006年はASM Formule 3(現在のARTグランプリのF3部門[3])からダラーラ・F305英語版メルセデスF3・ユーロシリーズを戦い、ランキング8位ながらルーキーカップを獲得した。またF3マカオGPにも出場しポールポジションを獲得する健闘を見せるが決勝は19位で終えた。この時のチームメイトはセバスチャン・ベッテル、このシーズンのチャンピオンを獲得したポール・ディ・レスタ、そしてギド・ヴァン・デル・ガルデであった。

2007年も引き続き同チームのF3ユーロシリーズに参戦。同年6月30日、フランスマニクール・サーキットで開催されたシリーズ第4戦の第1ラウンドでポールポジションを獲得しそのままF3初勝利を果たした。チームメイトはこの年のF3チャンピオンを獲得し、後にルノーからF1デビューしたロマン・グロージャンウィリアムズからデビューしたニコ・ヒュルケンベルグがいる。シリーズ4位。同年11月よりフォーミュラ1チームであるトヨタF1からフランク・モンタニーに代わり、サードドライバーとして起用されることが発表された。

2008年 - 2009年

2009年GP2ドイツGP

2008年GP2にアジアシリーズも含め参戦。3月23日、GP2アジアシリーズのマレーシアGPにて日本人として初優勝。4月27日、ヨーロッパに戻って行われたGP2本戦の第1戦スペイン・レース2でも日本人として初優勝した。

2008年-2009年シーズンとなったGP2アジアシリーズに、トヨタからのサポートを受けて参戦。2008年12月6日、ドバイGPにて08/09シーズンで初優勝。さらに2009年1月24日、バーレーンGPのレース1で優勝し、日本人初の連勝。2位に13ポイント差をつけランキング首位で挑んだ3月25日の最終戦、バーレーンの第1レースで4位入賞したことにより、第2レースを待たずしてアジアシリーズチャンピオンを獲得した。F1直下のカテゴリーで日本人が王座を獲得したのは初めてである。

F1での経歴

2009年

トヨタF1在籍時代(2009年)
2009年日本GP

2009年10月2日に開幕したF1第15戦日本グランプリで、トヨタF1チームのレギュラードライバーであるティモ・グロックが体調不良により金曜フリー走行を急遽欠場したため、リザーブドライバーであった小林がその代役として出走した。翌日はグロックが復帰したものの、そのグロックは公式予選でクラッシュして脊椎を負傷したため、次戦以降を欠場することになった[4]。これにより、小林は10月18日の第16戦ブラジルグランプリでF1デビュー、日本人としては18人目のF1ドライバーとなった。

そのブラジルグランプリでは予選11位を記録。決勝ではポイント首位のジェンソン・バトンを18周に渡り抑えて、一時は3位までポジションを上げたが、入賞に一歩とどかず9位完走だった[5]

次戦のアブダビGPも参戦することとなり、前戦同様バトンをオーバーテイクして、一時3位を走行していた。予選12位から1ストップ作戦を成功させ、チームメイトのヤルノ・トゥルーリを上回る6位入賞を果たした。1ストップ勢での上位浮上は小林ひとりであり、2007年佐藤琢磨以来、2人目となる完全日本製パッケージ[6]でポイント獲得をした。

この2戦の活躍で、来シーズンのトヨタF1チームの正ドライバーの座を確かなものとした。しかし、そのアブダビGPからわずか3日後の11月4日、トヨタF1チームがF1から完全撤退することを発表し、2010年以降は他チームにシートを求めることとなった。

2010年

ザウバーF1在籍時代(2010年)
2010年マレーシアGP

2009年12月17日ザウバーとのレギュラードライバー契約を発表し、撤退したトヨタを離れ2010年シーズンから新天地でのフル参戦が実現した。チームメイトはベテランのペドロ・デ・ラ・ロサ第15戦シンガポールGPからデラ・ロサに替わりニック・ハイドフェルドがチームメイトになった。

序盤戦はスタート直後の接触事故やマシントラブルにより成果を残せなかったが、トルコGPでは10位入賞し、チームのシーズン初ポイントを獲得した。中盤戦以降はマシンの改善もあり、コンスタントに入賞圏内を争うようになった。

ヨーロッパGPでは予選18位からのスタートであったが、セーフティーカー出動の混乱を巧みに乗り切り、レース終盤の53周目までタイヤを交換しないという策に出る。その53周までのレースの大半を3位で走行し、レギュレーション上のタイヤ交換義務でソフトタイヤに履き替え9位でレースに戻り、新しいタイヤのグリップ力を活かし残り2周でフェラーリフェルナンド・アロンソを、ファイナルラップの最終コーナーでトロ・ロッソセバスチャン・ブエミオーバーテイクし7位入賞を果たして、その印象的な走りは評価された。終始4位に抑えこまれていたマクラーレンジェンソン・バトンも、インタビューで小林の走りについて"Brilliant!"(素晴らしい!)と称賛した。

続くイギリスGPでも6位入賞。ハンガリーGP予選ではピットレーンの赤信号無視でペナルティを受け23番手に降格。決勝ではスタートで順位を上げ、セーフティーカー出動も味方して9位入賞を果たした。

母国日本GPでは予選14位から、他のドライバーがソフトタイヤでスタートする中、ハードタイヤで走り出した。ハイメ・アルグエルスアリを14周目、エイドリアン・スーティルを18周目にヘアピンで抜き、全53周レースの38周目にピットイン。ソフトタイヤに履き替えると、アルグエルスアリをアウト側から45周目、ルーベンス・バリチェロを48周目、ハイドフェルドを49周目に同じヘアピンで抜き、計5回のオーバーテイクをした[7]。そして2度目のアルグエルスアリをオーバーテイクする際に接触したことでマシン左側のディフレクター、サイドポンツーンの損傷に加えてフロントウィングの一部まで欠損している状況にも拘わらず7位入賞を果たし、観客を熱狂させた。なお、小林自身は何回オーバーテイクを行ったか記憶していないと語っている[8]。続く韓国GPでは8位、ブラジルGPでも10位と3戦連続入賞を果たした。

この年は決して競争力の高いマシンではなかったものの、ルーキードライバーとしては最も高いポイントである32ポイントを獲得しランキング12位。又、チームメイトと比較してもデ・ラ・ロサに7勝2敗5分、ハイドフェルドに3勝1敗1分している事になりベテランドライバー相手にも遜色ない結果を残した。

2011年

2011年イタリアGP

2010年9月7日、ザウバーは小林をエースドライバーとして残留させることを発表し、2011年も引き続きザウバーから出走する[9]。チームメイトには、新人のメキシコ人ドライバーセルジオ・ペレスが起用されている[10]

開幕戦オーストラリアGPでは入賞圏内である8位でゴールしたが、レース後の検査でリアウイングに違反があったとして失格処分となった。第2戦マレーシアGPでは、マーク・ウェバーミハエル・シューマッハらとの接戦を繰り広げ7位入賞。前戦の雪辱を果たし、第3戦中国GP、第4戦トルコGP、第5戦スペインGPまで3戦連続で10位入賞を記録し、日本人F1ドライバーの中で最もポイント獲得している佐藤琢磨の記録「44ポイント」と並んだ。又、同じく佐藤が記録した日本人による連続入賞記録(2004年イタリアグランプリから2004年ブラジルグランプリまで)である「4戦」も並んだ。翌第6戦モナコGPでは同僚のセルジオ・ペレスがシケインでクラッシュし、同グランプリの決勝レースを欠場。小林は単独で決勝レースに臨むこととなったが結果は自己最高位となる5位入賞を果たし、中嶋一貴以来日本人ドライバー2人目のモナコグランプリでのポイント獲得、モナコグランプリにおける日本人歴代最高位を更新した。同時に日本人獲得ポイント記録と、日本人連続入賞記録を更新した。

続くカナダGPでは荒れた天候のレースで一時2位を走るも、7位でフィニッシュ。一部の日本のマスコミ(特にフジテレビ)はこの活躍と有力チームのシート事情を絡め、2012年シーズンに有力チームに移籍する可能性を盛んに報じた。小林自身も移籍の可能性とペーター・ザウバーへの恩義の間で揺れる心境を示唆していた[11]。しかし7月28日にザウバーが小林とペレスの2012年残留を発表している[12]

2012年

2012年日本GP

開幕戦オーストラリアGPでは、スタート時の接触によりリアウィングの翼端板が破損、DRSの使用に不安が生じた。そんな中で上位陣のクラッシュもあり6位入賞を果たした。第3戦中国GPではフリー走行から安定した走りを見せ、最終的に自己最高となる予選4位を記録する。予選2位のルイス・ハミルトンのペナルティにより決勝は3番手からのスタートとなったが、スタート時にトラブルが発生し順位を落とす。しかし10位でフィニッシュし、日本人としては1989年最終戦オーストラリアGP中嶋悟が達成して以来23年ぶり、ザウバーチーム(BMW時代を除く)としては初めてのファステストラップを記録した。

第5戦スペインGPでも予選Q3進出したものの、ハイドロ系トラブルによって10位(ハミルトンが予選失格したため、9番手からのスタート)だったが、決勝ではジェンソン・バトンやニコ・ロズベルグをオーバーテイクし、自己最高タイの5位入賞を果たした[13]

第6戦モナコGP予選ではQ2で敗退となり12番手となったが9番手スタートのパストール・マルドナードがフリー走行中にペレスと接触して10グリッド降格のペナルティを受け11番手スタートとなった。 決勝では、スタート直後に第1コーナーでグロージャンがシューマッハとの接触をきっかけにスピンし、後続を巻き込む多重クラッシュとなり、そのクラッシュに巻き込まれリタイアを 喫した。

第7戦カナダGP予選はQ2敗退となり11番手となった。決勝ではシューマッハのリタイアなどもあり予選グリッドから2つポジションを上げ9番手で入賞を果たした。

第8戦ヨーロッパGP予選はQ3進出を果たし、7番手スタートを手にした。決勝では7番手からスタートし、2周目には4番手までポジションを上げたが、ピットストップに時間がかかり順位を落とす。その後ブルーノ・セナと接触。この接触ではセナにペナルティが科される。その後フェリペ・マッサと接触してリタイア。マッサとの接触には可夢偉に非があるとして次戦のイギリスグランプリで5グリッド降格のペナルティが科された。

第9戦イギリスGP予選では雨のコンディションの中行われ大波乱の予選となり1時間30分の赤旗中断となった。その中、マクラーレンのジェンソン・バトンがQ1敗退を喫し、ロータスのグロージャンもQ3進出を果たすがスピンしQ3を走ることができなかった。その中で可夢偉はQ2で敗退となり12番手となるが前戦のヨーロッパグランプリによる5グリッド降格のペナルティを受け17番手スタートとなる。決勝では1周目に大きく順位を上げその後も順調に順位を上げていくが37周目にピットストップをするときにタイヤがロックし指定の位置に止まることができずメカニック3人と接触。この事故によりピットストップに時間がかかりコースに戻ると12番手、そこからポジションを1つ上げ11番手でフィニッシュしポイントを手にすることはできなかった。レース後メカニックとの接触について審議され2万5000ユーロ(約240万円)の罰金処分を科された。

第10戦ドイツGP予選は雨の降る中行われ、Q2では雨量が激しくなり各車がウェットタイヤに続々と変える中はインターミディエイトタイヤで走る戦略が失敗し予選13番手となるが[14]、決勝では天候に恵まれ戦略面でも巧く事が進み、5位でフィニッシュした。その後、2位のセバスチャン・ベッテルのコース外を使ったオーバーテイクが審議対象となり、その結果決勝タイムから20秒加算ペナルティとなったため、最終的には自己最高の4位入賞を果たした。

第11戦ハンガリーGPはフリー走行からマシンバランスに悩み、予選Q1は通過するもQ2で敗退(15位)。決勝では早めにミディアムタイヤに履き替え変則2ピットストップ作戦を決行し、油圧系のトラブルでリタイアしたが、18位完走扱いでレースを終えた。

第12戦ベルギーGPはウェットコンディションとなった金曜日フリー走行1回目でトップタイム、2回目では7番手を記録。ドライとなった翌日3回目でも4番手タイムを出し、午後の予選ではポールポジションのバトン(マクラーレン)に次ぐ2番手タイムで自己ベストをマークした。また2004年第7戦ヨーロッパGPの佐藤琢磨以来、8年ぶりの日本人予選フロントローも獲得した[15][16]。ザウバーチーム(BMW時代を除く)としても1999年第7戦フランスグランプリ以来のフロントローを獲得した。だが決勝ではスタートで失敗し、直後にロマン・グロージャンによって引き起こされた多重クラッシュに巻き込まれてマシンにダメージを負い、完走はしたものの13位に終わった。

第13戦イタリアGPではチームメイトが2位を獲得したのに対して9位に終わり、第14戦シンガポールGPでも13位でポイント圏外で不振が続いた。

2012年日本GPパレード

第15戦日本GPにおいて、予選4位となり、3位だったジェンソン・バトンがシンガポールGP後のギアボックス交換によりグリッド降格処分となったため3番グリッドからのスタートとなった。スタート直後にマーク・ウェバーをかわし2位に浮上するも、14周終了後の1度目のピットインの後、ダニエル・リカルドをオーバーテイクするのに17周目まで手間取ったこともあり、17周目にピットインしたフェリペ・マッサがピットイン後小林の前に入り再度3位となる。その後は終始ジェンソン・バトンに猛追されるもそのまま3位でゴール、日本人としては2004年アメリカGPでの佐藤琢磨以来8年ぶり、鈴鹿では1990年鈴木亜久里以来22年ぶりとなる、日本人3人目のF1GP表彰台登壇者となった。表彰式のインタビューで「初めての表彰台に日本で上がれたことが本当に素晴らしくて信じられない」と語り、観客たちが可夢偉コールで盛り上がった[17]

2012年はチームメイトを6ポイント下回ったものの昨年の倍の60ポイントを獲得しランキング12位となった。これはランキングでミハエル・シューマッハを上回る結果となった。日本GPの表彰台を含む9回の入賞(チームメイトは7回)や、自身初のファステストラップとフロントローなどを記録した。しかし、チームとの契約延長には至らず、最終戦ブラジルGP前に2013年のザウバー離脱が発表された。 なお、この年は前述の通り9回の入賞を達成したものの、連続入賞は1度もなかった。

2014年

2014年シンガポールGP

2014年1月21日ケータハムとの契約を発表した。チームメイトは新人のマーカス・エリクソン [18]。この年から導入されたドライバーの固定ナンバーは「10」を選択した。

開幕戦オーストラリアGPでは予選Q2に進出し、15位(スターティンググリッドでは14位)を獲得するが、決勝ではスタート直後にブレーキトラブルでマッサに追突しリタイアに終わる。

第6戦モナコGPでは荒れた展開だったが、ショートカットをしてしまったため、後方のキミ・ライコネンに順位を譲った際にライバルであるマルシャジュール・ビアンキに強引にスペースに入り込まれ、順位を奪われた挙句、接触でダメージを負った。その影響でチームメイトのエリクソンにもオーバーテイクされ、ビアンキが9位、エリクソンが11位に対して13位に終わる。

第11戦を終えた時点で予選ではエリクソンに対して9勝2敗と大きく勝ち越し、決勝でも両者が完走したレースでは4勝1敗。しかしシーズン半ばにチームが身売りされた影響などから、第12戦ベルギーGP直前に突如アンドレ・ロッテラーとの交代が発表された。同時に小林自身はベルギーGP以降もチームに留まることも発表された。

第13戦イタリアGPではレースドライバーとして復帰。予選では中国GP以来となるマルシャのビアンキを上回り、予選19位。決勝では直近のライバルであるビアンキを上回る好ペースで周回を続け17位完走。

第16戦ロシアGP、ケータハムはパーツ不足によりフリー走行から2台共にマイレージ制限を実施。マイレージ制限により、初めて走るサーキットにもかかわらず満足な走行は出来なかった。決勝では21周目に突如ピットインを命じられ、その場でリタイヤした。チーム発表によればリタイヤさせた理由はブレーキのオーバーヒートである。小林本人はリタイヤ直後、メディアに対して車に何も問題は無かったと語っている。

第17戦アメリカGPではチームは今年7月にエンガヴェストSAによって買収されたが、その後、元オーナーのトニー・フェルナンデスとの間に論争が生まれ、両者は10月24日、管財人であるスミス&ウィリアムソンにチームの管理を委ねた。チームはオースティンでのレース参戦を目指していたが、管財人はアメリカGPとブラジルGPの2戦を欠場する許可をもらったことを明らかにし、小林は欠場を余儀なくされる。

最終戦アブダビGPではチームはクラウドファンディングなどによる資金調達により、参戦することが可能となり、小林の参戦も決定した。エリクソンが離脱を発表したため、チームメイトはウィル・スティーブンスとなった。また、小林はこのグランプリがF1でのラストランになる可能性が高いことを認めた。予選は19位で、マシンの様々な状況がスティーブンスよりも劣る状態にもかかわらずスティーブンスに勝利した。しかし決勝では残り約10周というところでマシントラブルでリタイアとなり、小林は最後のレースを終えた。その後マノー・マルシャと交渉したり、ハースF1の候補に上がるなどその後もF1復帰を目指していたが、現在2014年最終戦アブダビグランプリが小林最後のF1となっている。またカーナンバー「10」の使用権も失っており、2022年現在ではピエール・ガスリーが「10」を使用している。

フェラーリGT

小林は2014年にトップチームへ移籍するため、2013年は「しっかりと戦えるチーム」のシート獲得を目指して交渉を行った[19]。候補はロータスフォース・インディアと考えられた[19]。11月23日にはファンからの「資金協力をしたい」という声に応える形で、支援金を募る「KAMUI SUPPORT」を公式サイトに開設。12月18日までに1億8400万相当が集まり、日本企業のスポンサーを含めて800万ユーロ(約8.8億円)強の資金を確保した[20]

しかし、12月18日にロータスがグロージャン残留を発表すると、小林は「戦えるチームへの移籍が不可能になった」として、支援金の受付終了を発表した[20]。2013年についてはF1以外のカテゴリは考えていないと述べ、支援金は2014年のシート獲得活動に充てるとした[20]

ル・マンでドライブしたフェラーリ458GTC71号車

最終的に2013年はF1から離れて、アジア人として初めてスクーデリア・フェラーリとドライバー契約(3月11日契約発表)を結び、GTレースにおいてフェラーリセミワークス的存在であるイタリアのAFコルセチームより、FIA 世界耐久選手権 (WEC) に参戦することになった[21]。チームメイトは、ジャンカルロ・フィジケラジャンマリア・ブルーニトニ・バイランダー

WECではバイランダー(最終戦はフィジケラ)とコンビを組み、フェラーリ・458イタリアGTCの71号車でLMGTE-Proクラスに参戦。開幕戦シルバーストン2位と好調に滑り出したが、マシンの性能調整 (BoP) に苦戦する。初挑戦のル・マン24時間レースでは総合21位(クラス5位)。地元富士は悪天候により打ち切り(クラス5位)。最終的にドライバーズランキングはクラス7位だったが、フェラーリのGTマニュファクチャラーズタイトル連覇に貢献した。

SUPER GT/スーパーフォーミュラ

F1の2014年シーズンが終了後、所属していたケータハムは翌年の参戦が不透明に。そんな中キャリア初期を支えたトヨタからスーパーフォーミュラ岡山テストへの参加オファーを受ける[22]。テストにはチームルマンから参加。そして迎えた2015年、トヨタのモータースポーツ体制発表会にてスーパーフォーミュラへのフル参戦が決まった。実に12年振りの日本国内でのレースとなる[23]。2戦目にして優勝争いに加わり多くの表彰台を獲得する善戦を見せるものの、先んじて参戦していた石浦宏明中嶋一貴に阻まれPP・優勝は一度も獲得できなかった。

2016年も同チームから参戦するが、モノコックに微細なダメージが入っていたこともあり、入賞わずか1回に終わった。

2017年はチームルマンからKCMGに移籍した。また8月に開催された鈴鹿1000キロでは、TEAM WedsSport BANDOHから初めてSUPER GTに参戦した。KCMGのチーム力と裏腹に優勝に絡む活躍を見せたが、結局PP・優勝ともにならなかった。特にもてぎではトップを快走しながら、ピットの右前タイヤ交換作業で20秒近くを失うミスにより勝利を逃すという、象徴的なレースとなった[24]

2018年はスーパーフォーミュラに加えてTEAM SARDよりSUPER GTのGT500クラスにもフル参戦。チームメイトは元F1ドライバーのヘイキ・コバライネン。第4戦チャン・インターナショナルサーキットで優勝。これが国内メジャーレースにおける初の(そして現状唯一の)優勝となった。

2019年〜2020年はスーパーフォーミュラに参戦。何度か2位表彰台に上るも、こちらの初優勝はお預けとなった。またSUPER GT×DTMの特別交流戦富士スピードウェイ戦では、GT500のメーカーに所属する日本人ながら、唯一DTM陣営としてBMWから参戦するという離れ業をやってのけている[25]。レース1では決勝14位、レース2では5位であった。

2021年はCOVID-19の影響もあり、スーパーフォーミュラに1戦のみの参戦となった。

プロトタイプスポーツカー

WEC/ル・マン

WECトヨタチーム - (右)小林(2016年3月)
WECチーム代表として表彰台に立つ(左端)小林(2023年ル・マン24時間)

2015年に国内レースでのトヨタ復帰とともに、FIA 世界耐久選手権(WEC)のトヨタのワークスチームのリザーブドライバーに就任した。

そして2016年はスーパーフォーミュラに加え、TOYOTA GAZOO Racingに改称したWECチームへのレギュラー参戦が発表され、トヨタ・TS050 HYBRIDの6号車を駆ることとなった[26]。チームメイトはマイク・コンウェイステファン・サラザンル・マン24時間の決勝では2台のTS050がペースを掴み、小林は終盤に3位を走行しポルシェ2号車を脅かしていたが、スピンを喫して勝負権を失った。このスピンがなければ、「残り3分の悲劇」にもかかわらずトヨタが総合優勝を掴んでいた可能性があった。一方でWEC富士ではアウディとのデッドヒートを制して、同シーズントヨタ唯一の優勝に貢献した。シーズンを通しては結果的には善戦し、アウディを上回る総合2位の成績を収めた。

2017年は7号車に搭乗。ル・マンの予選ではコースレコードを更新した。しかし決勝ではピット出口に応援に来たアマチュアドライバーをマーシャルと勘違いして発進し結果的にクラッチを壊し、「偽マーシャル事件」の被害者になり、リタイアした[27]。WECのシーズンはサラザンに代わる新チームメイトでルーキーのホセ・マリア・ロペスのミスも重なって成績は芳しくなく、総合成績では8号車に譲った。

2018年も7号車から参戦。ル・マンでは1度は2分の差をつけた8号車に逆転を許し、自身も黄旗の速度違反やピットインを忘れてガス欠の危機に陥るというミスを犯したものの、完走して日本車×日本人初のル・マン1-2フィニッシュに貢献した。

2019年ル・マンはトップを快走するが、残り1時間というところで、内圧センサーがパンクを示したタイヤとは別のタイヤの異常を示すというトラブルに見舞われ、大逆転で8号車に優勝を譲ってしまった[28]。またWECのタイトルも同時に明け渡した。

2020年ル・マンはポールポジションを獲得するが、折り返し地点でターボ系トラブルが発生して長時間のピットインを余儀なくされ、三たび8号車に敗北を喫した。しかしシリーズでは速さを示し、初のチャンピオンを獲得した。

2021年は引き続き7号車に搭乗。ル・マンではポールポジションを獲得。決勝では7・8号車に燃料系のトラブルが発生したが、チーム一丸となって解決策を見つけ出し、7号車はペースをキープした結果、遂に悲願のル・マン制覇となり、そのままシリーズも連覇した。同年12月24日、 東京運動記者クラブのモータースポーツ分科会から、2021年の最優秀選手賞に選出された[29]

2022年よりWECトヨタチーム代表を兼任する。

IMSA/デイトナ

2019年にキャデラックセミワークスであるウェイン・テイラー・レーシングより、デイトナ24時間レースにとしてスポット参戦。チームメイトはジョーダン・テイラーレンガー・ヴァン・デル・ザンデフェルナンド・アロンソ。小林は夜間の4スティントを走行し、トップを死守。2度の赤旗と雨天による早期終了もあったが、1992年以来の日本人優勝を果たした。

2020年も同チームより参戦。チームメイトはヴァン・デル・ザンデに加えてライアン・ブリスコースコット・ディクソンが搭乗。小林は最終スティントを担当し、後続を引き離してトップチェッカーを受け、日本人初となる連覇を達成した[30]

2021年はアクション・エクスプレスとNASCARの強豪ヘンドリック・モータースポーツのジョイントチームであるアリー・キャデラック・レーシングより、NAEC(ノース・アメリカン・エンデュランス・カップ)の4戦に参戦。近く導入されるLMDh規定の絡み(トヨタにIMSA参戦の余地ができたため)により、おそらく最後の他ワークスからの参戦と位置づけて挑んだが、優勝は果たせなかった(最高順位はデイトナの2位)。

フォーミュラE

2017年11月15日、フォーミュラEMS&ADアンドレッティ・フォーミュラEからスポット参戦することが発表された[31]。小林は開幕ダブルヘッダーとなる第1戦、第2戦香港ePrixにトム・ブロムクビストに代わって27号車のステアリングを握る。同年10月に行われたフォーミュラEの公式テストに参加しなかったため、いきなりの実戦となった。スポット参戦には、チームのメインスポンサーである国内保険大手のMS&ADだけでなく、日本人ドライバーを欲していたシリーズ側の意向によると分析されている[32]。日本人ドライバーのフォーミュラEへの参戦は佐藤琢磨2014-15年シーズン第1戦)と山本左近(2014-15年シーズン第10、11戦)に続いて3人目となる。

かねてより小林はフォーミュラEへの参戦に興味があることが伝えられていた。ただ、2014年に行われた自身のYouTubeチャンネル「KAMUI TV」の公開収録イベントで、レーススピードが物足りなかったりレギュレーションが自身の思い描くレース像と異なっていたりすることから、シートの話はあるものの参戦は控えていると語っていた[33]。また、2017年9月に「フォーミュラEには興味があります。いくつかのチームと話はしていますが、すぐには乗れないでしょう」[34]とも語っていた。

2017年12月2日、フォーミュラ第4シーズンが開幕し、開幕戦である香港ePrixに小林はスポット参戦した。

第1戦、シミュレーターとフィルミングデーで50km/hでしか走らせたことのなかったフォーミュラEの車をうまく乗りこなせず[35]、フリー走行1回目は19位、2回目は14位、予選は13位だった。決勝では無線トラブルもあり、ファンブーストで最多投票数(29%)を獲得したものの使用することなく15位で終えた[36]。第2戦は回生ブレーキのトラブルに苦しみ、予選16位、決勝17位に終わった。

評価

日本企業の支援を受けてF1に昇格したという点では、F1ブーム期以降の日本人ドライバーの系譜に連なる。しかし、トヨタのF1撤退で後ろ盾を失いながらデビュー2戦のパフォーマンスを評価され、2010年のレギュラーシートを確保するに至った。起用を決めたザウバーチーム代表のペーター・ザウバーは「彼は資金を持ち込まずにF1チームに加わった最初の日本人ドライバーだ」「彼はドライブ能力のおかげでF1にいる」と評価した[37]。 しかし結局後に2013年の参戦にあたりチームは不明だが彼は10億円の資金持ち込みを要求された[38]

F1ジャーナリストの今宮純は「小林はマクラーレンの候補リストに日本人として初めて名を連ねていた[39]」と話している。元F1ドライバーの片山右京は「僕らの夢が動き出そうとしている」とコメントを残した。

マシンの空力的性質上オーバーテイクが難しいといわれるF1において、積極的に追い抜きを仕掛ける姿勢は評価されている。2011年シーズンのオーバーテイク回数は99回で、これはミハエル・シューマッハ(116回)、セバスチャン・ブエミ(114回)についで3番目に多い。一方で、接触する場面もあることから海外を中心に「危険な走り」であると指摘を受けている。本人も接触の多さやアグレッシブ過ぎる部分については認めつつも、他車を巻き込んでのリタイヤは無いので危険ではない。安全だと主張している[40]

タイヤマネジメントに定評があり、タイヤ交換回数を減らしたり、他のドライバーと異なるタイヤを選択することで順位を大きく上げるレースが多い。一方で他カテゴリはともかくF1での予選の速さではチームメイトに劣ることも多く、ペドロ・デ・ラ・ロサのシーズン途中での交代理由も、ザウバーが可夢偉の一発の速さを疑問視したからであった。

  • F1デビュー戦の2009年ブラジルGPでは、後方から迫るバトンに対して蛇行で牽制するようなブロックをみせた(通常は一つのコーナーに対してワンアプローチしか認められない)。チャンピオン争いをしていたバトンは可夢偉の走行に過剰に反応し、無線で自分のチームに抗議するよう求めたが「ルーキードライバーの(少々過剰な)行為」にクールになるように窘められている。また、ピットアウト直後に中嶋一貴をブロックして接触し、中嶋はクラッシュした。レース後には全世界のファンの投票で選ばれる「マン・オブ・ザ・レース」に選出された。
  • 2009年アブダビGPでは再びバトンとバトルを展開し、デビュー2戦連続で「マン・オブ・ザ・レース」に選出。バトンを追い抜いたシーンが同サイトの「ベストオーバーテイク」のファン投票で1位を獲得した。
  • 2010年日本GPではヘアピンへのブレーキングで5度のオーバーテイクを成功させ、ライバルや海外メディアに賞賛され、F1公式サイトのコメンタリでは「overtaking king Kobayashi」と絶賛された。レース後、イギリスのテレビ局BBCは小林に対して独占インタビューを行い、コメンテイターのエディ・ジョーダンマーティン・ブランドルより絶賛を受けた。デビッド・クルサードはコラムにおいて「日曜に彼が見せたオーバーテイクは驚異的だった。アグレッシブでありながらコントロールされており、非常に素晴らしかった」と述べた[41]。また鈴鹿サーキットでは、2011年の日本GPにおいてヘアピンの観客席を増設し「小林可夢偉応援席」として販売したが[42]、通常発売期間を待たずして先行予約期間ですぐに完売してしまった[43]
  • この2010年日本GPでのオーバーテイク時に ハイメ・アルグエルスアリと接触し、左サイドポンツーンのエアロパーツを破損して無くすことになるが、その後自身のベストラップを刻み、テレビ解説をしていた片山右京に「彼は破損したマシンの方が速いんですね」と苦笑いをされてしまう。[44]
  • 2010年、同じF1ルーキーのヴィタリー・ペトロフニコ・ヒュルケンベルグ、GP2のジュール・ビアンキサム・バード世界ラリー選手権(WRC)に転向したキミ・ライコネンらを抑えて、「AUTOSPORT Awards」のルーキー・オブ・ザ・イヤーを受賞した[45]

エピソード

名前・ニックネーム
可夢偉(かむい)という名前はアイヌの民族信仰で神とされる「カムイ」と、「大な能にする[46]」という言葉の漢字3文字に掛けて命名された。
2012年のF1日本GP翌日に催されたファンミーティングでは「自身の名前が漫画『カムイ伝』から採られた」「漢字は全くの当て字」と語った。小林の兄に「北斗」と命名したところ、後に『北斗の拳』がブームになり、「マンガのタイトルからとれば将来いけるんちゃうん?」という父の考えから、カムイ伝から名前をもらった。
海外メディアではカウボーイと小林を組み合わせてCowboyashiカウボーヤシ)というニックネームを付けられている[47]
家族・出身地
実家は寿司屋を経営している。16歳からは家業の手伝いで寿司を握っていたことから、メディアでは「可夢偉はシートを失ったら実家の板前に転職する」とジョークを言われた。2009年のトヨタF1撤退決定の直後は「レースが続けられないなら寿司屋の修行をする」[48]と語り、2010年の参戦決定後も「ザウバーと契約していなかったら今頃寿司を握っていたでしょう」と冗談を言った。実際のところ本人はエビカニアレルギー持ちで「触ることすらできない」ため、板前には「なりたくてもなれない」という[49]。ザウバー在籍時、公式HPのプロフィールには「好物は和食、ただし生魚を除く」と記載されていた[50]
父親は芸術大学を卒業して寿司屋の板前をやっており、職業は「自称陸サーファー」。小林曰く「変な人」。また、株式会社「Dream win」の命名者である。
実家に近い三和本通商店街が、2011年3月より小林の応援旗や垂れ幕を掲げるとともに「カムイロード」の愛称を付け応援するようになった[51]。2012年日本GPでは地元商店街が中心となって、バス11台、総勢520人の大応援団[52]を結成し、2コーナースタンド可夢偉応援席(C席)最上段から応援した。3位初表彰台を獲得した小林は、特製の赤い応援旗の波と大歓声で迎えられた。
少年期・修行時代
子供の頃は最初からレーサーを志していたわけではなく、当初の夢はお笑い芸人になることだった。地元尼崎市出身のお笑いコンビダウンタウンを尊敬しており、2009年にフジテレビ系『すぽると!』に出演した際、自らの夢を「テレビで浜田さんと共演する」と発言し、後日その浜田が司会を務めるフジテレビ系『ジャンクSPORTS』で実現した。
少年時代に参戦したカート競技で父親自らが小林の車両のメカニックとして携わっていたが、実は両親はレースに全く関心がなかったという。また、自身で乗用車を2度ほど購入していたが、その両方の車を父親に売却された[53]
1998年に放送されたTBSの30時間特別番組『テレビのちから』のコーナー「スーパーキッズ21世紀夢チャレンジ」にて、当時小学6年生だった小林は「天才カート少年」として紹介され、定岡正二や元F1ドライバー鈴木亜久里とカート対決を行った。亜久里とのレースでは勝利しながらもレース後目に涙を浮かべ、「悔しかった。遊ばれとった」と発言した。F1ドライバーになって以降も「この悔しかった心境を鮮明に覚えている」と発言している。
17歳の頃に、尼崎市の広報誌のインタビューを受けた際、免許を取得した後に乗りたい車はという問いに対して「速く走る必要も無いのでどんな車でも良いが、強いて言えば、いつも窮屈な車にばかり乗っているので、乗っていて楽な車が良い」と語っていた。
TDP監督として小林や中嶋一貴を指導した関谷正徳は、「可夢偉はやんちゃで、一貴は優等生タイプ[54]」と評している。小林はヨーロッパに渡る直前、TDP関係者の知り合いの寺に送られ、2泊3日で修行させられた[55](「車に乗せられて空港に行くのかと思ったのに、着いたら寺だった」)。寺の後は横田基地に連れて行かれ、英語習得のためアメリカ人家庭でホームステイした[55]
プライベート
2010年の日本GP後にスポーツ紙や週刊誌においてタレントあびる優との交際が報道された。この件について、あびるの所属事務所であるホリプロは「仲の良い友達の一人です」とコメントしていた[56]。翌年の1月29日に小林との交際が順調であるかという質問を受けたあびるは「はい。(結婚は)するなら若いうちにしておきたい」と答えた[57]。2011年シーズンは度々サーキットへ応援に訪れており、海外のF1メディアにはすでに「あびる優は小林のガールフレンド」と認知されていた[58]
吉本大樹は親友であり「ずっと昔から、酒の飲み方から何から何まで本当に御世話になった[59]」という間柄。F1日本GP(小林)やWTCC鈴鹿(吉本)では互いの応援団長を買って出ている。
カート時代からの友人で2017年にはSUPER GTで共に戦った関口雄飛や、同じくF1ドライバーであった山本左近とも仲が良い
セバスチャン・ベッテルとはF3時代にチームメイトだったこともあり仲が良い。2012年日本GPの表彰台インタビューでは、優勝したベッテルのことを「べっちゃん」と呼んだ。また、GP2で共に戦ったヴィタリー・ペトロフとも仲が良い。
写真週刊誌[60]に載ったことにより喫煙者であることが知られるようになった。
フェルナンド・アロンソとは3社に渡って同一メーカー陣営として共に所属した。
2022年に世界三大レースを制覇した3人(モナコグランプリ-セルジオ・ペレス、インディ500-マーカス・エリクソン、ル・マン24時間-平川亮)はいずれもトップフォーミュラで小林とチームメイトの経験がある。
メディア出演
初めて出演したラジオ番組は、2010年8月17日にUstreamで放送されたインターネットラジオ『タイムマシン部』であった。収録内容はUstreamにアーカイブされており視聴可能 [1]
フジテレビすぽると!』に出演した際、ベッテルのようにマシンに名前を付けるとしたら?と尋ねられると、隣に座っていた本田朋子アナウンサーの名前を取って「朋子」と答えた。
2012年9月にはバラエティの『世界の果てまでイッテQ!』特番に出演し、お笑いタレント宮川大輔とともにタイの木の車祭りに参加した[61]
2016年4月からは、フジテレビ・関西テレビのスーパーフォーミュラ情報番組『超速GO音』で、中嶋大祐と共にパーソナリティを務める。
2016年6月3日(関西地区)に放送された『探偵!ナイトスクープ』で、依頼者の主婦とカートレースを行った。
2016年12月に発売されたトヨタ・C-HRの宣伝動画に、ケイ・コッツォリーノとともに登場した[62]
その他
グッドスマイルカンパニーが2010年8月よりパーソナルスポンサーとなっており、「ねんどろいど」と「figma」で小林をフィギュア化し、それぞれ2012年3月に発売した。ねんどろいど版はチャリティー企画「Cheerful JAPAN!」において“がんばれ日本Ver.”も作成・販売された。小林は2011年にグッドスマイルレーシングのスペシャルサポーターとなった。
ザウバーのスポンサーのひとつであるマッドクロックは、2011年より販売開始した日本におけるイメージキャラクターとして、小林とプロボクサーの粉川拓也を起用した。
2011年11月には、ヘルメットのデザインをリンキン・パークジョー・ハーンに手掛けてもらった[63]
スーパーフォーミュラの「オーバーテイクボタン」(OTS)については、先行車が後続車の使用を確認できてしまうので無意味、という見地から批判的な立場を取っている。

レース戦績

主な戦績

2010年のヘルメット
鈴鹿サーキット・レーシングシアター蔵)
  • 1996年 - SL宝塚シリーズカデットクラス(3位)
  • 1997年 - TOYOTA SL全国大会カデットクラス(優勝)
  • 1998年 - JAFCUP西地域シリーズカデットクラス(優勝)
  • 1999年
    • 全日本ジュニアカート選手権(ランキング5位)
    • TOYOTA SL全国大会SストックDクラス(優勝)
  • 2000年
    • 全日本ジュニアカート選手権(シリーズチャンピオン・優勝3回)
    • 鈴鹿カート選手権RSOクラス(シリーズチャンピオン)
  • 2001年
    • 全日本カート選手権ICAクラス(シリーズチャンピオン・優勝3回)
    • アジアパシフィック選手権ICAクラス(2位)
    • フォーミュラ・トヨタ・レーシング・スクール(FTRS)受講・スカラシップ獲得
  • 2002年
    • ヨーロッパカート選手権FAクラス(ランキング14位)
    • エッソ・フォーミュラ・トヨタシリーズ<Rd.10にスポット参戦>(決勝DNF)
  • 2003年
    • エッソ・フォーミュラ・トヨタシリーズ(#7 ウルトラフロースカラシップFT/FT30)(ランキング2位・優勝2回)
    • マカオGPフォーミュラ・ルノー参戦
  • 2004年
    • フォーミュラ・ルノー2.0イタリアシリーズ(ランキング7位・優勝2回)
    • マカオGPフォーミュラ・ルノー参戦(18位)
  • 2005年
    • フォーミュラ・ルノー2.0イタリアシリーズ(シリーズチャンピオン・優勝6回)
    • フォーミュラ・ルノー2.0ユーロシリーズ(シリーズチャンピオン・優勝6回)
  • 2006年
    • F3ユーロシリーズ(ASM Formula3 #17 Dallara F305 Mercedes)(ランキング8位・最高位2位・Rookie Cup2006を獲得)
    • F3Ultimate Masters(ASM Formula3 #17 Dallara F305 Mercedes)(決勝11位)
    • F3マカオGP(ASM Formula3 #6 Dallara Mercedes-HWA)(予選PP・決勝19位)
  • 2007年
    • F3ユーロシリーズ(ASM Formula3 #2 Dallara F305 Mercedes)(ランキング4位・優勝1回)
    • F3マカオGP(ASM Formula3 #9 Dallara Mercedes-HWA)(予選7位・決勝13位)
  • 2008年
    • GP2アジアシリーズ(DAMS #10)(ランキング6位・優勝2回)
    • GP2メインシリーズ(DAMS #10)(ランキング16位・優勝1回)
  • 2009年
    • GP2アジアシリーズ(DAMS #8)(シリーズチャンピオン・優勝2回)
    • GP2メインシリーズ(DAMS #17)(ランキング16位・最高位3位)
    • F1世界選手権<Rd.16,17に参戦>(Panasonic Toyota Racing #10)(ランキング18位・入賞1回)
  • 2010年 - F1世界選手権(BMW Sauber Ferrari #23)(ランキング12位・入賞8回)
  • 2011年 - F1世界選手権(Sauber Ferrari #16)(ランキング12位・入賞9回)
  • 2012年 - F1世界選手権(Sauber Ferrari #14)(ランキング12位・入賞9回)
  • 2013年 - FIA世界耐久選手権・LMGTE-PROクラス(AFコルセ #71/フェラーリ458 GTE)(シリーズ7位)
  • 2014年 - F1世界選手権(Caterham Renault #10)(ランキング22位・入賞0回)
  • 2015年 - 全日本選手権スーパーフォーミュラ(KYGNUS SUNOCO Team LeMans #8/ダラーラ・SF14)(シリーズ6位)
  • 2016年
    • FIA世界耐久選手権・LMP1クラス(TOYOTA GAZOO RACING #6/TOYOTA TS050 HYBRID)(シリーズ3位・1勝)
    • 全日本スーパーフォーミュラ選手権(SUNOCO Team LeMans #8/ダラーラ・SF14)(シリーズ17位)
  • 2017年
    • FIA世界耐久選手権・LMP1クラス(TOYOTA GAZOO RACING #7/TOYOTA TS050 HYBRID)(シリーズ5位)
    • 全日本スーパーフォーミュラ選手権(KCMG #18/ダラーラ・SF14)(シリーズ7位)
    • SUPER GT・GT500クラス<Rd.6スポット参戦>(LEXUS TEAM WedsSport BANDOH #19 WedsSport ADVAN LC500/RI4AG)(シリーズ17位)
    • FIA フォーミュラE選手権<Rd.1,Rd.2スポット参戦>(MS&AD ANDRETTI FORMULA E #27/ANDRETTI ATEC-03)(シリーズ24位)
  • 2018年
    • SUPER GT・GT500クラス(LEXUS TEAM SARD #39 DENSO COBELCO SARD LC500/トヨタ・RI4AG)(シリーズ13位・1勝)
    • 全日本スーパーフォーミュラ選手権(carozzeria Team KCMG #18/ダラーラ・SF14)(シリーズ10位)
    • ル・マン24時間レース(TOYOTA GAZOO RACING #7/TOYOTA TS050 HYBRID)
  • 2018-19年 - FIA世界耐久選手権・LMP1クラス(TOYOTA GAZOO RACING #7/TOYOTA TS050 HYBRID)(シリーズ2位・2勝)
  • 2019年
    • ロレックス・デイトナ24時間レース(Konica Minolta Cadilac #10/Cadilac DPi-V.R)
    • ル・マン24時間レース(TOYOTA GAZOO RACING #7/TOYOTA TS050 HYBRID)
    • 全日本スーパーフォーミュラ選手権(carozzeria Team KCMG #18/ダラーラ・SF19)(シリーズ6位)
  • 2019-20年 - FIA 世界耐久選手権・LMP1クラス(TOYOTA GAZOO RACING #7/TOYOTA TS050 HYBRID)(シリーズ2位・2勝)
  • 2020年
    • ロレックス・デイトナ24時間レース(Konica Minolta Cadilac #10/Cadilac DPi-V.R)
    • ル・マン24時間レース(TOYOTA GAZOO RACING #7/TOYOTA TS050 HYBRID)
    • 全日本スーパーフォーミュラ選手権(carozzeria Team KCMG #7/ダラーラ・SF19)(シリーズ16位)
  • 2019-20年 - FIA 世界耐久選手権・LMP1クラス(TOYOTA GAZOO RACING #7/TOYOTA TS050 HYBRID)(シリーズ1位・4勝)

略歴

シリーズ チーム レース 勝利 PP FL 表彰台 ポイント 順位
2003 フォーミュラ・トヨタ N/A 10 2 4 ? ? 120 2位
2004 フォーミュラ・ルノー2000 イタリア プレマ・パワーチーム 17 2 3 1 3 134 7位
フォーミュラ・ルノー2000 ドイツ 2 0 0 0 0 16 31位
フォーミュラ・ルノー2000 オランダ ? ? ? ? ? 32 15位
アジアン・フォーミュラ・ルノー・チャレンジ アジア・レーシング・チーム 1 0 0 ? 0 16 31位
2005 ユーロカップ・フォーミュラ・ルノー2.0 プレマ・パワーチーム 16 6 4 4 8 157 1位
フォーミュラ・ルノー2.0 イタリア 15 6 9 8 11 312 1位
2006 フォーミュラ3・ユーロシリーズ ASM・フォーミュラ3 19 0 0 1 3 34 8位
マカオグランプリ 1 0 1 0 0 N/A 19位
マスターズ・オブ・フォーミュラ3 1 0 0 0 0 N/A 11位
2007 フォーミュラ3・ユーロシリーズ 20 1 1 0 7 59 4位
マカオグランプリ 1 0 0 0 0 N/A 13位
マスターズ・オブ・フォーミュラ3 1 0 0 0 0 N/A NC
フォーミュラ1 トヨタ・レーシング テストドライバー
2008 GP2アジアシリーズ DAMS 10 2 0 0 3 22 6位
GP2シリーズ 20 1 0 2 1 10 16位
フォーミュラ1 トヨタ・レーシング テストドライバー
2008-09 GP2アジアシリーズ DAMS 11 2 2 3 4 56 1位
2009 GP2シリーズ 20 0 0 0 1 13 16位
フォーミュラ1 パナソニック・トヨタ・レーシング 2 0 0 0 0 3 18位
2010 BMWザウバーF1チーム 19 0 0 0 0 32 12位
2011 ザウバーF1チーム 19 0 0 0 0 30 12位
2012 20 0 0 1 1 60 12位
2013 FIA 世界耐久選手権 - LMGTE Pro AFコルセ 8 0 0 1 4 98 7位
ル・マン24時間レース - LMGTE Pro 1 0 0 0 0 N/A 5位
2014 フォーミュラ1 ケータハムF1チーム 16 0 0 0 0 0 22位
2015 スーパーフォーミュラ キグナス・スノコ・チーム・ルマン 8 0 0 0 3 20 5位
2016 FIA 世界耐久選手権 トヨタ・ガズー・レーシング 9 1 0 0 6 145 3位
ル・マン24時間レース 1 0 0 0 1 N/A 2位
スーパーフォーミュラ スノコ・チーム・ルマン 9 0 0 2 0 1 17位
2017 FIA 世界耐久選手権 トヨタ・ガズー・レーシング 9 0 4 0 3 103.5 5位
ル・マン24時間レース 1 0 1 0 0 N/A DNF
スーパーフォーミュラ KCMG 7 0 0 1 1 16.5 7位
ブランパンGTシリーズ・耐久カップ グッドスマイルレーシングTeamUKYO 1 0 0 0 0 0 DNF
インターコンチネンタルGTチャレンジ 1 0 0 0 0 0 DNF
SUPER GT レクサス・チーム・ウェッズスポーツ・バンドウ 1 0 0 0 0 10 17位
2017-18 フォーミュラE MS&AD・アンドレッティ・フォーミュラE 2 0 0 0 0 0 24位
2018 SUPER GT レクサス・チーム・サード 7 1 0 0 1 27 13位
スーパーフォーミュラ カロッツェリア・チーム・KCMG 5 0 0 1 1 11 10位
インターコンチネンタルGTチャレンジ Mercedes-AMG Team Goodsmile 1 0 0 0 0 NC 5位
ル・マン24時間レース トヨタ・ガズー・レーシング 1 0 0 0 1 N/A 2位
2018-19 FIA 世界耐久選手権 8 2 4 2 7 157 2位
2019 スーパーフォーミュラ カロッツェリア・チーム・KCMG 7 0 0 0 2 19 6位
ウェザーテック・スポーツカー選手権 コニカミノルタ・キャデラック 1 1 0 0 1 35 27位
インターコンチネンタルGTチャレンジ Mercedes-AMG Team Goodsmile 1 0 0 0 0 NC 10
ル・マン24時間レース トヨタ・ガズー・レーシング 1 0 1 0 1 N/A 2位
2019-20 FIA 世界耐久選手権 8 2 4 2 7 157 2位
2020 スーパーフォーミュラ カロッツェリア・チーム・KCMG 5 0 0 0 0 8 16位
ウェザーテック・スポーツカー選手権 コニカミノルタ・キャデラック 1 1 0 0 1 35 23位
ル・マン24時間レース トヨタ・ガズー・レーシング 1 0 1 0 1 N/A 3位
  • * : 今シーズンの順位。(現時点)

フォーミュラ3・ユーロシリーズ

チーム シャシー エンジン 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 順位 ポイント
2006年 ASM・フォーミュラ3 ダラーラ・F305/012 メルセデス HOC
1

6
HOC
2

5
LAU
1

11
LAU
2

10
OSC
1

11
OSC
2

7
BRH
1

6
BRH
2

3
NOR
1

5
NOR
2

2
NÜR
1

8
NÜR
2

3
ZAN
1

5
ZAN
2

Ret
CAT
1

5
CAT
2

Ret
BUG
1

DNS
BUG
2

14
HOC
1

Ret
HOC
2

9
8位 34
2007年 HOC
1

10
HOC
2

10
BRH
1

3
BRH
2

3
NOR
1

8
NOR
2

Ret
MAG
1

1
MAG
2

9
MUG
1

2
MUG
2

4
ZAN
1

2
ZAN
2

17
NÜR
1

11
NÜR
2

Ret
CAT
1

19
CAT
2

Ret
NOG
1

2
NOG
2

2
HOC
1

4
HOC
2

Ret
4位 59

GP2シリーズ

チーム 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 DC ポイント
2008年 DAMS CAT
FEA

8
CAT
SPR

1
IST
FEA

Ret
IST
SPR

9
MON
FEA

Ret
MON
SPR

18
MAG
FEA

Ret
MAG
SPR

9
SIL
FEA

Ret
SIL
SPR

7
HOC
FEA

Ret
HOC
SPR

18
HUN
FEA

11
HUN
SPR

8
VAL
FEA

Ret
VAL
SPR

6
SPA
FEA

9
SPA
SPR

14
MNZ
FEA

Ret
MNZ
SPR

13
16位 10
2009年 CAT
FEA

8
CAT
SPR

5
MON
FEA

Ret
MON
SPR

12
IST
FEA

Ret
IST
SPR

NC
SIL
FEA

Ret
SIL
SPR

17
NÜR
FEA

9
NÜR
SPR

3
HUN
FEA

13
HUN
SPR

8
VAL
FEA

8
VAL
SPR

11
SPA
FEA

7
SPA
SPR

11
MNZ
FEA

17
MNZ
SPR

17
ALG
FEA

6
ALG
SPR

19
16位 13

GP2アジアシリーズ

エントラント 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 DC ポイント
2008年 DAMS DUB1
FEA

13
DUB1
SPR

Ret
SEN
FEA

Ret
SEN
SPR

15
SEP
FEA

5
SEP
SPR

1
BHR
FEA

3
BHR
SPR

1
DUB2
FEA

20
DUB2
SPR

14
6位 22
2008-09年 SHI
FEA

2
SHI
SPR

Ret
DUB
FEA

1
DUB
SPR

C
BHR1
FEA

1
BHR1
SPR

6
LSL
FEA

4
LSL
SPR

18
SEP
FEA

2
SEP
SPR

7
BHR2
FEA

4
BHR2
SPR

5
1位 56

F1

エントラント シャシー エンジン 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 WDC ポイント
2009年 トヨタ TF109 トヨタ RVX-09 2.4 V8 AUS MAL CHN BHR ESP MON TUR GBR GER HUN EUR BEL ITA SIN JPN
PO
BRA
9
ABU
6
18位 3
2010年 ザウバー C29 フェラーリ 056 2.4 V8 BHR
Ret
AUS
Ret
MAL
Ret
CHN
Ret
ESP
12
MON
Ret
TUR
10
CAN
Ret
EUR
7
GBR
6
GER
11
HUN
9
BEL
8
ITA
Ret
SIN
Ret
JPN
7
KOR
8
BRA
10
ABU
14
12位 32
2011年 C30 AUS
DSQ
MAL
7
CHN
10
TUR
10
ESP
10
MON
5
CAN
7
EUR
16
GBR
Ret
GER
9
HUN
11
BEL
12
ITA
Ret
SIN
14
JPN
13
KOR
15
IND
Ret
ABU
10
BRA
9
12位 30
2012年 C31 AUS
6
MAL
Ret
CHN
10
BHR
13
ESP
5
MON
Ret
CAN
9
EUR
Ret
GBR
11
GER
4
HUN
18
BEL
13
ITA
9
SIN
13
JPN
3
KOR
Ret
IND
14
ABU
6
USA
14
BRA
9
12位 60
2014年 ケータハム CT05 ルノー Enargy F1-2014 1.6 V6 t AUS
Ret
MAL
13
BHR
15
CHN
18
ESP
Ret
MON
13
CAN
Ret
AUT
16
GBR
15
GER
16
HUN
Ret
BEL ITA
17
SIN
DNS
JPN
19
RUS
Ret
USA BRA ABU
Ret
22位 0

スーパーフォーミュラ

チーム シャシー エンジン 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 DC ポイント
2015年 KYGNUS SUNOCO Team LeMans ダラーラ・SF14 トヨタ SUZ
9
OKA
2
FSW
10
TRM
17
AUT
3
SUG
6
SUZ1
3
SUZ2
9
6位 20
2016年 SUNOCO TEAM LEMANS SUZ
16
OKA
18
FSW
10
TRM
9
OKA1
18
OKA2
17
SUG
17
SUZ1
9
SUZ2
7
17位 1
2017年 KCMG SUZ
9
OKA1
4
OKA2
5
FSW
15
TRM
2
AUT
7
SUG
7
SUZ1
C
SUZ2
C
7位 16.5
2018年 carrozzeria Team KCMG SUZ
10
AUT
C
SUG
6
FSW
12
TRM OKA
2
SUZ
13
10位 7
2019年 ダラーラ・SF19 SUZ
9
AUT
10
SUG
2
FSW
6
TRM
2
OKA
18
SUZ
12
6位 19
2020年 TRM
14
OKA SUG
14
AUT SUZ
4
SUZ
15
FSW
11
16位 8
2021年 KCMG FSW SUZ AUT SUG TRM TRM
10
SUZ 20位 1
2022年 FSW
18
FSW
9
SUZ
5
AUT
Ret
SUG
17
FSW
14
MOT
14
MOT
17
SUZ
18
SUZ
10
17位 9
2023年 Kids.com Team KCMG ダラーラ・SF23 FSW
Ret
FSW
6
SUZ
14
AUT
11
SUG
6
FSW
9
MOT
7
SUZ
8
SUZ
17
11位 17.5
2024年 SUZ
19
AUT
10
SUG
10
FSW
8
MOT FSW FSW SUZ SUZ 13位* 4.5*

SUPER GT

チーム 車両 タイヤ クラス 1 2 3 4 5 6 7 8 DC ポイント
2017年 LEXUS TEAM WedsSport BANDOH レクサス・LC500 Y GT500 OKA FSW AUT SUG FSW SUZ
4
CHA TRM 17位 10
2018年 LEXUS TEAM SARD B OKA
12
FSW SUZ
Ret
CHA
1
FSW
11
SUG
10
AUT
8
TRM
8
13位 27

フォーミュラE

チーム 車両 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 順位 ポイント
2017-18年 MS&AD・アンドレッティ・フォーミュラE スパーク-アンドレッティ・ATEC-03 HKG
15+
HKG
17+
MAR STI MEX PDE ROM PAR BER ZUR NYC NYC 24位 0

(key)

  • + : ファンブースト。

スポーツカー

FIA 世界耐久選手権

エントラント クラス シャシー エンジン 1 2 3 4 5 6 7 8 9 順位 ポイント
2013年 AFコルセ LMGTE Pro フェラーリ・458イタリア GT2 フェラーリ・F136 4.5L V8 SIL
2
SPA
3
LMS
4
SÃO
Ret
COA
3
FUJ
9
SHA
5
BHR
3
7位 98
2016年 トヨタ・ガズー・レーシング LMP1 トヨタ・TS050 HYBRID トヨタ 2.4L V6 (Hybrid) SIL
2
SPA
Ret
LMS
2
NÜR
6
MEX
3
COA
3
FUJ
1
SHA
2
BHR
5
3位 145
2017年 SIL
13
SPA
2
LMS
Ret
NÜR
3
MEX
4
COA
4
FUJ
2
SHA
4
BHR
4
5位 103.5
2018-19年 SPA
2
LMS
2
SIL
DSQ
FUJ
1
SHA
1
SEB
2
SPA
6
LMS
2
2位 157
2019-20年 SIL
1
FUJ
2
SHA
3
BHR
1
COA
3
SPA
1
LMS
3
BHR
1
1位 207
2021年 LMH トヨタ・GR010 HYBRID トヨタ 3.5L Turbo V6 (Hybrid) SPA
3
POR
2
MNZ
1
LMS
1
BHR
1
BHR
2
1位 173
2022年 SEB
Ret
SPA
1
MNZ
2
LMS
3
FUJ
2
BHR
1
3位 133
2023年 ハイパーカー SEB
1
POR
9
SPA
1
LMS
Ret
MNZ
1
FUJ
1
BHR
2
2位 145
2024年 QAT
6
IMO
1
SPA
7
LMS
2
SÃO
4
COA
2
FUJ
Ret
BHR
Ret
3位 113

ウェザーテック・スポーツカー選手権

チーム クラス 車両 エンジン 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 順位 ポイント
2019年 コニカミノルタ・キャデラック DPi キャデラック・DPi-V.R キャデラック・LT1 5.5 L V8 DAY
1
SEB LBH MDO DET WGL MOS ELK LGA PET 27位 35
2020年 DPi DAY
1
DAY SEB ELK ATL MDO PET
LGA
SEB
23位 35
2021年 アリー・キャデラック・レーシング DPi DAY
2
SEB
7
MDO DET WGL
5
WGL ELK LGA LBH PET
4
12位 1203
2022年 DPi DAY
5
SEB
6
LBH
LGA
MDO
DET
WGL
6
PET
3
11位 1146
バッサー・サリバン・レーシング GTD レクサス・RC F GT3 トヨタ 2UR 5.4 L V8 MOS
6
ELK

ル・マン24時間レース

ル・マン24時間レース 結果
チーム コ・ドライバー 車両 クラス 周回 順位 クラス
順位
2013年 イタリアの旗 AFコルセ フィンランドの旗 トニ・バイランダー
モナコの旗 オリビエ・ベレッタ
フェラーリ・458イタリア GT2 GTE
Pro
312 20位 5位
2016年 日本の旗 トヨタ・ガズー・レーシング イギリスの旗 マイク・コンウェイ
フランスの旗 ステファン・サラザン
トヨタ・TS050 HYBRID LMP1 381 2位 2位
2017年 イギリスの旗 マイク・コンウェイ
フランスの旗 ステファン・サラザン
LMP1 154 DNF DNF
2018年 イギリスの旗 マイク・コンウェイ
アルゼンチンの旗 ホセ・マリア・ロペス
LMP1 386 2位 2位
2019年 イギリスの旗 マイク・コンウェイ
アルゼンチンの旗 ホセ・マリア・ロペス
LMP1 385 2位 2位
2020年 イギリスの旗 マイク・コンウェイ
アルゼンチンの旗 ホセ・マリア・ロペス
LMP1 381 3位 3位
2021年 イギリスの旗 マイク・コンウェイ
アルゼンチンの旗 ホセ・マリア・ロペス
トヨタ・GR010 HYBRID LMH 371 1位 1位
2022年 イギリスの旗 マイク・コンウェイ
アルゼンチンの旗 ホセ・マリア・ロペス
LMH 380 2位 2位
2023年 イギリスの旗 マイク・コンウェイ
アルゼンチンの旗 ホセ・マリア・ロペス
ハイパーカー 103 DNF DNF

デイトナ24時間レース

デイトナ24時間レース 結果
チーム コ・ドライバー 使用車両 クラス 周回 順位 クラス
順位
2019年 アメリカ合衆国の旗 コニカミノルタ・キャデラック オランダの旗 レンガー・ヴァン・デル・ザンデ
アメリカ合衆国の旗 ジョーダン・テイラー
スペインの旗 フェルナンド・アロンソ
キャデラック・DPi-V.R DPi 593 1位 1位
2020年 オランダの旗 レンガー・ヴァン・デル・ザンデ
オーストラリアの旗 ライアン・ブリスコー
ニュージーランドの旗 スコット・ディクソン
DPi 833 1位 1位
2021年 アメリカ合衆国の旗 アリー・キャデラック・レーシング アメリカ合衆国の旗 ジミー・ジョンソン
フランスの旗 サイモン・パジェノ
ドイツの旗 マイク・ロッケンフェラー
DPi 807 2位 2位
2022年 アメリカ合衆国の旗 ジミー・ジョンソン
ドイツの旗 マイク・ロッケンフェラー
アルゼンチンの旗 ホセ・マリア・ロペス
DPi 739 11位 5位

NASCAR

Cup Series

NASCAR Cup Series results
チーム No 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 32 33 34 35 36 NCSC ポイント Ref
2023 23XI Racing 67 DAY CAL LVS PHO ATL COA RCH BRD MAR TAL DOV KAN DAR CLT GTW SON NSH CSC ATL NHA POC RCH MCH IRC
33
GLN DAY DAR KAN BRI TEX TAL ROV LVS HOM MAR PHO 63位 0 [64]
2024 50 DAY ATL LVS PHO BRI COA
29
RCH MAR TEX TAL DOV KAN DAR CLT GTW SON IOW NHA NSH CSC POC IND RCH MCH DAY DAR ATL GLN BRI KAN TAL ROV LVS HOM MAR PHO -* -* [65]

脚注

  1. ^ 小林可夢偉組が悲願の初優勝! “ハイパーカー元年”にトヨタは4連覇達成/ル・マン24時間決勝レポート”. オートスポーツWeb. 三栄書房 (2021年8月23日). 2021年8月23日閲覧。
  2. ^ 普通自動車運転免許を取得できないドライバーは、この特殊なライセンスを取得しなければ4輪レースに出場できない。16〜17歳が対象で、日本自動車連盟が発行。取得すると国内の一部レースに限り出場を認められる。
  3. ^ “Champions ASM renamed ART”. AUTOSPORT.com. (2007年11月28日). http://www.autosport.com/subs/login.php?r=http://www.autosport.com/news/report.php/id/64136&type=news&id=64136 2010年10月11日閲覧。 
  4. ^ ティモ・グロック、F1ブラジルGPを欠場 F1-Gate.com 2009年10月11日
  5. ^ 9位完走のヘイキ・コバライネンがピットロードで火災を起こしてしまい、25秒加算ペナルティを受けたため、10位から9位に繰り上がった。
  6. ^ 日本のコンストラクター・日本人ドライバー・日本製エンジン・日本製タイヤ。
  7. ^ 正確には45周目にスーティルがエンジンブローによってスローダウンしてしまった為、小林はスーティルを130Rの後コース上でかわしている。よってこれまで含めると、実質6回のオーバーテイクとなる。
  8. ^ “小林可夢偉 「何度オーバーテイクしたか覚えていない」”. F1 Gate.com. (2010年10月11日). http://f1-gate.com/kamui/f1_9516.html 2010年10月11日閲覧。 
  9. ^ “小林可夢偉、2011年もザウバー残留が決定”. F1 gate.com. (2010年9月7日). http://f1-gate.com/kamui/f1_9035.html 2010年9月7日閲覧。 
  10. ^ 「可夢偉はコーナーであり得ないほど速かった」元チームメイトのペレスが語る”. motorsport.com (2020年4月20日). 2021年3月26日閲覧。
  11. ^ “小林可夢偉、F1トップチーム移籍を視野に ザウバーとの契約更新報道を否定”. F1トップニュース. (2011年7月10日). http://www.topnews.jp/2011/07/10/news/f1/drivers/kamui-kobayashi/39568.html 2011年8月3日閲覧。 
  12. ^ “小林可夢偉、2012年のザウバー残留が正式発表”. F1トップニュース. (2011年7月28日). http://www.topnews.jp/2011/07/28/news/f1/drivers/kamui-kobayashi/40465.html 2011年8月3日閲覧。 
  13. ^ “ザウバー:小林可夢偉が自己ベストタイの5位入賞 (F1スペインGP)”. F1 Gate.com. (2012年5月14日). http://f1-gate.com/sauber/f1_15281.html 2012年5月14日閲覧。 
  14. ^ ペレスが5グリッド降格したので、スターティンググリッドでは12番手。
  15. ^ “小林可夢偉、スパでフロントロウ2番手獲得!”. オートスポーツweb (イデア). (2012年9月1日). https://www.as-web.jp/past/%e5%b0%8f%e6%9e%97%e5%8f%af%e5%a4%a2%e5%81%89%e3%80%81%e3%82%b9%e3%83%91%e3%81%a7%e3%83%95%e3%83%ad%e3%83%b3%e3%83%88%e3%83%ad%e3%82%a62%e7%95%aa%e6%89%8b%e7%8d%b2%e5%be%97%ef%bc%81 2012年9月3日閲覧。 
  16. ^ “可夢偉、日本人最高タイの2番手、バトンPP ベルギーGP予選”. 産経新聞. (2012年9月1日). https://web.archive.org/web/20120901152852/http://sankei.jp.msn.com/sports/news/120901/oth12090122400018-n1.htm 2012年9月3日閲覧。 
  17. ^ FORMULA 1 (2018-08-06), Top 10 One-Off Podiums in F1, https://www.youtube.com/watch?v=T-jq6pcINdA 2019年7月23日閲覧。 
  18. ^ Second Wind (2014年1月21日). “Caterham F1 Team and Caterham Racing Announce 2014 F1 and GP2 Driver Line-Ups”. Caterham F1 team. 2014年11月21日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年1月21日閲覧。
  19. ^ a b "米家峰起 【F1】可夢偉が語るシート獲得活動の現状。「道筋が見えている」". web Sportiva.(2012年12月12日)2012年12月19日閲覧。
  20. ^ a b c KAMUI SUPPORT 小林可夢偉F1活動資金 2012年12月18日。
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  22. ^ 岡山のスーパーフォーミュラテストで小林可夢偉がSF14を試乗 2014年12月5日
  23. ^ 【NEWS】2015年スーパーフォーミュラ参戦 Super Formula 2015 2015年1月30日
  24. ^ 『スーパーフォーミュラ初優勝』が幻に……落胆飲み込み、可夢偉「次は30秒のギャップを作ります!」 As-web 2021年12月8日閲覧
  25. ^ 小林可夢偉、BMW陣営からスーパーGT×DTM交流戦に参戦。「BMW M4 DTMで最大限の結果を出したい」
  26. ^ トヨタ自動車、2016年のTOYOTA GAZOO Racing活動計画を発表 - トヨタ自動車・2016年2月4日
  27. ^ 【ル・マン24h】7号車トヨタのリタイアの原因は偽"マーシャル"!? motorsports.com 2017年6月21日
  28. ^ ル・マン24時間は残り1時間でまさかの逆転劇。一貴組8号車トヨタが連覇。7号車は一瞬のパンクチャーに泣く AS-web 2021年12月7日閲覧
  29. ^ 最優秀選手賞に小林可夢偉 モータースポーツ分科会”. 朝日新聞 (2021年12月25日). 2022年8月31日閲覧。
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  33. ^ "KAMUI TV VOL.75 【KAMUI TV LIVE IN DAIKANYAMA T-SITE GARDEN GALLERY】 PART 4"Youtube/KAMUI TV(2015年1月1日)2017年11月15日最終閲覧。
  34. ^ "小林可夢偉、”将来”フォーミュラEに参戦する可能性を否定せず".Motorsport.com.(2017年9月27日)2017年11月15日最終閲覧。
  35. ^ "「最高ですよ!」とフォーミュラE開催前日の可夢偉。ロッテラーと公式会見に登壇".Autosport.(2017/12/1)2017年12月3日最終閲覧。
  36. ^ "【フォーミュラE】 香港ePrix 決勝:バードが優勝、小林可夢偉は15位".F1-Gate.com.(2017/12/2)2017年12月3日最終閲覧。
  37. ^ “ザウバー 「小林可夢偉は実力でF1にいる」”. F1-Gate.com. (2010年10月8日). http://f1-gate.com/sauber/f1_9428.html 2010年11月12日閲覧。 
  38. ^ 【STINGER】小林可夢偉 会見【インドGP(木)】(メディア囲み会見) F1 NEWS|ボイスレコーダー||STINGER - 独自の視点でF1ニュースを発信
  39. ^ トヨタF1最後の日に立会い、日本人ドライバーの今後を思った。 F1 WORLD.JP 2009年11月24日
  40. ^ “小林可夢偉 「自分が危険なドライバーだとは思っていません」”. F1-Gate.com. (2010年11月5日). http://f1-gate.com/kamui/f1_9823.html 2010年11月12日閲覧。 
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  45. ^ 小林可夢偉、ルーキー・オブ・ザ・イヤーを受賞 2010年12月7日 F1-Gate.com
  46. ^ ちぃ (2009年10月14日). “小林可夢偉選手ってどんな人?”. トヨタモータースポーツ インサイドブログ. 2010年10月4日閲覧。
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参考文献

  • AUTO SPORTS YEAR BOOK(三栄書房)
  • AUTO SPORTS(三栄書房)

関連項目

外部リンク