ジョリオン・カーライル・パーマー(Jolyon Carlyle Palmer, 1991年1月20日 - )は、イギリス・ウェスト・サセックス州(イングランド)ホーシャム出身のレーシングドライバー。2014年のGP2シリーズ・チャンピオンであり、父は元F1ドライバーのジョナサン・パーマー[1]。
経歴
Tカーズ (2005年-2006年)
2004年にミニマックス・カートで腕を磨いた後、2005年からはTカーズ(T Cars)選手権のオータム・トロフィーシリーズに参戦する。Tカーズ選手権は、14歳から17歳までのアマチュアレーサーをメインとするレーシングシリーズである。首位のエイドリアン・クアイフ=ホッブス(英語版)から46ポイント差の総合5位で終える。翌年はTカーズ選手権の本戦に参加し、ポールポジション1回・表彰台圏内4回を記録する。この年のタイトルを獲得したルチアーノ・バシェタ(英語版)から69ポイント差となる総合5位に入る。シーズン終了後は2年目のオータム・トロフィーシリーズに参戦し、全6戦中4回の優勝を果たしタイトルを獲得する。2007年シーズンも2レースに出場しどちらも優勝を果たしていたが、フォーミュラ・パーマー・アウディ(英語版)への参戦に専念するため離脱する事になった。
フォーミュラ・パーマー・アウディ (2007年-2008年)
2007年、パーマーは9年前に父ジョナサンが設立したフォーミュラ・パーマー・アウディに参戦する。デビューレースは12位でフィニッシュする。第9戦ブランズ・ハッチの第1レースではポールポジションを獲得。決勝レースでも首位をキープし初優勝を果たす。シーズン終盤にパーマーは、ウェスト・サセックス州の自宅付近でクワッドバイクを運転中に事故を起こし腹部に怪我を負ってしまう。その為残りのレースを欠場する事になってしまった。最終的には、優勝2回・表彰台圏内4回・ポールポジション2回を記録し総合10位で終える。
2008年のシーズン開幕前には事故の怪我は回復し、2年目に挑んだ。優勝回数こそ昨年を下回る1回だけだったが、表彰台圏内でのフィニッシュは11回と上位に食い込む走りを見せる。総合順位は3位となり躍進した。
シーズン終了後のオータム・トロフィーとショットアウトでもそれぞれ総合3位となる。
F2 (2009年-2010年)
2009年は、モータースポーツ・ビジョン(英語版)から25年ぶりに名称が復活したF2選手権へ参戦する事になった。カーナンバーは3。シーズンでの最高成績は、第7戦イモララウンドの第2レースで記録した6位。総合順位は21位だった。翌年の開幕戦・第1レースでは、いきなりハットトリックを達成。続く第2レースでも2位に入り絶好のスタートを切る。イギリス人におけるF2での優勝は、当時ヨーロッパF2選手権だった1983年の最終戦(ムジェロ・サーキット)で父ジョナサンが達成して以来27年ぶりの優勝となった。シーズンを通じてディーン・ストーンマンと共にタイトル争いを繰り広げたが、42ポイント差でタイトル獲得はならなかった。(優勝5回・総合2位) 2011年は一度、第4戦にエントリーするが出走はしなかった。
GP2シリーズ (2011年-2014年)
2011年
パーマーは、新たにアーデン・インターナショナル(英語版)からGP2シリーズフル参戦が決定した。チームメイトは、前年スーパーノヴァ・レーシングから出走したヨセフ・クラール。開幕戦イスタンブール・パークラウンドの第2レース、第4戦バレンシア・ストリートラウンドの第1レースにおいて入賞まであと一歩となる9位でフィニッシュする走りを見せた。最終戦終了後に行われたノン・チャンピオンシップラウンド(ヤス・マリーナ・サーキット)ではブロワ・アダックスから出走し、第1レースで3位、第2レースでは4位となる好成績を出した。
2012年
2年目は、iスポーツ・インターナショナルから参戦する事となる。チームメイトはマーカス・エリクソン。シーズン前半は電気系トラブルに泣かされ中々入賞圏内でフィニッシュする事も出来ない展開となった。調子を取り戻したのは、第5戦モナコラウンドだった。第1レースで6位入賞。第2レースではGP2本戦初優勝を果たした。その後、第7戦シルバーストンラウンド第1レースと第11戦モンツァラウンドの第2レースでそれぞれ3位表彰台を獲得する。
2013年
2013年は、カーリン・モータースポーツへ移籍する。チームメイトは2011年のイギリスF3チャンピオンであるフェリペ・ナスル。この年は昨年以上の好成績を挙げたシーズンだった。第2戦バーレーンラウンドと第3戦カタロニアラウンドでは共に第1レースと第2レースで連続入賞を果たした。第7戦ハンガロリンクのラウンド第1レースではキャリア2回目優勝を遂げる。第10戦マリーナベイラウンドの第1レースではハットトリックも達成した。総合順位は昨年の11位から7位へ上昇した。
2014年
フランスの名門DAMSに移籍。シーズンを通じ、コンスタントに上位でポイントを積み重ねて入賞圏外でのフィニッシュは僅か2回(リタイアを含む)。第3戦モナコラウンドの第1レースでは2度目のハットトリックを達成している。優勝4回・表彰台圏内12回の大躍進を果たし、2位のストフェル・バンドーンに47ポイント差を付けGP2タイトルを獲得した[2]。
F1
テストドライバーとして (2014年-2015年)
2014年11月25日、フォース・インディアからシーズン終了後にヤス・マリーナ・サーキットで行われるテスト走行に起用された[3]。当日のテストではエンジントラブルや技術的なトラブルが発生し中々走れない状態が続いたが、テスト終盤に3番手タイムをマーク。その後、0.004秒差でニコ・ロズベルグに抜かれたが4位のタイムでテスト走行を終える[4]。
年が明けた2015年1月20日、ロータスF1チームよりパーマーのテストドライバー兼リザーブドライバー就任が発表された[5]。レギュラードライバーであるパストール・マルドナドとロマン・グロージャンもそれぞれ2010年と2011年にGP2でタイトルを獲得した経験がある[6]。
開幕前にカタロニア・サーキットで行われたバルセロナ合同テストにてロータスでの初走行を行った。開幕後はシーズンを通じて13度金曜日フリー走行に出走した。
ロータス/ルノー (2016年-2017年)
2015年10月23日、ハースF1チームへの移籍が決定したグロージャンの後任として、パーマーの2016年レギュラードライバー昇格が発表された[7]。同年12月4日にはルノーによるロータスF1チームの買収が確定し[8]、2016年シーズンからはルノーのワークスチームとして活動することとなった。
2016年、ルノー・R.S.16で全21戦中15戦を完走し安定感を見せたが、入賞は第16戦マレーシアGPでの10位1回のみであった。ハンガリーGPでは入賞圏内の10位を走行していたがスピンを喫しチャンスを逃す一幕もあった[9]。翌年に向けルノーはまずニコ・ヒュルケンベルグの加入を決定。もう一つのシートをチームメイトのケビン・マグヌッセンと争う事となったが、最終的にはマグヌッセンが自らルノーのオプション行使オファーを断りハースへの移籍を選んだことと、F1初年度にしてほぼ互角の成績を残していたパーマーの契約更新が決定した[10]。
2017年、ルノーに残留しヒュルケンベルグとのコンビとなった。前年に続きパーマーの完走率は高かったが、入賞に届かないレースが続いた。ルノー・R.S.17は前年型より速さがあるマシンであり、ヒュルケンベルグはポイントを重ねた一方でパーマーは第13戦終了時点でノーポイントとコンストラクターズ・ランキング争いでの貢献度が低かった。第14戦シンガポールGP直前にルノーは翌シーズンからパーマーに変わってカルロス・サインツの加入を発表。直後のシンガポールGP決勝でパーマーは6位に入りシーズン初入賞を果たしたが[11]、第16戦日本GPでの12位完走を最後に、最終戦を待たずチームとパーマー双方合意の下でチームを離脱[12]。サインツのルノーへの加入が予定より早まることとなった。パーマーは以後F1シートを獲得することは無かった。
解説者
2018年はBBCのF1解説チームに加入し、ラジオ放送の解説者のほか、BBC公式サイトにコラムを寄稿する[13]。
レース戦績
略歴
FIA フォーミュラ2選手権
GP2シリーズ
GP2アジアシリーズ
F1
出典
外部リンク