この項目では、オートバイメーカーについて説明しています。
ヤマハ発動機株式会社 (ヤマハはつどうき、英 : Yamaha Motor Co., Ltd. )は、静岡県 磐田市 に本社を置く、オートバイ を中心とした輸送用機器 を製造するメーカー。二輪 の売上規模は世界第4位[ 2] であり、船外機 やウォータービークルの販売台数は世界首位[ 3] 。ヤマハ発動機サッカー部 は、サッカー Jリーグ のジュビロ磐田 の母体である。日経平均株価 およびJPX日経インデックス400 の構成銘柄の一つ[ 4] [ 5] 。
会社概要
大正時代 から大日本帝国陸軍 からの要請で軍用航空機 のプロペラ と関連機器を製造していた日本楽器製造(現ヤマハ 、本社:静岡県 浜松市 )では技術と製造設備の平和利用を目的とし社内でのオートバイ生産を開始、1955年 7月1日 に日本楽器製造から分離されるかたちで、オートバイ製造販売業としてスタートした。この関係でヤマハと同様の「YAMAHA 」ロゴや、円の中に音叉 が3つ組み合わさったマークを使っているが、どちらも細部に違いがある(次節で解説)。ヤマハ発動機における2017年12月の売上高構成比は、連結ベースで北米が21.4%、欧州が12.8%、アジアが43.9%、日本が10.2%、その他が11.7%である[ 6] 。
2005年度の決算ではヤマハとの比較でヤマハ発動機の売上高が倍以上の数字となっている。こうした時価総額の関係およびヤマハが持分法適用会社 としていることから、間接的買収の対象となりやすい状況にあった。このため2007年 5月 にヤマハがヤマハ発動機の株式を売却することにより、ヤマハの持分法適用対象から外れた。一方、ヤマハ発動機がヤマハの株式を5%取得することになった。
一般によく知られているオートバイ ・スクーター などの自動二輪車部門だけでなく、ボート 、船外機 、漁船、ヨット、マリンジェットなどのマリン製品、スノーモビル 、バギー 、サイド・バイ・サイド・ビークル などのレジャービークル、電動自転車 、電動スクーターなどのEV、産業ロボット 、表面実装機などの産業機器、ヒロボー との共同開発による農業用無線操縦ヘリコプター「RMAX 」、さらには除雪機、発電機、プール設備など様々な製品を展開している。
自動車関連では、従来よりエンジンの生産請負をしてきたトヨタ自動車 の他にも、販路をフォード グループへ拡大。ハイパフォーマンスV型エンジン 「SHO」(Super High Output)を開発し、トーラス等に採用している。また、パフォーマンスダンパーと呼ばれる車体性能向上装置や相互連携ショックアブソーバシステムなどを開発している。自社ブランドによる自動車事業への参入も何度か検討され、1992年 発表のOX99-11 では実際に発売寸前まで事業が進められたこともある。2013年11月には試作車「MOTIV 」の公開とともに自動車事業への参入の意向が改めて示された[ 7] が、2018年、普通乗用車事業参入の凍結が発表された[ 8] 。
社員による人力飛行機 チーム「チーム・エアロセプシー」が存在し、過去に『鳥人間コンテスト選手権大会 』(読売テレビ )で彦根市 から琵琶湖 西岸まで到達する記録を残した。現在は鳥人間コンテストへの参加こそ行っていないがチーム自体は存続しており、2013年には人力飛行機による飛行距離の世界記録へ挑戦する予定がある[ 9] 。
また、2008年の中華人民共和国 、四川大地震 における支援活動の功績により、2010年 (平成22年)に紺綬褒章 を授与されている[ 10] 。
クラリベイト・アナリティクス(旧トムソン・ロイター )は「トップ100 グローバル・イノベーター2016」[ 11] で同社を選出した。6回目となる今回は、日本企業が躍進。分離独立元のヤマハ のほか、ソニー 、富士通 、オリンパス 、トヨタ自動車 など34社が選出されている。
2014年、日本取引所グループ と日本経済新聞 が「財務や経営が優秀な上場企業の上位400社」として選定しインデックス化するJPX日経インデックス400 の構成銘柄に採用される。以降、2017年まで4年連続して構成銘柄として採用されている。
2016年8月1日よりシャープ に変わり日経平均株価 の銘柄に採用される。
2016年10月5日に二輪車最大手のホンダ と国内の排気量50ccのスクーターの生産、開発で提携の検討を始めたと[ 12] 発表した。2018年をめどに子会社の台湾山葉機車工業 で製造している「ジョグ」と「ビーノ」をホンダの熊本製作所でOEM生産に切り替えて製造していくこととしている[ 13] 。
2016年12月7日に汎用エンジンにおいて、富士重工業(現・SUBARU )の一部技術資産と米国販売子会社を譲受することを[ 14] 発表した。2017年(平成29年)9月末でSUBARUの事業が終息するため、譲渡完了は2017年10月1日付けとなる。
2017年(平成29年)4月、産業用ドローンのベンチャー企業との提携、および農機中堅のやまびこ と農薬散布ドローンの開発・販売で提携すると発表した[ 15] 。
2017年(平成29年)11月7日にヤマハ発動機とヤマハは、産業用ロボットの遠隔管理システムパッケージを共同開発し、2018年度内の発売を目指す[ 16] と発表した。これにより、ヤマハ発動機はFA(ファクトリーオートメーション)領域におけるIoTビジネスへ本格的に参入するという。2021年3月、ホンダ、ヤマハ発動機、KTM (オーストリア)、ピアッジオ (イタリア)の4社は電動二輪車のUNECE 規格に沿った互換性のある交換式バッテリーの共同開発事業を立ち上げると発表した[ 17] [ 18] 。
2021年8月、ヤマハ株式会社は、保有するヤマハ発動機の株式5.43%を売却し、売却後の保有割合は4.47%となった。
ヤマハ株式会社とのロゴタイプの違い
ヤマハ発動機は日本楽器製造(現在のヤマハ )の二輪部門が独立して誕生した企業であり、ロゴタイプに共通点が存在する。ヤマハ株式会社とヤマハ発動機株式会社のロゴタイプ の差異について解説する。分かりやすいのは"M"の字で、真ん中の谷の部分がベースラインまで完全に下がっているのがヤマハ発動機、下げ切らず浮いているのがヤマハ(楽器)である。微妙な違いとしては、各文字のアルファベットの形が完全に左右対称なのがヤマハ発動機、ごく微妙に左右非対称なのがヤマハである。音叉マークは、持ち手が円に被り、マーク全体に立体感が付けられたのがヤマハ発動機、音叉の持ち手が周りの円より内側に入っているのがヤマハである。これにより、どちらが参入している分野か知らなくても、どちらの製品かを見分けることが可能である。
異なる点
ヤマハ
ヤマハ発動機
音叉マーク
音叉の先端が外円の内側に収まる
音叉の先端が外円に重なる
「YAMAHA」ロゴ
"M"の文字の中央部分が下(ベースライン)に付いていない
"M"の文字の中央部分が下に付いている
各アルファベット の文字の形が極く僅かだが左右非対称
各アルファベットの文字の形が左右対称
カラー表示 (コーポレートカラー )
バイオレット (薄紫色■ )
赤色■
沿革
歴代社長
関係会社
連結子会社112社(国内21社、海外91社)
持分法適用子会社3社
持分法適用関連会社26社[ 22]
(2017年12月末現在)
主要な製品
主要製品のうち、汎用エンジン、発電機、レーシングカート、乗用ゴルフカートについては、関連企業のヤマハモーターパワープロダクツに生産・販売が移管されている。
モータースポーツ
二輪
MotoGP絶対王者のバレンティーノ・ロッシ (2014年)
全日本ロードレース絶対王者の中須賀克行
モトクロス世界選手権絶対王者のステファン・エバーツ
ダカール絶対王者のステファン・ペテランセル のXTZ850R(1995年)
1955年 (昭和30年)に日本国内レースである富士登山レース や浅間火山レース に出場し、ホンダ などの先行有力メーカーを抑えて優勝を収めた。
ロードレース世界選手権 には1961年から参戦を開始し、1964年に250ccクラスでチャンピオンを獲得。以降スズキ と並ぶ2ストロークエンジンの雄として、中小排気量クラスを席巻した。1969~1972年にワークス参戦を一時休止した後、1973年から最高峰クラスへ参戦。1975年にジャコモ・アゴスチーニ がライダースタイトル、翌1976年にはコンストラクターズタイトルを、いずれも日本メーカーとして初めて獲得する快挙を達成した。またさらに翌年の1977年には、日本人ライダー初のチャンピオン(350ccクラス、片山敬済 )も輩出している。以降はホンダ、スズキ、ドゥカティ と激しくタイトル争いを展開し、現在までワークス参戦を続けている。最高クラス(500cc→MotoGPクラス)ではこれまでにケニー・ロバーツ 、エディ・ローソン 、ウェイン・レイニー 、バレンティーノ・ロッシ 、ホルヘ・ロレンソ 、ファビオ・クアルタラロ がヤマハでチャンピオンとなっている。また日本人では原田哲也 が250ccチャンピオンとなった。
市販車ベースのレースでも好戦績を残しており、北米では1970年代に盛んであったフォーミュラ750がTZ750 のワンメイク状態になって、シリーズ自体を終焉させてしまったこともある。その後継となるAMAスーパーバイク /MotoAmericaでも、2010年~2020年の11年間に10度のチャンピオンを獲得している。国内でも全日本ロードレース選手権 や鈴鹿8時間耐久ロードレース で幾度も優勝する等数ある実績を築いている。スーパーバイク世界選手権 では2度のみだが、2009年にベン・スピーズ 、2021年にトプラク・ラズガットリオグル がチャンピオンとなっている。
モトクロス でも、初期は2ストロークエンジン で活躍した。世界選手権 ではスズキの後に参戦し、1977年に初めてタイトルを獲得。以降も現在までホンダやKTMと争いながら、30回近くライダースタイトルを獲得している。1990年代に北米AMAモトクロス /AMAスーパークロス で、日本メーカーとしてはいち早く4ストロークエンジン を投入したことでも知られ、こちらもホンダやカワサキ と共に多数のタイトルを獲得している。2021年から国内でも2ストロークエンジンのモトクロッサーを復活させ、国内で10車種以上のオフロード競技用バイクを展開するなど、国内で最もオフロードに積極的なメーカーの一つとなっている。
ダカール・ラリー では記念すべき開催初年度に総合優勝マシンとなっているほか、2年目には43台ものヤマハ製バイクがエントリーするなど初期に人気を集めた。80年代はホンダとBMWのビッグバイク勢に対して劣勢となるが、1990年代 はステファン・ペテランセル を擁して黄金時代を築いた。彼の四輪転向後と同時に撤退した。2015年にワークス復帰するが、2022年をもって、北米市場へ注力するため再び撤退した。しかしラリーは継続しており、フランスのMBSM社が運営するテネレ・ワールド・レイドチームを通じて市販車ベースのラリー用バイクの供給を行い、排気量450cc以上の車種も参戦できるアフリカ・エコレース や各地のバハイベントに参加している[ 26] 。
四輪
ヤマハカップ・フィンランド(2010年)
ダカールのラプター700(2012年)
ダカールのYXZ1000R(2021年)
四輪モータースポーツにもエンジンコンストラクターや四輪バギーカー での参戦経歴がある。
1985年 (昭和60年)には全日本F2選手権 にV6 エンジンのOX66で参戦した。吸気バルブ3本、排気バルブ2本を備えた5バルブシステムを採用する[ 27] 。1987年 に全日本F3000選手権 にはコスワースDFV をチューニングして5バルブ化した、V8エンジンのOX77を投入した。鈴木亜久里 らがドライブするマシンに搭載されて活躍したが、1988年から全日本F3000で5バルブが禁止されることもあり[ 27] 、その翌年の1989年 (平成元年)からF1 にもエンジン供給の形で参戦した(後述)。
レーシングカート についても、1974年 (昭和49年)に「ヤマハSLカートクラブ」(現在のSLカートスポーツ機構 )を設立して、マシン(フレーム)及びエンジンの供給・レース開催の両面で積極的に活動を行っている。また資本関係のあるトヨタ と提携し、『TOYOTA YAMAHA RACING TEAM』としてドライバー育成を行っている。同プログラムはこれまでに片岡龍也 、中嶋一貴 、山内英輝 らを輩出している[ 28] 。なおカート関連業務については、現在は関連会社のヤマハモーターパワープロダクツ が担当している。
スポーツATV(全地形対応車 、四輪バイク)では北米ヤマハの製造するラプターが強力な存在感を示しており、2009年から発足したダカール・ラリー のATV部門では、ラプター700が2023年現在まで無傷の連覇を重ね、ワンメイク状態を築いている。
近年は四輪バギーのスポーツSxS(サイド・バイ・サイド・ビークル )の領域でもYXZ1000Rで頭角を現している。2021年からはBMW /Mini のワークスチームとして多数の総合優勝経験を持つX-raid との提携により、YXZ1000Rを改造して軽量プロトタイプ部門にも進出を果たしている。先述の通り二輪部門では撤退したが、ヤマハは四輪のATVとプロトタイプSxSで参戦を続ける。
このほか直接の参戦ではないが耐久レースで活躍した2000GTやトヨタ・7 はシャーシ・エンジンともにトヨタとの共同開発である。また世界中のF3レースを席巻した2T-G型、WRC /IMSA /パイクスピーク・ヒルクライム などで多数のカテゴリでタイトルを獲得した3S-G型、RC F GT3 やハイラックスEvo にも採用されダカール・ラリー で総合優勝を果たした2UR-GSE型などは、いずれも市販車の段階でヤマハ発動機が深く携わったエンジンである。
2024年 3月、フォーミュラE 世界選手権向けに電動パワートレインの開発・供給を行う方針を明らかにした。参戦にあたってはイギリスのローラ・カーズ と提携[ 29] 、アプト・フォーミュラEチーム に供給し、シーズン11 より参戦する[ 30] 。
F1
F1エンジンのOX99(1992年)
ティレル・ヤマハ(1993年)
1989年 (平成元年)にV8エンジンのOX88をザクスピード へ供給し、鈴木亜久里 とともにF1に参入した。当初コスワースDFRのシリンダーブロックを使用した5バルブエンジンを開発・供給する予定であったが、コスワースとの折り合いがつかず急遽エンジンを自社製造することになった[ 31] 。そのためかエンジンの信頼性に欠け、予備予選 通過もままならぬ有様で、一時撤退を余儀なくされる。
1990年 (平成2年)は1年を丸々エンジン開発に充て、翌1991年 (平成3年)にブラバム へ5バルブV12 エンジンのOX99を供給し復活を果たす。その甲斐あって後半戦に2度の入賞を記録。
1992年 (平成4年)はジョーダン へOX99を供給するが、クーリングに問題が出るなどシャーシとのマッチングが上手く行かずに最終戦でようやく1ポイントを獲得するのみと、前年と同様に成績はふるわなかった。シーズン途中からはエンジンビルダーのジャッド と提携を開始した。また同エンジンを搭載した市販予定スポーツカー 、OX99-11 を発表するものの、市販の実現には至らなかった。
1993年 (平成5年)には開発済みだった新しいV12を諦め、ジャッドのV10 エンジン(ジャッドGV)をチューニングしたOX10を開発。片山右京 所属のティレル に供給した。エンジン回転数の増加に伴い、ニューマチックバルブを採用した[ 32] 。シーズン当初はそれほどの成績が出せなかったが、最終型のGスペックでは他のワークスエンジンにも見劣りしない程になっていた。
1994年 (平成6年)OX10を継続開発し、OX10Bとして投入。右京が予選5位を2回記録した上に、ドイツGP ではマシントラブルで停止するまで2位を走行し、チームメイトのマーク・ブランデル もスペインGP で3位表彰台を獲得、その他にも度々上位を走行するなどトップチームに肉薄する性能を発揮したが、シーズン後半にはエンジンのパフォーマンスアップを重視した為、エンジンの信頼性をやや落とす結果になった。最終スペックはKスペック。
1995年 (平成7年)には、エンジンレギュレーションが3.5Lから3.0Lへ変更された事に合わせボア・ストロークともに見直したOX10Cをジャッドと共同開発。シーズン序盤こそ度々快走を見せるが、他のエンジンに比べて絶対的なパワーが不足していた事とシャーシ側のパフォーマンス不足も合わせ満足行く戦績は残せなかった。
1996年 (平成8年)には、当時のF1エンジンとしては革新的なサイズと重量のOX11A をジャッド 社と共同開発するも、エンジンに捻れや揺れが発生し、エンジンのパワー不足と信頼性不足に悩み、思ったような成績が残せなかった。剛性不足が原因と判明したのはヤマハがF1活動を終了した後だった。
1997年 (平成9年)にはアロウズ にOX11Aを供給。ハンガリーGP ではデイモン・ヒル の手によって、ラスト1周までトップを快走したが、2位に終わり惜しくも初優勝はならなかった。シーズン終了後の同年12月、アロウズ(当時代表であったトム・ウォーキンショウ )側は1998年 に自身が買収したハートエンジン にヤマハのバッヂを付けて出場する事をヤマハ側に提案[ 注 1] するが、ヤマハ側としては受け入れられずに決別。他の供給先を探すも既に時間は無く、結局この年限りでヤマハとしてのF1活動は終了した。
サーキット
1975年 (昭和50年)、宮城県 村田町 にテストコースを建設した。これが現在の「スポーツランドSUGO 」となっている。スーパーバイク世界選手権 やモトクロス世界選手権 の開催実績があり、また全日本格式の選手権レースが開催されている。1990年 (平成2年)のF1休止中には、エンジンテスト[ 注 2] の舞台となった。
関連スポーツ
サッカー
ジュビロ磐田
前身はヤマハ発動機サッカー部。
Jリーグ に所属している。
ラグビー
静岡ブルーレヴズ
前身はヤマハ発動機ラグビー部。
2021年まではヤマハ発動機ジュビロとして活動していた。
ジャパンラグビーリーグワン に所属している。
事件等
軍事転用可能な無人ヘリコプターの不正輸出事件
2005年 (平成17年)12月 に軍事転用可能な無人ヘリコプター「RMAX Type II G」の改良型「L181」を、中華人民共和国 の航空写真撮影会社である「北京必威易創基科技有限公司 (BVE) 」に不正輸出しようとしたとして、外為法違反容疑でヤマハ発動機は2006年 (平成18年)1月 に刑事告発を受けた。2007年 (平成19年)2月 、静岡県警察 ・福岡県警察 合同捜査本部 は同容疑及び外国貿易法 違反の容疑で同社スカイ事業部の社員3名を逮捕 した。
また、BVE社はヤマハ発動機側に「人民解放軍 が2、3年後までに同型の無人ヘリ約100機の購入を希望している」と伝えていたことが明らかとなっている。この購入の希望は、2004年 (平成16年)6月 に北京であった両社の商談中に打診された物で、出席したヤマハ発動機社員がメモとして残していた。BVE側は、輸入した無人ヘリを軍関係の他の会社を経由して人民解放軍に流す仕組みをヤマハ発動機側に明かしていた。
なお、警察の捜査の結果、BVE側とのメールのやりとりが削除されていることが明らかとなっている。違法性を認識していたヤマハ発動機側が証拠隠滅を図った可能性もあるとみて、容疑者を追及していたが、2007年(平成19年)3月17日 付 読売新聞によれば、輸出が業務の一環だったことも考慮され、元執行役員ら3人については起訴猶予となった。また、違法行為が業務上のものであり、かつ、逮捕された社員に対する監督責任も認めていたため、法人としての同社は略式起訴され、罰金100万円を納付した[ 33] 。
また、警察の捜査が行われる以前の2006年 (平成18年)12月22日に、名古屋 税関 から「無許可の疑いがある輸出申告があった」との通報を受けた経済産業省 もこの件について調査していたが、同日中に同事業部が提出した関係書類は納品書1枚だけで、要求した書類がそろうのに数日かかるなど、対応に不審な点が多かった。
テレビ番組
関連会社
脚注
注釈
^ ヤマハ製エンジンの供給は不要であるが、スポンサーとしてチーム運営資金の出資を要求した。
^ テストは、F3000 のシャシーをF1レギュレーション に合わせて修正し、全日本F3000選手権に参戦する片山右京 を起用して1年間継続された。
出典
関連項目
著名な社員
関連著名人
谷山浩子 - 「ヤマハ発動機社歌」の作曲を担当
日置有紀 (車椅子モデル・女優) - ヤマハ発動機で開発された02GEN(電動車椅子)のプロダクトモデルを行った。後にJW女子が出来、それらの第1号のモデルも行っている。ヤマハ発動機の本社には、02GENで撮影された日置有紀の写真が飾られている。
外部リンク
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