この項目では、企業について説明しています。その他の東芝、Toshibaについては「東芝 (曖昧さ回避) 」をご覧ください。
株式会社東芝 (とうしば、英語 : TOSHIBA CORPORATION )は、エネルギーシステム、インフラシステム、電子機器、デジタルソリューションなどを主要事業とする日本 の電機企業 である。2015年 の粉飾決算 事件をきっかけに経営危機に陥り、大規模な事業再編が行われた。2017年 に事業の分社化・子会社化を完了させているが、電池事業[ 4] などの部門は残存しており事業持株会社 となっている。2023年 12月 に上場廃止 となった。
概要
国産一号機の冷蔵庫、洗濯機、掃除機 (東芝科学館 )
第16代東芝社長佐々木則夫 (左)は内閣総理大臣 安倍晋三 (右)から任命され内閣府 経済財政諮問会議 議員を務めた
東京都 港区 芝浦 の浜松町ビルディング (旧東芝ビルディング)に浜松町本社事務所を、神奈川県 川崎市 幸区 のラゾーナ川崎東芝ビル に川崎本社事務所を置く2本社体制である。
社名は、旧社名の「東 京芝 浦電気」の略である。
東芝は製品の製造 からサービス に至るまでの間に、多岐に渡る子会社 や関連会社 を形成しており、東芝グループ の中核に位置する巨大企業である。東芝はかつてテレビ や家電製品 、携帯電話 、パソコン など消費者向け製品でも事業展開していたが、現在はコンシューマ商品から撤退し電子部品 (HDD など)・原子炉 ・重電機・軍事 機器・鉄道車両 など、企業間取引 による重工業 分野へ重点的に事業展開をしている。
冷蔵庫 ・洗濯機 ・掃除機 ・電子レンジ ・炊飯器 など、家電製品の国産化第1号 の製品が多く白物家電 の日本におけるパイオニアであった。しかし2015年 の粉飾決算 による経営不振発覚を契機に、主力事業としていたBtoC事業の白物家電事業、テレビ、パソコン事業及び医療機器事業、メモリ事業を中国企業などに売却し、社会インフラを中心とするBtoB事業を中心としたメーカーに転換した[ 5] [ 6] 。
電機メーカーとしては、最初に委員会設置会社に移行した企業でもある(移行した2003年 当時は、委員会等設置会社。現在の指名委員会等設置会社 )。委員会設置会社となってからは、会長は代表権を有さない取締役会長となっていたが、2016年6月より代表執行役会長を新設した。
歴代の社長ら役員は、財界活動に積極的であることも知られている。石坂泰三 (第4代社長)と土光敏夫 (第6代社長)が経済団体連合会 会長に就任し、岡村正 (第14代社長)が日本商工会議所 会頭に就任するなど、財界四団体のトップを輩出している。そのほか、西室泰三 (第13代社長)は日本経済団体連合会 のナンバー2である評議員会議長に就任し、佐々木則夫 (第16代社長)が現役社長の頃から内閣府 経済財政諮問会議 議員に就任するなど、日本の政財界に強い影響力を及ぼしている。特に石坂泰三は「財界総理」との異名を持つほどの影響力を誇り、東芝が財界で重きをなす礎を築いた。
東芝は、三井グループ の構成企業であり、二木会(三井グループ傘下各社の社長会)、月曜会(三井グループ各社の役員間の相互親睦と情報交換を目的とする会合)、三井業際研究所 、綱町三井倶楽部 に加盟している。
2021年 4月7日 、イギリス の投資ファンド・CVC キャピタル・パートナーズ からの買収が提案されていることが報じられた。これが実行されれば、東芝の株式は上場廃止となる。この件への対応などをめぐり、幹部級社員の半分が車谷暢昭 社長の不信任を考えているとの社内調査結果が報道機関にリークされ[ 7] 、14日午前の臨時取締役会で同社長は辞任を表明した[ 8] 。
2023年3月23日15時頃、日本国内の投資ファンド である日本産業パートナーズ (JIP)が設立した特定目的会社である「TBJH株式会社」(後のTBJH合同会社)による非上場化を前提としたTOB 形式での買収案の受け入れを取締役会で決議したと日本経済新聞 などのメディアが一斉に報じ[ 9] 、同日午後7時30分頃に買収案の受け入れとTOBの実施について同社から正式に発表があった[ 10] 。
これを受け東京証券取引所 と名古屋証券取引所 は、同社の株式を上場廃止 の恐れがある「監理銘柄 」に指定した[ 11] 。TBJH合同会社は1株4620円でTOBを実施し、同年9月27日をもって株式の78.65%を取得することとなった。同年12月20日をもって株式上場を廃止した。
2024年5月16日、 国内のグループ全体の社員を対象に最大4千人の早期希望退職を募ると共に本社機能を事業子会社や研究開発部門の拠点がある川崎市に移転、集約することを発表した[ 12] 。
歴史
創業
創業者の、初代田中久重 (1799年 - 1881年 )は、からくり人形 「弓曳童子」や和時計 「万年時計(万年自鳴鐘 )」などを開発したことから、「からくり儀右衛門」として知られる。初代久重が東京 ・銀座 に工場(諸器械製造所)を興し、弟子であり養子の田中大吉(後の2代目久重(1846年 - 1905年 )が東京・芝浦 に移転させた。この工場の技術者の中に、後の沖電気工業 創業者・沖牙太郎 や池貝 創業者・池貝庄太郎 、宮田工業 創業者・宮田栄助らがいた。
沿革
筆記体「Toshiba」ロゴ(傘マーク)
横長「TOSHIBA」ロゴ
現在でも使用されている「傘マーク」。これは阪神 用列車種類選別装置 用車上子で、阪神の車両のほかに相互直通で使用されている近鉄 と山陽 の車両にも使用されている。この車両は近鉄22600系 。
1875年
1882年
田中大吉(後の2代目田中久重)が東京・芝浦 に「田中製造所 」を設立。
1890年
1893年
1896年
合資会社白熱舎が「東京白熱電燈球製造株式会社 」に社名変更。
1899年
東京白熱電燈球製造株式会社が「東京電気株式会社」に社名変更。
1904年
芝浦製作所が会社組織となり「株式会社芝浦製作所」設立[ 15] 。
1939年
重電メーカーの株式会社芝浦製作所が軽電メーカーの東京電気株式会社を合併し、東京芝浦電気株式会社 に商号変更。
1949年
1950年
1955年頃の「マツダ 」ブランドのラジオ用真空管
1956年
1960年
1962年
電球の、東京電気以来の「マツダ」ブランドを廃止(標準電球除く)、「東芝ランプ」に統一。
1965年
テープレコーダー、ラジオ、スピーカーの新聞広告(1967年)
1968年
1969年
2月「東芝傘マーク」を書きやすい形状に部分修正し、方形の背景に白抜き表示を開始[ 注 1] 。 このロゴは平成初期頃まで一部家電に現在の東芝ロゴと併用されていた。
10月 フジテレビ 系列で東芝一社提供によるテレビアニメ 『サザエさん 』の放送を開始。
11月 「東芝傘マーク」が世界の一部の国で誤読を招いた(「Joshiba」と勘違いされた)ことから、現在の「東芝ロゴ」(サンセリフ 系)を扁平(平体)にしたような形状のロゴの併用を開始[ 15] 。
1975年
創業100周年、家電製品で「東芝新世紀シリーズ」を販売。
1976年
岩田弌夫が社長に就任、リストラ の開始(家電製品の総発売元だった東芝商事を、地域別に分割して地域内販社と統合し再編=現在は東芝コンシューマ・マーケティングに再統合=など)。
1979年
英文社名表記を「Tokyo Shibaura Electric Co., Ltd. 」から「TOSHIBA CORPORATION 」に変更、同時に現在の“TOSHIBA”ロゴの原型(横長のゴシック体)が広告用に併用され始める。
1981年
1982年
1983年
10月 CIのロゴマークを現在の“TOSHIBA”ロゴへ小変更し、順次統一(横長から縦横同じ幅になった)。ただし、製品への新CIの採用は1984年4月以降に発売された製品に順次採用された。
1984年
1987年
1990年
4月 「東芝グループ経営理念」および「東芝グループスローガン『人と、地球の、明日のために。』」を制定。
1992年
1998年
テレビアニメ「サザエさん」の一社提供 を終了。ただし、提供自体はその後も継続。
1999年
2000年
2002年
9月 東芝日曜劇場の東芝一社提供を終了し、同番組の提供を一時降板。7年後に復帰した。
2003年
1月 東芝の一部門より分社化し株式会社駅前探険倶楽部(現在の駅探 )を設立。また、長きに渡って親しまれた東芝傘マークが家電製品、重電製品を問わず段階的に廃止された。
2005年
2006年
2007年
2008年
2009年
2010年
3月 同年4月1日より住宅用太陽光発電事業に参入すると発表。
3月 1890年から続いた白熱電球 の製造・販売のうち、一般用途向け白熱電球製造を日本で最初に終了。
2011年
2012年
2013年
2015年
2016年
2017年
2018年
2019年
2020年
2021年
1月29日 3年半振りに、東証2部・名証2部から東証1部・名証1部に指定替え。東芝再生の大きな節目となる[ 96] 。
2月12日 システムLSI 事業からの撤退に伴う人員整理を発表。事業撤退に伴う早期優遇退職 制度を利用した者が452人、人員再配置が372人[ 97] 。
6月28日 同月25日に開かれた定時株主総会における議決権行使 結果が公表された[ 98] 。今総会での議決権行使比率は80.93%で、結果の内訳開示が義務付けられた2010年以降、初めて8割を超えたと報じられた[ 99] 。
11月12日 エネルギー・インフラ事業、デバイス・ストレージ事業をそれぞれ独立会社としてスピンオフ することを発表[ 100] 。東芝本体は、キオクシアホールディングスと東芝テックの各株式を保有する形で存続する予定とした。
2022年
2月7日 デバイス・ストレージ事業のみをスピンオフし、エネルギー・インフラ事業は東芝本体に残す2分割案に変更。空調・昇降機・照明の各事業を売却する方針を発表[ 101] 。
3月24日 臨時株主総会を開催。会社提案と、非公開化の積極的検討などを含むすべての企業価値向上策の検討継続を求める株主提案が、いずれも否決される[ 102] [ 103] [ 104] 。
4月7日 社外取締役による新たな特別委員会を設置し株式非公開化を検討。スピンオフ案による再編及び昇降機・照明の各事業売却は中断[ 105] 。
8月1日 空調事業を担う東芝キヤリアの株式保有割合60%のうちの55%を米国キヤリア 社側に譲渡。東芝の株式保有比率は5%となる[ 106] [ 107] 。
9月27日 アクセンチュアと共同で、グリーントランスフォーメーション(GX)の加速に向け連携を開始[ 108] 。
2023年
2024年
歴代社長
代[ 117]
氏名
在任期間
初代
山口喜三郎(やまぐちきさぶろう)[ 118]
1939年9月 - 1943年6月
2代
津守豊治[ 119]
1943年6月 - 1947年3月
3代
新開廣作(広作)[ 119]
1947年3月 - 1949年4月
4代
石坂泰三 [ 120]
1949年4月 - 1957年11月
5代
岩下文雄[ 121]
1957年11月 - 1965年5月
6代
土光敏夫 [ 120]
1965年5月 - 1972年8月
7代
玉置敬三
1972年8月 - 1976年
8代
岩田弐夫 (いわたかずお)[ 122]
1976年 - 1980年
9代
佐波正一
1980年 - 1986年4月
10代
渡里杉一郎 (わたりすぎいちろう)[ 123]
1986年4月 - 1987年7月
11代
青井舒一
1987年7月 - 1992年6月
12代
佐藤文夫 [ 124]
1992年6月 - 1996年6月
13代
西室泰三
1996年6月 - 2000年6月
14代
岡村正
2000年6月 - 2005年6月
15代
西田厚聰
2005年6月 - 2009年6月
16代
佐々木則夫
2009年6月 - 2013年6月
17代
田中久雄
2013年6月 - 2015年7月
18代
室町正志 [ 注 3]
2015年7月 - 2016年6月
19代
綱川智
2016年6月 - 2020年3月
20代
車谷暢昭 [ 注 4] [ 125]
2020年4月 - 2021年4月
21代
綱川智(再任)[ 注 5]
2021年4月 - 2022年2月
22代
島田太郎
2022年3月 -
拠点
本社事務所
川崎事業所の跡地に建設されたラゾーナ川崎東芝ビル 川崎本社事務所「スマートコミュニティセンター」、東芝未来科学館 などが入居する。
本社事務所:浜松町(東京都 港区 芝浦 1-1-1 浜松町ビルディング )[ 2]
詳細は「浜松町ビルディング 」を参照。2020年着工予定の芝浦1丁目地区の再開発事業により解体予定[ 63] [ 64] 。
本社事務所:川崎(神奈川県 川崎市 幸区 堀川町 72-34 ラゾーナ川崎東芝ビル )[ 2]
「スマートコミュニティセンター」(スマコミ)と称する[ 2] 。かつて本店所在地であった川崎事業所[ 126] の跡地に再開発されたラゾーナ川崎 に隣接する、ラゾーナ川崎東芝ビル (地上15階建て)に置かれる[ 127] 。社会インフラ部門やクラウドソリューション部門などが集結する。2013年 10月31日開所。東芝未来科学館 を併設する[ 128] 。デジタルイノベーションテクノロジーセンターを併設[ 129] 。
製造・研究拠点(自社拠点)
小向事業所(神奈川県川崎市幸区 小向東芝町 1)[ 130]
1937年 に操業開始した歴史ある工場。1952年 には工場所在地の町名も「小向東芝町」となった[ 131] 。敷地内に研究開発センター(RDC)[ 132] 、ソフトウェア技術センター[ 133] を置く[ 129] 。
2024年02月26日 小向事業所内に「イノベーションパレット[ 134] 」を開所。コーポレート(本社)の研究開発機能(RDC)と、東芝デバイス&ストレージ株式会社の本社機能・半導体事業部および研究開発部門を集約している。
府中事業所 (東京都府中市 東芝町1)[ 130] 府中事業所南門 工場敷地内にエレベーターの性能検査を行うための「実験塔」がある
横浜事業所(横浜市 磯子区 新杉田町 8)[ 130]
京浜事業所(横浜市鶴見区 )
発電所の発電機や変圧器を製造している。東芝の敷地内にあり、東芝の従業員以外は駅の外に出られないことで有名な海芝浦駅 がある工場。ひとつ手前の新芝浦駅 から東芝の敷地になる。
入船分工場が新芝浦駅の隣の浅野駅 にある。
浜川崎工場(神奈川県川崎市川崎区 浮島町 )
姫路工場(兵庫県姫路市 余部区 上余部50)[ 130]
入居していたディスプレイ・テクノロジー株式会社を売却[ 136] し、現在製造ラインは残っていない。
姫路工場内に太子分工場があり、1966年 から東芝のブラウン管製造の拠点でもあった。2004年 にブラウン管製造ラインを停止している。現在太子分工場は東芝デバイス&ストレージ株式会社姫路半導体工場[ 137] として運用されている。
周辺に、東芝エレベータ 、西芝電機 (戦後に東芝の網干工場が独立)などの関連企業の工場群が存在する。
神姫バス (ウイング神姫 )には、姫路工場の近隣に「東芝」という停留所が存在する。他事業所でも最寄りのバス停の名称に「東芝」が入っているが、単に「東芝」と名乗るバス停は全国でも姫路工場最寄りの神姫バスの停留所のみである。
柏崎工場(新潟県柏崎市 大字軽井川931-21 柏崎フロンティアパーク)[ 130]
三重工場(三重県三重郡 朝日町 )
半導体システム技術センター分室(神奈川県川崎市幸区堀川町)
マイクロエレクトロニクスセンター(神奈川県川崎市幸区小向東芝町)
主要子会社の拠点
かつて存在した拠点
川崎事業所(神奈川県川崎市幸区堀川町)
柳町工場(神奈川県川崎市幸区柳町 )
日野工場/日野モバイル工場(東京都日野市 旭が丘 )
スマートフォンを含む携帯電話全般の設計を行っていた。2009年 10月までは携帯電話の製造も行っていた。携帯電話事業の移管に伴い、2010年 10月に閉鎖。
跡地は三井不動産へ売却され[ 143] 、三井不動産の物流施設「MFLP日野」[ 144] となっている。
青梅事業所外観(西東京工業団地 内)
青梅事業所(東京都青梅市 末広町 )
1968年 に開設。旧称「青梅工場」。西東京工業団地 内に立地していた。
OA機器 や産業用機器を開発・製造する工場として機能し、古くはワープロ 、OAシスコン、OCR、郵便番号 別分類装置等の生産拠点であった。その後は主に、PC&ネットワーク社およびデジタルメディアネットワーク社、モバイルコミュニケーション社などのノートPC、携帯型音楽プレーヤーなどのモバイル機器、HDDの設計/製造、DVD&HDDレコーダ や液晶テレビ 、ネットワーク端末ほか各種デジタル家電などの開発拠点となっていた。モバイル機器においては歴代の大型・小型機器で培った専用LSI の開発とLSI実装技術開発も行っていた。日野工場の閉鎖に伴い、東芝製携帯電話端末の修理・サポートを受け持つモバイル事業統括部が設置されていた。
青梅デジタルメディア工場、モバイルコミュニケーションデベロップメントセンター、コアテクノロジーセンター、PC開発センターを併設していた。
パソコン事業などは子会社の東芝クライアントソリューション 株式会社に移管されている。
2016年 (平成28年)12月に敷地を野村不動産 へ売却し[ 145] 、翌2017年 3月末に閉鎖。跡地は野村不動産が高機能型物流施設「Landport青梅I」として再開発し、日野自動車 の部品センターとして2018年11月竣工予定と発表[ 146] 。2019年5月に日野自動車が隣接する「青梅部品センター」を同地へ移転し「日野グローバルパーツセンター」として稼働開始した[ 147] 。
北九州工場(福岡県 北九州市 小倉北区 )
1920年 に東京電気小倉工場として操業し白熱電球の生産を始める。高度成長期にはトランジスターなどを生産し、半導体生産の拠点として稼働してきたが、2012年 9月をもって生産を終了した。
閉鎖後は跡地の利用希望企業が見つからず、市は「土地所有者の東芝と知恵を出し合い活用方法を早急に検討する」としていた[ 148] 。その後、小倉第一病院 が跡地へ移転開院した。
大分工場(大分県 大分市 )
深谷事業所(埼玉県 深谷市 幡羅町1-9-2)[ 130]
その他、1962年3月発行のカタログ『東芝家庭電化器具62A』には、現存工場である鶴見や府中、姫路などのほか、「名古屋工場(同市西区 [ 注 6] )の扇風機の製造」「大阪工場(茨木市 )の冷蔵庫の量産」の記載がある。また柳町工場は「家庭電気器具の主力柳町工場」と記載されている。
なお、大阪府茨木市にあった大阪工場の所在地の地名は「太田東芝町 」で、跡地にはJR総持寺駅 に近いことを活かし、追手門学院大学 総持寺キャンパスおよび付属中学校・高等学校 が建設されたが、工場撤退後も町名に「東芝」の名が残っている[ 152] [ 153] (「東芝町 」も参照)。
関連企業
主要グループ企業
東芝デバイス&ストレージ (旧・ストレージ&デバイスソリューション社)
非営利活動
その他の出資企業
芝浦機械 (東証プライム 6104)
2017年3月2日までは東芝が筆頭株主であったが、自己株式取得に伴い現在はグループ企業から離脱。現在の東芝の出資比率は3%未満。2020年4月1日付で東芝機械から社名変更。
芝浦メカトロニクス (東証プライム 6590)
持分法適用関連会社であったが、2017年12月に株式を売却。2018年1月時点の出資比率は10%。
みずほ東芝リース
2012年 に東芝ファイナンス(現・オリコプロダクトファイナンス )の企業向け事業を分離し、興銀リース(現・みずほリース )が株式の90%を取得し子会社化。東芝の出資比率は10%。
SWCC
1936年 に東京電気を母体として設立された電線メーカー。東芝の現在の出資比率は3.2%。
チタン工業 (東証スタンダード 4098)
セコムトセック
2018年8月にセコム へ株式の80.1%を譲渡したと同時に、社名を東芝セキュリティからセコムトセックへ変更。当初東芝は残り19.9%を継続保有していたが、後にセコムへ17.9%を売却したため、現在の出資比率は2%。
東光東芝メーターシステムズ
株式会社東光高岳が51%、東芝エネルギーシステムズが49%出資している。
SBS東芝ロジスティクス
2020年11月にSBSホールディングス へ株式66.6%を譲渡。2021年1月1日付で商号を東芝ロジスティクスからSBS東芝ロジスティクスへ変更。東芝は残り33.4%を保有。
西日本家電リサイクル
東芝インフラシステムズ、東芝環境ソリューションの他、パナソニック 、シャープ 、ソニー 、日立グローバルライフソリューションズ 、富士通ゼネラル 、三菱電機 の合弁。
東芝ブランド許諾商品等製造会社
東芝ライフスタイル
2016年6月30日に株式の80.1%を中華人民共和国 の美的集団 に売却。東芝は残り19.9%を保有。同社の子会社の東芝ホームテクノなども子会社から外れる。
東芝ホームテクノ
東芝コンシューママーケティング
東芝エルイートレーディング
東芝電池
TVS REGZA
2018年2月28日、株式の95%を中華人民共和国のハイセンスグループ に売却。東芝は残り5%を保有[ 6] 。
キオクシア
2018年 6月1日に、株式の100%をベインキャピタル を主軸とするコンソーシアム・Pangeaに売却した。なお、東芝はPangeaに出資しており、出資比率は40.2%である。従業員数6,200人超で、日本の半導体メモリ製造の拠点。スマートフォンやSSDなどに使われている、NAND型フラッシュメモリを製造。サンディスク と共同で製造合弁会社を設立し、第5製造棟まで稼働中。第6製造棟(第1期)とメモリ開発センターが2018年9月に竣工。2010年(平成22年)に瞬時電圧低下事故 の影響を受けた。2019年10月1日付で、社名を「東芝メモリ」から「キオクシア株式会社」に変更した[ 154] 。
日本キヤリア
2022年8月にキヤリア社側へ株式55%を譲渡。東芝は残り5%を保有。2024年5月1日付で商号を東芝キヤリアから日本キヤリアへ変更。
かつてのグループ企業・出資企業
東芝コンポーネンツ
2012年 解散。
東芝機器
2011年 解散。
東芝鋼管
1993年 に新日本製鐵 の子会社化。日鉄鋼管 への名称変更、新日本製鐵の完全子会社化を経て、新日本製鐵と住友金属工業の統合に伴い、2013年に住友鋼管と合併し、日鉄住金鋼管となるが、親会社の社名変更 に伴い、2019年4月1日、日鉄鋼管 に社名が戻った。
日本ビクター
1927年 にアメリカのビクタートーキングマシン の日本法人として日本ビクター蓄音器が設立。ビクタートーキングマシンがRCA に吸収合併されると、日本法人は合弁体制に移行し東芝が資本参加。1938年 に戦前の政治事情から外資のRCAが資本撤退を余儀なくされ、RCAの株式持分は日産コンツェルン を経由して東芝に譲渡され東芝子会社となる。戦中には日本音響へ戦後には日本ビクターへの社名変更を経たのち、東芝の持株は日本興業銀行 を経由して1954年 に松下電器産業(現・パナソニック)に譲渡された。2007年にケンウッド と経営統合、2011年に合併しJVCケンウッド となっている。
日本タングステン
東芝が資本介入していた時期もあったが、その後東芝資本から離脱。
東芝ビデオプロダクツジャパン
2001年 解散。
富士通東芝モバイルコミュニケーションズ
東芝のモバイルコミュニケーション社(社内カンパニー)を分離して富士通 の資本を受け入れ2010年 に設立。2012年 に富士通へ全株式を売却し、富士通モバイルコミュニケーションズ に社名変更、2016年に富士通コネクテッドテクノロジーズ の傘下に異動した後、2018年 に同社に統合され消滅。
オンキヨー
1957年 より東芝の子会社だったが、1993年 に複数の会社再建を手がけていた大朏直人が個人で買収。
IHIアグリテック
IHI 子会社の農機具メーカーで、旧社名は石川島芝浦機械→IHIシバウラ。 東京石川島造船所と芝浦製作所(東芝の「芝」部分の由来)が共同出資し、石川島芝浦タービン松本工場を設立したのが同社の起源である。2017年(平成29年)にIHI子会社だったIHIスター(存続会社。旧・スター農機)と経営統合し現在の社名となった。2018年(平成30年)現在、ヤンマーホールディングス (ヤンマー )と業務提携中。
東芝ケミカル
2002年 に京セラ へ全株式を売却。京セラケミカル に社名変更ののち、2016年に京セラへ吸収合併。2000年代初頭に行っていたグループ再編計画によるグループ離脱。
東芝セラミックス
2007年 にMBOにより資本撤退し米 カーライル とユニゾン・キャピタル の折半出資ファンドが全株式を取得。社名はコバレントマテリアルを経て、2015年にクアーズテック へ変更。
東芝シリコーン
1971年 にアメリカのゼネラル・エレクトリック (GE)との合弁企業として設立。1999年 にGEシリコーンの一部機能を移管しジーイー東芝シリコーンに社名変更。2006年 にGEがGEアドバンス・マテリアルズをアポロ・グローバル・マネジメント に譲渡したことを受け資本撤退。2007年にモメンティブ・パフォーマンス・マテリアルズ・ジャパンに社名変更。
東芝タンガロイ
2004年 にMBO により資本撤退しタンガロイ に社名変更。オーエスジー との資本提携の締結と解消を経て、2008年からオランダのIMC(インターナショナル・メタルワーキング・カンパニーズ)が全株式を取得。
デンカ生研
旧東芝化学工業および旧東芝製薬。両社は電気化学工業 に売却、後者(東芝製薬)の事業縮小を挟み合併、デンカ生研と社名変更したが、2020年4月1日にデンカへ吸収合併され解散。
東芝ベックマン
アメリカの分析機器メーカー、ベックマン・インスツルメンツとの合弁企業として設立。1977年 に資本撤退しベックマン単独の日本法人、ベックマン・ジャパンとして再設立。ベックマンへの社名変更を経て、1998年に米コールター日本法人と合併しベックマン・コールター (英語版 ) に社名変更。
東芝アンペックス
アメリカのエレクトロニックス会社であるアンペックス との合弁企業として設立し、業務用ビデオ録画再生機器を製造した。資本撤退した。
東芝硝子
1999年 に旭硝子 傘下の岩城硝子(株式上場企業)に吸収合併され旭テクノグラスに社名変更。東芝の出資比率は14.3%で連結対象を外れる。のちに東芝との資本関係は清算され、2005年の旭硝子による全株式取得を経て2007年にAGCテクノグラス に社名変更。
東芝エンタテインメント
2007年 に博報堂DYメディアパートナーズ へ全株式を売却。社名はショウゲート 経て、2015年に博報堂DYミュージック&ピクチャーズ へ変更。
東芝音楽工業
1973年 よりイギリスのEMIグループ の資本を受け東芝EMIに社名変更し合弁会社化されていたが、2007年にEMIへ東芝の保有する全株式を売却しEMIミュージック・ジャパン に社名変更。のちのEMIの解体消滅に伴い2013年にユニバーサル ミュージック に吸収合併。
駅探
2007年にMBOによりポラリス・プリンシパル・ファイナンスのファンドが筆頭株主となり、東芝の出資比率は約20%で連結対象を外れる。2011年 のマザーズ 上場、2012年 の筆頭株主のシーエスアイ(現・CEホールディングス )への移動などを経て資本関係が清算された。
麻布プラザ
東京 麻布 のテレビ番組の制作事業、及び同名の制作スタジオ運営・管理を行う会社。合弁元であった現・ウッドオフィスグループ (初代ウッドオフィス)により完全買収。
トワーニ
日本テレビ 、タイム ワーナー エンターテイメント ジャパン との3社共同出資による邦画 の合弁企業。製作作品の不振により2004年に会社解散し、ワーナー エンターテイメント ジャパンに事業・版権譲渡している。
東芝ファイナンス
2013年 にイオンフィナンシャルサービス へ全株式を売却し、イオンプロダクトファイナンスに社名変更されたが、2024年にオリエントコーポレーション へ再度全株式が譲渡され、オリコプロダクトファイナンス に社名変更。
モバイル放送
2009年 サービス終了。サービス終了時は子会社。
東芝メディカルシステムズ
2016年 にキヤノン へ全株式を売却。2018年にキヤノンメディカルシステムズ に社名変更。
東芝医用ファイナンス
株式の65%を保有(残り35%はキヤノン傘下の東芝メディカルシステムズが保有)していたが、2017年3月31日にキヤノンに全株式を売却[ 155] 。2018年にキヤノンメディカルファイナンス へ社名変更。
TOSEI
東芝テックの完全子会社であったが、2017年3月31日に株式の90%をキョウデンエリアネット に譲渡。
ランディス・ギア
2011年に株式の60%を取得したが、2017年に全株式売却。
ウェスチングハウス・エレクトリック・カンパニー
2007年に買収したが、2017年に連邦破産法を申請し連結子会社から外れる。2018年にはブルックフィールド・ビジネス・パートナーズ (英語版 ) が買収することで合意。
ストーン・アンド・ウェブスター (WHが買収した原発サービス会社)
東芝プラットフォームソリューション
2018年にアスパラントグループが運営するファンドが設立したTOPSホールディングスへ全株式を売却し、ソード へ社名変更。
ニュージェネレーション
WHが買収したイギリスの原発運営会社。WHが法的整理手続きに入ったため東芝が全株式を引き受け。19年に会社解散手続きに入った。
東芝アメリカLNGコーポレーション
2019年にトタル へ売却。
東芝燃料電池システム
2019年に東芝エネルギーシステムズと合併した。
国際チャート
元東芝テックの子会社で2017年にOA・文具大手のナカバヤシ へ株式公開買付けにより売却。
東芝不動産
2008年12月に野村不動産ホールディングス が株式の65%を取得し、野村不動産グループ入り[ 156] 。2020年までに全株式を譲渡し、野村不動産ビルディング へ社名変更。
東芝通信インフラシステムズ
2012年に東芝特機電子と東芝放送ネットワークエンジニアリングが合併して発足。2023年10月に東芝テリーと合併。
東芝ビジネスアンドライフサービス
2020年に東芝ビジネスエキスパートに合併。
東芝ツーリスト
2023年に東芝ビジネスエキスパートに合併。
東芝ブランド許諾商品等製造会社
Dynabook (企業)
パソコン(dynabook )事業:2018年10月にシャープ が株式の80.1%を取得。2020年8月残りの株式をシャープに完全売却[ 92] 。
主な製品
管球・照明設備
現在は子会社の東芝ライテック に移された事業だが、1890年 に日本で初めて一般白熱電球 の生産を開始、電球の6大発明と言われる世界初の2重コイル技術と内面つや消し製法をそれぞれ1921年 と1925年 に開発[ 157] [ 158] 。
また1953年 には、国産初の蛍光灯 生産も開始。とりわけ蛍光灯に関しては1954年 の丸形蛍光灯「サークライン」、
1980年 に電球形蛍光灯 「ネオボール」に代表される新しいタイプの商品を多く生み出している。また、NHK と共同で蛍光灯の電波妨害を防止する技術「ノイズレス」も開発している。
東芝は2008年 4月、東芝ライテックと共に、2010年 、目処に一般白熱電球の製造・販売を終了すると発表。2010年3月17日 付で一般白熱電球の製造を終了[ 159] 。ただし、ミニクリプトン ランプ、ハロゲンランプ 、反射型ランプなど、現在の電球形蛍光灯 やLED照明 などに置き換えられないものは除くとしている。また、調光用途等に一般白熱電球を使用する顧客向けに、当面少量の販売を継続するとも発表した。
なお、この電球製造終了予告を取り上げた企業広告シリーズ「電球への思い」編が、第38回フジサンケイグループ広告大賞 のメディアミックス広告大賞を受賞した。
2015年3月には業界で初めて電球形蛍光灯生産より完全撤退し、以後はLED電球のみの生産へ完全移行している(電子点灯管と蛍光灯「メロウZプライド&メロウZロングライフ」・「ネオスリムプライド」シリーズは交換用途に絞って継続生産)。
電子部品
HDD
東芝MK4313MAT(4.3GB )
2003年 12月、世界最小となる0.85インチハードディスクドライブ を開発し、2006年 にau 向けのCDMA 1X WIN 対応携帯電話「MUSIC-HDD W41T 」に搭載した。このHDDは「世界最小のハードディスクドライブ」として2005年 版のギネス世界記録 に掲載されていた。
2012年 にウェスタン・デジタル のHGST (旧・日立グローバルストレージテクノロジーズ、日立GST)買収(同年3月8日 完了)に伴う寡占化対策としてウェスタン・デジタルからコンシューマ向け製品の一部の製造設備及び知的財産とニアライン向け製品の一部の製造設備(HGSTの1 TB プラッタの3.5インチドライブの製造設備及びウェスタン・デジタルの試験設備や知的財産の一部、東芝が取得するまでHGSTではその設備を用いた生産を継続[ 160] 。)を取得し、それまで製造していた2.5インチ以下及びエンタープライズ向け3.5インチのハードディスクに加えクライアント向け3.5インチのハードディスクの製造も開始した[ 161] 。なお、ウェスタン・デジタルには東芝ストレージデバイス株式会社の子会社で2011年のタイにおける洪水 で被災し休止している生産子会社の東芝ストレージデバイス・タイ社を譲渡(2009年に富士通より取得した製造拠点、ウェスタン・デジタルが取得した後の処遇は未定だが、人員はウェスタン・デジタルのタイにおける生産拠点に統合する予定[ 160] 。)した。前者の案件は「ハードディスク全分野の製品の提供」と「ストレージ事業のさらなる強化」のため、後者は「生産拠点の集約による効率化」のため、との発表を行った[ 23] [ 24] 。
電子管
東芝製Hi-Fi真空管(6BM8)
電子部品関係では、戦前の1930年頃〜1960年頃まで「マツダ 」ブランドが付けられた真空管 への需要が高かった。
2016年12月、マイクロ波管や送信管などの電子管 を生産していた子会社の東芝電子管デバイスはキヤノン に買収された(現・キヤノン電子管デバイス)[ 162] 。
半導体
現在はパワー半導体などのディスクリート半導体、アナログIC、そしてマイコンについてはモーター制御用製品の開発・生産を行っている。
DRAM
メモリー では、1985年 に世界初となる1メガビットCMOS のDRAM を開発。メモリー開発分野で世界トップとなった。だが、1990年代に入ってから韓国など海外に技術者が流出し、DRAMではサムスン電子 にシェアを奪われた。当初は半導体技術者 が、サムスン電子に技術情報をリークしていたが、後に東芝が公式に技術提供を行うようになった。この結果、東芝はマーケットシェアを失い、2002年 にはDRAM事業から撤退することとなった[ 163] 。
フラッシュメモリ
フラッシュメモリ に関しては、当時東芝の舛岡富士雄 が1980年 (昭和55年)に発明し、続いて1984年にNOR型、更に1986年 には大容量化が容易なNAND型も開発している。しかし東芝はDRAMの高度化に集中していたため、ライセンスを受けて全社的に投資した米インテル に市場シェアを失うこととなった。以降東芝も本格的に参入したが技術ライセンシングを止めなかった結果、米韓メーカーを筆頭に競合が増えて利潤を得るのは難しく、2000年 よりは米サンデイスク 社(現・ウェスタンデジタル 傘下)と提携して共同で設備投資を行ってきた。
2015年に発覚した粉飾決算事件 以降、事業部門を東芝メモリ(現・キオクシア )として分社化し、過半数の株式を売却している。
プロセッサ
CPU では、古くは1973年 にフォード 社からエンジン制御用マイコン の開発依頼を受けてTLCS-12 という世界初のワンチップ12ビットマイコンを自社開発した。フォードの環境テストに合格し、市販車にはじめて搭載されたCPUであった。90年代末には、ソニー・コンピュータエンタテインメント と共同でPlayStation 2 用のCPU「Emotion Engine 」を開発した。その協力関係は、PlayStation 3 用のCPU「Cell 」開発で続いていた。画像認識プロセッサでは『Viscontti』を開発していた。これらの製品からは2020年 を最後にすでに撤退が発表されており、継続開発は行われていない[ 164] 。
イメージセンサー
競合他社と比べてCMOSセンサー へ早く移行し、小型の先端製品で上位の市場シェアを持っていたが、2015年に一部の産業向け製品を外してソニー に事業譲渡することにより、撤退した[ 165] 。
量子デバイス
量子力学 の性質を活用する次世代デバイス全般の基礎研究・開発を傘下の研究開発センターで継続しており、2010年代後半からは事業化されている。
量子計算機 では、量子焼きなまし法 で最適化問題 を解く新たなアルゴリズム を元に開発した「シミュレーテッド(模擬)分岐マシン」の事業化を2020年に始めた[ 166] 。量子暗号 通信に関しては、世界最多の特許を擁する。2020年に欧米と日本で事業化に着手し、2021年には子会社の東芝デジタルソリューションズ に同事業を移管した[ 167] 。
光量子 の発生などに使われる量子ドット の研究も早くから着手し、新しい発光ダイオード や記録媒体を開発している。
放送機器
放送用音響機器等
1937年 - NHK放送技術研究所の依頼で、RCA社の特許を使用して国産ベロシティーマイクロホン(VI-345A型・通称Aベロ)を生産。その後、国産ベロシティーマイクロホンを数々手がけて、民放の誕生時には放送機器の製造を始じめ昭和40年代まで放送用音響機器を生産。日本のテレビ放送黎明期にはテレビカメラや送出装置、送信機を始めとする東芝製の放送機材が全国の民放放送局に納入された。
東芝社内で「APC装置」と呼ばれているテレビマスター を作っており、主にフジテレビ (地上波・BS・CSの3波統合型マスターを導入[ 注 7] )やFNN ・FNS 系列局(NNN・NNSクロスネット局のテレビ大分 を含む[ 注 8] )、BSデジタル放送局又は地上デジタル放送各局を中心に多数納入している他、放送大学 [ 注 9] にも納入している。
その他、ラジオマスター、テレビ・ラジオの送信機やサテライト装置(中継装置)なども製造していて、一部の機器(GFシリーズ )については、グループ会社の池上通信機 と共同で商品展開を行っている。かつてはテレビカメラやハイビジョンVTR(D6-VTR )も製造していたほか、NHK にもAPC装置を納入していたが、現在は地方局のラジオ運行装置のみである。
重電機
重電部門では、発電用のタービン 、発電機 、復水器 、原子炉 などの大型機器を製造する他、ゼネラル・エレクトリック(GE)社 からライセンスを受け、日立製作所 と共に日本における沸騰水型原子炉 (BWR)のサプライヤーとして東京電力 をはじめとする日本の発電事業者にBWRを販売しているほか、小型モジュール炉 (4S (原子炉) など)の開発も進めている。GE社とは核燃料の製造販売や将来型原子炉の共同研究などを通じて深い繋がりがある。
また2005年 に発表された英国核燃料(BNFL)社 によるウェスティングハウス(WH)社 の原子力部門売却に応札し、落札に成功した。世界中の商用原子炉の約半分の制作に関わったWH社は加圧水型原子炉 (PWR)の世界的メーカーとして知られており、発電炉の主流としてPWRを据える欧州などに販路が広がる可能性が期待された。これにより世界一の原子炉メーカーとしての地位を得たが、結果的に東芝全体の経営危機に繋がる多大な負債を作り出した。2017年にWHは連邦破産法を申請し、2018年には東芝よりカナダの投資ファンド・ブルックフィールド への売却が決定された。
2016年には独自の産業用モノのインターネット (IIoT)基盤である「SPINEX」を開始した[ 168] 。
計測機器
精密級複合計器(東京電力)向け 電力量計、無効電力量計、需要電力計を内蔵した電子式。大口需要家に設置されている。
電力会社向け電力量計 ・スマートメーター を開発・製造している。2011年のスイス 同業・ランティス・ギア の買収により世界最大の電力量計メーカーとなったが、2017年に同社を売却している[ 169] 。
防衛関連機器
防衛省 関連の製品として、地対空ミサイル ・レーダー などを開発・製造している。
鉄道車両
2017年 (平成19年)7月1日以降、鉄道事業は東芝インフラシステムズ に分社化されている[ 171] 。
府中事業所 では鉄道車両 (ただし、電気機関車 と、電車 用VVVFインバータ制御装置 や空調 、補助電源 、電動機 、主制御器 、マスター・コントローラー 、列車選別装置 などの電装 品 のみ)も手掛けており、日本では総合車両製作所 、日本車輛製造 、近畿車輛 、川崎重工業 、アルナ車両 の各車両メーカー 、阪急電鉄 /阪神電気鉄道 (神戸電鉄 を除く阪急阪神東宝グループ 、特に神宝線 )などの各鉄道事業者 や、東海旅客鉄道 (JR東海)、西日本旅客鉄道 (JR西日本)などのJR グループ各社をメインユーザーとする。また、小田急電鉄 では小田急ロマンスカー (特急車、60000形 まで)のみ制御装置を東芝製としている事例もある。
日本では、とりわけ、静止形インバータ (SIV)において納入実績が非常に多い。
電装品では日本では初めてIGBT 素子 を用いたVVVFインバータ制御装置を製造(営団06系電車 を参照)した。また国鉄103系 (試験用改造車 )やJR東日本E331系 などで見られるDDM や、東京メトロ16000系 や阪急新1000系 、阪神5700系 などが採用している永久磁石同期電動機 などの新技術の開発も行っている。
府中工場内には元国鉄103系電車2両が試験用として存在している。
鉄道車両との関りは古く、電車に初めて主電動機・制御装置を製作したのは、芝浦製作所時代の1899年 (明治 32年)のことである[ 172] 。機関車事業は1923年 (大正 12年)8月、伊那電気鉄道 デキ1形 に電機品を納めたのが最初で、車体を含む機関車一式は1926年 (大正15年)11月製造の南満州鉄道 撫順炭鉱 向け73 t電気機関車2両が最初となる[ 172] [ 173] 。戦前は南満州鉄道のほか、昭和製鋼所 (満州国 )など外地向けに加えて、EF52形 、EF10形 、ED42形 など多数の電気機関車を製造した[ 172] [ 173] 。
戦後はEF58形 、EH10形 、EF60形 、EF63形 、EF65形 、ED61形 (のちにED62形 に改造された)、ED72形 、ED73形 、ED75形 などを製造したほか、電気式 ディーゼル機関車 のDF50 にも東芝製が存在した。2000年代以降は、JR貨物向けの機関車を製造しているのは東芝と川崎重工業[ 注 10] のみである。
また、東芝標準形といわれる凸形車体(センターキャブ形)の電気機関車を製造しており、数多くの機関車が各地の私鉄 に納入されている。また、中には国鉄に買収された機関車(買収電機)もある。代表的なものでは、ED35形 、ED37形 などがある。1990年代以降は日本ではEH10形 以来となる二車体8軸電気機関車・EH500形 やEH200形 、ハイブリッド機関車であるHD300形 、電気式ディーゼル機関車であるDF200形 のインバータ制御装置部、中国 やアイルランド などの日本国外向け電気機関車などを製造している。
かつてはJRからED76形 電気機関車を譲り受け、1048(とうしば)号と改番し、VVVFインバータ制御の試作車 として試験を実施した。このほか、中国では大連機車車輛 (旧・南満州鉄道 沙河口工場)と合弁会社 を設立する等、積極的に日本国外へ進出している。
また鉄道車両以外では自動券売機 や自動改札機 などの駅務機器 から、電力設備や電子連動装置なども手がけている。
別のグループへ継承して製造している製品
2015年の東芝グループの経営危機に伴い、社内カンパニーを分割し、関係子会社の売却を進めた。売却を行った後も承継会社にて東芝ブランド製品をそのまま継続して使用できる契約を結んでいる。
薄型テレビ
継承会社:東芝映像ソリューション株式会社→TVS REGZA 株式会社(中国・ハイセンス 傘下)
東芝の薄型テレビ はハードディスクやネットワークと連携しテレビの映像を簡単に録画できる液晶テレビ「REGZA 」を主軸とし、これまで低かった同社の液晶テレビのシェア率を徐々に伸ばしたが、2008年度の国内の液晶テレビシェアは12%で4位であった。
2009年 、中国で液晶テレビの不具合が多発、集団訴訟がおきている[ 174] 。次世代の薄型大画面テレビではSED 方式をキヤノン との合弁会社により共同開発するも、東芝の出資会社であることに特許係争先の米Nano-Proprietary社が難色を示し、問題の早期解決を図るため東芝としての出資分をすべてキヤノンに売却した。しかし東芝からの従業員の出向は継続しており、SED方式のテレビは東芝からも発売を行う予定としている。
ここ数年は海外メーカーとの激しい価格競争が続いており、東芝は2015年、映像事業を抜本的に見直し、今後は画質や録画機能に関して高い評価と安定したシェアを持つ国内市場に注力し、4K テレビを中心とした高画質モデルの自社開発・販売を継続していくことを明らかにした。海外市場については台湾コンパル社や中国スカイワース社へのブランド供与型ビジネスへ移行する。
レコーダ・プレーヤー
継承会社:東芝映像ソリューション株式会社→
TVS REGZA 株式会社(中国・ハイセンス傘下)
1996年11月に世界初の家庭用DVDプレーヤーSD-3000を発売[ 175] 。DVDとBDのプレイヤーを引き続き販売している。
HDD&DVDレコーダでは2001年 、世界に先がけ製品化(RD-2000)、RD-Style として次々と新機種を発売。バグ 、動作速度、機能性ともに順次改良されてゆく。その後、地上デジタル放送 に対応するためシステムを一新し、ブランド名を「VARDIA (ヴァルディア)」に変更。
NECとともに HD DVD を開発、ソニーの Blu-ray Disc (BD)と熾烈な規格争いを繰り広げるも、2008年2月19日 、BDとの規格争い に破れ撤退を発表。損失処理に必要な金額は1000億円以上とされている。詳細はHD DVD#東芝の撤退発表後の各業界の動き を参照。
2009年8月10日 、BD参入に向けてブルーレイ・ディスク・アソシエーション(BDA)への申請しているが、「BDに負けたら土下座 をする」と発言した、当時のDM社社長藤井美英の土下座は行われておらず[ 176] 、東芝側から土下座発言についての見解は一切出ていない。
その後、東芝は正式にBD陣営に参入、先にBDドライブ搭載の「dynabook 」(ノートパソコン )を発売。さらに、2010年 2月にBlu-ray対応レコーダー「VARDIA」 を発売。その年の9月にVARDIAからREGZA へとブランド名を変更し発売した。REGZAブルーレイは、3D に対応した機種が東芝では初の発売となった。
オーディオ
承継会社:東芝ライフスタイル 株式会社(中国・美的集団 傘下)
かつては「ボストン」や「Aurex (オーレックス)」のブランドでオーディオ 商品を展開していた。また、ゼネラルオーディオの分野では、80年代初めから半ばにかけ、ヘッドホンステレオ「Walky(ウォーキー)」や、ラジカセ「SUGAR(シュガー)」といった人気ブランドを擁していた。しかし、90年代初めには東芝本体の経営方針転換により、オーディオの自主開発を中止。順次ケンウッド やシャープ のOEM に切り替わった後、それらの販売終了と共に東芝ブランドのオーディオは一旦市場から消えた。
2002年、ハードディスク搭載のMP3プレイヤーgigabeat を発売し、東芝ブランドのオーディオ製品が約10年ぶりに復活した。このgigabeatは2007年まで5年間発売されていた。また、マイクロソフト が販売していたMP3プレイヤーZune (日本公式未発売)のハードウェアの開発・製造も同時期に行っていた。
なお、2003年からゼネラルオーディオ分野においても、グループ会社の東芝エルイートレーディング が企画・調達する形で、CDラジカセ 、ラジオ 、スピーカー システムといった製品ラインナップが復活。東芝ブランド製品として家電量販店や系列の家電品販売店「東芝ストア 」で販売している。2016年、更に機種を増やし、26年ぶりとなる「Aurex」を冠したハイレゾ 対応卓上型CDパーソナルシステムも発売。
白物家電
承継会社:東芝ライフスタイル 株式会社(中国・美的集団 傘下)
コンピュータ、パソコン
世界初の日本語ワープロ JW-10
Toshiba Satellite A300
承継会社:東芝クライアントソリューション 株式会社→Dynabook 株式会社(シャープ 完全子会社)
コンピュータ に関しては、1950年代に真空管 を使用したTAC のハードウェア開発を発端とし、TOSBAC の名で製品をリリースしていた。
また国策として日本電気 (NEC)と共に、メインフレーム を製造(ACOS シリーズ77、実際にはACOS-6 シリーズ)していたが、比較的早い時期に撤退した。日本電気と共同で設立したSI会社、「日電東芝情報システム」(のちに、NEC東芝情報システム、通称NTIS)で、ACOSシリーズのSI事業を中心にした事業を行なっていたが、2004年 4月に東芝との合弁を解消した。
Unix サーバ・ワークステーションとして、Sun Microsystems 社の製品をOEM での販売をしていた。大・中規模サーバ系(Sun Enterpriseなど)は UX series、デスクトップサーバ・ワークステーションは AS series というブランドであった。ASシリーズでラップトップワークステーションの開発および販売も行っていた。
パーソナルコンピュータ では、8ビット機として「PASOPIA」(パソピア )シリーズ、16ビット機として「PASOPIA16」、独自に日本語化したラップトップ型PC/AT互換機 「J-3100 」シリーズ、ノート型のPC では「DynaBook」(ダイナブック (現在は「dynabook」)。海外向けはSatellite)を開発し、1993年 から2000年 までノートPCシェア7年連続世界1位となった。また、「Libretto」(リブレット )の人気が高かった。デスクトップPC については企業向けのEQUIUM (エクィアム)を除き生産を終了した。
また、2007年度のノートPC世界出荷台数は1270万台、当時のシェアは9.0%であり、2.5型、1.8型のHDD を他社へ販売していた。また、青梅事業所は、日本語 ワープロ の国産第1号機 (JW-10 ) を開発した。この経緯はNHK のプロジェクトX〜挑戦者たち〜 で取り上げられた。青梅事業所は、2015年 に閉鎖・売却された。
他にも、企業向けにTOSWORD(トスワード)、個人向けにはRupo (ルポ)シリーズを販売した。名称としての「Rupo」は、東芝製携帯電話の文字変換ソフトとして2005年 まで使われていた。
2015年 の売上高は6663億円となり、赤字が続いていた。2015年12月に富士通 とVAIO との3社によるパソコン事業を統合する検討に入ったと報じられ、実現すれば日本シェア首位のパソコン企業が誕生する[ 177] ところであったが、2016年4月に統合交渉は白紙に戻った[ 178] 。2018年、東芝クライアントソリューションの株式80.1%をシャープ に売却し、2020年に残り全ての株式も売却[ 92] 。パソコン事業からは完全撤退した。
携帯電話
承継会社:富士通東芝モバイルコミュニケーションズ 株式会社→富士通モバイルコミュニケーションズ 株式会社→FCNT 株式会社
携帯電話 では、自社製の高性能3Dグラフィックアクセラレータ 「MOBILE TURBO T4G」(一部のワンセグ対応機種は「MOBILE TURBO T5GP」が搭載される)を多くの機種に搭載していた。また、グループ企業である東芝モバイルディスプレイ(旧・東芝松下ディスプレイテクノロジー)社製のポリシリコンTFT液晶ディスプレイもユーザーからの評判が高かった。
携帯電話で初めて搭載した機能は、J-フォン(現:ソフトバンクモバイル )のJ-T08(2002年12月発売)のQVGA 液晶や、au のA5304T(2003年2月発売)のアプリをダウンロードできるBREW 、auのMUSIC-HDD W41T (2006年2月発売)の0.85インチHDD、auのW56T の「KCP+ 」によるマルチプレイウインドゥ 機能がある(2008年2月発売。同社のW56Tの実質的な兄弟機種のソニー・エリクソン・モバイルコミュニケーションズ 製端末W54S と同時発売。ただし、日本語入力システムなどの機能が一部異なる。KCP+のオペレーティングシステム はKDDIテクノロジー および三洋電機 (大阪、現・京セラ SANYOブランド)との共同開発である)。
撤退時は、NTTドコモ 、KDDI /沖縄セルラー電話 の各auブランド(旧:IDO /DDIセルラー )、ソフトバンクモバイル (旧:デジタルフォン/デジタルツーカー → J-PHONE → ボーダフォン(日本))、ウィルコム (旧・DDIポケット)、イー・モバイル の5つの携帯・PHS全キャリアに端末を供給していた。このうち、NTTドコモ向けには、T2101V 以降7年間端末供給が途絶えていたが、2009年 6月20日 にdocomo PRO series として発売されたスマートフォン のT-01A で供給が再開された。しかし発売直後に一部の地域にダイヤル不具合が発覚し、発売を一時中止することとなった[ 179] 。
かつてはツーカー 向けにも端末を供給していたが、ツーカーのサービス終了に伴い、供給を停止している。2008年2月には、イー・モバイルにも参入する事を発表した(イー・モバイル向けの第1号機は音声用端末の「H11T 」)しており、ドコモへの再参入により、事実上東芝はシャープ と同様、携帯・PHS全キャリアに端末を供給する事となった。すでにサービスを終了したキャリア(ツーカー・アステル ・ドコモPHS )を含めた全キャリアに供給実績があるのは唯一、東芝だけである。ただし、ドコモに参入していない状態が長く続いたため、2008年上半期時点の国内出荷台数に占めるシェアは5位と低迷している[ 180] 。
ソフトバンクモバイル向け端末には待ち受けキャラクターとして「くーまん 」が採用されており、またau向け端末にはW53T 以降のCDMA 1X WIN 対応端末には待ち受けキャラクターとして「トウシバ犬」が採用され、このうちbiblio とT002 に限り待ち受けキャラクターとして「デコレ村ソーダ 」が採用されていた。
2008年4月よりスタートしたドラマ『ケータイ捜査官7 』では、同社製の『SoftBank 815T 』が改造され人工知能が付いた携帯電話が登場する。その後、SoftBankから『フォンブレイバー 815T PB』として発売されている。また、製作にも協力している。
日立製作所がハイエンド機に力を入れているのに対して、東芝は普及型端末からハイエンド (高機能)機まで(ただし、au向けの機種は法人向け音声用端末のE08T 、およびIS02 、E31T などのスマートフォンを含む2008年以降の機種よりKCP+並びにKCP3.0 の関係上、ほぼ高機能機のみの展開となっている)幅広く手がけていた。一方ソフトバンクモバイル向け端末では国際ローミングに消極的な姿勢を見せており、2007年 夏モデル以降はスマートフォンのX01T以外の全機種が国際ローミング非対応となってしまった。2008年夏モデルでは3Gローミングのみ対応(GSM 非対応)となっている。
PHSはアステル グループとウィルコム (旧・DDIポケット)に端末を供給。2001年 に発売のDL-B01以降供給が止まっていたが2007年 にWX320T でウィルコムに再参入。そちらのUI は日本無線 と共通の物となっている。
2009年 5月20日 、東京都 日野市 の日野工場での携帯電話製造を同年10月に打ち切り、日本国内での携帯電話生産を終了する事を発表した[ 注 11] 。また、全機種を海外で生産し、その内自社生産分は、中国 で生産するスマートフォン のみとなっている[ 181] 。
2010年 6月17日 、携帯電話事業を富士通 と統合させることを発表した。同年10月1日 に、富士通と新会社「富士通東芝モバイルコミュニケーションズ株式会社 」(FTML)を設立し、東芝の当該部門のみを受け皿とする[ 182] [ 183] [ 184] 。
2012年 4月1日 、東芝出資分の富士通東芝モバイルの株式を富士通に売却し、携帯電話事業から撤退した[ 27] 。それに伴い富士通東芝モバイルコミュニケーションズは「富士通モバイルコミュニケーションズ 株式会社 」(FMC)に改称した。
略号は(FTML製造の東芝ブランド分含め)「T」または「TS」(後者はNTTドコモのPDC端末のみで使用)。
2018年 10月1日 、親会社である富士通コネクテッドテクノロジーズ 株式会社が富士通モバイルコミュニケーションズ を統合する。
2021年 4月1日、富士通コネクテッドテクノロジーズ が社名を変更し、FCNT株式会社となる。
東芝携帯電話CMのイメージキャラクター
医療機器
承継会社:東芝メディカルシステムズ株式会社→キヤノンメディカルシステムズ 株式会社
東芝グループでの社会・インフラ部門の中核をなし、東芝グループ内での評価は高かった。子会社であった東芝メディカルシステムズは、特にX線CT では、海外メーカー(フィリップス 、シーメンス 、GE )と並ぶ代表メーカーだった。CTの日本でのシェアは1位であったが[ 注 12] 、2016年 3月17日に全株式をキヤノン に事業譲渡し撤退、東芝メディカルシステムズの社名自体も、2018年1月4日にキヤノンメディカルシステムズ へ商号変更。
内視鏡 の販売部門は2002年 4月、フジノン との合弁としてフジノン東芝ESシステム を設立。2009年 には、出資していた40%の全株式を富士フイルム に譲渡した。富士フイルム との協力関係は継続している。
エンターテインメント
承継会社:東芝EMI 株式会社→株式会社博報堂DYミュージック&ピクチャーズ
東芝は日本の電機メーカーではソニー と並んでエンターテインメント分野 に積極的に取り組み、音楽や映像で家電製品とのシナジー効果が目指された。
音楽 ソフト(レコード )部門は1960年 10月1日 に東芝音楽工業株式会社として分離独立し、同社は米国のキャピトルEMI の出資を経て1973年 10月1日 に東芝EMI株式会社と社名を変更した(正式社名は東芝イーエムアイ株式会社)。また、2003年 10月1日 にアミューズ よりアミューズピクチャーズを買収して東芝エンタテインメントと社名を変更し、ワーナー・ブラザース に資本参加するなど、映画の制作・配給分野にも進出した。かつてはワーナー・ブラザースと日本テレビ の合弁企業「トワーニ 」を設立したが、解散している。
東芝は三井グループ内では独立色の強い企業ではあったが、戦前の三井財閥 時代から「軽工業 や第三次産業 (エンターテインメント産業は第三次産業に属する)には強いが、重化学工業 には弱い」といわれてきた三井にとって東芝及び東芝傘下の東芝EMIや東芝エンタテインメントを通じてエンターテインメント産業に力を注ぐことは「エンターテインメントに強い三井」のアピールとなるため、2000年代 前半までは東芝は三井グループの一員として、この色彩を強めるものと考えられていた。
しかしその後、東芝本体は経営資源を主力となっている半導体事業や原子力事業に集中し、中核ではないコンテンツ・エンターテインメント分野などの事業は他の事業との相乗効果が見られないと判断、切り離す方針を採る。2006年 12月にはこの方針と英EMIグループ の日本事業強化に伴う株式買い取り提案とが合致し、2007年度上半期中に保有する東芝EMI株をEMIグループに全株売却し、音楽事業から撤退すると発表(譲渡後、同年6月30日 付で社名を「株式会社EMIミュージック・ジャパン 」に変更)[ 注 13] 、更に2007年4月には東芝エンタテインメントの全株式を、5月1日 付で博報堂DYメディアパートナーズ に譲渡すると発表(譲渡後、同年6月1日 付で社名を株式会社ショウゲート (現・博報堂DYミュージック&ピクチャーズ)に変更)し、エンターテインメント分野からは完全撤退をすることとなった。
過去に2本、東芝自身が製作委員会に参加したテレビアニメ 作品がある(下記 参照)。
2012年1月26日に電子ブックリーダー『Book Place』という製品を発売しており、BookPlaceストアという電子書籍書店をBookLive と協業していたが、2013年 4月4日 、新たに『BookPlace Cloud Innovations』という直営ストアを開店。BookPlace MONOというE-Ink 搭載端末を販売したが、2015年にサービス全体はU-NEXT に譲渡された。
ほぼ完全にエンターテインメント分野と手が切れた形だが、同社のテレビ、レグザではクラウド録画機能「みるコレ」の拡充で角川書店 などのアニメ作品などと提携するなどして細々とコンテンツ業界との関係は維持している。
空調
承継会社:東芝キヤリア 株式会社
東芝のビルソリューション事業の中核事業であった。2022年8月1日に合弁先であった米 キヤリア に売却した。[ 185]
なお、家庭用ルームエアコンはすでに東芝ライフスタイル 売却に伴い、中国・美的集団 傘下。
主な製品ブランド
子会社のブランドを含む。
現行
E-CORE(イー・コア) - LED 照明器具・LED電球
メロウホワイト / メロウ5 / メロウZ / メロウZ ロングライフ / メロウZ PRIDE - 蛍光ランプ
ネオスリムZ / ネオスリムZ PRIDE - 高周波点灯専用蛍光ランプ
ネオボールZ / ネオボールZリアル / ネオボールZリアルPRIDE - 電球型蛍光灯
CANVIO(キャンビオ) - 外付けハードディスク
EXCERIA(エクセリア) - プレミアム系SDメモリーカード
MAGNIA(マグニア) - IAサーバー
e-STUDIO(イー・スタジオ) - 複合機
Dynario(ダイナリオ) - モバイル燃料電池
CuteBeat(キュートビート) - CDラジオカセット
Aurex - ハイレゾ 対応プレミアム系パーソナルCDシステム[ 注 14]
RENECAT(ルネキャット) - 酸化タングステン を使用した可視光 応答型光触媒
過去
TRY-X - BCLラジオ受信機、「SOUND750」の後継機。
SOUND750(サウンドナナハン) - BCLラジオ受信機、1973年にはテレビ音声が受信できるタイプも発売された。
アラカルト - 電子レンジ
置けちゃうビッグ - 大型冷凍冷蔵庫
置けちゃうスリム - 中型冷凍冷蔵庫
鮮蔵庫 - 冷凍冷蔵庫。 「リーチin保湿鮮蔵庫」、「the鮮蔵庫」、「theノンフロン鮮蔵庫」、「光プラズマ鮮蔵庫」など、世代や型番によりバリエーションがあった。
プラズマ鮮蔵 - 冷凍冷蔵庫
グラシーオ - 大型冷凍冷蔵庫
みはりばん庫 - 冷凍冷蔵庫
かわりばん庫 - 冷凍冷蔵庫
野菜収納名人 / まるごと鮮度名人 - 冷凍冷蔵庫
I wish - 小型冷凍冷蔵庫
快速冷凍 - 東京芝浦電気時代の冷蔵庫。1982年。
優凍生セレクト
冷吉 - 冷凍庫
北斗星 - 冷凍冷蔵庫
Great北斗星 - 1975年頃製造。また縦に大型なGreat北斗星なる製品もあった。3段で一番下はワンタッチ式の開閉可能な野菜室、直冷式。
クリアーナ北斗星 - 1970年代製造。快速冷凍ボタン装備。
IC快速冷凍冷蔵庫
プラスワン - 下段収納庫が付いた冷蔵庫。
フリーザーMAX - 1965年発売の1ドア冷凍冷蔵庫。
Dailycook(デイリークック) - オーブンレンジ
クックモア - 1979年頃製造。反射ガラスを搭載したオーブン
クロワッサン - 1979年頃製造。自家製パン調理器具
剛熱かまど炊き - IH保温釜
鍛造はずみ炊き - IH保温釜
マイコン - 保温釜
かまど炊き風 - 保温釜。1970年代製造。
真空ひたし圧力かまど炊き / 真空ひたしかまど炊き / 真空圧力炊き / 真空炊き - 真空IH保温釜
一品削り出し本丸釜 - 真空圧力IH保温釜
圧力仕込み - 圧力 IH保温釜
銀河 - 洗濯機。世代や型番、洗濯機のタイプにより「S-DD銀河」・「快速銀河21」・「DDインバーター銀河」・「シャワーリンス銀河」など違う名称を用いていた。
ザ・トップインドラム / ザ・フロントインドラム - ドラム式洗濯乾燥機
ハイブリッドドラム / エアコンサイクルドラム S-DD SOLA - ドラム式洗濯乾燥機。「ハイブリッドドラム」でも S-DD WIND を記したモデルがあった。
最洗ターン - 1980年代後半に登場した洗濯機。それまでドラムに付いていた服を回転させる羽根が無い仕様。
エアロサイクロン - サイクロンクリーナー
コードがゼロ - コードレスマジックサイクロンクリーナー
Typhoon Robo / Typhoon Robo XP / Typhoon Robo Pack - クリーナー
強と清 - クリーナー
排気がゼロ - 排気循環式クリーナー
ひっぱれー - ロールフィルター内蔵型台所用換気扇。
守礼 - 沖縄地区限定販売のエアコン。cmのナレーターが横沢啓子 。
やすらぎ - 電気毛布
ホッカー - ホットカーペット
かなりや、うぐいす、かっこう、めじろ - 「マツダ」ブランドとして製造販売された真空管式ラジオ。1962年から東芝ブランドに変更。
しゃくなげ、金魚草、風鈴草ほか - 1950年代〜1967年に発売した扇風機。機種ごとに花の名前がつけられていた。1964年ごろのモデルより首の部分がボタンひとつで伸縮可能な「リモートアップ」、分刻みのタイマーで自動的に電源が切れる「タイムスイッチ」、底部の四隅に内蔵された車輪あるいは底部の真ん中に内蔵されたターンテーブルにより本体ごと向きを変えられる「ロータリーベース」が採用されるようになった。
CRYSTAL ZEPHYR - 1968年頃〜1970年頃に発売された扇風機。「リモートアップ」や「タイムスイッチ」が引き続き採用されたが、「ロータリーベース」のみこのモデルを以て廃止された。
Quie - 低騒音型クリーナー
Mega Wheel(メガホイール) - 紙パック式クリーナー。低騒音仕様の最上位機種として「Mega Wheel type Quie」も発売されていた。
Smarbo(スマーボ) - ロボットクリーナー。
木かげ(こかげ) - エアコン
輝き仕上げ - 食器洗い乾燥機
ふんわり - 1970年代に登場した衣類乾燥機
マイナスイオン速清快・空気の戦士・臭わんニャー - 空気清浄機
GigaEnergy - ニッケル一次電池
ULTRA Z - アルカリ乾電池
UNICAD - ニッケル・カドミウム蓄電池 。ニッケル水素電池への移行に伴い廃止。
Electrolux by Toshiba - 白物家電。スウェーデン エレクトロラックス 社とのコラボレーションブランド。2006年 (平成18年)の3月末に販売終了。
ユニカラー - 1965年 - 1971年に製造されたブラウン管カラーテレビ。
ICブライトロン - 1971年 - 1975年に製造されたブラウン管カラーテレビ。
ブラックストライプ - 1975年 - 1979年頃まで製造されたブラウン管カラーテレビ。初代イメージキャラクターは桂三枝(現:六代目桂文枝 )が務めた。
BAZOOKA - ブラウン管テレビ
CORE - 1982〜1985年頃まで発売されたブラウン管カラーテレビ。RGB端子などが備わったニューメディア対応型。
Premage(プリマージュ) - 1980年代に製造されたブラウン管カラーテレビ。見たい番組の時間が来ると電源が自動で入る仕組み。その後、東芝テックのコピー機などのブランドとしても用いられた。
FACE - 液晶テレビ/ブラウン管テレビ/プラズマテレビ
ときめきの色 - 1970年代製造のカラーテレビ
スペースイン18 - カラーテレビ
サーボビジョン - ステレオテレビ、FM付。後発でFMチューナーも装備された。
ぱっちりセンサー - デジタルタイマー付き。
カンタロウ - 初心者向けHDD/DVDレコーダー。その後「VARDIA」に統合された。
RD-Style /W録 - HD DVD /HDD/DVDレコーダー。「W録」は機能名として現在も用いられる。
ホームスクリーン45 - ビデオプロジェクター
gigashot - HDDビデオカメラ
BomBeat - ラジオカセット、1970年代製造。ひとりはテープ、ひとりはラジオを同時に聞ける仕様。
Walky - ステレオカセットプレイヤー。チューナー(初期の機種はカセット型チューナーパック式)や録音機能、再生EQ、メタルテープ対応等の高機能製品が存在し、今もなお人気があり故障品であってもオークションでの取引も盛ん。このシリーズかは不明だがステレオマイクロカセットプレイヤーも存在していた。
Tweety - 「Walky」の後継機。機械式の安価なカセットプレーヤーのみのラインナップであった。
SUGAR - 1980年代後期発売のラジオカセットレコーダー
ヒットパレード - 小型カラオケ 用8トラック プレイヤー。このシリーズ以外にも各メーカーが発売していた木箱の大型カラオケ8トラック・カセットも発売していた。
gigabeat - HDDオーディオプレーヤー
BREZZA - 個人向けデスクトップパソコン
Qosmio - ノートパソコン
Libretto - ノートパソコン。一部海外ではdynabookが統合。
GENIO e - PDA ・ポケットPC
dynapocket - NTTドコモ ・au ・ソフトバンクモバイル 向け各スマートフォン
Trance Cube - ワイヤレスステーション
Rupo - パーソナルワープロ
ジュースメーカー
SPOT - ファクシミリ
miro - ファクシミリ
風のイマージュ - 扇風機
uLos(ウルオス) - 加湿機能付空気清浄機(CAF-KP40X/KP50X)、気化 式加湿器 (KA-P30X/P50X/P70X)に用いる。ファン(ターボ・ブロワーファン)まですべて外してお手入れできる独自の「実感クリーン構造」を採用。
Sora - デジタルカメラ
モバビジョン - モバイル放送 受信機
VIEWSTAR - ベータ方式後期・VHS方式初期のビデオデッキ
ARENA - VHS方式中・後期のビデオデッキ、DVD&VHSデッキ、8ミリビデオ もあった。
VARDIA - HD DVDレコーダー・ハイビジョンレコーダー・ブルーレイレコーダー/プレーヤー
ポータロウ - ポータブルDVDプレーヤー
ビュースター - 1980年代製造のポータブルビデオ。逆転スロー再生が可能だった。人気シリーズのため、種類の豊富で、10年以上の長期渡って製造された。
ハイピクチャー - HiFiビデオ
マイドリーム - ビデオディスクプレーヤー
COPIX - 電子ファクシミリ。15秒の高速転送とワンタッチ式操作が売り。
デジタル - ビデオレコーダー
レオドライ - PPC電子複写機。
ペルシャム - ホットカーペット
ツインカラー - 複写機
HOTLAND - ファンヒーター
カラットキーパー - 写真 用品向け防湿庫。写真家 の間では東洋リビングの防湿庫と人気を二分していた。他にも明暗を切り替えられる暗室電球も生産していた。
カスタム、コンピュータ×××(×には機種名が入る) - カメラ用フラッシュ
TOSFile - コンピュータ用記憶装置。1979年 (昭和54年)に発売され、30cm大の光ディスクにレーザースキャン で読み取った画像を保存可能であった。光ディスクの容量は約1GB。他社にも似た記憶装置があったが、互換性はない。
TOSWORD - 文字記録装置。
TOSBAC漢字システム15 - 漢字記録装置。
週録ビデオ - 多機能録画装置。
ノイズレス - NHK との共同開発。点灯時におけるテレビ・ラジオの雑音を防ぐ蛍光灯。
マジック - 家庭用電気掃除機
ヤング・セブン - 1964年頃に製造販売されたトランジスタラジオ、ジェリー藤尾 によるイメージソングは東芝音楽工業よりレコード化もされた。
ランドリエ - 家庭用衣類乾燥機。
ボストン - セパレートステレオ装置
アクタス - ポータブルラジオ
カレッジエース - テープレコーダー
リズミー - ポータブル電蓄、ポータブルステレオ電蓄
ミエロン - 1970年代後半~80年代前半に製造販売されたスチームアイロン。カセット式の中身が見える水タンクが特徴。
クリフティ - 1970年代末に登場した石油暖房器具。
ドライ7 - 1970年代に製造された除湿温風乾燥機。多機能で布団や衣類、押入れも乾燥できた。
ネオブルー - 1970年代製造。体温計。目盛りが赤かではなく青なので体温をはっきりと読み取りやすかった。
メロウルック - 1970年代製造の蛍光ランプ
ダストロン - 掃除機。ワンタッチでゴミをゴミ箱に捨てられる。
ミセスコート - 1980年代初頭製造の換気扇
ZOLVA - 1980年代初頭に登場した電気シェーバー。回転式と往復式が存在した。
ズボンプレッサー - ズボン畳める
くるりん - 女性用カールブラシ
インテリアAV - カラーテレビ
PASOPIA7 - パーソナルコンピュータ
やぐらこたつ - 1960年代〜1970年代に発売した、赤外線とシーズ線の2つの熱源を採用した家具調こたつ。こたつの使用者から「(足の)水虫が治った」との声が多数寄せられた。
新かくれんぼヒーター - 家具調こたつ
パーソナル - 1975年発売の窓用クーラー。CMキャラクターはフランキー堺 が務めた。
VEGETA(ベジータ) - 冷凍冷蔵庫 (定格内容積400L以上で、うるおい補給野菜室・まんなか野菜レイアウト・野菜そのまま冷凍を採用した機種に用いる)
マジック大容量 - 冷凍冷蔵庫(前述の「VEGETA」の後継モデル。2013年モデル「VEGETA」とほぼ同じ寸法で大容量化を実現している。現在は605LモデルのGR-H610FVのみ)
石窯ドーム - 過熱水蒸気オーブンレンジ ・スチームオーブンレンジ
石窯オーブン - スチームオーブンレンジ・オーブンレンジ(かつては過熱水蒸気オーブンレンジにも用いられていたが、順次「石窯ドーム」に移行、スチームオーブンレンジは2014年モデルのER-M6の発売により再設定される)
かまど炊き - IH 保温釜。真空タイプのVRHシリーズは「真空かまど炊き」、真空 圧力 タイプのVSHシリーズ・VXHシリーズ・VPHシリーズは「真空圧力かまど炊き」を名乗る。
ZABOON(ザブーン) - 洗濯機 。ドラム式洗濯乾燥機 が中心だが、2013年2月から縦型洗濯乾燥機、全自動洗濯機の各最上位モデルにも用いられるようになった。
La・Coo(ラクー) - コードレスアイロン 。現行モデル全機種「美(ミ)ラクルベース」を採用しており、「美ラクル La・Coo」を名乗る。
TORNEO(トルネオ) - クリーナー 。分離集塵方式「デュアルトルネードシステム」を搭載したサイクロン式(VC-C3A/C3)は「TORNEO mini」、12気筒「バーティカルトルネードシステム」を搭載したサイクロン式(VC-S214/SG314/SG413/SG513)は「TORNEO V」をそれぞれ用いる。2014年9月には「Smarbo(スマーボ)」で展開していたロボットクリーナーを組み込み、「TORNEO ROBO(VC-RV1/RVD1/RCX1)」を新たに発売した。
大清快(だいせいかい) - エアコン
SIENT(サイエント) - 扇風機 (DCインバーターモーター搭載のリビング扇に用いる)
IMPULSE(インパルス) - アルカリ乾電池。ニッケル水素電池 の「充電式IMPULSE」もラインナップする。2013年10月にはより性能を高めた「The IMPULSE」・「充電式 THE IMPULSE」を追加。
アルカリ1 - アルカリ乾電池 。「IMPULSE」に移行のため、OEM製品(企業ユーザー)専用商品となった。
キングパワー - マンガン乾電池 。現行品は亜鉛 ペレット成形の際に添加する鉛 を別の物質に置き換えたことで鉛不使用(9V形を除く)を実現した環境配慮型の「キングパワークリーク」である。昭和30年代から使用されている。
REGZA (レグザ) / REGZAケータイ / REGZA Phone - ハイビジョン 液晶テレビ ・ラックシアター・ブルーレイ レコーダー/プレーヤー・ハイビジョンレコーダー・タブレット端末 ・ワンセグ 対応携帯電話・スマートフォン [ 注 15]
もちっ子 - 家庭用餅つき機。一部秋冬限定製品。1980年代に同社提供のテレビアニメ「サザエさん 」を起用したテレビCMが放送されたことがある。
dynabook (ダイナブック)2020年にシャープに売却 / dynabook Qosmio(コスミオ)=現在は消滅 / dynabook KIRA(キラ)=現在は消滅 / dynabook Satellite(法人向け)=現在は消滅 - ノートパソコン
dynabook REGZA PC(レグザ ピーシー)2020年にシャープに売却。 - Qosmio Dシリーズの後継機となるAV機能に特化した個人向け一体型省スペースTVデスクトップだが現在は消滅
EQUIUM (エクイアム) - 2020年にシャープに売却。法人向けデスクトップパソコン
経営理念・コーポレートスローガン
東芝グループ経営理念
「人と、地球の、明日のために。」
コーポレートスローガン
「For a new day. 未来を作る人がいる。」
コーポレートブランドタグライン
現在は使用なし(2006年 - 2018年:「TOSHIBA Leading Innovation> > > 」が社標の一部として使用されてきたが2018年に東芝グループ理念体系の見直しにより廃止となった。)
コーポレートイメージキャラクター
有村架純 - かつては東芝クライアントソリューション (現在のDynabook)、東芝映像ソリューション(現・TVS REGZA )、東芝メモリ (現・キオクシア)のイメージキャラクターも務めていたが、グループ再編により現在はコーポレートCMの出演のみ。
過去のキャッチコピー
電球から原子力まで電気の総合メーカー東芝
明日をつくる技術の東芝
E&E(エネルギーとエレクトロニクス)の東芝
先端技術を暮らしの中へ…E&Eの東芝(業務用製品のカタログでは「暮らしの中へ」が「オフィスへ」などに変わる)
人と、地球の、明日のために。東芝グループ
あっ!TOSHIBA
TOSHIBA For Your NO1
1970年代から1980年代には松下電器(現・パナソニック )のテーマソング「明るいナショナル」に対抗して「光る東芝の歌 」のテーマソングが東芝日曜劇場(現・日曜劇場) などの東芝一社提供スポンサー番組の冒頭に流されていた。現在でも、社会人野球の応援歌として使用されている。
また、家電商品については「FOR BETTER LIFE」(個性ゆたかに 東芝の提案)というアイキャッチが1980年代に使用されていた(末期には「FBL」商品に変わった)。
主なテレビ・ラジオCM提供番組
現在放送中(2022年2月時点)
スポット提供のみ
過去
この他、テレビ宮崎 で平日 16:30に「東芝こどもマンガ劇場」(アニメの遅れネット枠)を「宮崎東芝会」名義で提供していた。
主なスポーツ協賛
なお、かつてオリンピック のスポンサーに立候補したものの、全て松下電器(現:パナソニック )に権利を奪われたという前歴がある。
東芝ビジネスエキスパート(TBEX)直営のスポーツチーム
過去に運営、存在していたスポーツチーム
不祥事
不正会計
所得隠し
2009年 7月2日 、東芝と子会社 の東芝メディカルシステムズ による11億円の所得隠し が、国税庁 東京国税局 の税務調査 で発覚し、追徴課税 を約4億5000万円支払うこととなった[ 189] 。
2011年 12月にも、同社子会社の東芝コンシューママーケティング で、国税庁東京国税局の税務調査により、2010年3月期に於いて約9億円の所得隠しが発覚し、東芝は同国税局に対し修正申告に応じた[ 190] 。
粉飾決算事件
2015年 7月20日 、第三者委員会 の報告書により、経営幹部の関与による2009年3月期から2014年4 - 12月期で、計1518億円の利益を水増しする粉飾決算 を行っていたことが報告された[ 191] [ 192] 。
この東芝の粉飾決算事件については、マスメディア でも大きく報道された[ 193] [ 194] [ 195] [ 196] [ 197] [ 198] [ 199] 。
翌7月21日 には田中久雄が社長を辞任するほか、副会長で前社長の佐々木則夫、相談役で前々社長の西田厚聰ら7人が取締役を辞任することが発表されるなど[ 200] 、歴代3社長含む経営陣が7年間に渡り、この事件を主導してきたとして東芝株主からも株主代表訴訟 で訴えられている[ 201] 。
この不正会計処理の対象は、コモディティ 化で利益の出にくくなったパーソナルコンピュータ 事業、リーマンショック で落ち込んだ半導体 事業、2006年に54億ドル で買収したウェスチングハウス・エレクトリック・カンパニー の原子力発電所 事業(2011年3月の福島第一原子力発電所事故 の影響で新規受注が落ち込んだ)が発覚している。これらの事業の不採算によって財務体質が悪化し、赤字をごまかすために粉飾決算を行った[ 202] 。
この粉飾決算の発覚を引き金に、2016年の第1四半期決算において経営危機に陥り、1万4千人規模の人員削減と注力部門への異動、不採算事業からの撤退といったリストラ を行った。不採算事業である家電、パソコン、LED照明 やCMOSイメージセンサ からは撤退し、発電機 などの「エネルギー事業」、フラッシュメモリ やSSD などの「ストレージ事業」、およびエレベータなどの「社会インフラ事業」に注力する方針であると報道された[ 203] 。経営再建の切り札として、医療機器子会社の東芝メディカルシステムズ がキヤノン に売却され、債務超過は回避された。
しかし、年度内に売却資金を得るために急遽利用した売却スキームが「私的独占の禁止及び公正取引の確保に関する法律 」の「脱法行為」ではないかと問題視され、キヤノンと落札を争っていた富士フイルムホールディングス が「グレーな手法」と批難したが[ 204] [ 205] 、売却は公正取引委員会 に承認された[ 206] 。また、家電部門は中華人民共和国 の美的集団 に売却され、パソコン部門は切り離しVAIO に統合する協議が進められていた(2016年4月に解消)。
2016年3月期決算では、事業会社で最大となる7,191億円の連結営業赤字となり[ 207] 、4,832億円の最終(当期)赤字となった[ 42] 。
2017年 1月、証券取引等監視委員会 より、前述の3社長により2014年 3月期までの3年間で、総額400億円規模の金融商品取引法 違反があるという調査結果が発表された[ 208] 。2017年3月15日 から、東京証券取引所 と名古屋証券取引所 より監理銘柄 に指定された。
東芝や個人株主が旧経営陣15人に対し、東芝に損害賠償するよう求め提訴し、2023年 3月28日、東京地裁は佐々木則夫、田中久雄の両元社長ら5人に1億~3億円の賠償を命じた[ 209] 。
株価が下落し損失が生じたとして、個人株主244人が東芝と旧経営陣に計約7億2200万円の損害賠償を求めた訴訟の判決で、2024年 3月22日、東京地裁は東芝に174人へ計約4805万円を支払うよう命じた。旧経営陣に対する賠償請求は棄却した[ 210] 。
副社長による交際費の不正処理
2023年 2月、柳瀬吾郎代表執行役副社長COO が2019年に東芝子会社役員を務めていた際、交際費の不適切な処理があったとして、辞任した[ 211] 。
労働問題
その他の事件
ドリームランドモノレール裁判
東京芝浦電気(当時)が車両設計を担当したドリーム開発ドリームランド線 が、開通翌年の1967年 に車両の設計不良が原因で営業休止を余儀なくされたため、ドリーム開発 が当社と三井物産 を相手に損害賠償 請求の民事訴訟 を提起。結果として当社は26億円の損害賠償を支払った。
東芝クレーマー事件
1999年 に東芝製ビデオデッキ の不調を訴えて購入者が修理を依頼したところ、東芝の担当者が購入者を「クレーマー 」と言ったことから、購入者が自らウェブサイト を開設してやり取りを秘密録音 した音声ファイルを公開。これが2ちゃんねる などで話題となり炎上 し、ネット社会におけるカスタマーサービスのあり方に一石を投じる事件となった。
顧客情報流出
2007年 6月、東芝テック がポイントカード 業務を請け負っていた松坂屋ストア とパレ (ともに愛知県 名古屋市 )の顧客情報(住所、氏名、電話番号、会員番号など)合計3万0901件を、ファイル共有ソフト 「Share 」経由でコンピュータウイルス に感染させ、インターネット上に流出させた[ 216] 。
脚注
注釈
^ ただし、『東芝日曜劇場』のオープニングタイトルにおいては、1979年3月頃まで傘マーク(方形背景無し)が継続して使用されていた。
^ サムスンは巨額投資を重ね続けてたことで世界のフラッシュメモリ のシェアで首位に立っている。東芝のNAND型フラッシュメモリも利益の大部分を稼ぎ出す主力事業に育ったが、2017年にも東芝首脳部の判断への批判がありフラッシュメモリーを世界初の発明者だった舛岡富士雄 も東芝社内だけではなく日本国内にも自身の開発した技術を正しく評価してくれる者がいなかったこと嘆いている。
^ 2014年6月から2015年9月までは取締役会長、2015年7月から9月までは取締役会長兼代表執行役社長。以降は社長退任まで、取締役兼代表執行役社長。
^ 2018年4月から2020年3月まで、代表執行役会長兼CEO。社長に転身後もCEO兼務は継続。
^ 2020年4月より取締役会長、2021年4月より取締役会長兼代表執行役社長。
^ 現在でも同社の名古屋ビルが残っており、それ以外はUR都市機構 により再開発済み[ 151] 。
^ 統合型マスターへの切り替えは3段階に分けて行なわれ、2008年12月1日に地上波で先行運用を開始。その後2009年4月1日にCS放送、2009年10月にBS放送も統合型マスターに切り替えた。なお、フジテレビONE で放送された「ばら・す 」の東京タワー の回ではフジテレビ社屋内にある1世代前のマスター(1997年 の現社屋移転から2008年 11月末まで運用していたもの)が紹介された。同一階のフロアにあるため1台に見えるように思えるが、実際は別々になっており、正面左側から地上アナログ、地上デジタル、BSフジの順に送出マスターが並んでいる。天井の看板にも地上アナログ(黄緑の背景色)、地上デジタル(ピンクの背景色)、BS(スカイブルーの背景色)とそれぞれ放送局名と共に書かれていて区分けされている。
^ ただし、東海テレビ やテレビ熊本 など一部の系列局を除く。
^ 2006年11月下旬から現在の地上アナログ・デジタル統合マスターが運用されているが、2011年10月のBSデジタル放送開始に先立ち、地上デジタル・BSデジタル統合型に改修された。既に終了した地上アナログ放送とスカパー!・ケーブルテレビ局向けCS放送マスターも、地上デジタル・BSデジタル統合型マスターに組み込まれていた。
^ 基本的に三菱電機 と共同で製作しているが、DF200形電気式ディーゼル機関車は東芝と共同で製作した。
^ なお、同社製の携帯電話として最後に国内で製造されたのはau向けのPLY (iida ブランド)である。
^ 元々、X線CTは英国のEMI 社で開発されたものであり、東芝はEMIとレコード事業で提携していたという縁があったため、日本初のX線CTは1975年に東芝が輸入したものである。
^ 現在では、 EMIミュージック・ジャパンは、2013年 ユニバーサルミュージック合同会社 に吸収合併 され、その一部門 (EMI Records Japan→、 現在Virgin Music 、EMI Records )となっている。
^ かつては据え置き型ピュアオーディオ(アンプ、チューナー、ステレオカセットデッキなど)のブランドだったが1980年代末期にはCDラジカセやAVアンプなども存在していた。
^ REGZA Phoneの商標は現在でも東芝が保有しており、開発・製造・発売は富士通 (当初は富士通東芝(現・富士通モバイル) も)がおこなっている。
^ 実質には1987年 10月から複数社提供となったが、提供クレジット上は東芝単独だった。
出典
参考文献
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