トムス童夢・セリカCは、1982年世界耐久選手権日本大会 (WEC-JAPAN) への参戦のために、トムスと童夢が開発した日本初のグループCカー。
概要
エンジンはトヨタの2T-G改、2リッター直列4気筒ターボ[1]を搭載する。本来、グループCのマシンは純粋なレーシングマシンであるが、トヨタが予算を宣伝部から捻出するため、市販車であるセリカのイメージを残すことを要望し、A60系セリカのイメージがルーフ部分に強く残されるスタイルとなった。このようにセリカのイメージが表現されつつも、セリカのパーツを一切使っていない純粋なグループCカーである。
デビュー戦は1982年8月の鈴鹿1000kmであったが、1周もできないままリタイヤとなる。「本番」とされた同年10月のWEC富士6時間では、カウルのトラブルで一時遅れるも完走を果たし、5位に入賞する。これに気をよくしたトヨタは、翌年セリカのイメージの呪縛を解き、完全ウイングカーで市販車のイメージを一切持たないグループCカー、トムス・83Cを投入することとなった。なお、1983年4月の鈴鹿500km、6月の富士500kmには、セリカCのフロントカウルを一部改良したトムス・82Cとしてエントリーしている。
1982年のWEC富士でドライブした鈴木亜久里は「シャシー剛性がなくて、最終コーナーは全開で曲がれなかった。レース終わった後、藤田直廣さんから『アクセル閉じてんじゃねーよ、危ないだろ』と怒られた」と語っていた。
脚注
関連項目
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現在の関係者※ | |
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車両 | |
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関連組織 | |
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※役職等は2023年4月時点。 |
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1998年 - 1999年 LMGT1 / LMGTP |
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1989年 - 1993年 IMSA GTP |
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1968年 - 1970年 グループ7 |
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関連項目 | |
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創設者 | |
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主な関係者 | |
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スポーツカー | |
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フォーミュラカー |
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コンセプトカー | |
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風洞施設 | |
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