童夢・S101は、童夢がFIA スポーツカー選手権およびル・マン24時間レース参戦を目的に開発したオープントップのプロトタイプレーシングカーである。
概要
童夢・F105によるF1プロジェクトを終了した童夢は、2000年、次なるフィールドとしてスポーツカーを選んだ。童夢のスポーツカー活動は、1987年の童夢・87C以来となった。1970年代~80年代のように童夢自身の参戦はなく、同車を購入したプライベーターからの参戦となった。デザインを手がけたのは、奥明栄である。同時期に登場した、ローラ・B2K/10や、レイナード・2KQ等に比べて、非常にスマートなスタイリングを持ったマシンであった。また、奥明栄は、クラージュ・C60を高く評価していた[要出典]。
ル・マン24時間レースではヤン・ラマース率いるレーシング・フォー・ホーランドが2001年から2007年までル・マンに参戦し、2001年・2003年には予選4番手を獲得するなど、打倒アウディ・R8の有力候補として期待されていたが、決勝では、主に、搭載していたエンジン(ジャッドGV4、排気量4L、V型10気筒、自然吸気)のトラブルに悩まされることが多く、最高位は2003年・2004年の総合6位と、期待されたほどの成績は残せなかった。
このほか2002年から2004年にかけてKONDO Racingも横浜ゴムとジョイントし、ル・マンに参戦。近藤真彦や福田良・片山右京・加藤寛規らがステアリングを握ったが、こちらも2003年に総合13位に入ったのが唯一の完走。
FIA スポーツカー選手権(FIA SCC)では、日本のチーム郷とデンマークとのジョイントチームのデン・ビア・エヴィス・チーム郷、オランダのレーシング・フォー・ホーランドから参戦し、2001年から3年間で9勝をあげている。2002年、2003年はレーシング・フォー・ホーランドの童夢・S101がコンストラクターズチャンピオンを獲得している。なお、2001年にFIA SCCに参戦した当初は、明らかに、現実的なライバルとなる、旧態依然としたフェラーリ・333SPを優遇するためと思われるレギュレーションが設けられ、本来シングルフープロールバーを採用していたこのマシンに、助手席側にも、通称「コスメティックロールバー」と呼ばれるロールバーの装着が義務付けられるなど、FIAのヨーロッパ車優遇措置を受け入れなければならなかった。
2005年以降はル・マンのレギュレーション変更によりマシンを「童夢S101-Hb」「童夢S101.5」とマイナーチェンジしてきた。2008年、久しぶりの新車でクローズドボディのS102に受け継がれることになる。
戦績
ル・マン24時間レース
外部リンク
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