ラルフ・デビッド・ファーマン・ジュニア(Ralph David Firman Jr., 1975年5月20日 - )はイギリス人(母親がアイルランドの市民権を持つ関係でアイルランドからライセンス発行されている)のレーシングドライバー。1996年のイギリスF3選手権および2002年のフォーミュラ・ニッポンシリーズチャンピオン。
経歴
父親はイギリスのレーシングシャーシコンストラクターであるヴァンディーメンを設立した人物[1]であり、レースが身近な環境に育った[2]。10歳からレーシングカートでキャリアをスタートさせ、イギリスの国内選手権で多くのタイトルを獲得。
フォーミュラ3
F1への登竜門と言われるイギリスF3選手権にポール・スチュワート・レーシングから参戦、2年目の1996年にチャンピオンを獲得したのち、マカオグランプリF3も制覇しF1予備軍として名が知られ始める。
日本でのレース参戦
1997年に来日、フォーミュラ・ニッポンに赤池卓率いるTMSより参戦。チームメイトは近藤真彦であった。新興チームながらファーマンは第5戦SUGOにて2位表彰台を獲得した。1998年より前年にチャンピオン(ペドロ・デ・ラ・ロサ)を出した強豪チームであるシオノギ・NOVAに加入。1999年にフォーミュラ・ニッポン初優勝を果たした。
2001年に中嶋悟率いるPIAA Nakajima Racingへ移籍すると終盤戦に連勝。2002年には4勝を挙げ、全10戦中表彰台を逃したのが2戦のみという圧勝にてフォーミュラ・ニッポンシリーズチャンピオンを獲得した。
フォーミュラと並行して全日本GT選手権にも参戦しており、SUPER GTとなった2005年からは鈴木亜久里率いるARTAに加入。チームから「ラルフはクルマのことをよく分かっている」とマシンセッティング能力に高い評価を受けた[3]。
フォーミュラ1
2003年にジョーダン・グランプリと契約しF1デビューを果たすも、チームは前年限りでホンダエンジンを失い戦闘力が低下、テールエンドをミナルディ勢と争う状況下であったが、 第5戦スペインGPで最高位となる8位完走を果たした。シーズン後ジョーダンはよりスポンサー資金を持つドライバーを必要としたため、ファーマンはF1のシートを確保することが出来なかった。
2004年よりワールドシーリーズ・バイ・ニッサンに参戦。SUPER GT選手権には2013年まで参戦した。
レース戦績
- 1986年 - カートレースデビュー
- 1990年 - イギリス・ジュニアカート(シリーズチャンピオン)
- 1991年 - イギリス・シニアカート
- 1992年
- イギリス・シニアカート(シリーズチャンピオン)
- ユーロカート
- 1993年 - フォーミュラ・ボグゾールJr
- 1994年
- 1995年
- 1996年
- イギリスF3選手権シリーズ(チャンピオン)
- マカオGP(優勝)
- 1997年
- 全日本選手権フォーミュラ・ニッポン(TMS #8 TMS/レイナード97D MF308)(シリーズ8位)
- F3マカオGP
- 全日本GT選手権・GT500クラス<Rd.5欠場>(TMS #10 シャトレーゼポルシェGT2)(シリーズ25位)
- 1998年
- 全日本選手権フォーミュラ・ニッポン(ノバ・エンジニアリング #2 SHIONOGI NOVA/ローラT96-51 MF308)(シリーズ7位)
- 全日本GT選手権・GT500クラス<Rd.2 スポット参戦>(NISMO #23 ペンズオイル・ニスモGT-R/スカイラインGT-R BCNR33 RB26DETT)
- 1999年
- 全日本選手権フォーミュラ・ニッポン(ノバ・エンジニアリング #9 SHIONOGI NOVA/Gフォース GF03 MF308)(シリーズ4位・1勝)
- 全日本GT選手権・GT300クラス(チーム・テイボン・ラリーアート #61 テイボン・トランピオ・FTO/E-DE3A 4G63)(シリーズ6位)
- 2000年
- 全日本選手権フォーミュラ・ニッポン(ノバ・エンジニアリング #9 Morinaga NOVA/Gフォース GF03 MF308)(シリーズ9位)
- 全日本GT選手権・GT500クラス(トヨタチームサード #39 デンソーサードスープラGT/スープラ JZA80 3S-GTE)(シリーズ12位)
- 2001年 - 全日本選手権フォーミュラ・ニッポン(NAKAJIMA RACING #2 PIAA NAKAJIMA/レイナード99L MF308)(シリーズ4位・2勝)
- 2002年
- 全日本選手権フォーミュラ・ニッポン(NAKAJIMA RACING #2 PIAA NAKAJIMA/レイナード01L MF308)シリーズチャンピオン・4勝)
- 全日本GT選手権・GT500クラス(Mobil 1 NAKAJIMA RACING #64 Mobil1 NSX/NSX NA2 C32B)(シリーズ2位・3勝)
- 2003年- F1世界選手権<Rd.12~14欠場>(#12 ジョーダン・フォード/EJ13 RS1 BS)(シリーズ19位)
- 2004年
- 2005年
- SUPER GT・GT500クラス(Team Honda Racing #8 ARTA NSX/NSX NA2 C32B)(シリーズ2位・1勝)
- 第34回インターナショナル Pokka1000km・GT500クラス(Team Honda Racing #8 ARTA NSX/NSX NA2 C32B)(決勝DNF)
- 2005-2006A1グランプリ(アイルランドチーム、3位1回獲得、チーム総合8位)
- 2006年
- SUPER GT・GT500クラス(Team Honda Racing #8 ARTA NSX/NSX NA2 C32B)(シリーズ7位・1勝)
- 2006-2007A1グランプリ(アイルランドチーム、5位1回獲得、チーム総合19位)
- 2007年
- SUPER GT・GT500クラス(AUTOBACS RACING TEAM AGURI #8 ARTA NSX/NSX NA2 C32B)(シリーズチャンピオン・3勝)
- 2007-2008A1グランプリ(アイルランドチーム、第1戦のみ出場、スプリント8位、フィーチャーレース6位入賞)
- 2008年 - SUPER GT・GT500クラス(AUTOBACS RACING TEAM AGURI #1 ARTA NSX/NSX NA2 C32B)(シリーズ8位)
- 2009年 - SUPER GT・GT500クラス(AUTOBACS RACING TEAM AGURI #8 ARTA NSX/NSX NA2 C32B)(シリーズ2位・2勝)
- 2010年 - SUPER GT・GT500クラス(AUTOBACS RACING TEAM AGURI #8 ARTA HSV-010/HSV-010 HR10EG)(シリーズ11位・1勝)
- 2011年
- 2012年 - SUPER GT・GT500クラス(AUTOBACS RACING TEAM AGURI #8 ARTA HSV-010/HSV-010 HR10EG)(シリーズ16位)
- 2013年 - SUPER GT・GT500クラス(AUTOBACS RACING TEAM AGURI #8 ARTA HSV-010/HSV-010 HR10EG)(シリーズ11位・1勝)
レース戦績
イギリス・フォーミュラ3選手権
マカオグランプリ
フォーミュラ・ニッポン
F1
(key)
ワールドシリーズ・バイ・ニッサン
(key)
全日本GT選手権/SUPER GT
ル・マン24時間レース
脚注
関連項目
外部リンク
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2010年代 | |
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2020年代 | |
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全日本F2000選手権 |
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全日本F2選手権 |
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全日本F3000選手権 |
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フォーミュラ・ニッポン |
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スーパーフォーミュラ |
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全日本GT選手権 |
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SUPER GT |
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- 194 - 95年まではGT1クラス。
- 294 - 95年まではGT2クラス。
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