アレクサンダー・ジョージ・リン(Alexander George Lynn, 1993年9月17日 - )は、イギリス出身のレーシングドライバー。キャデラック・レーシングからFIA 世界耐久選手権に参戦している。フォーミュラEではDSヴァージン・レーシングのセカンド・ドライバーを務めていた。2015年と2016年のGP2シリーズで6位になっており、2017、23年のセブリング12時間レースでは勝利を収めている。
略歴
リンはエセックス州のグレート・ダンモウに居住しており、オールド・ハーロウにあるセイント・ニコラス・スクールに通っていた。
カート
11歳のときにアンディ・コックス・レーシングでカートを始めた。2008年、ミニ・マックスとJICAクラスでの4年間を経て、リッキー・フリン・モータースポーツからKF2カテゴリーへ移った。イギリスKF2選手権では6位という成績を残した。
フォーミュラ・ルノー
2009年、リンはフォーミュラ・ルノー・UK・ウィンターカップでフォーテック・モータースポーツから参戦してシングルシーターデビューを果たし、ランキング10位で終えた。
メインシリーズでもあるフォーミュラ・ルノーUKシリーズでも同順位となり、ブランズ・ハッチでの最終戦では初の表彰台を獲得した。
リンはフォーテックとの関わりを維持し、2010年のフォーミュラ・ルノーUKのウィンターカップでは3勝、2011年の同カテゴリのメインシリーズで12勝を挙げて両方でチャンピオンとなった[1] 。また、ユーロカップ・フォーミュラ・ルノー2.0のハンガロリンクとシルバーストーンでのレースに参戦し、シルバーストーンではポールポジションから2位表彰台を手に入れた。
トヨタ・レーシングシリーズ
2010年のウィンターカップと2011年のメインシリーズの間、トヨタ・レーシングシリーズにジルス・モータースポーツから参戦し、テレトンガ・パークで行われた第1ラウンドでの勝利を含む9位でチャンピオンシップを終えた。
2013年1月、リンは再度同シリーズに参戦するためにニュージーランドへ戻り、M2コンペティションに所属した。4度のポールポジションと3勝含む9度の表彰台、3度のファステストラップを記録してインターナショナルドライバーとしては最上位となるチャンピオンシップ2位となった。
フォーミュラ3
2011年10月20日、4年目となるフォーテック・モータースポーツからイギリス・F3選手権に参戦することが発表され、加えてF3・ユーロシリーズにもスポット参戦することが発表された。リンはイギリス・F3をシルバーストーンでの1勝を含む5度の表彰台を獲得し4位で終え、F3・ユーロシリーズでは2度の表彰台を獲得した。
2012年11月、リンは第59回マカオグランプリに参戦した。予選レースではトップタイムを記録してポールポジションを獲得した。2006年以降、ルーキーイヤーにポールポジションを獲得したのは彼が初めてである。決勝では3位表彰台を獲得し、ルーキードライバー全体の中でも最上位の結果を残した。
2012年11月15日、リンはFIAヨーロッパF3選手権にプレマ・パワーチームへ移籍して参戦することが発表された。3勝を含む14度の表彰台とホームラウンドとなるブランズ・ハッチでの3度を含む5度のポールポジションで、チャンピオンシップを3位で終えた。これはルーキードライバーの中で最も高い順位であった[2]。
2013年11月、リンは第60回マカオグランプリ[3] へSJMホールディングスとテディー・イップJr.のセオドール・レーシングとプレマ・パワーチームがコラボレーションをしたセオドール・レーシング・バイ・プレマから参戦した[4] 。セオドール・レーシングとしては1992年以来の出場で、1983年にアイルトン・セナが優勝して30周年を記念したものであった。リンは予選レースでトップとなり、ポールポジションを手に入れた。決勝でも終始レースを支配し、2007年以降でマカオ・グランプリを制した初めてのイギリス人となった[5]。
GP3シリーズ
2014年、レッドブル・ジュニアチームのプログラムとしてカーリン・モータースポーツからGP3に参戦した。F1スペインGPのサポートレースでもあるカタロニア・サーキットでのレース1でデビュー戦にもかかわらずポールポジションを獲得し、決勝でも1位チェッカーを受けた。さらにファステストラップも記録しており、このレースでの最大限のポイントを得た。レース2では18位と奮わなかったものの、最初のラウンドを終えた段階でポイントランキングのトップに立った。リンはオーストリアのレッドブル・リンクでもポールポジションを獲得し、決勝ではチームメイトのエミール・ベアンストーフの前で快勝を飾った。しかし、リバースグリッドとなるレース2ではスペインに続き運に見放され、1周目からパンクに見舞われ20位に終わった。第3ラウンドでホームグランプリでもあるイギリスのシルバーストーンでのレース1は惜しくも2位だったが、レース2で6位と踏ん張りチャンピオンシップリーダーの座を維持した。ドイツのホッケンハイムでのラウンドでは、まずは2位と3位と表彰台を続けて獲得してリードを保った。その後の2つのレースで2度とも4位フィニッシュとなり、夏休みを前に31ポイントのアドバンテージを追いかけるリッチー・スタナウェイにつけた。ベルギーのスパ・フランコルシャンでのラウンドでは、レース1で8位となり4ポイントとレース2でのポールポジションを獲得した。レース2ではレースを支配し、終始リードをしてトップチェッカーを受けた。似たような状況は次のイタリアのモンツァでのラウンドでも起き、レース1では6位、レース2では2位表彰台を獲得した。続くソチ、最終戦のヤス・マリーナでも堅実な結果を残し、合計207ポイントとなりGP3タイトルを手にした。
GP2シリーズ
2014年のGP3タイトル獲得でARTグランプリからGP2マシンのテストの機会を得た。リンは同日にカーリンでのテストもこなした。
2015年1月上旬、同じレッドブル・ジュニアチームのピエール・ガスリーと共に2015年シーズンの契約をDAMSと結んだ[6] 。バルセロナとハンガロリンクで2勝を挙げ、チャンピオンシップを6位でこのシーズン終えた。
リンは2016年シーズンもDAMSのシートで参戦し、バルセロナとホッケンハイムでのレース2で2勝を挙げて昨年と同順位の6位となった。シーズン終了後にこのカテゴリから離れることが明らかになった。
フォーミュラ1
GP3のタイトル獲得後、ロータスF1チームからポスト・シーズンテストへ参加することが発表された。2015年1月28日、ウィリアムズF1チームの開発ドライバーとなる契約を結び、その結果としてレッドブルとの関係が断絶した [7]。
フォーミュラE
2016年8月、ドニントン・パークでフォーミュラEに2016-2017年シーズンから初参戦となるジャガーのプレシーズンテストに他3名のドライバーと共に参加した[8] 。しかし、レギュラードライバーとしてのシートはミッチ・エバンズとアダム・キャロルが得た。
2017年1月、リンはDSヴァージン・レーシングのリザーブドライバーとなった。同年7月のニューヨークePrixがWECの日程と重なったため、WECを優先しているホセ・マリア・ロペスの代役として出場した[9][10] 。
2017年9月5日、複数年契約をDSヴァージン・レーシングと結び、2017-18年シーズンからフル参戦することが発表された[11]。
レース戦績
略歴
- † : ゲストドライバーとしての出走であるため、ポイントは加算されない。
- * : 今シーズンの順位。(現時点)
フォーミュラ
イギリス・フォーミュラ3選手権
FIA ヨーロッパ・フォーミュラ3選手権
GP3シリーズ
GP2シリーズ
フォーミュラE
スポーツカー
FIA 世界耐久選手権
ウェザーテック・スポーツカー選手権
ブランパンGTシリーズ・耐久カップ
ル・マン24時間レース
セブリング12時間レース
参考文献
外部リンク
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1980年代 | |
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1990年代 | |
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2000年代 | |
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2010年代 | |
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2020年代 | |
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フォーミュラE ジャガー・ワークス (2016年-17年 - 現在) |
チーム首脳・関係者 | |
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現在のドライバー | |
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過去のドライバー | |
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車両 |
- I-Type 1
- I-Type 2
- I-Type 3
- I-Type 4
- I-Type 5
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主なスポンサー | |
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フォーミュラ1 フォード・ワークス (2000年 - 2004年) |
チーム首脳 | |
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主な関係者 | |
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主なドライバー | |
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車両 | |
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主なスポンサー | |
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関連組織 | |
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スポーツカー ジャガー・ワークス (1982年 - 1992年) ジャガー・ワークス・TWR (1985年 - 1992年) |
チーム首脳・関係者 | |
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主なドライバー | |
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IMSA GTP | |
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グループC車両 | |
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主なスポンサー | |
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関連組織 | |
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スポーツカー ジャガー・ワークス (1970年代以前) |
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