トーマス・ダニエルソン(Thomas Danielsson、1964年12月4日 - )は、スウェーデン出身のレーシングドライバーである。
経歴
1984年に四輪レースデビュー。1985年にスウェーデンF3選手権に参戦し、参戦初年度でシリーズチャンピオンを獲得。同国の先輩であるエジェ・エルグがマネージャーとなり、エルグが日本のレース界に参戦歴がありパイプを持っていたことから、ダニエルソンは1986年秋に初来日し、全日本耐久選手権最終戦に童夢・86C/トヨタでスポット参戦した。その来日時には鈴鹿サーキットで全日本F2のドライバーオーディションにも参加[1]、同年にエルグが乗っていたダンロップフォーミュラチームのマーチ・86J ヤマハ・OX66でF2マシンのパワーを経験した。この時は日本での正シートを獲得できなかったが、のちに日本のレースに本格参戦するきっかけとなった。
1988年からエディ・ジョーダン・レーシングに移籍し、国際F3000に参戦開始。しかし同シーズン中盤に受けたメディカルチェックで視覚分野に問題があると指摘を受け一時ドクターストップがかかり、シートをマーティン・ドネリーに明け渡し、休養を強いられた。
1989年国際F3000開幕戦で戦線に復帰、シルバーストンで優勝。同年、エントリー台数が史上最多となっていたF1のシートを狙える存在となり、7月にはホッケンハイムリンクでのF1合同テストでリアルチームのARC2をテストドライブするチャンスを得たが[2]、正式なF1シートは獲得できなかった。国際F3000シリーズでは最終的にランキング7位を記録。
1990年に再度来日し、全日本F3000選手権および全日本スポーツプロトタイプカー耐久選手権に参戦。所属する童夢F3000チームのメインスポンサーだったコスモ石油のテレビCMにレーサー役で出演し「コスモ石油ハ、ドコデスカ?」「ヒジョーニ、マンゾク」の日本語セリフで出演。第5戦SUGOラウンドで2位を獲得し表彰台に登った。
1991年はアコムエヴォリューションに移籍。第8戦鈴鹿で3位表彰台に立つなどランキング9位。
1992年はチームTAKE ONEに移籍。第2戦富士で2位表彰台を獲得。翌1993年も同チームに残留し、最終戦・鈴鹿で全日本F3000初優勝を果たすなど、ランキング6位を記録。参戦した5年間での最高成績を残した。
1994年は5ZIGENとタッグを組むアド・レーシングに移籍。この年は最終戦・鈴鹿での5位入賞以外に目立った成績を残せずランキング13位。翌1995年もチームに残留するが、開幕戦・鈴鹿を最後にチームが活動休止したのに伴い、レース活動から引退した。
レース戦績
全日本耐久選手権
イギリス・フォーミュラ3選手権
国際F3000選手権
全日本F3000選手権
全日本ツーリングカー選手権
ル・マン24時間レース
脚注
関連項目
タイトル
|
先代 レイフ・リンドストローム
|
スウェーデンF3チャンピオン 1985年
|
次代 ニクラス・ショーンストローム
|