この項目では、ドバイ市について説明しています。同名の首長国については「ドバイ首長国 」をご覧ください。
ドバイ (アラビア語 : دبي , ラテン文字転写 : Dubayy , IPA: [dʊˈbajj] ; 英語 : Dubai )は、アラブ首長国連邦 ドバイ首長国 の中心都市 。アラビア半島 のペルシア湾 の沿岸に位置する。アラブ首長国連邦における最大の都市であり、人口は約331万人(2019年9月時点)[ 1] 。
中東 屈指の世界都市 並びに金融センター であり、21世紀に入ってから多くの超高層ビル や巨大ショッピングモール を含む大型プロジェクトが建設されるなど、世界的な観光都市となっている。
首長はムハンマド・ビン・ラーシド・アール・マクトゥーム であり、アラブ首長国連邦の副大統領 と首相 も兼任している。連邦首都 アブダビ市 を擁するアブダビ首長国 がアブダビ市以外にもいくつかの市によって構成されているのに対し、ドバイはドバイ市のみで首長国を構成する、事実上の都市国家 である。ただし、首長とは別に市長が置かれ、主に民政を担当している。
歴史
起源
ペルシャ湾 に面し、漁業 や真珠 の輸出 を産業 の主とする小さな漁村 だったこの地に、アブダビ の首長ナヒヤーン家 と同じバニー=ヤース部族のマクトゥーム家 が、1830年代 にアブダビから移住。これに伴ってドバイ首長国が建国され、現代に至るドバイの歴史が始まった。1853年 に他の首長国と同時にイギリス の保護国 となる[ 2] [ 3] [ 4] 。
近代
統治を担ったイギリスはこの地を、東インド会社 が経営する英領インド など植民地 と結ぶ貴重な中継地とした。20世紀 になると、歴代首長の推進の下で自由貿易 の政策を採ったことで、周辺地域の商人 達の拠点となりゆく流れのなかで、中継貿易 港としての色合いを濃くしてゆく[ 2] [ 4] 。
一方で、もう一つの経済の柱であった真珠採取は20世紀初頭、日本 で御木本幸吉 が養殖真珠の開発に成功したことから産業として成立しなくなり、ドバイの経済に打撃を与えた。これに当時の世界恐慌 が重なって社会不安が高まり、1938年 には首長派がクリーク南岸のバール・ドバイ 地区に、反首長派が北岸のディラ 地区に陣取って一触即発の危機を迎えた。この事態を収束させるために首長は地元有力者による議会 の開設に同意し、議会は行政改革を行ったものの、やがて首長と対立して議会は解散させられた[ 5] 。
勃興
第二次世界大戦 が終結した20世紀半ば、この地を近代的な都市にすることを夢見た当時の首長ラーシド・ビン・サイード・アール・マクトゥーム (英語版 ) の推進により、1959年 のクウェート からの借金をもとにして社会資本 の近代化が図られてゆく。ラーシドはこの借入金でドバイ・クリーク の浚渫 工事を実施し、中継貿易港としての基礎固めに成功して、以後の大発展の基礎を築いた[ 6] 。
1958年 のアブダビにおける油田 の発見に続く、1966年 のドバイ沖の海底油田 の発見はこの動きに大きな力を与えた[ 2] [ 4] [ 7] 。
起源と勃興
アル・ファヒディ砦。1799年に建設された、ドバイ最古の建造物。現在は
ドバイ博物館 の一部
1960年代
独立
ジュベル・アリ 港
1971年 のイギリス軍 のスエズ 以東からの撤退に伴って、同年の12月2日 、他の6の首長国とともにアラブ首長国連邦 をこの地に結成。その副大統領 兼首相 となったラーシド首長を指導者に据え、原油 依存経済からの脱却の取り組みと産業 の多角化を進めてゆく。
その流れのうえで1981年 (1985年 )に開設に至った「ジュベル・アリ・フリーゾーン 」 (JAFZ)という名の経済特区 と大型港湾、およびナショナル・フラッグ・キャリア としてのエミレーツ航空 の就航開始は、国外資本や外国企業の進出とあわせて「人 」と「物」の集積地としての発展を急速に促していった[ 2] [ 7] [ 8] [ 9] [ 10] [ 11] 。
繁栄
世界で最も高い建造物であるブルジュ・ハリーファ
21世紀 に入る頃には、従来からの近代化の波を経て、中東 における貿易・商業の最大の中心地と呼ばれるまでのメトロポリス に変貌していた。
1970年代 からわずか約20年のうちに起こった変化は、都市外観のそれのみならず、経済の石油依存率は半分以下に減じ、GDP の伸びは30倍に達するなど、「中世 から近代 への急変」との表現をもって語られる激変そのものである[ 2] [ 7] [ 9] [ 12] 。
1995年 1月には、日本がドバイに総領事館 を設置している[ 13] 。
2003年 以降の発展は特に凄まじく、2004年 の後半から続く原油高 がその発展を更に後押しした。2005年 度の経済成長率 は16%と高い成長率を見せており、2007年 の実質GDPは1980億ディルハム (約6兆円)にまで達している。人口も240万人を超えたドバイは摩天楼 の連なる幻惑的な都市国家として中東でも随一の繁栄を誇っている。
現代
ドバイスカイライン(2015年)
ドバイマリーナ (2018年)
2008年後半に起きたアメリカ のサブプライムローン問題 に端を発した世界経済の低迷(リーマン・ショック )により、これまで急激な勢いで伸び続けてきたドバイにも影響があった。
外国企業からの投資引き上げや地元企業の資金繰り悪化と、それに伴う多数の建築工事や計画の中断が報じられた。またその結果起きた外国人労働者の失業や経済低迷報道を受けた観光客の減少などの影響をうけたものの、2010年度の海外からの観光客も前年比9.2%増の8,294,132人を記録するなど中国をはじめ新興国からの観光客の増加を見ている[ 7] [ 10] [ 14] [ 15] [ 16] [ 17] [ 18] 。
現代
Downtown ドバイ(2012年)
ブルジュ・ハリファ からのドバイの日没(2014年)
ドバイ・ショック
さらに2009年 11月には、ドバイ政府 が欧米系の金融機関に対して、政府系不動産開発会社のナキール 社とその持株会社 のドバイ・ワールド 社の債務約590億ドルについて支払い猶予を求めると発表したため、ドバイ・ワールド社並びにドバイ政府自体の債務不履行と併せ、欧米系銀行の債権焦げ付きが懸念され、ユーロ が売られるなど「ドバイ・ショック 」と呼ばれる事態となった[ 19] 。ドバイ金融市場 の株価も大幅に下落しており、2010年1月時点で、時価総額 は380.9億ドル(約3.5兆円)にまで落ち込んだ[ 20] 。東京証券取引所 やロンドン証券取引所 の1%程度の時価総額規模である[ 21] 。その様な状況下にあるものの、「中東の金融センター 」としての地位はゆるぎなく、2020年 に中東初の万国博覧会 (ドバイ国際博覧会 )を開催することが決まった。
ドバイ万博
ドバイ国際空港の万博ロゴ
ドバイ万博は新型コロナウイルス感染症 パンデミックの影響により1年延期され、2021年 10月1日 から2022年 3月31日 まで開催された。テーマは「Connecting Minds, Creation the Future(心をつなぎ、未来を創る)」で、190以上の国と地域がパビリオンを出展し、コロナ禍においても累計2200万人以上の来場者を記録した[ 22] [ 23] [ 24] 。
アメリカのシンクタンク が2017年 に発表した総合的な世界都市ランキング において、世界28位の都市と評価されており、中東の都市では首位であった[ 25] 。
2023年、ドバイ首長のムハンマド・ビン・ラーシド・アール・マクトゥーム は、ドバイの「世界の経済都市トップ3」「世界の金融センターのトップ4」入りを目指した野心的な計画を発表した。これには海外からの直接投資を倍増させ、ユニコーン企業の育成や世界の有力大学を誘致することなどが盛り込まれている。また、同年には1年間の試験的措置として、30%の酒税を一時的に廃止する試みが行われた。これらの外国人に寛容な計画は、近年隣国のサウジアラビア でムハンマド・ビン・サルマーン 皇太子が急速に進める外国企業の誘致策に対抗する狙いもあるとみられている[ 26] 。
地理
ドバイ、都市の成長(2000年11月〜2011年4月)
中東地域のほぼ中央、アラビア半島 のペルシア湾 に面した平坦な砂漠 地帯にあり、面積 はアラブ首長国連邦の構成7首長国中第2位にあたる約3,885km2 。北でシャールジャ 首長国に、南でアブダビ首長国 に、東で国境 を隔ててオマーン国 に接する[ 27] [ 28] 。
街は東西に流れる運河 を軸として大きく2つに分かれる。「ハウル・ドバイ」(ドバイ・クリーク 、Ḫawr Dubayy )という川を軸として、北側を「ディラ 」(Deira) といい、南側を『バール・ドバイ 』(Bur Dubai) という[ 4] [ 29] 。ドバイはこのクリークを港として使用することで成立した都市であり、この2地区はドバイ成立時からの市街地として旧市街を形成している。
ドバイの北はすぐにシャールジャ首長国との境界線となるが、南のアブダビ首長国との境界線は市街からかなり南に位置する。このため、ドバイでの大型開発はこの地域で行われることが多い。バール・ドバイ の南にはUAEを貫く幹線道路であるシェイク・ザーイド・ロード が走っており、道の両側には2018年時点で世界一の高層ビルであるブルジュ・ハリーファ をはじめとする高層ビルが林立している。市街の南西にはリゾートエリアであるジュメイラ・ビーチ地区が開発され、高級ホテルブルジュ・アル・アラブ や、「パーム・アイランド 」や「ザ・ワールド 」「ジュメイラ・アイランズ 」といった人工島群が建設されている。さらにその南西にはジェベル・アリー 港が建設され、工業地帯となっている。
ドバイは大まかな地区名や目抜き通り名を除き、地番や郵便番号を整備しないまま拡大してきた。このため首長国政府は2015年、全ての建物に10桁の数字「マカニ」を割り振るプロジェクトを始めた。インターネット を活用したスマートシティ構想の一環で、パソコンやスマートフォンから番号を入力すると、電子地図に建物の所在地が表示される[ 30] 。
ドバイ市街の西と南には砂漠地帯が広がる。西端には山岳地帯があり、ハッタなどのオアシス が点在する。
地理
ドバイの衛星写真(夜間)
ドバイ・クリークのアブラ(
渡し舟 )の料金は昔から1ディルハム
ドバイの近くの砂丘
気候
亜熱帯気候 にして夏 冬 の二季 。夏季には、気温 が50℃近くに達することもあり、雨が全く降らないにもかかわらず、しばしば100%の湿度 を観測する[ 15] など、非常に高温多湿で極めて不快な夏となる。逆に、年のおおよそ11月 から3月 にあたる冬季にはしばしば肌寒くもなる。また、冬季は砂嵐 が発生することもある[ 31] 。しかし、冬季の平均気温は20度前後で非常にすごしやすく、観光業においてはハイシーズンとなっている。なお、ケッペンの気候区分 では砂漠気候 に相当する。
ドバイ の気候
月
1月
2月
3月
4月
5月
6月
7月
8月
9月
10月
11月
12月
年
最高気温記録 °C (°F )
31 (88)
31 (88)
41 (106)
41 (106)
45 (113)
45 (113)
47 (117)
48 (118)
43 (109)
40 (104)
41 (106)
31 (88)
48 (118)
平均最高気温 °C (°F )
24.0 (75.2)
25.4 (77.7)
28.2 (82.8)
32.9 (91.2)
37.6 (99.7)
39.5 (103.1)
40.8 (105.4)
41.3 (106.3)
38.9 (102)
35.4 (95.7)
30.5 (86.9)
26.2 (79.2)
33.4 (92.1)
日平均気温 °C (°F )
19 (66)
20 (68)
22.5 (72.5)
26 (79)
30.5 (86.9)
33 (91)
34.5 (94.1)
35.5 (95.9)
32.5 (90.5)
29 (84)
24.5 (76.1)
21 (70)
27.5 (81.5)
平均最低気温 °C (°F )
14.3 (57.7)
15.4 (59.7)
17.6 (63.7)
20.8 (69.4)
24.6 (76.3)
27.2 (81)
29.9 (85.8)
30.2 (86.4)
27.5 (81.5)
23.9 (75)
19.9 (67.8)
16.3 (61.3)
22.3 (72.1)
最低気温記録 °C (°F )
8 (46)
7 (45)
11 (52)
8 (46)
17 (63)
22 (72)
25 (77)
25 (77)
22 (72)
16 (61)
13 (55)
10 (50)
7 (45)
降水量 mm (inch)
15.6 (0.614)
25.0 (0.984)
21.0 (0.827)
7.0 (0.276)
0.4 (0.016)
0.0 (0)
0.8 (0.031)
0.0 (0)
0.0 (0)
1.2 (0.047)
2.7 (0.106)
14.9 (0.587)
88.6 (3.488)
平均降水日数
5
7
6
3
0
0
1
0
0
0
1
5
28
出典1:ドバイ気象局[ 32]
出典2:Qwikcast [ 33]
政治
ドバイ首長ムハンマドUAE副大統領兼首相
ドバイは他のアラブ首長国連邦の構成国同様に世襲 式の絶対君主制 を採っている。現首長はムハンマド・ビン・ラーシド・アール・マクトゥーム である。なおドバイにおいて議会選挙は行われておらず、結党の自由も認められていない。ドバイはアラブ首長国連邦の国会である連邦国民評議会(定数40)に8議席を持っている。
アラブ首長国連邦の副大統領は1971年 の連邦結成以来、マクトゥーム家から出ており、半ば慣例化している。現首長のムハンマド・ビン・ラーシド・アール・マクトゥームも現在連邦副大統領の職にある(連邦首相 も兼任)。なお、今日のドバイの繁栄を築いて名君 と言われたラーシド首長は、1990年 10月 に同地で死去した[ 9] 。
経済
ドバイ・メディア・シティ (2013年)
2019年 のドバイの国内総生産 (GDP)は4,070億ディルハム (約12兆円)で、アラブ首長国連邦内でアブダビ に次ぐ第2位となっている[ 34] 。日本の都道府県 と比較した場合、茨城県 や広島県 とほぼ同じ経済規模である[ 35] 。一方、一人当たり実質GDP で比較した場合、日本の2022年 の48,813ドル[ 36] に対し、ドバイは74,917ドル[ 37] と高く、1.5倍以上の開きがあることが浮き彫りとなる。一人当たり名目GDP もやはり同様で、ドバイの2022年 の数値は45,698ドル[ 38] であり、これは日本の数値39,243ドルを1.16倍以上[ 39] 確実に上回る。GDPにおける石油産業 の割合は僅か1%台である[ 40] 。
産業多角化
元来の石油埋蔵量の少なさにより石油依存型経済からの脱却を志向せざるを得なかったドバイは、特に1980年代 の半ば頃から経済政策として産業の多角化を積極的に進めた。国を挙げて中東における金融 と流通 、および観光 の一大拠点となるべくハード、ソフト双方のインフラストラクチャー の充実に力を入れた。
その流れの中で1981年 (1985年 )に開設に至ったジュベル・アリ・フリーゾーン (JAFZ)は、外資 の直接投資の自由や外国人労働者の雇用の自由を完全に保障する経済特区 で、その性質から外国企業や資本の進出を多大に促進した[ 10] [ 11] 。
その結果、日本やアメリカ、イギリスなど世界各国の大企業がドバイに進出している。市内や一大リゾート エリアとして開発されたジュメイラ・ビーチ周辺には超高層ビル や高級ホテル、別荘などが立ち並んでいる他、多くのショッピングモール やテーマパーク が建設されているが、2007年後半に起きたアメリカのサブプライムローン問題に端を発した世界経済の低迷により、外国企業からの投資引き上げや地元企業の資金繰り悪化と、それに伴う多数の建築工事や計画の変更、見直しが行われた。
その後の世界経済の回復に伴い、ドバイも中東経済のハブとしての開発を再加速した。2010年代以降は観光客や商業、金融だけでなく、ベンチャー を含むハイテク 分野の企業・人材の誘致に力を入れている。空を飛ぶドローンタクシー や3Dプリンター による大型建築など新しい技術導入の実証実験や規制緩和に積極的である。付加価値税 が2018年に導入されたものの、法人税 や所得税 、現地住民の雇用義務がなく、外資が進出しやすくしている[ 41] 。
商業や観光、金融といった第三次産業 の発展により、GDPに占める第一次産業 の占める割合は減り続けた。石油の割合も2%以下となっている。しかし現在も漁業が盛んに行われている他、砂漠地帯ではアラビアンデザートダイアモンド が採取できる。
中東の金融センター
また、政府の政策が功を奏し、1980年代 には早くも中東における一大流通拠点としての地位を獲得した上に、その後も世界の主だった金融機関が進出してきたことから、ドバイは名実ともに中東の金融センター としての位置を占めることに成功した。このため「中東のシンガポール 」と呼ばれることもある。イギリスのシンクタンク が2017年 3月に発表した調査によると、世界25位の金融センターと評価されており、中東の都市では首位である[ 42] 。ドバイの証券取引所 であるドバイ金融市場 の時価総額 の合計は、2015年 11月時点で870億ドルであり、日本取引所グループ の2%未満の規模である[ 43] 。
ドバイショック
リーマン・ショック後、これまで急激な勢いで伸び続けてきたドバイの経済成長にも陰りが生じた。上記のように2009年11月には、政府が欧米系の金融機関に対して、政府系不動産開発会社のナキール社とその持株会社のドバイ・ワールド社の債務約590億ドルについて支払い猶予を求めると発表したため、政府系とみられていたドバイ・ワールド社の債務を国が肩代わりしなかった事で欧米系の金融機関に政府に対する信用不安の広がりがアジアに波及し、円高を引き起こした。
2010年10月時点、少なくともパームアイランド、ドバイワールドなどの大型事業を含め、多数の計画が需要予測の変動に応じて見直しとなっている。
観光
ドバイの夜景 ザ・ワールド
世界有数の観光都市 に成長しており、2012年 にマスターカード が公表した統計によると、世界で8番目に外国人旅行者が多く訪れる都市であり、中東では随一である[ 44] 。現在は観光を軸とした一貫した政策のもとで、ジュメイラ ビーチの人工島に建設された世界最高級の高層ホテル である「ブルジュ・アル・アラブ 」などの高級リゾート ホテルや中東地域最大のショッピングセンターの建設、人工衛星から見える唯一の人工島群である「パーム・アイランド 」や「ザ・ワールド 」「ジュメイラ・アイランズ 」「ドバイウォーターフロント 」「ジュメイラ・レイク・タワーズ 」「ドバイ・マリタイム・シティ 」「ドバイ・メディア・シティ 」「レゴランド・ドバイ・リゾート 」「ドバイマリーナ 」、砂漠の人工スキー場「スキー・ドバイ 」など各種観光資源の開発に力を注いでいる[ 45] 。2018年に完成したドバイフレーム も、「額縁の形をした世界最大の建造物」としてドバイの新しい顔となっている。
ドバイ発祥の地であるドバイ・クリーク 両岸の旧市街も、インド やパキスタン 等からの商人が集う交易の中心地であると共に、多くの観光客を集める地域である。ドバイ・クリークの北東岸のディラ 地区にはスパイス・スーク やゴールド・スーク が、南西岸のバール・ドバイ 地区にはテキスタイル・スーク やアル・バスタキヤ 歴史地区[ 46] がある。ドバイ・クリークには多数の木造貨物船ダウ船 が停泊し、両岸を結ぶ木造の渡船アブラ が頻繁に行き交っており、観光名所ともなっている。
上記のように国際的な交易や金融、観光拠点としての発展を目指す戦略の一環として、ドバイ国際空港 を中東やその周辺地域を結ぶハブ空港 とすべく航空インフラの充実に力を入れてきた。エミレーツ航空 が世界の全大陸(南極大陸 を除く)との間を就航しているほか、世界各国から多くの航空会社が乗り入れている(「交通 」を参照)。
その甲斐もあり、近年は中東諸国からだけではなく世界中から観光客が訪れている。野心的なプロジェクトも進めており、2010年には世界一高い高層ビル「ブルジュ・ハリーファ 」が完成している。
また、競馬 の国際GI 「ドバイワールドカップ 」がメイダン競馬場 (1996年 - 2009年 まではナド・アルシバ競馬場 )にて開催されている他、モータースポーツ やゴルフ 、マリンスポーツ の世界的な大会の誘致を積極的に行っている。
2007年10月時点、ドバイには46のショッピングモールがある[ 47] 。2008年10月31日には世界最大規模のショッピングモール「ドバイ・モール 」が正式オープン[ 48] 。現在、世界最大のテーマパークである「ドバイランド 」が2015年 から2018年 の開業に向けて建設中である。ドバイランドにはユニバーサル・スタジオ・ドバイランド やドリームワークス・スタジオ・テーマパーク 、アメリカのアミューズメント・パークの中東初進出となるシックス・フラッグス・ドバイランド も入る。
交通
国際
世界最大の人工港ジェベル・アリー と、国際ハブ空港として機能する24時間空港であるドバイ国際空港 を持ち、中東地域の人と物の流れの中枢、中継貿易都市として繁栄している。
1960年 に開港したドバイ国際空港はエミレーツ航空 の拠点であり、同社が全ての大陸との間に定期便を就航させている他、世界各国から多くの航空会社が乗り入れている。2008年 に巨費を投じた最新鋭の第3ターミナルが完成した。なお、南西部にはアール・マクトゥーム国際空港 (ドバイ・ワールド・セントラル国際空港)も完成。将来的には4,500mの平行滑走路6本を持つ世界最大の空港となる計画である。
国内
ドバイは交通渋滞 のひどさで知られる。タクシー に依存した町であったが、近年、公共交通手段の整備が急がれている。
アブラ ・・・ドバイ・クリーク(運河)を結ぶ交通手段の渡し船 。
ドバイメトロ ・・・2005年に、ドバイ国際空港とジェベル・アリ港を結ぶ都市鉄道 の建設に着手、日本企業4社を含む5社が建設を行った。4路線の計画路線のうち、2009年9月9日に「レッド・ライン」が開通し、2011年9月9日には「グリーン・ライン」が開通した[ 49] 。
パーム・ジュメイラ・モノレール ・・・パーム・アイランド へ向かうモノレール で丸紅 が出資し、2009年 に完成。
ドバイ・トラム ・・・2014年に開通したトラム 路線。ドバイ・マリーナ地区を走る。ドバイメトロ、ジュメイラ・モノレールとも接続されており、市内中心部からドバイメトロ、ドバイ・トラム 、ジュメイラ・モノレールを乗り継いでパーム・アイランドまで行けるようになった。車両はアルストム 社製の「シタディス 」を採用し、車庫など一部を除いて全区間に渡って地表集電方式 を採用、架空線を廃している。各停留所は高温かつ砂嵐が多い現地の環境を考慮して、空調とホームドア を備えた停留所となっており、乗車を待つ利用客の快適性を高めたものとなっている。
ドバイ・トロリー ・・・2015年に開通したトラム路線。ダウンタウン・ドバイの開発地域を中心とした環状線である。路線を3段階で建設中であり、現在は第1段階である。車両は2階建ての伝統スタイルであり、回生ブレーキ 用バッテリーと燃料電池 を採用している。
日本との交通
現在、エミレーツ航空がドバイ国際空港と、関西国際空港 、成田国際空港 、東京国際空港 の間に1日1便ずつ直行便を日本航空 とのコードシェア により運航している。過去には中部国際空港 からの直行便も就航していたが、2009年3月に廃止された。
住民
国民の大部分が沿海地域に居住する[ 28] 。
人口
2016年1月時点では人口は2,440,350人。隣接するシャールジャ (約80万人)と合わせると300万人規模の都市圏人口となる。
1980年 の時点でわずか28万人足らずだった総人口は、その後15年間のうちにおよそ2.5倍に膨れ上がり、1995年 におよそ70万人、2007年 初頭にはおよそ120万人となっている[ 15] [ 27] (ただし、2008年5月放映のNHKスペシャル <沸騰都市 >第1回「ドバイ 砂漠にわき出た巨大マネー」によると、その大半は登記上の人口であるといい、定住人口はこれを大幅に下回るという)。一方、人口の約半数がインフラ整備のために低賃金で働くインドやバングラデシュ などから来た出稼ぎ 労働者であるが、ビザ の発行に際してスポンサーとなる雇用主には彼らの宿泊所を提供することが義務付けられている。
外国人の町
ドバイの住民の多くを占める南アジア 人労働者たちは、建設業 を主に数多の業種に携わる。
2013年 初頭において、住民の実に83%が外国人 である。殊に「世界で最も美しいインド人の町」と言われるほどにインド人が多く、全人口のうち約75%を、インド 人を主とする南アジア からの出稼ぎ労働者が占めている。「もはやアラブ の都市にあらず」と言われる所以である[ 50] 。
なかでも建設業 を主力として、社会のあらゆる職種にインド人の姿を見ることができる[ 51] 。
また、フィリピン人も多く、多くがサービス業や家政婦 、看護師 業などに従事している。その他、欧米人やロシア人 なども多く、在留邦人は2,603人(2013年)となっている。
言語
国語 はアラビア語 、官公庁 の公文書 に使われる公用語 もアラビア語である。英語 、ヒンディー語 (インド人)、ウルドゥー語 (パキスタン人)、タガログ語 (フィリピン人)なども多く会話 に用いられる[ 9] 。外国人労働者の多くはアラビア語を解せず、南アジア諸国とフィリピンなどの旧英米植民地からの労働者が多いことから、英語が共通語 として使われるケースが多い。実際には英語がアラビア語以上に使われており、アラビア語と英語の二言語併記となっている。
宗教
イスラム教を国教とする アラブ首長国連邦にありながら[ 52] 、非イスラム教徒の外国人が多く住むドバイは、イスラム色の薄い、宗教的制約の極めて薄い都市である。飲酒、服装、娯楽、食生活についての制約は少なく、イスラム教で不浄とされる豚肉 の料理を出すレストランさえある[ 53] 。
飲酒については、イスラム教の規律 は通常これを禁じているが、ドバイでは許可されたホテルやレストランがあり、警察署の発行する許可証があれば酒類を市中で購入することができる[ 52] 。国外からの持ち込みも可能[ 54] 。
外国人なら、女性であってもノースリーブ に短パン 、タンクトップ などといった、欧米と変わらない服装で町中を歩くことが許されている[ 55] 。首長家の女性が北京オリンピック のテコンドー と馬術 に参加するなど女性のスポーツ参加が認められている[ 56] 。
婚外の性交渉 は違法であり、外国人であっても逮捕 される[ 57] 。
ドバイワールドカップ 等競馬 が開催されてはいるが、ギャンブル は禁止されているので馬券の発売はない。しかし、複数のレースの予想をし、成績上位者に賞金・賞品が当たるプレイカードが無料で配られている。
文化
食文化
野菜と鶏肉をパンと共に煮込むフリードという料理、ラクダ のミルクが原料のラクダミルクチョコレートが存在する。また、アラブやドバイの人々はコーヒー を習慣的に飲む。さらに旅人をアラビックコーヒーとデーツ でもてなし、コーヒーポットが家宝になっていることもある。
スポーツ
サッカー
クリケット
クリケット は非常に人気の高いスポーツであり、ドバイには世界のクリケットを統括する国際クリケット評議会 の本部が所在する。外国人労働者 の多くがクリケットが盛んな南アジア 出身であることも、人気の要因の一つとなっている。2023年にトゥエンティ20 形式のプロリーグであるインターナショナルリーグT20 (英語版 ) が開幕した。ドバイ・キャピタルズ (英語版 ) は、ドバイに所在するチームであり、ホームスタジアムはドバイ国際クリケットスタジアム (英語版 ) である。2020年には新型コロナウイルス感染症 の影響により、インドのインディアン・プレミアリーグ (IPL)の試合をアラブ首長国連邦で開催し、ドバイ国際クリケットスタジアムはファイナルの会場にもなっている。
野球
友好都市
ドバイは次の都市と姉妹都市になっている[ 58] [ 59] 。
アンマン , ヨルダン
バグダード , イラク
バルセロナ , スペイン[ 60]
ベイルート , レバノン
ブリスベーン , オーストラリア
カラカス , ベネズエラ
デトロイト , アメリカ[ 61]
ダンディー , イギリス
ジュネーブ , スイス
サント・ドミンゴ , ドミニカ共和国
ゴールドコースト , オーストラリア
ミラノ , イタリア
グラナダ , スペイン[ 62]
広州 , 中国
イスタンブール , トルコ
ジッダ , サウジアラビア
カーブル , アフガニスタン
カラチ , パキスタン
ハルツーム , スーダン
キーシュ島 , イラン
クウェート市 , クウェート
ロサンゼルス , アメリカ[ 63]
リヨン , フランス
マンダルヨン , フィリピン
モンテレイ , メキシコ
モスクワ , ロシア
メデジン , コロンビア[ 64]
大阪 , 日本
リオデジャネイロ , ブラジル
ガンディーナガル , インド
ハイデラバード , インド
フェニックス , アメリカ[ 65]
サンフアン , プエルトリコ
上海 , 中国
サンクトペテルブルク , ロシア
タンジェ , モロッコ
テヘラン , イラン
トリポリ , リビア
ノヴェ・メスト・ナド・ヴァホム , スロバキア
ボゴタ , コロンビア
釜山 , 韓国[ 66]
出身者
脚注
参考文献
関連項目
ウィキメディア・コモンズには、
ドバイ に関連する
メディア および
カテゴリ があります。
外部リンク
公式
日本政府
観光
その他
座標 : 北緯25度08分29.28秒 東経55度20分2.45秒 / 北緯25.1414667度 東経55.3340139度 / 25.1414667; 55.3340139 (ドバイ )