アレクサンダー・ヴルツ(Alexander Wurz 、1974年2月15日 - )は、オーストリア人の元レーシングドライバー。1996年、2009年ル・マン24時間レース優勝。FIA 世界耐久選手権に参戦するトヨタのドライバー顧問であり、F1ではウィリアムズのドライバー顧問も務める。身長187センチ[1]。
日本語表記では姓を「ブルツ」、名を短縮形の「アレックス」と記す場合もある[2]。
経歴
ニーダーエスターライヒ州山間部のターヤ川沿いの町、ヴァイトホーフェン・アン・デア・ターヤ(英語版)で、ERAヨーロッパラリークロス選手権(現在のFIA ヨーロッパ選手権 ラリークロスドライバーズ)で活躍していた父フランツ・ヴルツの息子として生まれる。アレクサンダーの競技キャリアは自転車のBMX (バイシクルモトクロス)で始まった。1986年に12歳でBMX世界選手権で優勝を果たす。
その後レーシングカートを開始。1991年、ドイツ・フォーミュラ・フォード1600に参戦し四輪レースへデビューした。1992年に同クラスで5勝を挙げチャンピオンを獲得。この年はフォーミュラ・オペル・ロータスユーロシリーズにも参戦した。
1993年、ヘルムート・マルコの「マルコRSM」に加入しドイツF3選手権に参戦。1994年にG+Mエスコムへ移籍し、ドイツF3で3勝を挙げランキング2位を獲得。1995年もチームに残留しランキング6位となった。
1996年よりスポーツカーレースの名門ヨースト・レーシングに加入し、オペル・カリブラで国際ツーリングカー選手権 (ITC)に参戦開始。ヨーストからはル・マン24時間レースへもポルシェ・WSC95で参戦し、デイビー・ジョーンズとマヌエル・ロイターと共に総合優勝。ル・マン24時間レースの史上最年少総合優勝記録(22歳4カ月と1日)保持者となった(2021年時点)[3]。
フォーミュラ1
1997年にベネトン・フォーミュラのテスト・リザーブドライバーとして契約。F1第7戦カナダGPで、鼻の手術のため欠場した同郷の先輩ゲルハルト・ベルガーの代役として初出場。参戦した3レース中、予選では2レースでチームメイトのジャン・アレジを上回り、さらに参戦3戦目の第9戦イギリスGPでは、2位に入賞したアレジに次ぐ3位表彰台を獲得した。第10戦からはベルガーが復帰したため、この年は3レースの出走のみだったが、このベネトンでのレースを見たザウバーが不調だったセカンドドライバーのニコラ・ラリーニと負傷したジャンニ・モルビデリの後任としてヴルツを獲得できるか調査したが、ベルガーの復帰が遅れることを考慮したベネトンが彼を手放すことを拒否したため、ザウバー入りは実現しなかった[4]。
前年の活躍が認められ、1998年よりベネトンのレギュラーシートを獲得。同年は4位入賞5回と健闘を見せるが、それ以降はチームが低迷期に入り、チームメイトのジャンカルロ・フィジケラともども、マシンの戦闘力不足に手を焼くようになり、1999年は入賞3回、2000年にはわずか1戦のみのポイント獲得に留まり、翌シーズンのレギュラーシートを失った。
このため2000年シーズンオフにマクラーレンのテストドライバーとして契約。以降、何度かジャガーなど他チームのシート獲得寸前までいったこともあったが、実現に至らなかった。この頃撮影された写真で左右のドライバーシューズの色が異なっている物が見られるが、スポンサーのD2に配慮してのものではない(後述)。
2005年第4戦サンマリノGPには怪我で欠場したファン・パブロ・モントーヤに代わりおよそ5年ぶりにレースに出場し、B・A・Rの失格による繰上げながら3位入賞を果たした。
長らくテストドライバーを務めていたが、上記のジャガーとの交渉でも分かるように常にレギュラーシートのチャンスをうかがっていることはよく知られている。2006年についてはマクラーレンのテストドライバーを2005年のDTMチャンピオン、ゲイリー・パフェットに譲ることとなったことから、DTMへの転身などの可能性が囁かれていたが、結局2007年以降のレギュラーシートを目指して、ウィリアムズのテストドライバーに就任。
2007年には念願叶い、ウィリアムズのレギュラードライバーに昇格。ベネトンを放出されて以来7年ぶりにレギュラーシートを獲得した。予選ではスピードに勝るニコ・ロズベルグに大敗するも、大荒れのレースで確実にポイントを獲得し、カナダGPでは2005年以来の3回目の表彰台(3位)を果たした。その後のヨーロッパGPでも、マーク・ウェバーに惜しくも届かなかったが4位入賞。なお、中国GP後にF1からの引退を表明し、最終戦ブラジルGPの出走を中嶋一貴に譲ったが、2008年1月10日にホンダからリザーブ兼テストドライバーとして起用することが発表された。
その年の年末にはホンダのF1撤退が発表され、当初は2009年も引き続き後継チームのブラウンGPにて同職を継続するとされた(ただしシーズン中テスト禁止規則のため、実際はリザーブとアドバイザー職を務めるとしていた)[5]。しかし開幕直前になり、チームはヴルツではなくアンソニー・デビッドソンをリザーブドライバーとする発表をしたため、ヴルツはアドバイザーとしての職務となり、自身は「少なくとも今年一杯、おそらく来年以降もチームに残留する」とコメントしている[6]。
2010年F1の参戦枠3チーム増加に伴うエントリー募集に対し、オーストリアの投資会社スーパーファンドと組んだ「チームスーパーファンド」の代表としてヴルツはエントリー。しかし、選ばれたのはUSF1・カンポス・グランプリ・マノー・グランプリの3チームとなり、チームスーパーファンドは2010年のF1新規参戦の道が閉ざされた。
2012年からウィリアムズのドライバー顧問を勤める。また、ウィリアムズからのF1復帰が報じられたが、本人やチームは否定している。
2014年より、GPDA(グランプリ・ドライバーズ・アソシエーション)の会長に就任している。
耐久レース
前述の1996年のル・マン24時間レースだけでなく、F1参戦後の2009年のル・マン24時間レースでは、プジョー・スポールからプジョー・908 HDi FAPで参戦し、自身2度目の総合優勝を挙げた。
2012年からはトヨタ・レーシングに加入、ハイブリッドカーのトヨタ・TS030 HYBRIDをドライブした。ニコラ・ラピエールと共に第3戦ル・マン24時間レースから6戦に出場、うちサンパウロ、富士、上海で優勝し、ドライバーズチャンピオンシップで3位を獲得した。2014年シーズンはトヨタ・TS040 HYBRIDをドライブし、チームタイトル獲得に貢献した。
2015年シーズンを最後に現役引退が発表され、2016年1月のデイトナ24時間レースがラストレースとなった。今後は父が参戦していたラリークロスへの転身を希望していた。
人物
- 1990年代当時の四輪レーサーとしては、二輪レーサーに多くみられる派手なカラーリングのヘルメットが特徴的だったが、これは四輪デビュー前に二輪のモトクロスにアマチュアで参加しており、その頃のヘルメットデザインを継続して使用していたためである。
- オリビエ・パニスやペドロ・デ・ラ・ロサと同じく開発能力を高く評価され、レギュラードライブの機会がない時期もチームを下支えしてきた存在である。2007年にF1引退を発表した際、フランク・ウィリアムズは「これまでチームが一緒に仕事をしてきた中でも最高のテスト及び開発ドライバーの一人」と語った[7]。
- ベネトンからF1デビューした当時、左右で色の異なる(赤と青)レーシングシューズを履いていることが話題となった。これはカート時代、愛用のレーシングシューズを片方隠されてしまい仕方なく別のシューズを片方だけ履いてレースに臨んだところ、優勝してしまったということにゲンを担いだもので、WECにトヨタから参戦した2012年現在も続けている。しかしマクラーレン所属時にはフォーマルな服装を好むロン・デニスから禁止を言い渡されていた。
- 2000年にヴルツは同じくオーストリア人のマーカス・レイナーと共同でマウンテンバイクチームを設立した。『チームRainer-Wurz.com(英語版)』にはスポンサーとしてマクラーレン、シーメンス、キャノンデールが名を連ね、マウンテンバイク・ワールドカップで数回優勝している。
- スポーツ自転車のプロデュースも行っており、自転車ブランド Katargaは、「アレクサンダー ヴルツ EVO SL」と名付けられた限定版のマウンテンバイクを発表。そのフレームにはヴルツのサインが目立つように描かれた。
レース戦績
フォーミュラ
ドイツ・フォーミュラ3選手権
F1世界選手権
*予選順位はペナルティなどを反映した決勝グリット
スポーツカー
FIA GT選手権
ル・マン・シリーズ
(key)
インターコンチネンタル・ル・マン・カップ
(key)
FIA 世界耐久選手権
ル・マン24時間レース
デイトナ24時間レース
セブリング12時間レース
ツーリングカー
国際ツーリングカー選手権
(key)
脚注
関連項目
外部リンク
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1998年 - 1999年 LMGT1 / LMGTP |
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1989年 - 1993年 IMSA GTP |
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1968年 - 1970年 グループ7 |
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- メルセデス (1995 - 2014, 2021 - )
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※年代と順序はマクラーレンで初出走した時期に基づく。 ※マクラーレンにおいて優勝したドライバーを中心に記載。太字はマクラーレンにおいてドライバーズワールドチャンピオンを獲得。斜体はマクラーレンにおいて優勝がないものの特筆されるドライバー。 |
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※年代と順序はウィリアムズで初出走した時期に基づく。 ※ウィリアムズにおいて優勝したドライバーを中心に記載。太字はウィリアムズにおいてドライバーズワールドチャンピオンを獲得。斜体はウィリアムズにおいて優勝がないものの特筆されるドライバー。 |
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- RC1 (RC-F1 1.0X)
- RC1B (RC-F1 1.5X)
- RC2 (RC-F1 2.0X)
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関連項目 | |
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※ 第2期・第3期・第4期の「主な関係者」は、基本的に各部門の「長(ディレクター)」以上にあたる人物のみに絞って記載(多数に及ぶため)。 ※ 「関連組織」の( )には略称、[ ]には関連する下部組織を記載。 ※1 ホンダ本社の役職者と本田技術研究所の人物を除く(兼務者が多数に及ぶため)。 ※2 ホンダ所有のサーキット。第1期と第2期に主要なテストコースとして用いられた。 ※3 ホンダ所有の展示施設。第1期から第4期の車両を所蔵(基本的に動態保存)している。 |
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※太字はブラウンGPにおいてドライバーズワールドチャンピオンを獲得。 |
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