2000年オーストラリアグランプリ (LXV Qantas Australian Grand Prix) は、2000年F1世界選手権の開幕戦として、2000年3月12日にメルボルン・グランプリ・サーキットで開催された[4]。58周で争われたレースは3番グリッドからスタートしたフェラーリのミハエル・シューマッハが優勝した。今シーズンからシューマッハのチームメイトとなったルーベンス・バリチェロが2位に入り、BMW-ウィリアムズのラルフ・シューマッハが3位に入った[5]。
ポールポジションからスタートしたマクラーレンのミカ・ハッキネンと、2番手スタートのチームメイトデビッド・クルサードは共にエアバルブのトラブルでリタイアとなった[6]。3名のドライバー、ウィリアムズのジェンソン・バトン、プロスト・グランプリのニック・ハイドフェルド、ミナルディのガストン・マッツァカーネがF1デビューを果たした。バトンとマッツァカーネはリタイアとなったが、ハイドフェルドは2周遅れの9位で完走となった[5][7]。
背景
シーズン開幕に先立って、ブックメーカーおよび元F1ドライバー達はシューマッハが優勝する予想したが[8][9]、多くがフェラーリのミハエル・シューマッハと1999年チャンピオン、マクラーレンのミカ・ハッキネンが優勝争いの中心になると考えた[10]。シューマッハの元チームメイトであり今年からジャガーに乗るエディ・アーバインはシューマッハが優勝すると予想した[11]。フェラーリで1979年にタイトルを獲得したジョディ・シェクターもシューマッハの優勝を予想した[12]。
11チーム、22名のドライバーが出場する本GPは3名のドライバーがデビューした。ニック・ハイドフェルドはプロスト・グランプリに加入しジャン・アレジのチームメイトとなった[13]。プロストの1999年シーズンのラインナップは2人とも入れ替えとなり、オリビエ・パニスはマクラーレンのテストドライバーに、ヤルノ・トゥルーリはデイモン・ヒルの後釜としてジョーダンに加入しハインツ=ハラルド・フレンツェンのチームメイトとなった[14][15]。ミナルディではルカ・バドエルが1997年から始めたフェラーリのテストドライバーとしての役割に専念するため、代わってガストン・マッツァカーネが加入した[16]。3人目のルーキー、ジェンソン・バトンはアレッサンドロ・ザナルディに代わってウィリアムズに加入した。バトンは2000年当時の最年少イギリス人ドライバーであった[17]。多くの関係者、ドライバーがバトンを採用したウィリアムズの選択に疑問を抱いていた。ザウバーのミカ・サロは、バトンは経験不足で「自分か他の誰かを傷つけるだろう。」と述べた[18]。
予選
ミカ・ハッキネンがチームメイトのデビッド・クルサードにコンマ35秒の差を付けてポールポジションを獲得、マクラーレンの2台がフロントローを独占した。ミハエル・シューマッハはクルサードのスピンによる赤旗のため最終アタックを放棄せざるを得ず、失意の3番グリッドとなった[3]。クルサードはそのスピンを、シューマッハのフライングラップを混乱させるために「故意に行ったのでは無い。」と語った。予選トップ3の顔ぶれは前2シーズンと変わらなかった。シューマッハの新しいチームメイト、ルーベンス・バリチェロは4番手に入り、ジョーダンのハインツ=ハラルド・フレンツェン、ヤルノ・トゥルーリがサードローとなった。ジャガーのエディ・アーバインが7番手に続き、ジャック・ヴィルヌーヴ、ジャンカルロ・フィジケラ、ミカ・サロまでがトップ10となった。ウィリアムズのラルフ・シューマッハが11番手に入ったが、ルーキーのチームメイト、ジェンソン・バトンはラルフに1.6秒遅れの21番手となった。バトンの後ろはもう一人のルーキー、ガストン・マッツァカーネとなり、彼らの前はジャガーのジョニー・ハーバートであった。バトンは後に予選セッションは「これ以上悪くなることは無い。」と語った[19]。
結果
決勝
22台中21台がグリッド上からスタートし、プロストのジャン・アレジがピットスタートとなった[20]。ハッキネンはスタートにおいて第1コーナーでリードを確保するため、ポールポジションの位置を交換した。クルサードとシューマッハは2番手と3番手にそれぞれ残っていたが、バリチェロはターン1でフレンツェンに抜かれ5番手に後退した。トゥルーリは1周目を終えた時点で6番手を維持していた[20]。後方ではバトンが順位を6番上げて21番手から15番手まで上ってきた[21][19]。これはミナルディのマルク・ジェネとルーキーのハイドフェルドが衝突したためでもあり、ジェネは修理のためピットストップしなければならなかった[1]。
2ラップ目にクラッチトラブルでジャガーのジョニー・ハーバートがリタイアする。4ラップ目までにマクラーレンの2台はシューマッハと共に、フレンツェンのジョーダンを引き離し、フレンツェンはシューマッハに5秒の差を付けられた。7ラップ目にペドロ・デ・ラ・ロサのアロウズのフロントサスペンションにトラブルが発生し、デ・ラ・ロサはタイヤバリアに激突した。ハーバートのチームメイト、アーバインはアロウズを避けようとしてスピン、エンジントラブルで再スタートできなかった[20]。両者共にリタイアとなり、セーフティーカーが出動、コースマーシャルが残骸を清掃する間、他の車はスロー走行を余儀なくされた[21][22]。
10ラップ目の終わりにグリーンフラッグが振られ、クルサードはエンジントラブルのため劇的に速度低下しピットインした。クルサードはコースに復帰したがトラブルは続き、結局11ラップ目にリタイアした。シューマッハが2位に浮上しフレンツェンは3位となる。バリチェロ、トゥルーリが続いてトップ5を形成した。BARのジャック・ヴィルヌーヴが6位を走行、バトンは12位を走行していた[20]。ハッキネンはクルサードと同じトラブルのため18ラップ目にリタイアした[21]。ハッキネンのリタイアでシューマッハがトップとなり、2位のフレンツェンに16.5秒の差を付ける。シューマッハは29ラップ目に唯一のピットストップを行い、フレンツェンが首位に立つ。シューマッハは3位でコースに復帰、トゥルーリの前を走行した[20][22]。バリチェロが33ラップ目にピットインしたが、フェラーリはバリチェロがフレンツェンの前に出られるように2ストップ作戦に切り替えた[22]。
トゥルーリは36ラップ目にギアボックスのトラブルでリタイアした。このリタイヤとピットストップで、バトンが36ラップ目のピットストップ前に3位に浮上した[20][21]。フレンツェンも36ラップ目にピットストップを行ったが、ジョーダンのメカニックは給油でトラブルに遭遇し、フレンツェンは10秒以上を費やすこととなる。フレンツェンは6位でコースに復帰したが、3ラップ後にギアボックスのトラブルでリタイアした[21][22]。バリチェロは2度目のピットストップ前、45ラップ目にチームメイトのシューマッハを抜いてトップに立つ。ピット後は2位でコースに復帰した[22]。
マクラーレン、ジョーダンのそれぞれ2台がリタイアしたことで、ラルフ・シューマッハが3位に浮上した。ヴィルヌーヴが4位、ベネトンのジャンカルロ・フィジケラが5位となり、バトンが6位となった[20]。11周を残す時点でバトンはエンジントラブルのためリタイアとなる[19]。BARのリカルド・ゾンタが6位に浮上したが、ザウバーのミカ・サロに抜かれる[20]。レースはシューマッハが58ラップ、1:34:01.987で優勝し、2位のバリチェロには12秒差、フェラーリの1-2フィニッシュとなった。ラルフ・シューマッハが3位に入り、僅差でヴィルヌーヴが4位となる。これによってBARはF1において初のポイントを獲得した[22]。フィジケラが5位、サロのザウバーが6位に入った。しかしながらレースの数時間後にサロは車体規定の違反のため失格となり、ゾンタが6位に繰り上げとなった[20]。
結果
レース後
レース後、ミハエル・シューマッハは以下のように語った:
僕は始めから楽に運転し、最後の瞬間に備えてタイヤと燃料を取っておいて、ピットストップが来てアタックしたんだ。不幸にも僕の前の2人はリタイアした。僕は最後まで彼らとレースをして、僕たちがどれだけ良いかを立証したかった。
[22]
第1戦終了時点でのランキング
- ドライバーズ・チャンピオンシップ[21]
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- コンストラクターズ・チャンピオンシップ[21]
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- 注:ドライバー、コンストラクター共にトップ5のみ表示。
脚注
- ^ a b “GRAND PRIX RESULTS: AUSTRALIAN GP, 2000”. GrandPrix.com. Inside F1, Inc.. 5 June 2008閲覧。
- ^ a b c “Michael Schumacher Wins the Australian GP”. Atlas F1 and Reuters (Haymarket Publications). (12 March 2000). http://atlasf1.autosport.com/news/2000/mar/2128.htm 5 June 2008閲覧。
- ^ a b “Hakkinen Sets 22nd Pole in Qualifying - Australian GP”. Atlas F1 and Reuters (Haymarket Publications). (11 March 2000). http://atlasf1.autosport.com/news/2000/mar/2118.htm 5 June 2008閲覧。
- ^ Tytler, Ewan. “The Australian GP Preview”. Atlas F1 (Haymarket Publications). http://atlasf1.autosport.com/2000/aus/preview/tytler.html 5 June 2008閲覧。
- ^ a b “2000 Australian Grand Prix”. The Official Formula 1 Website. Formula One Management. 2008年6月7日時点のオリジナルよりアーカイブ。2008年6月5日閲覧。
- ^ Mossop, James (13 March 2000). “Australian Grand Prix: Ferrari off to a flyer”. Telegraph.co.uk (Telegraph Group). http://www.telegraph.co.uk/htmlContent.jhtml?html=/archive/2000/03/13/smagp13.html 5 June 2008閲覧。
- ^ “Slow starters, or dream debuts?”. The Official Formula 1 Website (Formula One Management). (13 March 2007). オリジナルの2014年2月22日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20140222184404/http://www.formula1.com/news/features/2007/3/5752.html 5 June 2008閲覧。
- ^ “Schumacher Bookie's Favourite to Win Drivers' Title”. Atlas F1 (Haymarket Publications). (3 March 2000). http://atlasf1.autosport.com/news/2000/mar/2075.htm 5 June 2008閲覧。
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座標: 南緯37度50分59秒 東経144度58分06秒 / 南緯37.84972度 東経144.96833度 / -37.84972; 144.96833