ベネトンB191 (Benetton B191) は、ベネトン・フォーミュラが1991年のF1世界選手権参戦用に開発したフォーミュラカー。設計者はジョン・バーナード。1991年の第3戦から最終戦まで使用され、1992年も開幕戦から第3戦までB191Bが使用された。
B191
1989年秋にバーナードがフェラーリからベネトンに移籍して以来、待望の新作であるB191は発表前から注目度が高かった[3]。バーナードは部品点数を少なくし、シンプルなマシンを作るという目標をB191に設定した。
1991年4月に発表されたB191にはハイノーズが導入されていた。1990年にティレルが019で導入したハイノーズ+アンヘドラルウイングは、フロントウイングの面積が減ることや、強度が低下することが難点となっていた。そこでバーナードは同じハイノーズでもフロントウイングとノーズを完全に分離して、それらを2枚の板で吊り下げるデザインを考案。そのアイデアが投入されたマシンがB191である。フロントまわりはB190とはまったく違うが、サイドポンツーンからリヤ周りはB190を継承し似たデザインとなった。B191のフロントデザインは他のF1チームや、別カテゴリ(F3000など)のコンストラクターにも大きな影響を与えた。
また、他チームに対して何らかの形でアドバンテージを有したいバーナードは、タイヤをグッドイヤーからピレリに変更することをチームに要望。これを受けフラビオ・ブリアトーレがピレリとの契約を決めてくると、バーナードはさらに前面投影面積の減少による空気抵抗の軽減を狙い、タイヤ幅を前年より1インチ小さくすることをピレリに要望する。これにより同年ピレリ勢の中では最も上位のチームであったベネトンに合わせたタイヤ開発を進めることになり、この事は前年からピレリを履いていた他チーム(ティレル・ホンダ、ブラバム・ヤマハ)のマシン開発にも影響を与えることになった[注釈 1]。
F1参戦開始以来、カラーリングはこれまでグリーンを基調としてきたベネトンだが、同年よりキャメルがメインスポンサーに付いたことで、B191はキャメルイエローを基調とした配色にまとめられた。
1991年シーズン
ベネトンはトップチームの中で唯一ピレリタイヤを選択したが、アドバンテージにはつながらなかった。マクラーレン、ウィリアムズといった上位チームに勝負するには至らず、ネルソン・ピケが第5戦カナダGPで幸運な1勝を得るにとどまった。なおこのカナダGPの直後にバーナードがチーム内の内紛により辞任し、後任にはレイナードのF1参戦プロジェクトが頓挫しフリーになったロリー・バーンが復帰した。
第12戦イタリアGPから、ロベルト・モレノに代わって新人ミハエル・シューマッハが加入し、いきなりネルソン・ピケの予選順位を上回るなど、活躍を見せた。
スペック
シャーシ
- シャーシ名 B191
- 全長 4,075 mm
- 全幅 2,140 mm
- 前トレッド 1,818 mm
- 後トレッド 1,720 mm
- ホイルベース 2,880 mm
- 重量 505 kg
- 燃料タンク容量 200L
- クラッチ AP
- ブレーキキャリパー ブレンボ
- ブレーキディスク・パッド SEP[要曖昧さ回避]、ヒトコ
- ホイール O・Z
- タイヤ ピレリ
エンジン
- エンジン名 フォードHBシリーズIV,V,VI
- 気筒数・角度 V型8気筒・72度
- 排気量 3,494cc
- 最高回転数 13,800回転
- 最大馬力 740馬力以上
- スパークプラグ チャンピオン
- 燃料・潤滑油 モービル
B191B
1992年用マシンであるB192が完成するまでのつなぎとして、1992年開幕戦南アフリカGPから第3戦ブラジルGPまでB191Bが使用された。1991年に装着したピレリタイヤがF1から撤退したため、1992年はグッドイヤータイヤを使用した。第2戦メキシコGPではB191Bによりミハエル・シューマッハーが3位でフィニッシュし、自身初となる表彰台を獲得した。
スペック
シャーシ
- シャーシ名 B191B
- 全長 4,075 mm
- 全幅 2,140 mm
- 前トレッド 1,818 mm
- 後トレッド 1,720 mm
- ホイルベース 2,880 mm
- 重量 505 kg
- 燃料タンク容量 200L
- クラッチ AP
- ブレーキキャリパー ブレンボ
- ブレーキディスク・パッド SEP[要曖昧さ回避]、ヒトコ
- ホイール O・Z
- タイヤ グッドイヤー
エンジン
- エンジン名 フォードHBシリーズVI
- 気筒数・角度 V型8気筒・72度
- 排気量 3,494cc
- 最高回転数 13,800回転
- 最大馬力 740馬力以上
- スパークプラグ チャンピオン
- 燃料・潤滑油 モービル
F1における全成績
(key) (太字はポールポジション、斜体はファステストラップ)
脚注
注釈
- ^ この年ブラバム・ヤマハに所属していたマーティン・ブランドルは「ベネトンがピレリユーザーに加わってテスト走行の量が前年と比べ物にならないほど増えたのはタイヤ開発にとっては良かったが、サイズが変わったのは我々にとって不利益だった」と述べている(GPインタビュー マーティン・ブランドル by Mike Doodson F1速報1991ブラジルGP 31頁 武集書房 1991年4月13日発行)。
出典
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F1マシン | |
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主なスポンサー | |
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太字はベネトンにおいてドライバーズワールドチャンピオンを獲得。 |