高島 礼子(たかしま れいこ、1964年7月25日[4] - )は、日本の女優・タレント。神奈川県[4]横浜市[2]戸塚区出身[3]。太田プロダクション所属。
来歴
元々自動車好きで、神奈川県立野庭高等学校卒業後[5]に横浜市内の自動車関連会社で3年間OLとして働きながら[6]アマチュアレーサーとして活動し、21歳でJAFのコンペティションモータースポーツライセンス国内A級を取得した[2]。
レース活動費捻出のため、1987年に会社を辞めてレースクイーンとして活動開始[1][7]。その後芸能事務所に所属してモデル業を始め、1988年にとらばーゆのCMでデビュー[8]。このCMを見ていた松平健の紹介によって『暴れん坊将軍III』でドラマ初出演し、25歳で本格的に女優デビューを果たす[9][10]。
1993年に初主演した『さまよえる脳髄』で大胆なヌードを披露し注目を浴びる[5]。ただし当時は、誰かのお姉さんや奥さんなど普通の役での出演が多かったという[10]。しかし、1996年にヤクザ映画『陽炎』シリーズ(本人の出演は『陽炎2』から)で気の強い女賭博師に挑戦する[10]など、以降幅広い役をこなしながら女優として順調にステップアップしていく[1]。
1999年からは『極道の妻たち』シリーズを岩下志麻から引き継ぎ、4代目「極妻」を務めた[10][11]。東映制作の『暴れん坊将軍III』で女優デビューし、東映作品の出演が多いことから、「東映育ちの役者」を自称している[10]。
同年2月、約2年の交際を経て、俳優の高知東生とハワイで挙式[12]。
2001年、『長崎ぶらぶら節』での演技で第24回日本アカデミー賞優秀助演女優賞を受賞[10]。
2011年11月25日、同年12月1日付で所属事務所を太田プロダクションからエイベックス・マネジメントへ移籍することを発表(一部業務は太田プロと提携)[13]。2013年7月20日、エイベックス・マネジメントとの業務提携契約が終了し、再び太田プロダクション所属となる[14]。
高知とは、おしどり夫婦として知られていたが2016年8月1日、高知との離婚を発表[15][16]。
2023年10月17日、KIMONOIST AWARD 2023を受賞[17]。
エピソード
レーサー志望から芸能界へ
小さい頃は内向的な性格だった[18]。父が厳格な教育者だったため[7]日常的に色々と注意され、テレビ番組もNHK大河ドラマと『暴れん坊将軍』くらいしか見てはいけないと言われていた[注釈 1]。このため早く自立しようと高校時代からアルバイトをしてその費用を稼ぐようになった。父から大学へ進学するよう言われていたが、それを拒んで就職した[18]。
OLを辞めてレースクイーンになった後、キャンペンガールやキャビンレーシング事務局でのアルバイトも経験しながらレース費用に充てた[18]。その間サーキット場に通って様々な人と触れ合う内に、元々の内向的な性格から強い性格に変わっていったという[18]。当時はプロのレーサーになりたいと思っておりレースにも何度か参戦したが、金銭面の負担が大きかったことから断念[18]。23歳の頃、キャンギャル仲間からモデル事務所を紹介してもらってモデル業を始めた[18]。
『暴れん坊将軍III』
女優デビュー作であるドラマ『暴れん坊将軍III』の撮影が行われた京都太秦撮影所では、礼儀や所作などがかなり厳しい現場だった[18]。太秦のスタッフ陣はプロフェッショナル集団だったためスパルタ教育だったが、本人も懸命に時代劇の所作や殺陣などを学んだ[18]。本人は後年「今(2023年)思えば、太秦で女優デビューできて良かったと思います」と回想している[注釈 2]。
本作の関係者から時代劇ドラマ『将軍家光忍び旅』の第1作(テレビ朝日)のレギュラーや新歌舞伎座の舞台『暴れん坊将軍』、及び現代劇ドラマ『代表取締役刑事』(テレビ朝日)に起用してもらえたという[18]。1990年に『暴れん坊将軍』を卒業する時、太秦のスタッフに「私は、お世話になった皆さんに何を返せるんでしょう?」と尋ねた。するとスタッフから「いつか女優として大成することが、『暴れん坊将軍』の皆にお返しすることやないか」というアドバイスをもらった[18]。
人物
母は、高島の若い頃に自立を応援したり、レース費用も援助してくれていた[18]が、20歳の頃にがんで亡くなっている[7]。
父・峯島武[19]は東茨城郡城里町下圷出身[20]。その縁で高島は「しろさと大使」に任命された[20]。若い頃に父から芸能界入りを猛反対されたが、本人の意思の固さに根負けされ、その後は応援してくれるようになった[7]。40歳の頃、父のパーキンソン病が発覚し、その後介助が必要になった頃から親族やヘルパーの力も借り、本人も仕事と両立しながら横浜の実家や入院先に通って13年間介護生活を送った後、2023年に父は亡くなった[7]。
趣味は、テニス、ゴルフ[4]。高校時代から車に興味を持ち始め、16歳の頃に原動機付自転車の免許を取り、18歳で車の免許を取得[18]。
好きな車種は、トヨタ自動車のクレスタ、マークII、チェイサー(これらは、俗に“「マークII三兄弟」”と呼ばれる)[21]。
出演
テレビドラマ
配信ドラマ
映画
舞台
- 地球ゴージャス VOL.6 KARTE カルテ(2002年) - 鏡響子 [75]
- 女たちの忠臣蔵(2012年1月2日 - 28日、明治座 / 2月3日 - 24日、新歌舞伎座) - 主演・大石りく 役[8]
- 春日局(2015年1月2日 - 23日、明治座) - 主演・春日局 役[76]
- 御宿かわせみ(2016年5月3日 - 27日、明治座) - 庄司るい 役[77][78]
- おんなの家(2017年10月6日 - 29日、明治座) - 梅 [79]
- 悪魔と天使(2019年1月19日 - 2月3日、KAAT神奈川芸術劇場ホール / 2月9日・10日、梅田芸術劇場メインホール / 3月1日 - 3日、御園座) - 九條小百合 役[80]
- 『ドクター・ブルー』〜いのちの距離〜(2021年1月23日 - 2月7日、KAAT神奈川芸術劇場 / 2月13日・14日、御園座 / 2月26日 - 28日、NHK大阪ホール) - 雲母輝子 役[81]
- 震災復興支援朗読会『まんが日本昔ばなし』震災復興10周年メモリアル(2021年3月11日、セルリアンタワー能楽堂)[82]
- ハロルドとモード(2021年9月30日 - 10月14日、EXシアター六本木 / 10月16日 - 18日、森ノ宮ピロティホール)[83]
- ミュージカル「東京ラブストーリー」(2022年11月 - 12月、東京建物 Brillia HALL 他) - 和賀夏樹 役[84]
- 舞台「メイジ・ザ・キャッツアイ」(2024年2月6日 - 3月3日、明治座) - 主演・来生泪 役(藤原紀香、剛力彩芽とトリプル主演)[85]
劇場アニメ
テレビアニメ
- ミュウツー 〜覚醒への序章〜(2013年7月11日、テレビ東京) - ミュウツー (特別出演)[87]
ドキュメンタリー
- 非破壊検査PRESENTS「おんな北斎 - 天才浮世絵師は二人いた!」(2010年、日本テレビ)
- 趣味Do楽「パティシエ青木定治とつくる あこがれのパリ菓子」第5回・第6回(2013年1月7日・1月14日、NHK Eテレ) - 生徒役
- 絶対みたい“世界遺産”最強ツアー! 〜朝日のナポリ旧市街から 夕陽に輝くアルハンブラ宮殿までの絶景旅!〜(2014年3月9日、BS日テレ)
- 悠久の京都絶景物語〜高島礼子 日本の美を歩く(2014年11月9日、BS-TBS)
- 高島礼子・日本の古都〜その絶景に歴史あり(2015年4月8日 - 2018年3月30日、BS-TBS) - 旅人
- TOKYOディープ!(2015年4月 - 2017年、NHK BSP) - 旅人
- 高島礼子が家宝捜索!蔵の中には何がある?(2018年4月6日 - 2021年2月、BS-TBS) - 旅人[88]
- スイーツ列車紀行(NHK BSP) - 旅人
- ファミリーヒストリー(2022年5月23日、NHK総合)
バラエティ
- 水バラ BINGO対決旅(テレビ東京)
- 「夏の箱根で激突! BINGO対決旅 名女優&ジャニーズも参戦SP」(2021年8月11日)
- 「BINGO対決旅2 秋の信州で激突! 高島礼子リベンジに燃えるSP」(2021年10月20日)
- 「北の大地で激突! BINGO対決旅」(2022年6月1日)
- 水バラ バスVS鉄道 乗り継ぎ対決旅(テレビ東京)
- 「バスVS鉄道 乗り継ぎ対決旅13 ▼秋の東北に高島礼子降臨SP」(2022年10月12日)太川陽介の代役。[91]
ラジオ
- 高島礼子のトーキングウォーキング(2020年4月5日 - 2020年6月28日、TBSラジオ)[92]
CM
イベント
書籍
- レディブティックシリーズ 高島礼子 手編みのセーター(ブティック社、1997年)※モデル
- 撮られた暁の女 松活妄想撮影所写真集(扶桑社、2003年)※合同写真集
CD
- どんなにうまい嘘だって(村田雄浩とデュエット)(2000年11月1日)- CDシングル
- 黄桜「呑」CMイメージ・ソング (TKDA-72048,ミノルフォン)
- 恋の奴隷 「なかにし礼と12人の女優たち」収録(2015年1月21日)[100]
- ホテル 「なかにし礼と13人の女優たち」収録(2016年9月28日)
脚注
注釈
- ^ 一度母とテレビで野球を観ていたというだけで、後から帰宅した父にすごく怒られたという[18]。
- ^ 加えて本人は後年、「こんなに芝居も立ち回りもできない私に、ものすごいチャンスを与えてくださった(主演の)松平健さんやスタッフの皆さんのためにも“頑張らないと”との思いでした。スタッフの方たちは、「(松平)健ちゃんの大事にしている子や。しゃーない(仕方ない)、可愛がってやるか」という感じになって、他の新人さんたちよりはすんなりだったと思います。私はそれ(ドラマの撮影現場)が初めてで他を知らないので、それ(厳しい指導方法)が普通だと思っていました」とも語っている[18]。
出典
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*は複数回の受賞。男性は1992年から、60代以上は97年から、10代は99年から対象 |