『第43回NHK紅白歌合戦』(だいよんじゅうさんかいエヌエイチケイこうはくうたがっせん)は、1992年12月31日(木曜日)にNHKホールで行われた43回目となるNHK紅白歌合戦である。19:20 - 23:45までNHKで生放送された(20:55 - 21:00は『NHKニュース』放送の為中断)。テーマは「テレビ40年・日本そして家族」[1]
概要
放送まで
両組司会について、紅組司会はこの年下期の連続テレビ小説『ひらり』のヒロイン・石田ひかり[注釈 1]、白組司会は2年連続となる堺正章がそれぞれ起用された。
総合司会は2年連続で山川静夫が担当した。当時59歳の山川の総合司会は、第56回(2005年)の当時61歳のみのもんた(同回の事実上の総合司会)に抜かれるまで男性司会者および総合司会の最年長記録となっていた。ただし、第56回は「グループ司会制」となり、司会の役割は決められていなかったため正式な肩書の総合司会の最年長記録はその後も保持している。
前回大好評だった浅野ゆう子・堺・山川の司会トリオの続投を望む声が強かった中で、紅組司会は宮沢りえ(新聞で宮沢が紅組司会を務めるとスクープ報道もされた)の起用も視野に入れながら、まず11月初旬に山川の総合司会続投が決定。次に安定感・抜群の話術の堺の白組司会続投が決まった。宮沢の起用が困難という状態が続き、「やはり浅野で……」という話が出かけた時、「3人共去年と一緒では新鮮味に欠ける、せめて紅だけでも変えたい」という意見が出され振り出しに[2]。そこで最終候補に絞られたのは西田ひかる(『西田ひかるの痛快人間伝 -Dashing life story-』の司会者)、坂本冬美、森口博子、小泉今日子(前回も候補に挙がり、番組側は交渉を行ったが辞退)だった。最初に森口が浮上したが、「森口・堺コンビではあまりにバラエティ色が強過ぎる」となり、坂本は「生放送で歌うだけでもやっとなのに、司会など緊張してとんでもありません。もう少し度胸がついてから……」と返答したという。その後、一部新聞で西田の起用決定が報じられたが、実際には石田が選出された[2]。
石田は11月18日の司会発表会見で、「10日程前に親友の西田ひかるちゃんの名前が出てたんで、もう司会者は決まったんだと思っていました。審査員で出られるとは思っていましたが、まさかこんな話になるとは。昨日事務所から聞いたばかりなので実感がわきません。国民的行事の司会、もう芸能界を辞めてもいいかなと思っています」と手放しで喜びを見せた。一方、堺は「2週間程前にNHKの方から『テレビ小説』(『ひらり』)を見るように言われたんです。来年の主役にしてくれるのかなと思ってたんですけど、石田さんのことだったんですね」と会場を笑わせた[2]。石田の抜擢は紅組司会の人選が難航する中、スタッフが『ひらり』で人気を上昇させていた彼女に目を付けたことがきっかけという[3]。
チェッカーズが本紅白を最後に解散した[4]。メンバーがステージに登場する度に客席のファンから声援が飛び交い、歌唱時のステージでそれが最高潮に達する。当初は白組トリおよび大トリでの出演が有力視されており、番組側もその方向で調整を進めていたが、この当時は紅白でグループでトリを取ったという前例が全くなかったため見送られた。なお、同ボーカル・藤井フミヤは翌年ソロ活動を本格的に活動開始し、第44回にはソロ歌手として初出場を果たす。
小泉は紅白の隠し目玉と噂されていたが辞退し、結局白紙になった。
当日のステージ
白組のトップバッターを務めたSMAPの「雪が降ってきた」では、KinKi Kidsがバックダンサーとして出演している。この時はまだグループ名が定まっておらず、「KANZAI BOYA(カンサイボーヤ)」名義での出演だった。その後KinKi Kidsは第50回(1999年)の特別枠出演を経て、第67回(2016年)に正規出場の歌手として出演している。
中山美穂が「世界中の誰よりきっと」を歌うことを理由に、楽曲に参加したWANDSがサポートで出演した。
ケー・ウンスク、堀内孝雄がこの年のヒット曲となったデュエットソング「都会の天使たち」を紅白の垣根を越えて披露。これまで、男女デュエット曲の披露に際しては、曲目の選定から外すか、もしくは他方のチームに組み入れるという形でデュエット曲、あるいは出場歌手の取扱いがなされてきたが、ケー、堀内いずれも既に紅白の常連であったことを考慮してこのような形が採られた。なお、2人の曲紹介は山川が行った。
西田と鈴木雅之の曲紹介時は、両組司会が入れ替わって曲紹介をした。
DREAMS COME TRUEは「晴れたらいいね〜紅白バージョン〜」[注釈 2]を歌唱した。「晴れたらいいね」は、石田がヒロイン役の『ひらり』の主題歌であり、曲紹介時に石田は「私藪沢ひらりこと石田ひかりもお世話になっているアーティストです。」と述べた。
Xのリーダー・YOSHIKIが「Tears〜大地を濡らして〜」を作詞・作曲し、出場歌手で大合唱。YOSHIKI自身もパイプオルガンを演奏した。なお、同曲は翌年にX JAPANが「Tears」(大部分のキーと歌詞を変更)として発売し、第44回では同グループの歌唱曲として披露された。
小林幸子も推定4億円ともいわれる「光のファンタジー」と呼ばれる豪華衣装で登場したが、6万2500個の電球がつかないというハプニングに見舞われた。当の小林は観客の反応で、電球の光が付いていないなと悟ったという。
米米CLUBの歌唱終了時、テレビなら見ることのないセットの入れ替えの風景を放映した。
第40回(1989年)以来3年ぶりのカムバックで紅組トリを初めて務めたのは由紀さおりであり、「赤とんぼ」「どこかへ帰ろう」のメドレーを歌唱(安田祥子が舞台裏でコーラスを担当)。紅白のトリがメドレーとなるのは史上初。翌年以降は、由紀は安田とのデュオとして第52回(2001年)まで連続出場していた[注釈 3]。
ショーコーナーでは、少年隊が仮面ライダーのテーマソング「レッツゴー!!ライダーキック」を披露した。6年前の第37回に出場し「仮面舞踏会」を披露した際に、その時の白組司会の加山雄三が「仮面ライダー」と言い間違えたことにちなんだものである。少年隊の錦織一清はこの回は紅白に出演していない加山に対し、「加山さん見てますかー?」と言った。
白組トリおよび大トリはこの年デビュー30周年を迎えた北島三郎の「帰ろかな」。同曲の作曲者で、この年逝去した中村八大を追悼して歌われた。後述の梓みちよも中村を追悼して「こんにちは赤ちゃん」を歌唱した。
15対2で白組が優勝した(客席審査は1階席→紅組:342、白組:348、2階席→紅組:474、白組:597、3階席→紅組:216、白組:600、ゲスト審査員は紅組:2、白組:9といずれも白組が優勢)。
エンディングの「蛍の光」で指揮を担当した藤山一郎も、翌1993年8月に逝去した。
ゲスト審査員として宇宙飛行士の毛利衛にも出演交渉を行ったが、「大晦日当日はアメリカにいる」ということで辞退した[5]。
放送後
関東地区の視聴率は前回の51%から55%に上昇した。この視聴率は、第49回(1998年)に57%を記録するまで2部制になった紅白の中では一番を記録した。
ビデオリサーチ調べ、関東地区における瞬間最高視聴率はDREAMS COME TRUE出演時に記録された62.0%である[6][7]。
第44回も両組司会は石田・堺が続投した一方、総合司会は山川の後輩である森田美由紀(東京アナウンス室)に交代となった。山川はこれが最後の司会担当となっている。
司会者
演奏
審査員
大会委員長
出場歌手
紅組、 白組、 企画、 初出場、 返り咲き。
「テレビ40年思い出の主役たち」の曲目・歌手は次の通り。
選考を巡って
ゲスト出演者
演奏ゲスト
脚注
注釈
出典
参考文献
- NHK『テレビ50年 あの日あの時、そして未来へ』(NHKサービスセンター 2003年2月)
外部リンク
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