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この項目では、当代について説明しています。先代については「昔昔亭桃太郎」をご覧ください。 |
春風亭 昇太(しゅんぷうてい しょうた、1959年〈昭和34年〉12月9日 - )は、落語芸術協会に所属[2]している落語家、日本のタレント・俳優。2019年より落語芸術協会会長[3][4]。現・『笑点』司会者。出囃子は『デイビー・クロケット (The Ballad of Davy Crockett)』。定紋は『五瓜に唐花』または『クラゲ』『赤鳥紋』[5][6]。血液型O型[7]。妻は元宝塚歌劇団雪組娘役の宝珠小夏。静岡県静岡市清水区(旧・清水市)出身。
一門
昇太の師である春風亭柳昇は、落語を始める前に兵役負傷で手指を数本欠いたことから、新作落語専門で大成した人物であった。弟子は新作派の昔昔亭桃太郎、古典派の9代目春風亭小柳枝、瀧川鯉昇など分野多彩である。昇太は新作を得手とするが、多くの古典も手掛け、他者に似ない昇太流の唯一無二の演出を施している。
テレビの視聴者参加番組から弟子入りした経緯もあるが、テレビ活動に力を入れるところも師の柳昇譲りである。
元々は6代目春風亭柳橋の一門で、柳派だが春風亭柳枝(4代目とそれ以前の)の流れをくむ。
なお、同じ笑点メンバーである春風亭一之輔は林家彦六(八代目林家正蔵)の一門で、元々は3代目柳家小さんの系統である。彦六は一之輔の大師匠・5代目春風亭柳朝の真打昇進時に、6代目柳橋から「柳朝」の名跡を譲り受けたが、昇太と一之輔は一門の関係では無い。
生前の桂歌丸などから師匠の名跡である柳昇襲名を求める声もあるが保留している[8]。
来歴
静岡県清水市高橋南町[9]出身。秋葉幼稚園[9]、清水市立辻小学校[9]、清水市立第六中学校[9]、東海大学第一高校を卒業。父親は日本軽金属勤務のサラリーマン(研究職)[10]、2歳年上の兄がいる[11]。兄は小学生の時から落語を聴いているような子であったが、昇太は当時落語に興味は全くなかった。兄嫁は昇太の小学校時代の同級生である[11]。
高校時代はソフトボール部に所属していた。1978年(昭和53年)東海大学文学部に入学し、ラテンアメリカ研究会に入部するため部室を訪ねたが不在であった。部室が隣の落語研究部の先輩に「ここで待ってれば?」と招き入れられ、稽古などを観て「楽しそうなので」入部し、同時に学生プロレスのリングアナウンサー兼実況として活動する。落研時代の高座名は「頭下位亭切奴」(とうかいてい きりど[12]・「きりやっこ」表記もあり[13])。春風亭小朝などの落語を生で聞いた時に面白く、落語に一気に興味を持ち始めるようになる[14]。大学2年生の時にテレビ番組『大学対抗落語選手権』にて優勝して学生落語名人となる[13]。その後、落研の先輩[注釈 1][15]のすすめでテレビ朝日の『ザ・テレビ演芸』に漫才コンビ、ザ・まんだらーず[注釈 2][16]として出演。初代グランドチャンピオンになったのを期に大学を中退し、1982年(昭和57年)、春風亭柳昇に入門[17]。
前座時代より『演芸ひろば』司会など、テレビに多数出演している。前座名の昇八は、柳昇の8番弟子であることから付けられている。師匠が新作落語の名手と謳われた柳昇ということもあり、同じく新作落語を活動の中心に置き、「悲しみにてやんでい」など型破りな新作落語で人気を得た[注釈 3]。
1986年(昭和61年)に二つ目に昇進、春風亭昇太に改名[17]。
1988年(昭和63年)NHK 銀河テレビ小説「新橋烏森口青春篇」(原作・椎名誠)に高橋イサオ役で出演。
1989年(平成元年)にNHK新人演芸コンクール優秀賞受賞。
1992年(平成4年)に席亭推薦による抜擢で真打に昇進[17]。
1998年(平成10年)に平成9年度の浅草芸能大賞新人賞受賞[17]。
2000年(平成12年)独演会「古典とわたし」など独自の解釈を加えた古典落語にも挑戦[注釈 4]。同年国立演芸場花形演芸大賞、文化庁芸術祭大賞受賞[17]。
2003年(平成15年)、柳家喬太郎らとともに「SWA(創作話芸アソシエーション)」を旗揚げした。SWAでの背番号は「4」。同年、タレントの松尾貴史、マジシャンのパルト小石(ナポレオンズ)、コメディ作家の須田泰成らと、東京都世田谷区のバー「bar-closed」の共同経営をはじめた。
2005年(平成17年)には落語を題材にしたテレビドラマ『タイガー&ドラゴン』に出演し、自ら出演俳優らに落語の演技指導も行った。同年10月からは『オールナイトニッポン』のパーソナリティーを務める。伊東四朗と三宅裕司を中心に2004年に結成された演劇ユニット熱海五郎一座に参加、その後の作品に出演を続ける。
2006年(平成18年)1月8日に毎日放送制作のドキュメンタリー番組『情熱大陸』で特集された落語家によるデキシーバンド「にゅうおいらんず」で、トロンボーンを担当する。東西落語界の壁を超えた六人の会の一人である。
2006年5月21日より、日本テレビ『笑点』の大喜利メンバーに加入。
2007年2月13日から25日まで、下北沢演芸祭をプロデュース。[18]
2008年、大名古屋らくご祭(主催:東海テレビ放送)がスタート、毎年中心メンバーとして出演する[注釈 5]。
2012年3月[19]、静岡市観光親善大使の委嘱を受ける[20]。
2012年4月、落語家生活30周年を記念して歌と落語のCD「ざぶとんとおたまじゃくし」をリリース。それに先立って2月にCDに収録した本人作詞・岡田徹作曲の昭和ムード歌謡風の楽曲「城好きの人」を配信、歌手デビューした[21]。
2013年4月、プロデューサーをつとめる清水にぎわい落語まつりが静岡市清水文化会館マリナートでスタート[22]。年1回開催。
2013年11月24日、滋賀県長浜市お城大使に就任[23]。
後述の通り2019年まで独身を通し、出演番組でもそのことをネタにされることが多かった。本人はしばしば「結婚はしない」と発言しており、弟子の春風亭昇也が2014年5月6日に挙式をした際に、昇太は「仲人」「師匠」ではなく「友人代表」として出席した[24][25]。
2016年5月、平成28年度静岡県文化奨励賞を受賞[26]。8月25日に川勝平太静岡県知事を表敬訪問[27][28]。
2016年5月22日に『笑点』5代目司会者の桂歌丸が降板して6代目司会者に抜擢され、5月29日から司会を務める[29]。
2016年9月、富山県砺波市の増山城の名誉城主に任命[30]。2018年からは城の音声ガイドのナレーションも務めている[31]。
同年、第29回日本メガネベストドレッサー賞・文化界部門を受賞[32]。
2016年12月31日、第67回NHK紅白歌合戦にゲスト審査員として登場したが、事前収録された裏番組『絶対に笑ってはいけない科学博士24時』の「DVD 笑点大喜利」コーナーにも出演した[33]。
2018年4月、研ナオコ・百田夏菜子らとともに、静岡県からふじのくに観光大使を委嘱される[34]。
2019年6月27日、落語芸術協会会長に就任[3][4]。
2019年6月30日放送の笑点の番組エンディングで、自身の結婚を報告した[35]。当初相手は40代の一般人女性としていたが、その後『高田文夫のラジオビバリー昼ズ』で昇太本人が認めたことや『女性自身』の取材から、青山ケンネル専務取締役の下薗(旧姓)利依(「林依」表記もあり、元宝塚歌劇団83期生・雪組娘役の宝珠小夏)である事が明らかとなった[36][37]。
2019年10月19日、東京・帝国ホテルで結婚披露宴を行う。落語家や芸能人を中心に400名あまりが出席した[38]。新婦側のスピーチに立った笑福亭鶴瓶の話の中で、鶴瓶が2人の出会いを取り持ったキューピッド役であることが明かされた[39][40]。
2021年10月1日付で東海大学海洋学部客員教授に就任[41]した一方で、2024年10月より東海大学の4年次に編入し復学することを発表している(復学とともに客員教授は退任となる)。翌年9月までに退学時に残存していた単位の修得を目指す[42]。
芸歴
人物
趣味など
人間関係
東海大学映画研究会出身の映画監督の松本貴子は、東海大学落語研究会出身の昇太とは旧知の仲(昇太が先輩)。松本が制作したドキュメンタリー映画『氷の花火 山口小夜子』(2015年)に、主要出資者としてエンドロールに昇太の名前が出ている[48][49][50]。
笑点でのキャラクター
『笑点』の大喜利メンバーとして
正式加入前
- 1980年代の『若手大喜利』にて大喜利メンバーの1人として出演していた事があり、1990年代後半に入ってからは『大喜利下剋上』→『若手大喜利』の司会を担当するようになった。後に派生番組である『BS笑点』→『笑点Jr.』での総合司会に繋がった。
回答者時代
- 2006年5月に4代目司会者の5代目三遊亭圓楽が勇退し、桂歌丸が回答者から5代目司会者に昇格した事に伴い、歌丸の後継で大喜利レギュラーメンバーに加入。以後、10年間に渡ってレギュラー回答者を務めた。大喜利では、銀鼠の色の高座着を着用している。
- 大喜利メンバー加入のオファーがあった際には、『笑点』でのキャラクターが落語の仕事の邪魔になるのではないかと考えていたが、落語家の親に孝行したいという思いでオファーを引き受けた[2]。メンバーが前座時代から一緒にいる人たちでかつ後輩の林家たい平が林家こん平の代理として先に大喜利メンバー入り(昇太の加入と同時に、正式メンバーに昇格)していた事が、自身にとっては楽だったと語っている[51]。自身の「嫁いないキャラ」が定着したきっかけは6代目三遊亭円楽が「昇太には嫁がいない」などというようなことを最初にいったのがウケたことであり、周りのメンバーがそれに便乗していつの間にかそうしたキャラが完成した[51]。
- 喋る途中で呂律が回らない、舌を噛むという欠点があり、「カミカミ王子」[2]を自虐ネタとしている。
- 歌丸司会時代の10年間では座布団10枚を4回経験している一方で、6代目円楽(楽太郎)が率いるブラック団の一員として団長の6代目円楽以上に毒のきつい、歌丸罵倒ネタを時折言い放つ事も何度かあった。これ以外でも独身ネタを弄られたり、円楽による罵倒ネタなどに加担していないにもかかわらず、座布団没収の対処にされることもしばしばあった。
- 派生番組の『笑点Jr.』では、『BS笑点』として放送開始から放送終了に至るまで総合司会を務めていた。
- 加入して日が浅い頃には、奇をてらうことのない答えが多く、答えた後に会場が一瞬沈黙状態になることもしばしばあった。
- 大喜利冒頭の挨拶では、自身や他メンバーの間抜け話を語っては「それじゃあダメじゃん、春風亭昇太です」という口上で一人突っ込みをする終わらせ方を多用していた。2006年末頃より、他のメンバー(特に三遊亭好楽)もこのパターンを踏襲した挨拶をしばしば用いている。
- 喋る途中で舌が回らない・舌を噛む事を自虐ネタに用いたり、他のメンバーがからかったりするが、これは元々落語家・昇太にしても同じであり、師匠柳昇も同様である。普通、落語家にとって噺の途中で噛むというのは聴き取り辛く、不快に思う聴き手も居ることからあまり好ましく無いのだが、この師弟にとっては語り口調としての一つの味わいともいえる。答えを噛んだり回答が滑ってしまった場合は自主的に座布団を返納することもあったが、歌丸に「1枚で済むと思ったら大間違いです」と更に1枚撮られることが常だった。
- 歌丸に次ぐ高齢であった木久扇(旧名、林家木久蔵)の罵倒ネタも多く、「病院(病室)に戻りましょうね」や「ハイカイ王子」等、徘徊老人扱いするネタをすることがあった。
- たい平のみが「昇太兄(あに)さん」と呼んでいるが、これは年齢が近い年上だからではなく、落語界での決まりごとで、自分が落語界入りした際に、既に存在する前座ないし二ツ目の落語家を基本的に先輩として「兄さん」と呼ぶことになっている[注釈 6]。「兄さん」と呼ぶ事に関しては入門先は勿論の事、所属団体も一切関係無い。つまり、たい平がこん平一門に入門した時(1988年)、昇太は二ツ目であり、「兄さん」と呼べる位置に居たという事がわかる。尚、「兄さん」という呼び方をしていた先輩の落語家が先に真打(“師匠”と呼ばれるようになる地位)に昇進しても「兄さん」という呼び方に変わりは無い[注釈 7]。
- 歴代大喜利メンバー加入年齢では当時46歳と、2024年4月に立川晴の輔が51歳で加入するまで最高齢記録だった。
- 歌丸からは、「役員」と呼ばれることがある(小遊三の「副会長」と同じ理由で)。
- 地方収録での挨拶は「ついに、春風亭昇太が(その地方に)お嫁さんを探しににやって参りました‼」などのフレーズをお決まりとして使っていた。
- 2016年5月22日、桂歌丸の司会勇退に伴い6代目司会に抜擢[29]。その起用理由は、プロデューサーから「消去法」と冗談めかして語られた[52]。
司会者時代
- 代理司会や司会就任当初は後輩にあたるたい平、2代目三平を指名するときは、君付けで、逆に先輩の小遊三、好楽、木久扇、6代目円楽は師匠付けで呼んでいたが、2016年6月19日(第2518回)放送分以降は全員に「さん」付けで統一された[53]。相手が先輩であろうと罵倒されたりツッコミを入れる際にはタメ口で話したり、「こいつ」呼ばわりすることがある。
- 司会就任当初はメンバーが番組中に無駄話をして昇太の話を全然聞かず、小遊三から「学級崩壊」と呼ばれていた[54]。
- 以前は独身をいじる回答で罵倒される事が多かったが、2019年6月末に結婚してからは離婚ネタや新婚生活を冷やかす回答で罵倒される事が多くなっている。
- 回答者の後に司会者の一言でウケ方が変わるため難しい立場と感じているが、個性的なメンバーの中で楽しく司会するようになった[14]。
- 2024年4月に晴の輔がメンバー入りしてからはメンバーの罵倒合戦や歌ネタなどで脱線した際、悪ノリが少ない晴の輔による綺麗な回答で場を引き締めさせることが多くなるが、名前が似ている春風亭一之輔と間違えて指しては「名前が紛らわしい」と突っ込むこともある。
- メンバー全員で家族を形成しているという考えから回答者の入れ替えを抑えた5代目圓楽やその考えを受け継ぎ自身の司会在任期間を一貫して同じメンバーで通した桂歌丸に対し、三平降板に伴う宮治の加入、宮治とほぼ入れ替わりに6代目円楽が病気療養により休演し、その後に逝去。それを受けて年明けから一之輔が加入。2024年には最古参メンバーである林家木久扇がついに勇退、それを受けて晴の輔が加入するなど、世代交代とでも言うべきか四半世紀ぶりに活発なメンバー入れ替えを経験している。
主な持ちネタ
以下の新作がある。
- 『悲しみにてやんでい』
- 『ワシントン伝』
- 『力士の春』
- 立川藤志楼・演によるリニューアル作品『力士の春'08』もあり
- 『ストレスの海』
- 『宴会の花道』
- 『リストラの宴』
- 『愛犬チャッピー』
- 『お父さんの決断』
- 『夫婦に乾杯』
- 『吉田さんのソファー』
- 『マサコ』
- 『遠い記憶』
- 『人生が二度あれば』
- 『花粉寿司』
- 『伊与吉幽霊』[注釈 8]
他
新作中心ではあるが、円熟期に入り古典落語を演ずる機会も多くなっており『時そば』『看板のピン』『寝床』『愛宕山』『崇徳院』『不動坊』などを持ちネタとしている。
出演
現在
ラジオ
テレビ
過去
ラジオ
テレビ
- 1993年5月12日:お父さんの決断
- 1993年6月9日:へっつい盗人
- 1993年7月14日:看板のピン
- 1993年8月11日:Jリーグの悲しみ
- 1993年8月18日:権助魚
- 1993年9月22日:ちりとてちん
- 1993年9月29日:悲しみにてやんでぃ
- 1993年12月29日:愛犬チャッピー
- 1995年1月2日:宴会の花道
NHK紅白歌合戦出演歴
ドラマ
映画
舞台
CM
作品・出版物
書籍
- ぼくがモスラを好きなわけ(1992年、立風書房)
- 楽に生きるのも、楽じゃない(1997年 東京書籍、2001年 新潮OH!文庫、2017年 文春文庫[注釈 10])
- はじめての落語。春風亭昇太ひとり会(2005年、糸井重里監修 ほぼ日CDブックス 東京糸井重里事務所)*CD付
- 城あるきのススメ(2011年、小学館)
共著・監修・他
- 楽しんだ者勝ち(2002年、インフォバーン) - 林家たい平と共著
- 六顔萬笑(2004年、近代映画社)六人の会(著)、橘蓮二(撮影)、小野幸恵(構成)
- 落語って、こんなハナシ 知らないなんてもったいない!(2005年、ブックマン社) - 監修
- 楽語・すばる寄席(2006年、集英社) - 夢枕獏・林家彦いち・三遊亭白鳥・神田山陽・柳家喬太郎共著
- 楽語 席亭夢枕獏・爆笑SWAの会(文春文庫)
- 古典と新作 らくご絵本 りきしの春(2016年、あかね書房) - 編集 ばばけんいち、イラスト 本秀康
- ザ・前座修業 - 5人の落語家が語る(2010年1月、NHK出版 生活人新書)- 稲田和浩・守田梢路著 *インタビューで登場
- 落語を聴くなら 春風亭昇太を聞こう(2010年3月、白夜書房 落語ファン倶楽部新書)松田健次著 *昇太へのインタビューも含めた春風亭昇太の紹介本
- 橘蓮二写真集 噺家 春風亭昇太(2010年2月、河出書房新社)
- 落語長屋 噺の処方箋(2010年7月、アールズ出版)稲田和浩著 - 表紙に推薦人として登場
- 今日も落語に行ってきます!(2016年3月、秀和システム) 先斗ポン太著 - 落語監修
- 旬缶クッキング(レシピカードブック) (2017年4月、ビーナイス) - 黒川勇人(缶詰博士)・栗栖誠記(写真)との共著
- 落語家と楽しむ男着物(2018年1月、河出書房新社) - 矢内裕子著、表紙・インタビューで登場
- 歴史家と噺家の城歩き 戦国大名武田氏を訪ねて(2018年12月、高志書院) - 中井均・齋藤慎一との共著
- 猫女房(2018年9月、秀和システム)- 小宮孝泰著 *対談・帯コメントで登場
- 昇太とラサール 楽屋つまみ話 (2019年12月、アントレックス)*ラサール石井との共著
CD
- 春風亭昇太2(2009年4月22日、ソニー・ミュージックダイレクト)
- 春風亭昇太3(2009年5月27日、ソニー・ミュージックダイレクト)
- 春風亭昇太4(2010年11月24日、ソニー・ミュージックダイレクト)
- 落語 The Very Best 極一席1000:春風亭昇太 ストレスの海/力士の春(2009年12月9日、ソニー・ミュージックダイレクト)
- ざぶとんとおたまじゃくし(2012年4月25日、ソニー・ミュージックダイレクト)
DVD
落語
- 春風亭昇太 十八番シリーズ-動-(2010年3月29日、ソニー・ミュージックダイレクト)
- SWAのDVD -古典アフター-(2011年3月9日、ソニー・ミュージックダイレクト)
OV出演
- 金なら返せん!(2007年10月1日)
- 兵庫のおじさん(2008年4月2日、日本コロムビア) - 青野(ブルー) 役
- 囚われつかじ(2008年9月17日、ポニーキャニオン)
配信
一門弟子
2007年に初めて直弟子を持った。オフィシャル本[要文献特定詳細情報]の中では、男同士でサシで向き合うのがこんなにも気恥ずかしいことなのかと感じ、柳昇への弟子入り当時のことを思い出しながら、どう稽古を付けたらよいか模索しているという。
真打
二ツ目
前座
色物
脚注
注釈
- ^ 先輩の一人が「笑点」「エンタの神様」などの放送作家の佐藤かんじ。
- ^ 漫才の相方は、現在テレビディレクターの山崎徹。
- ^ 昇太自身、師匠の柳昇から教わった古典のネタは「雑俳」だけだと語っている。
- ^ 二つ目時代すでに独演会で古典落語に挑戦し、昇太風アレンジを加えた「初天神」を披露しているほか、1993年のテレビ番組『落語のピン』でも古典落語を披露している。
- ^ 春風亭昇太プロデュースの告知はないが、毎年2公演以上に出演する。協賛にキクチメガネ(昇太を広告に起用)、制作協力にティルト(昇太の事務所)の記載がある。
- ^ 同じ一門で既に真打の兄弟子が居る場合は、基本的には「師匠」だが、歳が近かったり、上下関係を気にしない兄弟子なら「兄さん」と呼ぶ事を許す場合もある
- ^ 因みに上方(関西)は昇進制度が基本的に無いので関東と基準などが異なる
- ^ 雨治隆介(フリーライター)作。第2回「全国落語台本コンクール」最優秀賞。コンクールを主催した「六人の会」のメンバーのみが演じることができる。
- ^ 前週の5月14日放送の40周年スペシャルのエンディングにおいて、新メンバー紹介で少しだけ出演した。
- ^ 立川談春との対談あり。
出典
関連項目
外部リンク
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放送中のテレビ番組 | |
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放送中のラジオ番組 | |
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放送終了したテレビ番組 | |
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放送終了したラジオ番組 | |
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関連項目 | |
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笑点メンバー |
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現出演者 | |
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元出演者 |
金曜夜席時代 | |
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談志司会時代 | |
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前田司会時代 | |
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三波司会時代 | |
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5代目圓楽司会時代 | |
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歌丸司会時代 | |
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昇太司会時代 | |
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★司会者 ◆座布団運び ▲コーナーレギュラー ■金曜夜席から継続出演 ◎本家&BS笑点・笑点Jr.両方出演 ☆BS笑点・笑点Jr.司会者 ◇BS笑点・笑点Jr.座布団運び △BS笑点・笑点Jr.コーナーレギュラー □BS笑点から継続出演 数字は世代(x代目)を表す。芸名(氏名)は現在当人が名乗っている表記。 カテゴリ |