中山 美穂(なかやま みほ、1970年(昭和45年)3月1日[3][4] - )は、日本の女優[5]・歌手[3]。東京都小金井市出身[3][注 1]。ビッグアップル所属。愛称は「ミポリン」。
作詞をする時は「北山 瑞穂」(きたやま みずほ)と「一咲(いっさく)」[注 2]というペンネームを使用していた時期もあった。
実妹は女優の中山忍。
来歴
生い立ち
1970年3月1日、長野県に生まれる[8]。幼少期は長野や群馬に住んでおり[9]、母親からは、中山が3歳の頃に生まれたばかりの妹と、長野の小さな町から上京したとだけ聞かされていた。戸籍に父親の名は無く、実父の記憶がかすかに残っている程度だった。自身の出生については他に何も聞かされたことはなく、聞こうとも思わなかったという[8]。小さい頃は内気で人見知りが強く、友達も居ないネクラな少女であったという。テレビでキャンディーズの活躍を見て芸能界に憧れる。
小学4年の時に母親が再婚。再婚相手の義父は秋田県出身で[11]、義父も歌手を目指して上京した人物であり[11]、敏いとうとハッピー&ブルーに入る予定だったが、直前で辞め後で悔んでいたとのこと[11]。幼稚園は国分寺市の白鳥幼稚園[12]。幼稚園の頃から芸能界に憧れ、歌手になりたいと強く願った[11]。「テレビに出られるし、目立つし、人前に出れればキャアキャアいわれる」という単純な動機から[11]。原宿でスカウトされる以前も、映画や劇団のオーディションを多数受けていた[11]。小学校は両親の転居に伴い、小金井市立前原小学校→小金井市立本町小学校→小金井市立緑小学校と移り[9]、小金井市立緑中学校から板橋区立板橋第五中学校、その後東京都立北園高等学校に進学[12]。
アイドル期 -1980年代-
ドラマデビューまで
1982年、小金井市立緑中学校1年生の時に原宿でスカウトされる[12]。「ラッキーッ!」っと心の中で叫び[11]、疑惑も不安も迷いもなく[11]、芸能界に飛び込む[11]。当時、歌手志望の夢をまだ捨てていなかった父から、「おまえが先に芸能界に行くのか!?」と驚かれたくらいで、周りの誰からも、芸能界入りの反対はされなかった[11]。
モデルクラブ・ボックスコーポレーションに所属となり、雑誌『花とゆめ』の懸賞ページの写真モデルが初仕事[11]。テレビに出るのが幼少期からの夢だったため、『ザ・ベストテン』に出るのが最大の目標だった[11]。最初は広告、ポスター等のモデル活動のほか、TDKカセット「ADスプレンダー」や明治製菓のCMに出演。芸能活動が活発になってきた中学3年の時に東京都板橋区立板橋第五中学校に転校し[12]、のちに卒業。高校は東京都立北園高等学校定時制に進学したが、芸能活動を優先するために1年の2学期に中途退学した[13]。
1985年(昭和60年)
1月8日、TBS系ドラマ『毎度おさわがせします』のツッパリ少女・のどか役で女優デビュー。女優としてより、テレビデビューできたことが幼少期からの夢を叶えたと思えた[11]。思春期の性をテーマにしたホームコメディードラマで、刺激的なシーンやセリフが多く、今までにないその鮮烈な内容が話題を呼び大ヒットした。また彼女はドラマ開始時は無名な存在だったが、ドラマの要でもある役柄を当時14歳にして体当たりで演じきり、型どおりの清純派とは一味違ったキャラクターで一躍注目を集めた。演じた"のどかイメージ"が強烈に本人とダブるほどの人気だった[12]。同ドラマ終了後、バーニング傘下のビッグアップルに移籍する[12]。
1985年6月21日、シングル『「C」』でアイドル歌手としてもデビュー。同曲は初主演ドラマ『夏・体験物語』(TBS系)の主題歌にもなった。デビュー曲が17万枚のセールスを記録するヒット曲となり[17]、人気も急上昇。一躍トップアイドルとなる。以後も主演ドラマの主題歌を自ら歌ってヒットさせ、女優と歌手を完全な両輪とするアイドルの先駆者となった。実年齢以上に大人びたビジュアルは昭和の歴代アイドルの中でもトップクラスとの評価があり、若くして大人のムードを秘めた大型アイドルとして期待されていた。評論家筋からは、「岸惠子以来のド美人」[20]「日本映画の全盛時代なら、ゆうに〈神秘的な美少女〉になれる素材」[21]とも評され、長らく美人の代名詞的存在となった。
1985年10月、ニッポン放送『中山美穂 ちょっとだけええかっこC』、文化放送『中山美穂のまんまるキューピット』の2本のラジオのレギュラー番組のパーソナリティとなる[22]。
1985年12月14日、映画『ビーバップ・ハイスクール』で映画初出演。清水宏次朗と仲村トオルが演じる不良高校生コンビのマドンナ・泉今日子を演じた。同映画は薬師丸ひろ子主演の『野蛮人のように』と併映で14億5千万円の配収を上げる大ヒット作となり、シリーズ化する。同映画の主題歌となったシングル『BE-BOP-HIGHSCHOOL』もオリコン週間チャートで自己最高の4位のヒット曲となる[23]。また、同曲で『ダンシング・ヒーロー』の荻野目洋子と共に『ザ・ベストテン』に初ランクインする[24]。
年末には、新人アイドルが豊作だった中で、その頂点に達する日本レコード大賞 最優秀新人賞を史上最年少で受賞するなど活躍が続いた[9][25]。歌手デビュー同期の女性アイドルには浅香唯[注 3]、網浜直子、石野陽子、井森美幸、大西結花、岡本舞子、おニャン子クラブ、河合その子、斉藤由貴、佐野量子、志村香、本田美奈子、松本典子、南野陽子、村田恵里、森川美穂、森口博子、森下恵理、芳本美代子などが居り[26]、アイドルシーン第二次黄金期とも称されるハイレベルな顔ぶれであった。
1986年 (昭和61年)
前年に続きトップアイドルとして多くのテレビ番組に出演した他、企業からのCMやイメージガールのオファーも殺到[28]。日立製作所やロッテ、サントリーなど大手企業のCM出演も多くなるなど名前も全国区となる。
資生堂の春のキャンペーンガールに起用され、CMソングとなった『色・ホワイトブレンド』が20万枚以上のセールスを記録するヒット曲となる[17]。4月、ファーストコンサート・ツアー『VIRGIN FLIGHT』開催。女子中・高生を中心とする多くのファンが集まった[29]。5月リリースのシングル『クローズ・アップ』もスマッシュヒット。8月、前年に続きヒロイン・泉今日子役で出演した映画『ビー・バップ・ハイスクール 高校与太郎哀歌』公開。主題歌『JINGI・愛してもらいます』は、1990年代のヒットメーカー・小室哲哉のプロデュース楽曲となる。
春に続き資生堂の秋のキャンペーンソングとなった『ツイてるねノッてるね』はオリコンチャートで自己最高の週間3位、『ザ・ベストテン』でも自己最高の3位、8週連続(8→4→4→4→3→4→8→9位)ランクインした。主演ドラマの主題歌となった『WAKU WAKUさせて』は23.7万枚[注 4]とそれまでで最高のセールスを記録[17]。『ザ・ベストテン』では9週連続(10→7→3→3→4→4→5→6→7位)ランクイン。この年5枚目のシングルとなり、怒涛のリリースラッシュを展開した。1986年のアーティスト別年間シングル売上枚数では中森明菜、KUWATA BAND、チェッカーズ、少年隊に次ぐ第5位であった[33]。
連続ドラマでは高校生の恋愛を描いた『な・ま・い・き盛り』(フジテレビ系)、学園アクションドラマ『セーラー服反逆同盟』(日本テレビ系)の2作に主演。その他ラジオのレギュラー2本、歌番組への出演や雑誌取材など前年以上の活躍を見せた[34]。また全国からのファンレターも一日100通以上届くようになる[35]。ファンレターの多くが女子小中学生からのもので、同性のファンが多かった[36][37]。
1987年 (昭和62年)
最高視聴率28.6%を獲得した主演ドラマ『ママはアイドル』の役柄・中山美穂の愛称ミポリンが、実際の中山の愛称としても定着した。番組主題歌の『「派手!!!」』もスマッシュヒット。そのキャンペーンの様子がドラマの劇中で描かれるなど、現実の活動とリンクする展開も斬新だった。出演する番組がことごとく高視聴率を獲得し、「ブラウン管のクイーン」とも称された[39]。
7月、フジテレビ系『火曜ワイドスペシャル・オールスターハワイ大旅行団』出演。田原俊彦、近藤真彦、中森明菜、小泉今日子などのトップアイドルを集めたこの番組は、製作費1億7000万円という豪華な内容であった。ハワイではヘリの事故が相次いでいたことから、番組でヘリに乗った中山には5億円の保険がかけられた[40]。
10月、角松敏生プロデュースによる『CATCH ME』で初のオリコンチャート週間1位を獲得[41]。11月リリースのベスト・アルバム『COLLECTION』も週間チャート1位を獲得[42]。50万枚以上のセールスを記録した[43]。同年ブロマイド売上枚数が女性部門でトップになる。しかし、11月に過労から溶連菌感染症に罹り[45]、主演ドラマ『おヒマなら来てよネ!』(フジテレビ系)の撮影中断を余儀なくされ、当初の予定より1話減らした9話で完結することになった。
この年、ドラマ主題歌の『「派手!!!」』、小室哲哉プロデュースの『50/50』、『CATCH ME』の三曲をリリースし、日本レコードセールス大賞アーティスト別年間シングルセールスで南野陽子、中森明菜、少年隊に次ぐ4位となるシルバー賞を受賞した[46]。アーティストトータルセールスでは中森明菜、安全地帯、荻野目洋子、BOØWY、CBSソニー・サウンドトラックに次ぐ6位となった[47]。
1988年 (昭和63年)
2月、角松敏生プロデュースのアルバム『CATCH THE NITE』リリース。スタジオ・アルバムで初の週間チャート1位を獲得し、LP・カセット・CDの三部門で1位となる三冠を達成[48]。シングル『You're My Only Shinin' Star』も1位を獲得し、アルバムの1位と合わせて四冠を達成した[49]。春のコンサートツアー『MIHO Catch '88』では自身最多の全国63公演を行う。
7月、TBS系ドラマ『若奥さまは腕まくり!』主演[50]。同ドラマ主題歌の『人魚姫 mermaid』も週間チャート1位を獲得[51]。1988年のオリコンシングル年間ランキングでも9位[52][注 5]となり、1980年代の中山のシングルでは最大のヒット曲となった[17]。『ザ・ベストテン』でも初の1位を獲得、12週連続(4→3→2→①→2→①→3→①→3→3→4→6位)ランクインした。『人魚姫 mermaid』を作曲したCINDYとは以後も多くのコラボを行い、サウンドも磨きをかけたAOR路線を確立した。
11月リリースの『Witches』も週間チャート1位を獲得[55]。12月、『第39回NHK紅白歌合戦』に初出場。以後1994年の『第45回NHK紅白歌合戦』まで7年連続で出場した。1988年のアーティスト別年間トータルセールスでは光GENJI、BOØWY、久保田利伸に次ぐ第4位となった[56]。
おニャン子クラブが解散し、新しい時代に突入したこの年、中山と並びアイドル女優路線の先駆者と称された南野陽子、浅香唯に、おニャン子クラブ・うしろ髪ひかれ隊から一気にブレイクした工藤静香を加えてアイドル四天王[58]と称され、1980年代末のアイドル・シーンを席捲した[注 6]。
1989年 (昭和64年/平成元年)
1月、フジテレビ月9枠のドラマ『君の瞳に恋してる!』に主演[61]。当時、アイドルの主戦場は『ザ・ベストテン』の「木9」から「月9」へと移行しようとしていた。「月9」ヒロインになることが時代のヒロインとなる条件であった。男性だけではなく女性からも憧れを誘う存在となって、以後、その月9枠の常連となり、主演が7作品と、女性では最多を記録している(男性を含めると木村拓哉に次ぐ第2位)。主演と主題歌を担当した作品も4作で、最多である。
2月、資生堂の春のキャンペーンガールに起用され、CMソングとなった『ROSÉCOLOR』が週間チャート1位を獲得。シングル5作連続オリコン1位を記録[64](通算8作)。
8月、初主演映画『どっちにするの。』公開[65]。9月リリースのスタジオ・アルバム『Hide'n' Seek』がアルバムチャート1位を獲得[66]。映画主題歌となった杏里作曲のシングル『Virgin Eyes』でこの年の第40回NHK紅白歌合戦に出場した。
別冊宝島の調査によると、1980年代のシングル総売上げは年間ベスト50位以内のものに限定しても245.6万枚と、当時の女性アイドル中5位。年間ベスト50位以内ランクイン曲数は10曲と、当時の女性アイドルでは中森明菜、松田聖子に次ぐ第3位[注 7]であった。『ザ・ベストテン』のランクイン回数は104回で歴代12位。女性歌手では松田聖子、中森明菜、山口百恵、小泉今日子に次ぐ第5位となっている。また、同番組の番組後期の期間(1986年1月-番組終了まで)においては最多の登場回数を記録している[69]。
歌手と女優の両立 -1990年代-
1990年代に入り、1980年代にデビューした多くのアイドルが歌手活動を離れ、女優もしくはバラエティーアイドルへと転向を図る中、自身は歌手活動を継続し、年1本の連続ドラマ、映画、CM、アルバム発売、コンサートツアーと、歌手業と女優業を両立させる。特に『月9』枠作品の多くで主演を務め、1990年代ドラマを代表する女優となった。
1990年:1月、TBS系ドラマ『卒業』主演[71]。10月、フジテレビ系月9枠ドラマ『すてきな片想い』主演[72]。『東京ラブストーリー』『101回目のプロポーズ』へ続くフジテレビの「純愛3部作」で、主題歌の『愛してるっていわない!』も36.1万枚のセールスを記録するヒット曲となる[17]。
1991年:7月、シングル『Rosa』リリース。週間チャート最高3位ながらオリコンチャート登場週数は『世界中の誰よりきっと』の28週に次ぐ27週を記録するロング・ヒットとなった[17]。10月、フジテレビ系月9枠ドラマ『逢いたい時にあなたはいない…』主演[74]。遠距離恋愛がテーマのドラマで、主題歌の『遠い街のどこかで…』も67.3万枚の大ヒット曲となった[17]。同年、『ザテレビジョン』誌の人気タレント投票で女性タレントでトップとなる。
1992年:10月、フジテレビ新設の水曜劇場枠ドラマ『誰かが彼女を愛してる』主演。中山美穂&WANDS名義でリリースした主題歌の『世界中の誰よりきっと』が183.3万枚のミリオンセラー(オリコン最高位1位)となる大ヒットを記録[17]。
1993年1月よりデビュー以来初めてとなる3カ月の長期充電期間に入る。ロサンゼルスに滞在してボイストレーニングやダンスレッスンを受けるが、4月リリース予定だったNHK連続テレビ小説『ええにょぼ』の主題歌「幸せになるために」のレコーディングは充電期間前に済ませていた(当時のレギュラーラジオ番組「中山美穂 P.S. I LOVE YOU」内での本人談)。3月末に帰国し4月、読売巨人軍の開幕戦の始球式で投手役を務める。デビュー以来初めて女優活動を休止し歌手活動メインの1年を過ごした。
1994年:1月、TBS系ドラマ『もしも願いが叶うなら』主演[76]。主題歌の『ただ泣きたくなるの』が104.8万枚のミリオンセラー(オリコン最高位1位)を記録し、自身単独名義での初ミリオンヒットとなる[17]。前出の『世界中の誰よりきっと』と合わせると2曲目のミリオンヒットとなり、80年代デビューの女性歌手でミリオンヒット2曲は初の快挙で、現在までにこの快挙達成は中山美穂と今井美樹の2人だけである。
1995年:映画『Love Letter』(岩井俊二監督作品)に主演。一人二役のヒロインを演じ確かな演技力を証明。各映画祭で主演女優賞を受賞。
1996年:11月、シンガーソングライター岡本真夜とのコラボレーションにより中山美穂 with MAYO名義で「未来へのプレゼント」をリリース。
1997年:映画『東京日和』(竹中直人監督作品)がロングランヒットを記録。また、映画賞で主演女優賞を受賞。
1998年:秋クールの連続ドラマ『眠れる森』(フジテレビ系)に主演。当時SMAPの木村拓哉と共演し、最高視聴率30.8%を記録。
1999年:9月にリリースした「Adore」が、2023年現在、最後のCDシングルである。以後、歌手活動を一時休止した。
2000年代
2001年春クールの主演ドラマ『Love Story』の平均視聴率が20%越えを達成。これにより1980年代、1990年代、2000年代の三世代で主演ドラマ平均視聴率20%越えを達成した唯一の女優となる。同じく10代、20代、30代での主演作品としても平均視聴率20%越えを達成した唯一の女優となっている。
2002年6月3日、ミュージシャンで小説家の辻仁成と結婚。同時に、当初予定されていた主演映画『サヨナライツカ』の製作が延期と発表された。この年の10月クールの連続ドラマ『ホーム&アウェイ』(フジテレビ系)を最後に日本での芸能活動を一時休止し、フランス・パリに移住。
2004年1月、長男を出産。育児に専念していたが、2005年6月にキリンビバレッジ「茶来」のCMで3年ぶりにメディア出演をした。2006年3月、シングルを全て収録したCDボックス『Complete SINGLES BOX』が発売された。
2007年から集英社の女性月刊誌『LEE』でエッセイの連載を開始。同年、日本コカ・コーラ「ジョージア」や味の素のCMにも出演。また、辻仁成とツーショットで女性誌にも登場した。
2008年夏、ドキュメンタリー映画『GATE』を元に作成された絵本『ランタンとつる』の朗読を担当、その朗読CDが絵本に付属されスターバックス限定で発売された。
2009年、女性月刊誌『LEE』でのフォトエッセイに加筆された『なぜなら やさしいまちが あったから』が5月に単行本化され集英社より発売された。また、製作延期とされていた主演映画『サヨナライツカ』の製作が監督をはじめとするスタッフ・キャスト陣を改め2008年より新たに敢行された。
2009年10月から2010年3月にかけて『中山美穂"恋ドラ"DVDコレクション』として、フジテレビで放送された中山の主演ドラマ『君の瞳に恋してる!』『すてきな片想い』『逢いたい時にあなたはいない…』『誰かが彼女を愛してる』の4作品がDVD化された。さらにドラマ『おいしい関係』『For You』及び1991年に公開された映画『波の数だけ抱きしめて』がDVDとして2010年3月から順次DVDリリース。
2010年代
2010年1月23日、主演映画『サヨナライツカ』(イ・ジェハン監督作品)公開[77]。2009年10月、2001年のドラマ「Love Story」の制作発表以来となる公の場である制作発表記者会見及び試写会に登壇した。また同年末から映画が公開される年初にかけ数多くのテレビ番組に出演。2010年7月7日にはベストアルバム『中山美穂 パーフェクト・ベスト』が発売。
2011年3月21日、3月11日に起こった東日本大震災の被災地へ向け作詞した楽曲「I am with you(とおくはなれてても)」を動画共有サイト・YouTubeで公開した旨を(当時の)夫でミュージシャンの辻仁成が自身のツイッターで明らかにした[78]。“新曲”は、2000年12月に発表した配信限定曲「キミがいるから」以来、10年3ヶ月ぶり。同曲を制作した辻のアコースティックギターの伴奏にあわせ、久々に歌声を披露した。辻はツイッターで「この歌が、被災された方々の心によりそえますように」とメッセージを贈っている。
2014年7月8日、辻仁成と協議離婚が成立。親権は辻が持つ[79]。
2015年12月2日、フジテレビ系列の年末大型音楽番組『2015 FNS歌謡祭』で、18年ぶりの音楽番組出演及び19年ぶりの『FNS歌謡祭』出演を果たし、「世界中の誰よりきっと」「ただ泣きたくなるの」の2曲を披露した。
2016年3月、デビュー30年にして初となる、本格的舞台『魔術』(共演:萩原聖人、橋本淳、勝村政信)に出演し、東京公演のほか全国6か所で公演を行った。
2018年春、日韓合作映画「蝶の眠り」で5年ぶりの映画主演。韓国の俳優キム・ジェウクと共演し、公開に先駆け2017年秋に釜山国際映画祭でワールドプレミアとして上映が決定[80]。
2019年に歌手活動を再開。同年12月4日に20年ぶりのニューアルバム「Neuf Neuf」を発売。
2020年12月23日に35周年記念盤「All Time Best」を発売[81]。
2020年代
2022年5月21日に自身初のファンミーティングをclubmixで2公演開催。いずれもファンクラブイベント会員限定公演であったが、満員即売。
2023年
24年ぶりの全国ツアー
中山美穂コンサートツアー「Miho Nakayama Concert Tour 2023 -Trois-」開催
ツアー最終日の6月24日には
山梨県河口湖ステラシアター
中山美穂歌手デビュー38周年記念ライブも行われた。
2024年
全国ツアー「Miho Nakayama Concert Tour 2024 Deux」開催
全国19都市21公演
人物
生い立ち
中山が3歳の頃に両親が離婚。中山は幼い妹と共に東京の伯母夫婦の下に預けられた。伯父は「子供に罪はない」と言って、全てを投げだした中山の母親を助け、中山と妹の面倒を見た。中山は、大きな心をもって面倒を見てくれた伯母夫婦には心から感謝していると語っている。子供時代はおしゃべりでひょうきんな性格で、1970年代の大人びた歌謡曲を歌うのが何より楽しく、歌手になると豪語してところ構わず歌ってよく注意されたという。従妹と分け隔てなく愛情を注いでくれた伯母の家では、正月やクリスマスも経験できた。だが、母親は働くため、中山をいろんな家に預けた。突然の引っ越しで幸福な時間は消滅する。
母はいつも突然引っ越しをした。まるで何かから逃げるかのように。私はそのつど友だちに別れを告げられなかった。はじめましてとさようならはいつもセットだった。(中略)思春期からの数々の恋愛は、父親を求めるような戯れでもあった。未熟と成熟を抱えながらその中心でバランスを保つことはなく、常に激しく人と向き合っていたと思う。ほとんどの大人と異性は私に、自分で学ぶことの大切さを教えてくれた。 — 中山美穂、『なぜならやさしいまちがあったから』
中学時代の中山は脱色した茶髪に長いスカート、明菜ちゃんカットに潰したカバンを手に提げ、家でも学校でも反抗していた不良少女であったという。しかしドラマデビューを期に髪を黒く染め直し、「母を幸せにしたい」という思いから14歳で芸能界に入った。この日から中山は「みんなのもの」となり、家族の生活を担うことになる[8]。
アイドル・女優として
デビュー後は無条件に愛してくれるファンの存在が愛おしく、当初ファンレターには全て返事を書いていた[8]。ある女の子とは文通もしたという。ドラマや歌番組よりも、そうしたファンの反応が直接伝わるライブは特別なものだと語っている。デビュー後瞬く間にトップアイドルとなり、ドラマに歌番組、映画と多忙を極めた[88]。『ママはアイドル!』『若奥さまは腕まくり!』の脚本家・吉本昌弘は、当時の中山について次のように語っている。
つき並な言い方だけど、回を重ねるごとに中山美穂は成長している。オベンチャラではなく、本当に、巧い。「アイドルの演技なんて……」と、眉をしかめる人たちだろうと、見て頂ければわかるが、単に可愛い女の子が奮闘しているとかいう類ではなく、彼女は立派に既成の俳優たちを圧倒している。何万人もの少年たちに「初恋」を与えられるパワーを下地に持っているからこそ、成せる技なのかもしれない―と、ぼくは思う。
— 吉本昌弘、『アイドルは"初恋"を売っている』[89]
1989年、月9ドラマ『君の瞳に恋してる!』の主演以降はアイドルを脱皮して、テレビドラマを支えるトップ女優となっていく[90]。時代がトレンディドラマから純愛ドラマへと移り変わっていく中で、そのキャラクターを買われて主演女優に起用され、"女王"と称される活躍を示した[91]。
トップ女優として活躍する一方、仕事をこなすことに追われ「自分を出せない」もどかしさも募った[88]。マネージャーの鈴木伸佳は「アイドルど真ん中にいるのに、300館のロードショーではなく単館上映の映画をやりたがる。でもやりたいものと求められるものは違う。世界で一番あなたが嫌いと言われたこともあります」と語った[8]。ドラマなどで演じることで真ん中に立ちたいと思ったことはないといい、「自己顕示欲の無い人の方がアイドルは向いていると思う」と語った[8]。
1995年、岩井俊二監督『Love Letter』に主演し、ブルーリボン主演女優賞を受賞する。はじめて演技する快感と創作に参加する喜びに目覚め、以降、女優としてローテーションで回っていた仕事を制限していくようになる[8]。本作での演技について「それまではアイドルアイドルした作品ばかり。女優業への憧れもあったけど、時代の雰囲気というか、ある種の“アイドル観”があったんです。そこを抜け出して大きな自信になった」と語った[88]。結婚と子育てを機に、芸能活動は減ったが、2010年公開のイ・ジェハン監督『サヨナライツカ』で、久々にスクリーンに復帰。愛欲におぼれる大人の女を体当たりで演じ、健在ぶりを示した[88]。結婚や出産、離婚も経験し、女優として一段と深みを増した[92]。
音楽性
1985年に『「C」』でアイドル歌手としてデビュー。この時点から、中山とスタッフが一緒になって中山美穂の将来像を作っていこうという方針で、アイドルのプロデュースにおける、オーソドックスないわゆるスター・システムとは違う形でスタートしている[93]。デビューから数年は松本隆・筒美京平のコンビによるシングルが多く、ディスコやアッパーなユーロビートを取り入れた作品がヒットした[95]。『ツイてるねノッてるね』は数ある筒美作品の中でも最高に攻撃的なノリを持った楽曲とされ、『WAKU WAKUさせて』は筒美流ダンス・ナンバーの最高傑作との評価がある[96]。中山と同時期に斉藤由貴の作品にも関わった松本隆は、文学少女的雰囲気の斉藤に対し、中山はザ・歌謡曲テイストで、というのはあったかもしれないと語っている。
松本・筒美の王道路線の他にも、角松敏生・久保田利伸・小室哲哉など若手の新進気鋭のアーティストの作品提供を受けており、ブラック・コンテンポラリー的なビート感を取り入れた楽曲と、しっとりと女性の気持ちを伝える楽曲との2通りの作品を展開した[93]。サウンド面でも、それまでのアイドルの保守本流とは全く違うスタンスでアイドルシーンの先陣を切って走り続け[93]、80年代後半では1、2を争うアイドル・シンガーとなった。
ディスコグラフィ
※最高位はオリコン調べによる。一部編集盤を除き大半が廃盤。
シングル
配信限定
発売日
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タイトル
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備考
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2000年7月7日
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STARDUST
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2000年10月20日
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Lagrimas Negras
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2000年12月15日
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キミがいるから
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2011年3月21日
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I am with you (とおくはなれてても)
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YouTube限定。
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アルバム
オリジナル・アルバム
リミックス・アルバム
ライブ・アルバム
その他のアルバム
映像作品
公演
コンサートツアー
- VIRGIN FLIGHT(1986年) - 全国5公演
- MIHO NAKAYAMA 1986 AUGUST - OCTOBER CONCERT "VIRGIN FLIGHT in Summer"(1986年) - 全国26公演
- CONCERT '87 美穂+WAKU WAKUさせて(1987年) - 東名阪6公演
- ONE AND ONLY これっきゃない!(1987年) - 全国30公演
- MIHO Catch '88(1988年) - 全国63公演
- 1988 Japan Concert Tour "Miho Catch '88 Summer"(1988年) - 全国58公演
- 1989 SPRING TOUR "WHUU!! NATURAL"(1989年) - 全国45公演
- 1989 Summer Live "The Natural Syndrome"(1989年) - 全国50公演
- Japan Spring Concert Tour 1990 "Koiiro"(1990年) - 全国35公演
- '90 MIDSUMMER CONCERT TOUR "真夏の夜の熱帯夢 A REVUE ON THE ROOF"(1990年) - 全国28公演
- MIHO NAKAYAMA CONCERT TOUR '91 "MIHO the FUTURE, MIHO the NATURE"(1991年) - 全国40公演
- MIHO NAKAYAMA CONCERT TOUR '92 "Mellow 月の輝く未来あるいは、ムーンライト・キス"(1992年) - 全国35公演
- MIHO NAKAYAMA CONCERT TOUR '93 "On My Mind"(1993年) - 全国34公演
- Miho Nakayama Concert Tour '94 "Pure White"(1994年) - 全国39公演
- Miho Nakayama Concert Tour '95 "f"(1995年) - 全国34公演
- MIHO NAKAYAMA CONCERT TOUR '96 "Sound of Lip"(1996年) - 全国32公演
- Miho Nakayama CONCERT TOUR '97 "Groovin' Blue"(1997年) - 全国38公演
- MIHO NAKAYAMA TOUR '98 "Live・O・Live"(1998年) - 全国29公演
- Miho Nakayama Concert Tour 1999(1999年) - 全国19公演
- Miho Nakayama Live House Tour 1999 "manifesto"(1999年) - 全国7公演
- Miho Nakayama Billboard Live 2022 - 東京2公演
- Miho Nakayama Concert Tour 2023 -Trois(2023年) - 全国8公演
- Miho Nakayama Concert 2023 - ciao ciao ciao! - (2023年) - 東京2公演、愛知1公演
- Miho Nakayama Christmas Concert 2023 - 東京4公演
- Miho Nakayama Concert Tour 2024 -Deux (2024年) - 全国19都市21公演
- Miho Nakayama Christmas Concert 2024 in Billboard Live - 全国3都市8公演
イベント
出版物
- 一生懸命 中山美穂写真集(1985年、ワニブックス) - 写真集
- 透明でいるよ めいっぱい女の子(1985年、ワニブックス) - エッセー集
- 美穂がんばる(1986年、集英社) - 写真集
- どっちにするの。(1989年、集英社) - 写真集
- アンビバレンス Ambivalence 中山美穂写真集(1989年、ワニブックス) - 写真集
- SCENA miho nakayama pictorial(1991年、ワニブックス) - 写真集
- P.S. I LOVE YOU(1991年、ニッポン放送出版・扶桑社) - エッセー集
- LETTERS in Love Letter(中山美穂写真集)(1995年、ワニブックス) - 写真集
- 中山美穂 in 映画『東京日和』(1997年、ワニブックス) - 写真集
- アタシと私(1997年、幻冬舎) - 小説
- ANGEL(1998年、ワニブックス) - 写真集
- なぜなら やさしいまちが あったから(2009年、集英社) - フォトエッセー集
出演
連続ドラマ
単発ドラマ
映画
その他のテレビ番組
舞台
NHK紅白歌合戦出場歴
年度/放送回 |
曲目
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出演順 |
対戦相手 |
備考
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1988年(昭和63年)/第39回
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Witches
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1/21
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光GENJI
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紅組トップで出演、紅組代表として選手宣誓も務める。
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1989年(平成元年)/第40回
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Virgin Eyes
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3/20
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男闘呼組
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1990年(平成2年)/第41回
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愛してるっていわない!
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2/29
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吉田栄作
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1991年(平成3年)/第42回
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Rosa
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3/28
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吉田栄作 (2)
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1992年(平成4年)/第43回
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世界中の誰よりきっと
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10/28
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少年隊
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後半戦トップバッター、WANDSと共演。途中コーナーでは森高千里・西田ひかると共に『キャンディ・キャンディ』のテーマ曲を披露。
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1993年(平成5年)/第44回
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幸せになるために
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14/26
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少年隊 (2)
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1994年(平成6年)/第45回
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ただ泣きたくなるの
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8/25
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藤井フミヤ
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CM
他多数出演
ラジオ
ゲーム
受賞歴
音楽
映画
ドラマ
- 1995年
- 1998年
- 第19回ザテレビジョンドラマアカデミー賞 主演女優賞(『眠れる森』)
その他
脚注
注釈
- ^ 出生地は長野県
- ^ アルバム『DANCE BOX』のブックレット末尾に「Issaque」との表記あり
- ^ 特に浅香とは同学年であり、歌手デビューした年月日も一緒だった(1985年6月21日)。中山が浅香のラジオ番組にゲスト出演したこともある。
- ^ 加えて、12インチ・シングル盤が2.9万枚のセールスを記録している。
- ^ 女性アーティストの楽曲としては2位。
- ^ 当時の週刊少年マガジン誌上における【アイドル人気調査】では、3回の調査の結果、若干の順位の変動はあったものの、この4名が常にトップから4位までをキープしていたとされる。『BIG4徹底比較研究 陽子、唯、美穂、静香 人気の秘密!!』 DELUXEマガジンORE 1989年2月号p37
- ^ 小泉今日子、南野陽子も同じく10曲で3位
出典
参考文献
- 著書
- 編書
- ムック
外部リンク
関連項目 |
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映像作品 | |
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関連項目 | |
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第11回 - 第20回 (1969年 - 1978年) | |
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第31回 - 第40回 (1989年 - 1998年) | |
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第41回 - 第50回 (1999年 - 2008年) | |
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第51回 - 第60回 (2009年 - 2018年) | |
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第61回 - 第70回 (2019年 - 2028年) | |
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注釈
第1回から第10回までは制定なし。第32回から第34回までは演歌・歌謡曲、ポップス・ロックの2部門に分けて発表 (ただし第32回に限り演歌、歌謡曲、ポップス、ロックの4部門に分けて発表した)。
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括弧内は作品年度を示す、授賞式の年は翌年(2月)
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