酒井 若菜(さかい わかな、1980年9月9日 - )は、日本の女優、作家[2][注 1]、元グラビアアイドル。本名および旧芸名、酒井 美幸(さかい みゆき)。
栃木県下都賀郡野木町出身[1]。ムーン・ザ・チャイルド、A-teamを経てアービングに所属[3]。
来歴
1995年[4]7月[注 2]デビュー。本名の酒井美幸でデビューしたが、同時期に同音異字の酒井美雪がデビューしたため、芸名を酒井若菜に変更した。「若菜」は、当時プロフィールの写真撮影を担当したカメラマンの妻の名前が由来である。栃木県立小山南高等学校在学中の1997年に「第8回ヤングジャンプ全国女子高生制服コレクション」準グランプリ、1999年に「日テレジェニック'99」に選ばれ、主にグラビアアイドルとして活動する[5]。
1997年に『サイコメトラーEIJI』(日本テレビ)で女優としてデビュー[1]。2002年頃から女優業をメインに活動。
2000年4月から、公式サイトで月替わり有料コンテンツ「酒井若菜診断室」を提供していた。グラビアアイドル時代はロケ撮影による100枚程度の画像や映像、掲示板があり、女優に転身した後は、オフショットや本人のエッセイなど、継続利用特典として本人のトークを提供していた。所属事務所の公式サイトリニューアルに伴い、2006年8月を最後に有料コンテンツの提供は休止された。
2005年6月には、抜擢が決まっていたゴールデンタイムの連続ドラマ初主演を蹴ってまで出演を決めた初舞台となる大人計画『キレイ〜神様と待ち合わせした女〜』を本番直前にして急遽降板[注 3]、急性胃腸炎による体調不良が原因と報じられた[6][注 4]。闘病のためとして、約1年間にわたり芸能活動を休業することとなった。休業からの復帰後は脇役ばかりで仕事に恵まれず、後に自身が「地獄のような日々」だったと振り返るように、女優業は低迷、一方で女優業と並行して小説、エッセー集を発表するなど文筆業にも力を入れるようになった[8][9]。
2009年2月にA-teamへ移籍。同年11月11日、久しぶりのグラビア復帰で写真集『月刊 酒井若菜』(新潮社)を発売した。公式ブログで「久々の写真集です。たぶん数年ぶりにして最後の写真集になるから、お見逃しなく」と綴っていた[10]。2013年9月8日には、約10年ぶりとなるグラビア写真集『I LOVE YOU』を発売し、発売記念イベントにおいて「前回も最後の写真集と言っておきながら、出しちゃったからもしかしたらまたあるかも」と語っている[11]。
2010年には念願叶ってNHK大河ドラマ『龍馬伝』に近藤長次郎の妻・お徳役で出演[12]、2014年の大河ドラマ『軍師官兵衛』や2015年の連続テレビ小説『マッサン』などにも出演した。一方で、2013年3月には作・演出の鈴木おさむ直々のオファーにより、鈴木おさむ劇場 第2回公演『イケナイコトカイ?』で8年半振りの初舞台出演を果たした[8][9]。2016年のフジテレビ系『火の粉』にゲスト出演した際には、役作りのために前歯を1本抜歯する「女優魂」を見せて話題となった[7][13]。
2016年2月25日発売の対談・エッセイ本『酒井若菜と8人の男たち』の中で、膠原病の闘病中であることを明らかにした[14]。
2023年、YouTubeチャンネル「酒井若芽チャンネル」を開設。
2024年4月、所属するA-teamが芸能関係業務の休業を発表[15]したことを受け、同事務所を退所したことを自身のInstagramで報告した[16]。
同年7月1日、アービングに所属することを報告した[3]。
執筆活動
2008年6月20日に小説『こぼれる』を発売し作家としてデビュー、22日に握手会が開催された。これはブログ本を出版する話が転じて執筆を始めたものである。小説『こぼれる』の装画は実姉が描いている[17]。
2012年5月12日にエッセイ『心がおぼつかない夜に』を発売した。公式ブログで「眠れない夜、悲しい夜、寂しい夜、不安な夜。とにかく夜に読む専用の本。」と綴っている[18]。帯文は水道橋博士が人生のスローガンのお裾分けとして書いている。
2013年1月25日より、BOOKSTAND(ブックスタンド)配信の有料メールマガジン『水道橋博士のメルマ旬報』にて、コラム「酒井若菜の『くよくよしたって始まる!』」を[注 5]連載。脱退後数年経ち、2018年11月、水道橋が療養に入った際は「リニューアルするまで2月までの期間限定ではありますが」と、期間限定で編集長代理を務めた[19]。
2016年2月25日には芸能界で親交のある男性8人[注 6]との対談をまとめたエッセイ集『酒井若菜と8人の男たち』を発売した[14]。
人物
- 3歳年上の姉がいる[1]。
- 2016年に文章を書くことについて「自分の中で欠落している部分を補う絆創膏のようなもの。書くことによってバランスを取っているのだと思う」と語り、「執筆活動との相乗効果で女優業が伸びていってくれれば」と、女優業との両立を目指す姿勢を述べている[20]。
- 2017年の『朝日新聞』にて「(自分の人生の大きなテーマの一つとして、)『美しく生きたい』と、常々思っています」と述べた上で、「女優である自分が自分の私生活をさらすこと、考えを書き記すことという行為を貫くことで初めて『美しい』が生まれるのだと信じ、邁進したいと思います。そうすれば、背筋が一本ピンと通った自分の『歴史』を、私はこれからもずっと面白がって生きていけるような気がするのです」と述べている[21]。
- 女優業と文筆業を並行して活動を続けることには不安もあったというが、知人から「文章を演じる、という概念もある」「女優だからこそ、波瀾万丈な私生活を晒してゆけばいい」とアドバイスを受け、(活動に対する)迷いを絶つことができたという[21]。
- 読書が趣味で、“世の中で一番好きな本”として、太田光の『パラレルな世紀への跳躍』を挙げている。司馬遼太郎の書籍により歴史(特に江戸時代、幕末)への興味を強く持つようになったという(後述を併せて参照)。司馬の書籍の中では板垣退助が好きで、物語の中での脇役としての地位が自分と重なるところがあると発言している。結婚相手としては安定感のある千葉重太郎を挙げている。
- 2017年の記事にて、好きな書物の一つとして、橘曙覧の歌集『独楽吟』(どくらくぎん)を挙げている[22]。この書物に興味を持ったきっかけとして、正岡子規が「源実朝以後、歌人の名に値するものは橘曙覧ただ一人」と評したことを挙げているが、現代語訳されたものを読んでみて、「なんとほのぼのとした歌集なんだ!」と衝撃を受けて、そして「こんなにもほのぼのとしたものを称賛する感性って素敵」と、正岡も好きになったという[22]。
- 本人曰く、小説でも歴史上の人物でも、「私が興味を惹かれるのは、いつだって『寄り添う』人間の側」であると述べている。その例として、ゴッホを想うテオ、リンカーンを想うメアリーなどを挙げている[23]。
- 2009年11月23日の公式ブログにて、売れるきっかけとなり、長年にわたり自身を評価し続けてきたテリー伊藤への感謝[24]を記載した。
- 2013年1月1日の公式ブログにて、「文章に起こすという行為そのものが圧倒的な敬意」[25]と、水道橋博士への感謝を小娘物語(前編・後編)で綴っている。
- 2014年4月27日の公式ブログにて、舞台復帰作となった「イケナイコトカイ?」と、出演者および鈴木おさむへの感謝を、くよくよしたって始まる!(前編・後編)で記載している。自身はテリー伊藤、水道橋博士、鈴木おさむを描いた三部作[26]と綴っている。
- 2015年5月11日の公式ブログにて、「TwitterとInstagramをやめました」と発表。更新終了の理由を「私にはポップすぎた」として両アカウントを閉鎖、発信の場をメルマガとブログに整理するとしている[27][28]。その後2018年9月8日よりTwitterのみを再開した[29]。
- 文才にも長けており、連載中の『水道橋博士のメルマ旬報』にて、水道橋博士が書いた「博士による著者紹介」[30]の中で「大女優のキャリアを刻みながらも文章家であることを知ったのはつい最近の事。テリー伊藤さんを描いたBLOGの一文に心打たれた」と、高い評価を得ている。
- これまでに数回、闘病生活を余儀なくされている。19歳の時に膠原病を発病、このときは生活に大きな支障はなかったが、(先述のように)2005年に体調を崩して、約1年間の休業を余儀なくされた。この時のことを本人は後年、「夢の描きかた、希望の抱え方がさっぱりわからなくなり(、大きな挫折感を味わった)」と述べている[23]。この闘病生活の過程で、友人の薦めで司馬遼太郎『竜馬がゆく』を読み、これがきっかけで、歴史に興味を持ち、また文筆業に取り組むようになったという[23]。
- 2015年2月にリウマチを発症して、自身3度目の闘病生活に。この時は激痛により立ち上がれない、指が曲がってミカンの皮も剥けないなど症状が重症化。当時NHK連続テレビ小説『マッサン』など2作品を掛け持ちで出演中であり、台本や演出通りに演じることが困難になったのに加えて、日常生活にまで支障を来たすようになって、一時は引退も意識したが、薬による治療の効果で痛みもなく過ごせるようになった[31][32][33]。
- プロラグビー選手の田中史朗の妻と酒井が親類である[34]。
出演
テレビドラマ
その他テレビ番組
WEBドラマ
映画
CM
ラジオ
ラジオドラマ
舞台
- BOYS BE…ALIVE TRY AGAIN(2000年4月、博品館劇場)日替わりゲスト
- 朗読劇 『不帰の初恋、海老名SA』高橋一生×酒井若菜、脚本・演出:坂元裕二(2012年9月28日、DDD AOYAMA CROSS THEATER)
- 鈴木おさむ劇場『イケナイコトカイ?』(2014年3月27日 - 30日、本多劇場)
- 朗読劇 『不帰の初恋、海老名SA/カラシニコフ不倫海峡』高橋一生×酒井若菜、脚本・演出:坂元裕二(2014年6月3日、草月ホール)
- 朗読劇『美幸』脚本・演出:鈴木おさむ(2024年1月12日 - 14日、シアターマーキュリー新宿)[68]
- 方南ぐみ企画公演 朗読劇『青空』脚本・演出:㭴田正剛(2025年2月5日、俳優座劇場)[69]
Web
- 酒井若菜インタビュー モッテコ書店(2006年)
- My VAIO MAGAZINE 女優・酒井若菜が語る、本と私の深い関係(2013年1月10日、SONY My VAIO MAGAZINE)
作品
写真集
DVD
- 日テレジェニック'99 酒井若菜 Voices(2000年1月21日、バップ)
- 天使のたまご(2000年5月25日、ハピネット・ピクチャーズ)
- BODY WAVE Vitamin Wakana(2001年9月29日、TDKコア)
- 酒井若菜:ATLAS(2002年8月25日、デジキューブ)
書籍
小説
エッセー
連載コラム
- 酒井若菜の『くよくよしたって始まる!』(水道橋博士のメルマ旬報、 Vol.6 2013年1月25日号 - 、BOOKSTAND)
脚注
注釈
出典
外部リンク
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関連項目 | |
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