奥田 瑛二(おくだ えいじ、1950年〈昭和25年〉3月18日[1][3] - )は、日本の俳優[1]、映画監督[1]、画家[1]。ゼロ・ピクチュアズ所属[4]。
愛知県東春日井郡高蔵寺町(現:春日井市)出身[5]。本名は安藤豊明。妻は安藤和津、長女は安藤桃子、次女は安藤サクラ。
来歴
愛知県東春日井郡高蔵寺町(現:春日井市)生まれ。小学5年生のときに大友柳太朗の『丹下左膳』を観て衝撃を受け、役者を志す[6]。中学入学式の前日までおねしょをする子だった。役者になるには体格を良くするべきと考え、中学では野球部、高校ではラグビー部に入る[7]。高校に入ってからは身長が大きく伸びたという。
大学進学を前に上京し役者を目指す旨を春日井市議会議員であった父・安藤豊に打ち明けるも反対されるが、「政治の勉強をするため」と説得して了解を得る[8]。
東邦高等学校卒業後[9]、明治学院大学法学部入学[2]。同時に父の伝で衆議院議員の丹羽兵助の秘書となり、住みこみの書生生活を送る[10]。。大学では演劇部にも参加しており、当時は辺真一も先輩部員として在籍していた[11]。議員秘書としての仕事もこなす学生生活を過ごすうちに自身の本分の是非に悩み出奔。大学も中退する。その後、改めて役者を志願し、いくつかの劇団を当たったがタイミング悪く、試験を受けることも出来ず頓挫[8]。高校の先輩でもある俳優の天知茂に師事し[12]、約2年ほど付き人を務めたが、将来に不安を感じ夜逃げ同然に飛び出してしまう[6]。
芸名はその天知が占い師に依頼して名付けてもらったもので、候補は「奥田英二」と「伊吹佳高」の2つあった。伊吹の方には「努力しなくても世に出る」、奥田の方には「努力しないと出世しない」との占い師からの診断結果の添え書きがあったが、天知は「君は現代劇向きだから」と奥田の方を勧め、奥田本人も既に奥田の芸名を気に入っていたことで決まった[13]。1983年2月頃に知人の勧めで「英二」を「瑛二」に改名した[13]。
生活のために夜の仕事で食いつないでいたとき、客に促されモデルの仕事を始め、CMなどにも出演するようになる[6]。だが、俳優の夢を捨てきれず、当時のマネージャーの協力を得て[6]、1976年に『円盤戦争バンキッド』の主人公・天馬昇 / バンキッドペガサス役でデビュー[3]。しかし、その後しばらくは役に恵まれず不遇時代を過ごし、家賃が払えずにアパートの鍵付きドアノブを交換され、一時期(29歳のころ)は公園(代々木公園など)でホームレスのような生活をしていた[6]。この頃に知り合い(公園に寝泊まりしているときに友人にシャワーを借りた縁で)妻となった安藤和津は、家に招いて食事を振る舞っていたと回想している[14]。また、この間、品川岸壁の荷揚げ、スナックのウェイターなどの職を転々としながら、食い繋いでいた[2]。
1979年、日活の『もっとしなやかに、もっとしたたかに』で実力を認められ、続いて『もう頰づえはつかない』に桃井かおりの相手役として出演する[3]。『宮本武蔵』の又八役を演じて以降、TVドラマ『金曜日の妻たちへIII 恋におちて』(1985年)、『男女7人夏物語』(1986年)、『金曜日には花を買って』(1986年 - 1987年)などへの出演により人気が上昇。これらの役柄によって女性ファンを獲得し、「不倫してみたい俳優」ナンバー1という称号も手に入れた[3]。しかし、本人はあくまで映画志向が強く、テレビ出演を続けつつも映画にのめり込んでゆく[3]。
1986年には『海と毒薬』(ベルリン映画祭銀熊賞)で熊井啓監督と出会う[3]。36歳にして映画では初の単独主演をつかみ、毎日映画コンクール男優主演賞などを獲得した[3]。これでひと皮むけ、『千利休 本覺坊遺文』(1989年、ベネチア映画祭銀獅子賞)、『式部物語』(1990年、モントリオール映画祭芸術貢献賞)、『ひかりごけ』(1992年)と立て続けに熊井作品に出演する[3]。これらの熊井作品で海外でも知られる存在となり、1992年にはクロード・ガニオン監督によるカナダ映画『ピアニスト』で天才ピアニストにふんし、猛特訓したという演奏場面も披露した[3]。
1993年公開の映画『棒の哀しみ』ではブルーリボン賞を始め国内の映画賞を多数受賞した[3]。以降も、ヤクザからアダルトビデオ会社社長、パチンコ屋社長など、アウトローな役を難無く演じる積極性を武器に、50本以上の映画に出演している。
映画監督として
元来「天職」と自覚していた役者だったが、42歳のときに「監督やるぞ!」と思い立ち、周囲に宣言。しかし、経験不足からか自信を持てずに挫折。その後基礎から映画製作を学び、48歳にして助監督を経験。50歳を迎えた2001年に『少女〜AN ADOLESCENT』で念願の監督デビューとなる。
2006年1月に松坂慶子を主役とした『るにん』を公開。共に国内外の映画賞で多数の賞を獲得。3作目となる『長い散歩』は、奥田が「どうしても仕事がしたかった」という緒形拳を主役に配し、モントリオール世界映画祭で、日本映画として1982年の佐藤純弥監督作『未完の対局』以来2作目となるグランプリを受賞。さらに国際批評家連盟賞とエキュメニック賞も同時受賞し、計3冠を獲得するという快挙を成し遂げた。
人物・エピソード
- 1979年、犬養毅元首相の孫で犬養健元法相の娘であるエッセイストの安藤和津と結婚[3]。娘が2人おり、長女の安藤桃子は映画監督として、二女の安藤サクラは女優として活躍する芸能一家である。弟・安藤豊彦は苔玉作家、父・安藤豊は元春日井市議会議員である[5]。
- 俳優・声優の伊武雅刀は高校の1学年先輩にあたる。
- 特技は、ギター[15]、ブルースハープ[16]、挿絵[15]、絵画[16]。連城三紀彦の連載小説『花堕ちる』や、和津夫人の童話『月うさぎ』、宮内婦貴子の童話「おさびし山のさくらの木」などで挿絵を描き[3]、1991年には個展も開いている[3]。音楽方面では、1986年に谷村新司とのデュオでシングル盤「クラシック-CLASSIC-」をリリースしている。
- 『進め!電波少年』の松村邦洋がアポなしで突然現れた際、松村の願い(「僕をモデルに絵を描いて欲しい」)を快く引き受けた[17]。また足を怪我した際も「つばをつけて足を直してあげたい」とやって来た松村に快くつばをかけさせ、関係者に非常に好印象であった[17]。
- 業界屈指の色気を持つ俳優であり、テレビ番組に出演する際には「ちょいワル」と呼ばれるスーツの着方を実践。また、津川雅彦や明石家さんまらとたびたび合コンを開催[17]。女性陣のセッティングを自ら担当する(加えて女性側の幹事に「キレイな子を連れてこなかったら殺す」と脅迫する)というこだわりの持ち主である[17]。しかしそんな女性好きが高じてか、1999年に絵画モデルの10代女性にセクハラをした疑惑が浮上し、会見で「妻には初めて手をついて土下座した」と明らかにした。また、酒席で下半身を露出して週刊誌、女性週刊誌で記事になったこともある。
- 2012年9月5日、三宅久之、津川雅彦ら28人は、同年9月の自由民主党総裁選挙に向けて「安倍晋三総理大臣を求める民間人有志の会」を発足させ、奥田も発起人として名を連ねた[18][注釈 1]。同日、同団体は安倍晋三の事務所に赴き、出馬要請をした[29][20]。9月26日、総裁選が実施され、安倍が当選した。
- 2016年、『土曜スタジオパーク』にゲスト出演した際に『円盤戦争バンキッド』でのエピソードを語った[7]。当時は一生懸命だったので恥ずかしさはなかったという[7]。また今でも変身ポーズは覚えていると語り、スタジオで披露した[7]。アクションは最初の5本までは実際に行っていたといい、その後担当したスタントマンのスタイルが悪く見ていて辛かったという[7]。『バンキッド』終了後にオーディションなどを受けた際、子供番組をやっていた事で馬鹿にされたことがあったが、後に売れてからは相手のプロデューサーから謝罪されたことなどを話した[7]。また、『バンキッド』で共演した柳生博は、当時の奥田について「変な役者だった。ものすごくリアル」などと述べ、自分の方が先輩だったのにもかかわらず怖かったとも述べた[7]。怖かった感想を持たれたことについて、奥田自身は「学生時代に政治の世界に突っ込んでいたから」などと見解を述べている[7]。
- 愛知県で生まれ育ち、東邦高校出身であることから中日ドラゴンズのファンに思われがちだが、実のところ阪神タイガースの大ファンであり、オールスターのテレビ中継に同級生でもある川藤幸三と一緒にゲストとして出演したことがある。また、元阪神の捕手で現楽天コーチの山田勝彦や元巨人捕手の山倉和博、元中日投手の朝倉健太は高校の後輩にあたる。
- 自動車免許の更新に行かなかった事で免許が失効になったこともある。
- 「自分じゃない自分になりたい」という感性から、本名で呼ばれることが嫌いと述べている[30]。
- 句歴20年以上の俳人である。俳句の選者として週刊誌に連載を持っており8年続いた。『サンデー毎日』で川上弘美と俳句談義をしている。近年は「艶俳句(つやはいく)」と称したエロ俳句を真剣な趣味としている。
- 次女・サクラがヒロインを務める2018年度下期のNHK連続テレビ小説『まんぷく』(終盤には奥田も出演)を毎日欠かさず視聴し、「元気をもらっている」と発言している。『まんぷく』のオファーを受け、当初は迷っていたサクラに対し、背中を押したという[31]。
- 富山市の政策参与を務めており、同地で演劇集団「奥田塾」を主宰している[32][33]。
- 人生でお歳暮・お中元を贈ったことが一度もない[34]。
- 「死ぬ間際までショートケーキは食べない」と豪語していたが、孫が生まれて一口もらったのがきっかけで味を覚え、隠れて食べていたのが家族にばれたことがある。
- 銀座のクラブをはしごして、妻のもとに請求されてきた飲み代のツケが一度に3000万円を越えたことがある[35]。
出演
テレビドラマ
映画
短編映画
- ウタモノガタリ-CINEMA FIGHTERS project-「アエイオウ」(2018年)- 山崎信人将補
- たからばこ~守るべきもの~(2023年4月17日〈Web公開〉、クレバリーホーム) - 主演・浩一[68]
オリジナルビデオ
舞台
- 真夜中のパーティー(1983年、パルコ劇場) - ドナルド
- 逢魔が恋暦(1988年、松竹) - 茂兵衛 役
- 四谷怪談 十六夜の月(1996年、新宿梁山泊) - 伊策
- 夏の庭(1997年、パルコ劇場) - 古香老人
- ラヴ・レターズ(1998年、パルコ劇場)
- エリザベス・レックス(2004年、オン・タイム) - ウィル
- 兵士の物語(2007年、東京文化会館)[注釈 13]
- 幽霊たち(2011年、パルコ劇場) - ホワイト、ブラック(二役)
劇場アニメ
吹き替え
ゲーム
ラジオ
- Autorama Sound in Life(エフエム東京)
ラジオドラマ
バラエティ
ドキュメンタリー
- ドキュメント72時間 札幌すすきの 24時間にぎりめし屋(2012年7月17日、NHK) - 語り
- わが心の聖地〜思いの道 願いの道〜(2013年10月 - 2014年9月、BS日テレ) - ナレーター
- 日中共同制作 カンフーの聖地へ 世界遺産少林寺 奥田瑛二の鉄道とバスの旅(2014年8月10日、BS朝日) - ナビゲーター[69]
CM
ミュージックビデオ
ディスコグラフィ
シングル
アルバム
オリジナル・アルバム
- 1. 「ふらふら」(1987年5月25日/H35C-20018)
- さよならのスウィング
- 作詞:荒木とよひさ/作曲:彩/編曲:芳野藤丸
- 土曜日の二人
- 作詞:三浦徳子/作曲:馬場章幸/編曲:戸塚修
- 季節の途中で…
- 作詞:奥田瑛二/作曲:彩/編曲:美野春樹
- 想い出はタンゴに染めて
- 作詞:荒木とよひさ/作曲:彩/編曲:戸塚修
- 悲しみよ眠れ
- 作詞:荒木とよひさ/作曲:堀内孝雄/編曲:美野春樹
- シークレット・ファンタジー
- 作詞:三浦徳子/作曲:三浦雄也/編曲:芳野藤丸
- ラッシュアワーから愛をこめて
- 作詞:新沢としひこ/作曲:彩/編曲:戸塚修
- ららばい
- 作詞:奥田瑛二/作曲:三浦雄也/編曲:芳野藤丸
- なくした憧憬
- 作詞:奥田瑛二、荒木とよひさ/作曲:三浦雄也/編曲:川村栄二
- 卒業試合
- 作詞:三浦徳子/作曲:彩/編曲:芳野藤丸
- 2. 「ブラック・バージン」(1989年10月25日/H30C-10008)
- ※全編曲:久石譲
- イタイのそこが
- 作詞・作曲:Touch
- そりゃないぜ
- 作詞:平野肇/作曲:景家淳
- 夢にまみれて
- 作詞:門谷憲二/作曲:高橋研
- 乾いた朝
- 作詞:奥田瑛二/作曲:久石譲
- エンド・マーク
- 作詞:奥田瑛二/作曲:Touch
- 待ち人小夜曲
- 作詞:平野肇/作曲:山沢雅明
- 夢から覚めれば
- 作詞:奥田瑛二/作曲:久石譲
- ブラック・バージン
- 作詞:奥田瑛二/作曲:山沢雅明
- 生命をかけて
- 日本語詞:岩谷時子/作曲:Memo Remigi
- ※原曲歌唱:オルネラ・ヴァノーニ
写真集
個展(開催地)
- フォーシーズンスホテル
- 銀座三越
- ホワイトギャラリー
脚注
注釈
出典
外部リンク
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括弧内は作品年度を示す、授賞式の年は翌年(2月)
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