ストフェル・バンドーン[1](Stoffel Vandoorne, 1992年3月26日 - )は、ベルギー出身のレーシングドライバー。2021年-22年のフォーミュラEの年間チャンピオン。
マスメディアによっては「ストッフェル・ファンドーネ(ファンドールネ)」や「ストフェル・ヴァンドールン(バンドールン)」と表記されることもある。愛称は「ストッフ[2]」。
初期の経歴
カート
ベルギーのウェスト=フランデレン州コルトレイクで生まれ、6歳となった1998年からカートレースを始めた。10年後となる2008年には、ベルギーのKF2クラスでチャンピオンに輝く。翌年は、CIK-FIA ワールド・カップKF2クラスで総合2位となる。
フォーミュラ・ルノー
2010年には、F4 ユーロカップ1.6シリーズに参戦。シングルシーターとしての一歩を踏み出した。シーズンを通じて優勝6回、表彰台圏内9回と圧倒的な速さを見せ、ルーキーながらもいきなり初タイトルを獲得する。
2011年からは、カート・モルケンズ(英語版)率いるKTRチームからユーロカップ・フォーミュラ・ルノーへ参戦する。第4戦ハンガロリンク第2レースで3位に入り、シーズン初の表彰台を獲得する。中盤戦からは毎回ポイント圏内でフィニッシュし、総合5位となる。同時期にフォーミュラ・ルノー・ノーザン・ヨーロピアン・カップにも出場する。ポールポジション3回、表彰台圏内が8回と好成績を挙げた。優勝こそならなかったが、総合順位では3位と躍進した。
2012年は、ジョセフ・カウフマン・レーシング(英語版)からの参戦が決まり、昨年在籍していたKTRチームを離れる事になった。この年はコイラネン・モータースポーツ(Koiranen Motorsport)のダニール・クビアトと共にタイトル争いを繰り広げた。優勝回数ではクビアトに敗れたものの、表彰台圏内フィニッシュの数はバンドーンが上回った。最終的に僅か10ポイント差でクビアトを破り、ユーロカップ・フォーミュラ・ルノーのタイトルを獲得した。同じく2年目となるフォーミュラ・ルノー・ノーザン・ヨーロピアン・カップでは、前年とは違いフル出場は無かったものの、7回の出走で5度の優勝を飾る活躍を見せる。
2013年、バンドーンはフォーテック・モータースポーツ(英語版)よりフォーミュラ・ルノー3.5へ参戦を開始する。母国・ベルギーのスパ・フランコルシャンでの優勝を含む4勝(表彰台圏内10回)と安定した速さを発揮して、タイトルを獲得したケビン・マグヌッセンに次ぐ総合2位を獲得した。
GP2
2014年1月、ARTグランプリからGP2への参戦を発表する。開幕戦バーレーンの第1レースにおいて、いきなり優勝を果たす。シーズン後半は4戦連続でポールポジションを獲得するなど好調を維持し、最終的には優勝4回、表彰台圏内10回という速さを見せる。ランキングではルーキーイヤーにも拘らず総合2位となる。
2015年も、ARTに残留しチャンピオンシップを争うことになる[3]。チームメイトは全日本F3選手権でタイトルを獲得した松下信治[4]。11ラウンド中ポールポジション4回、21レース中優勝7回、表彰台圏内16回という成績を残し、ランキング2位のアレクサンダー・ロッシに160ポイントの大差をつけてシリーズチャンピオンを獲得した。
スーパーフォーミュラ
2016年はF1マクラーレン・ホンダのレギュラーシートが空いていない状況で進路が注目されたが、本人はレースの実戦感覚を保つことを希望し、日本のスーパーフォーミュラ(SF)にダンディライアン(ホンダエンジンユーザー)から参戦することになった[1]。予定外のF1デビュー(後述)を果たして注目される中、SFデビューとなった開幕戦鈴鹿では3位表彰台を獲得。第3戦富士ではポールポジションを獲得するもブレーキトラブルでリタイアに終わる。第5戦岡山のレース1で優勝。スーパーフォーミュラでの初勝利を飾った。最終戦鈴鹿レース2において2勝目。通算27ポイント、シリーズランキング4位でスーパーフォーミュラの活動を終えた。
F1での経歴
マクラーレン
2013年2月、マクラーレンの若手ドライバープログラムに加入した[5]。2014年1月には、GP2への参戦と並行してマクラーレンのリザーブドライバーに起用される[6]。
2014-2015年
マクラーレンのリザーブドライバーとして活動。
2016年
前年と同様、マクラーレンのリザーブドライバーとして、開幕を迎えた。この年は、日本のスーパーフォーミュラと掛け持ちをすることとなる。
開幕戦オーストラリアGPで負傷したフェルナンド・アロンソの代役として、第2戦バーレーンGPでF1デビューを果たした。カーナンバーは「47」。スーパーフォーミュラのテストを行っていた岡山から急遽バーレーン入りしたが、予選ではチームメイトのジェンソン・バトンを上回る12番手タイムをマークした。迎えた決勝レースでも随所でオーバーテイクを決める走りを見せ、10位でF1初ポイントを獲得した。
2017年
2016年9月3日、バトンに代わり2017年からレギュラードライバーに昇格することが発表された[7]。カーナンバーは2010年に、F4ユーロカップ 1.6でシングルシーターでレースをスタートしたときに最初に付けていたナンバーである「2」をつける[8][9]。前年よりも競争に絡めないマシンで苦戦を強いられていたが、アジアラウンドでアロンソが失速していた間、自身は入賞し獲得ポイントを一時アロンソを上回るなど、一定の結果を残してシーズンを終えた。
2018年
開幕4戦中3戦で入賞する幸先のいいスタートを切ったが、第5戦のリタイアから成績が低迷し、他チームが調子を上げてきたことや自身のマシンにトラブルが集中したこともあり、フリー走行から下位タイムに甘んじ、決勝では一時的な入賞圏内の走行すら出来なかった。母国ベルギーGPでは全セッションで最下位、続くイタリアGPでも予選で最下位に終わった。イタリアGPの翌日にランド・ノリスとカルロス・サインツの両氏契約の発表に伴い、2018年限りでマクラーレンを離脱することが発表された[10]。その後はメキシコGPで8位に入ったものの、アロンソに対して予選では全レースで敗れ、ポイントでも12対50と大差を付けられた。
メルセデス
2019年
メルセデスの開発ドライバーを務めることが決定した[11]。
2020年
メルセデスのリザーブドライバーに就任。フォーミュラEのスケジュールと重複しないレースにチームと帯同した。また、シーズン終了後の若手ドライバーテストにメルセデスのドライバーとしてニック・デ・フリースと共に起用された。
レース戦績
略歴
フォーミュラ・ルノー 3.5 シリーズ
GP2シリーズ
スーパーフォーミュラ
F1
フォーミュラE
FIA 世界耐久選手権
ル・マン24時間レース
出典
外部リンク
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チーム首脳※ |
- イアン・ジェームス(チーム代表)
- トト・ヴォルフ(メルセデス・ベンツ・フォーミュラE社CEO / メルセデス・ベンツ モータースポーツ部門責任者)
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主なスタッフ※ | |
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ドライバー | |
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主なスポンサー | |
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関連組織 | |
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関連項目 | |
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※役職はいずれも参戦していた当時のもの。主要な人物とその役職は参戦した2019年 - 2022年の期間で変化がなかった。 |
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チーム首脳※ | |
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主なチームスタッフ※ | |
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現在のドライバー | |
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F1車両 |
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現在のPUサプライヤー |
- メルセデス (1995 - 2014, 2021 - )
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現在のスポンサー | |
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主な関係者 |
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主なF1ドライバー |
1960年代 | |
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1970年代 | |
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1980年代 | |
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1990年代 | |
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2000年代 | |
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2010年代 | |
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2020年代 | |
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※年代と順序はマクラーレンで初出走した時期に基づく。 ※マクラーレンにおいて優勝したドライバーを中心に記載。太字はマクラーレンにおいてドライバーズワールドチャンピオンを獲得。斜体はマクラーレンにおいて優勝がないものの特筆されるドライバー。 |
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Can-Am | |
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F2 | |
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F5000 | |
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USAC/CART | |
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GT※ | |
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タイトルスポンサー | |
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エンジンサプライヤー | |
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