欠町(かけまち)は、愛知県岡崎市の町名。町域内に小字が配されているが丁番は振られていない。
地理
岡崎市の地理的中央からやや西にずれた所に位置する。
河川
湖沼
小字
- 字足延(あしのべ)
- 字網笠(あみがさ)
- 字石ケ崎(いしがさき)
- 字石ケ崎下タ通(いしがさきしたどおり)
- 字上野北通(うえのきたどおり)
- 字大山田(おおやまだ)
- 字小山田(おやまだ)
- 字欠下(かけした)
- 字金谷(かなや)
- 字河原田(かわはらだ)
- 字北通(きたどおり)
- 字狐ケ入(きつねがいり)
- 字栗宿(くりやど)
- 字左義長(さぎちょう)
- 字清水田(しみずだ)
|
- 字下口(しもぐち)
- 字地蔵前(じぞうまえ)
- 字天上田(てんじょうだ)
- 字中通(なかどおり)
- 字野添(のぞえ)
- 字東通(ひがしどおり)
- 字東畑(ひがしばた)
- 字広見西通(ひろみにしどおり)
- 字広見東通(ひろみひがしどおり)
- 字札木(ふだぎ)
- 字松ケ瀬(まつがせ)
- 字松塚(まつづか)
- 字三田田北通(みただきたどおり)
- 字三田田南通(みただみなみどおり)
- 字薮下(やぶした)
|
世帯数と人口
2019年(令和元年)5月1日現在の世帯数と人口は以下の通りである[2]。
人口の変遷
国勢調査による人口の推移
小・中学校の学区
市立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる[10]。
歴史
額田郡欠村を前身とする。江戸時代は岡崎藩によって治められた。
江戸時代以前には、欠村・大平村(現在の大平町)・投村(現在の朝日町、若宮町)に松平氏に仕えた本多一族の屋敷や所領が多く見られた。欠村には主な城主を本多忠真とする『欠古城』があった。
沿革
史跡
交通
- 道路
施設
教育
ギャラリー
-
岡崎市福祉の村
-
-
-
東公園
-
東公園の象のふじ子
-
法光寺
-
根石学区こどもの家
-
-
フィールKAKEMACHI店
-
宇部生コンクリート 岡崎工場
その他
日本郵便
脚注
参考資料
関連項目
外部リンク
ウィキメディア・コモンズには、
欠町に関連するカテゴリがあります。