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この項目では、富山県にある駅について説明しています。
- かつて同名を称した栃木県にある駅については「大平下駅」をご覧ください。
- 宮城県にある駅については「陸前富山駅」をご覧ください。
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富山駅(とやまえき)は、富山県富山市明輪町にある、西日本旅客鉄道(JR西日本)・あいの風とやま鉄道の駅である。
なお、本稿では当駅に隣接する富山地方鉄道の以下の駅および停留場についても詳述する。
概要
当駅は富山県の県庁所在地である富山市の代表駅である。
JR西日本・あいの風とやま鉄道の富山駅は、JR西日本の北陸新幹線および在来線の高山本線、あいの風とやま鉄道のあいの風とやま鉄道線が乗り入れている。あいの風とやま鉄道線は元々は当駅の所属線であった北陸本線の一部であったが[1]、2015年(平成27年)3月14日の北陸新幹線長野駅 - 金沢駅間延伸開業に伴い、あいの風とやま鉄道へ移管された。これに伴い、在来線構内はJR西日本の在来線である高山本線も含め、あいの風とやま鉄道の管轄となった。
富山地方鉄道の電鉄富山駅は本線の単独駅であるが、隣の稲荷町駅で分岐する不二越線[注 1] の列車も乗り入れており、事実上2方向の列車が利用できる。
JR西日本・あいの風とやま鉄道の高架下には富山地方鉄道の富山駅停留場が設けられており、富山軌道線・富山港線が乗り入れる。富山軌道線・富山港線には6つの運転系統が存在するが、富山駅停留場にはその全てが発着する。
富山軌道線にはこのほか、駅南側の道路上に電鉄富山駅・エスタ前停留場が設けられている。この停留場は2015年(平成27年)3月14日に富山駅停留場が開業するまでは富山駅前停留場を名乗っており、富山駅の最寄り停留場であった。
富山港線は2006年(平成18年)2月28日まではJR西日本の運営で、同社の富山駅に乗り入れていた。その後富山ライトレールに移管されるとともに富山駅付近の線路が道路上に移設され、2006年(平成18年)4月29日から2020年(令和2年)3月20日までは駅北口に設けられた富山駅北停留場に発着していた。富山地方鉄道に経営統合された後、2020年(令和2年)3月21日に線路を高架下に延長、富山駅北停留場は富山駅停留場に統合され廃止となった。
歴史
富山駅付近変遷
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1931年
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富山
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富山駅前 (I)/電鉄富山 (I)
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1934年
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富山
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電鉄富山 (I)
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富山駅前 (II)
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1936年
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富山
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電鉄富山 (I)
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富山駅前 (III)
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1943年
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富山
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電鉄富山 (I)
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富山駅前 (IV)
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1986年
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富山
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電鉄富山 (II)
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富山駅前 (IV)
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2006年
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富山駅北
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富山
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電鉄富山 (II)
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富山駅前 (IV)
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2015年
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富山駅北
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富山(在来線)
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富山駅
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富山(新幹線)
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電鉄富山 (II)
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支線接続点
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電鉄富山駅・エスタ前
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2020年
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富山(在来線)
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富山駅
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富山(新幹線)
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電鉄富山 (II)
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支線接続点
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電鉄富山駅・エスタ前
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富山駅
- 1928年(昭和3年)
- 6月25日:電動ジブクレーンを設置する[22]。
- 7月11日:富岩鉄道富山駅 - 富山口駅間において旅客運輸営業を開始し、同日より旅客も国有鉄道富山駅との共同使用を開始する[20][23]。
- 1933年(昭和8年)3月31日:当駅 - 笹津駅間において省営自動車笹津線の営業を開始し、当駅においては一般運輸営業を開始する[24]。
- 1934年(昭和9年)10月25日:線路名称を改定し、飛越線が高山本線に編入される[25]。
- 1935年(昭和10年)1月17日:富山商工会議所が富山都市計画の完成及び当駅の拡張に関する建議書を、鉄道大臣、名古屋鉄道局長及び金沢運輸事務所長に提出する[6]。
- 1936年(昭和11年)10月1日:富山市西町の宮市大丸百貨店内に当駅派出鉄道案内所を設置する[26]。
- 1937年(昭和12年)10月1日:構内に富山鉄道郵便局を開設する[27]。
- 1938年(昭和13年)
- 5月26日:富山市が当駅 - 日曹工場前駅間の鉄道敷設免許を取得する[28]。
- 8月24日:富山市営鉄道運河線(貨物線)の富山駅 - 日曹工場前駅(後の奥田駅)間が開業し、富岩鉄道がこれを借受する[29][30]。
- 1940年(昭和15年)5月6日:当駅 - 日曹工場前駅間の電化が認可される[28]。
- 1941年(昭和16年)12月1日:会社合併に伴い富岩鉄道線を富山電気鉄道が譲受し、また富山市営鉄道運河線を同社が借受して、合せて同社の富岩線とする[31]。
- 1942年(昭和17年)12月7日:1938年(昭和13年)8月富山市に対して免許され、富岩鉄道(後に富山電気鉄道)が借受していた富山市営鉄道運河線(貨物線)の富山駅 - 日曹工場前駅間が、富山電気鉄道に対して譲受される[32]。
- 1943年(昭和18年)
- 2月28日:同日限りを以て省営自動車笹津線を廃止する[33]。
- 6月1日:富山地方鉄道(旧・富山電気鉄道)富岩線が国有化され、国有鉄道富山港線となる[34]。
- 1944年(昭和19年)5月1日:富山鉄道郵便局を新潟鉄道郵便局に吸収し、その事業を同局に移管する[35]。
- 1945年(昭和20年)
- 1946年(昭和21年)
- 8月5日:当駅における闇米取締を発端として朝鮮人による騒擾事件が起る(富山駅前派出所襲撃事件)[39]。
- 9月15日:同年8月5日の富山駅前派出所襲撃事件等朝鮮人による狼藉に鑑み、同日当駅においてその大々的取締を行う[39]。
- 10月8日:再び当駅にて闇米の取締を行い、約120石を摘発する[6]。
- 1947年(昭和22年)
- 2月25日:この日の市会で富山駅の移転(現位置より東寄り)問題は三千万円の工費を要するもので、戦災復興に手一杯の市としてはこれに応ずることが出来ないとして移転運動を中止することに満場一致を以て決議した[40]。
- 11月2日:昭和天皇が同日午前7時50分、当駅より越中八尾駅・猪谷駅方面に向け発車する[41]。
- 1948年(昭和23年)2月13日:当駅 - 呉羽駅間の田苅屋信号場を「田刈屋信号場」と改める[1]。
- 1949年(昭和24年)
- 1975年(昭和50年):富山市が富山駅周辺整備基本計画を策定。この計画では新駅舎は地上5階地下1階建て、ターミナルビルは地上7階地下1階建てで、地下に地鉄コンコース、1階にバス発着場、2階に在来線と地鉄のコンコース、5階に北陸新幹線ホームを置き、さらに新幹線ホームの屋上に駐車場を完備するという大掛かりなものであった[70]。
- 1976年(昭和51年)2月13日:第31回国民体育大会冬季大会への台臨のため、皇太子明仁親王及び皇太子妃美智子が当駅に着御する[60]。
- 1979年(昭和54年)3月10日:当駅駅舎本屋改築工事が完了する[54]。
- 1982年(昭和57年)
- 3月30日:日本鉄道建設公団富山新幹線準備事務所が富山県内の新幹線通過ルートおよび停車駅を黒部、富山、高岡にすることを発表[71]。
- 11月7日:商業ビル建設のため、当駅東側の国鉄宿舎を撤去する[72]。
- 1984年(昭和59年)2月1日
- 当駅構内の金沢鉄道郵便局富山分局を廃止する[73]。
- 当駅 - 奥田駅間を廃止する[74]。
- 1985年(昭和60年)
- 1986年(昭和61年)
- 3月16日:当駅において北陸新幹線周辺環境整備事業の起工式を挙行する[77]。
- 11月1日:営業範囲を改正し、荷物(新聞紙を除く)の取り扱いを廃止する[78]。
- 1987年(昭和62年)
- 1988年(昭和63年)
- 1989年(平成元年)
- 2月2日:当駅北口再開発事業「とやま都市MIRAI事業」に必要な旧国鉄用地の商業施設化が、日本国有鉄道清算事業団新潟資産管理部の諒承を受ける[84]。
- 6月22日:JR富山駅と電鉄富山駅の間を結ぶ連結アーケード(全長49.5m、幅3.1m、ライトグレー色。1989年3月末からJR西日本、富山地方鉄道、富山ターミナルビルが共同で建設していた)が完成[85]。
- 10月14日:発車ベルの騒音による近隣住民の苦情を受け、地元民謡の『こきりこ節』のピアノ伴奏を用いた発車メロディー・列車到着メロディの運用を開始するが、駅利用者からは不評だった[86][87]。
- 12月20日:当駅駅前に自転車駐輪場を設置する[88]。
- 1990年(平成2年)
- 3月10日:富山貨物駅に貨物駅の業務を移管し、JR貨物の駅(当駅での貨物の取り扱い)が廃止される[1][9]。
- 4月10日:JR西日本子会社たるハートアンドアクションフーズがハチバンとフランチャイズ契約を締結し、当駅構内に飲食店を開業する[89]。
- 7月21日:JR西日本が富山地方鉄道線直通特別急行「リゾート立山」の運転を開始し、再び当駅構内に連絡線を敷設する[90]。大阪駅発午前8時25分富山駅着午後0時6分特別急行「雷鳥15号」及び富山駅発午後3時大阪駅着午後7時8分の「雷鳥38号」にキハ65形気動車を2輌連結し、富山地方鉄道線内においてはキハ65形気動車が自走する[90]。
- 8月12日:富山市が富山駅を南北に結ぶ<地下通路と地下歩道の建設方針を固める。この時点の駅南北地下道の幅員は6~4mであった[91]。
- 1991年(平成3年)12月27日:当駅より当駅駅前再開発ビル(現:富山ステーションフロントCiC)を連絡する地下道を、当駅北口連絡地下道と接続し使用を開始する[92]。
- 1992年(平成4年)3月24日:日本国有鉄道清算事業団の用地整備事業のため、旧富山港線ホームを解体し、新富山港線ホームの使用を開始する[93]。
- 1994年(平成6年)10月28日:当駅構内にコンビニエンスストアハートインが開業する[54][94]。
- 1995年(平成7年)
- 4月20日:特別急行「サンダーバード」の運行を開始し、始発駅たる当駅においてその記念式典を行う[95]。
- 4月21日:運輸省(現・国土交通省)が北陸新幹線富山駅暫定整備計画を決定し、日本鉄道建設公団にその建設を指示する[96]。
- 4月28日:運輸省が日本鉄道建設公団の当駅駅舎工事実施計画を認可する[97]。
- 5月25日:日本鉄道建設公団が北陸新幹線富山駅の測量及び設計を開始し、北陸新幹線整備調整事業起工式を挙行する[98]。
- 8月24日:日本鉄道建設公団、北陸新幹線富山駅建設に向け地質調査に着手する[99]。
- 1996年(平成8年)7月1日:当駅北側の「アーバンプレイス」ビルが開業する[100]。
- 1997年(平成9年)
- 2月28日:当駅を高架化して南北を一体化し、地上及び地下の歩道により連絡できるように「複断面方式」とする基本計画を、第三回富山駅周辺地区南北一体的なまちづくり基本計画策定調査委員会が決定する[101]。
- 3月:名古屋鉄道の直通特急「北アルプス」の乗り入れを中止する[9]。
- 10月1日:当駅北口にみどりの窓口を開設する[54]。
- 1998年(平成10年)12月19日:当駅南口駅舎2階にレンタルビデオ店が開業する[102]。
- 1999年(平成11年)
- 2000年(平成12年)
- 1月12日:列車の発車時刻等を表示する電光掲示板を設置する[105]。
- 1月22日:同年2月8日からの北陸本線列車集中制御装置導入に伴い、『こきりこ節』の列車到着・発車メロディーの使用を取りやめ、試験的にこれを電子メロディへ変更する[106]。
- 1月30日:第55回国民体育大会に向け、当駅南口駅舎待合室を改装する[107]。改札室をホーム側に移設新築し、1階西側の待合室を400m2に広げ、8つの店舗を1箇所に集約した[105]。
- 2月8日:北陸本線列車集中制御装置導入に伴い、正式に北陸本線標準電子メロディを発車合図として使用開始する[106]。
- 2月11日:富山ステーションデパートをとやま駅特選館に名称変更し、改装開店する[108]。
- 4月28日:北口に黒川雅之がデザインした『風と光の塔』(高さ21m)が完成[109]。
- 7月26日:北口の地下道および地下広場が完成[110]。
- 2001年(平成13年)5月27日:当駅南口広場にて北陸新幹線上越 - 富山間の起工式を挙行する[111]。
- 2002年(平成14年)1月2日:在来線高架化を連続立体交差とする方針を固める[112]。
- 2005年(平成17年)
- 2006年(平成18年)3月1日:JR西日本が富山港線を廃止し[29]、再開業まで廃止代替バスが運行される[115]。
- 2007年(平成19年)
- 2011年(平成23年)
- 5月22日:富山駅付近連続立体交叉事業に係る起工式及び安全祈願祭を挙行する[121]。
- 11月30日:旧駅舎構内において営業していたとやま駅特選館等の商業施設が閉店する[122]。
- 12月8日:同日よりとやま駅特選館が南口仮駅舎横の仮店舗にて営業を開始する[122]。
電鉄富山駅
- 1946年(昭和21年)
- 6月1日:電鉄富山駅(富山駅) - 稲荷町駅間のうち旧富南鉄道線の軌道(富南線)が電化され、立山線粟巣野駅までの直通運転を開始[153]。
- 10月31日:富山大空襲による戦災により焼失した駅舎を復旧する[28]。
- 1957年(昭和32年)9月1日:地鉄の駅で初めて自動券売機を設置する[28]。
- 1960年(昭和35年)1月7日:自動券売機を増設する[28]。
- 1961年(昭和36年)10月15日:第20回全日本産業安全大会への台臨のため行啓中の明仁親王及び美智子皇太子妃が、当駅より電鉄魚津駅に向け出御する[60]。
- 1964年(昭和39年)4月10日:当駅 - 宇奈月駅間に途中停車なしの特別急行列車の運行を開始する[28]。
- 1967年(昭和42年)11月30日:本線の当駅 - 電鉄桜井駅(現・電鉄黒部駅)間がCTC化する[28]。
- 1968年(昭和43年)6月11日:当駅 - 宇奈月駅間の途中停車なしの特別急行列車の運行を休止する[28]。
- 1969年(昭和44年)
- 1970年(昭和45年)5月10日:当駅 - 宇奈月駅間及び当駅 - 千寿ヶ原駅間に特別急行列車の運行を開始する[28]。
- 1971年(昭和46年)1月1日:定期券専用自動改札機の使用を開始する[154]。
- 1981年(昭和56年)4月1日:自動改札機を廃止する[155]。
- 1985年(昭和60年)
- 5月5日:当駅構内改築工事を開始する[156]。
- 7月17日:富山ターミナルビル及び富山地方鉄道が、建設中の「富山ターミナルビル」及び「電鉄富山駅ビル」の計画概要を公表する[157]。
- 11月24日:当駅構内改築工事を完了する[156]。
- 11月28日:富山駅前立体駐車場が完成し、電鉄富山駅の乗務区施設を移転する[76]。
- 1986年(昭和61年)
- 1987年(昭和62年)12月5日:電鉄富山駅ビル「エスタ」が開業する[156]。
- 1992年(平成4年)11月25日:各駅においてヤマト運輸宅急便の受付を開始する[156]。
- 1996年(平成8年)8月12日:エスタ1階に「ちてつベストツアーセンター」がオープン[160]。
- 2010年(平成22年)3月14日:駅構内の乗車券センターに、富山軌道線に導入されたIC乗車券「ecomyca」(えこまいか)の自動チャージ機(積み増し機)を設置する[161]。
- 2012年(平成24年)3月17日:当駅をはじめ鉄道路線の17駅にecomyca対応の自動改札機が設置され、使用を開始する[162]。
- 2023年(令和5年)5月20日:当駅より東側約700mの高架化工事の起工式を挙行。富山県はこの時点で2026年度末までの完成を目指すとしていたが、資材価格の高騰などを受け見直しを検討していた[163]。最終的には2年遅れの2028年度となることが同年6月23日に判明した[164]。
電鉄富山駅・エスタ前停留場
- 1913年(大正2年)9月1日:富山電気軌道本線の富山駅前 - 共進会場前(現在の堀川小泉)間および支線の富山駅前 - 総曲輪(現在の丸の内) - 西町間が開業[165] に伴い、同社の富山駅前停留場として開業する[21]。軌間1,067mm、電化(直流600V)[21]。
- 1920年(大正9年)
- 7月7日:富山電気軌道が富山市に対し当該路線の軌道敷設免許及び事業経営権を譲渡する許可を受ける[28]。
- 7月1日:富山市に富山市電軌課が発足。富山電気軌道が市に譲渡され、富山市営軌道となる[166]。
- 1921年(大正10年)8月4日:富山駅前 - 西町間の複線化が完了する[28]。
- 1922年(大正11年)
- 7月7日:富山市営軌道が富山駅乗入軌道の免許を取得する[28]。
- 10月13日:富山駅構内への乗入れを開始する[28]。
- 1934年(昭和9年)頃:桜橋 - 富山駅前 - 総曲輪間のルートを変更する[167]。変更前の富山駅前停留場の位置は現在の富山駅停留場付近(富山駅構内)にあったが、ルート変更で現在地付近(富山駅構外)へ移設された[168]。
- 1936年(昭和11年)10月13日:富山駅構内乗入線が開通により当停留場を移設し、富山駅構内に再度乗入れる[169]。
- 1943年(昭和18年)
- 1945年(昭和20年)
- 1946年(昭和21年)1月14日:南富山駅前 - 富山駅前間復旧に伴い営業を再開する[173]。午前7時より午後6時まで4車輌で15分間隔の運行であった[37]。
- 1949年(昭和24年)3月15日:富山駅前 - 旅篭町間復旧に伴い総曲輪方面の営業を再開する[173]。
- 1954年(昭和29年)4月1日:笹津線の富山駅前乗入れを開始する[28]。
- 1967年(昭和42年)10月10日:笹津線の富山駅前乗入れを廃止する[28]。
- 1970年(昭和45年)4月8日:富山駅前-南富山駅間のワンマン運転化を実施する[64]。
- 1988年(昭和63年)5月1日:接近表示装置を設置する[156]。
- 1997年(平成9年)8月12日:南富山駅行富山駅前停留場の拡幅を行う[156]。
- 2015年(平成27年)3月14日:富山軌道線の富山駅 - 電鉄富山駅・エスタ前間開通。富山駅停留場との混同を避けるため電鉄富山駅・エスタ前停留場(でんてつとやまえき・エスタまえていりゅうじょう)に改称する[174][175]。
富山駅停留場
富山駅北停留場(廃止)
- 2006年(平成18年)4月29日:富山港線が富山ライトレールに移管され、再開業する[178](富山地方鉄道富山港線)。架線電圧を直流600Vに降圧する。富山駅北停留場開業[9]。
- 2010年(平成22年)3月14日:チャージ(入金)機において、富山地方鉄道のIC乗車券「ecomyca」との相互利用を開始する[179]。
- 2019年(平成31年・令和元年)
- 3月2日:富山駅北口駅舎の閉鎖により、富山ライトレールの窓口を移転する[180]。
- 8月4日:富山地方鉄道富山軌道線と富山ライトレール富山港線の接続に伴う工事のため、当停留場を約50メートル北側へ移設する[181]。
- 2020年(令和2年)
高架化と周辺整備事業
富山駅周辺連続立体交差事業の概要
北陸新幹線関連工事に合わせ、富山駅においては周辺1.8 kmにわたり連続立体交差事業が行われている[185][186]。この事業は、在来線によって南北に分断された富山駅周辺の土地利用や道路交通の障碍を鉄道の高架化による道路の新設や拡幅によって克服し、合わせて歩行者用の南北自由通路の整備や富山地方鉄道富山軌道線と富山ライトレール富山港線の接続によって南北一体のまちづくりを推進することを目途として行われているものであって[186]、まずJR在来線を一旦北側に移設し、高架化する工事が2005年(平成17年)10月6日より開始された[9]。2007年(平成19年)3月18日からは北口[116]、2010年(平成22年)4月19日からは南口が工事の影響によって仮駅舎となり[119]、2008年(平成20年)10月20日からは下りホーム[118]、2010年(平成22年)4月19日からは上りホームが仮ホームに切り替えられている[119]。
新幹線の高架ホーム(2面4線)は2015年(平成27年)3月14日より供用が開始され、同時に富山地方鉄道富山軌道線の富山駅停留場が新幹線高架下に開業した[187][188][189]。続いて同年4月20日からはあいの風とやま鉄道線上り方面と高山本線の在来線ホームが高架ホームに切り換えられ[134]、2019年(平成31年)3月4日には、あいの風とやま鉄道線下り方面についても高架ホームへの切り換えが完了した[141][142]。これにより富山駅の在来線ホームは高架上に2面5線(うち1線は切欠きホーム)が整備された[189]。
引き続き在来線の地上ホームの撤去や南北自由通路の整備等の工事が行われ、2020年(令和2年)3月21日に富山地方鉄道富山軌道線と富山地方鉄道富山港線が接続された[190]。加えて富山地方鉄道本線1.0 kmも高架化され、電鉄富山駅のホームは2面2線となる予定であり、これについては2019年(平成31年)度より事業に着手する方針が示されている[191][192][193]。なおかつて北陸本線と富山地方鉄道線を接続していた当駅構内の連絡線は、一連の事業に係る工事によって廃止されており、この連絡線が高架化工事後に復活する予定は立っていない[194][195]。
2017年(平成29年)には周辺の再整備が評価されグッドデザイン賞を受賞した[196]。
- 地上駅・仮駅時代の富山駅
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新幹線開業前の正面口駅舎
(南口広場拡張のため解体)
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新幹線建設時に西隣りに建てられた仮駅舎と仮設広場
(新幹線開業前日まで使用)
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富山駅仮駅舎コンコース
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富山駅橋上より
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旧1番のりば
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右より旧2番・4番のりば
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解体工事中の7・8番のりばホーム(2006年4月)
軌道線の富山駅高架下乗り入れ
前述のように富山駅の周辺連続立体交差事業においては、かねてより軌道線の高架下への乗り入れが計画されていた[189]。この事業のために整備される富山駅南北接続線(富山駅停留場 - 富山地方鉄道富山軌道線支線接続点間)については富山市が軌道を保有し、富山地方鉄道が車輌の運行を行う上下分離方式によることが2013年(平成25年)2月4日に発表され[197]、同年4月26日にその旨国土交通省より特許が与えられた[198]。そして2014年(平成26年)6月2日に富山地方鉄道は富山駅の高架下に新設する新停留場の名称を、「富山駅停留場」とすることを正式決定し発表した[174]。この富山駅南北接続線は2015年(平成27年)3月14日より運輸営業を開始し、富山駅停留場は同日に開業した[198][199][200]。同時に既存の富山駅前停留場と、新設の富山駅停留場とを乗客が混同する恐れが生ずる可能性に鑑み、富山地方鉄道と富山市は富山駅前停留場の改称を発表し、同年3月14日よりこれを「電鉄富山駅・エスタ前停留場」に改称した[175]。
2020年(令和2年)3月21日に富山駅南北接続線が富山地方鉄道富山港線と接続された[183]。
高架化工事に伴う北口の変遷
富山駅においては1958年(昭和33年)10月16日にかつて牛島のどぶが広がっていた場所に初めて北口改札が開設され[37]、その後1999年(平成11年)12月4日に北口駅舎の改築が竣工したが[104]、それまでの駅舎と地上ホームを撤去して駅を高架化することを目指す富山駅の連続立体交差事業のため、2007年(平成19年)3月18日より北口においては仮駅舎を使用することとなった[116]。この仮駅舎は、従来の駅舎の東隣に設けられ、一階にはミニコンビニや富山ライトレールの乗車券販売所が入居し、2階及び3階を社員事務所として用いていた[116]。
2015年(平成27年)3月14日よりあいの風とやま鉄道が開業し、在来線の富山駅が同社に移管されると、北口もまた同社の管轄下となり、出改札はJR時代に引き続きJR西日本金沢メンテックに業務委託されたものの、1997年(平成9年)10月1日以来開設されていたみどりの窓口やJR線に係る券売機は撤去された[54][129][201]。この措置に伴って利用者から不満の声が上がった結果、西日本旅客鉄道は富山県からの要望に応じて、2016年(平成28年)2月19日にみどりの券売機を再設置した[136]。また、2015年(平成27年)4月20日からは北陸新幹線利用者のために専用の通行券を発行し、富山駅に下車し北口へ向かう旅客または富山駅北口より北陸新幹線に乗車する旅客へあいの風とやま鉄道富山駅の構内を通過することを可能とする措置をとっていた[202]。
しかし、前述の北陸新幹線開業に伴う富山駅の連続立体交差事業の進捗によって2019年(平成31年)3月4日に北口駅舎は閉鎖され、南北の改札は統合された[203]。これにより新幹線利用者のために行われていた、あいの風とやま鉄道富山駅構内の通り抜け措置も終了した[204]。新たな富山駅北口の整備事業は2019年(平成31年)末に着工され、2022年(令和4年)3月31日に完成し、同年4月1日から共用を開始した[205][206]。
- 仮駅舎時代の富山駅北口
-
かつての富山駅北口駅舎
-
北口の出札口
-
北口のみどりの券売機
-
北口の売店
駅構造
JR西日本北陸新幹線 富山駅
3階に島式2面4線のホームを持つ高架駅である[194]。通過線はなく、可動式安全柵が設置されている[208]。改札口は1階南北自由通路に面する「中央改札口」と、駅中商業施設の「とやマルシェ」内から通じる「のりかえ改札口」(2階)の2ヶ所で、2015年(平成27年)4月20日に、あいの風とやま鉄道並びにJR高山線の上り線ホーム(1-3番)の高架切替を機に、のりかえ改札口に隣接して在来線の改札口が設置された[209]。
のりば
あいの風とやま鉄道線・JR西日本高山本線 富山駅
あいの風とやま鉄道が管轄する在来線の富山駅は、切欠きホーム1線を加えた島式ホーム2面5線を有する高架駅である[189]。2015年(平成27年)4月20日の一部ホームの高架化以前には、島式ホーム2面4線、片面ホーム1面1線及び切欠きホーム1線の計3面6線を有していた[194]。また2006年(平成18年)3月1日以前には、4面9線1切欠を有し[215][216]、富山港線の列車が7番・8番乗り場に発着していた[63][217]。
あいの風とやま鉄道による直営駅である[129]。高山本線に関してはあいの風とやま鉄道の窓口・券売機では猪谷までの普通乗車券しか購入できないので、その先まで乗車する場合や特急「ひだ」の特急券や定期券を購入する場合は、みどりの券売機で購入するか、新幹線の窓口で購入するか、下車駅で乗り越し精算を行う必要がある[129]。
2015年3月14日の北陸新幹線開業による経営移管までは、西日本旅客鉄道(JR西日本)北陸本線が乗り入れており、同社の管轄であった。
2015年(平成27年)3月13日以前のJR北陸本線時代には、特急「サンダーバード」「しらさぎ」「おはようエクスプレス」「はくたか」「北越」「トワイライトエクスプレス」[194][218][219][220]、2012年(平成24年)3月16日以前には特急「日本海」、急行「きたぐに」[221][222]、2010年(平成22年)3月12日以前には特急「北陸」及び急行「能登」[223]、2001年(平成13年)3月2日以前には特急「白鳥」[224]、1997年(平成9年)9月30日以前には特急「白山」の停車駅でもあった[225]。
のりば
2019年(平成31年)3月時点のホーム構成は下表の通り。在来線では金沢方面が「上り」なのに対し、北陸新幹線では東京方面が「上り」となる[注 8]。
2015年(平成27年)4月20日の上り線高架切り替え後は、1番線が「あいの風とやま鉄道線(上り)」、切り欠きホームである2番線が「高山本線専用」、3番線が「高山本線・あいの風とやま鉄道線(上り)共用」とされている[129] が、実際には2019年の下り線高架切り替えまでは1番のりばにも高山本線の列車が発着していた[注 9]。一方、4・5番線ホームは下り専用となった。2021年(令和3年)11月現在、高山本線は全線電化されていないため、2番のりばの線路には架線が張られていない。
また現在、駅中商業施設の「とやマルシェ」内から通じる「2階(中2階)改札口」は、これまでの新幹線改札口に加え、2015年(平成27年)4月20日より、あいの風とやま鉄道の改札口も設けられ、新幹線、在来線両鉄道を利用できるほか、両鉄道の連絡口としても機能する[129][227]。
到着・発車メロディ
2017年(平成29年)3月13日から、あいの風とやま鉄道の新旅客案内システム(駅自動放送)の導入にともない、独自の到着・発車メロディの使用を開始した。メロディはいずれもスイッチの制作で、編曲は福嶋尚哉が手掛けた[138][140][228][229]。
- 到着メロディ
- 『ふるさとの空 verA』(久石譲作曲) - 「富山県ふるさとの歌」として制作された曲のイントロ部。他の富山市内の駅と共通で使用されている[228]。
- 発車メロディ
なお、新旅客案内システム導入以前は、北陸本線主要駅標準の詳細自動放送の文面、到着・発車メロディであった[106]。
- 富山駅(あいの風とやま鉄道・JR高山線)
-
あいの風とやま鉄道線・JR高山線改札口
-
1・3番線ホーム
-
2番線ホーム
-
4・5番線ホーム
-
かつてのあいの風とやま鉄道線・JR高山線出改札口
本線 電鉄富山駅
富山地方鉄道本線の電鉄富山駅は、あいの風とやま鉄道・JRの富山駅の正面口前広場に面している。のりかえ標準時分は15分である[230]。
駅名は富山電気鉄道時代の駅名をそのまま引き継いでいるため「電鉄」を冠する[231]。駅番号はT01。頭端式ホーム2面2線を有する地上駅で、改札口は長らくあいの風とやま鉄道・JR側の1つだけであったが、高架化工事の進展により、2024年1月7日に移設し、あいの風とやま鉄道・JR向けの西側のほか、地鉄ビル駐車場向けの東側に設けられている[232]。出入口も同様の箇所にある[233]。終日駅員が配置されているが[234]、駅員による乗車券発売時間は7時から20時までに限られる[235]。元々は頭端式ホーム3面4線を有していたが[231]、高架化工事の進展により2022年12月4日より現行の仮ホームとなっている。
かつては、JR富山駅1番のりばから富山地方鉄道本線へ交直デッドセクション付きの連絡線が存在し、国鉄時代の1970年代から1980年代にかけては475系電車を使った急行「立山」やキハ58系気動車を使った急行「うなづき」「むろどう」(いずれも線内は特急扱い)、名鉄車両のディーゼル特急「北アルプス」が[28]、1990年代には「スーパー雷鳥立山」「サンダーバード宇奈月」などの列車名で、いずれも臨時列車扱いでJRからの特急の付属編成が直通した[156]。
電鉄富山駅においてこれら乗り入れ列車に乗降する際は、同駅の改札内から富山駅1番のりばに通じる連絡通路を通り、富山駅1番のりばを利用することができた[236]。1999年(平成11年)11月を最後に旅客列車の乗り入れ列車は終了し、その後は検測車がJRより不定期で入線する程度となり、連絡通路も閉鎖された[231]。現在では新幹線工事の影響によって連絡線も廃止されている[195]。
ICカード用自動改札機設置
2012年(平成24年)3月17日より市内電車(路面電車)・路線バスに導入されていたICカードが富山地方鉄道の鉄道線でも導入された[162]。それに伴い、改札にICカード用自動改札機が設置された[162]。ただし使用できるICカードは「ecomyca(えこまいか)」と「passca(パスカ)」のみである(SuicaやICOCAなど交通系ICカード全国相互利用サービス対象カードは現在のところ利用できない)[162]。ICカードを使用し、鉄道線を利用すると、運賃が10%割引になる[162]。
のりば
- 1・3番線ホームと2・4番線ホームは同一ホームかつ同一線路を使用しており、縦列停車する形となっている。手前側が1・2番線、奥側が3・4番線となっている。
富山軌道線 電鉄富山駅・エスタ前停留場
相対式ホーム2面2線を有する地上駅(停留場)である[239]。電停No.はC14[240]。かつては富山駅前停留場と称していたが[239]、2015年(平成27年)3月14日に改称された[174][175]。
当停留場を境に地鉄ビル前方面(上り)が本線、新富町方面(下り)が支線となっている[241]。ホームは列車2輌分が停車できる長さがあり、停留場内に渡り線も設けられているので一部が接触しないように切り欠かれている[239]。
富山軌道線 富山駅停留場
富山地方鉄道富山軌道線(富山駅南北接続線)の富山駅停留場は、2015年(平成27年)3月14日よりJR西日本とあいの風とやま鉄道の富山駅高架下に新規設置された停留場である[175]。電停No.はC15[240]。当停留場から支線接続点までの富山駅南北接続線は富山市が軌道施設を建設・保有し、富山地方鉄道が車両の保有および運行を行う上下分離方式となっている[241][242]。
ホームは南側に3面(富山軌道線用)、東西自由通路を挟み北側に同じように3面(富山港線用)のホームがあり[243](6面2線)、8番ホームまで存在する。なお2、6、7番ホームは降車専用となる。
支線接続点がある交差点での列車通行時間を短縮するため、交差点進入方向の線路は手前で分岐している。これにより一度の信号現示で南富山駅前方面および富山大学前方面へ向かう各車両を同時発車させることが可能となっている[244]。
のりば
配線図
富山港線 富山駅北停留場(廃止)
移転前の富山ライトレールの富山駅北停留場は、富山駅北口の正面に位置していた[247]。頭端式ホームを有する地上駅で、東側にある単式ホームと中央にあるアイランド(島式ホーム)とで構成された2面2線であった[247]。
2005年度に牛島町交差点までの軌道が緑化された[248] が、当停留場構内は日当たりが悪くコケが繁茂するなどしたため[249]、2015年に小松精練(現・小松マテーレ)が開発した新素材により再施工された[250]。富山軌道線との接続工事により、当停留場跡地にはシーサスクロッシングが設けられたため、構内の緑化軌道は現存しない。
富山地方鉄道富山軌道線との接続工事のため、2019年(令和元年)8月3日に駅前交差点の北側の仮設停留場(ホームは2面1線)に移転した[251]。同停留場は接続工事が完了した、2020年(令和2年)3月21日に廃止された[184]。
のりば
- 2019年8月3日から2020年3月20日まで
ホーム |
路線 |
行先
|
乗車ホーム
|
■富山港線
|
岩瀬浜方面
|
降車ホーム
|
-
|
- 2006年4月29日から2019年8月2日まで
ホーム |
路線 |
行先
|
1 - 2
|
■富山港線
|
岩瀬浜方面
|
-
線路に芝生が生えるホーム
-
取り壊された旧富山駅北停留場
-
移転後の仮設停留場
貨物の取り扱い
かつてはJR貨物の駅として車扱貨物及びコンテナ貨物を取り扱っていたが、1990年(平成2年)3月10日より富山貨物駅にその機能を移転し、当駅における貨物の取り扱いは廃止された[1]。
1953年(昭和28年)10月10日付『鉄道公報』第1254号通報専用線一覧別表掲載中、当駅接続の専用線は次の通りであった[252]。
- 北陸砂利鉱業線(動力:国鉄機関車及び手押、作業粁程:0.1粁、備考:国鉄砂利線発送に限る)
1970年(昭和45年)10月1日時点における当駅接続の専用線は以下の通りであった[253]。
- 北陸砂利鉱業線(動力:国鉄機関車及び手押、作業粁程:0.1粁、総延長粁程:0.1粁)
なお、1983年(昭和58年)4月1日時点における各駅接続の専用線を列挙した1983年(昭和58年)4月1日付『鉄道公報』第10023号別表『専用線一覧表』に当駅接続の専用線は記載されていない[254]。
商業施設
マリエとやま、とやマルシェならびにマルートは当該項目を参照のこと。
富山駅高架下
クラルテ
クラルテ Clarte |
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外観(2019年8月) |
店舗概要 |
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所在地 |
〒930-0001 富山県富山市明輪町1-230(富山駅停留場西側) 富山県富山市明輪町1-226(新幹線改札口横) |
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開業日 |
2015年(平成27年)3月14日 |
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施設管理者 |
株式会社ジェイアールサービスネット金沢 |
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延床面積 |
1,720 m² ※1400(富山駅停留場西側)320(新幹線改札口横) |
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店舗数 |
11 |
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営業時間 |
店舗により異なる |
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テンプレートを表示 |
富山駅停留場西側及び新幹線改札口横に位置する[255]。施設名称の「クラルテ」は、フランス語において「光」や「かがやき」を意味する言葉である[255]。主として日常の生活用品を求める客をターゲットとしている[255]。
飲食店、ドラッグストア、コンビニエンスストアなどが入居している[256]。
年表
- 2013年(平成25年)
- 5月9日 - JR西日本が、北陸新幹線開業後の当駅駅舎高架下に商業施設を整備する旨をアナウンスする[257]。
- 9月4日 - 富山ターミナルビルが、出店希望者に向け説明会を行い、同施設の建設概要についてリリースする[258]。
- 2014年(平成26年)
- 3月28日 - 北陸新幹線高架下の商業施設の名称を「きときと市場 とやマルシェ」「クラルテ」とする旨を決定する[259]。
- 12月11日 - 北陸新幹線高架下の商業店舗の入居店舗および開業日が決定する[260]。
- 2015年(平成27年)
- 3月14日 - 北陸新幹線長野駅 - 金沢駅間開業に合せ、「きときと市場 とやマルシェ」「クラルテ」がオープンする[261]。
- 2016年(平成28年)4月15日 - 洋菓子を取扱う「あるぺん村」の店舗が入居する[262]。
- 2020年(令和2年)
- 3月19日 - あいの風とやま鉄道線高架下の商業施設の名称および入居店舗が決定する[263]。
- 5月9日 - 「とやマルシェ のれん横丁」「とやマルシェ EATS de Meets」が一部開業[264]。
- 6月1日 - 「とやマルシェ のれん横丁」「とやマルシェ EAST de Meets」がグランドオープン。当初は4月27日のグランドオープンを予定していたが、新型コロナウイルスの流行の影響で延期されていた[265]。
電鉄富山駅ビル エスタ
沿革
- 1982年(昭和57年)11月7日 - 商業ビル建設のため、当駅東側の国鉄宿舎を撤去する[266]。
- 1985年(昭和60年)
- 7月17日 - 富山ターミナルビル及び富山地方鉄道が、建設中の「富山ターミナルビル」及び「電鉄富山駅ビル」の計画概要を公表する[267]。
- 11月28日 - 富山駅前立体駐車場が完成し、電鉄富山駅の乗務区施設を移転する[76]。
- 1986年(昭和61年)4月14日 - 当駅駅ビル内に入居すべきビジネスホテル経営会社として富山地鉄ホテルを設立する[268]。
- 1987年(昭和62年)12月5日 - 電鉄富山駅ビル「エスタ」がオープンする[269]。当時のテナント構成は、地下1階が食品スーパー『スパー』など。ロッテリアは開業当初からテナントに入っていた[270]。
- 1990年(平成2年)4月19日 - エスタのリノベーションを行う[269]。
- 2015年(平成27年)3月12日 - エスタ内のアルビスエスタ店が改装され、Wi-Fiを導入する[271]。
施設概要
地上部にはロッテリア、ドトールコーヒーなどの飲食店や富山地鉄ホテルなどが、地下にはスーパーマーケット『アルビス』が入居している[272]。エスタの名称はパブリック・コメントによるネーミングで、スペイン語で駅を意味するエスタシオン(estacion)と、英語の "Enjoy Shopping Terminal Area" のアクロニム(頭字語)を掛けている[273][274]。昭和63年度富山県建築賞に入選した[275][276]。マリエとやまへの連絡通路がある[277]。
最新の入居テナントについては、脚注内のリンクを参照[278]。
閉業した商業施設
かつて富山駅構内にあったとやま駅特選館は当該項目を参照のこと。
駅弁
主な駅弁は下記の通り[279]。名物であるますのすしの当駅における販売は、1912年(明治45年・大正元年)より開始された[11]。
- ますぶりすし重ね
- ますのすし(二重)
- 特選ますのすし
- ぶりのすし
- ますのすし(一重)[280]
- ますのすし小丸
- 有磯海
- ぶりのすし小箱
- ますとぶり小箱
- ますのすし小箱
- 牛すき焼き弁当
- 雷鳥のうた
- 三色ちらし弁当
利用状況
1日平均乗車・乗降人員
- JR西日本 - 2019年度の1日平均乗車人員は7,923人[注 5]である[281]。
- あいの風とやま鉄道 - 2019年度の1日平均乗車人員は11,854人である。同社の駅では利用者が最も多い。
- 富山地方鉄道(電鉄富山駅) - 2019年度の1日平均乗降人員は8,221人である。同社の駅では利用者が最も多い。
「富山県統計年鑑」と「富山市統計書」によると、近年の1日平均乗降・乗車人員の推移は以下の通り[282][283][284][285][286][287][288][289][290][291][292][293][294][295][296][297]。
年度
|
国鉄 JR西日本[注 5]
|
あいの風[注 7]
|
富山地方鉄道 電鉄富山駅
|
1日平均 乗車人員
|
1日平均 乗車人員
|
1日平均 乗降人員
|
1日平均 乗車人員
|
1965年(昭和40年)
|
25,196
|
未 開 業
|
|
|
1970年(昭和45年)
|
21,978
|
|
|
1975年(昭和50年)
|
22,772
|
19,862
|
|
1980年(昭和55年)
|
20,606
|
17,578
|
|
1985年(昭和60年)
|
19,239
|
13,814
|
|
1988年(昭和63年)
|
19,304
|
11,629
|
|
1989年(平成元年)
|
19,188
|
11,244
|
|
1990年(平成02年)
|
19,861
|
11,419
|
|
1991年(平成03年)
|
21,834
|
11,280
|
|
1992年(平成04年)
|
21,906
|
10,990
|
|
1993年(平成05年)
|
21,703
|
10,474
|
|
1994年(平成06年)
|
21,754
|
9,840
|
|
1995年(平成07年)
|
21,278
|
9,523
|
|
1996年(平成08年)
|
21,492
|
9,351
|
|
1997年(平成09年)
|
20,614
|
8,702
|
|
1998年(平成10年)
|
20,268
|
8,196
|
|
1999年(平成11年)
|
19,823
|
7,659
|
|
2000年(平成12年)
|
19,488
|
7,242
|
|
2001年(平成13年)
|
18,688
|
6,873
|
3,509
|
2002年(平成14年)
|
17,990
|
6,879
|
3,518
|
2003年(平成15年)
|
17,952
|
6,452
|
3,273
|
2004年(平成16年)
|
17,419
|
6,328
|
3,192
|
2005年(平成17年)
|
17,106
|
6,426
|
3,260
|
2006年(平成18年)
|
16,611
|
6,475
|
3,304
|
2007年(平成19年)
|
16,729
|
6,500
|
3,294
|
2008年(平成20年)
|
16,699
|
6,386
|
3,272
|
2009年(平成21年)
|
16,207
|
6,324
|
3,229
|
2010年(平成22年)
|
15,867
|
6,524
|
3,312
|
2011年(平成23年)
|
15,746
|
6,610
|
3,392
|
2012年(平成24年)
|
15,767
|
6,709
|
3,453
|
2013年(平成25年)
|
15,967
|
6,894
|
3,473
|
2014年(平成26年)
|
[注 13] 14,375
|
|
6,912
|
3,702
|
2015年(平成27年)
|
7,901
|
11,373
|
7,422
|
4,078
|
2016年(平成28年)
|
7,843
|
11,388
|
7,649
|
4,039
|
2017年(平成29年)
|
8,121
|
11,543
|
7,752
|
4,155
|
2018年(平成30年)
|
8,343
|
11,830
|
7,699
|
4,274
|
2019年(令和元年)
|
7,923
|
11,854
|
8,221
|
4,582
|
2020年(令和02年)
|
4,308
|
8,784
|
6,418
|
|
2021年(令和03年)
|
4,986
|
9,655
|
6,715
|
|
2022年(令和04年)
|
6,687
|
10,768
|
6,720
|
|
下記の各年度における当駅の乗車人員は次の通りである[298][299]。
年度
|
国鉄
|
1950年(昭和25年)
|
4,636,696
|
1960年(昭和35年)
|
8,279,303
|
対東京年間輸送人員
JR東日本によると、コロナ禍の影響が無かった2018年度(平成30年度)の東京-富山間の年間輸送人員は、新幹線が約294.3万人(シェア89%)、航空機が約34.6万人(シェア11%)、新幹線と航空機の合計は約328.9万人である[300]。
東京 - 富山間における新幹線の輸送人員は、東京 - 新潟間の約523万人、東京 - 金沢間の約339.4万人に次いで北陸地方3位[注 14]となっている。また、新幹線と航空機を合わせた輸送人員は、東京 - 新潟間の約523万人、東京 - 金沢間の約460.9万人に次いで北陸地方3位[注 14]となっている。
東京-富山 年間輸送人員(千人)
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年度
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新幹線
|
航空機
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合計
|
出典
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2014年(平成26年)
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1,380
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780
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2,160
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[300]
|
64%
|
36%
|
100%
|
2015年(平成27年)
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2,891
|
458
|
3,349
|
[300]
|
86%
|
14%
|
100%
|
2016年(平成28年)
|
2,820
|
356
|
3,176
|
[300]
|
89%
|
11%
|
100%
|
2017年(平成29年)
|
2,868
|
342
|
3,210
|
[300]
|
89%
|
11%
|
100%
|
2018年(平成30年)
|
2,943
|
346
|
3,289
|
[300]
|
89%
|
11%
|
100%
|
2019年(令和元年)
|
2,749
|
335
|
3,084
|
[300]
|
89%
|
11%
|
100%
|
2020年(令和2年)
|
893
|
53
|
946
|
[300]
|
94%
|
6%
|
100%
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2021年(令和3年)
|
1,252
|
84
|
1,336
|
[300]
|
94%
|
6%
|
100%
|
2022年(令和4年)
|
2,180
|
191
|
2,371
|
[300]
|
92%
|
8%
|
100%
|
2023年(令和5年)
|
2,750
|
245
|
2,995
|
[300]
|
92%
|
8%
|
100%
|
JR東日本によると2024年3月現在、新幹線の所要時間は最速2時間05分、運賃(通常期)は12,960円、1日25往復運行、航空機の所要時間は約2時間20分[301]、1日3往復運行されている[300]。
2018年度(平成30年度)
北陸地方の対東京年間輸送人員(千人)
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区間
|
新幹線
|
航空機
|
合計
|
出典
|
東京 - 富山
|
2,943
|
346
|
3,289
|
[300]
|
89%
|
11%
|
100%
|
東京 - 新潟
|
5,230
|
-[注 15]
|
5,230
|
100%
|
0%
|
100%
|
東京 - 金沢
|
3,394
|
1,215
|
4,609
|
74%
|
26%
|
100%
|
駅周辺
南口
第二次世界大戦後、南口は富山市の表玄関として発展してきた。駅前は放射状に5本の道路が敷かれ、マルートやマリエとやまなど商業施設のほか、飲食店およびビジネスホテル等の宿泊施設が集積する。
富山県庁や富山市役所などの行政機関のほか、観光地の富山城、歓楽街の桜木町や繁華街の総曲輪(そうがわ)といった中心市街地も駅南方に位置し、路面電車を介してアクセス可能である。
北口
富山駅北口の設置については、かねて富山市から国鉄当局に陳情していたが、建設費負担の問題で順調に進まなかった。その後、富山市と金沢鉄道管理局との間に工事費折半の話し合いが出来、1958年の富山国体に合わせて急速に工事が進められた[37]。
長い間「駅裏」と呼ばれていた[302] 北口は、近年の再開発によって富山市の新たな玄関として整備された。
駅から北方向、富山市総合体育館にかけての道路は「富山市ブールバール広場」として整備され、イベントスペースとして活用されている[303]。周辺には富山市芸術文化ホールなどの文化・芸術施設があるほか、企業の本社などが集積するオフィス街となっている。
西口
西口は富山駅西口交通広場として整備されており、一般車降車場・駐輪場がある。
また、駅周辺には富山市の自転車共同利用システム・アヴィレのステーションが複数設置されている[305]。
バス路線
富山地方鉄道(地鉄バス)が周辺各地への路線バスを運行させている[306][307]。北陸新幹線の開業に伴う新駅舎の使用開始に伴い、2015年(平成27年)3月14日より富山駅南口のバスのりばが再度移転となり、スペース等の問題で分散していた富山地方鉄道のバスのりばが集約された[307]。ただし、一部路線は北口を経由する[306]。
南口
南口1番のりば
高速バス(長距離便)
南口2番のりば
高速バス(中距離便)、特急バス、定期観光バス
南口3番のりば
南口4番のりば
南口5番のりば
南口6番のりば
南口7番のりば
南口8番のりば
8番乗り場はバスターミナル外にある。ここはもともと2番のりばだったが、バスターミナル完成に合わせて改番された[319]。
北口
一部の路線バスのほか、ツアーバスから転換された高速バスが発着する。
北口1番のりば
北口2番のりば
北口3番のりば
かつて存在した路線
隣の駅
- 西日本旅客鉄道(JR西日本)
- 北陸新幹線
- 黒部宇奈月温泉駅 - 富山駅 - 新高岡駅
- ■高山本線
- 西富山駅 - 富山駅
- あいの風とやま鉄道
- ■あいの風とやま鉄道線
- 呉羽駅 - 富山駅 - (貨)富山貨物駅 - 新富山口駅
- 富山地方鉄道
- ■本線
- ■特急・■快速急行(下りのみ運転)
- 電鉄富山駅 (T01) - 寺田駅 (T08)
- ■急行(上り到着列車のみ)・■普通
- 電鉄富山駅 (T01) - 稲荷町駅 (T02)
- ■不二越・上滝線
- ■普通
- 電鉄富山駅 (T01) - 稲荷町駅 (T02)
- 富山軌道線(富山駅南北接続線・支線・本線)
- 富山駅停留場 (C15) - (支線接続点) - 電鉄富山駅・エスタ前停留場 (C14) - 地鉄ビル前停留場 (C13)
- 富山軌道線(富山駅南北接続線・支線)
- 富山駅停留場 (C15) - (支線接続点) - 新富町停留場 (C16)
- ■富山港線
- 富山駅停留場 (C15) - オークスカナルパークホテル富山前停留場 (C26)(岩瀬浜方面のみ停車) - インテック本社前停留場 (C27)
かつて存在した路線
- 西日本旅客鉄道(JR西日本)
- 富山港線
- 富山駅 - 富山口駅
- 日本国有鉄道(国鉄)
- 富山港線(貨物支線)
- 富山駅 - 奥田駅
脚注
注釈
- ^ 南富山駅から先の上滝線と一体で「不二越・上滝線」と案内される。
- ^ 停車場掲示電報とは、明治33年逓信省令第46号「電報規則」第148条の2(ただしこの条文は明治45年逓信省令第20号により1912年(明治45年)5月1日より追加された)の「発信人ハ別ニ告示スル鉄道停車場内ニ自己ノ差出シタル電報ノ掲示ヲ請求スルコトヲ得」で規定されている電報のことをいう
- ^ 従前の富南鉄道富山駅は電鉄富山駅に統合されたものと考えられるが、その時期は不詳。昭和18年の路線名改称時、旧富南鉄道線を含む電鉄富山駅 - 粟巣野駅間が「立山線」に変更されたとされるが[151]、一方で昭和23年5月の『鉄道要覧』の富山地方鉄道の欄には、富南鉄道を合併した「富山、南富山」と、富山電気鉄道が開業した「電鐵富山、富山田地方」の両区間がこの表記で併記されている。この記述は、昭和33年度『私鉄要覧』(昭和33年10月1日現在)では前者が「電鉄富山、南富山」に改められており、この時点までには電鉄富山駅に統合されていたと考えられる。
- ^ 立山線のうち、非電化である旧富南線区間については引き続き富南線として南富山駅以東と区別することがあった[152]。
- ^ a b c JR高山本線の乗車人員も含む
- ^ 下りホームのほか、その他改札内に店舗は設置されていない。
- ^ a b JR高山本線の乗車人員は含まない
- ^ これは、転換前のJR北陸本線が東海道本線と接続する米原駅起点となっているためである。北陸自動車道は在来線と同じように、金沢方面が「上り」、新潟方面が「下り」となっている。
- ^ JRおでかけネットの富山駅時刻表における発車番線の記載による。2015年5月時点では14:44発の越中八尾駅行きが該当。
- ^ 当初予定では「春」を3 - 6月、 「秋」を7月 - 10月、「冬」を11月 - 2月に使用とされていた。
- ^ 現在では、当駅にも乗り入れる東海旅客鉄道(JR東海)のHC85系において、スギテツがアレンジしたものが同じく車内チャイムとして使用されている。
- ^ 本文#電鉄富山駅記載のとおり、後に富山鉄道、富南鉄道を経て当駅に統合されたと考えられる富山軽便鉄道の富山駅の開業は1914年(大正3年)12月6日だが、平成26年度『鉄道要覧』は電鉄富山駅 - 富山田地方駅間の開業日を富山電気鉄道線開業の昭和6年10月3日と記載しており、寺田裕一『改訂新版 データブック日本の私鉄』(2013年、ネコ・パブリッシング)でも同日を当駅の開業日としている。なお、昭和44年度『私鉄要覧』では、本線とは別に立山線(現・不二越線)電鉄富山駅 - 稲荷町駅間(本線と異なり、中間に富山田地方駅が置かれなかった)を別途記載しており、そちらでは同区間を含む電鉄富山駅 - 南富山駅間の開業日を大正3年12月6日としていた。
- ^ 北陸新幹線(18日間)、北陸本線(347日間)、高山本線(365日間)の合算
- ^ a b 福井県内を通る北陸新幹線金沢 - 敦賀間は当時未開業。
- ^ 新潟県と東京都の間に航空機は運航されていない。
出典
関連項目
外部リンク
ウィキメディア・コモンズには、
富山駅に関連するメディアがあります。
ウィキメディア・コモンズには、
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乗り入れ路線と駅の一覧 |
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北陸新幹線( 東京 - 高崎 - 上越妙高 / 上越妙高 - 敦賀 ) |
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| 計画中 | |
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(稲荷町 - 南富山間 : 不二越線、南富山 - 岩峅寺間 : 上滝線) | |
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■1系統 ■2系統 ■4系統 ■5系統 | |
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■3系統 ■6系統 | |
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■1系統(本線・富山駅南北接続線) ■2系統(本線・富山駅南北接続線・支線・安野屋線・呉羽線) ■3系統(環状線 / 富山駅南北接続線・支線・富山都心線・本線) ■4系統(本線・富山駅南北接続線) ■5系統(富山駅南北接続線・支線・安野屋線・呉羽線) ■6系統(環状線 / 富山駅南北接続線・支線・富山都心線・本線) |
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第1回選定 | |
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第2回選定 | |
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第3回選定 | |
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第4回選定 | |
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※: 現在廃止 |