蓮町(馬場記念公園前)駅(はすまち ばばきねんこうえんまええき)は、富山県富山市蓮町1丁目にある、富山地方鉄道富山港線の駅である。駅番号はC35。
歴史
駅構造
LRT化後
千鳥式ホーム2面1線の地上駅であり、蓮町踏切をはさんで上下ホームがある[20]。当駅東側にフィーダーバスの停留所があるので、ホームをはさんで列車のむかいにバスが発着し、乗降客の便宜を図っている[20]。
富山港線の富山ライトレール移管によりホームは低床ホームとなっており、旅客上屋等の設備が設けられている[21]。LRT化後の富山港線の各駅及び各停留場においては、各電停の旅客上屋壁面を「個性化壁」と称して駅周辺の文化や歴史を伝える意匠を施しているが、当駅においては伊東久恵がデザインを手がけ、馬場記念公園(旧制富山高等学校)がモチーフとなったイメージグラフィックが掲出されている[22]。当駅における個性化壁の協賛企業は、富山化学工業である[22]。
2009年(平成21年)2月16日からパークアンドライドを促進するために20台分の駐車場が設けられた[23]。開始当初の利用台数は2台のみであったが[23]、漸次好評を博して2010年(平成22年)時点においては平日の平均利用台数は17.4台にまで増え[24]、その後は利用率が10割を越える状態が続いていたので、富山市は2015年(平成27年)に15台分の駐車場を増設することを決定している[25]。
のりば
のりば |
路線 |
方向 |
行先
|
1
|
■富山港線
|
下り
|
岩瀬浜方面
|
2
|
上り
|
富山駅方面
|
※同じ線路を用いるため、「方面別のりば」となっている。
普通鉄道当時
片面ホーム1面1線の地上駅であったが、貨物取扱が行われていた時代には広い構内に多数の側線を有し、貨車が留置されていた[26][27]。また、北陸本線富山駅 - 東富山駅間から当駅には北陸本線の貨物支線が分岐しており、富山操車場から発車した貨車の富山港線各駅に対する振分け作業が当駅操車場にて行われていた[27]。この操車場の設備は貨物取扱の廃止後には不要になったため、日本国有鉄道清算事業団が1994年(平成6年)12月26日までに宅地造成工事を完成させ、その分譲を行うこととなった[28]。
臨時駅であり簡易委託駅となっていた競輪場前駅を除くと、当駅は富山港線唯一の有人駅となっていたが[29]、西日本旅客鉄道は2000年(平成12年)11月15日に旅客減少を理由として2001年(平成13年)3月のダイヤ改正を以て当駅を無人化する方針を表明した[30]。高齢化社会における地域公共交通の役割や高校生の通学になっている等の観点より反対運動が行われたが、2001年(平成13年)3月3日より無人駅となった[14][15][16]。
貨物取扱
当駅においては1945年(昭和20年)7月6日より専用線発着車扱貨物の取扱が開始されたが[6]、1949年(昭和24年)2月11日に一旦廃止された[7]。その後、1958年(昭和33年)4月10日より北陸本線富山駅 - 東富山駅間から分岐し、当駅に至る貨物支線の開業と同時に専用線発着車扱貨物の取扱を再開したが[8][9]、結局1982年(昭和57年)11月15日に廃止された[11]。また、北陸本線富山駅 - 東富山駅間から分岐し、当駅に至る貨物支線は1986年(昭和61年)11月1日を以て廃止された[13]。
1970年(昭和45年)10月1日現在における当駅接続の専用線は以下の通りであった[31]。
- クラレ線(通運事業者等:日本通運、動力:私有機関車、作業粁程:0.6粁、総延長粁程:1.1粁)
- 小野田セメント線(通運事業者等:富山通運、動力:私有機関車、作業粁程:0.3粁、総延長粁程:1.3粁)
利用状況
『富山県統計年鑑』によると、当駅における各年度の一日平均乗車人員は以下の通りであった[32]。
年度
|
一日平均 乗車人員
|
2005年(平成17年)
|
488
|
2004年(平成16年)
|
483
|
2003年(平成15年)
|
488
|
2002年(平成14年)
|
505
|
2001年(平成13年)
|
565
|
2000年(平成12年)
|
682
|
1999年(平成11年)
|
708
|
1998年(平成10年)
|
748
|
1997年(平成9年)
|
793
|
駅周辺
バス路線
2006年(平成18年)4月29日より富山ライトレール富山港線の移管開業に合わせ、当駅からはフィーダーバスと称する富山ライトレールの自動車線が四方・草島方面に向けて運行されている[33]。元々富山地方鉄道は富山港線に並行する形で乗合自動車を運行していたが、同社は富山ライトレール富山港線の開業によりこれを廃止し、富山ライトレールよりその自動車線の運行を受託して運行を行っている[21]。同自動車線は2006年(平成18年)8月28日から金山新方面を経由し、朝夕は富山市立和合中学校を経由するルートに変更され[34]、走行距離は7.2粁にして運行時間は18分から21分を要していたが、旅客より時間がかかり過ぎると不評であったので、2007年(平成19年)3月からは金山新方面経由を廃止し、走行距離は4.4粁に短縮された[35]。
フィーダーバスの大人運賃は現金を以て支払う場合は一律200円であるが[36]、ICカード乗車券たるPasscaないしecomycaによって大人運賃を支払う場合は一律180円である[36]。ただし、ICカード乗車券たるPasscaないしecomycaを使用して富山ライトレール富山港線の列車とフィーダーバスを乗継ぐ場合、乗継ぎ先の列車あるいはフィーダーバスの大人運賃は100円となり、従って列車及びフィーダーバスの合計運賃は280円となる[36]。
隣の駅
- 富山地方鉄道
- ■富山港線
- 犬島新町駅 (C34)- 蓮町(馬場記念公園前)駅 (C35) - 萩浦小学校前駅 (C36)
脚注
- ^ “富山県 駅乗降客数”. 2021年4月19日閲覧。
- ^ 『官報』(71頁)、1924年(大正13年)8月5日、内閣印刷局
- ^ a b 石野哲 編『停車場変遷大事典 国鉄・JR編』 II(初版)、JTB、1998年10月1日、162頁。ISBN 978-4-533-02980-6。
- ^ a b c d 今尾恵介監修、『日本鉄道旅行地図帳 全線・全駅・全廃線 6号』(35頁)、2008年(平成20年)10月、新潮社
- ^ a b 昭和18年鉄道省告示第119号(『官報』第4907号、1943年(昭和18年)5月25日、大蔵省印刷局)
- ^ a b 昭和20年運輸省告示第75号(『官報』、1945年(昭和20年)7月6日、大蔵省印刷局)
- ^ a b 「運輸省告示第54号」『官報』1949年2月11日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ a b 昭和33年日本国有鉄道公示第111号(『官報』、1958年(昭和33年)4月7日、大蔵省印刷局)に「昭和33年4月10日から北陸本線富山 - 東富山間(富山操車場)から分岐し、富山港線蓮町停車場に至る鉄道において、貨物運輸営業を開始する。同鉄道経由東富山・蓮町間の営業キロ程は8.5キロメートルとする」とある。
- ^ a b 昭和33年日本国有鉄道公示第112号(『官報』、1958年(昭和33年)4月7日、大蔵省印刷局)
- ^ 昭和49年日本国有鉄道公示第208号(『官報』、1974年(昭和49年)9月12日、大蔵省印刷局)
- ^ a b 昭和57年日本国有鉄道公示第168号(『官報』、1982年(昭和57年)11月13日、大蔵省印刷局)。なお『官報』(1982年(昭和57年)11月22日、大蔵省印刷局)に正誤表あり。
- ^ 昭和59年日本国有鉄道公示第174号(『官報』、1984年(昭和59年)1月30日、大蔵省印刷局)
- ^ a b 昭和61年日本国有鉄道公示第138号(『官報』、1986年(昭和61年)10月30日、大蔵省印刷局)
- ^ a b 「福光など5駅を無人化 JR西日本金沢支社 城端、氷見、富山港線3線で列車23本削減」、『富山新聞』(26面)、2000年(平成12年)11月16日、富山新聞社
- ^ a b 「富山港線の乗降客調査、国鉄労組富山県支部 駅無人化、列車削減で」、『富山新聞』(27面)、2001年(平成13年)1月20日、富山新聞社
- ^ a b 「環境悪化防止へ運動 富山港線を良くする準備会」、『富山新聞』(27面)、2001年(平成13年)2月18日、富山新聞社
- ^ “富山ライトレール、2月22日に富山地鉄が吸収合併”. 日本経済新聞. (2020年2月21日). オリジナルの2020年2月22日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20200222034302/https://r.nikkei.com/article/DGXMZO55944650R20C20A2LB0000 2020年2月22日閲覧。
- ^ “富山駅南・北の路面電車 20年3月21日に接続 運賃210円”. 日本経済新聞. (2019年10月1日). オリジナルの2019年10月5日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20191005002058/https://r.nikkei.com/article/DGXMZO50447440R01C19A0LB0000 2020年2月20日閲覧。
- ^ “【3月21日より】駅名の変更について”. 富山ライトレール (2020年2月14日). 2020年2月17日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年2月22日閲覧。
- ^ a b 川島令三編、『中部ライン 全線・全駅・全配線第7巻 富山・糸魚川・黒部エリア』(18及び86頁)、2010年(平成22年)10月、講談社
- ^ a b 室哲雄、「日本初の本格的なLRTの導入・その成果と今後の展開――富山県富山市――」、『IATSS review』第34巻2号所収、2009年(平成21年)8月、国際交通安全学会
- ^ a b 富山市監修・富山ライトレール記録誌編集委員会編、『富山ライトレールの誕生 日本的本格的LRTによるコンパクトなまちづくり』(87頁)、2007年(平成19年)9月、富山市
- ^ a b 初日朝は2台 蓮町駅・パークアンドライド - 2009年(平成21年)2月16日、北日本新聞社
- ^ 利用好調、平日は満車 富山ライトレール無料駐車場 - 2010年(平成22年)3月1日、北日本新聞社
- ^ 蓮町電停駐車場15台増設 富山市パークアンドライド - 2015年(平成27年)2月25日、北日本新聞社
- ^ 相賀徹夫、『国鉄全線各駅停車7 北陸・山陰510駅』(173頁)、1984年(昭和59年)1月、小学館
- ^ a b 「貨車入替えで30分閉鎖 登校時に大きな支障 富山港線蓮町・千原崎踏切」、『北日本新聞』(12面)、1971年(昭和46年)11月9日、北日本新聞社
- ^ 「国鉄清算事業団、宅地14区画を分譲へ 富山港線蓮町駅東側、造成工事が完了」、『富山新聞』(5面)、1994年(平成6年)12月27日、富山新聞社
- ^ 「一時停車とやまの駅 蓮町、『北日本新聞』(21面)、1999年(平成11年)3月27日、北日本新聞社
- ^ 「JR西日本 来年3月から福光など5駅を無人化 城端、氷見、富山港各線 列車7 - 8本削減」、『北日本新聞』(1面)、2000年(平成12年)11月16日、北日本新聞社
- ^ 日本国有鉄道貨物局編、『専用線一覧表 昭和45年10月1日』(213頁)、1970年(昭和45年)、日本国有鉄道貨物局
- ^ 統計年鑑 - 富山県
- ^ 「四方、浜黒崎方面でフィーダーバス 富山市で試験運行を開始」、『富山新聞』(34面)、2006年(平成18年)4月30日、富山新聞社
- ^ 「水橋西部発展の一歩 富山港線フィーダーバス試行 ルート延伸で出発式」、『富山新聞』(18面)、2006年(平成18年)8月29日、富山新聞社
- ^ 「再び直線ルートに 富山ライトレールの支線バス 団地経由は「不要」」、『富山新聞』(31面)、2007年(平成19年)2月15日、富山新聞社
- ^ a b c ポートラム・フィーダーバス乗り継ぎ運賃 - 富山ライトレール
参考文献
- 「ありがとう富山港線、こんにちはポートラム」編集委員会編 『ありがとう富山港線、こんにちはポートラム』 TC出版プロジェクト、2006年、ISBN 4-916181-21-2、32-34頁、61-62頁。
関連項目
外部リンク