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この項目では、東京都港区の町名について説明しています。旧赤坂区の範囲を継承した「赤坂地区」については「赤坂区#地理」をご覧ください。 |
赤坂(あかさか)は、東京都港区の町名。オフィスビルや商業施設が集中し、隣接する虎ノ門や六本木などと共にビジネス街・繁華街となっている。また、高級マンションなどが立ち並ぶ高級住宅街でもある。現行行政地名は赤坂一丁目から赤坂九丁目。郵便番号は107-0052[3]。
赤坂地区(あかさかちく)は、東京都港区北西部の区域である。(赤坂 (東京都港区)#赤坂地区および赤坂区#地理を参照)
概要
旧赤坂区の東端に位置し、千代田区(永田町・霞が関)との区境に当たる。江戸時代には有力大名の武家屋敷があった場所で、明治維新以降は政府高官や軍人、財界人などの邸宅街として発展した[5]。また、かつて軍人や政治家・官僚の接待利用が多かったことから花街として栄え、最盛期には400人もの芸者が活躍していた[6]。規模は大幅に縮小したものの、現在も東京六花街の一つとして存続している(詳しくは「赤坂(花街)」を参照)[6]。
永田町と隣接している地下鉄の赤坂見附駅周辺は骨董品店やホテルなどが多い。また国会議事堂や首相官邸などからほど近いことから料亭が立ち並んでいる。地下鉄の赤坂駅前には、TBSホールディングスが再開発した「赤坂サカス」とTBSの本社ビル(TBS放送センター)があり、全国的に知名度も高い。
歴史
地名の由来は、紀伊国坂と赤土が多い土壌に幾多の坂があることの二説ある。
紀伊国坂説はまた、この赤坂の地は古くは『茜坂』と呼ばれていて、その名の通り茜草が群生していた赤根山へ上る坂(現在の紀伊国坂)を茜坂と呼んでいたのが赤坂に転訛したというものと、染物屋が坂に赤い絹を干したことからの二説がある。
1567年に人継村(ひとつぎむら)が開拓される。
赤坂の地名は中世以前には見られず、江戸時代初期に発祥したと考えられ[7]、現在の元赤坂付近に町屋、武家屋敷が造られたのを皮切りに次第に市街化していくが、寛永年間に建てられた江戸城の門が地元の小字から「赤坂御門」と呼ばれるようになり、ここから赤坂が一帯の地名になったと考えられている[8]。
明治時代に入り、1878年の郡区町村編制法により、この地区は東京15区の一つ、赤坂区の一部となった(港区の前身。その範囲はおおむね港区の北-西部。今日「赤坂」あるいは「青山」を町名に含む地区)。かつて、多くの大名屋敷や旗本屋敷が存在した高台の地域は官吏や軍人、ブルジョワ家庭からなる都心部有数の山の手の邸宅街へと発展。それらの地域以外は庶民の住宅街、個人商店、高級料亭、旅館などが密生していった。国会議事堂や首相官邸が位置する永田町(千代田区)とも隣接している。
1950年代後半から1980年頃までの赤坂は銀座と並ぶ高級な繁華街として栄華を極め、高級料亭、キャバレー、ナイトクラブ、ゴーゴークラブなどが多く集まっていた。欧米諸国の企業および大使館の駐在員や同じく欧米諸国のスチュワーデスが常宿していた高級ホテルが至近だったこと、そして当時の東京と周辺には米軍住宅が多かったこと、さらに1USドル=360〜310円だったこともあいまって外堀通りを挟んだ永田町2丁目を含めレストランシアターのミカド、ナイトクラブのコパカバーナ、ニューラテンクォーター、中華料理の山王飯店、ロシア料理のマノス、ゴーゴークラブのムゲン、ビブロスなどには外国人客が多かった。また、アマンドやトップス&サクソンにはTBSやレコード会社に出入りする芸能人、ファッションモデル、文化人などが多く、街は華やかさを呈していた。
1966年には住居表示が実施され、赤坂一丁目から赤坂九丁目、元赤坂一丁目・元赤坂二丁目が成立し[9]、1967年には赤坂葵町が虎ノ門二丁目となった。
2004年、東京メトロ千代田線赤坂駅前の赤坂5丁目地区において、TBSホールディングス(旧・東京放送)や三井不動産が中心となって都市再開発が行われ、赤坂サカスと呼ばれる複合商業施設が誕生した。TBS放送センターにはキー局のTBSテレビやTBSラジオの本社が所在している。なお、放送業界で単に「赤坂」と言った場合はTBSテレビ・ラジオを指す。
治安対策
2012年、東京都は赤坂二丁目、三丁目、四三丁目、五丁目および六丁目を都迷惑防止条例に基づき、客引きやスカウトのみならず、それらを行うために待機する行為なども禁止する区域に指定した[10]。
2019年10月1日、赤坂二丁目から三丁目が暴力団排除特別強化地域に指定される[11]。地域内では暴力団と飲食店等との間で、みかじめ料のやりとりや便宜供与などが禁止され、違反者は支払った側であっても懲役1年以下または罰金50万円以下の罰則が科されるようになった[12]。
町名の変遷
実施後
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実施年月日
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実施前(特記なければ各町丁ともその一部)
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赤坂一丁目
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1966年7月1日
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赤坂溜池町、赤坂田町七丁目、赤坂榎坂町、赤坂霊南坂町
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赤坂二丁目
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赤坂溜池町、赤坂田町五丁目(全域)、赤坂田町六丁目(全域)、赤坂田町七丁目、赤坂新町三丁目、赤坂福吉町、麻布谷町
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赤坂三丁目
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赤坂田町一丁目(全域)、赤坂田町二丁目(全域)、赤坂田町三丁目(全域)、赤坂田町四丁目(全域)、赤坂新町一丁目(全域)、赤坂新町二丁目(全域)、赤坂新町三丁目
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赤坂四丁目
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赤坂表町二丁目、赤坂表町三丁目、赤坂一ツ木町、赤坂丹後町(全域)
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赤坂五丁目
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赤坂新町三丁目、赤坂新町四丁目(全域)、赤坂一ツ木町
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赤坂六丁目
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赤坂新町五丁目、赤坂中ノ町(全域)、赤坂氷川町(全域)、赤坂福吉町
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赤坂七丁目
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赤坂表町三丁目、赤坂台町(全域)、赤坂新町五丁目
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赤坂八丁目
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赤坂表町四丁目(全域)、赤坂新坂町、赤坂檜町
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赤坂九丁目
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赤坂檜町
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消滅した町名
「赤坂」とつく町名である元赤坂一丁目・二丁目と赤坂一丁目〜九丁目は、1966年の住居表示実施により誕生した。これにより、この地に古くから続いていた町名が失われることになった。現在「赤坂」とつく町域を構成していた旧町名(港区発足直前の町名)を以下に全て挙げる。
なお、港区が誕生した1947年、旧赤坂区の町名には全て「赤坂」を冠する町名変更が行われた(例:一ツ木町→赤坂一ツ木町、青山権田原町→赤坂青山権田原町、など。元赤坂町など一部例外あり)。この「赤坂」を冠する町名(以下のカッコ内の町名)は、住居表示実施まで続いた。
- 葵町(赤坂葵町)
- 青山権田原町(赤坂青山権田原町)
- 青山六軒町(赤坂青山六軒町)
- 一ツ木町(赤坂一ツ木町)
- 榎坂町(赤坂榎坂町)
- 表町(赤坂表町)
- 新町(赤坂新町)
- 新坂町(赤坂新坂町)
- 台町(赤坂台町)
- 田町(赤坂田町)
- 溜池町(赤坂溜池町)
- 丹後町(赤坂丹後町)
- 伝馬町(赤坂伝馬町)
- 中ノ町(赤坂中ノ町)
- 氷川町(赤坂氷川町)
- 桧町(赤坂桧町)
- 福吉町(赤坂福吉町)
- 元赤坂町
- 霊南坂町(赤坂霊南坂町)
溜池町
溜池は江戸城外濠の一部を構成していた。元々水の湧く所であり、堤を作り水を溜めるようにしたためこの名がある。その形から別名ひょうたん池とも呼ばれた。神田上水、玉川上水が整備されるまではこの溜池の水を上水として利用していた。堤に印の榎を植えたため、現在赤坂ツインタワーから駐日アメリカ合衆国大使館に上る坂道は榎坂と呼ばれる。
宝永年間より断続的に埋め立てられた。明治21年に完全に埋め立てられて溜池町となった[13]。
昭和初期から昭和40年代にかけてはこの周辺に輸入外車の販売店が集積するようになり、自動車街と呼ばれるようになった。溜池交差点から山王下までだけでも日本自動車(フィアット、アウディ、アメリカン・モーターズ)・三和自動車(パッカード、ポルシェ)、東邦モーターズ(オペル、オールズモビル)、日英自動車(MGやポンティアック)、安全自動車(ダッジ)、国際自動車商事(ランチア)、八洲自動車(クライスラー)などが軒を連ねていた。輸入車は当時の平均的日本人の生活水準からは極めて高価な存在で、購入するなど思いもつかなかった当時のカーマニアたちはカメラ片手に散策を楽しんだ。しかし、昭和50年代以降はオフィスビル化が進み、今は当時の面影を殆ど残していない。
1966年の住居表示実施に伴う町丁名変更により赤坂一丁目と赤坂二丁目が誕生し、溜池町は消滅。今日、溜池交差点や東京地下鉄溜池山王駅、都営バス(都01系統)溜池停留所などに名を残している。
一ツ木町
江戸時代には町奉行を務めた大岡忠相の屋敷があった。大岡邸内にあった豊川稲荷は現在も残り、盗難よけの御利益があるとされ信仰を集めている。戦前には近衛歩兵第二旅団司令部、同歩兵第三連隊があり軍隊の街であった。1955年にラジオ東京(現:TBSホールディングス)が一ツ木町に局舎を建設した(当初はテレビ部門のみ入居し、1962年に有楽町にあったラジオ部門も赤坂に移転してきた)。歴史の項にもあるように江戸時代以前からの地名(人継→一ツ木)であったが、1966年の住居表示実施に伴う町名変更により赤坂四丁目と赤坂五丁目が誕生し[9]、一ツ木町は消滅した。一ツ木通りに名を残す。
赤坂表町
寛永13年 (1636) に家康入国以来、よく務めを果たしたとして南伝馬町の伝馬役3名に褒美として与えられた土地で、初めは赤坂新伝馬町と称し、その後表通りが表伝馬町、裏通りが裏伝馬町となり、明治5年 (1872) に赤坂表1~4丁目、同44年 (1911) に赤坂表町1〜4丁目となった[15]。明治時代には、1・2丁目の東半分の表通りは商店街として賑わい、3・4丁目は旧武家屋敷であり官公庁や華族などの邸宅地となった[15]。1966年に1丁目が元赤坂1丁目に、2丁目が元赤坂1丁目と赤坂4丁目に、3丁目が赤坂4・7丁目に、4丁目が赤坂8丁目に編入された。
赤坂田町
赤坂田町は古くは湿地帯で、その後田畑が発達したことから田町と命名された[16]。家康入府以来の功により南伝馬町の御馬役に大縄地として賜り、島原の乱の翌1638年に町屋を取り立て、城中の御能の拝見を許され、その際に酒菓を頂戴する特権も許された[17]。1760年(宝暦10年)には紺屋の物干場が設けられ、1817年(文化10年)には床店が見られ、低廉客向けの岡場所も出来て人気を集めた[18]。明治時代には1~4丁目(現:赤坂3丁目)は赤坂花柳界の中心地として賑わった[16]。1966年に赤坂田町1~7丁目が赤坂1~3丁目に変更された。外堀通りとみすじ通りの間を平行に走る650mの通りは「赤坂田町通り」と旧町名を残して呼ばれ、繁華街として賑わっていたが、1970年代に高級料亭がなくなると荒れた雰囲気となり、暴力団が関係する風俗店や飲食店、韓国系のビル所有者やテナント料飲店が入居し、「ヤッカン通り」とも呼ばれるようになった[19]。その後道路整備工事が行われ、現在は「エスプラナード赤坂通り」という商店街になっている[20]。
世帯数と人口
2019年(令和元年)8月1日現在の世帯数と人口は以下の通りである[2]。
丁目 |
世帯数 |
人口
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赤坂一丁目
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300世帯
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642人
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赤坂二丁目
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2,090世帯
|
3,085人
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赤坂三丁目
|
195世帯
|
266人
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赤坂四丁目
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1,358世帯
|
2,280人
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赤坂五丁目
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530世帯
|
901人
|
赤坂六丁目
|
2,489世帯
|
4,003人
|
赤坂七丁目
|
1,559世帯
|
2,553人
|
赤坂八丁目
|
1,737世帯
|
3,293人
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赤坂九丁目
|
1,453世帯
|
2,157人
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計
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13,801世帯
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19,180人
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小・中学校の学区
区立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる[21]。
丁目 |
番地 |
小学校 |
中学校
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赤坂一丁目 |
全域 |
港区立赤坂小学校 |
港区立赤坂中学校
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赤坂二丁目 |
全域
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赤坂三丁目 |
全域
|
赤坂四丁目 |
全域
|
赤坂五丁目 |
全域
|
赤坂六丁目 |
全域
|
赤坂七丁目 |
全域
|
赤坂八丁目 |
全域
|
赤坂九丁目 |
全域
|
教育
かつて日本大学第三高校がTBS赤坂サカスや国際新赤坂ビル周辺界隈にあったが、1976年に町田に移転。都立赤坂高校は赤坂で創立されたが1957年に青山霊園傍の南青山に移転し2009年に閉校した。また、外堀通りに面して隣接する永田町には1929年以来都立日比谷高校が所在する。
- 大学機関
- 高等学校
- 中学校
- 小学校
- 幼稚園
交通
鉄道
路線バス
- 都営バス
- ちぃばす(コミュニティバス)
- 赤坂ルート 赤坂小前、赤坂五丁目交番前、赤坂駅前、山王下、赤坂見附駅、豊川稲荷前、赤坂地区総合支所前、赤坂八丁目、山王病院前、乃木公園、赤坂六丁目
道路
施設
公園
公共
企業・法人
商業施設
観光
寺社
大使館
赤坂地区
赤坂地区は東京都港区北西部の区域。旧赤坂区の範囲に当たる、赤坂総合支所(赤坂4-18-13、郵便番号:107-8516)の管轄下になる。赤坂一丁目〜九丁目、北青山一丁目〜三丁目、南青山一丁目〜七丁目、元赤坂一丁目・二丁目が属する。
赤坂を舞台・背景とした作品
楽曲
映画
ドラマ
バラエティ番組
関係者
- 著名な出身者
- 居住その他ゆかりある人物
脚注
関連項目
外部リンク
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放送持株会社 | | |
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テレビ放送 | |
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ラジオ放送 | |
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衛星放送 | |
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ネット配信 | |
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番組制作事業 | |
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技術・美術事業 | |
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コンテンツ事業 | |
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音楽出版事業 | |
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小売事業 | |
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その他事業 | |
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関連施設 | |
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送信所 | |
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賞・イベント | |
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人物 | |
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マスコット | |
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海外提携局 | |
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歴史・事件 | |
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関連項目 | |
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1朝日放送テレビが旧JNN系列局、朝日放送ラジオは現在もJRN系列局であるため、相互に株式の持ち合い関係にある。 22001年末から2011年12月まで同社が筆頭株主としてプロ野球球団を運営(横浜ベイスターズとして)。 31968年の一時期、TBSプロレスに改称。 4旧称・TBSカンガルー募金 5旧称・TBSカンガルー災害募金 カテゴリ |