「JODR 」はこの項目へ転送 されています。JODRのコールサインを割り当てられるも開局しなかったラジオ局については「姫路市営放送 」をご覧ください。
株式会社新潟放送 [ 5] (にいがたほうそう、英 : BROADCASTING SYSTEM OF NIIGATA INCORPORATED [ 5] 略称 BSN [ 1] )は、新潟県 を放送対象地域 とするラテ兼営 の特定地上基幹放送事業者 である。
ラジオ (中波放送 〈AMラジオ放送〉およびFM補完放送 〈ワイドFM〉)はJRN とNRN のクロスネット局 。コールサイン はJODR (新潟 1116kHz )を筆頭に全3通り。
テレビ はJNN の単独ネット局。コールサインはJODR-DTV (新潟 17ch )、リモコンキーID はキー局のTBSテレビ と同じ「6 」。
会社概要
テレビではデータ放送 を実施しており、番組表サービス「Gガイド 」を配信している。
系列新聞 は新潟日報 (ラジオのローカルニュースの名称『新潟日報ニュース 』)。
また、特定地上基幹放送事業者で唯一の、地方ローカル局としても数少ない株式上場企業である(東証 スタンダード市場[ 注 1] 、証券コード 9408)。
キャッチフレーズは「走り出せ、夢たち。 」で、イメージキャラクターは「ハレッタ」。
2023年 (令和5年)6月1日に、民放テレビ局が4局体制の地域では初となる、認定放送持株会社 体制へ移行した。これにともない、株式上場の特定地上基幹放送事業者は消滅することとなる。
事業所所在地
本社・支社[ 2]
沿革
1950年代
1960年代
1970年代
1980年代
1990年代
1992年 (平成4年)
4月1日 CI 実施、現行のロゴに変更。
10月 新潟放送四十年のあゆみ (新潟放送四十年史編纂委員会・編、566ページ)を発行。
1993年 (平成5年)10月4日 ラジオの深夜放送で、約17年半ぶりに、TBSラジオ『歌うヘッドライト』のネット受け放送が再開される(これにともない、ニッポン放送の『オールナイトニッポン』第2部のネットは打ち切りとなる)
1994年 (平成6年)テレビ放送、終夜放送(天気予報フィラー)を開始。
1997年 (平成9年)10月1日 テレビ文字多重放送 開始。
1999年 (平成11年)2月1日 テレビ放送で、日本の地方テレビ局としては初めて、ビットキャスト によるデータ多重放送「BSNデータパレード」を開始する[ 注 39] 。
2000年代
2000年 (平成12年)1月 テレビ、JRA 主催の日曜競馬中継(当時は「スーパー競馬」)が制作局フジテレビ の系列局NST新潟総合テレビに移行したのを最後に、テレビ東京 系列以外の他系列番組が消滅。
2004年 (平成16年)
2005年 (平成17年)
2006年 (平成18年)
1月上旬 地上デジタルテレビ放送のワンセグ 試験放送開始(県内初)。
2月1日 午前5時、地上波デジタルテレビ放送のサイマル 試験サービス放送開始(県内初。同時にワンセグでのサイマル試験放送も開始)。ローカル番組ではニュースの一部と天気予報の一部のみハイビジョン化される。
3月30日 地上デジタルテレビ放送の本免許を取得(NST新潟総合テレビも同日に取得)[ 114] 。
4月1日 午前5時、地上デジタルテレビ本放送開始 。
この日、地上デジタルテレビ本放送開始記念番組として、NHK新潟放送局、NST新潟総合テレビとのハイビジョン共同制作番組『はっしん!デジタル2006』を放送する。
2007年 (平成19年)
2008年 (平成20年)
4月1日 緊急地震速報 の運用開始 。
これにともないラジオでは、NHK新潟放送局、BSN新潟放送、エフエムラジオ新潟 、新潟県民エフエム放送 のアナウンサー及びナビゲーター共演による「緊急地震速報 新潟県ラジオ4局からのお知らせ」のCMを放送する。
11月15日 長岡支社が同市千歳1丁目3番43号の「メディアぷらっと」内に移転する。
これにともない、同支社内からのハイビジョンの映像素材の伝送が可能になり、さらに同支社で一部の報道においてハイビジョン取材を始める。
12月頃 本社報道センターでの報道番組のハイビジョン取材を始める[ 注 43] 。
12月23日 テレビ、BSNテレビ開局50周年記念番組として『発見! 発掘! 新潟とテレビの50年』が放送された。
2009年 (平成21年)
2010年代
2011年 (平成23年)
7月24日 正午、地上アナログテレビ放送が終了。23時59分には、同電波が完全に停波 する。 停波直前には、当時の現行クロージング映像が下部に「JODR-TV アナログ放送を終了します」の字幕が表示されながら放送された。アナウンスは近藤丈靖 の声で「JODR-TV。ご覧のBSNアナログテレビ放送は、まもなく完全に電波を停止します。今後は、デジタル放送で、BSNの番組をお楽しみ下さい。 」というものだった。
10月初旬頃 テレビ、TBSテレビ系列以外(テレビ東京等)からのハイビジョン・デジタル・ネット回線の受け入れ体制が整う。これにともない、テレビ東京の番組『ウイニング競馬』のBSNテレビでの放送が漸くハイビジョン化される。
2012年 (平成24年)
1月 創立60周年に当たり、60周年宣言「BSNは幸せの種をまきます」をキャッチフレーズとして展開する。
4月2日 ラジオ部門、インターネットIPサイマルラジオ「radiko 」に参加 。同日正午より、エフエムラジオ新潟、新潟県民エフエム放送と共に新潟県内のみで実用化試験配信を開始。
7月 創立60周年のキャッチフレーズ「BSNは幸せの種をまきます」の制定にともない、新キャラクター「タネマキスキー」と「はぐっくま」が登場する(これにともない、前のキャラクター「ぷる」の使用は終了)。
2013年 (平成25年)
5月1日 ラジオ、『ミュージックナビ〜昨日と今日との交差点〜 』のネット開始によりラジオが土曜日、日曜日の深夜を除き24時間放送に戻る。
8月 1966年(昭和41年)に建てられ県内最古のテレビスタジオが残されていた旧局舎の解体完了。
本社 事業局(企画事業部、コンテンツ事業部)が川岸町から万代のメディアシップ の13階に移転。
BSNウェーブ(旧・新潟放送興業)も同階に入居している。
2014年 (平成26年)
2015年 (平成27年)
7月15日 - ラジオ、AMラジオと同一内容を放送する、災害用のFM補完中継局 (ワイドFM)の予備免許を取得(周波数:92.7MHz、出力:1kW。送信所はテレビと同じ弥彦山)[ 115] [ 116] 。
10月20日 - FM補完中継局(ワイドFM)の本免許を取得[ 117] 。これにともない、同放送のAMとのサイマル放送を開始[ 118] 。
11月1日 - FM補完中継局(ワイドFM)開局 。これにともない、ラジオ放送のキャッチコピーが、「つながるFM、ひろがるBSNラジオ」に変更される[ 118] 。
2017年 (平成29年)
6月29日 同局元アナウンサーである佐藤隆夫が同局代表取締役社長に就任。竹石松次社長は代表権のある会長になる。
2020年代
2020年 (令和 2年)
2021年 (令和3年)
2022年 (令和4年)
2023年 (令和5年)
1月 局内のテレビスタジオのサブを更新(池上通信機 製 4K対応)[ 119] 。
6月1日 放送法などの手続や総務大臣の認可などを経て認定放送持株会社 に移行することとし、現在の新潟放送は「株式会社BSNメディアホールディングス 」に社名変更 。全国で12社目、大都市圏以外でかつ民放テレビ局が4局体制の地域では初めて認定放送持株会社体制へ移行した。また「株式会社新潟放送分割準備会社」に、現在の新潟放送が持っている放送事業を吸収分割形式により承継した上で、同日付で「株式会社新潟放送」(2代目法人)に社名を変更 。新会社ではテレビ放送事業とラジオ放送事業を分割せず、従来のラ・テ兼営体制を継続する[ 120] 。当初は4月1日に移行を予定[ 注 47] していたが、総務省からの許認可が3月時点で得られていないため、移行日を変更していた[ 121] 。
2024年 (令和6年)
1月1日 16時10分、能登半島地震 の本震が発生。全社非常態勢を取る 。
テレビ・ラジオ共に緊急地震速報 を放送。
ラジオはその速報後、通常番組を中断してアナウンサーが緊急地震速報の詳細等を放送し、その3分後の16時13分には新潟県内にも津波警報 が発令、緊急警報放送 の信号を即座に流し、ローカルの災害特別放送に切り替えた。
テレビは津波警報が発令された16時13分から、BSNを含むJNN系列局が一斉に緊急報道体制へ移行。その後、津波警報発令にともなう避難指示が出たこともあり、県内ローカルの緊急災害報道に切り替えて、災害放送を行った。
2月5日 長岡と柏崎のAMラジオ送信所が運用を休止[ 122] [ 123] [ 124] [ 125] 。
時期不明 新潟放送公式チャンネルのYouTube Live でメディアシップに設置されているお天気カメラ を使ったライブ配信を開始。
5月31日 テレビ、ゆうなび深夜便の放送を一時休止。翌月(6月)10に同放送を再開するまでは、放送終了後から開始までのフィラー放送は、「カメラマンが魅せた新潟の風景」のみだった。
6月16日 テレビ、『BSN NEWS ゆうなび 』がこの日、1964年 の同日に起きた「新潟地震」から60年を迎えたのを機に、特別番組「BSN NEWS ゆうなびスペシャル 新潟地震60年『あの日の記憶 あすへの備え』」を生放送。当時の新潟地震を振り返り、又、この年元旦に発生した「能登半島地震」によって再び発生した新潟市内の「液状化現象 」も取り上げ、地震被害に対しての「明日への備え」について考え、それに対しての県内の取り組みも紹介する内容を放送。この番組は翌日に、同局の公式YouTubeに全編アップされた[ 126] 。
7月31日 再びゆうなび深夜便の放送を8月13日現在も休止中。放送終了から放送開始の間は「カメラマンが魅せた新潟の風景」をフィラーとしてエンドレス放送している。
2025年 (令和7年)
ラジオ 3月29日・30日をもって、土曜・日曜の朝6時台・7時台・8時台に放送されていた定時ニュース枠[ 127] が廃止となる。
12月1日 塩沢と小出のAMラジオ送信所が運用を休止。糸魚川・十日町・上越のAMラジオ送信所も12月から2026年1月中に運用を休止する予定[ 128] 。
災害当時の放送体制
1955年新潟大火当時の放送態勢
新潟大火の直後に民放連が発刊したパンフレットの表紙。タイトル『ラジオ新潟は生きていた』の「新」以下の字右側にある建物がラジオ新潟のあった大和新潟店
1955年 (昭和30年)9月30日 台風22号が夜半に佐渡沖を通過する恐れが出たため、定時放送終了後もフィラー を流しながら30分刻みで台風情報を伝えると同時に停電に備え、電源が安定している網川原送信所にアナウンサーが待機する。理由は、当時、ラジオ新潟本社の自家発電装置は古い自動車エンジンを使用していたため、停電が長引くと装置が不安定となり使えなかったからである。
1955年(昭和30年)10月1日 1時36分 停電。網川原送信所へ台風関連の原稿が送られ放送が続けられる。
2時50分 新潟市医学町二番町、新潟県教育庁の木造庁舎から出火。強風に煽られ東中通、西堀通を延焼。
3時05分 最大瞬間風速 33.6m を記録(新潟気象台 )。
3時10分 本社スタジオの当直者に火事の情報が入る。
3時15分 「県庁脇、交番付近から火災発生」の一報を網川原送信所から放送、フィラーを止め火災のニュースが繰り返される。アナウンサーがデンスケ を肩に下げ火災現場に向かう。放送や消防車のサイレンで火災を知った社員がスタジオに集合する。火災情報の原稿を本社から送信所へ送り、そこから放送していては情報が追い付かないと判断し、大和デパート新潟店地下に設置してある自家発電装置の始動を試みる。
「教育庁全焼」、「北村 知事、自衛隊新発田駐屯地 に出動を要請」、「東中通に延焼、新潟日報(当時、新潟日報社は同地にあった)も危険」の情報を網川原送信所から放送する。
3時30分 自家発電装置が始動する。「新潟日報はラジオ新潟に避難開始」、「大黒屋旅館に延焼」の情報が本社スタジオから放送される。梁取清助調整部長らが強風と火の粉が舞う中、大和新潟店7階演奏所屋上にマイクロフォン を設置する。
4時15分 丹羽国夫アナウンサーが屋上のマイクロフォンから市中心部の火災の様子を実況開始。丹羽アナウンサーの実況と共に、走り回る消防車のサイレンがラジオから流れ続ける。
4時35分 「小林デパート(前記、大和デパートのほぼ斜め向かいに位置する。のちの新潟三越)から火が出ました。では・・・実況を・・・この辺で打ち切る事にします。危険ですからこの辺で実況を打ち切ります。」と、20分間の実況放送を中止し、集合した社員達は午前中に放送された番組の収録テープや十数枚のLPレコード盤 、CM原稿と2,3個の機材を持ち出し避難する[ 129] 。
4時36分 「JODR、こちらはラジオ新潟です。本社スタジオは火災のため放送不能となりましたが、引き続いて、ここ送信所から火災情報をお送り致します…」の第一声で網川原送信所より放送を再開。
4時50分 大和新潟店と屋上のラジオ新潟に引火、全焼。
夜が開け、網川原送信所に全社員が集合。送信所のテラスに毛布で囲まれた臨時スタジオが作られる。長岡放送局と直江津放送局から必要な放送機材を集める。
10時00分 放送機材整備のため一時間放送を休止する。
11時00分 平日番組に復旧する。
夕方過ぎ、信越放送 、ラジオ東京(現・TBSラジオ)、ラジオ東北(現・秋田放送 )から可搬型録音機 、録音テープ 、マイクロフォン、ミキサー 、レコード盤、文具などの応援物資が到着する(以後、全国の民放局から応援物資が届けられる)[ 注 48] 。
新潟大火の実況放送の全ては長岡放送局で録音されており、その日のうちに長岡放送局から網川原送信所へライン送出され、無事だった新潟-東京間の専用回線でラジオ東京へ送られ全国放送された。
ラジオ新潟の仮本部は坂口献吉 社長自邸に設けられ、その後、火災から免れた古町八番町の元料亭 に移動する。編成制作、技術は網川原送信所に設けられた。
新潟地震当時の放送体制
1964年 (昭和39年)6月16日 13:01に発生した新潟地震 発生後の番組編成、活動状況は下記の通り。
13時01分 ラジオ『歌で歩む50年』、テレビ『いつか青空 』を放送中に地震発生、新潟市で震度6を記録する。川岸町本社は停電と、本社-送信所間の地下埋設放送線が断線したためラジオ、テレビは放送不能になる。局舎に隣接する北陸瓦斯 のガスタンク2基がガス漏れにより爆発の危険が出たため全社員に避難命令が出るが、数十分後に解除される[ 130] 。
14時15分 テレビ放送再開。スタジオのカメラを屋上へ設置し、炎上する昭和石油 からの2つの黒煙や落下した昭和大橋 などを放送する。
14時33分 屋上のカメラから信濃川 を逆流する180cm の津波 を放送すると同時に2インチVTRにも収録する。
15時05分 ラジオ、山ニツ送信所から放送再開。大和デパート新潟店で中元取材中、地震に遭遇した報道部の藤田実記者は徒歩で山ニツ送信所へ向かい、昭和大橋の被害、昭和石油の火災、津波 、国鉄 が不通などの情報を放送する。
ラジオ再開後、テレビはラジオ音声を流し始める。
15時25分 本社→県警察本部(新光町)→警察庁 (霞が関)→東京支社(当時は銀座にあった)経由でTBSラジオへ支援要請。
16時01分 ラジオ、県庁に設置された県災害対策本部 から災害情報や尋ね人の放送を開始(本社スタジオは放送不能のため、新潟県庁に駐車したラジオカーから送信したFM波を直接山ニツ送信所で受信し放送する)。
17時15分 見舞い文に改められたラジオCM放送再開。
20時00分 ライフライン 、公的情報、災害状況、尋ね人、新潟を訪れている修学旅行生の安否情報 などを終夜放送する。
20時14分 川岸町本社 - 電電公社 新潟電話局(現・NTT東日本新潟支店)間の電電公社の中継回線 を仮復旧。『クイズ・クイズ・クイズ 』のネット受けを途中から開始。
深夜、テレビは放送休止
1964年(昭和39年)6月17日 16日の応援要請を受けて、東京放送(TBS) と秋田放送から総勢57人のスタッフ、テレビ中継車と電源車、放送復旧機材等が新潟に到着。
18時00分 川岸町本社スタジオからラジオ放送を再開(本社 - 山ニツ送信所間をTBSが持参したFM広帯域一対向によって仮復旧)。特集『29時間後の新潟市から』を放送。
22時30分 ラジオ、尋ね人を約5,000人などを伝えた災害放送を終了。
この放送中に新潟市災害対策本部からの要請で県内の化学製品工場の関係者あてに化学消防車を昭和石油火災現場に派遣してほしい趣旨の救援放送を実施。ラジオを聞いていた関係者により当日深夜化学消防車が応援に駆け付けた。
以上についての詳細は、1967年に新潟放送が発行した社史「新潟放送十五年のあゆみ」(新潟放送社史編纂委員会:編)の第11章「全国の耳目を集めた新潟地震<注目された災害報道>」(366~397ページ)に掲載されている[ 131] 。
新潟県中越地震当時の放送体制
2004年 (平成16年)10月23日 17:56に発生した新潟県中越地震 発生直後の番組編成状況は下記の通り。
17時56分 地震発生後、字幕(地震情報)での対応
18時00分 『機動戦士ガンダムSEED DESTINY 』を通常通り定刻開始。
18時15分頃 上記番組を中断し、地震関連の放送開始。
これ以降、翌日午前0時頃まで予定の番組を変更し、さらに、TV-CM を全面カットして、TBSテレビ発のJNN報道特別番組を含め、BSN独自編成で地震の詳報を伝え続けた。
TBSラジオでは、24日午前0時から午前4時までの間、『JUNK 』と『B-JUNK 』を中止し県内向け生放送を「報道特別番組 」として同時放送した。
呼出符号(コールサイン)
ラジオ放送 新潟局 JODR 長岡局 JODE 上越局 JODO
テレビ放送 JODR-TV
デジタルテレビジョン放送 JODR-DTV
データ放送 JODR-TDM
音声多重放送 JODR-TAM
文字多重放送 JODR-TCM
ラジオ
概要
放送時間
2009年 4月6日 までと2013年 5月1日 より平日は24時間放送。
2009年4月7日 より2013年4月30日 までは4時を起点とする名目上は23時間放送とし、日曜深夜(月曜未明)を除く毎日 3:00 - 4:00(2013年4月以後 - 2021年9月26日までは土曜深夜=日曜未明については4:00 - 5:00)[ 132] のフィラー の時間は「深夜音楽」という番組扱いとなっており、事実上の24時間放送となっていた。
上記の通り2013年5月1日付けの放送から月 - 金曜深夜(火 - 土曜未明)分は24時間放送を正式に再開したが、土曜深夜=日曜未明の『深夜音楽』は引き続き4:00 - 5:00で2021年9月27日(=26日深夜)まで継続していた。
生放送以外の時間帯で震度3までの地震が発生した場合、ネット番組や録音番組内に割り込んで地震速報を流すことは無い。
ラジオ周波数
BSN新潟放送 山ニツラジオ送信所 全景 (新潟市中央区山二ツ ) 中央の紅白ポールで両脇に張られたアンテナ線を支えている。左のパラボラアンテナ鉄塔は川岸町の本社からのSTL 波を受ける設備
現在
過去
中継局
周波数
空中線電力
所在地
備考
川口
1485kHz
100W
2004年(平成16年)10月28日 - 12月31日までの予備免許。 新潟県中越地震災害にともなう中継局で、北魚沼郡川口町およびその周辺地域において、 より明瞭に提供するための措置。
トンネル内再送信サービス実施箇所
その他
正式な送信所ではないが、災害時にクレーン車 を使った移動式中波アンテナ (空中線)を設置する技術を2013年 に開発、予備送信設備として総務省の認可を受けている[ 136] 。クレーン車自体を空中線の一部として使用することで、クレーン車到着から電波発射まで約1時間で作業が完了するほか、コストもクレーン車のレンタル代以外は自社設備を流用するため非常に低く抑えられるという[ 136] 。
番組表
2025年4月時点。
平日
週末
現在放送中の主な自社制作および自社局のみで放送されている番組
その他の番組は、公式サイトの ラジオトップページ あるいは ラジオ番組表 を参照。
過去に放送した番組
自社制作番組
終了した番組は、公式サイトの 終了した番組 も参照。
平日朝
にいがた西東
BSNおはようワイド
モーニングピアス
Morning Cafe (2004年3月29日 - 2012年3月30日)
はや・すた (2012年4月2日 - 2021年3月26日)
平日午前
ミュージックポスト (1971年 - 2007年3月29日)
10時のロータリー
奥さま11時です
どきどきラジオ11時
平日昼
BSNサテライト・ヒットパレード[ 注 49]
コンビニラジオ 昼ラジ
平日午後
2時のア・ラ・カルト
ハレバレジョッキー お元気ですか!
はればれワイドにっこり大放送
石塚かおりの午後の楽園
ゴゴイチ
ゴゴラク!
平日夕方
金曜日
フラっとフライデー
キンラジ (2004年4月2日 - 2007年3月30日)
大倉修吾の縁歌劇場 (2007年4月 - 2011年3月)
土曜日
日曜日
その他
RNKヒットメロディー
佐渡汽船 ジェットフォイルミュージック
波塚和子の演歌心の歌
鈴木かおるの全力投球
子育て日記
夜はおまかせベストテン[ 注 50]
新潟ミュージックメイト
奥様音楽をご一緒に
スキップ・オン・マイク
ドライバーのあなたに
レディズ・アワー
ニイガタ・トゥナイト
テレフォンリクエストパレード
代々泉民謡教室
本町花のれんアワー(下越地域のみ放送[ 注 51] 。新潟市本町商店街提供)
ラジソン
金ちゃんと乾杯!!宿六大行進
みのるとよう子のびっくりナイター
金親顕男のポップス専科
土曜スクエア鈴木かおるの全力投球!
学園かわら版にいがた・なう
今夜もゼッチョー!!
盗難車情報
チャーリー高坂のネクラでバンザイ
チャーリー高坂の今夜は絶頂
Switch On Pops
とびきりトミーのぶっちぎりサタデー
かぎとみ徹のラジオはフランキー
わくわく11時(各エリア別内容)
元気で候
純情倶楽部
トワイライト・ジョッキー
実と京子の大勝負がっぷり四つ
海の気象ニュース
キャプテン宝島の佐渡へこいっちゃ
ぽっぷるランド
電リクネットワーク
サツと修吾のハッピートーク
こちらジャスコ放送局(新潟市青山のジャスコL から公開生放送)
アイ※・ウイ※・佐渡ヶ島(※はハートの記号、ラブと読ませる)
ライブリポート430
ライブリポート445
ライブリポート
かぎとみ徹の熱烈!ラジオSHOW
クチコミラジオ 越後じまんず
祐介・りんりんのギューギュー戦隊ハチキレンジャー
ミノファーゲン 医学なんでも相談室
やまだみつるのみみかき通信
ウチらの実験室 〜10代のホ・ン・ネ〜
ポプキン
怪傑バナゴング
朝日山おもしろ百科
夕ラジ
Swing street
J-ポッパー
Love & Live Dステーション
大杉りさのMidday cafe
日曜日もごきげんで!
黒崎識正のオレンジ魂
ひるbanana
ヨシモト にいがた生ラジオ
海津ゆうこのさたばな
ふるさと散歩
新海史子のLINK!!
久住小春 のMEDIASHIP 927
Angel Generation のsweet Heart
北原里英のMOONLIGHTING (2017年10月2日 - 2019年3月25日)
情熱にいがた〜新潟の経営者たち〜
越後家のすったもんだ
新潟県伝説の旅
Mondeo こぶしロック!
酒井泰彦のMUSIC HOUR!
宝石みのわ きらめき★タイム
中田エミリー のとりあえず生で!
みのわコレクション
NGT48 のガチ!ガチ?カウントダウン![ 注 52]
志田愛佳のLuna×Mona
大杉りさのRcafe
BSNニュース&ウエザー
Oceanネットスーパーpresents佐藤智香子 10分間のアルデンテ
2022年度第4回火曜会 ラジオスピリッツ最優秀賞・「おしゃべりな配達便」[ 148]
ラジオパーソナリティ
男性
女性
中継リポーター
2024年4月より
船尾佳代
大杉りさ (フリーアナウンサー)
水島知子
過去のラジオパーソナリティ
男性
女性
ほか
テレビ
ニュースネットワークの移り変わり
チャンネル
デジタルテレビ放送
TBSテレビ系列局のリモコンキーID地図
リモコンキーID:6
キー局のTBSテレビや、IBC岩手放送 ・北陸放送などのアナログ親局・IDと同じ。アナログの親局「5」 は引き継がず(新潟県は新潟テレビ21に割り当て)、国内の民放において唯一リモコンキーIDがアナログ放送の親局より大きい番号となった。ただし、BSN自身もアナログ中継局に6chを使っていた。
親局:17ch JODR-DTV 弥彦 送信所(出力:3kW)[ 150]
呼出名称:にいがたほうそうデジタルテレビジョン
高田 18ch
津南 18ch
新井 44ch
守門 18ch
妙高高原 44ch
三川 39ch
津川 39ch
村上 18ch
村松 39ch
高柳 37ch
津南上郷 18ch
両津 31ch
外海府 24ch
関川 43ch
青海 18ch
小出 24ch
相川 28ch
湯沢 17ch
栃尾 43ch
川口 17ch
鹿瀬 17ch
大和 18ch
津南田中 17ch
六日町 18ch
高千 17ch
糸魚川大野 18ch
糸魚川早川 32ch
朝日 32ch
府屋 31ch
土樽 32ch
安塚 28ch
勝木 18ch
小千谷真人 36ch
中里 45ch
黒川 31ch
湯之谷 24ch
柿崎 28ch
松代 28ch
新発田赤谷 34ch
越路 37ch
鯖石 18ch
塩沢 37ch
新津 36ch
牧 43ch
下相川 17ch
牛野尾谷 44ch
関川女川 28ch
津南中津 18ch
柏崎山口 24ch
中郷 46ch
宮古木 20ch
アナログテレビ放送(2011年7月24日運用終了)
親局:5ch JODR-TV 弥彦 送信所(出力=映像:5kW、音声:1.25kW)
呼出名称:にいがたほうそうテレビジョン
魚沼守門 6ch
高柳 6ch
糸魚川 6ch
佐渡相川 6ch
津川 9ch
魚沼 9ch
上越 10ch
松代 11ch
妙高高原 22ch
三川 31ch
柏崎北条 31ch
魚沼湯之谷 31ch
津南上郷 36ch
津南中里 36ch (垂直偏波)
村上 42ch
関川女川 42ch
津南田中 43ch
鹿瀬 44ch
新津 44ch(垂直偏波)
津南中津 44ch
松之山湯之島 44ch
山北府屋 45ch
朝日 45ch
柏崎山口 45ch
青海 45ch(過去は1ch)
佐渡外海府 45ch
佐渡鹿伏 45ch
佐渡大滝 45ch
越後湯沢 46ch
新発田赤谷 50ch
越後川口 50ch
能生栄 50ch
糸魚川早川 50ch
佐渡両津 50ch
津南 51ch
小千谷真人 52ch (垂直偏波)
山北勝木 55ch
関川 55ch
村松 55ch
下田牛の尾 55ch
越路 55ch
南魚沼六日町 55ch
柏崎鯖石 55ch
新井 55ch
糸魚川大野 55ch
黒川 56ch
栃尾 56ch
南魚沼大和 56ch
塩沢 56ch
越後湯沢土樽 56ch
牧切光 61ch (垂直偏波)
現在放送中の番組
詳細は、公式サイトの テレビトップページ あるいは テレビ番組表 を参照。
自社制作番組
BSN NEWS ゆうなび (月曜 - 金曜 18:15 - 19:00)
BSN水曜見ナイト →新潟全県民バラエティ 水曜見ナイト(水曜 19:00 - 20:00)[ 注 53]
新潟名刹紀行(金曜 9:55 - 10:00)
さわやか新潟(年4回放送。以前は毎月第1土曜 11:00 - 11:30)
土曜ランチTV なじラテ。 (土曜 12:10 - 14:00)
麦島侑のもう一度手を握っていいですか?(金曜 10:00 - 10:15)[ 注 54]
ワンダフル競馬 (新潟競馬 第3場開催時の土曜 15:00 - 16:00)
週刊 県政ナビ(日曜 11:40 - 11:45)
BSN Collection(映像BSNコレクション)[ 注 55]
ゆうなび深夜便(深夜から早朝にかけてのフィラー番組でゆうなびの新潟ローカルのニュースコーナーから2週間から1ケ月遅れの内容を再放送している)
ネット番組
太字は同時ネット。
TBS系列番組
テレビ東京系番組
民教協 の番組
その他の番組
過去に放送した番組
自社制作番組
歌う天気予報(1980年代 - 90年代初めまで放送終了直前や開始直後に演歌や歌謡曲をバックに天気予報を流していた)
あなたのチャンネル
奥さまレーダー
カメラかついで
ピンポンクイズ
BSNニュースワイド
ウィークエンドi
土曜はヨイショ!!
新潟発そこが知りたい
BSNスペシャル
K's Bar
すこやか1・2の3ちゃん
BSNダイナミックサタデー(1983年4月2日 - 1984年3月24日 土曜 14:00 - 16:00)[ 151]
情報ジャイアント(1994年4月2日 - 1994年12月24日 土曜 12:00 - 12:45)[ 152]
BSN民謡チャンピオン
さわやか味のスケッチ
アイラブクッキング
歯の用心
あんたっ家なんてっ家
大塚浩のゆうたいむ
ダイナミック競馬
J商店
NEXT!(ケーブルテレビを除きNAMARA 唯一の冠テレビ番組であった。)
トントンあったと にいがたの昔ばなし
BSN NEWS 日曜テレビ夕刊 ※HD
イブニング王国! (2010年3月26日終了)
ワンダフル新潟人!
THE新潟スペシャル
BSNアーカイブ「カメラかついで」(BSN開局60周年を迎え、1960年代から1970年代にかけて放送された番組を2012年4月7日から半年間放送された)
消費生活バラエティ 金曜パラダイス
情熱にいがた
リフォームのつぼ
テレビサロン
新潟大学 テレビ公開講座※HD
新潟ジョシ部! (2020年9月22日終了)
お天気Meteo(DAISHI DANCE の曲をバックに車で走行する新潟市内の夜景と天気予報を流していた)
天気フィラー(毎日違うアーティストのアルバムを天気予報のフィラーとしてフルコーラスかつエンドレスで流していて、アルバム情報はBSNのホームページ上に公開されていた)
ネット番組
TBSテレビ系の番組(時差ネットを含む)
ほか
旧ロゴ時代に放送されていた主なTBSテレビ系の番組
(※は現ロゴになってからも放送)
注:TBSテレビ系のネット番組は、1968年12月16日のNST新潟総合テレビの開局時点から、BSNはTBSテレビ系の単独ネット局になったため、大部分の番組がネットされる事になった。
テレビ東京系の番組
姫ちゃんのリボン →赤ずきんチャチャ →ナースエンジェルりりかSOS →こどものおもちゃ →カウボーイビバップ →発明BOYカニパン →超発明BOYカニパン →ビックリマン2000 (途中打ち切り)
嬢王 →下北GLORY DAYS →2ndハウス →怨み屋本舗
ほか
TBS系、テレビ東京系以外の系列局の番組
NST新潟総合テレビ (現在はFNN 系列)の開局前の番組、及び同局開局後にクロスネット (FNN、NNN とANN )だった時代に、同局でネットしきれないフジテレビ、日本テレビ、テレビ朝日 などの番組を購入して放送していたり、また、スポンサーの関係でフルネット化後も移行せずに放送されていた番組について、以下に主なのを記す。
フジテレビ系の番組
マジンガーZ
SF西遊記スタージンガー →SF西遊記スタージンガーII→円卓の騎士物語 燃えろアーサー →燃えろアーサー 白馬の王子→おじゃまんが山田くん
ほか
テレビ朝日系の番組
★は1981年4月1日以降NST新潟総合テレビへ(1981年4月1日テレビ新潟放送網開局にともない、NSTのテレビ朝日系番組増加にともなうもの)、☆は1983年10月1日以降新潟テレビ21へ
秘密戦隊ゴレンジャー →ジャッカー電撃隊 →バトルフィーバーJ →電子戦隊デンジマン →太陽戦隊サンバルカン →大戦隊ゴーグルファイブ →科学戦隊ダイナマン
ほか
日本テレビ系の番組(テレビ新潟放送網開局まで)
※はテレビ新潟放送網に開局と同時に(一部はテレビ新潟放送網のサービス放送の時から)移行
ほか
その他の番組
アナウンサー
アナウンサー は全て報道制作局・情報センターに所属している[要出典 ] 。
現職
男性
女性
過去のアナウンサー
※は元アナウンス部長。●は故人(在職中に死去した人物も含む)。○はアナウンサーではなくラジオパーソナリティ。
男性
1952年
1954年
丹羽国夫(1955年の新潟大火 では、社屋屋上から延焼の様子を実況)
1957年
1958年
1962年
1964年
1967年
1972年
1974年
1976年
1980年
1981年
1982年
1987年
1989年
磯村茂昭
服部陽介 (→フリー。ファーストキャスト(個人事務所)代表)
1991年
1995年
2000年
2004年
2006年
女性
1972年
1973年
1974年
1976年
1980年
1981年
1982年
1983年
伊藤充
中津川英子(→フリー。契約パーソナリティとしてラジオニュースとテレビ「さわやか新潟」(新潟市広報番組)MCを担当)
前川乃利子
1986年
1987年
石塚かおり ( - 2024年退職。→フリー)
杉山朋子 (→フリー。2006年に契約パーソナリティとして復帰)
1988年
1990年
1991年
斎藤文栄(後に社会民主党 党首・参議院議員福島瑞穂 秘書 現公益財団法人ジョイセフ グローバル・アドボカシー・ ディレクター、SDGs市民社会ネットワーク ジェン ダーユニット共同幹事、国際女性の地位協会理事)
1993年
伊藤麻子 ( - 2006年退職。旧姓早川。高校教諭から転身し入社)
中川美希
1994年
1996年
佐野佳世 (旧姓表(おもて)。退職後もラジオで活動)
土井里美 ( - 2001年退職。→フリー)
兼子香 ( - 2010年退職)
1997年
村山恵美 ( - 2001年退職。同年NST新潟総合テレビへ移籍し2008年退職)
1998年
2001年
2002年
伊勢みずほ ( - 2010年退職。→フリー)
枦山南美 ( - 2004年退職。2010年12月末までフリーとして活動。プロサッカー選手松下年宏 夫人)
2005年
2006年
2008年
武内実江( - 2011年退職。のちにNHK金沢放送局 キャスターを経て2012年退職)
2009年
米澤和代 ( - 2012年退職。地上デジタル放送推進大使)
2011年
2012年
2013年
2014年
田中美紗貴( - 2016年退職。のちにテレビ静岡 アナウンサー)
2015年
久能木百香 ( - 2020年退職。2016年にアナウンサーへ転属)
2016年
渡邉智世 ( - 2019年退職。→フリー→2020年からNHK新潟放送局契約キャスター)
2017年
田中碧 ( - 2019年退職。のちにテレビ神奈川 アナウンサーを経て、2023年からフリー)
林莉世 ( - 2021年退職。→フリー)
2019年
2022年
2023年
石田万里子
小湊曜子
吉弘知代
若林祥子
渡辺すみ子
アノンシスト賞受賞歴
第2回(1976年度)テレビ「CM」部門優秀賞(北見裕子)
第3回(1977年度)ラジオ「CM」部門最優秀賞(金親顕男)
第4回(1978年度)ラジオ「CM」部門最優秀賞(中村靖国・斎藤千恵子)
第5回(1979年度)テレビ「CM」部門最優秀賞(吉弘知代)、ラジオ「CM」部門優秀賞(大塚浩・小原三永子)
第6回(1980年度)テレビ「CM」部門優秀賞(山中景子)、ラジオ「CM」部門優秀賞(若林祥子)
第7回(1981年度)ラジオ「CM」部門優秀賞(池葉宏・小島京子)
第8回(1982年度)ラジオ「番組」部門優秀賞(大塚浩)、「CM」部門優秀賞(石田万里子)
第9回(1983年度)テレビ「CM」部門優秀賞(鈴木磐・前川万利子)
第10回(1984年度)テレビ「CM」部門最優秀賞(小野沢裕子)、ラジオ「CM」部門優秀賞(鍵冨徹・増山由美子)
第11回(1985年度)テレビ「CM」部門最優秀賞(伊藤充)
第12回(1986年度)テレビ「CM」部門優秀賞(増山由美子)、ラジオ「番組」部門最優秀賞(斎藤千恵子)
第13回(1987年度)ラジオ「CM・ショッピング番組」部門優秀賞(高坂元己・中岡みち)
第14回(1988年度)テレビ「CM・ショッピング番組」部門優秀賞(杉山明子・大塚浩)、ラジオ「CM・ショッピング番組」部門優秀賞(石塚かおり・河内潤一)
第17回(1991年度)テレビ「CM」部門優秀賞(渡辺菜穂子)、ラジオ「CM・ショッピング番組」部門最優秀賞(高坂元己)
第20回(1994年度)ラジオ「CM」部門最優秀賞(増山由美子)
第22回(1996年度)テレビ「CM」部門最優秀賞(田巻直子)
第24回(1998年度)ラジオ「番組」部門優秀賞(石塚かおり)
第27回(2001年度)ラジオ「フリートーク」部門優秀賞(石塚かおり)
第28回(2002年度)テレビ「読み・ナレーション」部門優秀賞(近藤丈靖)
第29回(2003年度)ラジオ「読み・ナレーション」部門優秀賞(近藤丈靖)
第30回(2004年度)ラジオ「読み・ナレーション」部門優秀賞(近藤丈靖)、「CM」部門最優秀賞(田巻直子)、活動(新潟放送アナウンサーグループ)
第31回(2005年度)ラジオ「スポーツ実況」部門優秀賞(星野一弘)
第34回(2008年度)テレビ「フリートーク」部門優秀賞(田巻直子)
第36回(2010年度)ラジオ「スポーツ実況」部門最優秀賞・グランダプレミオ(高橋知幸)、「CM」部門優秀賞(實石あづさ)
第38回(2012年度)活動部門賞(新潟放送アナウンス部)
第39回(2013年度)ラジオ「スポーツ実況」部門優秀賞(喜谷知純)
第43回(2017年度)テレビ「読み・ナレーション」部門優秀賞(近藤丈靖)、ラジオ「CM」部門優秀賞(坂部友宏・黒崎貴之・田中碧・石塚かおり)
第44回(2018年度)テレビ「読み・ナレーション」部門優秀賞(坂部友宏)
第46回(2020年度)テレビ「フリートーク」部門優秀賞(三石佳那)、「スポーツ実況」部門優秀賞(黒崎貴之)
アナウンサー以外の著名社員
南かのこ(1978年頃に入社したディレクター。1979年から1989年まで「歌のない歌謡曲 」を担当し、その後も数本ディレクターとして番組を担当した後、1991年頃に退社。2023年9月25日の「歌のない歌謡曲」にゲスト出演した。)
金子恵美 (2000年 大卒後一般職で入社。1年で退職した後に2004年 ミス日本 関東地区代表。フリーライター→新潟市議会議員→新潟県議会議員を経て、2012年衆議院議員<新潟県4区選出>。政界引退後はタレント・コメンテーター)
情報カメラ設置ポイント
過去に設置していた場所
イメージキャラクター
現在のキャラクター
過去のキャラクター
「ぷる」(2002年10月 - 2012年6月)
BSNの創立50周年を記念して登場。キャッチコピーは「プルプルブルンBSN」[ 161] で、大中小のおたまじゃくしを模したキャラクター。姉妹キャラとしてデジタル放送を意識した「デジぷる」も存在していた。
「はぐっくま」と「タネマキスキー」(2012年7月 - 2022年7月)
「はぐっくま」は、茶色い小さな植木鉢のキャラクター。「タネマキスキー」は、ピンク色の森の妖精のキャラクターである[ 162] 。
これらの2キャラクターは、BSN創立60周年のキャッチフレーズ「BSNは幸せの種をまきます!」にちなんで登場し、登場前月(6月)の29日の「金曜パラダイス」で初お披露目された。
補足
新潟放送の呼出符号「JODR」 は、1952年 (昭和27年)3月7日 に予備免許を交付されるも工事落成期限に間に合わず、1952年(昭和27年)9月22日 に免許を取り消された兵庫県 姫路市 の姫路市営放送 に割り当てられていたものである。仮に姫路市営放送が予定通りに開局していた場合、新潟放送の呼出符号は現在秋田放送 (ABS)が使用している「JOTR」になっていた。
ラジオにおいても、1990年代中盤までは午前11時台などに地域別の番組枠が設けられており、中越地方(長岡支社制作)、上越地方(上越支社制作)には本社とは別途に放送枠・スポットCM枠が設定されていた(『ラジオガイド』など)。その後県内各地でコミュニティFM局の開局が相次ぐなどしたこともあり、現在は全県同一内容の番組を放送している。
戦後、新潟市内には県・市など自治体が運営する美術館 が存在しなかったことから、文化活動の一環として1964年 (昭和39年)5月1日 、新潟市一番堀通町(現中央区)の新潟県庁 第一分館(現新潟市役所 第一分館)横に「BSN新潟美術館 」を開館させた。その後、1970年代後半になって市立美術館の整備計画が具体化した事から「県都唯一の美術館としての使命を達成した」として1985年 (昭和60年)11月5日 に閉館した。所蔵品は前月の10月13日 に開館した新潟市美術館 に寄託され、敷地跡は市役所第一分館の駐車場に転用された。
同局のラジオ番組「キンラジ」→「独占ごきげんアワー」の人気コーナー「今すぐ使える新潟弁 」のCD「文法編」・「日常生活編」が2005年 (平成17年)12月7日に2枚同時発売されている。また、同CDの続編として2006年 (平成18年)12月6日に「ラブラブ編」・「結婚・出産編」が発売された。
数年前から社会貢献活動 の一環として「にいがたキッズプロジェクト 」を実施している。
毎年HARD OFF ECOスタジアム新潟 で開催する横浜DeNAベイスターズ の公式戦を主催しており、過去には球団の公認ファンクラブである「B☆Spirit Niigata」を運営していたこともある。
同局のラジオ中継車として「スナッピー 」が稼働する。1974年 (昭和49年)から1990年代中頃までは2台体制で運用され二元中継も行われていたが、1990年代後半からは1台体制となっている。火曜から金曜は「近藤丈靖の独占!ごきげんアワー 」と「ゴゴラク! 」内で登場し、新潟県内の各所から中継を行う。歴代の担当リポーターはスナッピー (ラジオカー)#BSNラジオ を参照。
1970年代後半、ラジオ独自のキャッチフレーズ『いつもあなたとBSNラジオ』を使用していたが、1990年代中盤にテレビとキャッチフレーズが統一化されたため、現在は使用していない。
同局のラジオ番組「クチこみラジオ 越後じまんず」は特定のスポンサーをつけず、サポーターからの番組育成金によって運営されるという異例のスタイルをとっていた。
新潟放送のドメインは、Web開設当初は「bsn-niigata.co.jp」、現在は「ohbsn.com」を使用している。「bsn.co.jp」はドメイン取得段階で既に他の企業が取得していた[ 注 78] ため、使用できなかった。
かつてラジオのオープニング・クロージングで周波数を告知する際、千の位を「せん」ではなく「いっせん」 と読んでいた。例えば、親局である新潟放送局の周波数・1116kHzの場合、「せんひゃくじゅうろっキロヘルツ」ではなく「いっせんひゃくじゅうろっキロヘルツ」 となる。
脚注
注釈
^ 旧JASDAQ 市場。
^ しかしこの申請後、河渡に送信所を設置することで難航し、その後競馬場、綱川原、清五郎、中木戸、飛行場付近等に変転したものの、最終的には翌月(6月)の12日に、綱川原に送信所を設置することで決着し、後日、内容変更書類を提出することにした。
^ 2010年6月に閉店し、跡地は「新潟プラザビル」に変わっている。
^ 時間は、11時 - 15時と17時 - 21時の1日8時間で、ニュース、音楽等を流していた。
^ この時の放送時間は、毎日朝6時から夜10時半までで、途中朝10時、午後3時からそれぞれ1時間休止があった。
^ 前月(11月)の26日に本免許を取得(周波数:1460kc、出力:100W)。11月29日には、直江津小学校で、同放送局の開局式典が行われた。
^ 同月13日に本免許を取得(周波数:1220kc、出力:100W)し、この日(13日)の15時55分より、サービス放送を開始している。開局日の15日には、長岡市公民館で開局式が行われた。
^ 大和新潟店7階の演奏所が完成からわずか3年足らずで焼失する。しかし、引火する寸前まで大和屋上から火災の実況生中継を行い、実況スタッフが避難した直後より網川原ラジオ送信所から行った臨時放送と合わせ、各方面から高く評価された。この日から新社屋が機能するまでの約8ヶ月間、送信所内の仮設アナブースからの番組と県内各所からの公開番組で放送をカバーする
^ 二年参り で混雑する弥彦神社 で深夜0時過ぎ、参拝客が将棋倒し になり死傷者201人の大惨事が発生。ラジオ新潟の社員2人が現場に居合わせたため早期取材体制に入る。放送開始時間を30分繰り上げ4時30分から放送開始。この日に予定していた正月特番を急遽報道番組に変更する。
^ 当時のラジオ東京(KRT)テレビ等で放送された当番組が第13回芸術祭 大賞を受賞したため、ビデオテープで収録していた本放送をこの日に全国にマイクロネットで記念再放送したもの。同番組は現在、TBSテレビの番組における最古の番組資料でもあり、またビデオテープでもある。
^ ちなみにこのタイプの英文社名は、BSNの他にはこの3か月後に株式会社ラジオ山陰(RSB)から社名変更した株式会社山陰放送 (BSS:〜 of S an-in )だけである。
^ 1960年 11月29日 に、株式会社ラジオ東京がTBS(株式会社東京放送) に社名を変更したのを契機に、この日のBSNを皮切りに翌1962年元旦までに、地方のラジオ・テレビ兼営局計11局が同様の商号変更を行った(「1961年のテレビ (日本)#商号変更 」、「1962年のテレビ (日本)#商号変更 」の項を参照。)。
^ 1992年10月15日に新潟放送が刊行した社史本「新潟放送40年のあゆみ」の75、535ページでは社名変更日を同年3月1日と明記しているが、前述の出典の通り、新潟日報1961年2月26日朝刊の4ページ下部の自社広告、同7ページの関連記事、同8ページのラジオ・テレビ番組表に明確に記されていることから、ここでは変更日を2月26日とする。
^ NEC 製の放送用VTR(型番:TT-1)を2台購入。このVTRの値段は当時で、1台2490万円だった
^ 最初の稼働は、この日の「武田ロマン劇場 」(日本テレビ 制作)のVTR送りによる遅れネット放送だった。
^ これを記念した特別番組として、「リクエスト合戦」を放送。
^ この地震の映像は、2008年12月23日の新潟放送のテレビ開局50周年の特番を始め、同局の歴史を放送した特番では必ずと言ってよい程その映像が放送されており、新潟地震からちょうど60年経った2024年 6月16日 に同局で放送された特番、「BSN NEWS ゆうなびスペシャル 新潟地震60年『あの日の記憶 あすへの備え』」 (BSN新潟放送公式YouTubeサイト「BSN新潟 NEWS & LIVE」)でもその時の津波を含むビデオ映像が冒頭直後に放送されたが、この番組全編はその放送翌日にBSNの公式YouTubeサイトでアップされたと同時に、そのビデオ映像も局の公式サイトから初めてネット上で公開された。
^ 尚、番組編成上、同局の最初のカラー番組放送は、翌々日の10月3日、日本テレビ からのネットによる米映画ドラマ『カート・ライト兄弟 』だった(同日20時からの55分番組)。同局のカラー放送は開始当初、レギュラーのカラー番組は同番組の他に、日本テレビの『私のクイズ 』、TBSテレビのカラーアニメ『トムとジェリー 』の計3番組だけだった。新潟日報 1964年10月3日朝刊 P.8 テレビ欄 及び 同年10月9日 オリンピック特集特別紙面 P.8 「BSN新潟放送のテレビオリンピック放送広告」(新潟日報マイクロフィルム版で閲覧)
^ この年TBSは、BSNを含めJNN加盟局全13局と個別に業務協定を締結している[ 58] 。
^ 初めはテストケースで行われた。番組内容は記録映画『若人の祭典』だった。
^ 後に音声多重化等の改造工事等も実施、新館局舎移転になる前日の1987年 (昭和62年)4月5日 まで使用された。
^ 同年の4月からNHK がカラー契約を開始したことや、同局の「第11回テレビスポットコンクール」の開始が同日だったこと、更に同年の11月29日 にNST新潟総合テレビがサービス放送を開始したこと(同局の開局は翌月の16日)が影響している。
^ この日は1970年の秋の改編期の初日で、同日TBS系列が同時間帯の全国ネット番組を完全カラー化したことによるもの[ 71] [ 72] 。この時点で日本テレビ、フジテレビ、NET共に、同時間帯の全国ネット番組での完全カラー化を完了している[ 73] (「1970年のテレビ (日本) 」の項も参照)。尚BSNではこれに伴い、テレビのカラー番組に於いてのカラーマークのテロップ表示を全時間帯に於いて廃止した。
^ カラー化にともないテレビスタジオには、東芝製カラープランビコン カメラ3台が配置される。
^ ただし、番組の前半部分は『ミュージックポスト』放送開始以降、新潟放送局周辺以外の地域(上越・中越地方)でも放送していた。
^ それまでは朝日系をTBSテレビ系列の局が、毎日系をNET系の局がネット受けしていた。
^ ただし、朝日放送テレビの一部の番組(NST新潟総合テレビの番組枠の都合で放送できない番組、一部の一本買いの番組等)は、1983年 9月30日 の新潟テレビ21開局前日まで放送された。
^ 但し、NRN公式サイトでは昭和45年加盟となっている。
^ JODO上越放送局の1530kHzは、9kHzごとの所定の周波数であったため、変更する必要がなかった。
^ ちなみに初めの同放送は、朝6時57分の『天気予報』のステレオ放送で、同日放送開始前のテストパターンの音楽もステレオ放送だった。
^ 移行した主な番組は、「笑点 」、「グランド劇場 」、「健康増進時代 」。
^ 16時からの55分番組。ステレオ放送だったものの、同日の新聞のテレビ番組欄には同番組のステレオ番組の表記がなかった。
^ その後は、ENG を使ったビデオ取材に1本化される。
^ この時は、番組の演出上、シンガーソングライターの泰葉 がピアノを弾きながら歌っている最中(楽曲は『水色のワンピース 』)に切り替えられた。また、この変更の瞬間を収録したテープを送ってプレゼントを当てる懸賞キャンペーンも行われた。
^ 「あまから問答 」等が移行。
^ 第1ラジオスタジオ内の吸音素材にはラジオスタジオでは日本初、特殊セラミックパネルを壁一面(副調整室のある壁面のみ張られていない)に張る工法を採用し、完成後は多くの放送、音響に関わる関係者が見学に訪れた。またこの頃は、セラミックパネルの効果を活かした生演奏企画が番組内で多く行われた。
^ スタジオには、東芝製カラーCCD カメラが3台導入される。音声はステレオ対応。このスタジオ運用開始にともない、ローカル番組『土曜はヨイショ!!』がステレオ放送になる。
^ ローカル番組でも、『土曜はヨイショ!!』等のテレビスタジオの番組で同放送が行われた。
^ JNNでは、TBSテレビ、毎日放送に次いで3局目であった。
^ 同放送が、後に開始される地上デジタルテレビ放送におけるデータ放送に変わることによる処置である。
^ この日は新潟県を含む全国のNHKの地方局13局と、全国の地方民放40局が同時に予備免許を取得した。インプレス社AV Watch 2005年6月9日付記事
^ スタジオカメラはテレビ放送開始以来東芝製であったが、ハイビジョン放送の開始にともない初めてソニー製(品番:HDC-900)になる。
^ 報道取材に於けるハイビジョン取材の開始は、JNN系列では最も遅い方だった。
^ a b 局の経済的事情により4時を起点とする23時間放送となる。番組表 では、午前3時から4時のフィラーの時間は『深夜音楽』という番組タイトルになっているが、毎日同じクラシック音楽 (J.S.バッハ 作曲 『ブランデンブルク協奏曲 』第4 - 6番)と途中2回(同曲第5・6番の冒頭後直ぐ)ID が読まれるだけである。この処置にともない、以前同時間帯でTBSラジオからネットしていた『JUNK ZERO 』と『MIXUP 』の2番組が打ち切りとなる。同日時点で信越放送(SBC)でも同じ処置が採られていた(SBCのそれはフィラー音楽がなく、停波 をともなう休止枠だった)が、2009年秋よりネット受けを再開。現在は全国で唯一ネット受けをしていない。なお、2013年度(同4月6日 深夜=4月7日 から)は、土曜深夜(日曜未明)の『深夜音楽』の時間が3時 - 5時に拡大されるため、日曜日付けの実質的な放送は5時開始となる。
^ 自前でのローカルテレビ中継でのハイビジョン化は、県内民放では最も遅かった。いずれも報道等の簡易中継用である。
^ 但し、スポーツ等の大規模な中継番組は、引き続き自前のSD画質の大型中継車を使って行っている。
^ 九州朝日放送株式会社 (KBCグループホールディングス株式会社)と同日に移行予定であった。
^ 火災の翌々日、秋田放送からもお見舞いの社員2人が送信所を訪れトランク2つ分の各種電気工具コード等を持参し寄贈した。秋田放送技術部長の指示によるもので火災で何もかも亡くしたのだから工具なんかなくて困っているだろうと自社のストック品を提供してくれたため何もなくて困っていた技術系社員は感激したという。
^ リクエストランキングデータがTBSテレビ製作『ザ・ベストテン 』のラジオ総合ベスト10のBSNのデータとして毎週提供されていた。(1978年 - 1985年頃まで)
^ 1985年頃より、『BSNサテライト・ヒットパレード』から『ザ・ベストテン』のラジオ総合ベスト10のBSNのデータとして毎週提供されていた。
^ 新潟本局からのみ放送(他の親局では非放送)。
^ a b 2019年3月25日放送回をもって放送を一時休止。2020年9月時点の 番組ページ では終了と記載。
^ 不定期ながら土曜 16:00 - 17:00の枠で再放送あり。
^ 『土曜ランチTV なじラテ。』の中の1コーナーを編集して再放送。
^ カメラマンが魅せた新潟の風景(深夜から早朝にかけてのフィラー番組(過去には「TBS NEWS 」休止時または開始前の時間調整として放送)で、県内の四季の風景映像を放送している。ただし、新潟本社演奏所あるいは弥彦送信所において停波をともなう大規模工事を行う場合はこの限りではない。)なお、県内の民放4局での通常時での終夜放送を初めて行った局でもある(1994年よりお天気フィラーを実施。)
^ 土曜のみ時差ネット。
^ CBCテレビでは48分番組として放送されているが、当局では30分編集版が放送されている。
^ スポーツ中継等で短縮もしくは休止の場合あり。
^ 『ノブナガ』で放送された企画の一つである『地名しりとり 』コーナーを再編集した番組。
^ 第三部、第一部、第二部の順で放送。
^ 第三部、第一部、第二部の順で放送。
^ 『アサルトリリィ ふるーつ』はUXで放送。
^ 第1期は『スーパーアニメイズム 』枠で放送。
^ アニメ版はNST新潟総合テレビで放送。
^ シーズン1は未放送。
^ レギュラー放送第2期はテレビ新潟で放送。
^ 『ウルトラマン クロニクルZ ヒーローズオデッセイ 』以前は県内未放送。
^ テレビドラマ版はテレビ新潟で放送。
^ 前作は県内未放送。
^ 第一期から第六期までは県内未放送。
^ スポンサーのJRAの都合で、日曜日の競馬中継(日曜・月曜未明のダイジェスト番組含む)を1999年 12月まで放送していた。
^ 1981年 3月 までNNS に加盟していたNST新潟総合テレビは当大会の中継には不参加。(他にNNSに加盟しながら当大会の中継に参加しなかった局はKTS である。)
^ NST新潟総合テレビの競馬中継が7月の『FNSの日 』や10月第2日曜の『F1日本グランプリ 』等で放送休止された時に放送。
^ 『ラブライブ!スーパースター!! 』はNHKEテレ・新潟 で放送。
^ 第1期はテレビ新潟 で放送。
^ 第1期は県内未放送。
^ 1970年代半ばには既に設置されていた。同カメラは1985年に完成した現在の新潟県庁舎(新潟市中央区新光町)の工事状況の映像をこまめに保存しており、その模様は、2008年 12月23日 の「発見! 発掘! 新潟とテレビの50年」で放送した。2005年10月には既にハイビジョン化しており、サイマル試験放送前のデジタルテレビ放送の試験電波でも、このカメラで撮った生の映像がハイビジョンで放送していたことがある。
^ BS日本 (BS日テレ。日本テレビ系BS放送局)もこの影響でドメインが「bs-n.co.jp」となっており、新潟放送や該当の他社と紛らわしくなっていた(2008年にBSデジタルリモコンキーID「4」を意味する「BS4」を略称としたことで「bs4.jp」に変更)。
出典
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^ 新潟競馬場 の開催期間中。開催期間以外の土曜・日曜 15:00 - 16:00の枠はラジオNIKKEI 版中央競馬実況中継 のネット受け枠。新潟競馬場で社杯『BSN賞 』が土曜日にある場合は中央競馬実況中継 の放送タイトルのまま、土曜日 15:00 - 16:00の枠で自社制作放送を行うことがある。
^ 文化放送 制作の「ボートレースライブ」が日曜 16:30 - 16:55の枠で放送される日は、放送時間を日曜午前11:00 - 12:00に枠移動して放送する。その他、番組独自の公開生放送も日曜に随時爆笑問題の日曜サンデー のネット受け時間帯(13:00 - 15:00)で行われている。
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外部リンク
関連項目 地上波 28局BSデジタル CSチャンネル 1 旧加盟局 関連新聞・スポーツ新聞社9 関連項目
脚注
1 加盟局が運営・出資する衛星放送 (CSチャンネル)2 旧TBSは2009年に現TBSに放送免許を譲渡。3 旧CBCは2014年に現CBCに放送免許を譲渡。4 OTV大阪テレビ放送は後にABCに吸収。OTV閉局当時はJNNが未発足であったが便宜的に記述。5 旧RKBは2016年に現RKBに放送免許を譲渡。6 旧MBSは2017年に現MBSに放送免許を譲渡。7 旧RSKは2019年に現RSKに放送免許を譲渡。8 旧BSNは2023年に現BSNに放送免許を譲渡。9 母体新聞社及び加盟局と友好関係のある新聞社。10 JNN系列局はないが、友好関係がある新聞社(過去に系列局を置く計画があったが、断念した)。11 TBSラジオ などが加盟するラジオネットワーク。12 旧称・TBSカンガルー災害募金。
加盟局 旧加盟局 関連項目
注釈
1 2005年に札幌テレビ放送(STV)はSTVラジオにラジオ放送事業と放送免許を譲渡・継承。2 2006年に旧ニッポン放送(フジメディアHD)は現ニッポン放送(LF)にラジオ放送事業と放送免許を譲渡・継承。3 2017年に第1次MBS(MBSメディアHD)は第2次MBSに放送免許を譲渡・継承。4 2018年に旧ABC(朝日放送グループHD)は朝日放送ラジオにラジオ放送事業と放送免許を譲渡・継承。5 2019年に旧RSK(RSK HD)はRSK山陽放送に放送免許を譲渡・継承。6 2021年に第2次MBSはMBSラジオに放送免許を譲渡・継承。7 2023年に旧BSN(BSNメディアHD)は現BSNに放送免許を譲渡・継承。8 2023年に旧KBC(KBCグループHD)は現KBCに放送免許を譲渡・継承。
加盟局 賛助会員 番組販売協力局 旧加盟局 旧番組販売協力局 制作番組
カテゴリ
配信局
日本放送協会 (NHK)北海道・東北 関東 北陸・甲信越 中部 近畿 中国・四国 九州・沖縄 全国 過去の配信局
注釈
NHKラジオ第1(地域別配信)とNHK-FM(全国配信)は「radikoプレミアム(エリアフリー聴取)」「radikoタイムフリー(過去1週間以内の聴取)」の対象外。