ブランデンブルク協奏曲の自筆譜の表紙
『ブランデンブルク協奏曲 』(ブランデンブルクきょうそうきょく、独 : Brandenburgische Konzerte 、正式には、仏 : Six Concerts Avec plusieurs Instruments 種々の楽器のための六曲の協奏曲 )は、ヨハン・ゼバスティアン・バッハ が作曲した6曲からなる合奏協奏曲集 である。1721年 3月24日 にブランデンブルク=シュヴェート辺境伯クリスティアン・ルートヴィヒ (英語版 ) に献呈された。そのためにこの名がある。6つの独立した協奏曲からなる。
作曲の経緯
ブランデンブルク=シュヴェート辺境伯クリスティアン・ルートヴィヒ。
クリスティアン=ルートヴィヒ伯へのフランス語の献辞文
ブランデンブルク=シュヴェート 辺境伯 [ 1] クリスティアン・ルートヴィヒ に献呈された6曲の協奏曲集は、現在ベルリンの国立図書館 にバッハの自筆譜が残されている。「ブランデンブルク協奏曲」(Brandenburgische Konzerte )という名称は、『バッハ伝』を著したフィリップ・シュピッタ (英語版 ) の命名によるもので、自筆譜にはフランス語 で「いくつもの楽器による六曲の協奏曲」(Six Concerts Avec plusieurs Instruments )と記されているだけである。この自筆譜には、代筆されたと推定されるフランス語の献辞が添えられており、2年前に伯の御前演奏をした際に賜った下命に応じて作品を献呈する旨が記されている。しかし、いつどのようにして御前演奏する機会を得たのかは、献辞に記された日付から1719年 のことと推測されるものの、はっきりとは分かっていない。
献辞に示された動機を否定するものではないが、本作品が成立した本当の理由は就職活動だったのだろうと考えられている。当時バッハが仕えていたアンハルト=ケーテン侯レオポルト は自ら演奏もこなす大変な音楽愛好家で、一諸侯には珍しい立派な宮廷楽団をかかえ、楽団は多くの名手をそろえていた。バッハはケーテンの宮廷楽長 として一生を終えるつもりだったが、ケーテン侯の妃となった女性が音楽嫌いであったためにレオポルト侯の音楽熱は冷め、宮廷楽団も縮小される事態に至ったという[ 2] 。この状況で、バッハは新天地を求めざるを得ないと判断したのだろう。本作品が献呈されたのと同じ頃に就職活動をしていたことが知られており、1723年 にはライプツィヒ のトーマスカントル に転出している。辺境伯に作品を献呈することで、就職を有利にしようとしたことは十分に考えられるのである。
一方で、その作曲過程も明らかではない。ただ、各曲の楽器編成や様式などから判断して、かなり長い期間にわたってつくられた協奏曲のなかから6曲を選び、編成の大きなものから順に並べたものであると考えられている。作曲された順番は、第6番→第3番→第1番→第2番→第4番→第5番であり、第3番と第6番はヴァイマル時代 にさかのぼると推測される。第1番以降については、それぞれに見られる楽器編成や、高い演奏技術が求められることなどから、ケーテンの宮廷楽長 に就任してからの創作と思われる。楽器編成はケーテンの楽団員構成によって、作品内容も楽団員の技巧水準を考えれば説明できるからである。しかも、シュヴェート辺境伯の宮廷楽団は少人数であった(1734年 には6人だったことが知られている)から、演奏はほとんど不可能だった。いずれにせよ、別の目的でつくられた作品から転用されたことは間違いない。
唯一、最後に作曲されたと見られる第5番については、作曲の時期と動機をうかがわせる、かなり有力な状況証拠が残っている。1719年 、宮廷からバッハに大金が支払われた記録があり、その明細によると、バッハがベルリン までチェンバロ を受け取りに行ったらしい。購入されたチェンバロが高価であることから、バッハがそれ以前に一度ベルリンに赴いて、オーダーメードでチェンバロを作らせたのではないかと考えられている。新しいチェンバロを前にして、バッハが作曲の腕をふるっただろうことは想像に難くない。すでに完成していたと見られる初稿BWV1050aと献呈稿を比べると、有名な第1楽章のチェンバロ独奏部は献呈稿において初稿の約3倍の長さ(19小節 →65小節)になっており、チェンバロのお披露目を意図した改変であることが想像される。通常は通奏低音 楽器のチェンバロを独奏楽器群 に加えること自体が独創的であるが、第5番はチェンバロの活躍が著しく、実質的に音楽史上初のチェンバロ協奏曲 として、後代のピアノ協奏曲 の出現を準備する画期的な作品となった。ちなみに、この2回のベルリン行きの際に辺境伯に会う機会があったのではないかとする説も有力である。
各曲の構成と楽器編成
第1番
ヘ長調 BWV 1046
楽章構成
ヘ長調 2/2
ニ短調 Adagio 3/4
ヘ長調 Allegro 6/8(初稿では欠く)
メヌエット ヘ長調 3/4(メヌエット-第1トリオ-メヌエット-ポラッカ-メヌエット-第2トリオ-メヌエット)
編成
第1番の手稿譜、1721年
第2番
ヘ長調 BWV1047
楽章構成
ヘ長調 2/2
独奏楽器それぞれにソロが均等に与えられる。
ニ短調 Andante 3/4
ヴァイオリン、オーボエ、リコーダーがカノン風に旋律を奏でる。トランペットは完全休止。
ヘ長調 Allegro assai 2/4
主題が独奏楽器によってフーガ風に展開される。
編成
第3番
Advent Chamber Orchestraによる演奏
ト長調 BWV1048
楽章構成
ト長調 4/4
リズミカルな曲調。
ホ短調 Adagio 4/4
フリギア終止 の2つの和音だけの楽章。和音だけを演奏することもあれば、チェンバロ あるいは第1ヴァイオリン がこの和音を基にカデンツァ を奏することもある。
ト長調 Allegro 12/8
編成
独奏楽器群と合奏楽器群の区別はない。
第4番
ト長調 BWV1049
楽章構成
ト長調 Allegro 3/8
牧歌的な曲であり、ソロ・バイオリンに2本のリコーダーがきれいな響きを添える。
ホ短調 Andante 3/4
2本のリコーダーの半音階的進行とヘンデルのような曲調が印象的である。フリギア終止で3楽章へと続く。
ト長調 Presto 2/2
独奏楽器と通奏低音の4声のフーガ。様々なところに各楽器の魅力的なソロ、トゥッティが織り込まれている。
編成
第5番
Roxana Pavel Goldstein (ヴァイオリン)、Constance Schoepflin(フルート)、Matthew Ganong (ハープシコード)、Advent Chamber Orchestraによる演奏
ニ長調 BWV1050
楽章構成
ニ長調 Allegro 2/2
チェンバロはフルート、ヴァイオリンを支えながらも途中チェンバロ協奏曲 の前身ともなる長大なカデンツァ に突入する。
ロ短調 Affettuoso 4/4
独奏楽器群のみでの演奏。
ニ長調 Allegro 2/4
フーガ風に曲が展開されてゆく。
編成
第6番
Elias Goldstein & Elizabeth Choi (ヴィオラ)、Anna Steinhoff (チェロ)、Advent Chamber Orchestraによる演奏
変ロ長調 BWV1051
楽章構成
変ロ長調 2/2
2挺のヴィオラが、半拍ずれたカノンによって旋律を奏でる。
変ホ長調 Adagio ma non tanto 3/2
調号は変ロ長調のものが使われている。ヴィオラ・ダ・ガンバは完全休止。ブランデンブルク協奏曲の緩徐楽章の中で唯一、長調をとった曲であり、魅力的なカンタービレとなっている。
変ロ長調 Allegro 12/8
とても軽快な曲調で、シンコペーションが特徴である。
編成
独奏楽器群と合奏楽器群の区別はない。ヴァイオリンが参加しない異色の弦楽合奏曲である。
脚注
^ ただし辺境伯領の当主という訳ではなく、辺境伯位も称号だけの物であった。
^ しかし、レオポルト侯はバッハがライプツィヒへ去った後も互いに手紙で連絡を取り合っていたことから、レオポルト侯の音楽熱が冷めてバッハがケーテンに居づらくなったとする説を疑問視する意見もある。ただし、この時期にレオポルト侯が財政難から宮廷楽団を縮小せざるを得ない状況にあり、それがバッハをケーテンから去らせる一因になったことは確かであると考えられる。
参考文献
ミニチュアスコア 音楽之友社、1976年
『最新名曲解説全集8 協奏曲I』音楽之友社、1979年、249頁
外部リンク