山脇学園中学校・高等学校(やまわきがくえん ちゅうがっこう・こうとうがっこう)は、東京都港区赤坂四丁目にある私立女子中学校・高等学校。完全中高一貫校(高校の募集はなし)。
概要
1903年(明治36年)、貴族院議員や行政裁判所長官を務めた法学者・山脇玄が、獨逸学協会学校の分校があった牛込白銀町の校地に創立した女子實脩学校(本科3年制、専攻科1年制)を起源とする。
山脇玄の妻で初代校長を務めた山脇房子は英語教育を重視し、受け持った家庭管理の授業では時事問題を生徒同士で討論させるなど進歩的な教育を実践した[1]。
1906年(明治39年)、赤坂檜町[要曖昧さ回避]の新校舎に移転し、高等女子實脩学校と改称。1908年(明治41年)5月1日、高等女学校令により山脇高等女学校となった(本科4年制、家事専攻科2年制)。1935年(昭和10年)、赤坂丹後町の現在の校地に移転した。
1947年(昭和22年)、学制改革により山脇学園中学校・高等学校となった[2]。
建学の精神は「女性の本質を磨き、いつの時代にも適応できる教養高き女性の育成」[3]。
教育目標として「自ら求め、深く学ぶ(自主・探究)」「志を抱き、未来を拓く(立志・展望)」「お互いに思いやり、仲間とともに創る(互恵・協働)」を掲げている[4]。
高校生活最後の思い出となる体育祭では、イギリスの作曲家アルバート・ケテルビーが作曲したペルシャの市場にての音楽に乗せたダンスを披露し、校章であるハートに富士山を描くことが生徒の良き思い出となっている。
同窓生には毎年「わすれな草」という同窓生や各地の支部の紹介等が書かれた小冊子が送られている。
沿革
交通
制服
- ※中高共通。2013年度より一部デザイン変更、夏服冬服の着用期間をなくした季節自由制。
- ※第一制服のワンピースは東京府下の女子教育機関で初めて採用された洋装の制服である[9]。
校章
ハート形の中に富士山が描かれたデザインのシンボルマーク
「温かで優しい心(ハート)の中に、富士山のような真摯な姿、凛とした気高さ、清新な志を持つ女性。何事にも動じない克己心を持ち、徳の高い人になろうと努力し続ける女性」を表す[10]。
高大連携
社会・地域連携
著名な関係者
著名な出身者
- 文化人
- マスメディア
- 芸能
- 政治家
系列校
脚注
関連項目
外部リンク