第17回衆議院議員総選挙(だい17かいしゅうぎいんぎいんそうせんきょ)は、1930年(昭和5年)2月20日に日本で行われた帝国議会(衆議院)議員の総選挙である。
概説
- 濱口首相個人の人気も追い風となって、与党立憲民政党は273議席と単独で過半数を獲得する大勝を収めた。これによって、それまで少数与党政権だった濱口内閣の政権基盤を安定させるとともに、本格的な二大政党時代の到来を印象づけることとなった。
- 一方で、立憲政友会は174議席と立憲民政党に約100議席離される敗北を喫し、少数野党となった。
- 普段人前で怒ったような顔をしている濱口が(ライオン、というあだ名で呼ばれていた)、この選挙勝利のときは、笑顔を見せるというエピソードが残っている。
選挙データ
内閣
解散日
公示日
投票日
改選数
選挙制度
選挙結果
投票率
- 83.34%(前回比3.01%)
党派別獲得議席
総裁=濱口雄幸、幹事長=桜内幸雄
総裁=犬養毅、幹事長=森恪
会長=武藤山治
委員長=安部磯雄、書記長=片山哲
委員長=麻生久
委員長=大山郁夫
議員
当選者
立憲民政党 立憲政友会 国民同志会 革新党 社会民衆党 日本大衆党 労農党 中立
*の選挙区は無投票
補欠当選等
立憲民政党 立憲政友会 中立
年 |
月日 |
選挙区 |
選出 |
新旧別 |
当選者 |
所属党派 |
欠員 |
所属党派 |
欠員事由
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1930
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3.12
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福島2区
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繰上補充
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新
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助川啓四郎
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中立
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鈴木万次郎
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立憲民政党
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1930.2.26死去
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-
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北海道2区
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(未実施)
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近藤豊吉 |
立憲政友会 |
1930.4.15死去
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-
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埼玉1区
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(未実施)
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粕谷義三 |
立憲政友会 |
1930.5.4死去
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-
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佐賀2区
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(未実施)
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西英太郎 |
立憲民政党 |
1930.8.4死去
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-
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長野2区
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(未実施)
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篠原和市 |
立憲政友会 |
1930.8.14死去
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-
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福岡2区
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(未実施)
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青柳郁次郎 |
立憲政友会 |
1930.8.18死去
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-
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京都2区
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(未実施)
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川崎安之助 |
立憲民政党 |
1930.9.21死去
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1931
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5.12
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宮城1区
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補欠選挙
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元
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内ヶ崎作三郎
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立憲民政党
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中島鵬六
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立憲政友会
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1931.2.18死去
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新
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宮沢清作
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立憲政友会
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藤沢幾之輔
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中立
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1931.4.13任貴族院議員
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6.11
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大分2区
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再選挙
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新
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篠崎豊彦
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立憲民政党
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高橋欽哉
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立憲民政党
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1931.5.13選挙法違反
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10.28
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滋賀全県区
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元
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青木亮貫
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立憲民政党
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青木亮貫
|
立憲民政党
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1931.10.10当選無効
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-
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兵庫2区
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(未実施)
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山本平三郎 |
立憲民政党 |
1931.1.31死去
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-
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新潟4区
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(未実施)
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石塚譲 |
立憲民政党 |
1931.3.19死去
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-
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東京1区
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(未実施)
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横山勝太郎 |
立憲民政党 |
1931.5.12死去
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-
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静岡2区
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(未実施)
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庄司良朗 |
立憲政友会 |
1931.6.22死去
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-
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佐賀1区
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(未実施)
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福田五郎 |
立憲民政党 |
1931.6.23死去
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-
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神奈川2区
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(未実施)
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小野重行 |
立憲民政党 |
1931.7.30死去
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-
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長崎1区
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(未実施)
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則元由庸 |
立憲民政党 |
1931.8.6死去
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-
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高知1区
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(未実施)
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濱口雄幸 |
立憲民政党 |
1930.8.26死去
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-
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長野4区
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(未実施)
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降旗元太郎 |
立憲民政党 |
1931.9.15死去
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-
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大阪3区
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(未実施)
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武内作平 |
立憲民政党 |
1931.11.8死去
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出典:衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 院内会派編衆議院の部』大蔵省印刷局、1990年。
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初当選
- 計125名
- 立憲民政党
-
- 87名
- 立憲政友会
-
- 30名
- 国民同志会
-
- 4名
- 社会民衆党
-
- 1名
- 日本大衆党
-
- 1名
- 労農党
-
- 1名
- 中立
-
- 1名
返り咲き・復帰
- 計61名
- 立憲民政党
-
- 37名
- 立憲政友会
-
- 21名
- 国民同志会
-
- 1名
- 革新党
-
- 1名
- 中立
-
- 1名
引退・不出馬
- 計68名
- 立憲民政党
-
- 10名
- 立憲政友会
-
- 48名
- 国民同志会
-
- 2名
- 中立
-
- 8名
落選
- 計96名
- 立憲民政党
-
- 14名
- 立憲政友会
-
- 67名
- 社会民衆党
-
- 3名
- 日本大衆党
-
- 1名
- 諸派
-
- 3名
- 中立
-
- 8名
脚注
注釈
- ^ 兵庫4区から立候補したが、後に辞退した。
- ^ 福岡3区から立候補したが、後に辞退した。
- ^ 千葉3区から立候補したが、後に辞退した。
- ^ 長野3区から立候補したが、後に辞退した。
- ^ 静岡3区から立候補したが、後に辞退した。
- ^ 衆議院解散後の2月8日に急死した。
- ^ 北海道1区から立候補したが、公示後の2月3日に死去した。
出典
参考文献
- 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 院内会派編衆議院の部』大蔵省印刷局、1990年。
関連項目
日本の国政選挙・国民投票 |
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- 合:合併選挙(参議院議員通常選挙と合併した補欠選挙)が実施された年
- 再:再選挙が実施された年
- 未:補欠選挙が予定されたが、実施されたなかった年
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